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今ほど暑くもなかったろうし、今みたくアスファルトもコンクリートもなく、緑も多かったから過ごしやすかったろうな。
43歳だけど、昔は祖父母と蚊帳の中に入って寝てたなぁ懐かしい祖父母に孝行したかったな
当時はむしろ冬の寒さのほうが大変だったろうな
昔(平成中期くらい)は夏でも午前中は暑くなかったし日中も日陰に行けば涼しかった。夜になって風が吹けば涼しかったし気温も30℃超えるなんて稀だった
確実に暑くなっていってますよね。私が母の実家にお盆の時に帰省してた時夜扇風機で寝れましたもん。今は絶対無理ですね。
10数年前くらいから猛暑だの酷暑だの言われ始めていたけど、当時はまだ「そんな大袈裟な〜、こんなのたまたま今年がそうだったんでしょ」とか思ってたんですが、いまやそれが毎年の常識になってしまいましたね……もはや昭和から平成初期頃の程よい夏日が懐かしいです
都内は既に三十年前には今ぐらい暑かった。(ヒートアイランド現象)しかし、最近は場所関係なく暑くなった。
35年前、小学生の夏休みに、宿題は午前中の涼しい時にやれと言われたのを思い出した。 最近は一日中暑い。
気象庁が平均気温の推移を公開してるけど、確かに気温は上昇傾向だがこの100年で1.5℃程度上がっただけそんな極端に変わった訳じゃない 30℃を越えることはなかったなんて記憶が補正されてるんでしょ
日がくれると涼しかったらしいのでそんなに苦にはならなかったのと思うんですが、寧ろ冬場は相当寒かっただろうな😅
ルームエヤコンが普及する昭和50年代まで庶民は暑い夏を江戸時代同様に過ごしていました。部屋が涼しいのはここ50年程の話でありまして先ず普及したのが扇風機でした。昭和40年代に一家で複数台の扇風機とパンツ一丁が暑さ対策。昭和30年代は家の前に置いてある縁台で日が落ちるまで涼んで、家の中が冷えてから中に入りました。自動車がほとんど通らないので道路占有はお咎めなしで縁台に人が集まって将棋や碁を楽しみました。その当時家族の数以上の団扇(うちわ)がどこの家庭のもありました。
これだけエアコンの室外機が外を向いて熱風を噴き出している環境とはまるで違うと思います❤
東京の戦後5年目生まれですが。小学校に入るまでは、昭和時代とは言え、電化製品は電球とラジオ以外はなく殆どが江戸時代と変わらない生活でした。夏は蚊帳と蚊取り線香にウチワの生活で懐かしいですね。パジャマ等はなく全員が浴衣で寝ていました。また電化製品は洗濯機にテレビが最初で多くに家で扇風機はその後でしたね。
@@vfd1938 さん冷蔵庫はどのタイミングで?😮
江戸の夏は風情がありますねむぎゆとか麦茶というより美味しそう夕涼みに川沿いへ行くとかも今ではありえないし舟遊びも風情ありますタイムトラベル出来るならお江戸へ行ってみたい
子供の頃は8月でも30度を超える事はたまにあったがそんなに暑いと感じずに扇風機で過ごせた!!おまけに夕立の後はひんやりして扇風機無しでも過ごせた!!勿論かき氷等も食ってはいたが。
もとより江戸時代は寒冷化しており、更に現代の酷暑を生み出すヒートアイランド現象も無い時代なので、避暑地の如く過ごしやすかったでしょうね。7月末から8月頭にかけて江戸の町に雪が降るとか想像もつかないレベルです。
むしろ冬をあんな貧弱な暖房で過ごせるのか気になるわ夜なんか寒すぎて寝れんくないか
7月末から8月頭なんて1年で1番暑い時期でしょ?そんな時期に江戸(現東京)で雪とかにわかには信じ難いなぁ…😮
お前を待ち待ち蚊帳の外、蚊に食われ七つの鐘の鳴るまでもこちゃかまやせぬという粋な唄がありますね!
山形市で最高気温40°C超えも昭和ですよね。子供の頃は、夏は扇風機でしたし、周りに高い家も無いので風の通りが良くて心地よかった。夏休みに畳の上でタオルケット掛けて昼寝もしてました。飲み物は氷屋から氷買って来てタンクに入れて冷たい氷水飲んでました。近所の駄菓子屋ではかき氷やアイスも食べてました。温暖化恐るべし
これを聞いてわかった。トトロでさつきとめいが寝る時にしていた網状の囲いのようなものは蚊帳だったのか!
ところてん、砂糖入り水、いろんな食べ物や飲み物を考えて商売していたんですね。人間は、ものがなければないなりにいろんな楽しみを考えるものですね。滝に打たれに行く、川に涼みにいく今でもテレビもスマホもなかったら楽しめそう。
スマホ片手に下向いて歩いてる連中に言いたい😂
リアルな江戸の夏の暮らしに癒やされました江戸の人達は外出する場面が多いけど今より労働時間が短かったのかな
こう見ると現代よりも江戸時代の方が華やかに見えますね
税金で死にそう
現代より人と人との助け合い無いと生けていけない時代だったからじゃないかな?自分はそう考えています。
江戸時代のほうがいまより勤務がブラックすぎて耐えられんのやないか?
@@紙コップ-p6z 自殺率を見てください、戦時中より亡くなってるんですよ?そんな国民から巻き上げられないから外国人必死に雇おうと国は目の色変えてるんですよ
@@紙コップ-p6z仕事そのもののキツさはともかく、労働時間は現代より短かったみたいですよ。夏の日中は寝てたって言うし。
マクワウリは晩御飯の食卓によく出ていました。食塩を少しかけて食べる。風鈴は現在では、うるさいと苦情がありそうです。
蚊帳は子供の頃(昭和)にありましたね。蚊帳の中に入るときは蚊が一緒に入ってこないように慎重にしないと行けませんでした。笑蚊帳は江戸時代の代物だったのですね、でも聞くところによると、今でも日本のメーカーがアフリカや東南アジアに輸出していて、よく売れてるそうです。マラリア予防に役立ってるなら、日本の先人の知恵は凄い物です。
まぁ今が異常過ぎるだけですよね。私は北海道出身の現在本州在住の者ですが、私が小さい頃(30年近く前)はひと夏に30℃超える日は1、2回あるかどうかでしたし、湿度もなくカラッとした暑さでした。今の北海道は梅雨がないと言われていましたが、ここ数年前からかなり蒸し蒸ししていると友人や家族から聞いています。35度以上行く事も珍しくはありませんしね。江戸時代の夏なら現代人なら暑いは暑いでしょうけど、団扇くらいあれば凌げそうですね。
甘酒って丁寧に作るとガッツリ甘くて、こりゃ栄養ドリンクだなって感じになる。熱いのもいいし、今時なら冷やし甘酒もいいよ。俳句じゃ夏の季語なんだって
麹使って作った甘酒美味しいよねパン捏ねた手でうっかり触ると大変なことになるけど(すっとぼけ)
元々、甘酒は夏に冷やして飲むものでしたからね。
飲む点滴とか言われるほどに、即効で栄養補給ができるそうですな。(*´・∀・)
いつも楽しみにしています。江戸時代(後期)の庶民のことを扱った小説を読むのが好きです。江戸見聞録で教えていただいたことと照らし合わせて読んでいます。感謝!
