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立地と沿革から、東武亀戸線を連想しました。実質的な盲腸線でなければ、この路線にも違った、そして輝く姿があったのでしょうね。
なんばに近いエリアでこのローカルさは驚きですね。 しかも環状線内で2両編成って…都市計画によっては大きく化けそうな沿線ですね🤔
この沿線の住民です。大化けしてほしい。
数年前にこの路線を定期利用していましたが、朝の岸里玉出行きは津守高校に向かう生徒で車内の席が埋まる事もあったんですよね
すみません、「大阪府立西成高校(普通科総合選択制)」です。
なにわ筋線計画が難波、新今宮経由で建設が決まり盲腸線で残り続けるか廃止されるかどちらかとなってしまった大正の頃から汐見橋〜岸ノ里は貨物輸送がメインで、それが廃止された段階で廃線となっていてもおかしくはない天王寺支線よりこちらの方が長命というのもなかなかの奇跡である
動画内で解説されている上、1:22で映っているとおり南海的には未だに高野線の一部という扱いですからね>汐見橋線 車内アナウンスが顕著で、「汐見橋線」という案内は一切なされません(汐見橋方面と呼称) あと天王寺支線に関して言うと、大阪環状線開業とそれに伴う新今宮駅開業によって「国鉄連絡」という役割は事実上無くなっていましたからねえ その後、天下茶屋駅の高架化に併せて大阪市交通局堺筋線が乗り入れすることにより、代替路線も確保されたというのが大きいかと
汐見橋駅の改装でボロボロだった路線図は復刻版で復活しましたが「パチンコクイン紳士の憩い場」のベンチはなくなっちゃいました
この電車は6~8両で難波~極楽橋(高野山)直通の急行として活躍していたかつての花形車両。16m級の2扉車なので激増する高野線の乗客を捌ききれず下野してきました。小型のかわいい電車ですが平坦線は高速走行、急勾配の山岳区間もグイグイ登れる力持ち「ズームカー」の一派です。
6:43 ここで渡る架道橋、一部ではファンも多い武骨な鋼製ラーメン構造です なお勾配が緩いのは貨物列車対応というよりかは、開業当時非電化だったからと8:55 こういう歴史があるからか、岸里玉出の自動放送では汐見橋線への乗り換えアナウンスは、「木津川、汐見橋方面」と案内されます
ステンレスの6000系、6100系(現6300系)が使用されていた時代もあったんです。
もっと昔、昭和40年頃だと思うが、小型細身深屋根二つ目玉リベット打ち三両連結の車両が走っていた時期もあった。元高野山電気鉄道の車両らしい。
住吉東駅で降りる機会があったとき、駅舎の脇に短い頭端式ホームの跡があり、「貨物ホーム?」と思っていましたが、後日調べてみると、汐見橋線の折返しホームだったのを知りました。岸ノ里駅の高野線が南海本線を跨ぐガーター橋はよく覚えています。あの頃の汐見橋線は、恐らく単行運転のできるモハ1521形や、もっと昔は木造のモハ751形あたりがあのガーターをゴロゴロ渡っていたのですね❤
2014年に阪堺電車住吉公園駅とセットで味わってきました行っておいてよかった汐見橋駅の路線案内図修復されてなによりです
この取材力のすごさと編集のクオリティの高さに頭が下がります。
"駅到着の全面展望に写ってたのに、お気づきでしょうか" なんて言われたら何回も観ちゃいますよ😊車窓の左側に黒ネコ見つけました(^^)
地方の赤字ローカル線でもあり得ない1編成のみで1往復を賄い、おまけに複線で今に至る謎の路線。都会なのに空気が淀んでいて改修する気がない木津川駅のトラウマ便所もインパクトが強すぎると言う。夜に乗ったら少しだけ千と千尋の神隠し気分に遭えるほどの空気輸送感が半端ないですしね。
汐見橋駅って阪神なんば線桜川駅が直ぐ側じゃなかったっけ?
汐見橋駅と阪神桜川駅の地下への出入口は並んでいます。
東急だったらとっくに廃線か、オシャレにリニューアル・・
南海「よーし、あの木津川駅の黒猫を木津川駅駅長にしよう」「それパクってるやん」
妙案!
黒猫ちゃん、いつも降りる同じ人に手懐けられてるんだと思いますね。初見さんはこんな感じの対応かも?
