【廃線跡】はるかなる…。富内線前編(鵡川~富内)廃線跡、駅跡巡り
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- Опубликовано: 12 ноя 2021
- 2021年7月に1986年に廃線になった北海道の富内線(鵡川~日高町)の駅跡を巡ってきました。駅数が多いので前編(鵡川~富内)と後編(富内~日高町)の前後編で構成します。今回は前編の鵡川~富内をお届けします。1986年廃線時の駅は全駅跡収録。札幌や新千歳空港からも比較的近いのですが、あまり話題に上がらない富内線。意外にも雰囲気のいい駅跡もあります。廃線から35年経った現在、富内線の駅跡たちはどうなっているのでしょうか。
富内線後編(富内~日高町)の廃線跡、駅跡巡りは↓
• 【廃線跡】末端は開業から22年で廃線に…。富...
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:www.gsi.go.jp/top.html Авто/Мото
ひろりんさんの行動力、編集の素晴らしさにはいつもただただ脱帽するばかりです…。
ありがとうございます!
@@hiroring0323 私もいつか同行させていただきたいです🍀
草木にまみれた道なき道を進んで、私たちに鉄道のあった情景を映してくれる。お疲れ様です。
道路に変わった所は、まだ鉄道があった所は、なんとなく伝わるが、照らし合わせても完全に消えてしまった所ほど、悲惨な物は無い。
富内駅跡は、現役の雰囲気があり、まだまだ人や物を運ぶ意気込みが伝わります。
動画の車止めを観てて「線路は続くよ何処までも」ってフレーズ思い出して、淋しさを感じました。
バイクツーリングの際、富内駅の旧客RHに必ず宿泊してます。駅跡の雰囲気も良く、住人の方々も良い方ばかりでに本当に素敵な所です。
夜の八時になると時報で「星めぐりの歌」のオルゴールが流れるのですが、これがまた凄くイイんです…。
駅前では朝のラジオ体操や盆踊りなんかもやっていたのですが、過疎化やコロナの影響もあってかここ数年は「何にも無くなっちゃった」との事でした。
富内駅は、すごくきれいに保存してありますね。いつか、行ってみたい駅です。
富内駅は個人的にかなり好きな駅跡です。
私は昨年行きました。
行かれましたか!
この路線知らなかった!
富内駅めっちゃ雰囲気いいですね
いつか行ってみたいな
知名度は低いですが、新千歳空港から比較的近く巡りやすい路線なんですよね。
富内駅はめっちゃ雰囲気いいのでオススメです。
自力で北海道を旅する時間と金がないので,このような動画を投稿してくれてありがとうございます.
そしてこのBGMは一週間に一回は聴きたくなります.
ありがとうございます。それしか言葉が思いつきません。
廃線跡は哀愁が漂いますね。
いつまでも座って列車が来るのを待っている気になります。
いつも良い廃線動画ありがとうございます😍
いつもありがとうございます!
全く縁も所縁もない路線ではありますがありがとうございます。
富内駅キレイに残ってていいですね😎
LAWSONさんへ
今日11月14日の朝に、あなたのコメントを興味深く拝読しました。昨日私は、ウィキペディアで富内線について調べていた所あなたが触れられた(ほぼ中間に在る)富内駅の駅舎が2001年に文化財に指定されていた事が分かりました。ひろりんさんのこの動画を見られたら如何にこの駅舎が往時のまま手入れされているか納得されると思います。冒頭のシーンで周知されたと思いますが、起点だった鵡川駅の構内の(今は、様似方に車止めが設けられ富内線が発着していた「3番線」は草生し交換可能な線路も片側の使用と完全なる終着・棒線となった)寂れぶりも廃止故の宿命なんだなと私も受け容れる覚悟を決めた次第です。
@@user-xx1by8zo3r
返事遅くなりました。なるほど文化財になったのですね🤔だからキレイになってる訳だ😎
北海道の映像が多いように思います。本当に広い大地ですね。
北海道が好きなので、行っている回数も圧倒的に多いです。
変化が凄いな 最高ー!
さっきWikipediaで富内線調べたら
変化が凄すぎてビックリしました
後半も楽しみ待っています
沿線の街は寂しくなっちゃいましたね…
いつも素晴らしい動画をありがとうございます🙇♀️
ロックシェッドの中はいい雰囲気が残ってますね😊
む川 開発局の看板🪧はやはり違和感が…
そして富内駅が整備された状態で残っているのが、地元の方々の熱意を感じられて、とても良いですね😊😊😊
後半も楽しみにしております。
富内駅は何度でも行きたい駅跡ですね。
ここの廃線跡や駅跡も寂しくなって絶句しました。
あれから30年以上たつので仕方ないですが、ひろりんさんの行動力には脱帽です👍
寂しくなりましたね…
ひろりんさん、こんばんは。
この路線、はじめて知りました。
最後の富内駅、いい感じの駅ですね。
ああいった待合室落ち着きますね。鉄道廃線にして、バス転換しても、そのバスも使い物になってませんね。
こんばんは。
富内駅は私が最も好きな部類の駅跡です。
北海道の過疎地域では廃止代替バスが廃止になることもよくありますから…
冒頭の地図上の富内線を見ると、よくぞ日高の僻地に線路を敷いたと改めた感心しました。前半の駅跡は「おっふ」が多くなりますね。後半も楽しみにしています!