昔は窓を開けっ放しで蚊帳を張って寝てたけど、 熱帯夜は無かったから夜中に目を覚ます事も無かった。
葦簀って本当に涼しいから、令和の時代でも普通に見かけるの先人の叡智を感じる
葦簀は風情も感じますしね。『日本の夏』という感じで。葦簀、蚊帳、風鈴、蚊取り線香、竹格子に巻き付いて咲く朝顔、蝉しぐれ、闇夜に川辺で光る蛍……なんて言う風情は見かけなくなりましたね😭
昔は確かに今より暑くなかった。それは風情を感じられたからかもしれない。
昭和生まれだけど、子供の時、リアルで蚊帳(かや)を室内に吊って、その中で寝てた(^^)/
@@M0110-s7s さん子供の頃、蚊帳の中に入って布団に寝転がると、何故かワクワクしました😃そして夏と言えば、トウモロコシ、枝豆、スイカのどれかが必ず、その日のオヤツでした。
平成4年か5年の頃を覚えてる、すごく暑かった、今日は36度くらいになるらしいよとか話してた、昔はもっと涼しかったねとか言ってた
昔の市井や生活を知るのが好きなので見てて楽しかったです
面白かったです。成る程、甘酒は今で言うエナジードリンクといったところですかね?江戸の街の様々な夏の風物が観られて、見識が広がりました。こういうのテレビの時代劇でもちゃんとやって欲しいんですよね。ワンパターンなチャンバラごっこが観たい視聴者ばかりじゃないんですよ😩このチャンネル、もっと評価が伸びてもいい筈。気長に頑張って続けて行って下さい。陰ながら応援しています👍✨
エアコン壊れて去年からエアコン無しで夏過ごしてるけど田舎で山の近くだから扇風機とサーキュレーターだけで夏過ごせてる笑車乗ってクーラー入れた時毎回感動してる☺︎笑
女性声での解説が聞きやすくすごく落ち着きますテンション高めのゆっくり解説とはまた違う良さがありますね
江戸時代の人々の夏の過ごし方🏖️、とてもいきいきと過ごしていたのがとても良く解り楽しく拝見出来ました😸現代日本は亜熱帯化しつつあって、東京のコンクリートジャングルではバーベキューになるかと言う程の暑さですが🥵、江戸の町の人々もまだ自然が豊かな川で涼をとり屋台で麦湯などでリフレッシュする😋なんかとても素朴だけど楽しい夏の風景ですね😼もう現代では、冷房最強にして、冷蔵庫のキンキンに冷えた麦茶を飲む🥶そうでもしないと生活出来ない、なんか風情が無いですね😩
今の時代にないけど当時は無いと日常が回らなるような仕事がたくさんあって面白いどの時代も全ての仕事が社会を回してる
平成初期の田舎の家でも蚊帳使ってました。秘密基地のようでわくわくしたなあ
今ほどイラスト制作や印刷の生産性も高くなかった時代に、うちわのような消耗品にもイラストを貼り付けるってなかなかすごい…
昭和後期では25度を越えると注意喚起された。エアコンの普及率が低い時代でしたが夜になると窓を開けて涼んでいました。現在では外国人だらけの物騒な世の中に変わってしまったので難しいでしょうね。
ひぇ〜😮今なら25度なんて最低気温でも平気で超えるよ😮
アジアン雑貨店で麻の服 買って着てます シワ加工で肌にくっつかないし浴衣位 涼しいです。ヨシズはかけてるけどマンションのベランダでは5年前前から突風と熱風が凄くて斜めになるし 観葉植物の育ち方が凄い ガジュマルの植木が太い根っこから細い根っこも今年はバンバン生えてきてる。朝夕の水だけで足らないのかも。ベランダだけ南国になってます💧💦
15:43わいわい天王😅ワロタ🤣 それを許しちゃう緩やかで良い時代✨👍😊元々日本家屋は平安時代から夏を前提にした造りだから、江戸時代でも夏を過ごし易い快適な住居と想像😊それでも江戸の人達の知恵は素晴らしいです!😊✨昭和62年(1987年)の9月に(私は当時12歳)故青島幸男氏演じる意地悪婆さんで、暑い、暑い、もう9月なのにまだ暑いと嘆く台詞があり、その頃から段々毎年猛暑レベルが上がっている気がします😅(冷夏だった1993年、2003年除く)。昭和58年~昭和60年位までは暑いながらも猛暑レベルの日は少なかった気がします。(関東基準)それ以前は沖縄県に住んでいたので関東の事は分かりません😅あと冷夏と云われている1993年、関西に10日ほど遊びに行きましたが関西は暑かったです。😅
びんぼうでも心豊かなのです秩序を重んじているから嘘や捏造が少ない泥棒もいない治安 平和が何よりの世界 取り締まる武士が市中にいない 最高ですよね
昭和30年台、夏休み母さんが「今日30℃近くになるから麦藁帽子を被ってけ」と言われたのを覚えてる。子供の頭で30℃って暑いんだろうな~と覚えてます、扇風機など勿論無く、テレビも無い家が結構ありました。夜は普通に窓を閉めて寝てた、それでも暑い日は二階で窓を開けみんなで蚊帳の中で寝た覚えがある。
新宿区の落合や北区の王子といったマンションや住宅街になっているエリアが観光地だったのが感慨深い
おっさんが子どもの頃は、誰の家も扇風機しか無かったなあエアコンが普及したのって、おっさんの感覚だと本当に最近なんですよでも今の時代は気温が上がりすぎて、エアコンが無いと命にかかわりますね
まさに。流石にここ数年で意識変わってきてエアコン使わない60オーバーが減って何より。今の夏は昔と違う。
オレもおっさんって言われる年になったけど、おっさん氏の感覚で言う「最近」っていつ?オレが小学生の頃から、家にエアコンあったぞ。友達の家にもあったな。記憶おかしくないか?
