「準急」なのにエース!?歴史ある便利な"準"急行
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- Опубликовано: 31 июл 2022
- 赤準急、それは東武鉄道に半世紀以上存在した種別だ。現在では見ることはできなくなっている種別で、当時の様々な厳しい条件故、6両編成での運転主体を変えられなかった東武によって、半蔵門線への直通を機に。。。
ご視聴ありがとうございます。久しぶりの投稿となりました。次の投稿は来年になると思われますがどうぞよろしくお願いします。チャンネル登録も是非!
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/ sparrow_tobu
訂正 2023/2/5
タイトルの文法ミスを訂正しました。
2024/4/29
赤準急は直接的な廃止要因ではなく、誇張表現となっていたタイトルとサムネイルを修正
これに関して誤った形で認識された方、申し訳ございませんでした。
詳しくはコミュニティをご覧ください
追記 2023/4/19
佐野、小泉線直通の準急列車は1969年8月1日ダイヤ改正で消滅
nodaseto8101f.sakura.ne.jp/re...
東武鉄道
全線路線図
www.tobu.co.jp/pdf/guide/tobu...
効果音ラボ
soundeffect-lab.info/
DOVA SYNDROME
・1曲目
ステラと塔の物語 written by しゃろう
dova-s.jp/bgm/play11845.html
・2曲目
さみしいおばけと東京の月 written by しゃろう
dova-s.jp/bgm/play14327.html
・3曲目
Cassette Tape Dream written by しゃろう
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・4曲目
Certain Victory written by ハモおた
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・5曲目
10℃ written by しゃろう
dova-s.jp/bgm/play12439.html
・6曲目
Prayer written by MFP【Marron Fields Production】
dova-s.jp/bgm/play4973.html
・7曲目
今日の日に、おやすみ written by 蒲鉾さちこ
dova-s.jp/bgm/play14193.html
赤準急に興味を持った方に見てほしいサイト
geo.d51498.com/history_of_rail...
takasuzuki.travel.coocan.jp/s_...
takasuzuki.travel.coocan.jp/to...
tetu5501.exblog.jp/14819561/
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設定当初の行先に関しては葛生行もでした。佐野線以外制覇とは、本当に当時の準急はすごいですね。
30000系登場時には 佐野市 が収録されていました。
北千住駅4番線に入線(回送)した際に佐野市表示(種別は消灯)で来た時にはビックリしました。
ただ、佐野市表示を見かけたのはこれが最初で最後でした…
平成21年まで準急ではないですが、定期で佐野市行きが走ってましたね。
takasuzuki.travel.coocan.jp/tobuyuki.htm
以後佐野へ延長されたようです。
1997~2003年は東武ファンの間で様々な妄想ダイヤが盛んに考察されていたんですよね。6050系列の後継が転換クロスの後継車で準急Aと統合されて東武動物公園駅分割運用とかりょうもうが上毛電鉄に乗り入れて前橋直通とか快速半蔵門線乗り入れとか・・・
この時期の東武が赤字に苦しんでいたなんてその時は想像もしませんでした
もし浅草駅が10両対応だったら…
現在の伊勢崎線は東上線に似た運行をしていたかもしれない
思ったんだけど半蔵門線直通主体ダイヤはいいけど種別名まで変える必要はあったのだろうか?
高校時代、夏に東京に予備校の講習に行っていたが、帰りに乗るのがいつも浅草発の「準急伊勢崎行き」「準急大田行き」「準急館林行き」だった。準急Aに乗ると飛ばす駅も多くて早く着き嬉しかったな。
準急Aは草加でりょうもうに抜かれてた
浅草駅は当時ドアカット対応が10030系50番台しか無かったから4+4の連結時は必ず下り方に10030系50番台を連結してないといけない制約があったな。
だからといって、最近のダイヤ改正でも減便だったり運行縮小だったり利用客に優しくなくてよくないよな
赤準急があった頃まで戻らなくていいから2010年ぐらいのダイヤに戻してくれないかな...