後半は富内線が本気を出してきます!
実は、僕も気になっていた路線です!
個人的には好きな路線です!
ひろりんさん並びにフィンボールさんへ
今日11月13日の夜に、この動画を拝見しました。起点だった鵡川駅から様似方へ左手に分かれていた富内線(営業距離82.5㎞だったそう。前後編に分けて辿ろうと決められたあなたの姿勢を褒めましょう)の線形が伺えるシーンや栄駅の手前に在る錆びたスノーシェッドや豊田駅近くの木材加工場等の遺構を撮られ往時の活気を想起させてくれそうで。尚、ほぼ中間に位置する富内駅の駅舎は2001年に文化財に指定され鵡川からこの駅までは鵡川の流れと並走するというルートとの事でした。勿論、フィンボールさんと同じく太平洋沿いから内陸部を走っていたという線形の富内線に私も注目していた一人です。
富内線富内駅は行きたくなりました。これだけ保存状態がよいとは😊後編も楽しみにしてます👍
富内駅は自信を持ってオススメできる駅跡ですね~
富内駅の様に手入れされているところはいいですね。地域から愛されていたんですね。
綺麗に整備されている駅跡はいいですよね~
@@hiroring0323 やっぱり、人の手が入っている場所が一番、忘れ去られてヤブの中でおっふするようなら可哀想ですね。
お疲れ様でした。
お疲れさまです!
富内に初めて行ったのは2001年に駅構内で四国から持って来たミニSLを走らせるイベントが開催された時でした。
今の所このイベントはその時のが最初で最後みたいです…
カーペット敷きの旧客は既にこの時からありましたがライダーハウスとしてはまだ営業開始していない様子でした。ライダーハウス利用時は17:38の商店で受付して500円を支払う仕組みです。
国有化前は沼ノ端まであったみたいですね
国有化前は沼ノ端起点でしたね。
ひろりんさん!今更ですが、鵡川駅🚉で富内線の遺構を探してしまいました。😢
👍️
旧富内駅の ”あえて残す” 判断がステキ。
維持管理特に植物対策にかなり経費がかかってる気がするけど、さりげなく現役時代の雰囲気を維持し続けているなんかレベルの高いテーマパークって感じっす。
こういう残し方が理想なんですが、意外と少ないんですよね…
富内駅は写真もインスタ映えして、凄くいい雰囲気ですよね
富内駅は雰囲気良くて好きな駅跡です!
春日と旭岡の間のキリカチ踏切から旭岡までの線路跡は道路になっていますよ
いつも楽しく拝見しています。旭岡駅で「躊躇しますね」「行きますけど」の例のコンボが炸裂していて、思わず嬉しくなりました! 「銀河鉄道的なアレ」もよかったです。 これからも無理ない範囲でよろしくお願いいたします!!
いつもありがとうございます!
躊躇しますね~のくだりは最近よくやっていますねw
春日駅跡と富内駅跡しか遺構が残っていないとは・・・
富内駅跡の保存状態は素晴らしいですね。
前半でも穂別駅跡以外は周辺がだいぶ寂しくなっているのでこの先がどうなっているやら気になります。
春日と富内が残っているだけでも巡った甲斐はありました。
特に富内は良かったですね~
素敵な動画ありがとうございます。
いつものことながら🥺🥺🥺しながら見ていますw
いつもありがとうございます!
