【意外】名門ワークスNISMO GT参戦の軌跡【superGT・JGTC・解説】

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  • Опубликовано: 12 сен 2024

Комментарии • 19

  • @Railton-bb
    @Railton-bb 5 месяцев назад +15

    『おかえりなさい、チャンピオン。』
    GT-Rのブラックマスクに憧れて日産好きになった人間としては、これが今までで一番感動した無線です。

    • @t18-takatafan
      @t18-takatafan 5 месяцев назад +4

      『おかえりなさい、チャンピオン』っていう無線は確か2008年シリーズ最終戦の無線ですよね!!確かチャンピオン獲ったのはXanaviだったような
      本山の『ヤッターーーー!!!』っていう無線が印象に残ってます

  • @竹和
    @竹和 4 месяца назад +1

    80年代後期にはNISMO、TRDなどは一般のモータースポーツへのアフターは素晴らしい対応でした。宿敵HONNDAも現在では技術提携で関係は良好ですよね。23号車を応援していますがまたチャンピオンに帰り咲きして欲しいです。

  • @狐の八重歯
    @狐の八重歯 5 месяцев назад +7

    『スカイラインGT-Rを名乗る以上は直6でなくてはならない』
    過去の伝統にこだわると意識改革に遅れる典型なのか
    売り上げに直結する市販車ベースのレースの宿命なのか?
    R30は伝統の直6じゃないからGT-Rの名称は使わないのなら
    直6で当時最新技術満載のR31はどうしてなんだろうね?
    今のGTは経費削減して継続参戦させる為に仕方ないのかもしれないが
    エンジンは同形式縛り、共通のシャシの上に市販車に似せた
    ボディーカウル被せてるだけだからNASCARみたいになってしまったね
    以前はどんなエンジンを使うかも搭載位置も過給機の有無も自由で
    それらを絶妙に性能調整されてて、それ等の条件を踏まえて
    各チームそれぞれの戦略で開発競争されていて見所が多かったな

  • @hanjarake_taro
    @hanjarake_taro 4 месяца назад +1

    スーパーGT専門チャンネルとはまたニッチな

  • @telkor-tzm50r
    @telkor-tzm50r 4 месяца назад +2

    R32でのグループA時代(92年より共石スカイラインで参戦/セカンドとしてメンテナンスを中心にチーム国光とジョイント)もニスモは今のようなワークスというより実質2軍でしたよね。
    ニスモの難波社長自ら『このレースは星野(インパル)と長谷見(ハセミMS)に勝たせる為のレース』ってスタンスだったしね(笑)

  • @tatsuyatravelingalone
    @tatsuyatravelingalone 4 месяца назад +1

    2003年は未勝利でチャンピオン獲得。
    エースナンバーは3年連続未勝利だったんだよな

  • @戦場の絆-v5n
    @戦場の絆-v5n 5 месяцев назад +1

    大森と追浜が合併してNISMOが設立されたんですよね😊

  • @theofilos_neophytous
    @theofilos_neophytous 5 месяцев назад +4

    今年、お伊勢さんこと三宅君が乗る3号車には文字通り伊勢志摩ライナーになって欲しい!本当に、本当に過去2年苦労してたから…

  • @y-jin8803
    @y-jin8803 5 месяцев назад +1

    ニッサンはRB26でもターボでも「伝統」「まだやれるはず」と換装が遅れて成績不良なシーズンを過ごてしまっていのを繰り返している…
    JGTCで最初のニスモ名義チームとしての最初マッチがドライバーの556号車だったらしいとか…2号車は当時インパルが1号車だったからそれの次というのもあったのではないかと。(なので長谷見さんが3号車ってことですよね)

  • @user-lt9vq9vc8p
    @user-lt9vq9vc8p 5 месяцев назад +3

    一番長くニスモに居たドライバーは誰?

    • @零-r9g
      @零-r9g 5 месяцев назад

      本山か松田かな?

    • @kotahattori9386
      @kotahattori9386 5 месяцев назад +3

      ​@@零-r9g
      本山さん、次生さん12年いましたね
      その次がロニーさん

  • @torakoara1
    @torakoara1 5 месяцев назад +3

    JGTC発足とうじは、ワークス系は「JTCC」の方に本腰だった
    (1994年は長谷見、星野プリメーラは両方ともニスモからのエントリーだった)
    事もあり、JGTCでは「23」を使わなかったのだろうかと
    JGTCで「23」がお目見え(ペンズオイルニスモGT_R)した1998年は、日産(とホンダ)がJTCCに参戦を取り止めたときだし

  • @grandprix-white2977
    @grandprix-white2977 5 месяцев назад +9

    NISMOもまた日産もモータースポーツを象徴する存在

  • @零-r9g
    @零-r9g 5 месяцев назад +2

    Zになってから低迷してるんだよな😢

  • @usamaru.
    @usamaru. 5 месяцев назад +3

    どうしても追浜、大森の時代になると追浜がトップ、大森は下ってイメージなんだよな〜…
    大森が表舞台に出てきた頃は、難波さんが取り仕切るようになってから…あの頃の『NISMO』が一番良かったな〜…
    今は…どうでもいいや…市販車もつまんない市販車しかないし、スーパーGTも応援する意味もないし。

  • @satounco
    @satounco 5 месяцев назад +1

    最近はインパルや事実上のチームメートのNISMO NDDP の後塵を拝してるから頑張って欲しい。

  • @なまたまご-u2o
    @なまたまご-u2o 5 месяцев назад +2

    リアにミッションを搭載することをトランスアクスルと呼ぶ風潮に違和感を覚える世代です。