Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
240RSこの車、30数年前浜松のエン○イさんが経営していた、チューニングショップで代車で数時間ほど乗せて頂いた事がありました、かなり街中では運転し難い車でしたが注目度1000%でした。
学生の頃、GSのバイトでこの車が給油にきて物凄い迫力の音とオーラでした。数年前は中古でもたまに見かけましたが、いまは高いでしょうね。以前、日産の開発の人に聞いたのはホロモゲの為に作られた240RSもかなりの台数が新車のまま海外から戻ってきて、解体処分されたとのことでした。いまあれば、、、欲しい!
240RSは売れ残っちゃってなぁ。ワークスで50台確保、あとは海外と国内競技ベースで何台売れたか?恐らく50台以上は売れ残ったはず。追浜の研究所奥にある船積みの建屋で解体され、部品はストリートも行うショップに流れた。あそこってテスト後のMID-4があったり海外ラリー帰りのマシンがあったり当時は秘密の場所だったんかな?
MID4とトヨタ222d(MR2ベースのミッドシップ4WDマシン)がWRCで戦う姿が見たかったですね
ミッド4はラリーでは車体がデカイかなぁ〜当時だったらサニーかパルサー辺りかなぁ〜
オヤジが240RS乗ってました。生前、FJ24エンジンを眺めてしきりに『コレの何処がFJ20ベースなんだろう?』って首捻ってましたねぇ。ソレ位魔改造されてるエンジンだった様です。親父の話だと4発のL系に見えて仕方ないと生前ぼやいてました。
通りすがりの者です。240RSは、ニッサンの読み違い感が半端ない。もうターボやツインチャージの時代に、NAにキャブじゃヤッパリ辛い。軽量化求めて4気筒じゃ2.4Lが一杯一杯だったんでしょうね。ただ プライベートには、敷居が低くて喜ばれたって話は聞いたことが有ります。
筑波サーキットでも走ってましたよ!星野さん長谷見さん第1コーナーの立ち上がりドリフト上手かったなー!
当時どこかのラリーショップが4台くらいだったかな?逆輸入して売ってました。販売価格は確か500万円! 今考えれば安いかな?当時の給料ではどう頑張っても無理で諦めましたが。まぁ無理して買ったとしても維持できなかったですね。クラッチとかも専用品で、部品もものすごく高かったらしいです。
そういえば雑誌の広告で見た記憶があるかな?何だったっけ?当時車の雑誌は5~6冊買ってたから忘れてしまったけど。
@@ずー55 私も記憶が定かではないですが、ラリーショップの広告だと思うので「プレイドライブ」じゃないですかね?
IRS(岩下ラリーサービス)じゃない?
@@近藤敏之-l2b ああ、そうかもしれないですね。ちなみにそのうちの1台は会社の先輩の友人が買ってます。今でも乗ってるのかな?
長谷見さんは監督業になってからもエンデューロ(二輪)やラリーレイドに参加してましたね
この頃の日産というと、レース活動全般でちぐはぐな感じですよね。長谷見さんもRacingOnで語っていますが、予算取り付けるのに色々苦労していたようで、レース優勝が至上命題の’70年頃とは大違いだったようです。ラリー方面では240RSが、サーキット方面ではグループCスカイラインが、そのちぐはぐの犠牲者だったのかも知れません。
開発責任者によると、いろんな人を乗せてみたが、長谷見さんと星野さんしかものにならなかったらしいですね。昔RUclipsで見ました。
LANCIA 037のように外観は元になったシルビアっぽい仕上げるも中身はパイプフレームで組み上げられたラリー専用車なら旋回性能に難があったaudiに土をつけることもイベントによっては可能だったかもしれないグループBだけどほとんど4なのが惜しい
FJ20は2.2Lならボアアップだけでできた&ピストンもその辺で売ってたからね。でも400馬力出すのにはみんな苦労していた(そんな中吸排気+ECU+タービン交換だけで450馬力出るRB26が出て流れが変わった)燃焼室形状までいじっていた人にとっては「これがメーカーの本気?」と驚いていた頃俺高校生。大学に入って車いじり始めてZ18改、CA18改を作っていたwツインカムは部品代も加工代も高いのでシングルカムばかりだった、FJ20以外は。L型6気筒は重いのでやりたくなかった(1人じゃヘッド別にしても持てないんだよね)解体屋で全部自分でやるならエンジン1基1.5万でいいよと言われていた頃(一般客の案内もしていたw)ただ鉄仮面のパーツは高く売れるので触れなかったけど。240RSってP910ブルーバード(FR最終)、R30スカイラインじゃなくてサニーベース(FR時代の)だよね?