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※05:53:52 「坪尻」のローマ字表記が、「Kotohira」になっています。「Tsubojiri」です。申し訳ない😓
ほんの10数年前は、普通にあったんですよね。手軽な値段で乗れる、機関車が客車を牽引するという、いわゆる汽車スタイルの夜行列車。まさかこのスタイルが、過去のものになってしまうなんて、思っても見なかった。
こういう車両が、いわゆる客寄せパンダ的な臨時や団体ではなくて、「ムーンライト」という車両で使われていたことで、より旅情を深めていたと思います。昨今は、客車に乗ろうと思っても、ツアーなどの団体とか、臨時の「SL〇〇」や「DL〇〇」みたいな列車でないと乗れないので、旅情を感じるというよりも、イベント的なお祭り感が強くなってしまっていますね。
何と素晴らしいドキュメンタリーなのでしょう。ただいま深夜の1時過ぎ、こちらの動画の音を聴きながら、夜中のPC作業にいそしんでおります。旅情、まさに旅情です。ありがとうございます。
大田市代官山動物園Ave様、コメントありがとうございます!いやぁ~、そうおっしゃって頂いて、こちらも有難い限りです!映像は古い動画なので、画質はイマイチなのですが、走行音だけでもBGMとして、お役に立ったならば幸いです。発電機付き車両なので、視聴者の中にはBGMとしても賛否両論があるのですが、大田市代官山動物園Ave様が、その点をお気になさらないのであれば、こちらとしては良かったです😊
懐かしい。学生時代と社会人なりたての頃、帰省で利用してました。 30年前でしたが当時は座席で煙草も吸えましたよね。今では考えられませんが。
慶中様、おはようございます。コメントありがとうございます!いい時代ですよ。まだまだ心に余裕があったように思います。私は23でタバコをやめたので、こんな事を言うのはなんなんですが、あの灰皿の「カキン」と蓋が閉まる音が好きでして、あの音を聞くと何となく旅情を感じたものです。
20年ほど前に高知の知人のところに行く際に使いました。普段見ることのない深夜の駅の様子がとても印象深かったのを覚えています。
高知駅も、今では立派な高架ホームに様変わりしましたね。個人的には地上駅、地上ホームの方が、旅情があって好きでした…。
眠れないときに、このチャンネルの夜行列車の動画流しながら床についています。ムーンライト高知は最繁忙期以外オールグリーン編成で青春18きっぷでは乗車できませんでしたね。他のムーンライトは青春18ユーザーに重宝されていましたが、逆に18キッパーがいない分快適に移動できたのではないかと思います。
katanoya様、おはようございます。連投ありがとうございます!そうですか、そうですか。ありがとうございます。嬉しい限りです。確かに、「高知」は、グリーンばかり3両。18切符で乗車できないので、めちゃくちゃ乗客は少なかったですね。その分、静かで、快適な旅でした😊
ムーンライトシリーズは旅費を節約するには貴重な列車でした。そして流れるアナウンスは急行銀河。懐かしいです。
そうそう、ムーンライトがあることで、18切符シーズンにはお世話になった方も多かったのではないかと思います。こういった旅ができなくなってしまったのも、時代の流れなのでしょうね。
人気機関車型?驚き、は審査にて黒字列車創作?四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両在る列車?、趣味型?食堂在る列車。
20年位前に京都から高知まで乗車しました。グリーン車のリクライニングは快適でしたが床下エンジンの音と振動が辛かったです。岡山で車掌さんに相談した所、カーペット車に空席があるので、どこでもご利用下さいと言って下さり移動しました。カーペット車はガラガラだったし、土讃線のの勾配区間をユックリ走って行くのも良い思い出です。
のあ様、こんにちは。いつもありがとうございます!そうなんですよね。せっかくの客車なのに、エンジンがやかましいんですよね。私もカーペット車にすればよかった…。
松山の方はよく乗りましたが、こちらは高知→大阪で一度乗ったきりです。1輌だけの普通車は力を抜くとガチャンと元に戻る簡易リクライニングでした。新改に入り込んで南風と交換があったのが印象的でした。
航空奉行所様、おはようございます。本日もありがとうございます!そうですか、そうですか。上りは「新改」で追い越しがありましたか。私も1度乗ったのですが、記憶が…。客車でスイッチバックとは、希少中の希少ですね😊
当時はスイッチバックは姨捨しか知らなかったので、四国の山の中にあるとは思いませんでした。しかも交換列車が見えないまま出発するので何事かと(笑)周囲で騒いでる面々に聞いてスイッチバック交換だと知りました。
高知は乗車していませんが、松山は乗車経験があります。九州・四国旅行の帰り、道後温泉に入り、18きっぷで松山から大阪へ戻る際に利用しました。今はこのような旅情を感じる列車はなくなってしまいました。
斉藤裕一様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。愛媛は松山、道後温泉、やっぱりいいですね!こういった客車で旅する事ができなくなって、鉄道旅行の旅情というのは、どんどん失われてきているように思います。
1998年頃に乗りました。当時は土佐北川ではなく新改で運転停車しており、いきなりスイッチバックをした記憶があります。
さかいてつやん様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。かつては新改駅で運転停車していたのですか!その時代に乗りたかった!!
修正再UP非常にありがたいです。実は富士の動画を見て過去動画もこの形ならば、と思っていました。ありがとうございます。
yn hiko様、おはようございます!コメントありがとうございます!そうなんですよね~。過去の動画は、テロップなし、概要欄説明なし、なので、時間を作って、少しづつ修正再アップしたいと思っています。よろしくお願いいたします!
瀬戸大橋が出来たからこそ存在したのであろう夜行列車。現在の鉄道ファンの多くはその存在すら知らないと思います。いつもながら貴重な映像のご提供、ありがとうございます。
いやぁ~、ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。一方で、確かに、今の若い世代の鉄道ファンは、その存在を知らないかもしれませんね…。かつて、こんなマニアックな客車列車があったということを。もう少し古いと、ムーンライト山陽も連結して、3階建てだったのですから。
今の若い世代に「3階建ての列車」という言葉が正しく伝わると良いのですが…(^_^;)
確かに…。昨今、そんな呼び方しないですかね😊
遅ればせながら明けましておめでとうございます。2023年もお世話になり車窓さんの動画に大変楽しませて頂きありがとうございました。不謹慎かもしれませんが2024年の日本は元旦から激動と衝撃の幕開けになりました。以前のコメントにも書きましたが石川県には2005年に旅行で訪れました。485系雷鳥に乗った最初で最後の時でした。翌日2日は羽田での事故です。自身は人生で飛行機に乗ったのは2度だけです。最後に乗ったのは2003年だったので…20歳の新成人の皆さんが生まれた年ですね。本日はおめでとうございます。初は1996年に仕事の研修で静岡に行きました。行きは福岡空港から羽田まで→モノレールで東京駅→新幹線「こだま」で三島まで飛行機はやはり苦手なので帰りは会社に内緒で航空券をキャンセルして寝台特急で帰りました!(笑)東京からの「さくら」「はやぶさ」「富士」はすべて満席でした。「みずほ」が廃止された後でもまだ人気があったのです。仕方なく三島→新大阪は新幹線「こだま」で、新大阪→小倉を「彗星」の寝台は取れました。この当時はまだ併結運転ではなく単独列車でした。翌3日は北九州の繁華街でまたもや大火災です。1990年代は北九州の小倉で働いていたのであの現地の鳥町食堂街はよく訪れたことがありました。それだけにショックは大きいです。昭和レトロな風情がありました。各地共に被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧をお祈りします。話が逸れて申し訳ないです。この「高知」は乗ったことはありませんが関西からのムーンライトシリーズの夜行区間で乗ったのは「山陽」だけです。2002年の18きっぷで下関から新大阪?まで上りに乗りました。他は1999年に「えちご」「ながら」や前身の大垣夜行に新宮夜行もあります。ムーンライト「九州」は九州内の短距離ではあります。まだ全車指定席ではなく自由席があった時代なので2000年よりも前だったかと思います。車窓さんも幼少の頃かと思いますが1970年代後半まで関西〜九州を結ぶ夜行急行で「阿蘇」「くにさき」「雲仙」「西海」があったのはご存知かと思います。寝台はなく14系の座席急行でした。国鉄時代は簡易リクライニングの座席だったかと思います。同じ14系でもムーンライト九州の方が座席も改良され急行券も不要、18きっぷでも乗れる…夜行列車が健在だった頃のJRはサービスが格段に良かったですね。スハフのエンジン音は自分も好んでたので自由席ならオハよりもスハフを選んでました。九州の急行では12系の「かいもん」「日南」がそうですね。もうあのような旅が出来ないのは残念です。逆にあの時代にそういう旅が出来たのも貴重な思い出になります。今回も長々と失礼しました。今年もまた素晴らしい動画と共に宜しくお願い致します。
