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座席肘掛けが京阪大津線所属の600形・700形も同じ
私も子供の頃に、大阪で乗った記憶が今でもあります。普段はなかなか乗れる機会が無かったのですが、実に昭和の味のある、懐かしい吊掛駆動式モーターサウンドですね。
高師浜線で乗ったことがあります。目を閉じてモーター音を聞いておりました。とても懐かしいです。
この、何とも言えない中間色の木目模様の内装が懐かしいです。私も初めて汐見橋支線に乗った時は、1521系でした。
会ってみたかったな。1521系とやらに。
同じ1521系でも初期車と後期車(1973年の昇圧改造の際にそれを兼ねて、旧2051系から編入改造)とでは、座席の横にあるアームの形状が違います(後者は上から下へなだらかに湾曲している)。晩年は一部編成を除いて前面ガラス押さえを黒色のHゴムに更新したほか、1531+3907の2連1本のみは旧塗装のまま2代目社紋を撤去して1993年4月のCI導入の際に再度制定された現行のコーポレートシンボルをプレート化の上取り付け、最終的に1995年11月20日付で除籍となるまで活躍を続けました。
まだ15分毎で走ってた頃ですね
1989年当時は日中原則20分間隔だったはずですよ(3本中2本使用、岸里玉出改称後の一時的な分断中は現在の汐見橋駅2番線に検車設備を一時的に設けて、余った1本をそこに留置し、検車を行っていた。しかしその部分はフェンスで覆い隠して一般客は原則的に全景を眺められないようにしてあったが、改札口前に立てば留置中の1本の先頭部分だけを眺めることができた)。
1521型が居ると言うことは岸ノ里で線路が切られた後ですね。6000系から1521型に置き換えられた時、大型送風機から扇風機になったんで「こんなんサービスダウンや!」と言ってたのを思い出します。
これは南海本線萩ノ茶屋~粉浜間高架化工事の一環として、まず1985年6月16日に高野線でダイヤ改正を行い、岸ノ里(現在の岸里玉出駅)高野線駅構内の分岐部を隔てた「縦列停車」がなくなって、汐見橋線のホームは北側へ400m後退し、のちにオーバークロスを撤去しました。この際車両も1521系2連にバトンタッチし、その後1993年4月からの高架化工事進捗による一時的な分断を伴うどこともレールが繋がらない孤立状態を経て、孤立解消前の1995年8月14日に現在のホームが完成し、その後渡り線の新設を経て同年8月23日に孤立解消と相成り、使用車両も22000系(後に2200系)に取り替えを行いました。1521系の営業運転はここでいったん終了しましたが、同年10月14・15日の両日に行われた和歌山港線での「さよなら運転」を最後に引退し、これが本当のラストランとなって最終的に同年11月20日付で除籍廃車となるまで最長36年間は生き残りました。
その大型送風機の正式名称は「ファンデリア」と申しまして、それが現役だった頃実際に車内に入ると、銀色の直径40㎝の円形の突き出たものがそれで、最大の特徴としては本体中央に赤い三菱電機の社紋があり、同社製であることが一目でわかります。
吊り掛け駆動のいい音^_^
この車両の音と車内今はなき新京成200系を思い出します
1521系のトップナンバーを最後の最後まで残してくれたとは、当時の南海さんもさすがに持ち味がありましたよね。
南海電鉄・モ1521系電車の動画映像ですね、上手に撮影されていますよ。ぼくも大阪に来た時、南海電鉄・高野線の支線区・汐見橋線の、岸ノ里駅(現・岸里玉出駅・大阪市営地下鉄・四つ橋線・岸里駅下車)~汐見橋駅(大阪市営地下鉄・千日前線・阪神なんば線・近鉄難波線・桜川駅下車。)間で、モ1521形電車に乗車したのを想い出しています、今では、阪堺電気軌道のモ161形・モ351形電車でしか聞けない、釣掛式電動機(MT40形・142Kw・4個)の音も懐かしいです。sengokuboyさん、気に入りました、お見事ですよ。
貴重なHゴムドア大井川の21001に現存するが
晩年はフロントガラスのHゴムを黒色化して見栄えの改善を図りました。しかしながら最後まで汐見橋線専従だった1521-3901・1528+3903・1529-3905の3本は、フロントガラスのHゴムを黒色化することなく現役を退きました。また1994年2月頃には1531-3907の1本のみ、側面の2代目社章を撤去してCI導入後の新しいシンボルマークをプレート化して取り付けました。
たしか3909が7000系タイプの塗りドアだったが🙄
仰るとおり、粋な計らいです。トップナンバーが残るなんて、普通ないでしょう。あ~もう1回乗りたかったな~。
1995年8月23日付でいったん運用を外れたそのトップナンバーですが、同年11月20日付で除籍廃車(車齢が一番若かった1531-3907もそこまで生き残った)されるのを前にして「鉄道の日」記念イベントの一環で、同年10月14・15日の2日間にわたり両先頭車の貫通扉に藤色の円形看板を掲げて和歌山港線で36年の労いに感謝して「さよなら運転」を行い、水軒駅にも寄り道するとともに最後の花道を飾りました。
0:358300系?
