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蘇るヒーロー片山敬済のワンシーンでの片山さんとバリーシーンとの掛け合いが懐かしいです。
バリー・シーンとシュワンツが好きで、スズキのデザインも好きで乗っていました。現在の片山さんを見ることもできて感慨深いです。人生を楽しんでいるのも素晴らしい。
昔、750に乗っていた時に被っていたヘルメットが、サー・バリーのagv製レプリカヘルメットでした。当時、彼には憧れていましたねー。懐かしい。
サー バリー シーン 大好きです。素晴らしいお話 ありがとうございました
懐かしいバリーの話、ありがとうございます。 当時片山さんのおかげで、いつもパドックをうろうろさせてもらっていました。(当時は僕は原宿でブティックをやっていた人間です)。NR のデビュー時にも同じピットで見せてもらっていました。 もう一台のNRにはミック・グラントが乗ってましたよね。 つい最近片山さんが出ているこのチャンネルを見つけ、お元気で活躍されているのを知ってとても嬉しく思います。僕がイギリスからオーストラリアに移ってから数年後にバリーもオーストラリアに引っ越して来たのには驚きました。 理由は身体中に入った金属のおかげで寒いイギリスではだんだん厳しく(リュウマチの様な痛み)なって来たので、暖かいゴールド・コーストに移住を決めたそうです。 タバコ好きのバリーはいつもゴロワーズを吸っていたと記憶してます。ブランズハッチの耐久レース(1980年だったか?)で(そのレースのために森脇さんや吉村さんもいらっしゃいました)森脇さんがバリーの走り(ヤマハのマシーン)を観て僕に解説してくれたシーンなどを思い出しました。 これからもお元気で楽しい動画をアップ、期待してます。
agvのヘルメットをリペイントしたり、似たようダイネーゼのレザースーツにゼッケン7を付けて走っていたほどに一番大好きなレーサーでした。なので、早く本題に入ってよ!と、やきもきしながら観ていました。せっかくライディングフォームのお話も出てきたのだから、雨のレースを得意としていた件を当然含めて、そこをレーサー目線で深堀してよ!とか思ったり。本当に憧れのライダーでした。
片山敬済さん素晴らしいです。彼のドキュメント映画の“甦るヒーロー片山敬済”のシーンで、『レースってのは、ボディ、マインド、マシーンの正三角形なんだ。まだ自分はまだ正三角形ではないから、このレースで正三角形を作ってやろうと思う。』 この言葉すごくかっこいいと感じました。
今も、片山さん元気で何よりです86年TDAカラーのチームカタヤマのRS250がカッコ良くて、当時チームカタヤマメンバーだった鈴木淳さんから翌年譲っていただきました、TZと比べハンドリングがクイックでなかなか苦戦しました、86RSはピストンリードバルブで86TZはクランクリードバルブでエンジン特性、ハンドリングではTZの方が乗り易く、RSはピーキーでそれなりの腕がないマシンで自分には乗りこなせませんでした、当時のことを懐かしく思います。チームカタヤマ時代の映像とか有りましたらあげて下さい。
片山さんの語彙力はあるし笑顔だし素晴らしいですね。このシリーズまだまだ続けてくださいね。忘れましたけど37年ほど前RTKを立ち上げた年筑波で片山さんを見かけ緊張しすぎてサインを頼めかった事が悔やまれます。あの時はヤマハのワークスも来ていたな・・・
バリー・シーン。とにかく、ずば抜けてカッコイイ「ライダー」だった。俺にとっては・・・。
そうだったのぉ~なるほどねぇ~と当時を観ていた頃を思い出しながら酒を飲む良い話を聞けました
当時のB・シーンの話を片山さんから聞けるなんて❗すごく楽しませて頂きました😁
バリーがフライト前のボディーチェックで体内の金属が反応するので、レントゲン写真を見せて搭乗してた、そんなビデオを見た記憶があります。片山さんは鎖骨骨折の手術後1週間で次のレースに出場して優勝したと聞いております。そこら辺の話を聞いてみたいです。
待ってました!バリーシーンは僕のヒーローです!事故で死にかけても不死鳥のごとくカムバックして走る姿は感動しました。ケニーを抜き去り、後ろVサイン。雨の菅生でブッチギリトップでも手を抜かず全開で駆け抜け転ぶ。レーサーの生活、地位を少しでも向上させようと活動する姿。何本骨折しようが、必ず戻ってくるスピリッツ。とんでもなく美人な奥さん。なんぼでもスポンサーから金を引っ張ってくる、人たらしな性格。どれもカッコ良く見えました。ハッキリ物を言うので、メディアやワークスから敬遠されたなんてありましたが、片山さんの仲間内からのレーサー目線のお話しでは、そんなことないように感じて嬉しく思います。片山さんとのゼッケン交換の話し、初めて聞きました。これは貴重です。とにかく、僕はバリーシーンのおかげで今の自分があります。今回はスペシャルなお話し、ありがとうございました❗
雨の菅生はTBCビッグロードレースですね。トップで走ってフロントがパンクして転倒しました。ケニーだと勝ちを意識するとペースダウンしますが、バリーは熱いですね。AGVのヘルメットは高くて買えなかったけど、諸井敬商事から出ていたバリーの真っ赤なグローブはなんとか買えました。色落ちして手が真っ赤になるんですけどね。(笑)