1221 NT様、おはようございます。本年もよろしくお願いいたします。新年早々、能登地震、羽田飛行機事故と、本当に驚きました。被災された方々には、できるだけ早く日常が戻るように祈るばかりです。そうですか、そうですか。ムーンライト山陽に乗車されたことがあるのですね。ムーンライト山陽は、ムーンライト高知、ムーンライト松山と併結していたというのですから、客車による3階建て編成ということで、当時は相当珍しかったと思います。まさに私が幼少期の1970年代は、客車急行が、まだまだ健在でした。12系や14系客車は、どちらかと言えば新鋭車両で、なんなら旧客も活躍していましたし、寝台を連結している急行は10系を連結している列車も多くありました。いつの頃からか、古い客車は淘汰され、12系や14系もグレードアップやアコモ改造したものが多く出回り、それが後々にはムーンライトに転用され、ムーンライトも乗り心地の良いものになりましたが、やはり高速バスには勝てなかったようですね。今、世界では夜行列車が見直されてきています。日本は、何かとすぐに「海外では…」と、外国の真似をしたがるのですから、ぜひとも夜行列車も真似して復活してもらいたいものです。
懐かしいなあ1990年代後半にいるファミレスに勤務していた時に世話にしていたバイトの子が香川県高松市で挙式するのに出席する為の来県時に利用したなあ当時は高知行きしか無くて岡山でマリンライナー乗り換えてたなあ
高野拓也様、おはようございます。コメントありがとうございます!四国へ向かう「ムーンライト」は、高知や松山へは向かうのですが、高徳線方面(高松と徳島)は完全にスルーされてましたからね。私自身は、徳島在住なので、「ムーンライト徳島」も連結して、3階建て編成で運転して欲しかったです。
夜行客車で四国に行くなんて、今では夢のまた夢。
DoReMiLight様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですね~。客車もないし、夜行もないし…。鉄道旅行の旅情は失われていくばかりです😢
@@syaso客車じゃないけどサンライズがあるじゃないっすか
唯一の寝台列車サンライズ瀬戸は高松までだからね。懐かしい古い高知駅だ。
かえる様、おはようございます。コメントを下さりありがとうございます!私自身、徳島在住なので高知同様にサンライズに乗車する際には高松乗継になってしまいます。そういえば、高知駅もこの撮影の後、高架化されてしまいました。現在、徳島駅も高架化が検討されていて、素朴な地上駅のホームの風情も、高知駅と同様に、見れなくなる日がやってきますね。
新車両基地移転後の高架化工事中の地上駅時代の高知駅ですか非常に貴重な映像ですね
ありがとうございます!まさに工事中でした。地上駅時代の最後の頃ですね。このあとしばらくして高知に出向いたとき、すっかり風景が変わっていてビックリしました。あくまでも個人的な気持ちの問題ですが、地方のターミナル駅は、地上ホームの方が旅情があって好きでした。昨今は、地方のターミナル駅も都会のような無機質な高架ホームと都会的な駅舎ばかりで個性がなくなったように感じます。ただし、普段から利用している人にとっては、綺麗で使いやすい駅やホームの方が断然良いに決まっているので、たまに出向いて郷愁に浸る私のような人間が口出すようなことではないのですがね…😅
@@syaso 高知市生まれで、地上駅時代に高知を離れもはや、見知らぬ町になってる様ですね地上駅時代は、駅の東西の踏み切りが南北を分断し、商業、行政全てが駅南部のみの発展でしたが、高架化で北部発展に寄与してるようです個人的勝手な感想では地上駅がなくなったのは非常に残念ですが
いや~、共感して頂けて嬉しい😊やっぱり、地方都市の駅は、地上ホーム、地上駅舎であって欲しかった…。
@@syaso 駅舎の外から、改札越しに列車が見えるのは眼福の極み
わかるわ~😊
あ、この列車、20年程前帰省した際一度だけ利用した記憶が。その時は確か高知駅から大阪駅迄乗車した様な。しかも其の当時18切符の存在を知らず、正規運賃の8000円位で利用したと思います。
土佐っ子マー様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。これは手痛い出費となりましたね…。まぁ、それでも、超貴重な列車ですから、それはそれで結果的には良い思い出になったということで😊
こんにちは。待ってましたね。ムーンライトシリーズ。高知行き。さすがにこの列車は乗ったことはなかったですね。
今は、さすがに廃止されて、夜行高速バスのみになった。
個人的には、ムーンライト山陽やムーンライト八重垣(寝台車も連結)に乗車できなかった事が悔やまれます…。
@@syaso さん、八重垣て、沖縄県八重山諸島をイメージしていませんか❔
ついつい、そっちを連想しちゃうんですよね…。でも、松江の八重垣神社からとった愛称なんですよね😊
@@syaso 様、松江市の神社⁉️出雲大社のイメージしかわかないです。
10:13 関西民からするとこの放送の時点で驚愕する。。尺西の放送で「高知」なんぞ聞いた事ないぞ。。
アム様、おはようございます。コメントありがとうございます!以前、「やくも」のショート動画でもコメントを頂きました。ありがとうございます!そうですね~、この頃は、「高知行」「松山行」もそうですが、北海道へ向けて「トワイライト」の「札幌行」とか、新大阪では「ムーンライト九州」の「博多行」も聞くことができましたからね…。最近は、こういった長距離列車がすっかり消えてしまったせいで、浪漫を感じる放送も少なくなりました😢
ベトナムの夜行列車の話: ハノイからクアントリまで SE7 列車に乗りました (全長 622 km、12 時間以上) 列車は少しゆっくり走り、かなり揺れますが (24 系は揺れすぎですか?) 2018 年以降に製造された新しい車両ですが、サービスの質は日本と非常に似ています (非常に優れており, 馬車はきれいです, 食堂車と車内の食事は北斗星と同じくらい美味しく、アテンダントはフレンドリーです) 非常に時間通りで、現在好調に推移していますインフラの改善。早朝(午前5時50分)の出発ですが(日本ではこの時間帯に夜行列車が走っているのでしょうか?)、でもここの電車は東北東海道のような平坦な区間を通ると14系・24系みたいにガタガタ音がします。本線。アナウンスも手動で行われる(サイゴン鉄道管理列車を除き、自動アナウンスとなる)。次に、この列車には B 寝台車 (14/24 系) に似た寝台車もあります (ほとんどの夜行列車の中で最も高価な車両ですが、設備は日本の B 寝台車とほぼ同等です)。 )。つまり、ここではブルートレインのような全盛期の伝統的な夜行列車を体験することができます。 (おやすみエクスプレスに関する私のコメントは、私の息子が誕生日に付けてくれたものです。息子も鉄道マニアで、よくあなたの動画を見ています。)
Khoa's Train様、こんばんは。コメントありがとうございます!そして、いつもご視聴頂きありがとうございます。鉄道ファンの息子さんにも宜しくお伝えください。ベトナムには12時間以上かけて走る夜行列車があるのですね。羨ましい限りです。かつて、夜行列車や寝台列車がたくさん走っていた日本も、今では「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」の2本だけになってしまいました。ベトナムの寝台列車は、今でも機関車が牽引する客車タイプなのですね。やはり、夜行列車は、そうでなくてはいけません。羨ましいです。
岡山駅に停まっていたサンライナー、いつの間にかあのカラーリングがなくなってしまっていたけど、久しぶりに見れたなぁ
16年前ですからね。向日町の車庫に群がっている車両も、今の風景とはだいぶ違いますね。
ムーンライト見られて嬉しいです🥹🥲
ありがとうございます!
@@syasoさん、こちらこそ返信して頂きありがとうございます✨乗ってみたかった車両でしたので、臨場感を味わいながら見られて嬉しいです🍀
ムーンライトはながらにしか乗ったことがないですが、夜に目覚めるとびっくりするほど進んでいない感じ、お約束みたいですごく懐かしくなりました。四国と言えば旅行で誤乗して慌てて降りた駅が「小歩危」で、隣の大歩危駅とともに帰ってから誰にも信じてもらえなかったのも、駅名を見るたびに思い出します。
そうですか、そうですか。それは大変な目にあいましたね。土讃線は本数も少ないですし、そもそも小歩危で降りたら特急も停車しないので、戻るのも大変だったでしょう。まさに、小歩危、大歩危だけに、危ないですね…。
高知の駅も懐かしい😭
最近は、地方のターミナル駅もどんどん高架になり、都会的な無機質な駅舎が多くなってきたように感じます…😢
サムネイルの「ン」!🌙!洒落てますね!