この時代にまだ居るわけがない8300系は愚か8000系すらも登場してない頃ですよ。
@@Doragon-ch 音が8300系っぽいってことです。
座席肘掛けが京阪大津線所属の600形・700形も同じ
私も子供の頃に、大阪で乗った記憶が今でもあります。普段はなかなか乗れる機会が無かったのですが、実に昭和の味のある、懐かしい吊掛駆動式モーターサウンドですね。
高師浜線で乗ったことがあります。目を閉じてモーター音を聞いておりました。とても懐かしいです。
この、何とも言えない中間色の木目模様の内装が懐かしいです。私も初めて汐見橋支線に乗った時は、1521系でした。
会ってみたかったな。1521系とやらに。
同じ1521系でも初期車と後期車(1973年の昇圧改造の際にそれを兼ねて、旧2051系から編入改造)とでは、座席の横にあるアームの形状が違います(後者は上から下へなだらかに湾曲している)。
晩年は一部編成を除いて前面ガラス押さえを黒色のHゴムに更新したほか、1531+3907の2連1本のみは旧塗装のまま2代目社紋を撤去して1993年4月のCI導入の際に再度制定された現行のコーポレートシンボルをプレート化の上取り付け、最終的に1995年11月20日付で除籍となるまで活躍を続けました。
まだ15分毎で走ってた頃ですね
1989年当時は日中原則20分間隔だったはずですよ(3本中2本使用、岸里玉出改称後の一時的な分断中は現在の汐見橋駅2番線に検車設備を一時的に設けて、余った1本をそこに留置し、検車を行っていた。しかしその部分はフェンスで覆い隠して一般客は原則的に全景を眺められないようにしてあったが、改札口前に立てば留置中の1本の先頭部分だけを眺めることができた)。
1521型が居ると言うことは岸ノ里で線路が切られた後ですね。
6000系から1521型に置き換えられた時、大型送風機から扇風機になったんで
「こんなんサービスダウンや!」と言ってたのを思い出します。
これは南海本線萩ノ茶屋~粉浜間高架化工事の一環として、まず1985年6月16日に高野線でダイヤ改正を行い、岸ノ里(現在の岸里玉出駅)高野線駅構内の分岐部を隔てた「縦列停車」がなくなって、汐見橋線のホームは北側へ400m後退し、のちにオーバークロスを撤去しました。この際車両も1521系2連にバトンタッチし、その後1993年4月からの高架化工事進捗による一時的な分断を伴うどこともレールが繋がらない孤立状態を経て、孤立解消前の1995年8月14日に現在のホームが完成し、その後渡り線の新設を経て同年8月23日に孤立解消と相成り、使用車両も22000系(後に2200系)に取り替えを行いました。
1521系の営業運転はここでいったん終了しましたが、同年10月14・15日の両日に行われた和歌山港線での「さよなら運転」を最後に引退し、これが本当のラストランとなって最終的に同年11月20日付で除籍廃車となるまで最長36年間は生き残りました。
その大型送風機の正式名称は「ファンデリア」と申しまして、それが現役だった頃実際に車内に入ると、銀色の直径40㎝の円形の突き出たものがそれで、最大の特徴としては本体中央に赤い三菱電機の社紋があり、同社製であることが一目でわかります。
吊り掛け駆動のいい音^_^
この車両の音と車内
今はなき新京成200系を思い出します
1521系のトップナンバーを最後の最後まで残してくれたとは、当時の南海さんもさすがに持ち味がありましたよね。
南海電鉄・モ1521系電車の動画映像ですね、上手に撮影されていますよ。
ぼくも大阪に来た時、南海電鉄・高野線の支線区・汐見橋線の、岸ノ里駅(現・岸里玉出駅・大阪市営地下鉄・四つ橋線・岸里駅下車)~汐見橋駅(大阪市営地下鉄・千日前線・阪神なんば線・近鉄難波線・桜川駅下車。)間で、モ1521形電車に乗車したのを想い出しています、今では、阪堺電気軌道のモ161形・モ351形電車でしか聞けない、釣掛式電動機(MT40形・142Kw・4個)の音も懐かしいです。
sengokuboyさん、気に入りました、お見事ですよ。
貴重なHゴムドア
大井川の21001に現存するが
晩年はフロントガラスのHゴムを黒色化して見栄えの改善を図りました。しかしながら最後まで汐見橋線専従だった1521-3901・1528+3903・1529-3905の3本は、フロントガラスのHゴムを黒色化することなく現役を退きました。また1994年2月頃には1531-3907の1本のみ、側面の2代目社章を撤去してCI導入後の新しいシンボルマークをプレート化して取り付けました。
たしか3909が7000系タイプの塗りドアだったが🙄
仰るとおり、粋な計らいです。
トップナンバーが残るなんて、普通ないでしょう。
あ~もう1回乗りたかったな~。
1995年8月23日付でいったん運用を外れたそのトップナンバーですが、同年11月20日付で除籍廃車(車齢が一番若かった1531-3907もそこまで生き残った)されるのを前にして「鉄道の日」記念イベントの一環で、同年10月14・15日の2日間にわたり両先頭車の貫通扉に藤色の円形看板を掲げて和歌山港線で36年の労いに感謝して「さよなら運転」を行い、水軒駅にも寄り道するとともに最後の花道を飾りました。
0:35
8300系?
この時代にまだ居るわけがない
8300系は愚か8000系すらも登場してない頃ですよ。
@@Doragon-ch 音が8300系っぽいってことです。