結果的に82年の事故が選手生命のとどめだったかもしれませんね。
懐かしく、サー・バリーの話を聞かせて頂きました。当時の鈴木のマシーンでのレースではコーナーヘの入り時にブレーキを極端に遅くらせて、前のレーサーに追いつく印象が有り非常に上手いライダーとの印象でした。
世界WGPを制した、あの片山敬済さんの肉声を初めて聞けて凄く嬉しいです!今でこそ笑顔で楽しく過ごされているようですが、当時日本人が世界に行くのは稀のなか緊張感やストレスも常に極限状態だったと思います。貴重な歴史のお話を聞かせていただき有難うございます。
80年代の憧れのライダー
笑顔が印象的ですね。竜洋でのRGのテストの写真でも笑顔でしたね。そのメンバーも安良岡さん、阿部さん、なぜかガストンライエさん、荘さんも居ましたね。何人かの方が故人となっていて時代の流れを感じます。
バリーさん懐かしいですねそのあとにロッシがチャンピオンになっても46を着けてましたよね
今回のライダーシリーズはとても面白いです。片山さん、山ちゃんのお人柄がドンと出て、次回も楽しみに待っています。有り難うございます。
片山さんのオットリとした話し方は聞いていて落ち着きますね。人に迷惑かけず自由に楽しく生きる!片山さんの言う通りですね。1度きりの人生楽しく生きていたい😄
いつも楽しみにしています。ずーと憧れの片山選手ですが、いちいち、コメントが凄いです。ちなみに、昔の鉄板のステッカー持ってます。
映画になった76年富士のF1のパドックで見かけました。ジェームズハントと友達で、マクラーレンのパスを持っていたらしい。2輪と4輪の違いはあれ似たような走り、似たような人生を生きた2人のイギリス人レーサーだったような気がします。
ザ ライダー。蘇るヒーロー片山敬済を当時映画館で観ました。劇中、何故かバリーの乗るHBカラーに塗られたRS。色々思い出しました。片山さんからみたバリーシーンのお話、凄く良かったです!ちなみに片山さんは僕の中ではバリーシーンに負けない位ヒーローですよ!!
バリーがホンダに乗ってたんですか?
あ、あれRGBです。アサマって会社のチームでバリーはスズキで他2人はホンダで走るって設定でした。
バリーシーン カッコ良かったねー今のモトGPにバリーの様な存在感を持ったプロフェッショナルライダーはいないよね。プラクティスや予選の終盤にフルバンクで走る前走車のマフラーを握ったりするイタズラもカッコ良かったなフルバンク中に片手離せるところも凄腕を感じさせる!
いつも、貴重なお話しありがとうございます、今でも雨の鈴鹿をぶっちぎりのトップなのにぺースを落とさず最後まで攻めて最終ラップで転んでしまったのをおもいだします、こんなに早いライダーなのに、何でプライベーターで走らせているんだ!と当時思っていましたが、片山さんの話を聞いて、色々な事情があったんだなと理解しました。
鈴鹿じゃなくて、菅生ですよ80年TBCビッグロードレースその走りを見た当時のヤマハの上層部が翌年には、最新型のマシーンをバリーにあたえた(シーズン途中から)
@@立浪政雄 担架で運ばれるバリーに当時のヤマハの社長が「来シーズンは開幕からケニーと同じバイクで走ってもらう」と言ったけど、開幕戦でバリーが乗ったのは型遅れモデルだった。ヤマハが約束を守らなかった事をバリーはずっと忘れなかった。
@@立浪政雄 そうですね、ご指摘ありがとうございます。
@@weekendmen 加えてV4YZR初号機での事故で完全に決裂。
バリー・シーンといえば雨のTBCで最終周の転倒を思い出します。生でテレビで見ていて衝撃的でした。初めてプロライダーの名前を覚えたのはこのときでした(^^。
私は癖っ毛で名前にTAKAがあって、それはコンプレックスでもあったけど、同じ物を持っているのに世界に立って自分らしく生きている日本人片山啓済は、私のヒーローだったなバリーシーンが映画になった時に、なんで片山さんが映画にならないのか?と思ったり、次は片山さんが映画になると確信してた。その位に片山啓済って日本人がカッコよくて憧れたな多分、片山さんに会えたら、今でも感極まるわ
高校生の時!偶然TVで見たTBC ビッグロードレース雨のSUGO🌈圧倒的な走り‼️レーシングライダーになろうと思った瞬間だった✨👦🏻✨
当時、私も小排気量で走ってました。筑波に来られた時、木の実レーシングからジュニア250で出られていたと思います。パドックでお見かけした時カッコ良かったです。ロードレース界のプリンスでしたからね。1コーナーで見ていましたが関東のライダーとは限界が全然違う。良い勉強になりました。レコードまだ持っています。お元気でで何より嬉しいです。
長文、失礼します。友達が、SZUKIのレーサーが好きでバリーの名前を知るきっかけになったのを思い出しました。現役時代のバリー・シーンはどんな人かを知ったのは、「蘇るヒーロー片山敬済」でのバリーと楽しそうに会話している(パンツいっちょがバリーと思ったらマモラでした(見直してよかった(^^;))シーンが最初で最後の出会い。その映画では世界的な有名選手とバイク雑誌の中の静止画の点でしかない地球の裏側の世界を映像として見れた感激。更に外国の選手 (笑)とこんなにも親しげに会話しているんだぁっと片山さんの凄さすらもその映画で初めて知ったそんな学生の頃をも、思い出しました。片山さんファンの友だちに誘われ、この映画で動く (^^;;; 片山さんを見ることができ、Road Raceに興味を持ったことをも思い出しました。。。このyoutubeは奇跡です。。。毎週楽しみに見させてもらっています。。。山ちゃんの表情も一緒に以前のように会話の掛け合いな対談のように映るのはなにか問題が出てしまったのでしょうか・・・更に面白い絵になりそうですが・・・