(多分)2代目シルビアまでがサニーベースだったのを知ってがっかり。ボディサイズ的にP910ブルーバードベースだと思っていたから尚更がっかりした記憶がある。LZエンジンと言いとにかく訳が分からない頃だった。就職してからある機会があって精密測定(温度変化による寸法変化の超精密測定)をみたらEJ20(インプレッサのエンジン)とまるわかりだったのを見てsti‐ver4-rを買ったばかりの俺ワクワクだった。ミッションはFS5W71Bまでは結構弱かった感じだけどR31搭載のC型になってかなり頑丈に(S14はわからん)、S型?(R33、R34、S15の5速車)になって600馬力までノーマルで対応していたとか。リヤデフもどんどんサイズアップ。スカイラインやシルビアのターボがR200を使っていた時代にインプレッサはS13NA前期搭載のR165(sti含む一般車)やS13前期ターボ、後期NA搭載のR180(機械式LSD装着のsti-RA,R限定)だったからなあ。
240RSはA10バイオレット(オースター、スタンザ)ベース
度重なる不祥事や組織体質の問題でメーカー本体の体力が残っていない以上、フォーミュラE以外で日産がワークスとして国際的なモータースポーツに参加するのはほぼ不可能でしょうね、非常に残念ですが…今では何かと”偽術”だの”やっちゃった”だのと揶揄されがちですが、実の所は技術的に面白い車は他社に負けないぐらいにキチンとあるんですよね。事実、この240RSもテストしたドライバーの感触は悪く無かった訳ですし。ただ、他所の解説動画を見た時にも思いましたが、結局はお役所的で硬直化した組織体質の問題が根深くて、それに起因する問題で上手くいかないパターンが多いんですよねぇ…今回の開発の舞台裏然り、ルノー傘下になるまでに至った経営問題然りと。色々と組織の刷新をしている最中だと思いますが、家が日産贔屓の自分としては何とか元気を取り戻して欲しいです。そしてあわよくば、WRCや何よりWECに戻って来る事を願っています。
今『エビスサーキット』になってる敷地がまだ砂地だった頃、テストが其処で行われてたそうです。『チームオレンジ』の熊久保さんが、幼少期の思い出で語ってます。
この時期から日産はおかしくなってくね。DR30に乗ってたけどシャシぐにゃぐにゃでした。周りも皆トヨタのマークⅡやソアラだったね。ラリーもトヨタのTA64がサファリ無双だったね。近所に240RS持ってる人いるよ。サファリ出たやつ。
3:25~82年の勝利はバイオレットGTSじゃなく優勝はPA10バイオレットのメッタですよ。チームは主力車種をシルビアGTSターボへ変更してマイク・カークラン他はシルビアで出場しましたが、サファリ3連覇中のエースのメッタだけは信頼性と実績から今まで通りのPA10バイオレット160Jで出場して優勝で4連覇です。それと240RSのネーミングが素っ気ないとの事ですが、バイオレットも正式なエントリー車種名は『DATUN160J』です。あくまでバイオレットは市販車の車名で、実戦の160Jは姉妹車のスタンザ顔とテールでも出場していましたね。
オーストラリアではバイオレット顔のスタンザがありましたね、サザンクロスの優勝車も。
神岡さんが開発に加わっているのは知りませんでした。地方戦から全日本戦にステップアップした頃ですね。史上最年少での年間チャンピオンの記録が、未だに破られていません。今度会ったら聞いときます。星野さんは二輪ダート上がりなので、ダートも速いんですよ。長谷見昌弘さんも同様です。当時の浅間サーキットで、二輪ダートトライアルから四輪にステップアップしたライダー(ドライバー)は、皆さん速いです。鬼籍に入られた加瀬さんが、生前に証言してました。
2005年に横浜赤レンガ広場で、ラリーカーとラリーカーレプリカを展示した催し「スピリットオブラリー2005」を見に行って最終日の遅い時間だったので撤収作業をみられまして、240RSがゆっくり動いているのを見たのですが、アイドリング音がすごく荒々しくエンジンルームのカウルが振動していたのが印象的でした。スピリットオブラリーは2003と2005しか見に行ってませんけど、2001から開催されていたと聞いて、もっと見に行けばよかったと後悔してます。
バタネンとかF1ドライバーもラリーで結果出してる。レース云々は全く関係無い。ましてやモトクロス上がりで4輪でもいきなり速かった星野一義。対応出来ない訳が無い。
バタネンはラリーとラリーレイド(パリダカなど)、パイクスピークは出ているけどF1には出ていないよライコネンとかハッキネンの事では?
