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母親が世知原出身で、母親方の祖父母は今も祝橋駅近くに住んでいます母親からお別れ列車の話を聞いたり、夕方に祖父母や従姉妹と一緒に散歩で祝橋駅まで行き帰ったり、、走っている姿は見た事なくても私にとっては家族との話の中で生きている思い入れある路線です見慣れた景色が新鮮に感じる素晴らしい動画をありがとうございます世知原線を誇らしく感じました
👍️
採炭が終わり閉山しても町も残り、廃線跡も綺麗に整備されてサイクリングロードに嘗て、黒いダイヤと言われた石炭産業を支えた北海道と九州では閉山後の跡が全く違うのが良く分かります すべてが原野に還る北海道と往時の名残が見て取れる九州の炭鉱の差がエグイそれにしてもこの短さの支線が10往復もあったとは往時の賑わいを思わせますね
いつもありがとうございます!炭鉱路線でも北海道とは違う道を辿ったようですね…
祖父母がこの炭鉱で働き、住んでいました。私も10年程住んでいましたが炭鉱が栄えてた頃よりかなり廃れた話を地元の人と祖父母や母から聞きました。世知原駅跡は息子が小さい頃、駅跡に散歩がてら行きましたね😊今回取り上げて頂いて嬉しく思います!
世知原に所縁があったんですね。
こうして見ると世知原・柚木・臼ノ浦線を擁していた松浦線って当時ちょっとした大幹線だったですね。にしても祝橋駅跡はホントびっくりです!
祝橋駅跡には驚きました…
やはり国内の炭鉄系旅客運行は、だいたい70年代前半で廃止される運命だったのですね…祝橋という縁起の良い駅は、雰囲気も良いですね…残念ながら一部倒壊してしまいましたが三井芦別駅を思い起こしました。鉄道や炭鉱が失くなっても街は栄えるのが九州らしくて羨ましいです。
これは本当にそう思います。”鉄道の最大長所=最小面積で最大の輸送量(ただし本数・時刻に限りあり)”を満たすのは貨物輸送であり、その貨物である石炭輸送が無くなればインフラが無くなるのもやむを得ない…。 松浦線が松浦鉄道で(並行酷道もバスもあるのに)生き残って、そこそこ経営を維持(黒字の年度もあり)なのは、喜ばしいです。(今後を考えると楽観はできないですが。)
北海道の炭鉱街と比べると…
祝橋駅が残ってるのは驚愕ですね。ホームも残ってましたし。自転車道転用されてよかったと思いました。
残っているとは思っていなかっただけに驚きました…
初めまして😊今日ひろりんさんのRUclips初めて観ました🙇♀️私の故郷は祝橋付近の「岩谷口」と言う所です。今年5月末に実家へ帰省して来ました。ここで生まれてから20年過ごしました。小学生からレールバスに 乗ってこの駅を毎日利用していましたよ。高校からは佐々まで列車🚃で通っていました。懐かしいなあ☺️愛知県へ嫁いで早もうすぐ50年。でも、心の中の思い出は世知原でいっぱいです☺️
@@みるみる-q6y 初めまして。岩谷口ですと祝橋駅の直ぐ近くなので、この駅を利用されていたんですね~
ひろりんさんへお早うございます。全編拝見しました。世知原線は旧国鉄松浦線から分かれ大半の線路跡が自転車道に転用され祝橋の駅舎の残存・世知原駅の一帯に在る元炭鉱事務所を利用した資料館(乗車券等の所以の品々が保存)と、あなたにとり回られ甲斐が有ったのではと察します。私も関連のチャンネルで見ただけに感動を新たにしました。ひろりんさんも、乾燥など変わり易い天候や健康管理に注意し過ごされますように。記・1月15日の午前5時台
ありがとうございます👍️
大分前ですが、昭和42年辺りの時刻表を見る機会があり、「ここにこんな路線が有ったんだ」と気になっていました。廃線跡がサイクリングロードになって残っているパターンは結構多いですよね。是非一度機会を作って、乗車した気分になって辿ってみたいです。
当時はこんな支線がいくつもありましたね。
吉井駅の旧3番線の埋もれたレールは味わい深い。それにしても祝橋駅はよく残ってくれていた。
吉井駅の埋もれたレールに、ひっそり残る祝橋駅…
お疲れ様です、祝橋旧駅と、ホーム跡が、残っているのは、いいですね😂あと、吉井駅の、猫さん、かわいい😺
いいですよね~🐈
九州らしくここも原と書いて、ばると読む。確かに国鉄時代は松浦線にも急行が走ってました。平戸まで乗ったのも懐かしいです。
急行平戸がありましたね…
昨年他界した父が、国鉄松浦線で通勤していましたが、世知原線のこともよく話していました。私も廃線好きで、廃線巡りしていましたが、家族の介護で外出もままならないため、「ひろりん」さんの動画で、酸化鉄分を補給しています。
世知原線世知原の鉄工所に配送していたときに道路の横にあるサイクリングロード線路跡に作られています道路から鉄工所に入るときに渡るときに廃線跡と思う位の幅でした吉井からずっと上り勾配で世知原に行く列車はうなりを上げてのぼっていたのでしょう探訪お疲れ様でした
👍
祝橋駅跡、ゾクッとしてしまいました!ひろりんさん、今回も動画UPありがとうございました!