@@紙コップ-p6z 私が小学生の頃は、そもそもテレビにリモコンがない時代でしたね。多分、歳をとると時間が早く感じるなんて耳にしたことがあると思いますが、社会に出た後の出来事を振り返ると、「もうそんなに経ったの!?」なんて事がままあります。記憶がおかしいと言うのは言いえて妙ですね。
@@紙コップ-p6zおっさんて言っても10〜20年開いてる事もザラだし、経済力は地域差もあるから一概には言えないんですよ。
花火の時は、昔も橋の上に人がギュウギュウだったんですね。今も昔も変わらないなぁ。今年は夏バテ対策に甘酒を飲んでみます。
橋に沢山乗ると落ちる可能性あるので、町奉行所の定橋係りの与力同心は毎回大変だったそうです。定橋係りは、名前のごとく江戸市中の橋を管理する御役です。木槌を持って毎日橋巡りして交差部分を叩いて確認してました。
夏の暑さも蚊の襲来も苦手な自分としては、今回はいつも以上に興味津々👀で視聴しました~🎥葦簀に水をかけて使用することは思いつきませんでした❣今年の夏はベランダで使ってみようかな~🎵
40超えのオサーンだけど、小学校では寒くてプールの授業中止になったりしてたぞ今は暑すぎてプールの授業が中止になるらしい😂
江戸時代の夏の過ごし方がすごく風流だなぁ・・・真夏に滝浴びしてみたい
私は最後にうちわを使ったのが30年以上前だなぁ。今年は買って使おうかな。
ヨシズ、昭和は使ってました。懐かしいね🎵
昔から暑気当たりとか熱射病とかあったけど、クーラーだのエアコンもなくて扇風機だけで、つい最近までやってきた。だから戦前·大正·明治·江戸の頃は、夏も過ごしやすかったろうと思うよ。もちろん戦後だけど、場末の映画館では冷房代わりに氷柱を立ててたの覚えてるよ。
季節ごとの風情を楽しみたいから風鈴を楽しみたい。でもマンションだし近い部屋の人から嫌がられないか心配して買えない🥲風鈴大好き🎐もっと広いベランダなら簾も朝顔もしたい。
日本の家屋は夏にいかにしのぐかで作られていましたので天井が高かったし、土間は涼しかったな夏でも
案外までも使われてる道具が多かったりするのが良い。団扇絵なんかは今では宣伝とかに使われてて政治家が配って問題になったり、蚊燻なんかは進化してたり。
年寄りの冷や水て諺は冷水売りから来てるそうです高齢者がお腹を壊しやすい冷や水を飲むなんて、て無謀な事の例えだそう
0:03 開幕から暑いのに更に重ね着させようとしてる右の女性よ…(お洒落ではあるが)全巻ではないですが『鬼平犯科帳』と『剣客商売』を読んだ時にどちらにも『井戸(又は小川)でめっちゃ冷やした白玉団子にたっぷりの白砂糖をかけて食べるの最高〜♬※意訳』の一文があり、そこで「池波正太郎先生の好物なのかな」と思った記憶があります。でも昔ながらの美味しい暑気払いのおやつなんですね。滝浴みと云う言葉自体は初めて聞きますが、皆マイナスイオンを求めてたのね…涼しいもんね、わかるわぁ…。
子供の頃は27〜28℃と気温が上がれば暑い日。30℃なんて言ったら猛暑もいいとこ。学校のプールを唇むらさきにしてガタガタ震えながら入っていたのがうそのよう。水売り うちわ売り需要はありますよね。確かに…。
高校のプールが、戦後高校の安普請の水漏れプールでいつも冷たいので、校地のガケを降りたところに川があって先生の判断でよくそっちで泳ぎました。川のほうがだんぜんヌクくて快適でした。紀伊や四国で子供だったかたから、プールがダメなら海にチェンジといった似た話をよく聞きます。
冬はまだ着込んだり、火を焚いたりとできるけどさ暑い時は全裸になっても暑いからなぁ🤔
自分の曽祖父はいまだに蚊帳を愛用してます家はいつもオープンだしこめは竈門で炊いてます
夏のうなぎは、平賀源内の差し金ですね。
丑の日に「う」の付く食べ物を食べるというものだったからウサギでもウドンでも良かったのを鰻屋の後ろに「本日土用の丑の日」と幟を立てたのでしたね
藍染めの技術はアメリカやイギリスが日本に来た時すごく驚かれたものの一つ。青の染料って向こうだとすごく高価だったらしい。一般庶民が普段着で着てるのは異様だったらしいよ。
こうやって見ると本当に綺麗な水と共に発展した文化だなー。水だけは困らないからこそ、飲み水以外の娯楽につかえたんだろうし。
上野の蓮って、何百年もあそこにあるのか!
昔のラブホみたいなもんがいっぱいあった、蓮飯食って一発やって帰るみたいな文献ある。
たしかク―ラ―が普及し始めたのは1970年代。高校2年の時、我が家にはじめてエアコンが来た。50年前だけどよく覚えている。それまでは別に暑すぎるとか感じなかったけど、エアコンを買った親は、暑すぎ―と思っていたんだろうね。ク―ラ―だったかな。慣れだと思うんですが。
私の子供の頃もエアコンなんて、世間に無かったです❤
うちは今もエアコンなんてありません
エアコンありません。扇風機があれば十分です。昔、エアコンは贅沢品でした。今はみんな恵まれすぎていますよ。うちわと扇風機があれば夏は乗り越えられますよ!
子供の頃 我が家 初導入の冷房施設は水道水を循環させる水冷式のクーラーでした。狭いアパートにデッカイ機械が備えつけられ 家族5人がヘッッキモッツキで寝ておりました。20時頃から寒くなるんです 自動 運転やタイマー機能なかったので😱そして冬になると父がどっかに運んでました。
@@nana23590 エアコンをつけなくて大丈夫、むしろエアコンの方が身体が冷たくなって体調が悪くなるって人もいるよ。家の造りや地域にもよるし、全てをあなたや熱中症老人と一緒にしなくてもいいでしょ
数字エアプの昭和生まれが多すぎて目も当てられない熱中症でくたばるのは勝手だが昭和生まれなんだからお前らの文化に沿って世間の迷惑にならないようにしてくれ
30年前の統計情報見たら日本の主要都市の7〜8月の平均気温は25℃(昼夜含めて)ほど今は夏は昼35℃夜27℃くらいが当たり前になってる
昭和生まれですが、エアコンなんてなくても扇風機だけで快適だったんですよね、昔は。中学生になって居間にだけ一台クーラー(暖房ないやつ)設置したけど、いやに寒すぎて家族には不評でほとんど使ったことなかったです。でも熱中症なんて聞いたことなかったし。。なんでかなぁ?
コンクリートの熱、なかなか夜も冷えないから、今は蚊帳に入れない電気無いと、クーラー使えないし。夏に停電は?心配な雷じゃない😱
時代からすると蚊帳でさえ「安い紙製」があったいうだけで文化レベルの高さが分かる気がする
子供の頃は「蚊帳」があったなあ
トコロテンより砂糖水の方が高いのか!