当時、私はまだ中学生で、フジミの1/24のキットを購入したのですが、蓋を開けてビックリ。中身は110シルビアのキットにグラベル用タイヤと実車とは全く形状の異なるヤン車みたいなオーバーフェンダーパーツ、あとロールバー(ケージじゃなくてバーですよ)が追加されただけのものでした。しかもオーバーフェンダー内にボディのホイールアーチが見えなくなるように元のホイールアーチ周りが切断されていた為に、ノーマルのシルビアとして組むことも出来ず、見事タンスの肥やしと化したのでした。合掌。そして50を過ぎた今、Beemaxに感謝。
ビーマックスは最高。後はスープラのサファリ仕様を出してくれれば…。
@@Calibre770503 そちらはハセガワさんに期待しましょう。グループAスープラもレーシングの方はネタが尽きてきた感がありますから、そろそろラリーに舵を切っても良い頃ですよ。何せ近年は『飛行機のハセガワ』から『自動車のハセガワ』へと変貌を遂げていますから…。
FJ20はH20のラインが余ったからイマイチ中途半端なエンジンになったみたいだけど、LZのヘッドデザインを活かせば遥かに凄いエンジンに仕上がった様に思いますね!
79~82年のサファリ優勝は全てバイオレット。82年サファリにバイオレットGTS(シルビアS110)を導入したが、シェッカーメッタが戦闘力不足を理由に乗る事を拒否し、急遽前年使用のバイオレットを準備して出場し勝利したはず。
FJ24を逆輸入してR30に乗せて乗ってた後輩居たな~エンジン見るだけでFJ20のオーラとは違ってたの思い出しました
あの車がシルビアを名乗っていたのは日本だけで、海外名は200SX。だからそのエボリューションモデルは240RSになるというわけ。240Zの成功から、そのイメージを使いたかったというのもある。
あのカクカクの形好きですよ決して速くないけど好きな車ですよ。
カックカクのボディにカックカクのオーバーフェンダーがたまらない(* ´ ▽ ` *)
FIAT131(のABARTHレプリカ)乗りの俺、参上!
@@aruarufo-to それは渋い‼️
当時のカタログを見たことがあるが、テストドライバーに長谷見昌弘氏を起用。本人の写真も載っていました。因みに内容は、全て横文字。
僕の知りあいは、日産のデイラ-の息子だった。そのデイラ-で日産大森に2台ラリ-カ-を作ってもらったそうだ。2台の内1台はデイラ-の息子が普通に乗っていた。あれが240RSだったのだろうか。
日産のラリーはNRSたかさきでしょ、240RSにも関わっていて今でも国内戦はNRSが頑張っているはず
いやそのだいぶ前からワークスのお二人はラリー車開発やってたじゃん。雑誌に載ってたよ。
PA10バイオレットから本格的にやりましたね。その前任の710バイオレットからパイロットモデルとして開発していたそうです。
今のトヨタがやっていることを、日産はやっていたんですね…星野一義さんがダートを走らせる…観てみたかった
ruclips.net/video/gmkws785Hrc/видео.htmlこちらの動画に星野さん、長谷見さんが240RSをテストするシーンがあります。
@@user-qx3ee2hb9e 日産ワークスのドライバー長谷見さん都平健二さんはラリーカーのテストしました長谷見さんはプライベートでR50テラノでラリーに出場しましたね古くからのワークスドライバーは色んなマシーンのテストをしてました!
