吹替版ではなく英語の声と口の動きを見ると、声優・俳優ではなくそのキャラが歌っているように見える。その感じを吹替版においても失わないようにしている。そのため歌詞の和訳は、より意味を正しく伝えることだけには注力せず、口の動きを合わせるように歌詞を謂わば「作って」いる。そのまま訳すのではなく。 たとえば【Let it go~ Let it go~】のgoの部分の口の形に合わせようと、【あり「の」まま「の」】としている。【anymore】を「見せる【のーよー】」と。
伊集院さんはラジオではっきりと、歌のシーンはハッピーな場面ではない、と言ってますね。「周りがどうなろうが関係ない」というシーンである、と「let it go」と意味をちゃんと捉えた事を言ってます。 惜しむらくは、伊集院さんがミュージカル的な演出やディズニーCGのキャラ造形に対して引いてしまっている事で、キャラクターの演技の緻密さが目に入ってこなかった、という事かと思います。
こんなにも深読みされる岡田さんでもご存知では無かったか、ブッダ(覚者、目覚めた人、如来、タターガタ、真我、悟った人)とか 菩薩(ボーディーサトバ)を。彼らはただの概念ではなく、数は少なくとも今もこの地上を実際に歩いている。ニーチェが超人と呼んだ人達の事だけど。エルサは人間から菩薩へ(マジェンタ→ターコイズブルー vol.1)、菩薩から如来(ターコイズブルー→ホワイト vol.2)への内的変容の物語。自我の話ではない。どうやって人間から如来への変容は起こ利うるのか。それを一言で言えば、「 Let it go 」 このメッセージが誰もが観るだろうDisneyのアニメで世界中に流れ、大ヒットしたって事、そこに萌えて欲しかったよ。
毎日、配信しています。おもしろいと思ったら動画への高評価、チャンネル登録、通知登録もぜひお願いします。
続きのメンバー限定動画はこちら(岡田斗司夫ゼミ・プレミアム限定)→ruclips.net/video/FoPRoE8aw80/видео.html
公開前にlet it go を視聴して、何度もぞくぞく、不安な気分になっていました。
アナ雪はディズニーの中でも深い精神世界を描いている作品だと思いますし、一番好きな作品です。この歳で一番好きなディズニー映画が変わるなんて…と驚きでした。
女性の抑圧の解放、と言う見方をする方もいるけれど、もう少し普遍的な精神活動であると思います。
虐められた子、不登校の子、両親が厳しかった子…何らかの抑圧を受けていた人が、自棄になってエネルギーを解放する時に、他人を(巡り巡って自分を)傷つけてしまう…
このプロセスは、自己の回復の過程で起こりうることだと思います。
特に力の加減が苦手な人、不安や恐怖が強い人なら尚更。
もともとのエネルギー量が大きければ大きいほど、抑圧するストッパーの力も多くて、解放すれば他人を巻き込んで傷つけてしまうのは当然なんですが。
これを側で妹が姉を信じて見守ってくれたこと、両親が抑圧だけでなく愛情を持って接していた、その信頼関係が、エルサを憎しみだらけの悪の女王にしないで済んだ鍵だったのだろうなと。
だからこそ、この話はどこにでもありふれた物語ではなく、感動を生む作品なのだと思います。
ありふれた物語であれば、両親はエルサを恐れてアナだけを大切にしようとするし、エルサは家族全てを憎み、人間全てを嫌って、完全なるヴィランになるのが自然でしょう。
けれど、葛藤を抱えながら、家族を大切に大切にしようとした描かれていない部分が、エルサの切なさと葛藤、キャラクターとしての奥行きを作り出している。そして、こういう体験をした人々の心を癒しているんだと思うんです。
女性が抑圧されやすいから、女性の中に感動する人が多いんだろうと思いますが、そうではなく、何かしら抑圧されたことのある人向けかな、と。
そしてそれを「もうこれでいい!」と出来ない(かった)人は、苛立ちを覚えて酷評するでしょうし、抑圧を感じなかった人は他人事で全く共感出来ない作品なんだろうと思いますね。