30年以上昔は今の夏のように30度超える猛暑日になることはなかったし、今の冬のように20度以上になる異常に暖かい日なんてなかったな夏はクーラーつけずに窓全開にして扇風機だけで過ごせたし、冬は朝は霜が降りるのが普通で、日中でも10度下回るのが普通で寒くてあかぎれになるレベルだったな
帷子って響き、祖母の口から1つの意味は裏地のない着物だとか説明を受けて聞いた事があるな。懐かしいことを思い出せてよかったです。麻の着物はしわしわだっただろうな。昔の人は常に着物を着ていて、平安時代とかも厚手の絵しかなくて、夏の暑い時期どうすごしてたかすごく気になってた所でした。やっぱり建物も隙だらけで覗かれたりすることも多いので女性は常に肌を全部隠してたのかなとか、防犯意識の意味もあったのかなとか。うちわの元祖のものは花札の絵札みたいな絵が多いですね!いまその柄で作っても粋かも。
夏の和菓子というと葛切りの印象が強いけど、心太のが人気だったのかな?あるいは地域による感じなのかも、葛切りが上方とか?
関東民ですが葛切りは大人になって京都で初めて食べました。こんな美味しいものがあるのかと鮮烈な思い出です。うどんも関西の方が東京のうどんを真っ黒と言っているのは知っていましたが初めて食べたのは就職したバブル期。お給料日に1200円の贅沢でした。
私が子供の頃は😮まぁ四十年くらい前ですが😮扇風機で大丈夫でした😂30℃になると農作業をしていた母は大騒ぎでした😂せめて30℃迄気温が下がるように東大とか京大とかの頭がいい学校で研究してくれませんかねぇ😢
打ち水 風鈴🎐 先人は考えました。
蚊帳の中は熱いですよね!虫刺されを防止するか、涼しさを取るかの選択、でも江戸時代は小氷河期に当たるので、現代の夏よりは気温は低かったのでは❓紙製の蚊帳が有ることは知りませんでした(^o^)
小氷河期+土の道+室外機無しだから今より相当涼しかったろうね
はっきりとは覚えてないけど、子供の時(80年代後半)エアコンかけるのは夜寝る時だけだった気がする。たまに昼もかけてたけど、縁側の引き戸開けとけばそれなりに涼しかった。
日本が今のように扱ったら現在の着物と呼ばれるものも大きく姿が変わってたやろうね
江戸の人は500km?を歩いて移動したそうでそれは凄いと思いました
今年のお正月、奈良県の橿原市という所まで、スズキの軽自動車で一両日往復1000kmしました。リッター20キロ動いたけど、4回くらいマンタン入れて、ようやっと東名川崎に帰り付いたときには死ぬほど眠かった。橿原大神宮様にもお詣りもできずに、正月早々馬鹿じゃねえかと思った65歳でした。免許は近々返納いたします。
団扇おしゃれ
その代わり冬は過ごしやすくなったけどね
自分が子供のころは、電化製品ありません、当然、エアコンありません。それでも何ら問題なく過ごしてましたよ!!!
蚊帳入るの楽しかったよ笑今は室内に虫来ないから必要ないけど
江戸時代まで遡らなくても、家にある資料によると昭和6年から昭和35年までの30年間の東京と大阪の8月の平均気温は両都市とも27℃でした。東北地方では20℃以下のところもありました。昭和20年8月15日の終戦の日、東京は特に暑い日だったそうですが最高気温は29℃でした。
2:53蚊帳は部屋の中心に吊るすので、その蚊帳のさらに中心に座れば必然的に部屋の中心に居ることになり、落雷の直撃を受けにくいのだという説がある。 科学的根拠の有無については知らない。
当時は小氷河期で江戸では隅田川が凍ったという記録もある。夏は涼しかったんじゃないの。冬は極寒だけど。
昼間だけ気温30度とか今じゃ弱冷房入ってるレベルだろ・・・・・たしかに自分が子供のころは真夏でも一日中外で鬼ごっこできてた。今じゃ10分も持たない。
61歳で札幌在住ですが子供の頃、扇風機は無かった。窓開けて寝ていた。明け方は寒かった。
江戸時代の大阪の動画は可能ですか?
昔はアスファルトがない。田んぼや池が沢山有った熱が籠らない。
40年前にクラー無かったけど暑いと感じなかった。
そもそも江戸時代というのは小氷期と呼ばれ、有史時代でも気温が低い時代だった。冬には隅田川が凍り冷害で度々飢饉が発生した。
俺が小学生だった2002年頃教室にクーラーなかったが普通に生活できた。今は無理でしょ。あの頃クーラーあったの近場だと成田空港近辺の小学校ぐらい。
昔のお山の避暑地に戦後にできた田舎の新興住宅地だからそんなに暑くない。扇風機だけで我慢してる。
羨ましい!
そのかわり、何処に行くにも坂を登り降りるような場所ですよ。
@@日の本太郎-m3h 良い事ばかりでもないのですね。
東京周辺の夏の暑さが今のように気違いじみたものになったのは、確実にヒートアイランドの影響だろうな。
年間を通して今よりもだいぶ涼しかった江戸時代だけど、もし仮にあの当時が今のような猛暑酷暑な気候だったら人類はどうなってたのだろうか…そう考えると今の暑い気候になる前に科学が進歩してくれて本当に良かった
わいわい天王のわいわい天王騒ぐがお好きという囃し文句、歌舞伎十八番の(暫)で似たようなセリフを聞いたことがありますね!
