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やっぱり甫庵先生って有能だわw
地元民です。取り上げて頂きありがとうございます❗様々な見解が有るのも大変結構だと思いますよ。昔の事ですし。語り伝えられた事には何かしら意味が有るものです。磔の図は頭が下が正しいようです。
甫庵信長記を予想できるようになってきた笑相変わらず甫庵先生の物語は劇的で面白いなぁ辞世の句を作るなんてさすがだぜ!
プロイセンの髑髏マークみたいな「磔をも恐れず死闘する」という意味の旗指し物に、後付で物語がついたのかな?
いつの時代も、みんな物語とヒーローを求めてるのかもしれませんね。
歴史のスピン-オフ、多角的視点で少し違うストーリーになってくる話し。メッチャ好き❤
甫庵先生、やっぱり一流の物語クリエイターだなぁw
8:18初版には無いのに二版以降に書き足しといえば、アメリカ初代大統領の伝記。桜の木のエピソードは四版まで無かったけど五版から登場した。
もう書かれてたけど、楚荘王が宋を囲んだ戦いの時に晋から使者(援軍が来るという「嘘っぱちの」伝令)として赴き捕まった解揚って勇者と、エピソードが似通ってるのが趣深いんだよな。歴史は歴史、物語は物語と、どちらも楽しめるようにありたいね。
二次創作のサイドストーリーがいつの間にか公式認定されてたみたいなもんか
楚の荘王と解揚の話を元に創作したのでは?その話では援軍は嘘だったし解揚は切られずに解放されましたが。
いつも面白い動画ありがとうございます😊。事実を検証すると如何に昔の人がいい加減盛っているか分かりました。これからも応援しますがんばってください
毎度実に興味深いです。挙げられているように強右衛門の話は細部が異なる話が少なからずあって、いかにも軍記講談の盛られた話っぽいのですが、モデルになった忠勇の士がいたことは信じたいですね。
この磔話は子供の頃から「これは盛ったな」と思っていました。「磔にされてる奴が『援軍はこないぞ』と言っても言わされてるのバレバレじゃん…」と思ったので。これは私は歴史漫画の1シーンで見たので余計にそう感じたのでしょう、絵とか映像で見ると違和感バリバリなのが簡単に判りますw
ついにこれを!勇気有りますね!
甫庵先生、物語を創る人間としては最高ではあるね史書として扱わなきゃいいんですよね…
司馬先生の先駆けだよねある意味
逸話としては後世の創作というよりわりとリアルタイムで早い時期に成立してたっぽいんですかね家康配下の人々がこういった伝説を語って理想の三河武士像を作り上げていったかと思うと面白いです
まぁ確かに勝頼に対して「援軍が来る」なんて機密事項を白状を忠義の士ならしないだろうし、仮にしたとしても「援軍に対する対策」を講じるだろうと考えれば創作ということに気付くべきだったと思う。それにしても霊夢の後頭部は初めて観たw
「はい、解散」でワラタw
ご先祖様の同僚忍藩分限帳に鳥居強右衛門(十四代)の名前があり、代々世襲となっています。石高は五百石 内百石御足高 御勝手者中掛合で、家老職の末席となっていますね。
先祖が下級武士だったのを考えたら凄い出世。
1609年じゃまた権現様になってないからねぇ
この話を初めて読んだ時、なんで貼り付け状態で叫ばせるんだ?それじゃ「援軍は来ない」と呼びかけても武田側に脅されて強制的に言わされてる感満載だろ!と思ってなんだか変な話だなと思った。
益々甫庵先生を尊敬。すげ〜ヤシだなまったく。
甫庵先生、俺は好きだけどな。自身の仕官と言う欲塗れの江源武鑑の源内先生と違って、純粋に「この方が面白いじゃん」で筆を弄んでる感じだし。大体、甫庵先生と聞けば「はいサヨナラ」になるから実害も少ない。逆に源内先生の方はネットでまさかの復活を遂げてるのがね…。
史料云々は兎に角、物語は感動です。
2023年6月4日にこの動画を見に来るバカがここに。