懐かしい写真と片山さんの話に感動した 戯れる写真を見て「この人たち絶対に速い」と思いましたあとプリンスの当時のモテ話を差し支えない範囲で聞きたいです
B.シーン(GP500)、J.ハント(F1)の子供心を持った天真爛漫な紳士はカッコ良かった。『よっ!、伊達男。』
片山さんのライディングフォームはその時々で違ったのかもしれませんが、いつの頃だったか肩から入るようなスタイルの時があまりにもカッコよくて、しびれたのを思い出します。
片山さ~ん、RTKのステッカー今だにバイクに貼ってます懐かしい~日本のPRIDE1の凄い人です バリーシーン『ミスター7』ですね~~ 両足プレート入れているのに凄い人です、よく走ってる最中にまわり走ってる人にチョッカイだしてるのが面白い
オートバイ博士って🤩もう一度視聴しています☕👍
敬済さんNRのno.5の意味が40数年かかって分かりました。リクエストですが、ホンダワークスのレーサーか漁師かどちらが本業か分からない「故 阿部孝夫」選手を敬済さんもいろいろとエピソードをお持ちだと思いますので是非とも取り上げて下さい。メーカーが0.1g単位でマシンの軽量化を図る中、阿部選手はkg単位で増量しても速いレーサーです。RS125、RS250、NS500、RS1000等何に乗っても速かった。個人的には鈴鹿のドラサロで敬済さんと阿部選手と三人でお茶したことが思い出です。
阿部選手、オレもすっごく聞きたいです!
ザ・ライダーと、同時上映の片山さんのドキュメント映画、中学生の時に映画館で初日に観ましたよ。
やっぱりレースって色んなファクターが働いて成り立ってんだなぁ勝ち負けはライダーの技量だけでは如何ともし難い部分が有るし、その中でチャンピオンを獲るのは至難の業。
このギターは、ギブソンじゃなくてフェンダーでは?バリーシーン懐かしいな。
私はバリー・シーンに憧れてスズキRG50を買うつもりだったのですが、片山さんがNRプロジェクトに参加したのでホンダに寝返りました(笑)(笑)(笑)。
まぁ、敬済さんもNRがまだダメだった時期にホンダの許可得てカスタマーRGに乗ってた事がありましたけどね。
片山選手のサロメライターもご自身で獲得されたスポンサーという記事を読みました。その辺りの逸話も聴きたいです。ホンダレーシングの社長が記事で今年はフレディで行くという発言がありましたね。
フィルリードの奥さま綺麗だったんや👀バリーの奥さまも綺麗でしたよ^ - ^
20年ほど前に品川駅のコンコースで、携帯電話で電話してる片山さんをお見受けしたのが唯一の遭遇体験です。一瞬目が合ったので、握手して貰えばよかったなあって今でも思い出します。
むかし、片山さんがレースをやっていた頃、片山さんがどこかのレース場で、お遊びで8mm回して取材ごっこみたいな事をしているビデオを見た事がありますが、そのビデオで片山さんが流暢な英語でトレーラーから出てきたバリーに何か質問して、二人とも笑っていたのを覚えています。
ヘリのライセンスをバリーが取って買ったから今度乗せてね♪みたいな会話でしたね。『ザ・ライダー』のワンシーンでもこのヘリ出てます♪
片山さんて 、いつも 本当に すごいなー その知識と 経験 人生観哲学に 圧倒されますね❗ そして、 いつも 格好 良すぎ ですねー❗今の お顔も 日本人離れしてますね❗ 誰か F-1 ドライバーに 感じが似てると思ったら あの ニキ ラウダ さん ですかね❗ いつも 命懸け競争していたお方 と ひしひし 伝わってきます。さすが 往年の 世界チャンピオン 重みと 緊張感が、常人 と まるで 違います。色々お話ありがとうございます。お元気で。ハレルヤ
かっこいい‼️
バリーが腕時計を左につけるのが常識だから右につけているって話を雑誌で読んだ当時中学生の私は感動して腕時計は右腕につけてます^_^
ピリピリしたサーキットでおどけてカメラに手を振るバリーが好きでした!今でも自分の草野球のユニフォームは背番号7番です!!バイクと関係なくすいません、、、
神回!!!!!
バリー・シーンはまだ免許も取れない年齢の頃、初めてバイクに興味を引かれ片山さんと共に最初に憧れたライダーでした。当時バリーのレプリカヘルメットが欲しいと思ったものです。少年には手の届かないお値段でしたが。その思いもあり、数年前にAGVから販売されたレプリカを手に入れました。そんな憧れのバリーの話を片山さんから聞けるなんて本当に嬉しいです。ちなみに後ろVサインは、イギリス式のF○CK YOU ! の意味ですよね。笑
1980年はジョニー・チェコットも市販TZで参戦していました。
2輪ではケニー、4輪ではセナの噛ませにされたジョニーw
バリーシーン😃🌈💓
ダンロップは雨に強かったですね。
片山さんの全てのお話が、本当に懐かしくて面白いですそして、当時のことを思い出すとどうしても忘れられない選手が石川岩男選手です片山さんとは接点はあったのでしょうか?