日産240RSベースはAP10型バイオレットだったんですね。S110型シルビアかなとおもってました。でもかっこいいですね。
ランチャの美しさに相反する日産のラリーマシンは割と好き笑
シルビアがバイオレットベースで開発されたのかな?と当時聞いた様な…。だからトレッドが狭くて標準タイヤだと中に入っちゃってカッコ悪かった。デザインはクーペモデルはカッコイイなぁって思ってた。
ターボかフルタイム4WDか、どっちかだけでもかすって欲しかった
北野元さんは「4気筒モデルはバランス良かった!」と絶賛していた!😁
当時450万くらいだったはず。友達が、持っていて運転したけど面白かったな。
グループBのセリカ・ツインカムターボは市販バージョンとワークスのエボリューションは別物で、期待して購入したユーザーは普通のセリカとの違いが分からずがっかりした人も多かったらしい。一方の240RSはそのまま競技に参加できそうなくらいスパルタンな仕様だったが価格が災いしてなかなか売れなかったとのこと。ちなみに星野さんはあの四角いオーバーフェンダーダサくてが気に入らなかったそうです。
俺の親父達が昔、ラリーヤッてた知り合いが、降りる時に、木箱入り[ラリーワークス用(4A-Gターボ)]を、そのまた知り合いの[三代目セリカGT(ポップアップライト)]に載せて、インテークパイプを大型化して最高出力600馬力を叩き出す、ハイパワーセリカを作った。www
テンロクで600馬力とはグループCとかパイクスピークの世界ですね。60系セリカは4A-Gの設定もあったはずなので70系カローラにRB26を載せるような苦労はなかったと思いますがそれなりの難儀はあったと思います。池谷「このタコ足エグいうねり方してんなぁ…」
@@user-oj4ek8sp8b しかもそのセリカ、[ノーマル・サスペンション]に、[ノーマル・ギア]と言うな。まぁ、[超ドッカンターボ]だろうけど。www 秋山渉[アドレナリン、ドッパッドッパダァァァァ]
セリカの軽量化タイプを200台作ってそこからエボリューションモデル20台でグループBホモロゲーションを取得したトヨタの作戦勝ちとも言える
200台の生産台数を正直に作って20台エボしたのが日産。20台のエボモデルのために200台適当に作ったのがトヨタ。
240RSとサファリと言えばシェッカーメッタ
MID4は幼少期に見たスーパーカー図鑑に載っていて、あこがれのマシンのひとつでした。ついに市販されなかったのが悲しい・・・。
確か星野も参加してラリー屋は2速で曲がってるのをオレは5速で曲がったとドヤ顔してたとか
星野さんさんはモトクロスの全日本チャンピオンだからね❗
赤時代のカワサキですね
240RSとかもう、通な車だわw
240RSだけじゃなくセリカやRX-7のグループB車両もだけど、欧州のメーカーに比べると中途半端というか。グループB規定が日本メーカーには不利だったというか、向いてなかった。グループSは生産台数規定が10台のみだから、ルマンのGT1がそうだったように日本メーカーにはありがたい規定だったよね。競技車両だけ生産すればいいだけだし。スペシャルモデルを200台の少量を開発生産して売るためのノウハウと土壌がなかった。逆にグループAは、当時4WDターボのスポーツタイプが売れる市場があったから強かった。
逆輸入車が600万円位だったっけ
確かその位 ナンバーも付いたはず
日産自動車がラリーから手を引いて久しいですね。とても寂しいです。もう、日産自動車はレース活動をする体力が無いのですね?SUPERGTなんて夢がなく面白くないので、撤退してもよいのに。ル・マンにはチャレンジして欲しいのです。ところで、学生の頃に追浜工場のテストコースで240RSが走っているのを見たことがあります。エキゾーストノートが良かったです。レースカーなので大音量でした。
俺の撮った写真がネットのどこかにあるはずだから、使ってもよかったのに・・・
この240RSですが、外観はシルビアの姉妹車の「ガゼール」なんですが…?(;^_^A。違っていたら、すいませんm(_ _)m。
240sxは 無いの?