一部の方はお気付きですが9-10時代や20時代以降、急行→準急の格下げが増えてるんですよね。区間急行も区間準急化されてる数が増えてます。将来的には今の急行区間急行は全て準急区間準急化されて速達性を無くした上で特急誘導を今以上に加速させそう
@@train30000 実際それ以上もありえる
個人的には北越谷以北毎時4本、東武動物公園〜久喜・南栗橋毎時2本、それ以外のローカル線毎時1本(もしくは2時間に1本)のワンマン体制もいつかはありえるって今の体質から見て確信してる
@@blue_north5041さん
伊勢崎線沿線住民です。
羽生辺りまでは乗降客が多いと思うので、(希望的観測ですが)館林行きの日中毎時3本が減便になるのは、かなり反発を喰らうと思います。
50年位昔は、あくまで記憶ですが、「準急Aが毎時2本」「準急Bが毎時1本」(後に、羽生止まりが1本増えた)だったので…
赤準急は結局北千住・西新井での乗り換え混雑を生むだけだったかも知れない
半蔵門線が直通したおかげで北千住の乗り換えが減った代わりに急行・緑準急が激混みになったからなぁ
ここで日比谷線が当初の東急の要求通り20m規格で創られていたら直通種別を設定出来たのではと思うと…
来年には相鉄から乗り入れ来ちゃうから東武本線からの乗り入れももう期待できないだろうな
半蔵門線直通前の伊勢崎線は「準急」がメインで6連が圧倒的に多く、日中でも混雑していたような記憶があります。半蔵門線直通開始で北千住駅の混雑だけでなく、日比谷線と千代田線の混雑緩和にも功を奏しました。ほぼすべての時間帯で10連が走るようになり、スカイツリーライン区間は日比谷線、半蔵門線主体のダイヤとなったことで、都心への新たなルートが加わったことも印象に残っています。
会津田島始発の浅草行き準急好きだったわ。何気に区間急行になっても生き残ってくれていた。
@@psychedelicraspberry517 お前の中では無いんだろう。お前の中ではな。
6050系の準急(区間急行)浅草行きが、快速運転終了後の夜に田島から出てたんだよ
それが翌日折り返し浅草初電の東武日光行の準急になるんだよ
@@user-og3ik6yt9y 少なくともJTB時刻表1999年7月号にはそんな列車載ってない(野岩鉄道は全列車掲載だが)😜
@@psychedelicraspberry517 はいはい。
ruclips.net/video/nDUAgkFp9FU/видео.html
@@psychedelicraspberry517 日中の快速運転終了後に18時08分会津田島発車の区間急行浅草行き4両は普通に有名でしたが(動画は最終日なんで6両だが)
快速廃止後なら「浅草行き」も「下今市併合」も存在しないんですわ。全て「東武日光」発の南栗橋行きなのでね
準急Aは、今にして思えば「太田~北千住間準急(太田駅案内放送の表現)」でなく、「館林~北千住間準急」にしておけば、館林~太田の利便性があがって、良かったのでは・・・。
準急A,B時代の杉戸から先はデータイム4本と少なかったけどそれより伊勢崎線の通勤快速は北千住-春日部-杉戸とそれ以外が全駅停車と言う、どうしようもない運用だったのを覚えている。
伊勢崎線の通勤快速はすごい割り振った停車駅ですね。
@@sparrow_tobu しかも北千住の駅の列車案内表示が通勤快速って出なくて快速って表示なもんだから6000系が来るのか?おかしいな…と子供心に思った上に、百発百中8000系で来るから尚更がっかり( ´△`)
通勤快速って結構幻の種別だったような?
日光線系統は浅草~北千住までの各駅、春日部、杉戸、幸手、新古河、藤岡、新大平下からの各駅(ソースは鎌ケ谷にある郷土資料館)
伊勢崎線系統は浅草~杉戸は日光線系統に準じて、以北は準急Aと同じ停車駅(ソースは同じく鎌ケ谷郷土資料館)
日光線通勤快速は今の今に至るまで、停車駅設定が何物にも被りませんね
90年代前半、草加市にある大学に通学するために伊勢崎線利用してました。
武蔵野線から乗り換えてまだ地上駅だった新越谷駅のホームにおりると、ちょうど10両編成の準急業平橋行きが通過するタイミングで(新越谷は当時は普通しか停車しなかった)地方から上京したばかりの自分は10両という長ーい編成にびっくりするとともに、「業平橋」がなんとも雅な行き先に見えたものでした😃
帰り、大学もよりの松原団地駅(当時)は、高架にはなっていたけどまだ複線。
準急伊勢崎、太田、6050型の快速東武日光行き、四角い😮りょうもう、1720系のけごん、きぬ(スペーシアも徐々に投入されていたが)がバンバン通過していくのが「ああ、東武ってすげー・・」とい思ったものでした。
それから数十年、仕事で当時見ていた行き先の伊勢崎、太田で仕事をするようになるとは・・・そしてなによりワンマン運転で首都圏直通の運行がずたずたに分断されるとは(T-T)