完全にベルシス化したCBFの後釜、DCTは魅力だが、実物見てないんで何ともですが、だいぶ大柄になったような気がします。
の称号は伊達では無いゼッケン[7]バリー🏍
S字を走る後姿は美しい たしか CMにも出たと記憶しております
あの頃のGPライダーフランコウンチーニとかマモラとかヘロンズズキの独自のバイクの話とかスコールバンディットの頃の話とかあったらお願いします
皮肉なことに、バリー:シーンさんは、500㏄クラスでランキング7位にだけはなったことがないんですよね、他は6・5・4・3・2・1位、全部なったことがあるんだけどね(6位と1位だけは2回ネ)動画の中で79’に交換してあげたとおっしゃってますが、交換したのは83’ですね。最後は85’にオーストラリア人の元気の良い青年に「譲らない」って言われて、「んじゃ、ちょうど潮時だし降りるか」ってなって辞めたんだよね。たぶん偶然だろうけど、フォームはV/ロッシに似てるよね。
オーストラリア人の元気の良い青年って、去年MOTO2のチャンピオンに成ったR.G選手のお父さんですよね😜当時、W.G選手のゼッケン7の永久使用をFIMが承認した…なんてフェイクニュースも流れましたね。。🤔
@@安達恭介-g7m そのW•G選手の後釜がシュワンツじゃなかったですか?
バリーシーン!!眉毛!!ケガに負けないアウトロー!!
エバンゲリオンのストラトキャスター、908万円で落札されてますね。
片山さん、Bゼッケン、雨天時の走りは、自信は有りました?
煙草の話ですが、片山さんがある本の中で、ある人に「シーズン中になんで煙草吸っている!!」と言われた時に、「シーズン中は体が代謝しているから煙草を吸ってイイが、オフシーズンは吸わない」と言っていたのを覚えています。
Sorry but I can't understand Japanese. Best wishes from Germany
「バリーシーン」誰それ?てwww小学生の頃「蘇るヒーロー片山敬済」と「THE RIDER」の同時上映を観て憧れて一時は離れたけど未だ続く俺のバイク人生
片山さんだー!
バリーのメットのダックが印象的でした。今は亡きバリーのご冥福をお祈りいたします。
ギターはハッチ?
今回も有り難う御座います。片山さん、バリーの奥さんも語って欲しかった。元モデルで確か、雑誌プレイボーイの表紙を飾る程のスレンダー美人83年アゴスティーニはケニーとバリーを組んで走らせたかったらしいケニーは、自分で見つけたライダー以外なら、自分でチームを作ると言ったと雑誌レーサーズで語っています。次回は、片山さんとデッドヒートを繰り広げたコークバリントンさんを取り上げて下さい。それから、何度かリクエストしている根本健さんもお願いします。
1年我慢してV4YZRを83年から走らせてたらですね、けど他の方のコメにあるように菅生での約束が反故にされた感情的問題があったので難しかったでしょうね。
足が長~い。3点支持(タイヤと膝)でコーナー曲がる。
7番ゼッケンの初期は他のライダーにおねだりしてもらってたのか!
バリー・シーンはヘビースモーカーで後年マルコ・ルッキネリだったかな彼のように禁欲的生活してコースをランニングしても俺の方が速かったぜって言ってたのをよく覚えています
ギブソン? 写真はフェンダーのストラトだね
バリー・シーン、ビリー・シーン。
ビリージーン@MJ
バリー・シーンはトレーラーレース(トレーラーヘッドのみ)にも出場していましたね。何度かテレビで映像が流れていました。「時速300km/hオーバーでの走行は恐くないですか?」の質問に『今(当時)の直進安定性のあるバイクで300km/hで走るのと、昔のストレートも真っ直ぐ走らないバイクで260km/h(?)オーバーでコーナーを走るのどっちが恐いと思う?』と逆質問をした記事が出てました。引退後のインタビューで「ピットでも平気でタバコを吸っていたのは間違いだったね。」、「スパフランコルシャン(ホッケンハイムだったかな)にトイレ(観客用)が1つしかなく、毎年レースの時は長蛇の列を作っていたので、サーキット側に毎年改善をお願いしたけど聞き入れなくて、ある年にバリー・シーン自身がガソリンを掛けて燃やしたそうです。翌年にレースで行くと綺麗なトイレが出来てたそうです。」脊髄パッドに関しても答えていましたが、自身が作った様な返事をしてました。片山さんの名前は出てませんでした。「HBSuzukiのマシンを見て、『スズキにこのマシンをオレに・・』とお願いしたら、翌年そのマシンは同僚に行って、前年同僚が乗っていたマシンがバリー・シーンに来たそうです。」サイクルサウンズに載ってた記事だったと思います。
バリー・シーンは…?伯爵?公爵?の称号の持ち主だったと思います!当時は金持ちの遊びが「レース」だった最後の時代の1人だと思います。シーンとロバーツを比べても?ソレはその後のスペンサーと比べるのと同じだと思います!ロン・ハスラムと言い、「昔の人」ですね!片山敬済さんは!!「長生き」してる!!と思います!!\(^o^)/俺も頑張らないと!!m(_ _)mもう?乗らないのね!!?