北海道と九州の炭鉱の違いについては、炭鉱が開かれる前の環境の違いに起因するものだと思います。北海道の場合、何もない所に、炭鉱が開かれ炭鉱労働者が集まり村ができ町や市になった場所が多いのに対し、九州は元から農村としてある程度人が住んでいた所の延長に炭鉱が開かれた場所が多かったからなのではと思います。炭鉱労働者は閉山してしまえば殆ど人(特に生産年齢人口にあたる層の人)仕事を求め他の場所に移り住んでいくはずですからその地に留まる人は炭鉱とは無関係に生活の糧がある人(元から農業等で暮らしていた人)になるからだと思います。
祝橋駅跡は駅舎だけでなくホーム部分まで倉庫として使われているのが珍しいように思います。
そうですね。このパターンはあまり無いかも…
40年前、鉄研合宿の折に一人で臼ノ浦線の廃線跡を歩きました。 道中ほとんど線路跡は確認出来なかったけど勘付けて歩いてると突然臼ノ浦駅跡に到達。 大村駅に似た全階段裏側のホーム、公民館としてまんま残っていた駅舎、南風崎駅のものから転用していた駅名板、ホーローの駅名札など、今の世知原駅跡に比べると萌え要素たっぷりでした。 ストーンヘンジみたいになってた佐々機関区の扇形庫跡などとともに今はどうなってるんだろう・・
40年前は臼ノ浦駅跡もいい感じだったんですね…あの階段は今も残っています。
当方九州在住の者です。世知原線動画UPありがとうございます。炭鉱閉山後の鉄道もろとも集落が原野になる北海道と鉄道が消えても集落は、発展する九州人口の差何でしょうか? 祝橋駅跡には、こちらもびっくりしました。いつか訪問してみたいです。油木線、臼の浦線が分岐していた、松浦線ある意味大動脈やったんではないのでしょうか?久々の九州シリーズありがとうごさいました。
九州と北海道では、同じ炭鉱街でもその後に辿った道が全然違いますね…松浦線もかつては急行が走っていた路線でしたからね…
「国鉄世知原線」というのがあったことは、初めて知りました。少しでも路線があった記録が残っているのは良いですね。
そうですね。
世知原・佐々間は九州鉄道に先駆けた長崎県初の鉄道でしたが、幌内線と同じ結末を迎えてしまいました。世知原駅跡の動輪…どうやら世知原線を管轄した佐々機関区とは無関係なC11の動輪らしいです。
そうでしたか…
九州の炭鉱路線跡は、北海道のそれと異なり「おっふ」な原野化とかはなさそうですね。
やはり北海道の炭鉱路線とは違いますね…
吉井駅の3番ホーム、祝橋のホームと駅舎、世知原炭坑資料館にある鉄道遺品.... 廃止から半世紀を経て世知原線の遺構があったとは、現地調査による嬉しい発見ですね!
いくつも嬉しい発見がありました!