いやぁ~恥ずかしい…。そこを見抜かれましたか😓ちょっと遊び心でやってみました。改めて指摘されると、実にお恥ずかしい限りです…。
京都駅で機回し出来るんですね。驚きました
かつては、「あかつき+なは」も、こんなことやってましたね…。もう、こういう光景、見ることができなくなりました。そもそも客車を見ることがほとんどなくなってしまって、寂しい限りです。
西川原(就実)はまだなかったのか?ちなみにこの列車は昔高知にいた文通相手に会うために往復乗った記憶があります。懐かしい貴重な動画サンキュです。
サトコウ様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうそう、確かに、この時は、まだ西川原(就実)駅はありませんでしたね。調べて見たら、翌年の2008年3月改正で誕生したようですね。文通ですか~。いいですね😊なんでもデジタル化した時代からすると、文通のようなアナログな時代が、かえって懐かしくなります。話は全然違いますが、私が中学生の頃は、交換日記なんてのも流行ってましたね。
ひっそりと66がおるのはムーンライト九州か、、、懐かしい。。
あら、66がいましたか…。全然気づいていなかった…😅
個人的に床下のエンジン音好きです、賛否両論ありますが。列車のほうが夜行バスよりくつろげますし、ゆっくりできますよね
これね~、発電機。乗ってると、だんだん慣れてくるんですけど、ちょっと喧しいんですよね。一方、夜行バス。僕も、どうも夜行バスは苦手なんですよ。高速バスそのものは好きなんですが、「寝る」ということを前提にして考えると、苦手なんです。座席がどんなに良くなって、めっちゃリクライニングしても、やっぱり寝れないんです。鉄道の、あのリズミカルな走行音でないと、子守唄にならないんですかね…😊
ムーンライト高知・松山の最後尾が何故か中間の顔wちなみに自分は18きっぷで東京からながらで大垣で乗り換え新大阪へ行き、夜ムーンライト九州で博多まで行きました笑
下りのムーンライト・高知は、ケツが中間車の顔ってのが、なんとも味わい深かったんですよね。こういうのが、近年まで、平気な顔して大都会の大阪、神戸を走り抜けていたのだから驚きです😲
高知駅に向かう夜行快速列車があったとは。大阪ー高知間は瀬戸大橋を中心に、夜行高速バスが多く運行されている。客車列車はかなり貴重になった。
ムーンライト高知は、ムーンライト山陽やムーンライト八重垣との併結時代もあったようで、ムーンライト山陽+ムーンライト松山+ムーンライト高知という客車による夢のような3階建て編成もあったようですね。私自身としては、ムーンライト山陽や、寝台車を連結していたムーンライト八重垣には乗ることができなかったので、これがかなり悔やまれます…。
@@syaso さん、夜行快速列車に寝台車を併結とは、かなり安い寝台料金で行けたでしょう。今となっては、夜行高速バスが猛威を振るっているが、格安高速バスの死亡事故をきっかけに規制強化で、大衆夜行列車復活話があれば良いが。
ヨーロッパなどでは、環境問題などもあって、夜行列車が次々に復活していると聞きます。普段、あれだけ「海外では…」と、海外の真似をしたがるのですから、是非、夜行列車も海外の真似をして復活して欲しいものです。
@@syaso 様、無論殿様列車のクルーズトレインではなく、大衆寝台特急で。もちろん食堂車付きで。
そうそう、大衆というのがポイントですね。食堂車は必須です😊
ムーンライト号懐かしい。青春18切符族の夜行列車だったような、駅のアナウンスも全て懐かしい。😊この映像が見れるとは思わなかったな。また時季運行の臨時快速として、走って欲しいな、今は列車がスピードが早過ぎて、どちらかというとゆっくりのんびり旅がいいんだけど。
ムーンライトって、本当に良かったんですよね…。コスパもいいし、旅情もあって、「旅してるなぁ…」って感じで。ちょっと前までは、全国各地に走っていたのに、この20年で急速に消えてしまいました。中でも、客車で運行していた山陽、八重垣、高知、松山、九州は旅情たっぷりで好きでした。昨今は、客車そのものがないので、鉄道旅行も味わい薄いものになってしまいました。
床下のディーゼル発電機(DMF15HS-G)の音が好き。12系客車の象徴。
そう言ってもらえると有難いです。「あ~、客車なのに発電機がちょっとやかましいかなぁ…」と、動画を見てくれる皆さんに、ちょっとがっかりさせてしまうのではないかと不安に思っていたので、そう言ってもらえるとホッとします😊
普通車自由席が連結されたとき青春18きっぷで乗車しました。
そうですか、そうですか。自由席が連結されていたこともあるのですね。自由席ともなると、着席する為には、相当早めに並んどかないとダメだったのでしょうかね。
今年の初コメントです。本年もよろしくお願いいたします。さて、人には得手不得手がありますが、私は後者でして、床下発電機エンジンの 1500回転位でしょうか、単調でもアイドリングより高めの音が どうも苦手でして、その昔に博多か小倉から乗った上り寝台特急みずほ号と推定される 14系寝台車も床下発電機で眠れなかった記憶が。B寝台のベッド幅が広がっても、これはどうかと感じた小学生時代の私です。その存在を 暫く忘れてたのですが、SL北びわ湖号に乗車した時に発電機付き車両に当たり、ある意味 懐かしさに感動したものです。運転手時代など、パーキングエリア等で仮眠中、隣に冷凍機エンジン爆音の保冷車が来た時など(音質、似てます)眠れるどころの話じゃなかったですから。自身のトラックの17リッターV10エンジン音が気にならないのにね(笑)おっといけない、主さんが折角upして頂いた動画に 初っぱなからケチつけるていに なってはいけませんね。睡眠用BGMにと企んだ浅はかさを反省します。有年駅にて停車中に見えるのは国道2号です。数え切れない程、通ってますし、0時から2時が一番通った時間帯ですから、旅情的な感情が一気に高まります。途中、山陽本線とかは高速運転してるのに、瀬戸大橋は えらいゆっくり渡ってますね。観光サービスかな?それとも騒音対策かな?高速運転といえば、昔EF65牽引からEF66牽引に なった時に 110キロ走行するのかな?ってカレチさんに聞いたら、基本は95~100キロ位の運行だそうで、EF66になったのは起動時と登坂時の牽引力確保なんだそうで、遅延時位しか110キロ走行はしないし、EF65も110キロ出るんだよと、中学時代の私に優しく教えて下さいました。因みにEF65牽引時代は90~95キロ走行が基本だとも教えて頂きましたよ。坪尻のローマ字表記の件はスルーして、夜明けて朝日差す時こそ夜行列車の醍醐味ですよね。これだけは列車乗ってても自身が運転してても いつもテンション上がります。小歩危駅付近の吊り橋って、あの小歩危吊り橋かな?以前、主さんが薦めて下さった かずらばしより こっちの方が 恐怖感じるのは 私だけかな?車停めるとこ少ないからたどり着きにくい場所だった気がするけど、記憶違いかも。さて、正月休みですが、平戸市に放置した娘を迎えに、(車関連CMで恒例のあの島です。菅田くんのカローラスポーツとか、ソリオとか)九州へ もう1往復する予定だったのですが、例の災害で 妻が ビビってしまい、4日に出るのを躊躇してましたが、帰省してた 富士宮在住の妻の妹(伊藤つかささんに似てます。時代の方ならご存知)が乗っけてくれたので、助かりました。その旦那の車が無限のステッカー貼り付けた現行形のシビックですが、何故だろう、心に何も刺さらないのです。結構なチューンドなのに。主さんのスカイラインは強烈に刺さるのに、ま、旧車マニアって こんなもんですよね。車も列車も(笑)で、九州1往復 浮いたからって、夜ふらりと出たついでに気が付けば 木曽路19号を走り、気が付けば甲州街道を走り、気が付けば大月から中央道に乗り、とどめに首都高4号から都心外回りから銀座、浜崎橋からレインボー、羽田から海ほたる折り返しでベイブリッジから横浜インターから東名高速経由で安八スマートインターで降りて帰るとゆう、妻にサービスドライブをして来ましたが、帰宅してから東京タワーが あんまり見えなかったと叱られて、若干 凹んでる私です。最後に報告ですが、今回の休みは 3524キロの走行でした。妻のスペーシア カスタムZで行ったのですが、同じターボでも私のパレットSWの方が良く走るし、以前のワゴンR/RRは、もっと走る。新しくなっても走行性能が衰えるのは意味がないから、新型がいくら出てもどんどん興味は薄れていきます。