まあ、この手の「頑張りすぎるライダー」は嫌いだ。死んじゃったら、泣くぞ。
2輪界の生傷男
山ちゃん、GP500のチャンピオンはクラスチャンピオンって言わないよ。GPチャンピオンないしGP500チャンピオン。2輪の最高峰なんだから。
蘇るヒーロー片山敬済のワンシーンでの片山さんとバリーシーンとの掛け合いが懐かしいです。
バリー・シーンとシュワンツが好きで、スズキのデザインも好きで乗っていました。現在の片山さんを見ることもできて感慨深いです。人生を楽しんでいるのも素晴らしい。
昔、750に乗っていた時に被っていたヘルメットが、サー・バリーのagv製レプリカヘルメットでした。当時、彼には憧れていましたねー。懐かしい。
サー バリー シーン 大好きです。
素晴らしいお話 ありがとうございました
懐かしいバリーの話、ありがとうございます。 当時片山さんのおかげで、いつもパドックをうろうろさせてもらっていました。(当時は僕は原宿でブティックをやっていた人間です)。
NR のデビュー時にも同じピットで見せてもらっていました。 もう一台のNRにはミック・グラントが乗ってましたよね。
つい最近片山さんが出ているこのチャンネルを見つけ、お元気で活躍されているのを知ってとても嬉しく思います。
僕がイギリスからオーストラリアに移ってから数年後にバリーもオーストラリアに引っ越して来たのには驚きました。 理由は身体中に入った金属のおかげで寒いイギリスではだんだん厳しく(リュウマチの様な痛み)なって来たので、暖かいゴールド・コーストに移住を決めたそうです。 タバコ好きのバリーはいつもゴロワーズを吸っていたと記憶してます。
ブランズハッチの耐久レース(1980年だったか?)で(そのレースのために森脇さんや吉村さんもいらっしゃいました)森脇さんがバリーの走り(ヤマハのマシーン)を観て僕に解説してくれたシーンなどを思い出しました。 これからもお元気で楽しい動画をアップ、期待してます。
agvのヘルメットをリペイントしたり、似たようダイネーゼのレザースーツにゼッケン7を付けて走っていたほどに一番大好きなレーサーでした。
なので、早く本題に入ってよ!と、やきもきしながら観ていました。
せっかくライディングフォームのお話も出てきたのだから、雨のレースを得意としていた件を当然含めて、そこをレーサー目線で深堀してよ!とか思ったり。
本当に憧れのライダーでした。
片山敬済さん素晴らしいです。
彼のドキュメント映画の“甦るヒーロー片山敬済”のシーンで、『レースってのは、ボディ、マインド、マシーンの正三角形なんだ。まだ自分はまだ正三角形ではないから、このレースで正三角形を作ってやろうと思う。』
この言葉すごくかっこいいと感じました。
今も、片山さん元気で何よりです
86年TDAカラーのチームカタヤマのRS250がカッコ良くて、当時チームカタヤマメンバーだった鈴木淳さんから翌年譲っていただきました、TZと比べハンドリングがクイックでなかなか苦戦しました、86RSはピストンリードバルブで86TZはクランクリードバルブでエンジン特性、ハンドリングではTZの方が乗り易く、
RSはピーキーでそれなりの腕がないマシンで自分には乗りこなせませんでした、当時のことを懐かしく思います。
チームカタヤマ時代の映像とか有りましたらあげて下さい。
片山さんの語彙力はあるし笑顔だし素晴らしいですね。このシリーズまだまだ続けてくださいね。忘れましたけど37年ほど前RTKを立ち上げた年筑波で片山さんを見かけ緊張しすぎてサインを頼めかった事が悔やまれます。あの時はヤマハのワークスも来ていたな・・・
バリー・シーン。とにかく、ずば抜けてカッコイイ「ライダー」だった。俺にとっては・・・。
そうだったのぉ~
なるほどねぇ~と当時を観ていた頃を思い出しながら酒を飲む
良い話を聞けました
当時のB・シーンの話を片山さんから聞けるなんて❗すごく楽しませて頂きました😁
バリーがフライト前のボディーチェックで体内の金属が反応するので、レントゲン写真を見せて搭乗してた、そんなビデオを見た記憶があります。片山さんは鎖骨骨折の手術後1週間で次のレースに出場して優勝したと聞いております。そこら辺の話を聞いてみたいです。
待ってました!バリーシーンは僕のヒーローです!