素晴らしいですね👏猫さん、可愛いですよね😊今日、私も猫さんと会いました🐱
やはり猫さんは可愛いですね…🐈
@@hiroring0323 来月、また北海道に行く予定だったので、猫さんに会いたいです🐱
同じ北海道の炭鉱路線として、まだマシなほうで、おっふ〜🐱感は無いですね。
関川真智子さんへお早うございます。あなたのコメントを拝読して、共感を覚えました。今朝私もこの動画を見通して、世知原線の起点だった吉井駅に薄茶色の猫が居た場面に自身もほっこりしました。炭鉱と関わったというこの世知原線は、祝橋の駅舎がほぼ往時のまま残り世知原駅の跡地に在る元・炭鉱事務所を転用した資料館(世知原と祝橋の駅名標や切符等の品々が保存され好感)とひろりんさんにとっても回られ甲斐が有る所と私も肯きました。関川さんも、寒さなど変わり易い天候・健康管理に注意し過ごされますように。記・1月15日の午前7時台
@@和田秀樹-r7u 私も🐱好きですからね。厳冬にお体を大切にしてお過ごしください。話し変わりますが、X・ツイッターに新しい廃線の情報を加えましたので、興味がありましたらご覧くださいね。
@@hiroring0323、関川真智子さんへ今晩は。久方振りにコメントを拝読しました。私は今し方旧知の視聴者に(母語の繁体の中国語で)世知原線のルーツまで踏み込んだ歴史を紹介したコメントを送った所です。起点だった吉井駅にも猫がいるらしいとの事で、猫😺繋がりの私事ですが今月の中旬に自身は近くのスーパーマーケット(カスミ)で新しいマグカップを買いました。(前のは経年劣化でひびが入り廃棄したのに伴い、ねこちぐらの「ブチ」をチョイス。胸に両前肢を当てて横になり昼寝する姿の絵柄に癒やされます)皆さんも、JN. 1という変異株の出現等怖いコロナウイルスや健康管理に注意し過ごされますように。記・1月28日の19時台
8:25 解体されるのに比べれば、何らかの形で建物を再利用し続けて頂けるのはありがたいですね。
そうですね~
地元に近いのに世知原という町を始めて知りました。こんな場所にも炭鉱があって、エネルギー革命以来ひっそりと消えていったんですね。
そうなんですよ…
赤字83線に選定されて廃止になった路線はリアルでは知らないのですが、遺構が残っていたり、現役当時に使われていたものが保存されているのは嬉しいですね😊
赤字83線での廃止は、北海道だと根北線や札沼線(新十津川~石狩沼田)ですからね…
“世知原線が廃止で辛い…”というのを端折って表記すると『世知辛い』ってなるのは、なんか世相を言っているみたいな気がして偶然とは思えませんねぇ。
世知原線 臼ノ浦線 柚木線は、廃線系の方々も取り上げているのはわずかですね。子供の頃の70年代初めの時刻表からも消えているので、気にもとめてませんでした。早い廃止なのにこれだけ保存されているものがあるのは素晴らしいですね。急行「平戸」は乗りました。毎回書いてる87年春の九州全線乗りつぶしの時でした。長崎から唐津行きに乗ったのですがあいにくその日は雨模様で、大村湾などの景色がいまいちで残念だったのを覚えてます。肥前吉井駅の景色の記憶はないけど、平戸口駅は降りてみたくなったのを覚えています。動画内容とはずれますが、北部九州の路線は筑豊が凄すぎですけど、肥前の路線も興味深いですね。唐津から、本牟田部駅の先まで筑肥線と唐津線が別線なのに並走しているのは、最初に乗ったときから車窓がとても面白くて、路線の歴史も感じられて好きです。1983年の筑肥線と唐津線が改良される前にも乗っておきたかった路線でした。
世知原線。臼の浦線。懐かしいです。
松浦線には、こんな支線がありましたね…
@@hiroring0323 石炭運炭線跡の山です。日本は。
ひろりんさんこんにちは♪世知原線跡の動画、拝見させて頂きました!😆九州にも(北海道と同様に)廃止された運炭線がたくさんあるんですね😢街は割と残っていますが炭鉱住宅が跡形もなく消えるのは一緒かな…北海道以外の廃線を見るのはちょっと新鮮でしたぁ!👍今後とも宜しくお願い申し上げます😊
九州にもかつては運炭路線がいくつもあり、そして無くなりましたね…その後に辿った道は北海道とは随分違うようです…
花🌼さんへ今晩は。あなたのコメントを興味深く拝読しました。私も先月この動画を見通して、世知原線も炭鉱(ここでは開発が明治中期にまで遡るそう)で賑わった証したる事務所が遺され同線縁の品々を収めてその往時を偲べると分かり訪ねられたくなったのではと察します。花さんも、感染症や健康管理に注意し過ごされますように。 記・2月16日の21時台
かつては貨物が行き来していただけあって、構内が広いですね。 吉井駅。 黒いダイヤで繁栄した鉄路も、黒いダイヤの衰退と共に運命を同じくするのでしょうか。 そして、😸さん
石炭列車が行き交っていたので、構内は広くホームは長いですね。やはり猫さんが…
九州の廃線区間訪問、お疲れ様でした。
寂しいですね
期待していなかった祝橋駅が一番状態良く保存されていました、と😁全区間乗り通しても10分少々の盲腸線とあっては、たとえ都内でも存続は厳しいでしょう😣今はただ、過去の働きを労るのみ、ですね😙
祝橋駅跡がこんな状態で残っていたとは…
おおぅ、当方の田舎の近くにも来てたんですね。この感じだと、柚木線跡も訪れたという感じでしょうかね?
余談。田舎の家が松浦鉄道沿いにあるので、万が一これが廃線とかになると色々困ることこの上ないというオチ……(路線バスも縮小傾向なので…)
柚木線跡や臼ノ浦線跡も行きました!
ホームの茶トラ猫さん!🐱祝橋駅、倉庫として国鉄から借りていたのかなぁ?
