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作者が意図してキモいと読者に思わせたい作品と意図せずにキモいと思われてる作品が同列に語られるとモヤモヤしてしまう…
川端の掌の小説はたしかに、眠れる美女とかのキモさがある話も収録されてるけれど、それ以上に話の面白さが光るものが多かったと思う
このテーマとは逆に、みんなが思う美しい小説を発表とかやってみてはいかがでしょう?美しさの基準は人それぞれで面白いかと思います
それいいですね。キモい一言で作品を批評するのはどうかと思う。微細な箇所にキモいとこだわらなくてもいいでしょう。キモいキモいというなら、自分で一回書いてみろといいたくなります。
村上春樹は長編を一通り読んで好きと言える私ですが、皆さんがキモいという感情もわからなくないんですよね。さて彼が天寿を全うしての30年後、その評価が楽しみです。(それにしてもなぜか短編はみんな好きなんですよね)
怖いもの見たさならぬ、キモいもの見たさで読みたくなりました。毒にも薬にもならない本より、キモいくらいで、ちょうどよい。
すごい昔に読んだ記憶しかありませんが、インザミソスープは、猟奇殺人犯の世界を書いてる途中に神戸連続児童殺傷事件が起きてしまって、そこからの変な影響か動揺か、変に作者のメッセージ的な部分が見え隠れしていて、村上龍特有のエログロシーン描写の乾いたテイストがなくなってた気がします。
読書人の諸氏から本の感想を聞くのか好きで、博識だなぁ、視野が広いなぁと感心することが常ではあるのですが、一度ギアが変な位置に入ると我々現場労働者以上の狭量さを見せつけられて興ざめしますね。本を読んで頭の容積は増えるのかもしれませんが、人間の器は変わらないのだということかな。
豊崎由美女史は長年『文学賞メッタ切り』シリーズで、ご自分とお仲間の大森望氏との感性だけで様々な小説やそれを評価した賞の選考委員に罵倒を浴びせてきた人なので、藤井さんに絡んだ文を読み「貴女が言える立場でしょうか?」と思いました。それと豊崎さんの解説文は時には鳥肌が立つほどキモイです。佐藤亜紀『天使』の文庫解説の本編からのあまりの落差と文の酷さに本を取り落としました。あんなひどい解説を読んだのは筒井康隆『着想の技術』文庫に某女優が寄せた駄文以来です。
人間のキモい感情もちゃんと料理すれば食えるという良いお手本が中村ふみのり作品
表現内容より表現する姿勢が卑しい芸術家が無理かな
保坂和志さんの小説論は面白いけど、小説は…とコメントされていた方に共感インザミソスープは高校の頃に読みましたが、そもそも装丁が不気味で内容が猟奇的なので、キモいと思われるのも当然だと思います(カラオケルームの大虐殺が印象的なシーンとして記憶に残っています)最近「胸騒ぎ」という映画がありましたが、あんな感じで何も言わないままへこへこしていたら大変なことになりますよ、という小説
川端康成さんも村上春樹さんもいくつか読んでみたけど個人的には大変面白かった。その時読んだ私にはたまたま合っていたのでしょうね。キモい、って言う時って、その作品から文章から何とも言い難い滲み出る作家個性になんとなく嫌悪感や違和感を感じてしまうのでしょうね。芸術や作品はどうしたってその作者の内部が滲み出るものだから、合わなきゃ会わないようにするしかないんでしょうね。つまりその時は理解を諦め去るしかない。時間が経ってまた理解ができる事も人間ありますから。でも、自分が合わなかったからとて、snsで言えばそりゃ炎上もしますよね。その作品が、というよりその作家がキモいと言っているのと一緒に聴こえてしまう。snsは使い方が難しいです。
己の感性とかけ離れた感覚をキモいと排除してしまうのはちょっと違うと思う。文学作品、まぁ、もうちょっと範囲を拡げて云うなら、芸術作品そのものは人間の感性や知識の地平を押し広げてくれるものだと考えるからです。ストラヴィンスキーの「春の祭典」世界初演時の観客の反応をみればおわかりになると思います。キモいもまた良しなのです。
「太陽の季節」は、読者に「キモっ」て思わせたいと狙って書かれているような気がします。
インザミソスープのキモさは私には表現が難しいです。詳細はよく覚えていませんが、直球のグロさバイオレンス、フランクの不気味さ、夜の街のドロドロした感覚、大衆を味噌汁に例えてしまう薄気味悪さ。いろんなものを本当に味噌汁のように詰め込んだ気持ち悪さがあったと思います。私も呼んでいてキツかった記憶があります。しかしこの作品は好きです。この作品でしか味わえないものがあることは間違い無いです。
「限りなく〜」の中でみそ汁がドロドロに腐ってる描写があったような気がします村上龍はみそ汁に嫌な思い出でもあるのでしょうかねていうか今思うと村上龍のエッセイ「すべての男は〜」とかのイキりきった感じも春樹とは別のベクトルのキモさがあるように私には思えます
@@湯小-h3dゴキブリを潰すシーンでしょうか??リアルなキモさがすごいですよね。 「すべての男は〜」は申し訳ないことに未読なのですが、イキリきった結果として愛と幻想のファシズムのようなイキリきった説得力のある名著を仕上げることができるのだとも感じます。どちらの村上も振り切ってる感はありますが、そのキモさに肩まで浸かるのも読書の醍醐味ですよね!