伝令のために鳥居強右衛門とペアで長篠城を脱出したというもうひとりの人物・鈴木金七(金七郎)さんのことも忘れないであげてください。彼は、岡崎城にたどり着いたあとは長篠城へ戻らず帰農したとのこと(後に、奥平松平のお殿様から禄を与えられたそうで。)で、強右衛門に比べると現実的で「物語」よりは地味ながらも「歴史」なのかなーと。しかしまぁ、歴オタにとっては「一次資料持って来い。話はそれからだ」という具合でしょうから、これも地域に伝わる「伝説」に過ぎないのでしょうね。
このチャンネルのせいで、信長や信玄のイメージが、ずいぶん変わってしまったよ。ありがとう。
鳥居強右衛門勝商殿の末裔等を、お願いします。
甫庵先生のような人気歴史小説家が一般に広めなければ研究家と重度の歴オタしか知らないマイナーネタだった可能性も。
関ヶ原の戦いの後の処刑前の石田三成に対面した人物のエピソード集みたい。対面する登場人物、話によってバラバラだったりするから。
もう牛一氏が注釈付けた甫庵信長記を大手から出版するべきハードカバーで万円なら即買いますよ今年はナボコフで5万円ぐらい使ったし稼いでますから。
たしか武田が放った火矢で兵糧蔵が燃えてしまい。本丸のわずかな兵糧しかない状態になったから援軍を要請しに行ったとか聞いたことがあるが・・・・
何回見ても鳥居右右衛門の勇姿は泣いちゃう、まさにヒーロー。
強右衛門の叫びにブチ切れて斬る方が室町人っぽいと思う。あと生きてる間に磔にされたとは限らないのでは?磔と言うのは見せしめみたいな意味合いのもので脅しみたいなものだから城に大声で伝えに言った強右衛門を切り捨てにした後、死体を磔にしたというのがなんとなく個人的にしっくり来る。後単純に磔にされてる状態で大声で叫んで城に声が届くのか?と言う問題もある声が届くってことは鉄砲や弓矢の射程内でもあるから鉄砲の有効射程が500mで人の声が届く範囲は実験によると平地で180mらしい。だとすると鉄砲の有効射程に入ってのそのそ磔などしただろうか?もちろん当時の銃の命中精度は低いから当たる確率は低かっただろうけど声の届く範囲180mまで接近するとなるとかなりの至近距離だ。城に銃の名手などがいたら必殺の射程である。仮に声が届いたとして磔で殺されそうなやつが援軍が来ないぞと叫んでそれを信じるだろうか?とも思う。狼煙をあげてるところでひっつかまったか斬られたという可能性もある。伝書鳩があったら死ななくて済んだのにね強右衛門
磔の絵が上下逆では? と思ったけど,26:18で正しい向きが出てた.
甫庵先生は歴史小説家としては一流だと思う(笑)
「そんなやつは居なかった」じゃなくて「それっぽいことがあった可能性がある」で済んだだけマシだけれどもその程度だとやっぱり史実として扱うには微妙ですなぁ…でもお話としては面白いからこれからも戦国エピソードとしていつまでも語り継がれるだろう
1.磔は言わされている感があって降伏開城の勧告として効果的でないかもしれない。乱暴な扱いを受けていないとアピールさせたほうが良いかもしれない。状況による。2.兵糧説と猛攻説は両方かもしれない。3.「援軍来ず」の虚報は強右衛門から言い出した可能性がある。命を賭して「援軍が来る」と言ってしまう可能性もあるので武田側としてはリスクがある。徳川方の後詰情報を知らなかったはずがない。強右衛門が裏切らないと確信させる強い進言でなければ武田側はOKしなかったことが十分に考えられる。捕まった場合はどう行動するかも事前に決めておかねば動揺で武田方をだます芝居はできません。強右衛門は武田方とヘラヘラ交渉し、最初から斬られる覚悟を以て騙しきり、斬られたという磔説の上をいく感動物語だと思います。作り話であれば子孫が当時恥をかいたはずですし。
うぽつです。一次資料にない人物とは知りませんでした。三河物語も徳川家に都合が悪い部分は、ボカシやカットされていたり、誇張の部分もあるから史料として使うのをためらう歴史学者もおられます。三河物語冒頭の書き出しは、槍一筋で生きてきた武闘派徳川家臣大久保忠教の心の叫び。だから武闘派徳川家臣は彼に共感して三河物語を書き写していったと思っています。