🐈
私の高校時代はまだ世知原は「世知原町」で佐世保市合併前だったのですが、越境で佐世保西高に通学していた友人たちがいました。バス通学なので、知見寺や菰田といった峠経由ですが。 世知原~吉井もバスが本数ありましたし、佐々川の流れに沿った(長崎県では珍しい)平地なので、川に沿って鉄道が引かれたのは必然と思います。世知原は20年くらい前はボタ山が結構残っていましたが、今はどうなんでしょう?佐世保に帰省しても世知原はいかないので…
ボタ山は残っていますね。
細かい事で申し訳ないのですが、1:39の地図で臼ノ浦線の線形と臼ノ浦駅の位置が間違ってますよ。
ご指摘ありがとうございます。
確かに埋もれた線路...そそりますなぁ~🛤️
そそりますよね~
5:25→駅長さん
😼
九州も北海道に次いで炭鉱の多いところですよね?この路線もその一つだったかと思います。北海道の廃線路線よりも保存されているものが少ない感じがします。距離が短いのもあるのかなと?
赤字83線での廃止だと残っている方が珍しいですね。北海道だと根北線や札沼線(新十津川~石狩沼田)と同時期ですから…
北海道と九州には炭坑路線が多いですね 支線には魅力あり!!
北海道の炭鉱町とは違い、原野に還って行くことは無さそう。何かしら遺構も残っている(原野では無いので発見しやすい)のが良いですね。
農地が残っていますが、この農地が放棄されると原野に…
僕が今住んでいるところは人口はまぁまぁありますが、やはり少し離れると人口は一気に減ってしまいます。「市」に吸収合併されるまでに、場所によっては人口は1000人を切っていました。まだ消滅ギリギリのラインを保っている状況ですが、いずれ消えてしまうのかな…と感じます。あとはバスも一気に無くなりましたね(´・ω・`; )
地方は厳しいですよね…昨今の運転手不足でバスも廃止や減便で…
@@hiroring0323 そうですね…本当にどうなるのか…。下手したら自治体が消えるのが当たり前な時代が…(´Д`;)おっふ
@@福島達也-m5t オッフ…
ちなみに僕の母の実家はここ、世知原です。
ここに限らず、九州の廃線跡はビフォーアフターがないところや、むしろ発展したところが多いですね。私の地元のようにモータリゼーションで廃線になったところもあるかと思いますが、そもそも鉄道を使う文化があまりないような気もします。それでなければ大都市にある熊本駅や鹿児島中央駅の利用者がせいぜい10万都市の三島駅に負けることはないはずです。
旧国鉄松浦線ですね❗️( ^Д^)
祝橋のプラットフォームは発見でしたね。
ですね~
祝橋駅跡は移動の仕方的に駅前通り?は無くなってたのかな?
線路と道路の間の小道が、駅前通りだったのかと思います…
世知原茶を飲みながら佐世保バーガーを食べる姿が思い浮かびます。
歴史の浅い北海道と違い、廃線になっても素寒貧になることはあまりありませんね。自然条件の差もあると思いますが……
そうですね…
北海道と九州の炭鉱の閉山後の推移の違いは,雪が原因でしょうか。
立地や気候でしょうね…
まさか九州にも来られているとは
久々の九州遠征でした…
佐世保駅前行きバスが一日15本くらいあるので現在も意外と不便じゃないのかも。
あと少し、地図で言うと右下部を『つ』の字状に繋げたら、環状線になっとったんやね♪まぁ残念ながら真ん中は山で、大した需要も無きやろけど。今回は僕のオトモダチ🐻は居らんかったんやねwきうしう名物、明るい廃線♪
山をぶち抜いたら環状線に出来ましたね…🐻
九州には🐻さん居ないそうですね
祝橋駅跡こそ「おっふ」と言いたくなりますね。
祝橋駅跡があの状態で残っていたのが凄いです…
炭鉱が無くなると全て無くなる北海道と違って九州は穏やかだね
北海道の炭鉱街とは全然違いますね…
本線側の松浦鉄道も名寄本線みたいになってもおかしくなかった…。
人口密度とか違いますし、北海道ほど車バンザイってわけではありませんから。まだまだ鉄道が必要な土地なんですよ。(もと地元民談)
みなさんのコメントを読んでいると、こみあげてくるものがあり、いつものように、おっふとかコメントできません。
わーい 猫さんだ
石炭輸送に活躍した路線は閉山してしまうとどうしてもネ😅
そうなんですよね…ただ北海道の炭鉱街と比べると…
これ、せちはら、で読み合ってる?
「せちばる」ですね。九州では「原」を「はる」や「ばる」と読むことが多いですね。
街が消滅していないのが北海道との大きな違いですね。祝橋駅跡の雰囲気がいいですね...