トヨタもピンカドセリカ→70スープラ使ってたし🤔
1982年は、メッタさんがPA10でサファリを4連覇。メッタさん以外がS110です。
ミッション交換なら7分程度で交換してました。
240RSこの車、30数年前浜松のエン○イさんが経営していた、チューニングショップで代車で数時間ほど乗せて頂いた事がありました、かなり街中では運転し難い車でしたが注目度1000%でした。
学生の頃、GSのバイトでこの車が給油にきて物凄い迫力の音とオーラでした。数年前は中古でもたまに見かけましたが、いまは高いでしょうね。以前、日産の開発の人に聞いたのはホロモゲの為に作られた240RSもかなりの台数が新車のまま海外から戻ってきて、解体処分されたとのことでした。いまあれば、、、欲しい!
240RSは売れ残っちゃってなぁ。ワークスで50台確保、あとは海外と国内競技ベースで何台売れたか?
恐らく50台以上は売れ残ったはず。追浜の研究所奥にある船積みの建屋で解体され、部品はストリートも行うショップに流れた。
あそこってテスト後のMID-4があったり海外ラリー帰りのマシンがあったり当時は秘密の場所だったんかな?
MID4とトヨタ222d(MR2ベースのミッドシップ4WDマシン)がWRCで戦う姿が見たかったですね
ミッド4はラリーでは車体がデカイかなぁ〜当時だったらサニーかパルサー辺りかなぁ〜
オヤジが240RS乗ってました。生前、FJ24エンジンを眺めてしきりに『コレの何処がFJ20ベースなんだろう?』って首捻ってましたねぇ。ソレ位魔改造されてるエンジンだった様です。
親父の話だと4発のL系に見えて仕方ないと生前ぼやいてました。
通りすがりの者です。240RSは、ニッサンの読み違い感が半端ない。もうターボやツインチャージの時代に、NAにキャブじゃヤッパリ辛い。
軽量化求めて4気筒じゃ2.4Lが一杯一杯だったんでしょうね。ただ プライベートには、敷居が低くて喜ばれたって話は聞いたことが有ります。
筑波サーキットでも走ってましたよ!星野さん長谷見さん第1コーナーの立ち上がりドリフト上手かったなー!
当時どこかのラリーショップが4台くらいだったかな?逆輸入して売ってました。
販売価格は確か500万円! 今考えれば安いかな?
当時の給料ではどう頑張っても無理で諦めましたが。
まぁ無理して買ったとしても維持できなかったですね。
クラッチとかも専用品で、部品もものすごく高かったらしいです。
そういえば雑誌の広告で見た記憶があるかな?何だったっけ?当時車の雑誌は5~6冊買ってたから忘れてしまったけど。
@@ずー55 私も記憶が定かではないですが、ラリーショップの広告だと思うので
「プレイドライブ」じゃないですかね?
IRS(岩下ラリーサービス)じゃない?
@@近藤敏之-l2b
ああ、そうかもしれないですね。
ちなみにそのうちの1台は会社の先輩の友人が買ってます。
今でも乗ってるのかな?
長谷見さんは監督業になってからもエンデューロ(二輪)やラリーレイドに参加してましたね
この頃の日産というと、レース活動全般でちぐはぐな感じですよね。
長谷見さんもRacingOnで語っていますが、予算取り付けるのに色々苦労していたようで、レース優勝が至上命題の’70年頃とは大違いだったようです。
ラリー方面では240RSが、サーキット方面ではグループCスカイラインが、そのちぐはぐの犠牲者だったのかも知れません。
開発責任者によると、いろんな人を乗せてみたが、長谷見さんと星野さんしかものにならなかったらしいですね。昔RUclipsで見ました。
LANCIA 037のように外観は元になったシルビアっぽい仕上げるも
中身はパイプフレームで組み上げられたラリー専用車なら旋回性能に難があったaudiに土をつけることもイベントによっては可能だったかもしれない
グループBだけどほとんど4なのが惜しい
FJ20は2.2Lならボアアップだけでできた&ピストンもその辺で売ってたからね。でも400馬力出すのにはみんな苦労していた(そんな中吸排気+ECU+タービン交換だけで450馬力出るRB26が出て流れが変わった)
燃焼室形状までいじっていた人にとっては「これがメーカーの本気?」と驚いていた頃俺高校生。大学に入って車いじり始めてZ18改、CA18改を作っていたwツインカムは部品代も加工代も高いのでシングルカムばかりだった、FJ20以外は。L型6気筒は重いのでやりたくなかった(1人じゃヘッド別にしても持てないんだよね)解体屋で全部自分でやるならエンジン1基1.5万でいいよと言われていた頃(一般客の案内もしていたw)ただ鉄仮面のパーツは高く売れるので触れなかったけど。