話は創作ではあるにしても、核になってるのは鳥居強右衛門の武功あっての強右衛門の名を継ぐ一族が家老家になったって事実だから、鳥居スネ右衛門が武功を立てた、ってことは間違いないとおもう、一族が代々スネ右衛門を名乗ってるのに、いない、はないよW一族が名前を知らない間違って代々名乗ってたとしたら、それはそれで一字違いでも面白いが あと三河物語大久保ェェェWホアン先生はうっかり八兵衛レベルのマスコットキャラホアン先生が出てきただけで、みんな、ニヤリとしてるとおもうんだよW、ああ、またやっちゃいましたかってW
小瀬甫庵史観
甫庵信長記!!・・・はい、解散www
ハミ毛が気になってしょうがねえリスペクトしてるならもうちょっと格好よく描いてあげて
FFのハスケさんがコスプレしてるひとだ(笑)
1コマ
さすが上総介さま
あの磔の絵って誰が書いたんだっけ……。そうそう、その落合が実見して書いた…………わけじゃないんだ!?あるとしたら、見せしめのために磔にされたのを見た、という程度か。
すねえもんがいなかったら沓掛城はおちていた.歴史は変わってた。歴史を変えた切り札。すばらしい。
伝説でいいじゃないですか。ロマンですよ。にしても鉄道の駅まで建てちゃうんですからすごいね
フスカル「町そのものがメルヘンの舞台になることだ」
あ、なるほどw
強右衛門の子孫や末裔は何も記録してないのかな?家を実質格上げした先祖の事くらい記録に残しといてもよさそうなもんだが・・・
三國志の閻温という人のエピソードが、鳥居強右衛門と酷似してるので、三國志からパクった創作だと思ってた
やっぱり甫庵先生って有能だわw
地元民です。取り上げて頂きありがとうございます❗様々な見解が有るのも大変結構だと思いますよ。昔の事ですし。語り伝えられた事には何かしら意味が有るものです。磔の図は頭が下が正しいようです。
甫庵信長記を予想できるようになってきた笑
相変わらず甫庵先生の物語は劇的で面白いなぁ
辞世の句を作るなんてさすがだぜ!
プロイセンの髑髏マークみたいな「磔をも恐れず死闘する」という意味の旗指し物に、後付で物語がついたのかな?
いつの時代も、みんな物語とヒーローを求めてるのかもしれませんね。
歴史のスピン-オフ、多角的視点で少し違うストーリーになってくる話し。メッチャ好き❤
甫庵先生、やっぱり一流の物語クリエイターだなぁw
8:18
初版には無いのに二版以降に書き足しといえば、アメリカ初代大統領の伝記。桜の木のエピソードは四版まで無かったけど五版から登場した。
もう書かれてたけど、楚荘王が宋を囲んだ戦いの時に晋から使者(援軍が来るという「嘘っぱちの」伝令)として赴き捕まった解揚って勇者と、エピソードが似通ってるのが趣深いんだよな。
歴史は歴史、物語は物語と、どちらも楽しめるようにありたいね。
二次創作のサイドストーリーがいつの間にか公式認定されてたみたいなもんか
楚の荘王と解揚の話を元に創作したのでは?その話では援軍は嘘だったし解揚は切られずに解放されましたが。
いつも面白い動画ありがとうございます😊。事実を検証すると如何に昔の人がいい加減盛っているか分かりました。これからも応援しますがんばってください
毎度実に興味深いです。挙げられているように強右衛門の話は細部が異なる話が少なからずあって、いかにも軍記講談の盛られた話っぽいのですが、モデルになった忠勇の士がいたことは信じたいですね。
この磔話は子供の頃から「これは盛ったな」と思っていました。「磔にされてる奴が『援軍はこないぞ』と言っても言わされてるのバレバレじゃん…」と思ったので。
これは私は歴史漫画の1シーンで見たので余計にそう感じたのでしょう、絵とか映像で見ると違和感バリバリなのが簡単に判りますw
ついにこれを!勇気有りますね!