北海道とは随分違いますね…
母親が世知原出身で、母親方の祖父母は今も祝橋駅近くに住んでいます
母親からお別れ列車の話を聞いたり、
夕方に祖父母や従姉妹と一緒に
散歩で祝橋駅まで行き帰ったり、、
走っている姿は見た事なくても
私にとっては家族との話の中で生きている思い入れある路線です
見慣れた景色が新鮮に感じる素晴らしい動画を
ありがとうございます
世知原線を誇らしく感じました
👍️
採炭が終わり閉山しても町も残り、廃線跡も綺麗に整備されてサイクリングロードに
嘗て、黒いダイヤと言われた石炭産業を支えた北海道と九州では閉山後の跡が全く違うのが
良く分かります すべてが原野に還る北海道と往時の名残が見て取れる九州の炭鉱の差がエグイ
それにしてもこの短さの支線が10往復もあったとは往時の賑わいを思わせますね
いつもありがとうございます!
炭鉱路線でも北海道とは違う道を辿ったようですね…
祖父母がこの炭鉱で働き、住んでいました。私も10年程住んでいましたが炭鉱が栄えてた頃よりかなり廃れた話を地元の人と祖父母や母から聞きました。世知原駅跡は息子が小さい頃、駅跡に散歩がてら行きましたね😊今回取り上げて頂いて嬉しく思います!
世知原に所縁があったんですね。
こうして見ると世知原・柚木・臼ノ浦線を擁していた松浦線って当時ちょっとした大幹線だったですね。にしても祝橋駅跡はホントびっくりです!
祝橋駅跡には驚きました…
やはり国内の炭鉄系旅客運行は、だいたい70年代前半で廃止される運命だったのですね…
祝橋という縁起の良い駅は、雰囲気も良いですね…残念ながら一部倒壊してしまいましたが三井芦別駅を思い起こしました。
鉄道や炭鉱が失くなっても街は栄えるのが九州らしくて羨ましいです。
これは本当にそう思います。”鉄道の最大長所=最小面積で最大の輸送量(ただし本数・時刻に限りあり)”を満たすのは貨物輸送であり、その貨物である石炭輸送が無くなればインフラが無くなるのもやむを得ない…。 松浦線が松浦鉄道で(並行酷道もバスもあるのに)生き残って、そこそこ経営を維持(黒字の年度もあり)なのは、喜ばしいです。(今後を考えると楽観はできないですが。)
北海道の炭鉱街と比べると…
祝橋駅が残ってるのは驚愕ですね。ホームも残ってましたし。自転車道転用されてよかったと思いました。
残っているとは思っていなかっただけに驚きました…
初めまして😊
今日ひろりんさんのRUclips初めて観ました🙇♀️
私の故郷は祝橋付近の「岩谷口」と言う所です。
今年5月末に実家へ帰省して来ました。
ここで生まれてから20年過ごしました。
小学生からレールバスに 乗ってこの駅を毎日利用していましたよ。
高校からは佐々まで列車🚃で通っていました。
懐かしいなあ☺️
愛知県へ嫁いで早もうすぐ50年。
でも、心の中の思い出は世知原でいっぱいです☺️
@@みるみる-q6y
初めまして。
岩谷口ですと祝橋駅の直ぐ近くなので、この駅を利用されていたんですね~
ひろりんさんへ
お早うございます。全編拝見しました。世知原線は旧国鉄松浦線から分かれ大半の線路跡が自転車道に転用され祝橋の駅舎の残存・世知原駅の一帯に在る元炭鉱事務所を利用した資料館(乗車券等の所以の品々が保存)と、あなたにとり回られ甲斐が有ったのではと察します。私も関連のチャンネルで見ただけに感動を新たにしました。ひろりんさんも、乾燥など変わり易い天候や健康管理に注意し過ごされますように。
記・1月15日の午前5時台
ありがとうございます👍️
大分前ですが、昭和42年辺りの時刻表を見る機会があり、「ここにこんな路線が有ったんだ」と気になっていました。
廃線跡がサイクリングロードになって残っているパターンは結構多いですよね。是非一度機会を作って、乗車した気分になって辿ってみたいです。
当時はこんな支線がいくつもありましたね。
吉井駅の旧3番線の埋もれたレールは味わい深い。
それにしても祝橋駅はよく残ってくれていた。
吉井駅の埋もれたレールに、ひっそり残る祝橋駅…
お疲れ様です、祝橋旧駅と、ホーム跡が、残っているのは、いいですね😂あと、吉井駅の、猫さん、かわいい😺
いいですよね~🐈
九州らしくここも原と書いて、ばると読む。確かに国鉄時代は松浦線にも急行が走ってました。平戸まで乗ったのも懐かしいです。
急行平戸がありましたね…
昨年他界した父が、国鉄松浦線で通勤していましたが、世知原線のこともよく話していました。
私も廃線好きで、廃線巡りしていましたが、家族の介護で外出もままならないため、「ひろりん」さんの動画で、酸化鉄分を補給しています。
世知原線
世知原の鉄工所に配送していたときに道路の横にあるサイクリングロード線路跡に作られています
道路から鉄工所に入るときに渡るときに廃線跡と思う位の幅でした
吉井からずっと上り勾配で世知原に行く列車はうなりを上げてのぼっていたのでしょう
探訪お疲れ様でした
👍
祝橋駅跡、ゾクッとしてしまいました!