「行きますけど」が好きです✨
この先どうなってんのかなぁと思っていたら、必ず探索してくださるので😃
富内駅は、地元の皆さんの努力のおかげで、あれだけのものが残っているんですよね。これからも頑張ってほしいと思います。
これだけの駅跡は中々無いですから、これからも頑張ってほしいですね。
廃線前の写真撮影時に冨内に住んでおり、当時の自宅も写っていました。最後に訪れてからもう10年程経ちましたが今でも駅舎はそのままなんですね。鵡川までの沿線の記憶も蘇り懐かしさでいっぱいです。ありがとうございました。
富内にお住まいでしたか。
当時と比べると駅前は寂しくなりましたが、駅舎はそのまま残っています。
こんにちは☺️待ってました、富内線❗廃線年の夏休みに北海道ワイドで訪れた際、占冠~日高町~苫小牧のルートで乗車しました。穂別から乗車された看護学生の方と仲良くなり、色々な想い出を頂いたので北海道の廃線となると真っ先に思い出します。(私事でスミマセン🙇)鵡川近くの土盛りを固めた地元のおじいさんとお話する機会があったり春日駅前の商店、国道と対岸をゆく廃線跡…🐻出没が怖く行けなかった日振トンネル跡等、懐かしく思い出しています😄後編も楽しみにしております🙇
富内線に素敵な思い出があったんですね~
富内駅、ここも素敵な駅舎ですね。1日いても飽きない気がします。
このような立派な駅舎が残っているのに線路がないのは寂しいです。
紹介された駅跡は跡形もないですね。
線路が無くなると沿線は寂しくなりますね。
沿線の街はほどんどが寂しくなってしまいました…
@@hiroring0323 後半はどうなっているのか分かりませんが、楽しみにしています。
取材、編集お疲れ様でした。
北上していくに連れて廃線跡が自然に還っていくのが北海道らしいと言うか…
富内線が本気を出すのはこれからです!
富内線は富内駅の広い構内も雰囲気は良かったですが、
自分は駅舎だけかと思ったら、しっかりホームが残っていた
春日駅の雰囲気に魅了されました。
思った以上に良かったです。
春日駅もいいですよね~
18:44 何故かゴタイゴの999テーマソング(TVアニメ版と劇場版の両方)が脳内再生された
ふたたび始まるドラマのために~♪
実は深夜に…
富内まで遺構が残ってんのが1箇所だけ…
国鉄は赤字のくせに解体だけはしっかりやりよるなぁ
初めまして!自分は富内線は廃止の1年前(当時は小6でした)クラスのレクレーションで苫小牧から穂別まで乗車しました。この動画を見て当時を思い出しました。穂別駅前がこんなにも寂しくなっていて残念です。
16:24富内駅のことしか書けないのですが、
2000年の段階で既に富内駅の周辺環境は寂しかったですね。駅正面のふじ屋商店さんもやってるのかなって雰囲気でした。看板は綺麗でいまも営業されてるのでしょうか。来年2001年に銀河鉄道イベントを行いますの告知張り紙は見つけましたが、周辺に人の気配は感じられないほどでした。18:41空に向かって延びている線路は2000年から存在していましたが、多分作り変えていると思います。もっと小さな作りだったと記憶してます。樹木はまだこんなに大きくなかったですね。その時の富内駅の旧客オハフ33-1568 スハ45-26は振内駅のものより汚れも痛みもあったと思います。ライハとして営業しているのかしていないのかも不明でした。でも富内駅舎は綺麗に保存されていて、この時も広末涼子さんが窓口に微笑んで佇んでおられました。映画「鉄道員(ぽっぽや)」に使われた鉄道備品は殆どがこの富内駅の保存品を提供したと誇らしげに書いてありましたね。当時保存客車状態は良くなかったのですが現在でも存在されているのは奇跡的ですし、何より富内駅鉄道記念公園の保存状態の良さが分かってたいへんうれしいです。ひろりんさんありがとうございます😹 19:36このトロッコは乗れるのかな。以前のコメントと一部重複しててすみません。
富内駅跡の「天にのびる線路」は、地元の若者(当時)たちが町おこしに決起。「とみうち銀河ステーション」として確かその頃(2000年ちょっと前くらい?)に整備され、復刻版の富内線入場券セットも発売されたような記憶があります。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」の備品はこちらのも使われているのですね、多くは、映画ロケ地近くの新得にある「大崎鉄道記念館」(国鉄OBの芸術家の方の個人宅)のものと聞いており、特に高倉健さん(乙松駅長)と広末涼子さんの詰所シーンで、SLの「煙突だか汽笛?」を説明する部分や、バックにずらりと並べられた「過去の時刻表」は、こちら大崎記念館からの貸与品との館長ご本人談でした。(時代考証も担当されたそう)
2000年に天にのびる線路を見た時はこんな立派な作りに見えなかったのですが、
建て替えたかもは記憶違いなのかもしれません。この辺は自信がなく間違っているかもしれません。「鉄道員(ぽっぽや)」の鉄道備品の映画小道具も知らないことがあってすみません。かなりの物が富内駅からの提供であったと思われます。そのおかげでここに広末涼子さんのパネルが展示されているのでしょうね。
@@3poko 「鉄道員(ぽっぽや)」の小道具。自分は逆にこちら富内駅の物が使用されていたのは知りませんでした。