甫庵先生、物語を創る人間としては最高ではあるね
史書として扱わなきゃいいんですよね…
司馬先生の先駆けだよねある意味
逸話としては後世の創作というよりわりとリアルタイムで早い時期に成立してたっぽいんですかね
家康配下の人々がこういった伝説を語って理想の三河武士像を作り上げていったかと思うと面白いです
まぁ確かに勝頼に対して「援軍が来る」なんて機密事項を白状を忠義の士ならしないだろうし、仮にしたとしても「援軍に対する対策」を講じるだろうと考えれば創作ということに気付くべきだったと思う。
それにしても霊夢の後頭部は初めて観たw
「はい、解散」でワラタw
ご先祖様の同僚
忍藩分限帳に鳥居強右衛門(十四代)の名前があり、代々世襲となっています。
石高は五百石 内百石御足高 御勝手者中掛合で、家老職の末席となっていますね。
先祖が下級武士だったのを考えたら凄い出世。
1609年じゃまた権現様になってないからねぇ
この話を初めて読んだ時、なんで貼り付け状態で叫ばせるんだ?
それじゃ「援軍は来ない」と呼びかけても武田側に脅されて強制的に言わされてる感満載だろ!
と思ってなんだか変な話だなと思った。
益々
甫庵先生を尊敬。
すげ〜ヤシだなまったく。
甫庵先生、俺は好きだけどな。自身の仕官と言う欲塗れの江源武鑑の源内先生と違って、純粋に「この方が面白いじゃん」で筆を弄んでる感じだし。大体、甫庵先生と聞けば「はいサヨナラ」になるから実害も少ない。逆に源内先生の方はネットでまさかの復活を遂げてるのがね…。
史料云々は兎に角、物語は感動です。
2023年6月4日にこの動画を見に来るバカがここに。
伝令のために鳥居強右衛門とペアで長篠城を脱出したというもうひとりの人物・鈴木金七(金七郎)さんのことも忘れないであげてください。
彼は、岡崎城にたどり着いたあとは長篠城へ戻らず帰農したとのこと(後に、奥平松平のお殿様から禄を与えられたそうで。)で、強右衛門に比べると現実的で「物語」よりは地味ながらも「歴史」なのかなーと。
しかしまぁ、歴オタにとっては「一次資料持って来い。話はそれからだ」という具合でしょうから、これも地域に伝わる「伝説」に過ぎないのでしょうね。
このチャンネルのせいで、信長や信玄のイメージが、ずいぶん変わってしまったよ。
ありがとう。
鳥居強右衛門勝商殿の末裔等を、お願いします。
甫庵先生のような人気歴史小説家が一般に広めなければ研究家と重度の歴オタしか知らないマイナーネタだった可能性も。
関ヶ原の戦いの後の処刑前の石田三成に対面した人物のエピソード集みたい。
対面する登場人物、話によってバラバラだったりするから。
もう牛一氏が注釈付けた
甫庵信長記を大手から出版するべき
ハードカバーで万円なら即買いますよ
今年はナボコフで5万円ぐらい使ったし
稼いでますから。
たしか武田が放った火矢で兵糧蔵が燃えてしまい。本丸のわずかな兵糧しかない状態になったから援軍を要請しに行ったとか聞いたことがあるが・・・・
何回見ても鳥居右右衛門の勇姿は泣いちゃう、まさにヒーロー。
強右衛門の叫びにブチ切れて斬る方が室町人っぽいと思う。
あと生きてる間に磔にされたとは限らないのでは?
磔と言うのは見せしめみたいな意味合いのもので脅しみたいなものだから
城に大声で伝えに言った強右衛門を切り捨てにした後、死体を磔にした
というのがなんとなく個人的にしっくり来る。
後単純に磔にされてる状態で大声で叫んで城に声が届くのか?と言う問題
もある声が届くってことは鉄砲や弓矢の射程内でもあるから鉄砲の有効射程が
500mで人の声が届く範囲は実験によると平地で180mらしい。
だとすると鉄砲の有効射程に入ってのそのそ磔などしただろうか?