兄貴!本年もよろしくお願いいたします!さて12系の発電機。まぁ、12系に限らんのですが、客車の発電機、実は、私も苦手で、できたら発電機なしの方が良かったのです。ですが、ムーンライト高知の場合、編成はたった3両。普通車は乗車率が高いですし、カーペット車はグループ乗車も多いので車内が賑やかな感じになるだろうと思い、敢えてそこを避けたら、発電機付き車両になってしまったというわけです。しまった…坪尻のローマ字。やってもうた…。さりげないメッセージに感謝。コメント固定で、お詫びを出しておくこととします…😢小歩危のつり橋なんですが、まさに兄貴の言う通り!実は、かずら橋よりも地元民が使う地元つり橋の方がよっぽど恐ろしいです。この辺りにかかるつり橋は、大体網羅したのですが、そりゃぁ恐ろしいです。ですが、さすがに無想吊橋に比べたら、全然楽勝だと思います。そうですか、そうですか。確かに正月早々の地震には奥様だけでなく、みんなビビったでしょう。もちろん、能登半島の皆さまには、一日も早い復興を願うばかりです。昨年は、北陸線の特急が廃止になることもあって、何度か金沢や和倉に行きました。それだけに、何とも言えない気持ちになりました。そうそう、伊藤つかささん、このワードにはやっぱり食いついちゃいますね。男としては。すご~く可愛くて、大好きでした。金八先生、そして「少女人形」も、懐かしいなぁ…。いや~、わかります、わかりますとも。最近のスポーツカーとか、なんか全然刺さらない感じ。確かに、すごいチューンとかしてても、なんか違うんですよね。なんなんですかね。まぁ鉄道車両でも、最新鋭の装備と豪華な内装とかの新型車両が登場しても、なんかピンとこないんですよね。アナウンサーとか、鉄道タレントが、ここぞとばかりに新車の良さをアピールしてくるのですが、正直「なんかなぁ~」って感じで。むしろ、昔の本とか、ネット検索で出てくる20系客車のルーメットとかの方がときめきます。最後に、今回の休みで3,524kmですか。ま~た、とんでもない距離を走りましたね。夜、ふらりと出たついでが、凄いことになりましたね。しかし、ここでも、もちろん、わかりますとも!以前のワゴンRのRRの方が断然走る!最近の車って、ホント遅いんですよね。ジムニーなんか、糞みたいに遅いんでビックリしました。なんか、自動車も鉄道も、年々つまらない方向に物事が進んでいて、ときめくことが減りました。それもこれも、単に年取ったからかも知れませんがね…😌
主さんのチャンネルには、皆様、車窓を見て幸せな気持ちになる為に来られてるので、災害関連とかは なるべく話題にはしないように心掛けてるつもりですが、当然、私も心を痛めてる1人です。去年の5月に見附島や珠洲市(駅跡の道の駅とか)行った翌日に地震があり、心痛めてた矢先に元日の大地震で、触れ合った方々が被害に逢われたかと考えるだけで涙がこぼれます。阪神淡路大震災の際は自身の大型トラックに 緊急物資輸送車の幕を掲げて数往復(多分、6往復)した経験を踏まえて、友人の運送会社社長には、お呼びがあれば私はいつでも応援に行くスタンスは伝えてあります。その友人は私と価値観が似ていて、神戸の時はお互い、運賃を受け取りませんんでしたから、今回もお呼びがあれば同じ事をするでしょう。自分に出来る事は その位かな、と思いつつ、初詣に行った際は、とりあえず募金箱にお金を入れようとしたら既に紙幣でいっぱいの感触だったのは驚きでした。名鉄パノラマカーの(既に廃車)先頭車両に飾ってあった御札の、不動明王を祀る、あの寺院です。それと、翌日の羽田の事故後の対応でもそうですが、改めて日本人は素晴らしいと再認識させられましたね。運良く、(悪く?)二十歳の娘が車を買い増し(買い換えじゃなく、買い増し。車に対する価値観が親父と一緒。ただ、アメ車じゃなくて軽四ですが)した時にキャンペーンに応募したら(主さんなら解る)和倉温泉加賀屋の宿泊券が当選してしまい、軽四で行ける場所じゃないぞ、と躊躇してたのですが、期限内に復旧したら夫婦で行こうと思ってます。単純に10万円位するのかな?期限内の復旧しなかったら勿体ないな、と考えちゃうのは今は不謹慎なのかな?(笑)発電機エンジンの話に戻りますが、以前にお話した24系白帯好きなのは、絶壁ボルダリングの三段寝台でも70センチ幅ベッドで静かだからです。583系のメカニカル絶壁も好きなのですが、24系25形では刺激が足りないし、昭和育ちは三段寝台の狭さ(縦方向)が何か落ち着くのと、妹を含めた三人で旅した時に乗った車両での記憶が いい思い出だからかも知れません。列車名は思い出せませんが、ひょっとして、明星号か日本海号が24系運用の時代があれば それかも知れません。ただ、当時は妹(水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘の趣里さんに雰囲気が似てます)がついてくると、予算超過って言われてA寝台を使わせて貰えなかったから、少し拗ねてた気がします(笑)三段どころか二段寝台も絶滅した今、それならばと 昔は各地にあったブルートレインホテルを探しても、もう殆んどありませんね。有名な所では湯前線(第三セクターだったよね)の どっかの駅前に「はやぶさ」が割りと綺麗な状態で保存されてて、今でも宿泊出来るみたいですが、妻に言わせると、以前に乗車した あかつき号では熟睡出来なかったので、寝台車ベッドの印象は良くないらしいです。九州鉄道記念館でも581系月光のベッド(になる前)に寝転んでも、寝心地はいまいちって 言ってたしなあ。やれやれ┐(´д`)┌
和倉温泉加賀屋の宿泊券!いいなぁ!!絶対一度は止まりたい名旅館!!実は、私もず~と泊まりたいと思っていたんですが、今回、こんなことになって、本当に残念でなりません。でも、きっと、加賀屋のことですから、割と早くに復旧できるのではないでしょうか。期限内に復旧できるといいですね。三段寝台の狭さ…。個人的には、よ~くわかります。あの狭さこそが寝台列車の醍醐味なんだと。僕も最初に乗ったのは小学4年生の時、20系の「天の川」でした。上段では狭くてちょっとした拍子に、すぐに屋根に頭をぶつける感じでしたが、それも面白かった。でも、確かに女性には不評かもしれませんね。ブルートレインホテル...僕も、何回かネットで検索して、泊まってみようかな~と思ったこともあったのですが、やっぱり、動いてないと面白くないかな~…ということで、今のとこ泊まったことはないです。手前味噌になりますが、私の動画をモニターにして、窓に埋め込み、車掌と車内販売員も乗り込んで、食堂車を組み込んでくれたら、臨場感もあって良いかも…と思ってしまうわけです。
うおー。ブチくそ懐かしい!
21Karafuto様、そうでしょ!こんな列車、もう日本では見かけないですもん😊
途中停車駅の案内で「岡山」から始まったが、その放送の最後に「次は新大阪に止まりまーす」って、どういうこと?快速なら、新大阪で降りる人だっているかもしれんでしょ!しかしながら、夜行列車の窓から見る景色は、なんとも言えないなぁ。この非日常な時間が、とにかく楽しかった。
ま様、おはようございます。コメントありがとうございます!お~、言われるまで知らずに聞き流しておりましたが、確かに、岡山からスタートしてますね。新大阪から先、大阪、三ノ宮、神戸、明石、明石、姫路も停車するので、ここはきちっと放送して欲しかったなぁ…。割と聞きやすく、感じの良いアナウンスだっただけに、残念😢まぁ、それでも、確かに、夜行列車から見る車窓は、例え同じ車窓であっても、通勤電車から見る車窓とは、不思議と一味違って見えるものです😊
懐かしいな、一度、利用はさせてはもらいましたけれど?、
森田友之様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。「ながら」や「えちご」に比べると、マイナーなムーンライトでしたからね…。乗車経験がある人も少ないと思いますので、希少な経験かと…。
京都で5分遅延したせいか、客車列車なのに京都〜新大阪を26分でかっ飛んでるEF65の本気…
Kenji Sonoda様、こんばんは。コメントありがとうございます!