240RSってP910ブルーバード(FR最終)、R30スカイラインじゃなくてサニーベース(FR時代の)だよね?(多分)2代目シルビアまでがサニーベースだったのを知ってがっかり。
ボディサイズ的にP910ブルーバードベースだと思っていたから尚更がっかりした記憶がある。LZエンジンと言いとにかく訳が分からない頃だった。
就職してからある機会があって精密測定(温度変化による寸法変化の超精密測定)をみたらEJ20(インプレッサのエンジン)とまるわかりだったのを見てsti‐ver4-rを買ったばかりの俺ワクワクだった。
ミッションはFS5W71Bまでは結構弱かった感じだけどR31搭載のC型になってかなり頑丈に(S14はわからん)、S型?(R33、R34、S15の5速車)になって600馬力までノーマルで対応していたとか。
リヤデフもどんどんサイズアップ。スカイラインやシルビアのターボがR200を使っていた時代にインプレッサはS13NA前期搭載のR165(sti含む一般車)やS13前期ターボ、後期NA搭載のR180(機械式LSD装着のsti-RA,R限定)だったからなあ。
240RSはA10バイオレット(オースター、スタンザ)ベース
度重なる不祥事や組織体質の問題でメーカー本体の体力が残っていない以上、フォーミュラE以外で日産がワークスとして国際的なモータースポーツに参加するのはほぼ不可能でしょうね、非常に残念ですが…
今では何かと”偽術”だの”やっちゃった”だのと揶揄されがちですが、実の所は技術的に面白い車は他社に負けないぐらいにキチンとあるんですよね。事実、この240RSもテストしたドライバーの感触は悪く無かった訳ですし。
ただ、他所の解説動画を見た時にも思いましたが、結局はお役所的で硬直化した組織体質の問題が根深くて、それに起因する問題で上手くいかないパターンが多いんですよねぇ…今回の開発の舞台裏然り、ルノー傘下になるまでに至った経営問題然りと。色々と組織の刷新をしている最中だと思いますが、家が日産贔屓の自分としては何とか元気を取り戻して欲しいです。
そしてあわよくば、WRCや何よりWECに戻って来る事を願っています。
今『エビスサーキット』になってる敷地がまだ砂地だった頃、テストが其処で行われてたそうです。
『チームオレンジ』の熊久保さんが、幼少期の思い出で語ってます。
この時期から日産はおかしくなってくね。DR30に乗ってたけどシャシぐにゃぐにゃでした。周りも皆トヨタのマークⅡやソアラだったね。ラリーもトヨタのTA64がサファリ無双だったね。近所に240RS持ってる人いるよ。サファリ出たやつ。
3:25~82年の勝利はバイオレットGTSじゃなく優勝はPA10バイオレットのメッタですよ。
チームは主力車種をシルビアGTSターボへ変更してマイク・カークラン他はシルビアで出場しましたが、サファリ3連覇中のエースのメッタだけは信頼性と実績から今まで通りのPA10バイオレット160Jで出場して優勝で4連覇です。
それと240RSのネーミングが素っ気ないとの事ですが、バイオレットも正式なエントリー車種名は『DATUN160J』です。
あくまでバイオレットは市販車の車名で、実戦の160Jは姉妹車のスタンザ顔とテールでも出場していましたね。
オーストラリアではバイオレット顔のスタンザがありましたね、サザンクロスの優勝車も。
神岡さんが開発に加わっているのは知りませんでした。
地方戦から全日本戦にステップアップした頃ですね。
史上最年少での年間チャンピオンの記録が、未だに破られていません。
今度会ったら聞いときます。
星野さんは二輪ダート上がりなので、ダートも速いんですよ。
長谷見昌弘さんも同様です。
当時の浅間サーキットで、二輪ダートトライアルから四輪にステップアップしたライダー(ドライバー)は、皆さん速いです。
鬼籍に入られた加瀬さんが、生前に証言してました。
2005年に横浜赤レンガ広場で、ラリーカーとラリーカーレプリカを展示した催し「スピリットオブラリー2005」を見に行って最終日の遅い時間だったので撤収作業をみられまして、240RSがゆっくり動いているのを見たのですが、アイドリング音がすごく荒々しくエンジンルームのカウルが振動していたのが印象的でした。スピリットオブラリーは2003と2005しか見に行ってませんけど、2001から開催されていたと聞いて、もっと見に行けばよかったと後悔してます。
バタネンとかF1ドライバーもラリーで結果出してる。レース云々は全く関係無い。
ましてやモトクロス上がりで4輪でもいきなり速かった星野一義。対応出来ない訳が無い。
バタネンはラリーとラリーレイド(パリダカなど)、パイクスピークは出ているけどF1には出ていないよ
ライコネンとかハッキネンの事では?