確か朝イチの東武日光行きだけ6050型運用だったんですよねぇ。
区間急行時代のみしか知らないのですが、22時代に6050型6連の区間急行新栃木行きもありましたね。準急時代にあったかは存じ得ないですが。
@@sparrow_tobu 赤準急と言えば日光線はほとんどが新栃木行きだったと思います。伊勢崎線系統は伊勢崎、太田、館林等ありましたけどねぇ。
夜のラッシュ時間帯に6050の準急新栃木走ってました。西新井カーブでよく見てました
区間準急は1997年~2003年ダイヤ改正前までは全てが北千住止まりで浅草まで区間準急が来るようになったのは2006年ダイヤ改正からですね。
懐かしいですね。区間準急が設定されて越谷以北の普通のみ停車駅の本数が1h6本になったんですよね
嘗て伊勢崎線の優等列車は,
急行[りょうもう],A準急,B準急の3種類。A準急利用で浅草⇔伊勢崎2時間30分だった。
所要時間は意外と今と変わらないものですね。当時は遅かったのでしょうかね。
@@sparrow_tobu A準急はダイヤが5000系スジで結構寝てたんですよね。ダイヤ上の最高速度も95km/hでした。
そのせいか遅延にはめっぽう強く、10分遅延でも伊勢崎までには片道で回復していたイメージです。
もし東武が京成に負けて、上野発着だったら違ったかもしれませんね。でも京成は京成で上野使いにくいからみんな途中駅で分散していく()
東武は上野行ってればよかったのになー
日比谷線は上野から、半蔵門線は北千住からになっていたかもしれませんね
浅草発の準急で北千住で降車専用ホームに入り特急を待避したあと通常のホームに入ってたのはB準急のみですか?A準急にもありましたか?
また、いつ頃までありましたか?
しょうがないですね。浅草をターミナルに合わせられなかった東武さんも半蔵門線開通までは耐えたんですからすごいと思います
そうですね、自分も結論はそうなっちゃうと思います。
半蔵門線直通が遅れてなければ、倒産の危機にはならずに済んだかもしれませんね。
準急AとB、懐かしいですね。
自分が知ってる時代の路線図では、日光線直通はただの準急として表示されてました。
伊勢崎発着の通勤快速は準急Aを北千住〜春日部間ノンストップにしたもので、上り列車は失念しましたが、その後下りは不自然な時間帯に運転となる準急Aに格下げ、更にその後準急Bの太田止まりになったと記憶してます。
貴重な意見ありがとうございます。
通勤快速はやはり需要時代が少なかったのでしょうか。遠距離への移動には適していそうですが、すぐに廃止されたのを鑑みるとあまり利便性は高くなさそうですね。
@@sparrow_tobu
車両が通勤型で、北千住から利用する方の準急との誤乗なども理由としてはあったのかもしれませんね。
準急のお話しなので余談となりますが、伊勢崎発着の通勤快速は8000系限定運用だったかと思います。
伊勢崎側は8000限定だったのですね。汎用性に長けてる上に通勤快速までこなすとは圧巻ですね。
となると日光線側は6000系ですかね?
@@sparrow_tobu
日光宇都宮系統の通勤快速は73・78メインでしたね。
一時8000が入ったはずですが、のちに73・78に戻ったあと5000系の運用になったと記憶してます。
伊勢崎線の通勤快速も日光線のいわゆる日宇準急なども、沿線から押上の本社まで働きに来ている社員の帰宅用列車として設定されていたそうです。
そんな理由で?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、まあそこは東武なので。
小田急の通勤準急は複々線のあみだくじのような運用が有名だが、かつての東武の場合は通勤型でかなり遠距離まで行く電車として有名であるわけだ。快速以上になると、北千住から先はもうかっ飛ばすことが目的だし、通勤向けに車両が作られているわけではないから😅
結局、中距離列車やJRの日光競争がなくなったりとで需要が一気に変わったことも原因と見ていいと思いますね。通勤型車両、特にロングシートだと乗り通し区間が100km超えるときついですもんね。
@@sparrow_tobu おまけに近鉄大阪線よりの長距離急行のようにトイレもついてないから…。
浅草駅がターミナルだった時代は、北千住までの各駅停車と北千住から先の速達で誕生した赤準急。
浅草というターミナル機能が分散し、特急と北千住までの各駅停車。押上が通勤通学客の入口、北千住が実質上ターミナル駅機能を有しています。
東武のターミナルが、両国、秋葉原だったらと思うと・・・。(ノД`)
路線規模が大きい会社は大変ですね、関東で2位の西武も大変そうだ。東急見てるとよくわかる無駄な区間が無い、これからの鉄道経営は路線規模は小さい方が良くなりそう。東武と2位が入れ替わった名鉄もボロボロだし、1位の近鉄は大丈夫?