ひろりんさん、今回も動画UPありがとうございました!
👍️
北海道と九州の炭鉱の違いについては、炭鉱が開かれる前の環境の違いに起因するものだと思います。
北海道の場合、何もない所に、炭鉱が開かれ炭鉱労働者が集まり村ができ町や市になった場所が多いのに対し、九州は元から農村としてある程度人が住んでいた所の延長に炭鉱が開かれた場所が多かったからなのではと思います。
炭鉱労働者は閉山してしまえば殆ど人(特に生産年齢人口にあたる層の人)仕事を求め他の場所に移り住んでいくはずですからその地に留まる人は炭鉱とは無関係に生活の糧がある人(元から農業等で暮らしていた人)になるからだと思います。
👍️
祝橋駅跡は駅舎だけでなくホーム部分まで倉庫として使われているのが珍しいように思います。
そうですね。
このパターンはあまり無いかも…
40年前、鉄研合宿の折に一人で臼ノ浦線の廃線跡を歩きました。
道中ほとんど線路跡は確認出来なかったけど勘付けて歩いてると突然臼ノ浦駅跡に到達。
大村駅に似た全階段裏側のホーム、公民館としてまんま残っていた駅舎、南風崎駅のものから転用していた駅名板、ホーローの駅名札など、今の世知原駅跡に比べると萌え要素たっぷりでした。
ストーンヘンジみたいになってた佐々機関区の扇形庫跡などとともに今はどうなってるんだろう・・
40年前は臼ノ浦駅跡もいい感じだったんですね…
あの階段は今も残っています。
当方九州在住の者です。世知原線動画UPありがとうございます。炭鉱閉山後の鉄道もろとも集落が原野になる北海道と鉄道が消えても集落は、発展する九州人口の差何でしょうか? 祝橋駅跡には、こちらもびっくりしました。いつか訪問してみたいです。油木線、臼の浦線が分岐していた、松浦線ある意味大動脈やったんではないのでしょうか?久々の九州シリーズありがとうごさいました。
九州と北海道では、同じ炭鉱街でもその後に辿った道が全然違いますね…
松浦線もかつては急行が走っていた路線でしたからね…
「国鉄世知原線」というのがあったことは、初めて知りました。少しでも路線があった記録が残っているのは良いですね。
そうですね。
世知原・佐々間は九州鉄道に先駆けた長崎県初の鉄道でしたが、幌内線と同じ結末を迎えてしまいました。
世知原駅跡の動輪…どうやら世知原線を管轄した佐々機関区とは無関係なC11の動輪らしいです。
そうでしたか…
九州の炭鉱路線跡は、北海道のそれと異なり「おっふ」な原野化とかはなさそうですね。
やはり北海道の炭鉱路線とは違いますね…
吉井駅の3番ホーム、祝橋のホームと駅舎、世知原炭坑資料館にある鉄道遺品.... 廃止から半世紀を経て世知原線の遺構があったとは、現地調査による嬉しい発見ですね!
いくつも嬉しい発見がありました!
素晴らしいですね👏猫さん、可愛いですよね😊今日、私も猫さんと会いました🐱
やはり猫さんは可愛いですね…🐈
@@hiroring0323 来月、また北海道に行く予定だったので、猫さんに会いたいです🐱
同じ北海道の炭鉱路線として、まだマシなほうで、おっふ〜🐱感は無いですね。
やはり北海道の炭鉱路線とは違いますね…
関川真智子さんへ
お早うございます。あなたのコメントを拝読して、共感を覚えました。今朝私もこの動画を見通して、世知原線の起点だった吉井駅に薄茶色の猫が居た場面に自身もほっこりしました。炭鉱と関わったというこの世知原線は、祝橋の駅舎がほぼ往時のまま残り世知原駅の跡地に在る元・炭鉱事務所を転用した資料館(世知原と祝橋の駅名標や切符等の品々が保存され好感)とひろりんさんにとっても回られ甲斐が有る所と私も肯きました。関川さんも、寒さなど変わり易い天候・健康管理に注意し過ごされますように。
記・1月15日の午前7時台
@@和田秀樹-r7u 私も🐱好きですからね。厳冬にお体を大切にしてお過ごしください。話し変わりますが、X・ツイッターに新しい廃線の情報を加えましたので、興味がありましたらご覧くださいね。
@@hiroring0323、関川真智子さんへ