木津川駅はラ・ムー北津守店の最寄り駅だったりする
40年前は15分間隔で走ってました
東京産まれの東京育ちの私にとって関西圏の鉄道網は未知の鉄道なので十分勉強になる。
貨物輸送と水運接続の栄枯盛衰は名鉄瀬戸線と似ているが、名鉄瀬戸線は栄町乗り入れで通勤路線として発展したのに対し、汐見橋線はそのチャンスを逃してしまった。最後の逆転の可能性があったなにわ筋線も別ルートになり、このまま朽ち果てるのだろうか
「西天下茶屋」駅の近所の住民やけど、京セラドームに行く時は、汐見橋線を使ってるよ。
黒猫かわいい
通勤で毎日利用していました
12:06この鉄橋、下の川は埋め立てられて阪神高速の土地となってますつまり鉄橋自体が所謂トマソン(不動産と一体化しつつ「無用の長物的物件」となった建築物の一部)なんです
汐見橋線は津守駅西側にある高校の通学客で支えられているといってもおかしくない状況です。朝の通学時間は賑わいます。汐見橋駅の真下に阪神なんば線桜川駅があるので、南海沿線から阪神沿線への便は梅田を経由するよりいいかもしれません。但し、汐見橋線は30分に1本なのでそこがネックです。ちなみに大阪メトロ千日前線桜川駅は汐見橋線横の新なにわ筋の東側を通るあみだ池筋に駅があるため、少し離れています。
関西の駅はお洒落なので、古くなっても味がありますね。
「道頓堀駅」という名称の方が、観光客を呼び込めそうな気がします。
このチャンネル何故か関東のイメージあるから最初何処か分からなかった近い内に乗りに行かないと汐見橋駅手前の橋あそこ暗渠と思ってたら実は川自体埋め立てられていて存在しないという
岸里玉出駅の汐見橋線ホームは、廃線後に撤去する前提で設計されてるようにしか見えない。
8:22 いたいた🐈⬛
元地元民でも一度も乗らないまま消える路線もあるだろうねナムナム
汐見橋線は廃止かな・・南海の一番の赤字要因はホテル事業で運輸部門は汐見橋線らしいのでそろそろ決断の時来るかもね
40年位前にこの路線で通勤していました。途中、毎日木津川駅から美しいお姉さんが乗車していたのを楽しく覚えています。(^^♪その当時は、朝の通勤時間帯は、15分間隔で運行していたので、結構便利でしてた。元々は、西成高校の場所に紡績工場があって、その資材輸送用に貨物列車が運行されていたように思います。汐見橋発河内長野行きというような列車も以前(もう50年以上前の話です)は、運行されていました。大阪環状線の天王寺~西九条間の開業前は、こちらの路線もにぎわっていたように思います。
南海沿線で治安のええとこあるんやろか思てまう古い元大阪人。
あまりにも先入観に基づいた意見。南海線の新今宮~萩之茶屋の東側にあるあいりん地区=釜ヶ崎地区に対するマスコミ等の報道からの発想であろうが、この地区は西成区の0.1%にも満たない狭い地域で、今では福祉の街かつ海外旅行者の格安宿泊地となっている。天下茶屋の西側の西天下茶屋界隈は大正期から区画整理された碁盤の目状の街路のある庶民の街、東側は関西初の別荘地で、ここから帝塚山・浜寺・芦屋へと別荘地が広がった。玉出・粉浜は紀州街道沿いに古くから開けた町で、今でも塀で囲った蔵のあるお屋敷が残る。総じて南海沿線は庶民の街である。TV等々マスコミの視聴率を煽る報道に惑わされることなく、自らの目で観察してほしい。
汐見橋駅がなにわ筋線の開業によって復権を果たすかと思われましたが、維新が政権を担ってからなにわ筋線から新難波を設置して新今宮で合流するルートに変わりました。それがさらに汐見橋線がローカル線にとどまる原因になってしまいました。維新は既存のルートを生かさず目先のルートに拘る原因なのでしょうね。
それはあなたの考えw
衰退、廃墟、限界集落、限界ニュータウン、廃線、廃墟駅跡、廃校跡、高齢化、少子化、財政破綻。。もうこんな動画はユーチューブで見たくないですな。。
立地と沿革から、東武亀戸線を連想しました。
実質的な盲腸線でなければ、この路線にも違った、そして輝く姿があったのでしょうね。
なんばに近いエリアでこのローカルさは驚きですね。 しかも環状線内で2両編成って…都市計画によっては大きく化けそうな沿線ですね🤔
この沿線の住民です。大化けしてほしい。
数年前にこの路線を定期利用していましたが、朝の岸里玉出行きは津守高校に向かう生徒で車内の席が埋まる事もあったんですよね
すみません、「大阪府立西成高校(普通科総合選択制)」です。
なにわ筋線計画が難波、新今宮経由で建設が決まり
盲腸線で残り続けるか廃止されるかどちらかとなってしまった
大正の頃から汐見橋〜岸ノ里は貨物輸送がメインで、それが廃止された段階で廃線となっていてもおかしくはない
天王寺支線よりこちらの方が長命というのもなかなかの奇跡である
動画内で解説されている上、1:22で映っているとおり南海的には未だに高野線の一部という扱いですからね>汐見橋線
車内アナウンスが顕著で、「汐見橋線」という案内は一切なされません(汐見橋方面と呼称)
あと天王寺支線に関して言うと、大阪環状線開業とそれに伴う新今宮駅開業によって「国鉄連絡」という役割は事実上無くなっていましたからねえ