@@湯小-h3d『透明〜』の味噌汁が腐ってる描写、ありましたねぇ。何故か、あそこだけはすごくよく覚えてます。面白いものですね。
@@湯小-h3d確かに、龍のエッセイ(とくに初期〜中期)はわかりやすいキモさがありますね笑
ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』について、監督のインタビュー動画を観た後、村上春樹さんに似たキモさを感じてしまいました。このキモさについて言語化できなくてモヤモヤしています。この映画について、ぜひアサヒさんの感想をお聞きしたいです。よろしくお願いします。
ロリーターの冒頭の発音を読んで気持ち悪かったけど、実際作品は面白いからすごい。
興味深い特集でした。△に感じたもやもやは「作家の手の見える寒さ」だったかもしれません(仲いいとは後で知りました)。言いにくい低評価も洗練されれば文化的底上げが期待できるでしょうか?
いい意味で大江健三郎
はじめてコメントします。いつも楽しみに拝聴しています。イン・ザ・ミソスープ大大大好きです。ただ、キモいと思う気持ちもわかります。全体的に体制や反作用に対して無抵抗な日本人の本質を暴き卑下する空気感を肌で感じてしまう作品です。ストーリーを通して我々日本人が刷り込まれてきた本懐を見透かす不気味なアメリカ人のフランクの眼差しが胸にドロドロと刺さってきます。描写も相変わらずグロいですが、読者の心をえぐってくる感に耐えられない読者も多いのかなと感じます。
人間って他人のことは事件しか記憶できないので、認知の歪んだ人格障害者が書いた小説は有利ですよね。認知の歪みは本当に芸術なのか?という議論をするのには人の寿命は短か過ぎますし。アートの世界では20世紀のハプニング=事件は賞味期限が過ぎて、今の人はただのデザインに成り果てたようですけど……。ハルキムラカミも最後の事件で、保坂和志さんみたいな中身までまでデザインっぽい人しかいなくなるのかもしれないですね。理由は、事件はキモいから。いや、この問題はぜんぜんすごいテーマなんですけどね?
読者から指摘されるキモさについて、多くの場合小説家は自覚しながら書いてると思います。自覚してても羞恥心なんか捨てるでしょう。川端とかも。
この動画の趣旨を理解せずに文句を言ってる人がチラホラいますね。サムネしか見てないのかな?
文学は芸術なので、基本的にキレイなもの、は無いです。何もない無機質のものを求めるなら、AIが書いたものや論文やその他の文章を読むことです。小説に対して、これは性犯罪が書いてあるだとか、異常な考えが書いてあるとか、性癖が書いてあるとか、そのようなことを言っても意味はありません。そいうものを良い、悪いで語ることにも意味がありません。そして嫌いなら無理して読むこともありません。キモいという言葉だけでまとめられるほど小説は、文学は、芸術は単純ではないです。それだけ人間は複雑怪奇です。グロテスクです。それを受け止める覚悟がない人は読むべきではありません。
とりあげてくれてありがとうございます。川端康成の眠れる美女に言いたかったのはキモいではなく許せない、だと気づきました。性犯罪を文学にしないでほしかった。ほんとに言いたかったことに気づけたのでキモいと思えてよかったです。
まあ、やっぱり、やめたほうがよかった企画だったと思いますなあ。
作者が意図してキモいと読者に思わせたい作品と意図せずにキモいと思われてる作品が同列に語られるとモヤモヤしてしまう…
川端の掌の小説はたしかに、眠れる美女とかのキモさがある話も収録されてるけれど、それ以上に話の面白さが光るものが多かったと思う
このテーマとは逆に、みんなが思う美しい小説を発表とかやってみてはいかがでしょう?