甘酒が夏の季語で今でいうエナジードリンクの位置付けだったと知ってビックリ
風情あるけどさ~、もう無理だよね~‼️楽しむ余裕もない。。
昭和63年は冷夏でしたね。当時中2でしたが、ラジオのパーソナリティが涼しいを通り越して寒いと言ってた記憶があります。この年の真夏日はたったの2日だったとか。1700年代もこんな感じだったのでしょうか。
俺が小さかった30年前は、真夏の夜でも網戸と扇風機で充分だった。今は普通に亡くなる人もいるくらい。地球温暖化ですわ。
1 コメントは様々だなと思いながら、私は、江戸期のそれなりの豊かさ、生産力・加工流通力・文化力・貨幣経済の発達度などを考え、日本はそういう状態が出来上がっていたので、近代化にともなって、それが効率化され、庶民はそれにてきおうできたのだなと感じています。2 江戸中期の人口は3000万人、江戸末期・明治維新期4000万人です(ということは、それだけのコメ生産、あるいは、各種の農産物の生産があったということです)。アジア(朝鮮半島の人口は秀吉の時、日本の3分の1(このころ、英国人口も日本の3分の1),明治維新時もほぼ3分の1です)で、中国・インドにつく人口大国だったと気づく人は少ないのではないでしょうか。これだけkの人口を抱えられる生産力と社会を運営する仕組みが出来上がっていたわけです。それは、明治以降、効率化されて現代に続いていることになります。3 こういう日本の基礎力を見ないで、遅れた国だったというから、奇跡のけいざいせいちょうなどというのではないかと推測されます。もともと日本はせんざいりょくのたかいくにだったのではないでしょうか。移民労働力を入れて、日本をこわずなど、よくそういうアイデアがでてくるものです(支配者層にです)。
江戸時代とか夏場は今と違って10度以上低かったんだろうなぁ。川の水も地下水も冷たかったろうし。
今ほど暑くもなかったろうし、今みたくアスファルトもコンクリートもなく、緑も多かったから過ごしやすかったろうな。
43歳だけど、
昔は祖父母と蚊帳の中に入って寝てたなぁ
懐かしい
祖父母に孝行したかったな
当時はむしろ冬の寒さのほうが大変だったろうな
昔(平成中期くらい)は夏でも午前中は暑くなかったし日中も日陰に行けば涼しかった。夜になって風が吹けば涼しかったし気温も30℃超えるなんて稀だった
確実に暑くなっていってますよね。私が母の実家にお盆の時に帰省してた時夜扇風機で寝れましたもん。今は絶対無理ですね。
10数年前くらいから猛暑だの酷暑だの言われ始めていたけど、当時はまだ「そんな大袈裟な〜、こんなのたまたま今年がそうだったんでしょ」とか思ってたんですが、いまやそれが毎年の常識になってしまいましたね……
もはや昭和から平成初期頃の程よい夏日が懐かしいです
都内は既に三十年前には今ぐらい暑かった。(ヒートアイランド現象)
しかし、最近は場所関係なく暑くなった。
35年前、小学生の夏休みに、宿題は午前中の涼しい時にやれと言われたのを思い出した。
最近は一日中暑い。
気象庁が平均気温の推移を公開してるけど、確かに気温は上昇傾向だがこの100年で1.5℃程度上がっただけ
そんな極端に変わった訳じゃない 30℃を越えることはなかったなんて記憶が補正されてるんでしょ
日がくれると涼しかったらしいのでそんなに苦にはならなかったのと思うんですが、寧ろ冬場は相当寒かっただろうな😅
ルームエヤコンが普及する昭和50年代まで庶民は暑い夏を江戸時代同様に過ごしていました。
部屋が涼しいのはここ50年程の話でありまして先ず普及したのが扇風機でした。昭和40年代に一家で複数台の扇風機とパンツ一丁が暑さ対策。
昭和30年代は家の前に置いてある縁台で日が落ちるまで涼んで、家の中が冷えてから中に入りました。
自動車がほとんど通らないので道路占有はお咎めなしで縁台に人が集まって将棋や碁を楽しみました。
その当時家族の数以上の団扇(うちわ)がどこの家庭のもありました。
これだけエアコンの室外機が外を向いて熱風を噴き出している環境とは
まるで違うと思います❤
東京の戦後5年目生まれですが。小学校に入るまでは、昭和時代とは言え、電化製品は電球とラジオ以外はなく殆どが江戸時代と変わらない生活でした。夏は蚊帳と蚊取り線香にウチワの生活で懐かしいですね。パジャマ等はなく全員が浴衣で寝ていました。また電化製品は洗濯機にテレビが最初で多くに家で扇風機はその後でしたね。
@@vfd1938 さん
冷蔵庫はどのタイミングで?😮
江戸の夏は風情がありますね
むぎゆとか麦茶というより美味しそう
夕涼みに川沿いへ行くとかも
今ではありえないし
舟遊びも風情あります
タイムトラベル出来るならお江戸へ行ってみたい
子供の頃は8月でも30度を超える事はたまにあったがそんなに暑いと感じずに扇風機で過ごせた!!おまけに夕立の後はひんやりして扇風機無しでも過ごせた!!勿論かき氷等も食ってはいたが。
もとより江戸時代は寒冷化しており、更に現代の酷暑を生み出すヒートアイランド現象も無い時代なので、避暑地の如く過ごしやすかったでしょうね。
7月末から8月頭にかけて江戸の町に雪が降るとか想像もつかないレベルです。
むしろ冬をあんな貧弱な暖房で過ごせるのか気になるわ
夜なんか寒すぎて寝れんくないか
7月末から8月頭なんて1年で1番暑い時期でしょ?
そんな時期に江戸(現東京)で雪とかにわかには信じ難いなぁ…😮
お前を待ち待ち蚊帳の外、蚊に食われ七つの鐘の鳴るまでもこちゃかまやせぬという粋な唄がありますね!
山形市で最高気温40°C超えも昭和ですよね。
子供の頃は、夏は扇風機でしたし、周りに高い家も無いので風の通りが良くて心地よかった。夏休みに畳の上でタオルケット掛けて昼寝もしてました。飲み物は氷屋から氷買って来てタンクに入れて冷たい氷水飲んでました。近所の駄菓子屋ではかき氷やアイスも食べてました。
温暖化恐るべし
これを聞いてわかった。
トトロでさつきとめいが寝る時にしていた網状の囲いのようなものは蚊帳だったのか!
ところてん、砂糖入り水、いろんな食べ物や飲み物を考えて商売していたんですね。
人間は、ものがなければないなりにいろんな楽しみを考えるものですね。
滝に打たれに行く、川に涼みにいく今でもテレビもスマホもなかったら楽しめそう。
スマホ片手に下向いて歩いてる連中に言いたい😂
リアルな江戸の夏の暮らしに癒やされました
江戸の人達は外出する場面が多いけど今より労働時間が短かったのかな
こう見ると現代よりも江戸時代の方が華やかに見えますね
税金で死にそう
現代より人と人との助け合い無いと生けていけない時代だったからじゃないかな?
自分はそう考えています。
江戸時代のほうがいまより勤務がブラックすぎて耐えられんのやないか?
@@紙コップ-p6z 自殺率を見てください、戦時中より亡くなってるんですよ?そんな国民から巻き上げられないから外国人必死に雇おうと国は目の色変えてるんですよ
@@紙コップ-p6z
仕事そのもののキツさはともかく、労働時間は現代より短かったみたいですよ。
夏の日中は寝てたって言うし。
マクワウリは晩御飯の食卓によく出ていました。食塩を少しかけて食べる。
風鈴は現在では、うるさいと苦情がありそうです。
蚊帳は子供の頃(昭和)にありましたね。蚊帳の中に入るときは蚊が一緒に入ってこないように慎重にしないと行けませんでした。笑
蚊帳は江戸時代の代物だったのですね、でも聞くところによると、今でも日本のメーカーがアフリカや東南アジアに輸出していて、よく売れてるそうです。マラリア予防に役立ってるなら、日本の先人の知恵は凄い物です。
まぁ今が異常過ぎるだけですよね。
私は北海道出身の現在本州在住の者ですが、私が小さい頃(30年近く前)はひと夏に30℃超える日は1、2回あるかどうかでしたし、湿度もなくカラッとした暑さでした。
今の北海道は梅雨がないと言われていましたが、ここ数年前からかなり蒸し蒸ししていると友人や家族から聞いています。
35度以上行く事も珍しくはありませんしね。
江戸時代の夏なら現代人なら暑いは暑いでしょうけど、団扇くらいあれば凌げそうですね。
甘酒って丁寧に作るとガッツリ甘くて、こりゃ栄養ドリンクだなって感じになる。
熱いのもいいし、今時なら冷やし甘酒もいいよ。
俳句じゃ夏の季語なんだって
麹使って作った甘酒美味しいよね
パン捏ねた手でうっかり触ると大変なことになるけど(すっとぼけ)
元々、甘酒は夏に冷やして飲むものでしたからね。
飲む点滴とか言われるほどに、即効で栄養補給ができるそうですな。(*´・∀・)
いつも楽しみにしています。江戸時代(後期)の庶民のことを扱った小説を読むのが好きです。江戸見聞録で教えていただいたことと照らし合わせて読んでいます。感謝!