なんて分かりやすい解説
この雪山のシーンでエルザがどんどん妖艶になリます。私は不思議でしかたなかったのですが、岡田さんの解説で、腑に落ちました。岡田さんに感謝。
私は日本語版を見てないのですが、常々日本で語られる感想となんだか感触が違うと思ってたのが納得。let it go はインドネシア語だと「放っておいて」みたいなニュアンスに訳されてる。
個人的には日本語訳でもポジティブな歌詞には思えなかったですね。
どちらかというと諦めというか強がりというか、割りと切ない気持ちなのかと思いました。
アナ雪もそうだけど、映画そのものを見ずに岡田さんの話だけ聞いて満足し、本編を結局見てない。
あほかーい!😱
"百聞は一見にしかず"はマジだよ。
岡田さんの「モンスターになってる」発言に鳥肌った!!!ブロードウェイ版のアナ雪で「Monster」って言う曲があるから、まだ、ミュージカル版のアナ雪は見た事ないけど、きっと何かしら関係があるのかなぁと言う想像🤔💭
ずっと感じてた歌の違和感の理由がわかってスッとしました。
子供もわかるように略しすぎてしまった日本語の欠点。
でも、この背景を分かっていれば、さらにありのままの、の意味が際立つ気もします!!
すごいなぁ。
わかりやすくて、作品の良さが更に伝わって、またアナ雪観たくなった😭✨✨
金曜ロードショーと同時並行で、リアルタイムで斗司夫さんが解説する生放送して欲しいなあ。
前はシンゴジラとかやってましたね!
でもエルサ自身が開き直る前に思ってしまった
「城でも半ば幽閉されてたんだし、広々してて文句言う奴がいない分山の上って意外と自由じゃね?」と
「ぼっちでも寂しくないからな!」と豪語するエルサをアナが雪を踏み分け迎えに来てくれる、ピクサー節
コテコテでお約束過ぎるけど、いいものです
実家との決別!
曲だけだと違和感ないけど、前後のシーンを観た後だと「なんでここでこの曲?」ってなるよね
清々しい一人で生きていく恐怖なんてないわ!感
美輪明宏さんが「ありのまま」なんて獣と同じでそれを肯定的に表現してるアナ雪は嫌いだと評価してたが、この映画における「ありのまま」は闇落ちと同じで肯定的なものではなかったんですね
あの女に映画を正当に評価できる能力があるかどうか
金ローで初めて見てエルサが王国をアナ(と婚約者)に押し付けていきなり「これでいいの」とか歌いだすのが引っかかってたので若干納得した、直前のシーンでアナの結婚に反対もしてたのに。抑えつけてたものを解放して爆発させてたシーンなんだなあ
吹替版ではなく英語の声と口の動きを見ると、声優・俳優ではなくそのキャラが歌っているように見える。その感じを吹替版においても失わないようにしている。そのため歌詞の和訳は、より意味を正しく伝えることだけには注力せず、口の動きを合わせるように歌詞を謂わば「作って」いる。そのまま訳すのではなく。
たとえば【Let it go~ Let it go~】のgoの部分の口の形に合わせようと、【あり「の」まま「の」】としている。【anymore】を「見せる【のーよー】」と。
もちろんそうなんだけど、それにしてもディズニー曲の日本語版は口の形のほうを重視しすぎで、元歌詞を無視する傾向が強すぎる印象がある。
岡田さんの言うとおり、まさに替え歌。
私も(あくまで趣味の範囲だけど)海外の曲の日本語訳版をつくった経験あるから実感として分かるんだけど、口の動きに会わせながらも、元歌詞の再現率をもっと上げることは可能なはずだよ。
素人の私でもそこそこできるんだから、プロの翻訳家なら尚更ね。
ただまあ、あえてディズニー側をフォローするなら、翻訳にかける時間が足りないのかな?とは思うね。
映画の日本公開をもう数ヶ月遅らせてでも時間をかけて取り組めば、替え歌を回避できたと思う。
ジブリだけではなく、こんな風にディズニーも解説してほしい。
シュガーラッシュ オンラインとか。
エルサがエルザに聞こえてわたしがずっと勘違いしてたのかと焦ったけどやっぱエルサだよね?