事故で死にかけても不死鳥のごとくカムバックして走る姿は感動しました。
ケニーを抜き去り、後ろVサイン。
雨の菅生でブッチギリトップでも手を抜かず全開で駆け抜け転ぶ。
レーサーの生活、地位を少しでも向上させようと活動する姿。
何本骨折しようが、必ず戻ってくるスピリッツ。
とんでもなく美人な奥さん。
なんぼでもスポンサーから金を引っ張ってくる、人たらしな性格。
どれもカッコ良く見えました。
ハッキリ物を言うので、メディアやワークスから敬遠されたなんてありましたが、片山さんの仲間内からのレーサー目線のお話しでは、そんなことないように感じて嬉しく思います。
片山さんとのゼッケン交換の話し、初めて聞きました。これは貴重です。
とにかく、僕はバリーシーンのおかげで今の自分があります。
今回はスペシャルなお話し、ありがとうございました❗
雨の菅生はTBCビッグロードレースですね。トップで走ってフロントがパンクして転倒しました。ケニーだと勝ちを意識するとペースダウンしますが、バリーは熱いですね。
AGVのヘルメットは高くて買えなかったけど、諸井敬商事から出ていたバリーの真っ赤なグローブはなんとか買えました。色落ちして手が真っ赤になるんですけどね。(笑)
結果的に82年の事故が選手生命のとどめだったかもしれませんね。
懐かしく、サー・バリーの話を聞かせて頂きました。当時の鈴木のマシーンでのレース
ではコーナーヘの入り時にブレーキを極端に遅くらせて、前のレーサーに追いつく印象が
有り非常に上手いライダーとの印象でした。
世界WGPを制した、あの片山敬済さんの肉声を初めて聞けて凄く嬉しいです!今でこそ笑顔で楽しく過ごされているようですが、当時日本人が世界に行くのは稀のなか緊張感やストレスも常に極限状態だったと思います。貴重な歴史のお話を聞かせていただき有難うございます。
80年代の憧れのライダー
笑顔が印象的ですね。
竜洋でのRGのテストの写真でも笑顔でしたね。
そのメンバーも安良岡さん、阿部さん、なぜかガストンライエさん、荘さんも居ましたね。
何人かの方が故人となっていて時代の流れを感じます。
バリーさん懐かしいですね
そのあとに
ロッシがチャンピオンになっても46を着けてましたよね
今回のライダーシリーズはとても面白いです。片山さん、山ちゃんのお人柄がドンと出て、次回も楽しみに待っています。有り難うございます。
片山さんのオットリとした話し方は聞いていて落ち着きますね。人に迷惑かけず自由に楽しく生きる!片山さんの言う通りですね。1度きりの人生楽しく生きていたい😄
いつも楽しみにしています。ずーと憧れの片山選手ですが、いちいち、コメントが凄いです。
ちなみに、昔の鉄板のステッカー持ってます。
映画になった76年富士のF1のパドックで見かけました。ジェームズハントと友達で、マクラーレンのパスを持っていたらしい。2輪と4輪の違いはあれ似たような走り、似たような人生を生きた2人のイギリス人レーサーだったような気がします。
ザ ライダー。蘇るヒーロー片山敬済を当時映画館で観ました。
劇中、何故かバリーの乗るHBカラーに塗られたRS。色々思い出しました。
片山さんからみたバリーシーンのお話、凄く良かったです!
ちなみに片山さんは僕の中ではバリーシーンに負けない位ヒーローですよ!!
バリーがホンダに乗ってたんですか?
あ、あれRGBです。
アサマって会社のチームでバリーはスズキで他2人はホンダで走るって設定でした。
バリーシーン カッコ良かったねー
今のモトGPにバリーの様な存在感を持ったプロフェッショナルライダーはいないよね。
プラクティスや予選の終盤にフルバンクで走る前走車のマフラーを握ったりするイタズラもカッコ良かったな
フルバンク中に片手離せるところも
凄腕を感じさせる!
いつも、貴重なお話しありがとうございます、今でも雨の鈴鹿をぶっちぎりのトップなのにぺースを落とさず最後まで攻めて
最終ラップで転んでしまったのをおもいだします、こんなに早いライダーなのに、何でプライベーターで走らせているんだ!
と当時思っていましたが、片山さんの話を聞いて、色々な事情があったんだなと理解しました。
鈴鹿じゃなくて、菅生ですよ
80年TBCビッグロードレース
その走りを見た当時のヤマハの上層部が翌年には、最新型のマシーンをバリーにあたえた(シーズン途中から)
@@立浪政雄 担架で運ばれるバリーに当時のヤマハの社長が「来シーズンは開幕からケニーと同じバイクで走ってもらう」と言ったけど、開幕戦でバリーが乗ったのは型遅れモデルだった。
ヤマハが約束を守らなかった事をバリーはずっと忘れなかった。
@@立浪政雄 そうですね、ご指摘ありがとうございます。
@@weekendmen
加えてV4YZR初号機での事故で完全に決裂。
バリー・シーンといえば雨のTBCで最終周の転倒を思い出します。
生でテレビで見ていて衝撃的でした。
初めてプロライダーの名前を覚えたのはこのときでした(^^。
私は癖っ毛で名前にTAKAがあって、それはコンプレックスでもあったけど、同じ物を持っているのに世界に立って自分らしく生きている日本人片山啓済は、私のヒーローだったな
バリーシーンが映画になった時に、なんで片山さんが映画にならないのか?と思ったり、次は片山さんが映画になると確信してた。
その位に片山啓済って日本人がカッコよくて憧れたな
多分、片山さんに会えたら、今でも感極まるわ
高校生の時!偶然TVで見たTBC ビッグロードレース雨のSUGO🌈圧倒的な走り‼️レーシングライダーになろうと思った瞬間だった✨👦🏻✨
当時、私も小排気量で走ってました。筑波に来られた時、木の実レーシングからジュニア250で出られていたと思います。パドックでお見かけした時カッコ良かったです。ロードレース界のプリンスでしたからね。1コーナーで見ていましたが関東のライダーとは限界が全然違う。良い勉強になりました。レコードまだ持っています。お元気でで何より嬉しいです。
長文、失礼します。