昔は窓を開けっ放しで蚊帳を張って寝てたけど、 熱帯夜は無かったから夜中に目を覚ます事も無かった。
葦簀って本当に涼しいから、令和の時代でも
普通に見かけるの先人の叡智を感じる
葦簀は風情も感じますしね。『日本の夏』という感じで。
葦簀、蚊帳、風鈴、蚊取り線香、竹格子に巻き付いて咲く朝顔、蝉しぐれ、闇夜に川辺で光る蛍……
なんて言う風情は見かけなくなりましたね😭
昔は確かに今より暑くなかった。それは風情を感じられたからかもしれない。
昭和生まれだけど、子供の時、リアルで蚊帳(かや)を室内に吊って、その中で寝てた(^^)/
@@M0110-s7s さん
子供の頃、蚊帳の中に入って布団に寝転がると、何故かワクワクしました😃
そして夏と言えば、トウモロコシ、枝豆、スイカのどれかが必ず、その日のオヤツでした。
平成4年か5年の頃を覚えてる、すごく暑かった、今日は36度くらいになるらしいよとか話してた、昔はもっと涼しかったねとか言ってた
昔の市井や生活を知るのが好きなので見てて楽しかったです
面白かったです。成る程、甘酒は今で言うエナジードリンクといったところですかね?
江戸の街の様々な夏の風物が観られて、見識が広がりました。
こういうのテレビの時代劇でもちゃんとやって欲しいんですよね。
ワンパターンなチャンバラごっこが観たい視聴者ばかりじゃないんですよ😩
このチャンネル、もっと評価が伸びてもいい筈。
気長に頑張って続けて行って下さい。陰ながら応援しています👍✨
エアコン壊れて去年からエアコン無しで夏過ごしてるけど田舎で山の近くだから扇風機とサーキュレーターだけで夏過ごせてる笑
車乗ってクーラー入れた時毎回感動してる☺︎笑
女性声での解説が聞きやすく
すごく落ち着きます
テンション高めのゆっくり解説とはまた違う良さがありますね
江戸時代の人々の夏の過ごし方🏖️、とてもいきいきと過ごしていたのがとても良く解り楽しく拝見出来ました😸
現代日本は亜熱帯化しつつあって、東京のコンクリートジャングルではバーベキューになるかと言う程の暑さですが🥵、江戸の町の人々もまだ自然が豊かな川で涼をとり屋台で麦湯などでリフレッシュする😋
なんかとても素朴だけど楽しい夏の風景ですね😼
もう現代では、冷房最強にして、冷蔵庫のキンキンに冷えた麦茶を飲む🥶そうでもしないと生活出来ない、なんか風情が無いですね😩
今の時代にないけど
当時は無いと日常が回らなるような仕事がたくさんあって面白い
どの時代も全ての仕事が社会を回してる
平成初期の田舎の家でも蚊帳使ってました。秘密基地のようでわくわくしたなあ
今ほどイラスト制作や印刷の生産性も高くなかった時代に、うちわのような消耗品にもイラストを貼り付けるってなかなかすごい…
昭和後期では25度を越えると注意喚起された。エアコンの普及率が低い時代でしたが夜になると窓を開けて涼んでいました。現在では外国人だらけの物騒な世の中に変わってしまったので難しいでしょうね。
ひぇ〜😮
今なら25度なんて最低気温でも平気で超えるよ😮
アジアン雑貨店で麻の服 買って着てます シワ加工で肌にくっつかないし浴衣位 涼しいです。ヨシズはかけてるけどマンションのベランダでは5年前前から突風と熱風が凄くて斜めになるし 観葉植物の育ち方が凄い ガジュマルの植木が太い根っこから細い根っこも今年はバンバン生えてきてる。朝夕の水だけで足らないのかも。ベランダだけ南国になってます💧💦
15:43わいわい天王😅ワロタ🤣 それを許しちゃう緩やかで良い時代✨👍😊
元々日本家屋は平安時代から夏を前提にした造りだから、江戸時代でも夏を過ごし易い快適な住居と想像😊
それでも江戸の人達の知恵は素晴らしいです!😊✨
昭和62年(1987年)の9月に(私は当時12歳)故青島幸男氏演じる意地悪婆さんで、暑い、暑い、もう9月なのにまだ暑いと嘆く台詞があり、その頃から段々毎年猛暑レベルが上がっている気がします😅(冷夏だった1993年、2003年除く)。
昭和58年~昭和60年位までは暑いながらも猛暑レベルの日は少なかった気がします。(関東基準)
それ以前は沖縄県に住んでいたので関東の事は分かりません😅
あと冷夏と云われている1993年、関西に10日ほど遊びに行きましたが関西は暑かったです。😅
びんぼうでも心豊かなのです秩序を重んじているから嘘や捏造が少ない泥棒もいない治安 平和が何よりの世界 取り締まる武士が市中にいない 最高ですよね
昭和30年台、夏休み母さんが「今日30℃近くになるから麦藁帽子を被ってけ」と言われたのを覚えてる。
子供の頭で30℃って暑いんだろうな~と覚えてます、扇風機など勿論無く、テレビも無い家が結構ありました。
夜は普通に窓を閉めて寝てた、それでも暑い日は二階で窓を開けみんなで蚊帳の中で寝た覚えがある。
新宿区の落合や北区の王子といったマンションや住宅街になっているエリアが観光地だったのが感慨深い
おっさんが子どもの頃は、誰の家も扇風機しか無かったなあ
エアコンが普及したのって、おっさんの感覚だと本当に最近なんですよ
でも今の時代は気温が上がりすぎて、エアコンが無いと命にかかわりますね
まさに。流石にここ数年で意識変わってきてエアコン使わない60オーバーが減って何より。今の夏は昔と違う。
オレもおっさんって言われる年になったけど、おっさん氏の感覚で言う「最近」っていつ?オレが小学生の頃から、家にエアコンあったぞ。友達の家にもあったな。
記憶おかしくないか?