ブルトレ全盛にはこんな運用もあったのか😮
しきにゃん様、おはようございます。コメントありがとうございます!かつては、こんな、味わいのある列車も走っていたわけですね😊
こんばんわ 四国内の夜行急行は「土佐?あしずり?」「うわじま」で、国鉄ワイド周遊券で宿泊費節約をしてましたね(笑)もちろんその頃は瀬戸大橋もなく、宇高航路でした。帰り道に初めてホバークラフトに乗ったんですが、宇野駅での接続も悪くなおかつ高くつくので、お客さんはほとんどいませんでしたね。その代わりといってはなんですが、車掌さんがお客さんにアイスキャンディーを配ってました。バニラ味でしたね。(笑)この時に、四国最難関の1つである牟岐線全線完乗もしました。ムーンライトに1度は乗りたかったんですが、岡山が3時台ですから…乗車はできませんでした。しかし3両高知、3両松山でそのうち3両がG車とはなかなかに豪華な編成ですね…バス対抗でしょうか、JR四国にとって最大の敵は高速路線バスかもですねそう考えると鳴門海峡大橋をおとしたのは痛いですし、最終新幹線に引き継いで、高知、松山へノビノビ編成走らせてもよかったかと思います。夜間を放り出したのは、高速路線バスの独壇場にして下さいと言っているようなものですからね(笑) 🚄
asakazeさん、おはようございます。本年もよろしくお願いいたします。今年は早々に能登の地震、そして羽田の飛行機事故と、相次ぐ不幸に見舞われました。なので、新年の挨拶は自重気味でスタートしております。「ホバークラフト」。もう、その言葉自体が懐かしいですよね。子供の頃、本で読んで憧れたヤツです。僕は、宇高連絡船も青函連絡船も乗ったことがないので、国鉄の連絡船に凄く憧れていました。連絡船って、その言葉の響きだけでも旅情を感じるじゃないですか。加えて、ものすごく地味な存在でしたが、「仁堀連絡船」なんてのも、ありましたよね。私が敬愛する紀行作家の宮脇俊三先生は「最長片道切符の旅」の中で、仁堀航路がなくなってしまったら、一筆書きで四国には入れないと書いていたのが思い出されます。話は戻って、ムーンライト高知松山ですが、確かにムーンライト編成で、こんなにグリーン車連結してるのって、珍しいと思うんですが、一方で、私が乗車した時もそうでしたが、グリーン車は、ガラガラで、私以外の乗客は数人程度でした。一方、数少ない普通車は、ほぼ満席みたいな感じで、どう考えてもバランスに欠けていました。グリーン車は、18切符が使えないので、結局、利用者がほとんどいなかったというのが実情でしょうね。僕自身は、撮影の為に、できるだけ乗客が少ない方が良かったので、あえて18切符が使用できない「グリーン」を選択したわけですが、高知に関しては、発電機がついていて、客車なのにディーゼルカーみたいな走行音になってしまったのが、ちょっと残念です。ムーンライトのグリーン車と言えば、かつて、「ムーンライト八重垣」には寝台車が連結していたそうで。私は、それに乗り損ねた事が今でも悔やまれます…。しかし、今思えば、JR西日本って、客車のムーンライトを走らせていたのですから、ある意味凄かったですね。特にムーンライト九州なんて、結構な長距離でしたし。こういった面白い列車が消えてしまって、昨今の鉄道旅行は、一層、薄味になってきました。
私は学生の頃の旅行サークル合宿先が四国だったんです。その時が、四国初上陸でしたね。自分往復同じ路線(航路)に乗ることが余り好きくないもんで(笑)で、ホバークラフトにしたんです。上には上がいて、行くときは全員集合で同じ電車で目的地へいくんですが、帰りは現地解散で自由にしてねという方針で、松山解散だったんで友人は仁堀航路で帰った友人もいます。その理由は、家でTV「北斗の件」が見たいから(笑)何か「四国周遊券」には仁堀航路は設定されていなかった記憶があり、その分の別出費で、「それほどか?」と言われてたように思うんですが、「1回でもかかせん!!」...(笑)と帰っていきました。自分「客車グリーン」は使ったことがありません。うらやましいです。14系ですかね?私はテツですので、却ってディーゼル音が心地よいんですが(笑)14系というと、初期車ですかねリクライニングしてもフックしないのは(笑)それで、夜体を起こすだけでガチャンガチャンと元に戻る音が響いていました(笑)臨時夜行急行妙高乗車時の記憶「ムーンライト八重垣」に寝台車が付いていた!!それは私も知りませんでした。知っていたら、私も乗っていたかもしれませんです。今はご存じの通り、まず第一に「新幹線」がきますんで、それに伴ってルートが減っていってるんですよね。大阪から北海道へいくのも、今は東海道新幹線、東北北海道新幹線のみで、日本海ルートが無くなってしまったようにです。そうすると、在来線と新幹線の選択肢は消えましたんで、飛行機と新幹線もしくはどちらかかの往復とおっしゃる通り面白味は減りました。これは北陸新幹線も一緒で、糸魚川~青森間も同様です。今は旅先での観光を楽しむのみと言われているような気がしますね。車窓こそ、旅の楽しみとさせて頂いている私といたしましても🚄
こんなのがあったのですか...
ららぽーと好き様、こんばんは。コメントありがとうございます!こんなの、あったんですよ😊全車グリーン車だったので、18キッパーからは不評でしたね。
@@syaso 僕はその時生まれてなかったので、乗れなくて非常に残念でした。
高知行きは貴重ですね
辻くろしお様、こんにちは。コメントありがとうございます!
ムーンライト高知「高知行」 京都 → 新大阪 → 大阪 → 明石 → 姫路 → 岡山 → 児島(運転停車) → 多度津(運転停車) → 琴平 → 阿波池田 → 土佐北川(運転停車) → 土佐山田 → 高知 🌰
小倉弘様、さらに、「ムーンライト高知」にも、停車駅コメントを頂き、恐縮でございます。
まだ西川原就実駅が無い
木尾裕貴様、おはようございます!コメントありがとうございます!そうそう、この頃はまだ「西川原就実」駅はなかったですね~😊
復活してほしいですね ムーンライトシリーズ
藤原鎌足の子孫様、おはようございます!おっしゃる通り!海外では次々と夜行列車が復活しています。是非、こういうことこそ、海外の真似をして欲しいものです😊
まさに、夜汽車 ですね!
ムーンライトでも、客車で運行されていたものは、電車とは違って、夜汽車感がありますよね😊
この列車は、私(京都市内在住)と主様を直接結ぶ列車ではないですか(笑)
ただ、ちょっと残念なのが、ムーンライト徳島でないとこですかね…。かつては、ムーンライト山陽と併結して3階建てだったようなので、いっそ、徳島も連結して夢の4階建てを実現して欲しかった…。
ムーンライト、首都圏=ながらで、小田原から18切符で西国を目指すのが定番でしたが、現在は、臨時夜行快速が廃止になり、悔しさを隠せません。幸い、東日本には汎用特急型のE257系があり、それを基にムーンライト越後やムーンライト信州なら、臨時での復活も不可能ではないと、思います。
本当にそうですね。E257系は、確かに「ムーンライト」にはうってつけのような気がします。世界的な傾向では、環境問題などもあって、夜行列車が見直され、次々と復活していると聞きます。一方、日本では、それに加えてバスやトラックのドライバー不足問題もあります。鉄道業界も人手不足の傾向はあるようですが、それでもバスやトラックに比べれば将来的には自動運転化などが進むでしょうから、流動的に人員配置ができる可能性はあるでしょう。将来的には、ムーンライトのような夜行列車、さらに欲を言えば、寝台列車が復活することを願います。
たしか全車グリーン車指定席だったんですよね。青春18きっぷで乗れない残念な列車でした。
いちごと鉄道様、おはようございます。いつもありがとうございます!そうそう、全車グリーンでしたね。それもあってか、繁忙期にも拘わらず、車内はガラガラでした😢
もう昔の記憶なので誤解があるのかもしれませんが、ムーンライト松山が運転される日に限って、ムーンライト高知に、普通車指定席が連結されていました。
初めて聞いた列車…知らなかった
SA様、おはようございます。本年もよろしくお願いいたします。そうですか、そうですか。僕も、後になってから知ったのが「ムーンライト八重垣」です。寝台も連結していたというのですから、乗ってみたかった…。
@@syaso ムーンライト系って東京起点のイメージが強すぎる影響ですかね…
ムーンライトながらとムーンライトえちごの存在感が強すぎて、ちょっと陰に隠れてましたかね…😊
ブルートレインじゃなく団体貸切みたい。
修学旅行で乗ったやつ。
12系客車と言えば、団体や臨時で使用されることも多かったですからね😊
20:40
タイムスタンプありがとうございます!
これをサンライズの車両をもう何編成か作って定期列車化してくれないかな?なんなら最終新幹線後出発後で特急あさかぜ(京都⇒下関)始発新幹線に間に合うように(下関⇒京都)で!J9との交渉が上手くいくなら博多始発!\(^o^)/無理かな?(^▽^;)
ウツケタワケ様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうそう、ホントにサンライズの編成って、あと何編成か欲しいですよね。走らせたい区間がいっぱいあります。交直両用に改造して、全国各地を走ってもらいたい!でも、それも、夢のまた夢…ということでしょうか。
松山に続き高知も!