ドイツとかそのあたりの発音ですね。原作の雪の女王はデンマークの話なので、間違いではないです。
Aina ・Stravinsky それで何度も言い直してるんですねなるほど
ソ連のアニメ「雪の女王」って実はもの凄い昔に日本のTVで放送されてるんですよね。
私、オンタイムで見ましたよ・・・40年くらい前ですが。
あのぉー、Frozen(アナ雪)ってアメリカではディズニー初のダブルヒロインで真のヒロインであるエルサはディズニープリンセスではあまりない王子様とのパッピーエンドでも無いのです。だからこの映画アメリカでは同性愛者についての話しだと言われています
吹き替えが松たか子で声もクリーンな良家のイメージだし
英語歌詞とはなんか結びつかない…
親からの影響、屈折、闇落ち、ってのが伝わらないのでクライマックスで「愛よ!」とか言われてもしっくりこないんだよな…
この解説は本放送時からずっと引っかかっていたのですが
今回観返してみてやはりありのまま前と後のエルサにこれと言って大きな心境の変化は無かったと確信しました。
物語中のエルサの行動原理は終始一貫自分の力で他人に迷惑をかけたくない、アナには自分の代わりに幸せになって欲しいだったように思えます。
だからアナに自分がいなくなったあとの国の様子を聞かされたとき明らかにショックを受けてましたし、アナを遠ざけたあともどうにか力を抑えようと努力してましたし、自分を殺しにきた兵士たち相手にもその気になれば一瞬で氷漬けにできるはずなのにおそらく無意識になんでしょうけどエルサはずっと加減して戦っていたじゃないですか。
もしもアナ雪がエルサを救う物語でなかったならエルサはあの歌の途中から真の悪役に目覚めていったという考え方もできるのでしょうが結果として最後にエルサは救われていますし、あの歌のシーンは歌われている最中に現象として物語の舞台の環境が大きく変化した以上の意味は薄いと思います。
それと夏が冬になっていたのは2日程度でその間は責任感のある心優しい王子が国民に対して無償で救済をおこなっているシーンをいれてありますし、降った雪はエルサが愛で魔法を使えるようになった時点で全て消えてなくなっています。
まあそれでも全員助かったとは言い切れませんが、少なくとも作り手側は物語の裏側で多くの名も無き人々が命を落としているという見方をしなくて済むように配慮はしてくれてあるので。
僕はエルサの力によって命を落とした人はいないと思います。
他人に受け入れられるためにフツーの振りをするのを止めた
誰も来ない所に引きこもったら、何も我慢しなくて済むということに気づいた
でもそれは過ちなんだよ、拒絶することでアナを傷つけてしまったから
ぴょんぴょん飛び回ってるしホイホイ男を捕まえて来るから分からないけど、
アナもエルサと引き離された喪失感を未だに引きずっていて根本的には孤独だった
しかし同時に白い髪=エルサの孤独は、エルサをアナに繋ぎ止めるものでもある
映画評論家も含め、なかなかこれだけの解説が出来る人は居ない。これを見た後に他の人の解説を見ると、単なる感想文に見える。
解説はすごく良いのにエル「ザ」って呼んでるのが気になりすぎるw
ドイツ語発音だからかな?夫も日本人ですが英語文字で理解するのでエルザって言っていました。
英語の歌を歌ってたのはRENTのミュージカル、映画に主演されたIdina Mentzelの流石の歌唱力ですごい。この解説見たら、もう妖怪人間のテーマソングにしか聞こえなくなった笑
ストーリー的にエルサが意図せずにコントロールできない巨大な力を持っているということなので、
アナを傷つけたことも、独りで閉じこもることも本当はしたくないことのはず。
故に、日本語の歌詞でポジティブな方に振ってるがゆえに、逆に強がってるように見えるとも取れなくもない。
平和の物語で最後悪役が少し出てなんだよって思ったけどこいつが闇だったのかそう考えると面白いな
この映画、二度と見ることは無いと思っていましたが、今回の解説が興味深かったので、もう1度見てみようかという気になってきました。
アナ雪2でエルサが闇落ちしたって評判になってたけど、そもそも1から闇落ちした話だったのね。
字幕も吹替え版も見たけどね~吹替え版は残念すぎて、もう一度字幕で見直しました
原作を小さい時に見たので、怖かったけどディズニーでみたら楽しかったから良いです!