友達が、SZUKIのレーサーが好きでバリーの名前を知るきっかけになったのを思い出しました。現役時代のバリー・シーンはどんな人かを知ったのは、「蘇るヒーロー片山敬済」でのバリーと楽しそうに会話している(パンツいっちょがバリーと思ったらマモラでした(見直してよかった(^^;))シーンが最初で最後の出会い。その映画では世界的な有名選手とバイク雑誌の中の静止画の点でしかない地球の裏側の世界を映像として見れた感激。更に外国の選手 (笑)とこんなにも親しげに会話しているんだぁっと片山さんの凄さすらもその映画で初めて知ったそんな学生の頃をも、思い出しました。
片山さんファンの友だちに誘われ、この映画で動く (^^;;; 片山さんを見ることができ、Road Raceに興味を持ったことをも思い出しました。。。
このyoutubeは奇跡です。。。毎週楽しみに見させてもらっています。。。
山ちゃんの表情も一緒に以前のように会話の掛け合いな対談のように映るのはなにか問題が出てしまったのでしょうか・・・更に面白い絵になりそうですが・・・
懐かしい写真と片山さんの話に感動した 戯れる写真を見て「この人たち絶対に速い」と思いました
あとプリンスの当時のモテ話を差し支えない範囲で聞きたいです
B.シーン(GP500)、J.ハント(F1)の子供心を持った天真爛漫な紳士はカッコ良かった。『よっ!、伊達男。』
片山さんのライディングフォームはその時々で違ったのかもしれませんが、いつの頃だったか肩から入るようなスタイルの時があまりにもカッコよくて、しびれたのを思い出します。
片山さ~ん、RTKのステッカー今だにバイクに貼ってます懐かしい~日本のPRIDE1の凄い人です バリーシーン『ミスター7』ですね~~ 両足プレート入れているのに凄い人です、よく走ってる最中にまわり走ってる人にチョッカイだしてるのが面白い
オートバイ博士って🤩もう一度視聴しています☕👍
敬済さんNRのno.5の意味が40数年かかって分かりました。
リクエストですが、ホンダワークスのレーサーか漁師かどちらが本業か分からない「故 阿部孝夫」選手を敬済さんもいろいろとエピソードをお持ちだと思いますので是非とも取り上げて下さい。
メーカーが0.1g単位でマシンの軽量化を図る中、阿部選手はkg単位で増量しても速いレーサーです。
RS125、RS250、NS500、RS1000等何に乗っても速かった。
個人的には鈴鹿のドラサロで敬済さんと阿部選手と三人でお茶したことが思い出です。
阿部選手、オレもすっごく聞きたいです!
ザ・ライダーと、同時上映の片山さんのドキュメント映画、中学生の時に映画館で初日に観ましたよ。
やっぱりレースって色んなファクターが働いて成り立ってんだなぁ勝ち負けはライダーの技量だけでは如何ともし難い部分が有るし、その中でチャンピオンを獲るのは至難の業。
このギターは、ギブソンじゃなくてフェンダーでは?
バリーシーン懐かしいな。
私はバリー・シーンに憧れてスズキRG50を買うつもりだったのですが、片山さんがNRプロジェクトに参加したのでホンダに寝返りました(笑)(笑)(笑)。
まぁ、敬済さんもNRがまだダメだった時期にホンダの許可得てカスタマーRGに乗ってた事がありましたけどね。
片山選手のサロメライターもご自身で獲得されたスポンサーという記事を読みました。その辺りの逸話も聴きたいです。
ホンダレーシングの社長が記事で
今年はフレディで行くという発言がありましたね。
フィルリードの奥さま綺麗だったんや👀バリーの奥さまも綺麗でしたよ^ - ^
20年ほど前に品川駅のコンコースで、携帯電話で電話してる片山さんをお見受けしたのが唯一の遭遇体験です。一瞬目が合ったので、握手して貰えばよかったなあって今でも思い出します。
むかし、片山さんがレースをやっていた頃、片山さんがどこかのレース場で、お遊びで8mm回して取材ごっこみたいな事をしているビデオを見た事がありますが、そのビデオで片山さんが流暢な英語でトレーラーから出てきたバリーに何か質問して、二人とも笑っていたのを覚えています。
ヘリのライセンスをバリーが取って買ったから今度乗せてね♪みたいな会話でしたね。
『ザ・ライダー』のワンシーンでもこのヘリ出てます♪
片山さんて 、いつも 本当に すごいなー その知識と 経験 人生観哲学に 圧倒されますね❗ そして、
いつも
格好 良すぎ ですねー❗今の お顔も 日本人離れしてますね❗ 誰か F-1 ドライバーに 感じが似てると思ったら あの ニキ ラウダ さん ですかね❗ いつも 命懸け競争していたお方 と ひしひし 伝わってきます。さすが 往年の 世界チャンピオン 重みと 緊張感が、常人 と まるで 違います。色々お話ありがとうございます。お元気で。ハレルヤ
かっこいい‼️
バリーが腕時計を左につけるのが常識だから右につけているって話を雑誌で読んだ当時中学生の私は感動して腕時計は右腕につけてます^_^
ピリピリしたサーキットでおどけてカメラに手を振るバリーが好きでした!
今でも自分の草野球のユニフォームは背番号7番です!!
バイクと関係なくすいません、、、
神回!!!!!
バリー・シーンはまだ免許も取れない年齢の頃、初めてバイクに興味を引かれ片山さんと共に最初に憧れたライダーでした。
当時バリーのレプリカヘルメットが欲しいと思ったものです。少年には手の届かないお値段でしたが。
その思いもあり、数年前にAGVから販売されたレプリカを手に入れました。
そんな憧れのバリーの話を片山さんから聞けるなんて本当に嬉しいです。
ちなみに後ろVサインは、イギリス式のF○CK YOU ! の意味ですよね。笑
1980年はジョニー・チェコットも市販TZで参戦していました。
2輪ではケニー、4輪ではセナの噛ませにされたジョニーw
バリーシーン😃🌈💓
ダンロップは雨に強かったですね。
片山さんの全てのお話が、本当に懐かしくて面白いです
そして、当時のことを思い出すとどうしても忘れられない選手が石川岩男選手です
片山さんとは接点はあったのでしょうか?