当時、私はまだ中学生で、フジミの1/24のキットを購入したのですが、蓋を開けてビックリ。中身は110シルビアのキットにグラベル用タイヤと実車とは全く形状の異なるヤン車みたいなオーバーフェンダーパーツ、あとロールバー(ケージじゃなくてバーですよ)が追加されただけのものでした。
しかもオーバーフェンダー内にボディのホイールアーチが見えなくなるように元のホイールアーチ周りが切断されていた為に、ノーマルのシルビアとして組むことも出来ず、見事タンスの肥やしと化したのでした。
合掌。そして50を過ぎた今、Beemaxに感謝。
ビーマックスは最高。
後はスープラのサファリ仕様を出してくれれば…。
@@Calibre770503 そちらはハセガワさんに期待しましょう。グループAスープラもレーシングの方はネタが尽きてきた感がありますから、そろそろラリーに舵を切っても良い頃ですよ。何せ近年は『飛行機のハセガワ』から『自動車のハセガワ』へと変貌を遂げていますから…。
FJ20はH20のラインが余ったからイマイチ中途半端なエンジンになったみたいだけど、LZのヘッドデザインを活かせば遥かに凄いエンジンに仕上がった様に思いますね!
79~82年のサファリ優勝は全てバイオレット。82年サファリにバイオレットGTS(シルビアS110)を導入したが、シェッカーメッタが戦闘力不足を理由に乗る事を拒否し、急遽前年使用のバイオレットを準備して出場し勝利したはず。
FJ24を逆輸入してR30に乗せて乗ってた後輩居たな~
エンジン見るだけでFJ20のオーラとは違ってたの思い出しました
あの車がシルビアを名乗っていたのは日本だけで、海外名は200SX。だからそのエボリューションモデルは240RSになるというわけ。240Zの成功から、そのイメージを使いたかったというのもある。
あのカクカクの形好きですよ決して速くないけど好きな車ですよ。
カックカクのボディにカックカクのオーバーフェンダーがたまらない(* ´ ▽ ` *)
FIAT131(のABARTHレプリカ)乗りの俺、参上!
@@aruarufo-to それは渋い‼️
当時のカタログを見たことがあるが、テストドライバーに長谷見昌弘氏を起用。本人の写真も載っていました。
因みに内容は、全て横文字。
僕の知りあいは、日産のデイラ-の息子だった。そのデイラ-で日産大森に2台ラリ-カ-を作ってもらったそうだ。2台の内1台はデイラ-の息子が普通に乗っていた。あれが240RSだったのだろうか。
日産のラリーはNRSたかさきでしょ、240RSにも関わっていて今でも国内戦はNRSが頑張っているはず
いやそのだいぶ前からワークスのお二人はラリー車開発やってたじゃん。雑誌に載ってたよ。
PA10バイオレットから本格的にやりましたね。その前任の710バイオレットからパイロットモデルとして開発していたそうです。
今のトヨタがやっていることを、日産はやっていたんですね…
星野一義さんがダートを走らせる…観てみたかった
ruclips.net/video/gmkws785Hrc/видео.html
こちらの動画に星野さん、長谷見さんが240RSをテストするシーンがあります。
@@user-qx3ee2hb9e 日産ワークスのドライバー長谷見さん都平健二さんはラリーカーのテストしました長谷見さんはプライベートでR50テラノでラリーに出場しましたね古くからのワークスドライバーは色んなマシーンのテストをしてました!