ありがとうございます!高知の方は、発電機を積んだ客車だったので、ちょっと喧しいのが残念です😢
乗降客の大半が18きっぱーで収益がたいして見込めないのによく走らせてたって感じ
僕も、本当に、そう思います…。そもそもムーンライトって、夜間走行なので、JRにしてみれば、経費ばかりかかって、全く儲からない列車だったのではないかと思います。
この列車(当初は何気に定期列車だった!)、通常期はグリーン車指定席のみ、18きっぷ時期のみ普通車指定席を連結してたんです。車内放送にもある通り、グリーン車指定席は18きっぷでは乗れませんから、それなりに収益あったのかと。
人気機関車型?驚き、は審査にて黒字列車創作?四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両在る列車?、しばらく後に営業です。
この頃はJRも、貧民に思いやりがあったな~😊
MITSURU CHIE様、おはようございます。コメントありがとうございます!昨今は、本当にブルジョア志向が強くなりましたよね。ななつ星や瑞風に代表される豪華寝台列車や、豪勢な地元料理を振る舞う観光列車。そういうのが今の流行りなのでしょうね…。
高知が地上時代。
鉄ちゃんマン様、おはようございます。本日もありがとうございます!そうそう、この頃は、ギリギリで地上駅でしたね。高架化工事はやってましたね😊
高校時代に四国へ旅行に行った際、なけなしのお金で乗った思い出があります。
AZUSA HANEDA様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。今では乗る事のできない列車。当時はなけなしのお金でしたが、今となってはいい思い出にはなったことでしょう😊
※05:53:52 「坪尻」のローマ字表記が、「Kotohira」になっています。「Tsubojiri」です。申し訳ない😓
ほんの10数年前は、普通にあったんですよね。手軽な値段で乗れる、機関車が客車を牽引するという、いわゆる汽車スタイルの夜行列車。まさかこのスタイルが、過去のものになってしまうなんて、思っても見なかった。
こういう車両が、いわゆる客寄せパンダ的な臨時や団体ではなくて、「ムーンライト」という車両で使われていたことで、より旅情を深めていたと思います。
昨今は、客車に乗ろうと思っても、ツアーなどの団体とか、臨時の「SL〇〇」や「DL〇〇」みたいな列車でないと乗れないので、旅情を感じるというよりも、イベント的なお祭り感が強くなってしまっていますね。
何と素晴らしいドキュメンタリーなのでしょう。ただいま深夜の1時過ぎ、こちらの動画の音を聴きながら、夜中のPC作業にいそしんでおります。旅情、まさに旅情です。ありがとうございます。
大田市代官山動物園Ave様、コメントありがとうございます!
いやぁ~、そうおっしゃって頂いて、こちらも有難い限りです!
映像は古い動画なので、画質はイマイチなのですが、走行音だけでもBGMとして、お役に立ったならば幸いです。
発電機付き車両なので、視聴者の中にはBGMとしても賛否両論があるのですが、大田市代官山動物園Ave様が、その点をお気になさらないのであれば、こちらとしては良かったです😊
懐かしい。学生時代と社会人なりたての頃、帰省で利用してました。 30年前でしたが当時は座席で煙草も吸えましたよね。今では考えられませんが。
慶中様、おはようございます。コメントありがとうございます!
いい時代ですよ。まだまだ心に余裕があったように思います。
私は23でタバコをやめたので、こんな事を言うのはなんなんですが、あの灰皿の「カキン」と蓋が閉まる音が好きでして、あの音を聞くと何となく旅情を感じたものです。
20年ほど前に高知の知人のところに行く際に使いました。普段見ることのない深夜の駅の様子がとても印象深かったのを覚えています。
高知駅も、今では立派な高架ホームに様変わりしましたね。
個人的には地上駅、地上ホームの方が、旅情があって好きでした…。
眠れないときに、このチャンネルの夜行列車の動画流しながら床についています。
ムーンライト高知は最繁忙期以外オールグリーン編成で青春18きっぷでは乗車できませんでしたね。他のムーンライトは青春18ユーザーに重宝されていましたが、逆に18キッパーがいない分快適に移動できたのではないかと思います。
katanoya様、おはようございます。連投ありがとうございます!
そうですか、そうですか。ありがとうございます。嬉しい限りです。
確かに、「高知」は、グリーンばかり3両。
18切符で乗車できないので、めちゃくちゃ乗客は少なかったですね。
その分、静かで、快適な旅でした😊
ムーンライトシリーズは旅費を節約するには貴重な列車でした。
そして流れるアナウンスは急行銀河。
懐かしいです。
そうそう、ムーンライトがあることで、18切符シーズンにはお世話になった方も多かったのではないかと思います。
こういった旅ができなくなってしまったのも、時代の流れなのでしょうね。
人気機関車型?驚き、は審査にて黒字列車創作?四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両在る列車?、趣味型?食堂在る列車。
20年位前に京都から高知まで乗車しました。
グリーン車のリクライニングは快適でしたが床下エンジンの音と振動が辛かったです。
岡山で車掌さんに相談した所、カーペット車に空席があるので、どこでもご利用下さいと言って下さり移動しました。
カーペット車はガラガラだったし、土讃線のの勾配区間をユックリ走って行くのも良い思い出です。
のあ様、こんにちは。いつもありがとうございます!
そうなんですよね。せっかくの客車なのに、エンジンがやかましいんですよね。
私もカーペット車にすればよかった…。
松山の方はよく乗りましたが、こちらは高知→大阪で一度乗ったきりです。
1輌だけの普通車は力を抜くとガチャンと元に戻る簡易リクライニングでした。
新改に入り込んで南風と交換があったのが印象的でした。
航空奉行所様、おはようございます。本日もありがとうございます!
そうですか、そうですか。
上りは「新改」で追い越しがありましたか。
私も1度乗ったのですが、記憶が…。
客車でスイッチバックとは、希少中の希少ですね😊
当時はスイッチバックは姨捨しか知らなかったので、四国の山の中にあるとは思いませんでした。
しかも交換列車が見えないまま出発するので何事かと(笑)
周囲で騒いでる面々に聞いてスイッチバック交換だと知りました。
高知は乗車していませんが、松山は乗車経験があります。九州・四国旅行の帰り、道後温泉に入り、18きっぷで松山から大阪へ戻る際に利用しました。今はこのような旅情を感じる列車はなくなってしまいました。
斉藤裕一様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。愛媛は松山、道後温泉、やっぱりいいですね!
こういった客車で旅する事ができなくなって、鉄道旅行の旅情というのは、どんどん失われてきているように思います。
1998年頃に乗りました。
当時は土佐北川ではなく新改で運転停車しており、いきなりスイッチバックをした記憶があります。
さかいてつやん様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
かつては新改駅で運転停車していたのですか!
その時代に乗りたかった!!
修正再UP非常にありがたいです。実は富士の動画を見て過去動画もこの形ならば、と思っていました。ありがとうございます。
yn hiko様、おはようございます!コメントありがとうございます!
そうなんですよね~。
過去の動画は、テロップなし、概要欄説明なし、なので、時間を作って、少しづつ修正再アップしたいと思っています。
よろしくお願いいたします!