大崎博物館では、クランクイン前にスタッフが資料提供協力を依頼した時に持参した台本(本物)も所蔵されているのですが、キャストにはまだ「高倉健」の一人が印刷されているのみで、広末涼子さんはおろか、大竹しのぶさん、小林稔侍さん、志村けんさんなどの名優たちもまだ名を連ねていない初期段階の貴重なものです。その頃から既に下準備が始まっていたのだなと実感させてくれました。
@@Su---- さん、追記させてもらいます。ぽっぽやは99年の映画ですがその時はまだ観ておらず、2000年に
富内駅舎に入ると広末涼子さんの写真パネルが何故あるのか不思議に思って、張り紙を読んでそうだったのかと理解したほどです。新得の大崎鉄道記念館さんの事は知りませんでした。まだ観られるなら行ってみたいですが、あまり情報がないですね。最近トラ猫ちゃんねるさんが歩かれた新得駅から新内駅まで旧狩勝実験線が遊歩道になってるのも知らなかったくらいでお恥ずかしいです。個人的な思い出ですが、津別町に同様な地元の鉄道ファンの方のカメラ店があったのですが、その方が北見相生駅の保存車両の世話を積極的にやられていた方でした。元職員さんやファンの方が居ないと色々と表記類が正式な書体から変わってしまうじゃないですか。スペインのキリスト像じゃないですけど😅 その問題をカメラ店のご主人が、キハ22やその他の保存車両や駅名標の書式などの指示をあれこれされていました。この件は初めて書くと思いますが、いずれひろりんさんか他の方の北見相生駅の動画で書かせてもらおうと思っていたことでした。
前振りからの突入取材、行くと思ってましたけど(笑)
いつもの前振りですw
@@hiroring0323 ほとんど「ダチョウ倶楽部」のノリのような気がします
案の定鉄道路線は北海道の自然に呑み込まれてしまいましたね…
一部は残ってたりしますけど、状態が…
北海道の自然は…
日高本線休止後、このあたりに鉄道があったことを知って、出かけてみました。悲しさがこみあげてくるような路線です。路線バスで通りましたが、本数も非常に少なく不便。占冠方面も村営の小型バスのみ。ただ、見どころは鉄道跡、観光施設ともに結構あるのですけど。
廃止直前に、最初で最後の乗車をしました。占冠駅からバスで乗り継ぎました。
日高町から占冠は意外と近いんですよね。
廃線に、なって1度だけ冨を駅に蒸気機関車を走らせたことがありましたね❗放置されている、トロッコでに乗って遊びました‼️蒸気機関車で、なくてもいいから。また、車輛を走らせて欲しいけどね‼️
これだけの敷地なので何かに活用して欲しいですね。
富内駅は良い雰囲気でしたね!僕もこういう感じは好きです!富内駅って構内広すぎません?(笑)
これだけ広い構内に線路が残っていると列車がやって来そうです。
先月、一日散歩きっぷで日高本線を含めて乗り鉄してきました。短くなっちゃいましたけどキハ40を楽しめました。
富内駅は今にも列車が来そうなほど綺麗に保存されていますね。今度北海道に行った時は訪ねてみたいです。
北海道のキハ40も近いうちに無くなりそうですもんね…
昔国道274から今は廃道状態の道道610で行った事が有りますね、
地域で比較的大きな街である穂別には何も残っていない所為か、富内駅跡の存在は泣けますね…
「む川」ですかw…小学生低学年にも読める様にとか、何か意味があったのかもですね。
ロックシャッドは、並行する道路の安全の為に残しているのでしょうね。
いつも貴重な映像、有難うございます。
沿線で一番大きな街だった穂別に記念碑すらないのは寂しいですよね。
せめて所在を示す所に碑くらいは在ってもいいですよね…
まぁ、富内は穂別町ですので路線の名称に因んで、富内に鉄道遺構を集約したのでしょうね。
碑があるのは全線通して日高町だけですからね…
だから日高スキー場の前辺りにSL置いてあったのか納得
富内線についても行けずじまいでしたが、富内駅の駅舎と構内が残されているのがいいですね。
機会を作って見に行きたいです。
北海道の廃線跡は自然に還るのが早い事を再確認出来ました。
後半についても期待させていただきます。
航空写真での今昔の比較、現地の状態、鉄道遺構を見るための行動力✨
廃線跡巡りはひろりんさんの右に出る人はいないなあ😅
あまりの詳細ぶりに。
北海道の廃線跡、特に駅跡は道路が貫通しているところが多いですね。
富内駅と鉄路が残ってるのはなんか嬉しかった🎵
後半✨期待してます👍
ありがとうございます!
富内駅が綺麗に保存されていて、富内線に関わってきた人たちも救われたような気がします。
冨内線廃止から35年達鵡川町はむかわ町になり日高本線も無くなり終着駅になった…
これからどんどん鉄路が無くなると思うと寂しくなりますね
ひろりんさんの、特に北海道方面の動画みてると石炭が「黒いダイヤ」といわれた理由が理解できますね。今では廃線になった鉄道や町、人を食べさせるだけの稼ぎがかつて石炭でもたらされいたんだなあと、、
消えた路線や消えた街にもかつては人々の営みがありました…
こんにちは。
いつも愉しく視聴しています。取材や編集が素晴らしくて、新しいシリ-ズがとても楽しみです。
富内駅には、キハ22や貨車を保存して欲しかったです。
いつもありがとうございます!