ありのままは、let it go じゃなくて、let it beだよね。
そういえばビートルズのlet it be も日本語版では、変な訳がついてましたねору
@@ainastravinsky1084 まぁそれもある程度仕方ないことで、映画の字幕には字数制限があるけど、歌詞の訳はその上、リズムにあったうえで、歌詞としての芸術性も求められるから、オリジナルの意味を保証しきれないという面もあるのでしょう。
Akira Taniguchi それもそうなんですが、話を羊に戻して、let it goは前のfor the first time in forever と繋がっていて心理の変わり方が分かる歌だっただけに残念だなぁって。結論、原語版も見よう!ですね
そうだった。最初の時も先生の歌がしんどくて、途中で見るの止めたんだった。
せっかく用意してくれてるんだし字幕でみるか。
「アニメナメてはいけません」せやせや!♡*.+゜ (´□`。)°゜
瀧、出てたね。凄かったぜ!!この映画の一番の見所でしたよ。アウトサイダーとホワイトスノー、創造されたオラフ。
解説、すごく参考になりました、
これは有料版も視聴したくなりますね~
カール爺さんに懲りてアナ雪(というかディズニー全般)
をスルーしてましたが、何気に興味が湧いてきました
原作の絵本を読んだことがある遠い昔、
あのまま映画になって
いたらここまでヒット
しただろうか…
10:49 社会現象になった『君の名は。』。単純に作品としての面白さに感動したが確かに絵が綺麗と皆が言う。特に新海誠監督ファンはハリウッドの映画ファンとは違う褒め言葉を使う。その謎が解けた。なるほど。じゃあドラえもんやクレヨンしんちゃん、ジャンプアニメ、ジブリ、その他全てのアニメーションは画面の全てがお芝居をしてる事になる。よくTV局はアニメファンを馬鹿にしてるがアニメーションが好きな人は当然この理屈を理解してる事になる(要は絵の展覧会に行く感覚でアニメーションを楽しんでる)。
パーカー着てる。かわいい
英語や他の言語を聞いて、英語の真意を汲み取った上で日本語の歌詞を見て歌を聞くと英語のやけくそ感とか
もういいのよ。みたいなところは感じられる。やっぱり日本語って英語の吹き替えに関してはやりづらいのかなと。日本語しか見てないとサッパリ全否定するのも納得できますね
2が……公開されますね。
……2が(´・ω・`)
岡田さんの解説、深くて面白い。そして、さすが伊集院さん。読書の番組に出てらっしゃるけど、いつもうがった解説をしてくださる。解説の先生の言葉を、私たちに分かりやすいように噛み砕いてくれるので好き。アナ雪のあの歌は好きだが、「少しも寒くないわ♬」―――寒いだろアホΣ(・ω・ノ)ノ!とツッコミを入れていた🙋これから見ます(≧◇≦)
直後にアナが頑張って雪山を登ってるシーンが入るのは作者のツッコミだと思いますよ
「まだ迎えに来てくれる人がいるんだから、ぼっちじゃないだろう」っていう
なんか新しいこと言ってるのかと思ったら何も言ってなかった。
この動画のとこまでは普通の人は普通に見えてる部分でしょ。
岡田斗司夫自身も言ってるがディズニーほど優れた映像作家なら映像だけでちゃんと語れてるから歌と裏腹の部分は普通に伝わるよ。
伊集院さんも表現者として表現方法の勉強とかしてきてるから恐らく全部込み込みでNot for meと言ってる。
小木さんはなんか適当に言ってそうな可能性があるなぁ。
伊集院さんはラジオではっきりと、歌のシーンはハッピーな場面ではない、と言ってますね。「周りがどうなろうが関係ない」というシーンである、と「let it go」と意味をちゃんと捉えた事を言ってます。
惜しむらくは、伊集院さんがミュージカル的な演出やディズニーCGのキャラ造形に対して引いてしまっている事で、キャラクターの演技の緻密さが目に入ってこなかった、という事かと思います。
いや、大半の女、子供には伝わってないよ。女性の自立と開放みたいに脳内変換して泣いてるよ。女性の就活ソングに選ばれたりしてるしw
女子が先生受け、上司受け、親受け、男受けを捨てて、ありのままに自分のやりたいようにやる、例え、可愛げない、ハシタナイと言われてもな!