瀬戸大橋が出来たからこそ存在したのであろう夜行列車。
現在の鉄道ファンの多くはその存在すら知らないと思います。
いつもながら貴重な映像のご提供、ありがとうございます。
いやぁ~、ありがとうございます。
そう言ってもらえると嬉しいです。
一方で、確かに、今の若い世代の鉄道ファンは、その存在を知らないかもしれませんね…。
かつて、こんなマニアックな客車列車があったということを。
もう少し古いと、ムーンライト山陽も連結して、3階建てだったのですから。
今の若い世代に「3階建ての列車」という言葉が正しく伝わると良いのですが…(^_^;)
確かに…。昨今、そんな呼び方しないですかね😊
遅ればせながら明けましておめでとうございます。2023年もお世話になり車窓さんの動画に大変楽しませて頂きありがとうございました。
不謹慎かもしれませんが2024年の日本は元旦から激動と衝撃の幕開けになりました。
以前のコメントにも書きましたが石川県には2005年に旅行で訪れました。485系雷鳥に乗った最初で最後の時でした。
翌日2日は羽田での事故です。自身は人生で飛行機に乗ったのは2度だけです。
最後に乗ったのは2003年だったので…
20歳の新成人の皆さんが生まれた年ですね。本日はおめでとうございます。
初は1996年に仕事の研修で静岡に行きました。行きは福岡空港から羽田まで→モノレールで東京駅→新幹線「こだま」で三島まで
飛行機はやはり苦手なので帰りは会社に内緒で航空券をキャンセルして寝台特急で帰りました!(笑)
東京からの「さくら」「はやぶさ」「富士」はすべて満席でした。「みずほ」が廃止された後でもまだ人気があったのです。
仕方なく三島→新大阪は新幹線「こだま」で、新大阪→小倉を「彗星」の寝台は取れました。
この当時はまだ併結運転ではなく単独列車でした。
翌3日は北九州の繁華街でまたもや大火災です。1990年代は北九州の小倉で働いていたのであの現地の鳥町食堂街はよく訪れたことがありました。それだけにショックは大きいです。昭和レトロな風情がありました。
各地共に被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧をお祈りします。
話が逸れて申し訳ないです。
この「高知」は乗ったことはありませんが
関西からのムーンライトシリーズの夜行区間で乗ったのは「山陽」だけです。
2002年の18きっぷで下関から新大阪?まで上りに乗りました。
他は1999年に「えちご」「ながら」や前身の大垣夜行に新宮夜行もあります。
ムーンライト「九州」は九州内の短距離ではあります。まだ全車指定席ではなく自由席があった時代なので2000年よりも前だったかと思います。
車窓さんも幼少の頃かと思いますが1970年代後半まで関西〜九州を結ぶ夜行急行で「阿蘇」「くにさき」「雲仙」「西海」があったのはご存知かと思います。寝台はなく14系の座席急行でした。国鉄時代は簡易リクライニングの座席だったかと思います。
同じ14系でもムーンライト九州の方が座席も改良され急行券も不要、18きっぷでも乗れる…
夜行列車が健在だった頃のJRはサービスが格段に良かったですね。
スハフのエンジン音は自分も好んでたので自由席ならオハよりもスハフを選んでました。
九州の急行では12系の「かいもん」「日南」がそうですね。
もうあのような旅が出来ないのは残念です。
逆にあの時代にそういう旅が出来たのも貴重な思い出になります。
今回も長々と失礼しました。
今年もまた素晴らしい動画と共に宜しくお願い致します。
1221 NT様、おはようございます。
本年もよろしくお願いいたします。
新年早々、能登地震、羽田飛行機事故と、本当に驚きました。
被災された方々には、できるだけ早く日常が戻るように祈るばかりです。
そうですか、そうですか。ムーンライト山陽に乗車されたことがあるのですね。
ムーンライト山陽は、ムーンライト高知、ムーンライト松山と併結していたというのですから、客車による3階建て編成ということで、当時は相当珍しかったと思います。
まさに私が幼少期の1970年代は、客車急行が、まだまだ健在でした。
12系や14系客車は、どちらかと言えば新鋭車両で、なんなら旧客も活躍していましたし、寝台を連結している急行は10系を連結している列車も多くありました。
いつの頃からか、古い客車は淘汰され、12系や14系もグレードアップやアコモ改造したものが多く出回り、それが後々にはムーンライトに転用され、ムーンライトも乗り心地の良いものになりましたが、やはり高速バスには勝てなかったようですね。
今、世界では夜行列車が見直されてきています。
日本は、何かとすぐに「海外では…」と、外国の真似をしたがるのですから、ぜひとも夜行列車も真似して復活してもらいたいものです。
懐かしいなあ
1990年代後半にいるファミレスに勤務していた時に世話にしていたバイトの子が香川県高松市で挙式するのに出席する為の来県時に利用したなあ
当時は高知行きしか無くて岡山でマリンライナー乗り換えてたなあ
高野拓也様、おはようございます。コメントありがとうございます!
四国へ向かう「ムーンライト」は、高知や松山へは向かうのですが、高徳線方面(高松と徳島)は完全にスルーされてましたからね。
私自身は、徳島在住なので、「ムーンライト徳島」も連結して、3階建て編成で運転して欲しかったです。
夜行客車で四国に行くなんて、今では夢のまた夢。
DoReMiLight様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですね~。
客車もないし、夜行もないし…。
鉄道旅行の旅情は失われていくばかりです😢
@@syaso客車じゃないけどサンライズがあるじゃないっすか
唯一の寝台列車サンライズ瀬戸は高松までだからね。懐かしい古い高知駅だ。
かえる様、おはようございます。コメントを下さりありがとうございます!
私自身、徳島在住なので高知同様にサンライズに乗車する際には高松乗継になってしまいます。
そういえば、高知駅もこの撮影の後、高架化されてしまいました。
現在、徳島駅も高架化が検討されていて、素朴な地上駅のホームの風情も、高知駅と同様に、見れなくなる日がやってきますね。
新車両基地移転後の高架化工事中の
地上駅時代の高知駅ですか
非常に貴重な映像ですね
ありがとうございます!まさに工事中でした。
地上駅時代の最後の頃ですね。
このあとしばらくして高知に出向いたとき、すっかり風景が変わっていてビックリしました。
あくまでも個人的な気持ちの問題ですが、地方のターミナル駅は、地上ホームの方が旅情があって好きでした。
昨今は、地方のターミナル駅も都会のような無機質な高架ホームと都会的な駅舎ばかりで個性がなくなったように感じます。
ただし、普段から利用している人にとっては、綺麗で使いやすい駅やホームの方が断然良いに決まっているので、たまに出向いて郷愁に浸る私のような人間が口出すようなことではないのですがね…😅
@@syaso
高知市生まれで、地上駅時代に高知を離れ
もはや、見知らぬ町になってる様ですね
地上駅時代は、駅の東西の踏み切りが南北を分断し、商業、行政全てが駅南部のみの発展でしたが、高架化で北部発展に寄与してるようです
個人的勝手な感想では
地上駅がなくなったのは非常に残念ですが
いや~、共感して頂けて嬉しい😊
やっぱり、地方都市の駅は、地上ホーム、地上駅舎であって欲しかった…。
@@syaso
駅舎の外から、改札越しに列車が見えるのは
眼福の極み
わかるわ~😊
あ、この列車、
20年程前帰省した際一度だけ利用した記憶が。
その時は確か高知駅から
大阪駅迄乗車した様な。
しかも其の当時18切符の存在を知らず、正規運賃の8000円
位で利用したと思います。
土佐っ子マー様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
これは手痛い出費となりましたね…。
まぁ、それでも、超貴重な列車ですから、それはそれで結果的には良い思い出になったということで😊
こんにちは。待ってましたね。ムーンライトシリーズ。高知行き。さすがにこの列車は乗ったことはなかったですね。
今は、さすがに廃止されて、夜行高速バスのみになった。
個人的には、ムーンライト山陽やムーンライト八重垣(寝台車も連結)に乗車できなかった事が悔やまれます…。
@@syaso さん、八重垣て、沖縄県八重山諸島をイメージしていませんか❔
ついつい、そっちを連想しちゃうんですよね…。
でも、松江の八重垣神社からとった愛称なんですよね😊
@@syaso 様、松江市の神社⁉️出雲大社のイメージしかわかないです。
10:13 関西民からするとこの放送の時点で驚愕する。。尺西の放送で「高知」なんぞ聞いた事ないぞ。。
アム様、おはようございます。コメントありがとうございます!
以前、「やくも」のショート動画でもコメントを頂きました。ありがとうございます!
そうですね~、この頃は、「高知行」「松山行」もそうですが、北海道へ向けて「トワイライト」の「札幌行」とか、新大阪では「ムーンライト九州」の「博多行」も聞くことができましたからね…。
最近は、こういった長距離列車がすっかり消えてしまったせいで、浪漫を感じる放送も少なくなりました😢
ベトナムの夜行列車の話: ハノイからクアントリまで SE7 列車に乗りました (全長 622 km、12 時間以上) 列車は少しゆっくり走り、かなり揺れますが (24 系は揺れすぎですか?) 2018 年以降に製造された新しい車両ですが、サービスの質は日本と非常に似ています (非常に優れており, 馬車はきれいです, 食堂車と車内の食事は北斗星と同じくらい美味しく、アテンダントはフレンドリーです) 非常に時間通りで、現在好調に推移していますインフラの改善。早朝(午前5時50分)の出発ですが(日本ではこの時間帯に夜行列車が走っているのでしょうか?)、でもここの電車は東北東海道のような平坦な区間を通ると14系・24系みたいにガタガタ音がします。本線。アナウンスも手動で行われる(サイゴン鉄道管理列車を除き、自動アナウンスとなる)。次に、この列車には B 寝台車 (14/24 系) に似た寝台車もあります (ほとんどの夜行列車の中で最も高価な車両ですが、設備は日本の B 寝台車とほぼ同等です)。 )。つまり、ここではブルートレインのような全盛期の伝統的な夜行列車を体験することができます。 (おやすみエクスプレスに関する私のコメントは、私の息子が誕生日に付けてくれたものです。息子も鉄道マニアで、よくあなたの動画を見ています。)
Khoa's Train様、こんばんは。コメントありがとうございます!