@@紙コップ-p6z 私が小学生の頃は、そもそもテレビにリモコンがない時代でしたね。多分、歳をとると時間が早く感じるなんて耳にしたことがあると思いますが、社会に出た後の出来事を振り返ると、「もうそんなに経ったの!?」なんて事がままあります。記憶がおかしいと言うのは言いえて妙ですね。
@@紙コップ-p6z
おっさんて言っても10〜20年開いてる事もザラだし、経済力は地域差もあるから一概には言えないんですよ。
花火の時は、昔も橋の上に人がギュウギュウだったんですね。
今も昔も変わらないなぁ。
今年は夏バテ対策に甘酒を飲んでみます。
橋に沢山乗ると落ちる可能性あるので、町奉行所の定橋係りの与力同心は毎回大変だったそうです。
定橋係りは、名前のごとく
江戸市中の橋を管理する御役です。
木槌を持って毎日橋巡りして交差部分を叩いて確認してました。
夏の暑さも蚊の襲来も苦手な自分としては、今回はいつも以上に興味津々👀で視聴しました~🎥
葦簀に水をかけて使用することは思いつきませんでした❣今年の夏はベランダで使ってみようかな~🎵
40超えのオサーンだけど、小学校では寒くてプールの授業中止になったりしてたぞ
今は暑すぎてプールの授業が中止になるらしい😂
江戸時代の夏の過ごし方がすごく風流だなぁ・・・
真夏に滝浴びしてみたい
私は最後にうちわを使ったのが30年以上前だなぁ。
今年は買って使おうかな。
ヨシズ、昭和は使ってました。懐かしいね🎵
昔から暑気当たりとか熱射病とかあったけど、クーラーだのエアコンもなくて扇風機だけで、つい最近までやってきた。だから戦前·大正·明治·江戸の頃は、夏も過ごしやすかったろうと思うよ。もちろん戦後だけど、場末の映画館では冷房代わりに氷柱を立ててたの覚えてるよ。
季節ごとの風情を楽しみたいから風鈴を楽しみたい。でもマンションだし近い部屋の人から嫌がられないか心配して買えない🥲風鈴大好き🎐もっと広いベランダなら簾も朝顔もしたい。
日本の家屋は夏にいかにしのぐかで作られていましたので天井が高かったし、土間は涼しかったな夏でも
案外までも使われてる道具が多かったりするのが良い。
団扇絵なんかは今では宣伝とかに使われてて政治家が配って問題になったり、蚊燻なんかは進化してたり。
年寄りの冷や水て諺は冷水売りから来てるそうです
高齢者がお腹を壊しやすい冷や水を飲むなんて、て無謀な事の例えだそう
0:03 開幕から暑いのに更に重ね着させようとしてる右の女性よ…(お洒落ではあるが)
全巻ではないですが『鬼平犯科帳』と『剣客商売』を読んだ時にどちらにも『井戸(又は小川)でめっちゃ冷やした白玉団子にたっぷりの白砂糖をかけて食べるの最高〜♬※意訳』の一文があり、そこで「池波正太郎先生の好物なのかな」と思った記憶があります。でも昔ながらの美味しい暑気払いのおやつなんですね。
滝浴みと云う言葉自体は初めて聞きますが、皆マイナスイオンを求めてたのね…涼しいもんね、わかるわぁ…。
子供の頃は27〜28℃と気温が上がれば暑い日。30℃なんて言ったら猛暑もいいとこ。学校のプールを唇むらさきにしてガタガタ震えながら入っていたのがうそのよう。水売り うちわ売り需要はありますよね。確かに…。
高校のプールが、戦後高校の安普請の水漏れプールでいつも冷たいので、校地のガケを降りたところに川があって先生の判断でよくそっちで泳ぎました。川のほうがだんぜんヌクくて快適でした。紀伊や四国で子供だったかたから、プールがダメなら海にチェンジといった似た話をよく聞きます。
冬はまだ着込んだり、火を焚いたりとできるけどさ暑い時は全裸になっても暑いからなぁ🤔
自分の曽祖父はいまだに蚊帳を愛用してます家はいつもオープンだしこめは竈門で炊いてます
夏のうなぎは、平賀源内の差し金ですね。
丑の日に「う」の付く食べ物を食べるというものだったからウサギでもウドンでも良かったのを鰻屋の後ろに「本日土用の丑の日」と幟を立てたのでしたね
藍染めの技術はアメリカやイギリスが日本に来た時すごく驚かれたものの一つ。青の染料って向こうだとすごく高価だったらしい。一般庶民が普段着で着てるのは異様だったらしいよ。
こうやって見ると本当に綺麗な水と共に発展した文化だなー。水だけは困らないからこそ、飲み水以外の娯楽につかえたんだろうし。
上野の蓮って、何百年もあそこにあるのか!
昔のラブホみたいなもんがいっぱいあった、蓮飯食って一発やって帰るみたいな文献ある。
たしかク―ラ―が普及し始めたのは1970年代。高校2年の時、我が家にはじめてエアコンが来た。50年前だけどよく覚えている。それまでは別に暑すぎるとか感じなかったけど、エアコンを買った親は、暑すぎ―と思っていたんだろうね。ク―ラ―だったかな。慣れだと思うんですが。
私の子供の頃もエアコンなんて、世間に無かったです❤
うちは今もエアコンなんてありません
エアコンありません。
扇風機があれば十分です。
昔、エアコンは贅沢品でした。今はみんな恵まれすぎていますよ。
うちわと扇風機があれば夏は乗り越えられますよ!
子供の頃 我が家 初導入の冷房施設は水道水を循環させる水冷式のクーラーでした。狭いアパートにデッカイ機械が備えつけられ 家族5人がヘッッキモッツキで寝ておりました。20時頃から寒くなるんです 自動 運転やタイマー機能なかったので😱そして冬になると父がどっかに運んでました。
@@nana23590 エアコンをつけなくて大丈夫、むしろエアコンの方が身体が冷たくなって体調が悪くなるって人もいるよ。家の造りや地域にもよるし、全てをあなたや熱中症老人と一緒にしなくてもいいでしょ
数字エアプの昭和生まれが多すぎて目も当てられない
熱中症でくたばるのは勝手だが昭和生まれなんだからお前らの文化に沿って世間の迷惑にならないようにしてくれ
30年前の統計情報見たら日本の主要都市の7〜8月の平均気温は25℃(昼夜含めて)ほど
今は夏は昼35℃夜27℃くらいが当たり前になってる
昭和生まれですが、エアコンなんてなくても扇風機だけで快適だったんですよね、昔は。中学生になって居間にだけ一台クーラー(暖房ないやつ)設置したけど、いやに寒すぎて家族には不評でほとんど使ったことなかったです。でも熱中症なんて聞いたことなかったし。。なんでかなぁ?
コンクリートの熱、なかなか夜も冷えないから、今は蚊帳に入れない電気無いと、クーラー使えないし。夏に停電は?心配な雷じゃない😱
時代からすると蚊帳でさえ「安い紙製」があったいうだけで文化レベルの高さが分かる気がする
子供の頃は「蚊帳」があったなあ
トコロテンより砂糖水の方が高いのか!