廃線の時期を考えると余剰になっていた客車くらいしか保存できなかったんでしょうね。
1986年5月日高町→鵡川乗車
1988年5月廃止代替バス日高→鵡川駅前乗車
そして鵡川町、穂別町が合併して町内移動をしやすくするためか運賃が上限200円となっていることに興味があったため、今年9月鵡川駅前ー穂別出張所を往復乗車しました。
私65歳ということで半額の100円で乗車出来ました。また帰路便は春日駅跡を経由しました。
1990年代になり、新しくこじんまりと建て替えられた鵡川の駅舎内には駅員さんもいて入場券が売られ、となりにバスのきっぷ販売窓口もあって係員さんがいたような気がします。
代行バス。上限200円は知りませんでしたが、町外の人もそのお値段なんですか?
@@Su---- さん
はい、運賃表示そのものが「200」が最大でした。
また65歳以上の100円はむかわ町住民でなくても適用されるとのことでした。
@@user-mj1xe4nj6k なんと!「都バス」より安いとは。。。
こうなると、倍額運賃払ってもよいから『富内線廃線跡周遊 特別号』を土日限定でも走らせてほしいですね。
各駅跡で5~10分くらいづつ停車するやつ。地方創生&活性化の一環で
@@Su---- 「廃線跡周遊号」は魅力ですね。ただ、鵡川〜穂別が200円と安価なのは、むかわ町内のみを走るバスだからでしょうから、「周遊号」をむかわ町が運営するとすれば、寄れる駅跡が春日、穂別、富内しかなさそうですね。まぁ、仮に日高町まで走ってくれたとしても、振内と日高町が加わるぐらいでしょうけれど。
@@dream_traveler そうなんです。旧鵡川町と旧穂別町内だけになるかと思いまので、あくまでも「入門編コース」ですね。
このむかわ町営バス「廃線跡周遊号(仮)」は、駅前通りの生活感が残っている旭岡、ある程度雰囲気を残した春日、集落ごとほぼ消え去った栄、橋梁やシェッドの残っている豊田、主要駅なのにほとんど痕跡のない穂別を周って最後に、充実度の高い「富内」でクライマックスに持って行って、あの駅舎を管理されている地元のおばちゃんたちから現役時代の話を聞くなんてドラマ性があってもよいなと思います。正直、運賃10倍の2000円でも十分安いかと。
実際、富内から先は(次回ひろりんさんがUPしてくれるのでアレですが)、鉄道記念館のある振内駅跡以外は終点日高町駅跡も含め「おっふ」のオンパレード。しかも車では駅跡まで入り込めないところ(or私有地内ぽいところ)ばかりなので、こちらはさらなる興味を持った「上級者向け」として、ご自身の責任のもと別途Deepに探索いただくのがよろしいかと。「廃線跡周遊号(仮)」好評のあかつきには、それを嗅ぎ付けたお隣、平取町が動いてくれるのを期待しましょう(さらに昔に廃止された、沙流軌道や、簡易軌道貫気別線跡巡りを含めて)
転轍機小屋に“そそられる”とおっしゃられていますが、私はその前の18:09 辺りで出札窓口に設置されていたのが確認できる“硬券”のホルダー(正式名称はなんて言うのかな?)がそそられます。
『富内⇒○○円区間』ではなくて、ちゃんと『富内⇒△△・※※』といった具合に、“鵡川”や“苫小牧”だったら目的地の駅名が印字されていたんでしょうね?
十年ほど前、この地で病魔に倒れた知人がいた。こういう場所に引っ越し、札幌の病院に通院していたとか。悲しいこともあった。
しかし、最後のレールのオブジェ。一瞬あの世に行くための電磁カタパルトかと思いました。頭が疲れているなあ。
疲れていらっしゃいますね…
@@hiroring0323 だってその子は40代で亡くなったのだもの。まだまだ生きていたかっただろうに。
1990年代までは1万2千頭だった競走馬生産頭数も、現在は6000頭を切るか切らないか。
サラブレッド・ロード沿線自治体の壊滅も日高本線の部分廃止も、回避しようのないことだったと言えそうです。
母が室蘭輪西中島町の馬産農家生まれなので、無念この上ないなんですが。
商店街、パチンコ屋、劇場なんかもあった栄駅。名古屋と一緒だったんですねぇw
名古屋の栄と比べるとこっちの栄は…
まぁ、一緒ではないですが😊、交換設備や貨物ホームもあり、木材の出荷などでそこそこ「栄」てました。
幸福行きのきっぷが流行り初めて間もなく、当時有人駅だった「栄駅」の入場券も縁起きっぷとしてもてはやされ、一部ではキーホルダーになって売っていたんですけど、愛国幸福駅ブームの上り調子だった昭和52年に無人化されてしまい入場券は発売終了。幻のきっぷに!
