3分でわかるジャック・ド・ヴォーカンソン【代表的なオートマタ製作者】

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  • Опубликовано: 11 фев 2022
  • こんにちは。人からわかる3分技術史。
    今日はジャック・ド・ヴォーカンソンについて勉強していきましょう。
    ジャック・ド・ヴォーカンソン。1709年生まれ。フランスの発明家であり、代表的なオートマタ製作者として知られます。
    ヴォーカンソンは、ルイ14世統治下のフランス、グルノーブルに生まれました。
    ヴォーカンソンの父親は貧しい手袋職人です。ヴォーカンソンは、はじめ修道士となるためイエズス会で神学を学びました。
    ヴォーカンソンは幼い頃から機械いじりを好みました。そして修道士としての勉学に励む傍ら、機械仕掛けの天使の人形などを制作。
    そして20代の初めごろ、ヴォーカンソンは修道士の道を諦め、オートマタ製作者として独り立ちすることとなりました。
    近世のオートマタ(機械人形)の歴史は、12世紀のトルコ人技師、アル=ジャザリーにはじまります。その後フィレンツェのレオナルド・ダ・ヴィンチや、ドイツのハンス・シュロットハイムを経て発展し、見せ物として人気を高めつつありました。
    ヴォーカンソンが最初に作ったのがフルート吹きのオートマタです。1737年、28歳頃に完成させました。このフルート吹きは、ふいごを用いて空気を送り、唇や舌を動かしてフルートを吹きました。
    このオートマタはすぐに評判となりました。
    続いてヴォーカンソンは、片手で笛を吹き、もう片手でドラムを叩くオートマタを制作。
    そして、次に作り上げたのがアヒルのオートマタです。
    アヒルのオートマタは、ヴォーカンソンが以前より考えていた生物を機械で再現する試みでした。このオートマタではアヒルの動きと、その消化系が再現されていました。食べ物を口に含むと、それが胃腸を通って排泄されます。
    アヒルのオートマタはたいへんな反響を呼びました。フリードリヒ2世やルイ15世といった王侯からも仕事を依頼され、パリの科学アカデミーの会員ともなりました。
    ヴォーカンソンは引き続き、機械での生物の再現に取り組みましたが、1741年には政府から製造業の検査官に任命され、多忙な毎日を送るようになりました。そのなかで、当時手動であった織り機を改良し、パンチカードを用いた機械で自動化しようと考えました。しかしその試みは、職人たちの反抗に遭い失敗します。
    ヴォーカンソンが試みた織り機の自動化は、後にジョゼフ・マリー・ジャカールに発見され、1801年に実用化されました。そしてチャールズ・バベッジは、ジャカールの織り機を参考にして解析機関を考案します。解析機関は最初の機械式計算機であり、すなわちコンピュータの先駆けでありました。
    ヴォーカンソンは、1782年に73歳で亡くなります。現在においても、オートマタの代表的な製作者として、また、機械工業の先駆者の一人として評価されています。
    以上!
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