と。マントも手袋も脱ぎ捨てて力を存分に振るいながら自ら道を作り美しいドレスを纏う。雪山の冷気も最早脅威ではない。
エルサはこの歌と共にモンスター、ヴィランとなったが、それは自分の力を好きなままに振るう力強く美しい魔物だ。
女子が憧れざるを得ない。
まあ、一般人は概ね覚悟不足と実力不足で半端な感じで終わるんだけどね。
誰も見てくれない、認めてくれないにもかかわらず独りでやっていく覚悟とか、雪山でヒャッホー!と道を作ってさらに城まで建設するような実力とかね。
伊集院さんや小木さんの観かたが甘いというより、意訳の吹き替えで映画の真意が伝わらなかったように思います。
私はよく意味が分からない作品だと思いました。あまり姉妹の絵面がかわいくないのでどうも前向きな歌詞を合わないと
思っていましたが、岡田さんのご説明で絵面があまりかわいくない真の理由が分かった気もします。
バックナンバーで小遣いを稼ぐ、さすがオカダ!
すごく深い…
アナ雪はどうでもいいけど、まじめな視点で観たら、あのラストで悪役にされた王子様って政治家としてめちゃくちゃ優秀ですよ。
あの人が頑張ったから国民が凍死せずに済んだのに、国民放ったらかしにしたアナが幸せになるとか現実世界なら完全に間違ってると思いました。
王子、あなたは間違ってないよ
どころかアナが死にかけて戻ってくる直前まではエルサのことも助けようとしていた筋金入りのいい人だったんだよね。
お兄さんたちに対するコンプレックスがあったから、目の前に権力がぶら下がったのに飛びついちゃったわけで。
一度命を救われたエルサがハンスのことを許すという過程を経ないと、本当の意味でのハッピーエンドとは言えない気がする。
いきなり他国の、しかも女王出奔、第一王位継承者もそれを追って出奔、前代未聞の自然災害で非常事態真っ只中の王国を任されて冷静に、しかも人民の被害が最小限で済むように指揮を取れるって、超有能。
放逐するとかもったいなさすぎる。
はじめまして。
政治家としては一流、人としては残念😅
あ、野心も一流かな😆
岡田氏「アニメ舐めてはいけません」
尻に敷かれる日々をおくり、励ますつもりで誘った呑みの帰り道も
「結婚は地獄の始まり…」
「独身だったあの頃に戻りたい…」
「嫁が恐くてたまるか…」
と愚痴を溢す彼をあの人に見立てて二次会カラオケで歌った替歌タイトル『アナ ゴー』
丁度よくてね
映画と主題歌が混ざってできたんだ(^-^)
歯磨きしながらルッキングナウ
ディズニーアニメの批評って、最初っから信者とアンチの戦いですよね。
信者が観たらなんでも褒めるし、
アンチが観たらなんだってクサすでしょう。
伊集院は最初っから否定したかっただけでしょ。
矢作と伊集院にこの動画を見せたい
うーむ。切支丹では無いせいか
はたまた自身性根の問題か、別に
彼女が魔力を放出仕放題でも、全く
気には成らないなぁ。
生まれながらに、人外でずっとその
部分を抑え続けた結果かな?とも
あのシーンを見たとき思いましたな。
魔力をコントロールする修業が出来ず、只国の長に成ることのみを求め
られて居たから、本人の心情いかばかりか?