富内駅跡に駅舎が残っていて良かった。それまではすごく寂しかった。駅舎も無く道路が貫通、集落はほぼ消滅の連続。栄駅跡は劇場があったなんて。穂別駅跡公園は鉄道があった事はスルー。あと「む川」表示という投げやり感。
まだ序の口という事で後編楽しみです。
後編は無人地帯を突っ切ります。そして終着駅ではまさかの…
おっふ・・。栄駅だったのに、寂れてるどころか集落消失とは
富内駅は相変わらずいいですね。奥まってるのであまり邪魔されないのがまたいいですね。
後半も楽しみにしてます(^^)。
富内駅は何度行ってもいいですね~
こうやって見ているとかつては賑わっていたかと思うと何か寂しく思いますね😢
ですね…
大体 自分が生まれてない時代の線路だな
国鉄時代の廃線ですからね。
富内駅構内でトロッコ走らせたい位当時のままの線路や駅舎残ってますね。でもアクセスが…
富内駅は素晴らしい状態で保存されていますね。
ただ富内は鵡川側、占冠側どちらからも遠いんですよね…
「草に埋もれちゃっていますね…」
うわーコレは凄い
「中が気になりますが…」
そーなんですけど
「ここに入るのは躊躇しますけどね…」
ひょっとしてこのフリは…
「行きますけど」
やっぱ半端ないな〜ひろりんさんはwww
いつものフリですねw
廃止論も出ている代行バスが運行している前編区間だけでもこの「おっふ…」では
後編の代行バス消滅区間ではどうなりますやら怖いけど楽しみです。路線廃止前から
人口減少による過疎化は深刻だったようですが廃線で更に拍車が掛かってますね。
それにしても富内駅のレールは某999が走っていきそうですねw
前編ではまだ本気を出していない富内線…
後編はどうなるのでしょう…
富内駅は感動。おお、腕木式信号機…
やはり富内駅はいいですね~
30年ほど前、二風谷付近の駅のライダーハウスに泊まった事がありました。振内駅…当時は全く興味もなく、今思えば生きている路線をいくつも見逃してきた後悔が残ります。
「本気出してくる」怖いです。諸事情を考えたら、致し方のないところではあるのですが、こういった現実は残念です。
現実は厳しいですね…
鵡川駅の駅標も線路も
残された姿はかつてはここを
走っていた電車の姿を
思い浮かべます
これぞ日高本線の軌跡
道央南部も、道東なみに鉄道空白地帯になってしまいましたね。石勝線の南側には、ほとんど鉄路がなくなってしまいました。
人が減り、鉄路が消え、さらに人が減り、「おっふ」と「・・・」になってしまうのは、寂しいことです。
寂しくなりましたね…
上茶路には、元々雄別炭鉱の支鉱が有って、粉炭を掘っていました。(粉炭スト-ブ&ボイラ用)
実際の抗口はもっと山に入った所に有り、駅周辺には平屋の2軒続の炭住が建っていました。
1970年の炭鉱閉山後、この炭住を使ってキャンプ場のような施設が造られました。私も学校行事(中学の宿泊研修)で行った事が有ります。現地には当然のように貸し切りバスで向かいました。(この時既に白糠線は廃線後だったように思います。)
最近毎日更新楽しみにしております!
ありがとうございます!
駅巡り、ありがとうございます。実は、沼ノ端駅から豊城駅の間も巡っていただけるかなと、勝手に期待しておりました。上厚真駅付近など、何か残っていませんでしたでしょうか?
そっちは巡っていないんですよね…
戦前戦中の廃止だと…
巡りましたけど何も残ってませんでした。
上厚真だけはちょっと雰囲気あるんですけどね。
(なぜかあんなところなのにちょっとだけ栄えてる→浜厚真の10倍都会)
ニナルカなんかは、何がどこだか全く不明でした。
ずいぶん昔、廃止間もない万字駅や三笠駅、東札幌駅などを訪れましたが印象的だったのはことごとく転轍機の信号(橙と紫に光る奴)が無くなっていました。職員によって撤去されたのか盗鉄の餌食になったのか分かりませんが富内駅の構内もそうなっていたので古い話を思い出しました。これが残っていると現役感が増すんですけどね
富内線には,一度だけ乗りました。ただ日高町駅から鵡川駅に向かっての乗車(占冠駅から日高町駅にバスで向かいました!)で,かつ夕方の列車だったので,この動画で紹介された区間の景色は記憶がないんですよね~。ともかく,列車には数人しか乗っていなかったことが思い出されます。
それにしても代行バスの本数の少なさは…ですね。
乗られていましたか。
富内線も乗ってみたかった路線の一つでした…
富内線の公開ありがとうございます。
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
今回登場した『豊田駅跡』の近所が私の義母の出身地であり、今も近くに残る線路跡・橋梁・トンネル・標識を見るようになってから、自身が『廃好き』に興味を抱くきっかけとなりました。
因みに、昔は旧穂別町には炭鉱もあり、大変賑わっていたらしいですよ。
後半も楽しみにしております(^_^)
富内線に所縁があったんですね~
冨内駅の線路の上の自転車みたいなやつって一般客も漕いでいいんですか?