30年以上昔は今の夏のように30度超える猛暑日になることはなかったし、
今の冬のように20度以上になる異常に暖かい日なんてなかったな
夏はクーラーつけずに窓全開にして扇風機だけで過ごせたし、
冬は朝は霜が降りるのが普通で、日中でも10度下回るのが普通で寒くてあかぎれになるレベルだったな
帷子って響き、祖母の口から1つの意味は裏地のない着物だとか説明を受けて聞いた事があるな。懐かしいことを思い出せてよかったです。麻の着物はしわしわだっただろうな。昔の人は常に着物を着ていて、平安時代とかも厚手の絵しかなくて、夏の暑い時期どうすごしてたかすごく気になってた所でした。やっぱり建物も隙だらけで覗かれたりすることも多いので女性は常に肌を全部隠してたのかなとか、防犯意識の意味もあったのかなとか。
うちわの元祖のものは花札の絵札みたいな絵が多いですね!いまその柄で作っても粋かも。
夏の和菓子というと葛切りの印象が強いけど、心太のが人気だったのかな?
あるいは地域による感じなのかも、葛切りが上方とか?
関東民ですが葛切りは大人になって京都で初めて食べました。こんな美味しいものがあるのかと鮮烈な思い出です。うどんも関西の方が東京のうどんを真っ黒と言っているのは知っていましたが初めて食べたのは就職したバブル期。お給料日に1200円の贅沢でした。
私が子供の頃は😮
まぁ四十年くらい前ですが😮
扇風機で大丈夫でした😂
30℃になると農作業をしていた母は大騒ぎでした😂
せめて30℃迄気温が下がるように東大とか京大とかの頭がいい学校で研究してくれませんかねぇ😢
打ち水 風鈴🎐 先人は考えました。
蚊帳の中は熱いですよね!虫刺されを防止するか、涼しさを取るかの選択、でも江戸時代は小氷河期に当たるので、現代の夏よりは気温は低かったのでは❓紙製の蚊帳が有ることは知りませんでした(^o^)
小氷河期+土の道+室外機無しだから今より相当涼しかったろうね
はっきりとは覚えてないけど、子供の時(80年代後半)エアコンかけるのは夜寝る時だけだった気がする。たまに昼もかけてたけど、縁側の引き戸開けとけばそれなりに涼しかった。
日本が今のように扱ったら現在の着物と呼ばれるものも大きく姿が変わってたやろうね
江戸の人は500km?を歩いて移動したそうでそれは凄いと思いました
今年のお正月、奈良県の橿原市という所まで、スズキの軽自動車で一両日往復1000kmしました。リッター20キロ動いたけど、4回くらいマンタン入れて、ようやっと東名川崎に帰り付いたときには死ぬほど眠かった。橿原大神宮様にもお詣りもできずに、正月早々馬鹿じゃねえかと思った65歳でした。免許は近々返納いたします。
団扇おしゃれ
その代わり冬は過ごしやすくなったけどね
自分が子供のころは、電化製品ありません、当然、エアコンありません。それでも何ら問題なく過ごしてましたよ!!!
蚊帳入るの楽しかったよ笑今は室内に虫来ないから必要ないけど
江戸時代まで遡らなくても、家にある資料によると昭和6年から昭和35年までの30年間の東京と大阪の8月の平均気温は両都市とも27℃でした。東北地方では20℃以下のところもありました。
昭和20年8月15日の終戦の日、東京は特に暑い日だったそうですが最高気温は29℃でした。
2:53
蚊帳は部屋の中心に吊るすので、その蚊帳のさらに中心に座れば必然的に部屋の中心に居ることになり、落雷の直撃を受けにくいのだという説がある。 科学的根拠の有無については知らない。
当時は小氷河期で江戸では隅田川が凍ったという記録もある。
夏は涼しかったんじゃないの。
冬は極寒だけど。
昼間だけ気温30度とか今じゃ弱冷房入ってるレベルだろ・・・・・
たしかに自分が子供のころは真夏でも一日中外で鬼ごっこできてた。
今じゃ10分も持たない。
61歳で札幌在住ですが子供の頃、扇風機は無かった。
窓開けて寝ていた。明け方は寒かった。
江戸時代の大阪の動画は可能ですか?
昔はアスファルトがない。
田んぼや池が沢山有った熱が籠らない。
40年前にクラー無かったけど暑いと感じなかった。
そもそも江戸時代というのは小氷期と呼ばれ、有史時代でも気温が低い時代だった。
冬には隅田川が凍り冷害で度々飢饉が発生した。
俺が小学生だった2002年頃教室にクーラーなかったが普通に生活できた。
今は無理でしょ。
あの頃クーラーあったの近場だと成田空港近辺の小学校ぐらい。
昔のお山の避暑地に戦後にできた田舎の新興住宅地だからそんなに暑くない。扇風機だけで我慢してる。
羨ましい!
そのかわり、何処に行くにも坂を登り降りるような場所ですよ。
@@日の本太郎-m3h 良い事ばかりでもないのですね。
東京周辺の夏の暑さが今のように気違いじみたものになったのは、確実にヒートアイランドの影響だろうな。
年間を通して今よりもだいぶ涼しかった江戸時代だけど、もし仮にあの当時が今のような猛暑酷暑な気候だったら人類はどうなってたのだろうか…
そう考えると今の暑い気候になる前に科学が進歩してくれて本当に良かった
わいわい天王のわいわい天王騒ぐがお好きという囃し文句、歌舞伎十八番の(暫)で似たようなセリフを聞いたことがありますね!
甘酒が夏の季語で今でいうエナジードリンクの位置付けだったと知ってビックリ
風情あるけどさ~、もう無理だよね~‼️
楽しむ余裕もない。。
昭和63年は冷夏でしたね。当時中2でしたが、ラジオのパーソナリティが涼しいを通り越して寒いと言ってた記憶があります。
この年の真夏日はたったの2日だったとか。1700年代もこんな感じだったのでしょうか。
俺が小さかった30年前は、真夏の夜でも網戸と扇風機で充分だった。
今は普通に亡くなる人もいるくらい。
地球温暖化ですわ。
1 コメントは様々だなと思いながら、私は、江戸期のそれなりの豊かさ、生産力・加工流通力・文化力・貨幣経済の発達度などを考え、日本はそういう状態が出来上がっていたので、近代化にともなって、それが効率化され、庶民はそれにてきおうできたのだなと感じています。
2 江戸中期の人口は3000万人、江戸末期・明治維新期4000万人です(ということは、それだけのコメ生産、あるいは、各種の農産物の生産があったということです)。アジア(朝鮮半島の人口は秀吉の時、日本の3分の1(このころ、英国人口も日本の3分の1),明治維新時もほぼ3分の1です)で、中国・インドにつく人口大国だったと気づく人は少ないのではないでしょうか。これだけkの人口を抱えられる生産力と社会を運営する仕組みが出来上がっていたわけです。それは、明治以降、効率化されて現代に続いていることになります。
3 こういう日本の基礎力を見ないで、遅れた国だったというから、奇跡のけいざいせいちょうなどというのではないかと推測されます。もともと日本はせんざいりょくのたかいくにだったのではないでしょうか。移民労働力を入れて、日本をこわずなど、よくそういうアイデアがでてくるものです(支配者層にです)。
江戸時代とか夏場は今と違って10度以上低かったんだろうなぁ。川の水も地下水も冷たかったろうし。