妹は何も知らないとは言え、あまりに無神経に見えたなぁ〰️。
いや、国は凍り付けでけれとも。
自分は伊集院さんや小木さんと同じですね。
どんなに画が美しかろうが、どんなに画の演技が凄かろうが、それはまず面白いストーリーがあって論ずる事ができるのかなと。
残念ながらストーリーは可もなく不可もなく新しさも何もない、ただ妹が騒いでいるだけに思えました。(因みに字幕派です)
@@空一-j9s 人の感性なんてそれぞれ何だからどう捉えるかはその人によるだろうしそれは尊重されるべきだよ。例え批判するにしても知能が浅いからなどという発言は良くない。
アリクイさんはひょっとしたら女性かもしれませんが、伊集院さんや小木さんの場合は男性で、無意識に女性が自分を開放させることを嫌だとか恐いと感じて、この映画の悪口をわざわざ言いたくなったのかもしれないですね。
まあシュレックの上に灰羽とユリ熊を接ぎ木したような話と言ってしまえばそこまでだけど、
同じことを深夜アニメとかカルト映画ではなく親子が見るディズニー映画がやることには意味があるよ
適度にアクションをしたり恋愛をして観客を楽しませながら、広く世界に対していいメッセージを送ることができたわけだし
いつも岡田さんの解説は凄いと思うけど、この解説だけはサイコパスがでちゃって嫌いですね。吹き替え見て騒いでる奴がバカばっかと言わんばかり。自分もあのシーンだけ凄いだけで、伊集院さんに同意です。あの吹き替えを許した事で、ディズニー側の意図は岡田解釈を推してない。多くの女性の勘違い解釈こそ正道だと思いますよ。そして俺は伊集院支持。小木は極端。
@@akaidom1 さん、日本語歌詞を許した人は、この歌全編に渡る反語的表現を、日本人はちゃんと解釈できる、と、信じたのだと思います。
すなわち、「ありのままの姿見せるのよ」は雪山であんな薄いドレスで全然平気どころか氷で道やら橋やらお城やら作ってしまう異能の化け物であり、人の世では暮らせない魔物である、ということを絶望と共に自らに知らしめているシーンだということを、ファンタジー系アニメやラノベに親しんだ日本人ならきちんとそう解釈できるだろう、と信じたのだと。
実際は作中歌を歌詞のまま解釈するわ、歌詞は同じでも曲調を変えて何もかもが解決して自在に力をコントロールして普通の人と一緒に楽しく暮らせるようになったエルサの喜びを表現したエンディングをその通りに歌ったMay'nがバッシングされたりして読解力の足りない人が割と大勢いることが知れたけど。
エンディングもあるので、日本語歌詞はこんな感じになった面もあるかと。
こんなにも深読みされる岡田さんでもご存知では無かったか、ブッダ(覚者、目覚めた人、如来、タターガタ、真我、悟った人)とか 菩薩(ボーディーサトバ)を。彼らはただの概念ではなく、数は少なくとも今もこの地上を実際に歩いている。ニーチェが超人と呼んだ人達の事だけど。エルサは人間から菩薩へ(マジェンタ→ターコイズブルー vol.1)、菩薩から如来(ターコイズブルー→ホワイト vol.2)への内的変容の物語。自我の話ではない。どうやって人間から如来への変容は起こ利うるのか。それを一言で言えば、「 Let it go 」 このメッセージが誰もが観るだろうDisneyのアニメで世界中に流れ、大ヒットしたって事、そこに萌えて欲しかったよ。
なるほど 全然意味が違う
「アナと雪の女王」ですか?
アレって“気持ちは分からんではないよ…”ってえ事だと思います…
つまり、眼前に気が強いが気持ちの優しい女の子が困っているのだから…手助けでもしてあげられたのならば…
きっとこの可愛い女の子は自分を好きになってくれるかもな?って思うんだが…
実際問題的にその国の王族継承問題が絡んでるらしいしなぁ?
ま、いずれにしても完璧に無視する材料はあり過ぎるのだ…
そんなワケで、ワタシの思考力との想像力は停止し…
今現在においてやらなければならない作業を如何様にして延長しようか?と考え始めるのだ…