チェーンが付いていないので走らないですが…
嫁の実家の近くに昔鉄道が走っていたようです。
今はトンネルがそうかな?と思いますが
良くわかりません。
福知山の大江町ですが今は由良川沿いに列車が走っています。
暇な時に調べて下さい。
大江鉄道と言う鉄道があったかな?
20:18
今回の動画も漏れ無く
おっふと・・・・の連発でしたね!
数年後の再訪時は
輪を掛けてのおっふと・・・・の
大連発は間違い無いですね!(恐)
旭岡駅跡の近くのシェッド。ひなびた牛舎跡にも見えるような。
栄駅や豊田駅。一見愛知の駅にあるような錯覚(後者は豊田市駅。豊田駅は中央線東京側)を感じる。しかし、過疎の惨状を体感できる。ただただ😢
富内駅は構内設備がほぼ豊富に残っていて行きたい。奥の線路モニュメント、ひろりんさんの世界からして
♪汽車は、闇を抜けて…(銀河鉄道999TV版主題歌)の方が脳内再生されます。
後半、内陸に進むにつれての方に期待したい。
豊城駅は路線跡がそのまま幹線道路になってかつての道路が廃れてる感じがする
春日駅ってむしろ駅施設に該当する所以外航空写真比較だと何も残ってない感じします
旭岡駅はまあ残ってる方なんですかね(空家等はともかく)
栄駅は駅と同時に産業が全て終わったんでしょうね………山区間でしょうし
〜この辺が昔の区分の町村の境界なのかな?〜
豊田駅は栄駅よりはマシに見えますが郵便局が撤退しましたか、よく持ってた方かな
穂別駅はまだ貫禄は残ってるのですね
富内駅は中心地としてどうなるのか
これで本番ではないのですか、ここから先は本当に秘境なのですね
旭岡駅前通りにはまだ郵便局が残っていたかと思います。豊田の方は自分が訪れた数年前は現役でした(無くなるとも知らず)。
穂別は駅跡はキレイになりすぎましたが、町としてはもともと穂別町の中心で役場もありましたので衰退はしてますが、そこそこ栄えています(役場支所もあり)。旅館、民宿や居酒屋、カフェ、町民温泉などに加え「むかわ竜」が展示された穂別博物館は、かつての恐竜ブームの頃(ジュラシックパーク封切りの頃?)は結構訪問者が来て賑わったと聞いています。
北海道に出向いた際には、占冠から平取を経て鵡川までの道は上りも下りもよく使いました。北海道の廃線路は詳しくはないんだけど鵡川から日高までの線路があったことは知らなかったね。牧場見学の際に鵡川から山路に入り込んだこともあるから、もしかしたら廃線跡を知らぬ間に通っていたかも知れないね。
日高本線も昔は襟裳岬の手前まで通っていたのが鵡川で止まったんだっけ?寂しい限り。ますます都市部から離れると人家が無くなって行く。村が消え、街が消えて、町が消えて行く。最近では、こんな寂れた土地を中国人が爆買いしているとか。何かが狂っているね。
富内駅構内跡は今でも列車が来そうな雰囲気ですね 保存列車を持ってきて走行させてみてもいいのではないでしょうか?話は変わりますが鉄道の去った町はさみしい風景になることが多いですねモータリーゼーションで鉄道が消えるその後に走るバスも廃止になる結局は高齢者が自家用車で運転しないといけない・・・事故が増える・・・自分は思うのですが悪循環になっている気がします 気のせいでしょうか?
鵡川駅の健在振りと周辺地域の無事な状況を観ると、どうしても安堵感を禁じ得ないですね。こういう感覚、ピロリンさんと勝手に共有していると思い、矢張、胸に暖かいモノを勝手に感じてしまいますね。
ごめんなさい、お名前、間違いちゃいましたね。ひろりんさん…でしたね。ごめんなさい、勝手に濁点付けちゃって。
写真で見ると健在っぽく見えるんですが、例の胆振東部大震災で打撃食らってそのまま放置されてる家や、サラ地された家も多かったりします。
北海道に幸福駅ってあったらしいけど、いまあるのかな?