その後、天下茶屋駅の高架化に併せて大阪市交通局堺筋線が乗り入れすることにより、代替路線も確保されたというのが大きいかと
汐見橋駅の改装でボロボロだった路線図は復刻版で復活しましたが「パチンコクイン紳士の憩い場」のベンチはなくなっちゃいました
この電車は6~8両で難波~極楽橋(高野山)直通の急行として活躍していたかつての花形車両。16m級の2扉車なので激増する高野線の乗客を捌ききれず下野してきました。小型のかわいい電車ですが平坦線は高速走行、急勾配の山岳区間もグイグイ登れる力持ち「ズームカー」の一派です。
6:43 ここで渡る架道橋、一部ではファンも多い武骨な鋼製ラーメン構造です なお勾配が緩いのは貨物列車対応というよりかは、開業当時非電化だったからと
8:55 こういう歴史があるからか、岸里玉出の自動放送では汐見橋線への乗り換えアナウンスは、「木津川、汐見橋方面」と案内されます
ステンレスの6000系、6100系(現6300系)が使用されていた時代もあったんです。
もっと昔、昭和40年頃だと思うが、小型細身深屋根二つ目玉リベット打ち三両連結の車両が走っていた時期もあった。元高野山電気鉄道の車両らしい。
住吉東駅で降りる機会があったとき、駅舎の脇に短い頭端式ホームの跡があり、「貨物ホーム?」と思っていましたが、後日調べてみると、汐見橋線の折返しホームだったのを知りました。
岸ノ里駅の高野線が南海本線を跨ぐガーター橋はよく覚えています。あの頃の汐見橋線は、恐らく単行運転のできるモハ1521形や、もっと昔は木造のモハ751形あたりがあのガーターをゴロゴロ渡っていたのですね❤
2014年に阪堺電車住吉公園駅とセットで味わってきました
行っておいてよかった
汐見橋駅の路線案内図修復されてなによりです
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編集のクオリティの高さに頭が下がります。
"駅到着の全面展望に写ってたのに、お気づきでしょうか" なんて言われたら何回も観ちゃいますよ😊
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汐見橋駅と阪神桜川駅の地下への出入口は並んでいます。
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南海「よーし、あの木津川駅の黒猫を木津川駅駅長にしよう」
「それパクってるやん」
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40年前は15分間隔で走ってました
東京産まれの東京育ちの私にとって関西圏の鉄道網は未知の鉄道なので十分勉強になる。
貨物輸送と水運接続の栄枯盛衰は名鉄瀬戸線と似ているが、名鉄瀬戸線は栄町乗り入れで通勤路線として発展したのに対し、汐見橋線はそのチャンスを逃してしまった。最後の逆転の可能性があったなにわ筋線も別ルートになり、このまま朽ち果てるのだろうか
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元地元民でも一度も乗らないまま
消える路線もあるだろうね
ナムナム
汐見橋線は廃止かな・・南海の一番の赤字要因はホテル事業で運輸部門は汐見橋線らしいのでそろそろ決断の時来るかもね
40年位前にこの路線で通勤していました。
途中、毎日木津川駅から美しいお姉さんが乗車していたのを楽しく覚えています。(^^♪
その当時は、朝の通勤時間帯は、15分間隔で運行していたので、結構便利でしてた。
元々は、西成高校の場所に紡績工場があって、その資材輸送用に貨物列車が運行されていたように思います。
汐見橋発河内長野行きというような列車も以前(もう50年以上前の話です)は、運行されていました。
大阪環状線の天王寺~西九条間の開業前は、こちらの路線もにぎわっていたように思います。
南海沿線で治安のええとこあるんやろか思てまう古い元大阪人。
あまりにも先入観に基づいた意見。南海線の新今宮~萩之茶屋の東側にあるあいりん地区=釜ヶ崎地区に対するマスコミ等の報道からの発想であろうが、この地区は西成区の0.1%にも満たない狭い地域で、今では福祉の街かつ海外旅行者の格安宿泊地となっている。天下茶屋の西側の西天下茶屋界隈は大正期から区画整理された碁盤の目状の街路のある庶民の街、東側は関西初の別荘地で、ここから帝塚山・浜寺・芦屋へと別荘地が広がった。玉出・粉浜は紀州街道沿いに古くから開けた町で、今でも塀で囲った蔵のあるお屋敷が残る。総じて南海沿線は庶民の街である。TV等々マスコミの視聴率を煽る報道に惑わされることなく、自らの目で観察してほしい。
汐見橋駅がなにわ筋線の開業によって復権を果たすかと思われましたが、維新が政権を担ってからなにわ筋線から新難波を設置して新今宮で合流するルートに変わりました。
それがさらに汐見橋線がローカル線にとどまる原因になってしまいました。
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それはあなたの考えw
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