日産240RSベースはAP10型バイオレットだったんですね。S110型シルビアかなとおもってました。でもかっこいいですね。
ランチャの美しさに相反する日産のラリーマシンは割と好き笑
シルビアがバイオレットベースで開発されたのかな?と当時聞いた様な…。だからトレッドが狭くて標準タイヤだと中に入っちゃってカッコ悪かった。デザインはクーペモデルはカッコイイなぁって思ってた。
ターボかフルタイム4WDか、どっちかだけでもかすって欲しかった
北野元さんは「4気筒モデルはバランス良かった!」と絶賛していた!😁
当時450万くらいだったはず。友達が、持っていて運転したけど面白かったな。
グループBのセリカ・ツインカムターボは市販バージョンとワークスのエボリューションは別物で、期待して購入したユーザーは普通のセリカとの違いが分からずがっかりした人も多かったらしい。一方の240RSはそのまま競技に参加できそうなくらいスパルタンな仕様だったが価格が災いしてなかなか売れなかったとのこと。ちなみに星野さんはあの四角いオーバーフェンダーダサくてが気に入らなかったそうです。
俺の親父達が昔、ラリーヤッてた知り合いが、降りる時に、木箱入り[ラリーワークス用(4A-Gターボ)]を、そのまた知り合いの[三代目セリカGT(ポップアップライト)]に載せて、インテークパイプを大型化して最高出力600馬力を叩き出す、ハイパワーセリカを作った。www
テンロクで600馬力とはグループCとかパイクスピークの世界ですね。60系セリカは4A-Gの設定もあったはずなので70系カローラにRB26を載せるような苦労はなかったと思いますがそれなりの難儀はあったと思います。
池谷「このタコ足エグいうねり方してんなぁ…」
@@user-oj4ek8sp8b しかもそのセリカ、[ノーマル・サスペンション]に、[ノーマル・ギア]と言うな。まぁ、[超ドッカンターボ]だろうけど。www
秋山渉[アドレナリン、ドッパッドッパダァァァァ]
セリカの軽量化タイプを200台作って
そこからエボリューションモデル20台でグループBホモロゲーションを取得した
トヨタの作戦勝ちとも言える
200台の生産台数を正直に作って20台エボしたのが日産。
20台のエボモデルのために200台適当に作ったのがトヨタ。
240RSとサファリと言えばシェッカーメッタ
MID4は幼少期に見たスーパーカー図鑑に載っていて、あこがれのマシンのひとつでした。
ついに市販されなかったのが悲しい・・・。
確か星野も参加してラリー屋は2速で曲がってるのをオレは5速で曲がったとドヤ顔してたとか
星野さんさんはモトクロスの全日本チャンピオンだからね❗
赤時代のカワサキですね
240RSとかもう、通な車だわw
240RSだけじゃなくセリカやRX-7のグループB車両もだけど、欧州のメーカーに比べると中途半端というか。グループB規定が日本メーカーには不利だったというか、向いてなかった。
グループSは生産台数規定が10台のみだから、ルマンのGT1がそうだったように
日本メーカーにはありがたい規定だったよね。
競技車両だけ生産すればいいだけだし。
スペシャルモデルを200台の少量を開発生産して売るためのノウハウと土壌がなかった。
逆にグループAは、当時4WDターボのスポーツタイプが売れる市場があったから強かった。
逆輸入車が600万円位だったっけ
確かその位 ナンバーも付いたはず
日産自動車がラリーから手を引いて久しいですね。とても寂しいです。もう、日産自動車はレース活動をする体力が無いのですね?SUPERGTなんて夢がなく面白くないので、撤退してもよいのに。ル・マンにはチャレンジして欲しいのです。ところで、学生の頃に追浜工場のテストコースで240RSが走っているのを見たことがあります。エキゾーストノートが良かったです。レースカーなので大音量でした。
俺の撮った写真がネットのどこかにあるはずだから、使ってもよかったのに・・・
この240RSですが、外観はシルビアの姉妹車の「ガゼール」なんですが…?(;^_^A。
違っていたら、すいませんm(_ _)m。
240sxは 無いの?
トヨタもピンカドセリカ→70スープラ使ってたし🤔
1982年は、メッタさんがPA10でサファリを4連覇。メッタさん以外がS110です。
ミッション交換なら7分程度で交換してました。