今晩は。久方振りにコメントを拝読しました。私は今し方旧知の視聴者に(母語の繁体の中国語で)世知原線のルーツまで踏み込んだ歴史を紹介したコメントを送った所です。起点だった吉井駅にも猫がいるらしいとの事で、猫😺繋がりの私事ですが今月の中旬に自身は近くのスーパーマーケット(カスミ)で新しいマグカップを買いました。(前のは経年劣化でひびが入り廃棄したのに伴い、ねこちぐらの「ブチ」をチョイス。胸に両前肢を当てて横になり昼寝する姿の絵柄に癒やされます)
皆さんも、JN. 1という変異株の出現等怖いコロナウイルスや健康管理に注意し過ごされますように。
記・1月28日の19時台
8:25 解体されるのに比べれば、何らかの形で建物を再利用し続けて頂けるのはありがたいですね。
そうですね~
地元に近いのに世知原という町を始めて知りました。こんな場所にも炭鉱があって、エネルギー革命以来ひっそりと消えていったんですね。
そうなんですよ…
赤字83線に選定されて廃止になった路線はリアルでは知らないのですが、遺構が残っていたり、現役当時に使われていたものが保存されているのは嬉しいですね😊
赤字83線での廃止は、北海道だと根北線や札沼線(新十津川~石狩沼田)ですからね…
“世知原線が廃止で辛い…”というのを端折って表記すると『世知辛い』ってなるのは、なんか世相を言っているみたいな気がして偶然とは思えませんねぇ。
👍
世知原線 臼ノ浦線 柚木線は、廃線系の方々も取り上げているのはわずかですね。子供の頃の70年代初めの時刻表からも消えているので、気にもとめてませんでした。早い廃止なのにこれだけ保存されているものがあるのは素晴らしいですね。急行「平戸」は乗りました。毎回書いてる87年春の九州全線乗りつぶしの時でした。長崎から唐津行きに乗ったのですがあいにくその日は雨模様で、大村湾などの景色がいまいちで残念だったのを覚えてます。肥前吉井駅の景色の記憶はないけど、平戸口駅は降りてみたくなったのを覚えています。動画内容とはずれますが、北部九州の路線は筑豊が凄すぎですけど、肥前の路線も興味深いですね。唐津から、本牟田部駅の先まで筑肥線と唐津線が別線なのに並走しているのは、最初に乗ったときから車窓がとても面白くて、路線の歴史も感じられて好きです。1983年の筑肥線と唐津線が改良される前にも乗っておきたかった路線でした。
👍️
世知原線。臼の浦線。懐かしいです。
松浦線には、こんな支線がありましたね…
@@hiroring0323 石炭運炭線跡の山です。日本は。
ひろりんさん
こんにちは♪
世知原線跡の動画、拝見させて頂きました!😆
九州にも(北海道と同様に)廃止された運炭線がたくさんあるんですね😢
街は割と残っていますが炭鉱住宅が跡形もなく消えるのは一緒かな…
北海道以外の廃線を見るのはちょっと新鮮でしたぁ!👍
今後とも宜しくお願い申し上げます😊
九州にもかつては運炭路線がいくつもあり、そして無くなりましたね…
その後に辿った道は北海道とは随分違うようです…
花🌼さんへ
今晩は。あなたのコメントを興味深く拝読しました。私も先月この動画を見通して、世知原線も炭鉱(ここでは開発が明治中期にまで遡るそう)で賑わった証したる事務所が遺され同線縁の品々を収めてその往時を偲べると分かり訪ねられたくなったのではと察します。花さんも、感染症や健康管理に注意し過ごされますように。
記・2月16日の21時台
かつては貨物が行き来していただけあって、構内が広いですね。 吉井駅。
黒いダイヤで繁栄した鉄路も、黒いダイヤの衰退と共に運命を同じくするのでしょうか。
そして、😸さん
石炭列車が行き交っていたので、構内は広くホームは長いですね。
やはり猫さんが…
九州の廃線区間訪問、お疲れ様でした。
👍
寂しいですね
期待していなかった祝橋駅が一番状態良く保存されていました、と😁
全区間乗り通しても10分少々の盲腸線とあっては、たとえ都内でも存続は厳しいでしょう😣
今はただ、過去の働きを労るのみ、ですね😙
祝橋駅跡がこんな状態で残っていたとは…
おおぅ、当方の田舎の近くにも来てたんですね。
この感じだと、柚木線跡も訪れたという感じでしょうかね?
余談。
田舎の家が松浦鉄道沿いにあるので、万が一これが廃線とかになると色々困ることこの上ないというオチ……
(路線バスも縮小傾向なので…)
柚木線跡や臼ノ浦線跡も行きました!
ホームの茶トラ猫さん!🐱
祝橋駅、倉庫として国鉄から借りていたのかなぁ?