美しさの基準は人それぞれで面白いかと思います
それいいですね。キモい一言で作品を批評するのはどうかと思う。微細な箇所にキモいとこだわらなくてもいいでしょう。キモいキモいというなら、自分で一回書いてみろといいたくなります。
村上春樹は長編を一通り読んで好きと言える私ですが、皆さんがキモいという感情もわからなくないんですよね。
さて彼が天寿を全うしての30年後、その評価が楽しみです。
(それにしてもなぜか短編はみんな好きなんですよね)
怖いもの見たさならぬ、キモいもの見たさで読みたくなりました。毒にも薬にもならない本より、キモいくらいで、ちょうどよい。
すごい昔に読んだ記憶しかありませんが、インザミソスープは、猟奇殺人犯の世界を書いてる途中に神戸連続児童殺傷事件が起きてしまって、そこからの変な影響か動揺か、変に作者のメッセージ的な部分が見え隠れしていて、村上龍特有のエログロシーン描写の乾いたテイストがなくなってた気がします。
読書人の諸氏から本の感想を聞くのか好きで、博識だなぁ、視野が広いなぁと感心することが常ではあるのですが、一度ギアが変な位置に入ると我々現場労働者以上の狭量さを見せつけられて興ざめしますね。
本を読んで頭の容積は増えるのかもしれませんが、人間の器は変わらないのだということかな。
豊崎由美女史は長年『文学賞メッタ切り』シリーズで、ご自分とお仲間の大森望氏との感性だけで様々な小説やそれを評価した賞の選考委員に罵倒を浴びせてきた人なので、藤井さんに絡んだ文を読み「貴女が言える立場でしょうか?」と思いました。それと豊崎さんの解説文は時には鳥肌が立つほどキモイです。佐藤亜紀『天使』の文庫解説の本編からのあまりの落差と文の酷さに本を取り落としました。あんなひどい解説を読んだのは筒井康隆『着想の技術』文庫に某女優が寄せた駄文以来です。
人間のキモい感情もちゃんと料理すれば食えるという良いお手本が中村ふみのり作品
表現内容より表現する姿勢が卑しい芸術家が無理かな
保坂和志さんの小説論は面白いけど、小説は…とコメントされていた方に共感
インザミソスープは高校の頃に読みましたが、そもそも装丁が不気味で内容が猟奇的なので、キモいと思われるのも当然だと思います
(カラオケルームの大虐殺が印象的なシーンとして記憶に残っています)
最近「胸騒ぎ」という映画がありましたが、あんな感じで何も言わないままへこへこしていたら大変なことになりますよ、という小説
川端康成さんも村上春樹さんもいくつか読んでみたけど個人的には大変面白かった。その時読んだ私にはたまたま合っていたのでしょうね。
キモい、って言う時って、その作品から文章から何とも言い難い滲み出る作家個性になんとなく嫌悪感や違和感を感じてしまうのでしょうね。
芸術や作品はどうしたってその作者の内部が滲み出るものだから、合わなきゃ会わないようにするしかないんでしょうね。つまりその時は理解を諦め去るしかない。時間が経ってまた理解ができる事も人間ありますから。
でも、自分が合わなかったからとて、snsで言えばそりゃ炎上もしますよね。その作品が、というよりその作家がキモいと言っているのと一緒に聴こえてしまう。
snsは使い方が難しいです。
己の感性とかけ離れた感覚をキモいと排除してしまうのはちょっと違うと思う。文学作品、まぁ、もうちょっと範囲を拡げて云うなら、芸術作品そのものは人間の感性や知識の地平を押し広げてくれるものだと考えるからです。ストラヴィンスキーの「春の祭典」世界初演時の観客の反応をみればおわかりになると思います。キモいもまた良しなのです。
「太陽の季節」は、読者に「キモっ」て思わせたいと狙って書かれているような気がします。
インザミソスープのキモさは私には表現が難しいです。
詳細はよく覚えていませんが、直球のグロさバイオレンス、フランクの不気味さ、夜の街のドロドロした感覚、大衆を味噌汁に例えてしまう薄気味悪さ。いろんなものを本当に味噌汁のように詰め込んだ気持ち悪さがあったと思います。
私も呼んでいてキツかった記憶があります。しかしこの作品は好きです。この作品でしか味わえないものがあることは間違い無いです。
「限りなく〜」の中でみそ汁がドロドロに腐ってる描写があったような気がします
村上龍はみそ汁に嫌な思い出でもあるのでしょうかね
ていうか今思うと村上龍のエッセイ「すべての男は〜」とかのイキりきった感じも春樹とは別のベクトルのキモさがあるように私には思えます
@@湯小-h3dゴキブリを潰すシーンでしょうか??リアルなキモさがすごいですよね。
「すべての男は〜」は申し訳ないことに未読なのですが、イキリきった結果として愛と幻想のファシズムのようなイキリきった説得力のある名著を仕上げることができるのだとも感じます。
どちらの村上も振り切ってる感はありますが、そのキモさに肩まで浸かるのも読書の醍醐味ですよね!