もちろん当時の銃の命中精度は低いから当たる確率は低かっただろうけど
声の届く範囲180mまで接近するとなるとかなりの至近距離だ。
城に銃の名手などがいたら必殺の射程である。
仮に声が届いたとして磔で殺されそうなやつが援軍が来ないぞと叫んでそれを
信じるだろうか?とも思う。
狼煙をあげてるところでひっつかまったか斬られたという可能性もある。
伝書鳩があったら死ななくて済んだのにね強右衛門
磔の絵が上下逆では? と思ったけど,26:18で正しい向きが出てた.
甫庵先生は歴史小説家としては一流だと思う(笑)
「そんなやつは居なかった」じゃなくて
「それっぽいことがあった可能性がある」で済んだだけマシだけれども
その程度だとやっぱり史実として扱うには微妙ですなぁ…
でもお話としては面白いからこれからも戦国エピソードとしていつまでも語り継がれるだろう
1.磔は言わされている感があって降伏開城の勧告として効果的でないかもしれない。乱暴な扱いを受けていないとアピールさせたほうが良いかもしれない。状況による。
2.兵糧説と猛攻説は両方かもしれない。
3.「援軍来ず」の虚報は強右衛門から言い出した可能性がある。命を賭して「援軍が来る」と言ってしまう可能性もあるので武田側としてはリスクがある。徳川方の後詰情報を知らなかったはずがない。強右衛門が裏切らないと確信させる強い進言でなければ武田側はOKしなかったことが十分に考えられる。
捕まった場合はどう行動するかも事前に決めておかねば動揺で武田方をだます芝居はできません。強右衛門は武田方とヘラヘラ交渉し、最初から斬られる覚悟を以て騙しきり、斬られたという磔説の上をいく感動物語だと思います。作り話であれば子孫が当時恥をかいたはずですし。
うぽつです。一次資料にない人物とは知りませんでした。三河物語も徳川家に都合が悪い部分は、ボカシやカットされていたり、
誇張の部分もあるから史料として使うのをためらう歴史学者もおられます。
三河物語冒頭の書き出しは、槍一筋で生きてきた武闘派徳川家臣大久保忠教の心の叫び。
だから武闘派徳川家臣は彼に共感して三河物語を書き写していったと思っています。
話は創作ではあるにしても、核になってるのは鳥居強右衛門の武功あっての強右衛門の名を継ぐ一族が家老家になったって事実だから、
鳥居スネ右衛門が武功を立てた、ってことは間違いないとおもう、一族が代々スネ右衛門を名乗ってるのに、いない、はないよW
一族が名前を知らない間違って代々名乗ってたとしたら、それはそれで一字違いでも面白いが あと三河物語大久保ェェェWホアン先生はうっかり八兵衛レベルのマスコットキャラ
ホアン先生が出てきただけで、みんな、ニヤリとしてるとおもうんだよW、ああ、またやっちゃいましたかってW
小瀬甫庵史観
甫庵信長記!!・・・はい、解散www
ハミ毛が気になってしょうがねえ
リスペクトしてるならもうちょっと格好よく描いてあげて
FFのハスケさんがコスプレしてるひとだ(笑)
1コマ
さすが上総介さま
あの磔の絵って誰が書いたんだっけ……。そうそう、その落合が実見して書いた…………わけじゃないんだ!?
あるとしたら、見せしめのために磔にされたのを見た、という程度か。
すねえもんがいなかったら沓掛城はおちていた.歴史は変わってた。歴史を変えた切り札。すばらしい。
伝説でいいじゃないですか。ロマンですよ。にしても鉄道の駅まで建てちゃうんですからすごいね
フスカル「町そのものがメルヘンの舞台になることだ」
あ、なるほどw
強右衛門の子孫や末裔は何も記録してないのかな?家を実質格上げした先祖の事くらい記録に残しといてもよさそうなもんだが・・・
三國志の閻温という人のエピソードが、鳥居強右衛門と酷似してるので、三國志からパクった創作だと思ってた