かっては通勤快速の日光行が1往復ありましたが、準急日光・宇都宮行となりました。
朝の上り1本、夜の下り1本であり、使用車両は8000系。
新栃木で日光・宇都宮行で分割併合。
朝の上りは、南栗橋で更に4両増結して10両となり、業平橋行でした。
使用されていた8000系は、新鹿沼以北での使用はこの1往復のみであり、かって私鉄での同一形式最多車両数としては、意外な事実である。
鬼怒川方面入線も、準急は定期だと6050系のみで8000の入線は快速最初期の代走くらいでしたね。
昔の駅名は、現在と少々違う駅名になってました。業平橋(現在の東京スカイツリー)、玉ノ井(現在の東向島)、武州大沢(現在の北越谷)、杉戸(現在の東武動物公園)。尚、新越谷駅は、比較的まだ新しい駅です。武蔵野線南越谷駅が開業して、地元民、或いは、利用客からの強い要望で新駅として開業しました。とは言え、既に、40年程の歴史がありますが…。開業当初は、各駅停車のみの停車駅で、当時は、複線時代。上下2本の棒線ホームでした。若い世代の人達には、恐らく、「かつては、あの臨時列車や一部特急も停車していた新越谷駅が…」と、思うかも知れませんね!!
東上線の朝霞台駅は1974(昭和49)年8月6日に開業しました(武蔵野線は1973年4月1日開業)。こちらも乗り換え客の利便性を図るためです。朝霞台は長らく準急のみの停車駅でしたが、1998(平成10)年3月から急行も停車するようになりました。
@@user-un5yt1yi6w 様
私は、伊勢崎線(スカイツリーライン)沿線民で、特別電車には、あまり興味も薄いので、この程度しか情報を得ていません。
今の群馬、栃木、埼玉北部ってここら辺から東京まで通勤している人のデッドラインって何処なんだろうな?春日部到着時は半蔵門線・日比谷線から来る列車はもうほぼガラガラだよね?越谷はまだ混んでいる感じ。
この準急然り、東武は急行よりも快速が上位に来てて、本線快速は特急に準ずる存在だった、という時点でもうレベルが違うのがいいよね。
東武鉄道が倒産危機が2度あったと言うが、どういう事だったのか教えて欲しい😨
最初はかの有名な根津嘉一郎が立て直したもの、2000年のものは当時株価急落で立て直そうと本気で断捨離、新車はリース、株主配当0と相当苦労したらしいです。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14188044549
2000年の倒産危機は運輸セグメントじゃなく…
レジャーやサービスセグメントなどで不良債権を抱えまくっていたんですよね
上記URLはヤフコメがソースですが、普通にBSやPLから分析した方が正確な情報を拾えます
@hakutakar
倒産危機に陥った要因はおっしゃる通りです。
かなり古い動画ですので記憶が曖昧ですが、おそらく当時伝えたかったのは、倒産危機から脱するために運輸セグメント側も経費削減を強いられ、結果人件費を削るために運行形態を再編、50050型の導入はリースで…みたいに伝えたかったのだと思います。当時の僕の国語力と動画制作力が未熟だったまでです。申し訳ございません。
赤準急は南海も区間急行に改称され
東武鉄道さんが倒産したか
のようなタイトルの文言…。
倒産へ追い込んだは確かに少々誤解を招くかもしれませんね。
@@sparrow_tobu 誤解で済むなら警察はいらない!😜
すみません、変え忘れてました。
準急メインの路線といえば、近鉄南大阪線。
赤準急は新越谷は通過です。
複々線の高架が出来てから
新越谷にも急行ホームを設置してから停車するようにしました。
それ以前は通過扱いです。
存じ上げております
準急、複々線化以前のダイヤってどうなってたんだろうね。一番詳細が乗ってない時代
そうなんですよね。調べても全然出て来ないのでそこの部分に製作に時間をかけてしまいました。結局準急赤城があった程度で情報は掴めませんでしたが。
連結切り離しタイプの赤城・伊勢崎行とか葛生・伊勢崎行がありました
葛生行きもあったんですね。
リサーチ不足でした。
@@sparrow_tobu 杉戸までが禁煙区間でした。伊勢崎線の夕方は、千住辺りから既に宴会列車になっていたことも
@@obrerodtpさん 今でも走っている8000系も特定区間では車内でタバコが吸えましたからね。
昔の準急通過駅多すぎ!