@@湯小-h3d『透明〜』の味噌汁が腐ってる描写、ありましたねぇ。何故か、あそこだけはすごくよく覚えてます。面白いものですね。
@@湯小-h3d確かに、龍のエッセイ(とくに初期〜中期)はわかりやすいキモさがありますね笑
ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』について、監督のインタビュー動画を観た後、村上春樹さんに似たキモさを感じてしまいました。このキモさについて言語化できなくてモヤモヤしています。この映画について、ぜひアサヒさんの感想をお聞きしたいです。よろしくお願いします。
ロリーターの冒頭の発音を読んで気持ち悪かったけど、実際作品は面白いからすごい。
興味深い特集でした。△に感じたもやもやは「作家の手の見える寒さ」だったかもしれません(仲いいとは後で知りました)。言いにくい低評価も洗練されれば文化的底上げが期待できるでしょうか?
いい意味で大江健三郎
はじめてコメントします。いつも楽しみに拝聴しています。イン・ザ・ミソスープ大大大好きです。ただ、キモいと思う気持ちもわかります。全体的に体制や反作用に対して無抵抗な日本人の本質を暴き卑下する空気感を肌で感じてしまう作品です。ストーリーを通して我々日本人が刷り込まれてきた本懐を見透かす不気味なアメリカ人のフランクの眼差しが胸にドロドロと刺さってきます。描写も相変わらずグロいですが、読者の心をえぐってくる感に耐えられない読者も多いのかなと感じます。
人間って他人のことは事件しか記憶できないので、認知の歪んだ人格障害者が書いた小説は有利ですよね。認知の歪みは本当に芸術なのか?という議論をするのには人の寿命は短か過ぎますし。アートの世界では20世紀のハプニング=事件は賞味期限が過ぎて、今の人はただのデザインに成り果てたようですけど……。ハルキムラカミも最後の事件で、保坂和志さんみたいな中身までまでデザインっぽい人しかいなくなるのかもしれないですね。理由は、事件はキモいから。いや、この問題はぜんぜんすごいテーマなんですけどね?
読者から指摘されるキモさについて、多くの場合小説家は自覚しながら書いてると思います。自覚してても羞恥心なんか捨てるでしょう。川端とかも。
この動画の趣旨を理解せずに文句を言ってる人がチラホラいますね。サムネしか見てないのかな?
文学は芸術なので、基本的にキレイなもの、は無いです。何もない無機質のものを求めるなら、
AIが書いたものや論文やその他の文章を読むことです。
小説に対して、これは性犯罪が書いてあるだとか、異常な考えが書いてあるとか、性癖が書いてあるとか、そのようなことを言っても意味はありません。そいうものを良い、悪いで語ることにも意味がありません。そして嫌いなら無理して読むこともありません。
キモいという言葉だけでまとめられるほど小説は、文学は、芸術は単純ではないです。
それだけ人間は複雑怪奇です。グロテスクです。それを受け止める覚悟がない人は読むべきではありません。
とりあげてくれてありがとうございます。川端康成の眠れる美女に言いたかったのはキモいではなく許せない、だと気づきました。性犯罪を文学にしないでほしかった。ほんとに言いたかったことに気づけたのでキモいと思えてよかったです。
まあ、やっぱり、やめたほうがよかった企画だったと思いますなあ。