🐈
私の高校時代はまだ世知原は「世知原町」で佐世保市合併前だったのですが、越境で佐世保西高に通学していた友人たちがいました。バス通学なので、知見寺や菰田といった峠経由ですが。 世知原~吉井もバスが本数ありましたし、佐々川の流れに沿った(長崎県では珍しい)平地なので、川に沿って鉄道が引かれたのは必然と思います。世知原は20年くらい前はボタ山が結構残っていましたが、今はどうなんでしょう?佐世保に帰省しても世知原はいかないので…
ボタ山は残っていますね。
細かい事で申し訳ないのですが、1:39の地図で臼ノ浦線の線形と臼ノ浦駅の位置が間違ってますよ。
ご指摘ありがとうございます。
確かに埋もれた線路...
そそりますなぁ~🛤️
そそりますよね~
5:25→駅長さん
😼
九州も北海道に次いで炭鉱の多いところですよね?
この路線もその一つだったかと思います。
北海道の廃線路線よりも保存されているものが少ない感じがします。
距離が短いのもあるのかなと?
赤字83線での廃止だと残っている方が珍しいですね。北海道だと根北線や札沼線(新十津川~石狩沼田)と同時期ですから…
北海道と九州には炭坑路線が多いですね 支線には魅力あり!!
👍️
北海道の炭鉱町とは違い、原野に還って行くことは無さそう。何かしら遺構も残っている(原野では無いので発見しやすい)のが良いですね。
農地が残っていますが、この農地が放棄されると原野に…
僕が今住んでいるところは人口はまぁまぁありますが、やはり少し離れると人口は一気に減ってしまいます。「市」に吸収合併されるまでに、場所によっては人口は1000人を切っていました。まだ消滅ギリギリのラインを保っている状況ですが、いずれ消えてしまうのかな…と感じます。あとはバスも一気に無くなりましたね(´・ω・`; )
地方は厳しいですよね…
昨今の運転手不足でバスも廃止や減便で…
@@hiroring0323 そうですね…本当にどうなるのか…。下手したら自治体が消えるのが当たり前な時代が…(´Д`;)おっふ
@@福島達也-m5t
オッフ…
ちなみに僕の母の実家はここ、世知原です。
ここに限らず、九州の廃線跡はビフォーアフターがないところや、むしろ発展したところが多いですね。
私の地元のようにモータリゼーションで廃線になったところもあるかと思いますが、そもそも鉄道を使う文化があまりないような気もします。
それでなければ大都市にある熊本駅や鹿児島中央駅の利用者がせいぜい10万都市の三島駅に負けることはないはずです。
旧国鉄松浦線ですね❗️( ^Д^)
👍️
祝橋のプラットフォームは発見でしたね。
ですね~
祝橋駅跡は移動の仕方的に駅前通り?は無くなってたのかな?
線路と道路の間の小道が、駅前通りだったのかと思います…
世知原茶を飲みながら佐世保バーガーを食べる姿が思い浮かびます。
👍
歴史の浅い北海道と違い、廃線になっても素寒貧になることはあまりありませんね。自然条件の差もあると思いますが……
そうですね…
北海道と九州の炭鉱の閉山後の推移の違いは,雪が原因でしょうか。
立地や気候でしょうね…
まさか九州にも来られているとは
久々の九州遠征でした…
佐世保駅前行きバスが一日15本くらいあるので
現在も意外と不便じゃないのかも。
そうですね。
あと少し、地図で言うと右下部を『つ』の字状に繋げたら、環状線になっとったんやね♪
まぁ残念ながら真ん中は山で、大した需要も無きやろけど。
今回は僕のオトモダチ🐻は居らんかったんやねw
きうしう名物、明るい廃線♪
山をぶち抜いたら環状線に出来ましたね…🐻
九州には🐻さん居ないそうですね
祝橋駅跡こそ「おっふ」と言いたくなりますね。
祝橋駅跡があの状態で残っていたのが凄いです…
炭鉱が無くなると全て無くなる北海道と違って
九州は穏やかだね
北海道の炭鉱街とは全然違いますね…
本線側の松浦鉄道も名寄本線みたいになってもおかしくなかった…。
人口密度とか違いますし、北海道ほど車バンザイってわけではありませんから。
まだまだ鉄道が必要な土地なんですよ。(もと地元民談)
みなさんのコメントを読んでいると、こみあげてくるものがあり、
いつものように、おっふとかコメントできません。
👍️
わーい 猫さんだ
🐈
石炭輸送に活躍した路線は
閉山してしまうとどうしてもネ😅
そうなんですよね…
ただ北海道の炭鉱街と比べると…
これ、せちはら、で読み合ってる?
「せちばる」ですね。
九州では「原」を「はる」や「ばる」と読むことが多いですね。
👍️
街が消滅していないのが北海道との大きな違いですね。
祝橋駅跡の雰囲気がいいですね...
北海道とは随分違いますね…