完全にベルシス化したCBFの後釜、DCTは魅力だが、実物見てないんで何ともですが、だいぶ大柄になったような気がします。
の称号は伊達では無いゼッケン[7]バリー🏍
S字を走る後姿は美しい
たしか CMにも出たと記憶しております
あの頃のGPライダーフランコウンチーニとかマモラとかヘロンズズキの独自のバイクの話とかスコールバンディットの頃の話とかあったらお願いします
皮肉なことに、バリー:シーンさんは、500㏄クラスでランキング7位にだけはなったことがないんですよね、他は6・5・4・3・2・1位、全部なったことがあるんだけどね(6位と1位だけは2回ネ)動画の中で79’に交換してあげたとおっしゃってますが、交換したのは83’ですね。
最後は85’にオーストラリア人の元気の良い青年に「譲らない」って言われて、「んじゃ、ちょうど潮時だし降りるか」ってなって辞めたんだよね。
たぶん偶然だろうけど、フォームはV/ロッシに似てるよね。
オーストラリア人の元気の良い青年って、去年MOTO2のチャンピオンに成ったR.G選手のお父さんですよね😜
当時、W.G選手のゼッケン7の永久使用をFIMが承認した…なんてフェイクニュースも流れましたね。。🤔
@@安達恭介-g7m
そのW•G選手の後釜がシュワンツじゃなかったですか?
バリーシーン!!眉毛!!ケガに負けないアウトロー!!
エバンゲリオンのストラトキャスター、908万円で落札されてますね。
片山さん、Bゼッケン、雨天時の走りは、自信は有りました?
煙草の話ですが、片山さんがある本の中で、ある人に「シーズン中になんで煙草吸っている!!」と言われた時に、「シーズン中は体が代謝しているから煙草を吸ってイイが、オフシーズンは吸わない」と言っていたのを覚えています。
Sorry but I can't understand Japanese.
Best wishes from Germany
「バリーシーン」誰それ?てwww
小学生の頃「蘇るヒーロー片山敬済」と「THE RIDER」の同時上映を観て憧れて
一時は離れたけど未だ続く俺のバイク人生
片山さんだー!
バリーのメットのダックが印象的でした。今は亡きバリーのご冥福をお祈りいたします。
ギターはハッチ?
今回も有り難う御座います。
片山さん、バリーの奥さんも語って欲しかった。元モデルで確か、雑誌プレイボーイの表紙を飾る程のスレンダー美人
83年アゴスティーニはケニーとバリーを組んで走らせたかったらしい
ケニーは、自分で見つけたライダー以外なら、自分でチームを作ると言ったと
雑誌レーサーズで語っています。
次回は、片山さんとデッドヒートを繰り広げたコークバリントンさんを取り上げて下さい。それから、何度かリクエストしている根本健さんもお願いします。
1年我慢してV4YZRを83年から走らせてたらですね、けど他の方のコメにあるように菅生での約束が反故にされた感情的問題があったので難しかったでしょうね。
足が長~い。3点支持(タイヤと膝)でコーナー曲がる。
7番ゼッケンの初期は他のライダーにおねだりしてもらってたのか!
バリー・シーンはヘビースモーカーで後年マルコ・ルッキネリだったかな彼のように禁欲的生活してコースをランニングしても俺の方が速かったぜって言ってたのをよく覚えています
ギブソン? 写真はフェンダーのストラトだね
バリー・シーン、ビリー・シーン。
ビリージーン@MJ
バリー・シーンはトレーラーレース(トレーラーヘッドのみ)にも出場していましたね。
何度かテレビで映像が流れていました。
「時速300km/hオーバーでの走行は恐くないですか?」の質問に
『今(当時)の直進安定性のあるバイクで300km/hで走るのと、昔のストレートも真っ直ぐ走らないバイクで260km/h(?)オーバーでコーナーを走るのどっちが恐いと思う?』と逆質問をした記事が出てました。
引退後のインタビューで
「ピットでも平気でタバコを吸っていたのは間違いだったね。」、
「スパフランコルシャン(ホッケンハイムだったかな)にトイレ(観客用)が1つしかなく、
毎年レースの時は長蛇の列を作っていたので、サーキット側に毎年改善をお願いしたけど聞き入れなくて、
ある年にバリー・シーン自身がガソリンを掛けて燃やしたそうです。
翌年にレースで行くと綺麗なトイレが出来てたそうです。」
脊髄パッドに関しても答えていましたが、自身が作った様な返事をしてました。片山さんの名前は出てませんでした。
「HBSuzukiのマシンを見て、『スズキにこのマシンをオレに・・』とお願いしたら、翌年そのマシンは同僚に行って、
前年同僚が乗っていたマシンがバリー・シーンに来たそうです。」
サイクルサウンズに載ってた記事だったと思います。
バリー・シーンは…?伯爵?公爵?の称号の持ち主だったと思います!当時は金持ちの遊びが「レース」だった最後の時代の1人だと思います。シーンとロバーツを比べても?ソレはその後のスペンサーと比べるのと同じだと思います!ロン・ハスラムと言い、「昔の人」ですね!片山敬済さんは!!「長生き」してる!!と思います!!\(^o^)/俺も頑張らないと!!m(_ _)mもう?乗らないのね!!?
まあ、この手の「頑張りすぎるライダー」は嫌いだ。
死んじゃったら、泣くぞ。
2輪界の生傷男
山ちゃん、GP500のチャンピオンはクラスチャンピオンって言わないよ。
GPチャンピオンないしGP500チャンピオン。2輪の最高峰なんだから。