幸福駅があった広尾線は1987年に廃線になりました。幸福駅跡は現在は観光地になっています。
富内駅近くの静態保存車両の紹介は、後編で行うのでしょうか?
富内の客車は中に入れなかったので軽く紹介する程度で。
14:13 郵便局がつぶれるってよっぽどだな。。。
北海道では鉄道廃止後の駅舎跡に道路を貫通させるのが通常になっているのだろうか?
鉄道が市街を分断しているケースも多いですからね。
前編は割といい感じで終わりましたが、後編は何か悲惨な予感がします。
「む川」の表記ですが、国交省かどこかに基準があるのでしょうね。関東でも「の川」や「あら川」なんていうナンジャコリャ表記になっているものがあります。
後編は衝撃の事実が…
む川の「鵡」が画数多くて、ペンキ職人が対応できない疑惑・・・とか?
ひろりんさんへ
今日11月13日の夜、この動画に見入りました。82.5㎞に及んでいたという富内線を前後編に分けて紹介されようというあなたの良識的な御決断を私も褒めましょう。この動画についての感想は、視聴されたフィンボールさん宛の返信の中で触れましたので宜しくお願いします。
富内駅って廃駅感があまりないですね
本線跡?に車両があるとなおよかったかも
キハ22辺りがあれば…
ひろりんさんへ
今日11月16日の朝に、再度見入りました。ここであなたが触れられた富内線や起点だった鵡川駅を擁する日高本線もその「名前」が真っ先に消える[仏教では、鬼籍に入る(人間の逝去)と言うそう]のではとふと私は推察しましてね。本線らしくない営業距離の短さからして、鵡川線といった改称が考えられましょう。皆さんは、どう思われますか。
鵡川は日高では無く胆振なので、路線名と実情が合わなくなりましたね…
ひろりんさんへ
今日11月16日の昼に、あなたからの丁寧な返信を拝読しました。鵡川駅が在るのが胆振振興局だと分かりあなたのこの御指摘はその通りだと思いますね。曽て国鉄時代に羊蹄山を観られた胆振線が既に廃止されただけに、私も短縮された苫小牧と鵡川の区間に再度胆振線の名前を冠されるという施策は皆無だろうと考えている所です。
今見ると不自然なルートですが、かつて富内に線路を引かなければならない理由があったのでしょうか?
クロム鉱石や木材の搬出のために富内に線路が引かれたようですね。
占冠から苫小牧までバイクで走ると、平取町を通過するルートを選んでしまうので、富内という町が有る事さえ知りませんでした。
富内駅跡はとてもいい雰囲気の場所ですね。
いつか行ってみたいと思います。
もともとは富内(辺富内=ヘトナイ)にあった鉱山や沿線森林伐採による木材輸送のために建設された私鉄「北海道鉄道」でした。
これは現千歳線合わせて以前は北海道鉄道として線路が繋がっていたわけで、後に国有化されそれぞれ国鉄となりました。
それを延長する形で日高町方面の鉄道として建設されたかと思います。
今回ひろりんさんが(古すぎて"おっふ"以下で)巡られなかった、沼ノ端~上厚真~豊城間にもその廃線跡が眠っています。
なお、もっと自然な富川から沙流川を遡る(長いトンネル彫らなくてよい)ルートには、当時既に私鉄の「沙流軌道(富川~平取間)」が営業していました。(戦後まもなく廃止)。こちらのレアな鉄道については平取町「沙流川歴史館」に説明パネルが展示されています。※数年前に特別記念展を開催。
Suさんへ
今日11月15日の朝に、あなたのコメントを拝読しました。富内駅が在った一帯の昔の事を詳しく明かして下さり、嬉しく思います。ひろりんさんも触れられましたが、産出したクロム鉱石や木材等を積み出す為の拠点として平坦な盆地たる富内の地が適していたのではと私は推察しましたね。いずれにせよ、この富内の一帯にしてもあらゆる産業の廃れを引き金に町並みが消え行くという道内の遺構の共通項を思い知らされます。
次に北海道にツーリングに行く際は、皆さんに教えて頂いたことを思い浮かべながらバイクを走らせたいと思います。
ありがとうございました。
面白すぎ
ひろりん最高
ありがとうございます!
12:45 む川 開発局が仰せになっているけれども、違和感ありすぎかと。
新千歳空港から近いのに、一度も行くことが叶わなかった、美々駅 も自分にとって同じく。
銀河鉄道、この映画シリーズ好きだったんですが。
私も美々駅は廃止後にしか…
空港から高速が繋がっているので車なら30分ですよ。(しかも苫小牧東から先は無料)
札幌より近かったりします。鉄道乗り継いだら2時間コースかな(乗換待ち時間込み)。
何故「む川」という表記に…?