実際東武が倒産したらどうなってたんだろ。JRかどっかの会社に吸収されてたのかな
現在の本線系統の停車駅から考察するに、田都直通改正時の種別再編の際に、浅草準急Aは区間急行に、浅草準急Bは田都直通急行に事実上置き換えられ「旧・準急」は消滅、朝夕ラッシュ時運転の田都直通の「新・準急」と浅草準急の種別置き換えにより浅草発着の準急系統の廃止代替として新たに区間準急が設定され、有料の「旧・急行」が特急に格上げにより廃止されたのではなかったでしたっけ?
いずれにしても田都直通開始により本線伝統の種別形態が、大きく様変わりした事には間違いなさそうですが・・・
本線の区間準急は北千住発が元からありましたね。どちらかというと田都直通の時は、田都系統は通勤準急(現在の急行)、区間準急(現準急)が設定され、主体種別を区間準急に、本線系統は赤準急のままでした。
そのため、せんげん台で多くの客が速達性のある6両の赤準急に流れ、田都直通は基本ガラガラ、北千住から先は空気輸送でした。ちなみに、北千住までは半蔵門線より都心へ早くいける日比谷線や千代田線に乗り換えて、都心へ時間重視で向かう客が多くいたため、ある程度は乗っていたそうです。
そんな中、2006年のダイヤ改正でこれらが見直され大幅に変わり、今まで本線赤準急が役目を担っていた主優等を田都系統の新設種別である現急行が担うことになり、日中は本数が2倍に増加、本線系統の旧赤準急はすべて久喜発着の区間準急に変更し本数を半減。まさに立場の入れ替わりとも取れますね。朝ラッシュ時の田都系統はベッドタウンの人を集めるために準急、本線系統は遠距離からの客を集める目的に即した区間急行を設定しこちらも反転することで、需要と供給をあわせました。
東武鉄道も長い歴史の中でいろいろな事があったのですね。聞いた話によると東上線よりも本線系統の経営が危なかったとか。
そうですね、言われてみたら、この20年半くらいで東武が半蔵門線、東急田園都市線とつながったのはデカいですが、その反面、伊勢崎線の東武動物公園以北にはりょうもう以外には優等列車がなくなりましたよね。赤準急こそその後もう3年だけ残りましたが、A準急は平成15年3月19日付でなくなりましたよね。
そして、平成18年3月18日付で新宿直通の特急ができると知ったのはいいのですが、いざダイヤ改正当日になったらどうでしょう。ボクも当時の東武の停車駅案内図を見て、
「クソがぁ!!」
ガンバレルーヤのよしこになりましたよ。区間快速なんて鈍行同然だと思いましたよ。浅草を出たら、北千住、春日部、東武動物公園、あと全部各駅停車でしたからね。東武動物公園から会津田島まで150キロ近く各停なんて全くクソがぁ!!ですよ。まあ区間快速もそれは春日部市民なら東京へパッと出られたら嬉しいのは分かりますが、明らかに東京、埼玉から日光、鬼怒川へ速く行きたきゃスペーシアに乗れやってことですよね。さすがにそれから7年後、平成25年3月16日付で杉戸高野台、幸手、南栗橋、栗橋、新古河、柳生、藤岡、静和は通過するようになりましたがね。しかし、それでも区間快速はなんか中途半端だな、と思っていました。快速は快速のまんまでよかったのに、そして、かつてはスペーシアだって北千住から下今市までノンストップでよかったのにな、と思います。
こうして東武に限らず、次のダイヤ改正で○○にもとまってより便利にと謳っておいて、優等列車も近年、どんどん申し訳程度になってきているなと思いませんか??
嘘こくな!東武に訴えられっぞ!😜
どこかに間違い等ありましたでしょうか?
電車のことだけで話を広げ、
倒産を語って草
これでは典型的な、
自分が好きなことだけで
アツく語る鉄オタ目線ではないか。
そんな狭い話で
語れるものではない。
この度は貴重なご意見ありがとうございます。
まず、誤りを含んでしまったことに対して謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした。
動画に目を通し、この動画では倒産に至るまでの過程や、他要素がかなり飛ばされていることを確認しました。これは当時の自分が浅識だったことが原因です。また、一要素にすぎない原因を主原因だと勘違いさせてしまう内容を解説する動画は"解説動画"に値しないと判断いたしました。
あたかも鉄道自体が直接的要因であると誤解を招いてしまう点につきましては、直ちにこの動画を限定公開に変更して、誤解が広まらないように注意するとともに、この動画を見た方が分かるように、コミュニティと概要欄を含め訂正させていただきます。
今後は知識が足りない部分があるであろう動画投稿を控えて、正しい内容を発信できればと思います。
この度は申し訳ありませんでした。このようなコメントがなければ、改善に至らなかったと存じます。ありがとうございました。今後ともSPaRRoWチャンネルをよろしくお願いします。