そして、いつもご視聴頂きありがとうございます。
鉄道ファンの息子さんにも宜しくお伝えください。
ベトナムには12時間以上かけて走る夜行列車があるのですね。
羨ましい限りです。
かつて、夜行列車や寝台列車がたくさん走っていた日本も、今では「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」の2本だけになってしまいました。
ベトナムの寝台列車は、今でも機関車が牽引する客車タイプなのですね。
やはり、夜行列車は、そうでなくてはいけません。羨ましいです。
岡山駅に停まっていたサンライナー、いつの間にかあのカラーリングがなくなってしまっていたけど、久しぶりに見れたなぁ
16年前ですからね。向日町の車庫に群がっている車両も、今の風景とはだいぶ違いますね。
ムーンライト見られて嬉しいです🥹🥲
ありがとうございます!
@@syasoさん、こちらこそ返信して頂きありがとうございます✨乗ってみたかった車両でしたので、臨場感を味わいながら見られて嬉しいです🍀
ムーンライトはながらにしか乗ったことがないですが、夜に目覚めるとびっくりするほど進んでいない感じ、お約束みたいですごく懐かしくなりました。
四国と言えば旅行で誤乗して慌てて降りた駅が「小歩危」で、隣の大歩危駅とともに帰ってから誰にも信じてもらえなかったのも、駅名を見るたびに思い出します。
そうですか、そうですか。それは大変な目にあいましたね。
土讃線は本数も少ないですし、そもそも小歩危で降りたら特急も停車しないので、戻るのも大変だったでしょう。
まさに、小歩危、大歩危だけに、危ないですね…。
高知の駅も懐かしい😭
最近は、地方のターミナル駅もどんどん高架になり、都会的な無機質な駅舎が多くなってきたように感じます…😢
サムネイルの「ン」!🌙!
洒落てますね!
いやぁ~恥ずかしい…。そこを見抜かれましたか😓
ちょっと遊び心でやってみました。
改めて指摘されると、実にお恥ずかしい限りです…。
京都駅で機回し出来るんですね。驚きました
かつては、「あかつき+なは」も、こんなことやってましたね…。
もう、こういう光景、見ることができなくなりました。
そもそも客車を見ることがほとんどなくなってしまって、寂しい限りです。
西川原(就実)はまだなかったのか?ちなみにこの列車は昔高知にいた文通相手に会うために往復乗った記憶があります。懐かしい貴重な動画サンキュです。
サトコウ様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうそう、確かに、この時は、まだ西川原(就実)駅はありませんでしたね。調べて見たら、翌年の2008年3月改正で誕生したようですね。
文通ですか~。いいですね😊
なんでもデジタル化した時代からすると、文通のようなアナログな時代が、かえって懐かしくなります。
話は全然違いますが、私が中学生の頃は、交換日記なんてのも流行ってましたね。
ひっそりと66がおるのはムーンライト九州か、、、懐かしい。。
あら、66がいましたか…。全然気づいていなかった…😅
個人的に床下のエンジン音好きです、賛否両論ありますが。列車のほうが夜行バスよりくつろげますし、ゆっくりできますよね
これね~、発電機。乗ってると、だんだん慣れてくるんですけど、ちょっと喧しいんですよね。
一方、夜行バス。
僕も、どうも夜行バスは苦手なんですよ。
高速バスそのものは好きなんですが、「寝る」ということを前提にして考えると、苦手なんです。
座席がどんなに良くなって、めっちゃリクライニングしても、やっぱり寝れないんです。
鉄道の、あのリズミカルな走行音でないと、子守唄にならないんですかね…😊
ムーンライト高知・松山の最後尾が何故か中間の顔w
ちなみに自分は18きっぷで東京からながらで大垣で乗り換え新大阪へ行き、夜ムーンライト九州で博多まで行きました笑
下りのムーンライト・高知は、ケツが中間車の顔ってのが、なんとも味わい深かったんですよね。
こういうのが、近年まで、平気な顔して大都会の大阪、神戸を走り抜けていたのだから驚きです😲
高知駅に向かう夜行快速列車があったとは。
大阪ー高知間は瀬戸大橋を中心に、夜行高速バスが多く運行されている。
客車列車はかなり貴重になった。
ムーンライト高知は、ムーンライト山陽やムーンライト八重垣との併結時代もあったようで、ムーンライト山陽+ムーンライト松山+ムーンライト高知という客車による夢のような3階建て編成もあったようですね。
私自身としては、ムーンライト山陽や、寝台車を連結していたムーンライト八重垣には乗ることができなかったので、これがかなり悔やまれます…。
@@syaso さん、夜行快速列車に寝台車を併結とは、かなり安い寝台料金で行けたでしょう。
今となっては、夜行高速バスが猛威を振るっているが、格安高速バスの死亡事故をきっかけに規制強化で、大衆夜行列車復活話があれば良いが。
ヨーロッパなどでは、環境問題などもあって、夜行列車が次々に復活していると聞きます。
普段、あれだけ「海外では…」と、海外の真似をしたがるのですから、是非、夜行列車も海外の真似をして復活して欲しいものです。
@@syaso 様、無論殿様列車のクルーズトレインではなく、大衆寝台特急で。もちろん食堂車付きで。
そうそう、大衆というのがポイントですね。
食堂車は必須です😊
ムーンライト号懐かしい。
青春18切符族の夜行列車だったような、駅のアナウンスも全て懐かしい。😊
この映像が見れるとは思わなかったな。また時季運行の臨時快速として、走って欲しいな、今は列車がスピードが早過ぎて、どちらかというとゆっくりのんびり旅がいいんだけど。
ムーンライトって、本当に良かったんですよね…。
コスパもいいし、旅情もあって、「旅してるなぁ…」って感じで。
ちょっと前までは、全国各地に走っていたのに、この20年で急速に消えてしまいました。
中でも、客車で運行していた山陽、八重垣、高知、松山、九州は旅情たっぷりで好きでした。
昨今は、客車そのものがないので、鉄道旅行も味わい薄いものになってしまいました。
床下のディーゼル発電機(DMF15HS-G)の音が好き。12系客車の象徴。
そう言ってもらえると有難いです。
「あ~、客車なのに発電機がちょっとやかましいかなぁ…」と、動画を見てくれる皆さんに、ちょっとがっかりさせてしまうのではないかと不安に思っていたので、そう言ってもらえるとホッとします😊
普通車自由席が連結されたとき青春18きっぷで乗車しました。
そうですか、そうですか。自由席が連結されていたこともあるのですね。
自由席ともなると、着席する為には、相当早めに並んどかないとダメだったのでしょうかね。
今年の初コメントです。本年もよろしくお願いいたします。
さて、人には得手不得手がありますが、私は後者でして、床下発電機エンジンの 1500回転位でしょうか、単調でもアイドリングより高めの音が どうも苦手でして、その昔に博多か小倉から乗った上り寝台特急みずほ号と推定される 14系寝台車も床下発電機で眠れなかった記憶が。
B寝台のベッド幅が広がっても、これはどうかと感じた小学生時代の私です。
その存在を 暫く忘れてたのですが、SL北びわ湖号に乗車した時に発電機付き車両に当たり、ある意味 懐かしさに感動したものです。
運転手時代など、パーキングエリア等で仮眠中、隣に冷凍機エンジン爆音の保冷車が来た時など(音質、似てます)眠れるどころの話じゃなかったですから。自身のトラックの17リッターV10エンジン音が気にならないのにね(笑)
おっといけない、主さんが折角upして頂いた動画に 初っぱなからケチつけるていに なってはいけませんね。
睡眠用BGMにと企んだ浅はかさを反省します。
有年駅にて停車中に見えるのは国道2号です。数え切れない程、通ってますし、0時から2時が一番通った時間帯ですから、旅情的な感情が一気に高まります。
途中、山陽本線とかは高速運転してるのに、瀬戸大橋は えらいゆっくり渡ってますね。観光サービスかな?それとも騒音対策かな?
高速運転といえば、昔EF65牽引からEF66牽引に なった時に 110キロ走行するのかな?ってカレチさんに聞いたら、基本は95~100キロ位の運行だそうで、EF66になったのは起動時と登坂時の牽引力確保なんだそうで、遅延時位しか110キロ走行はしないし、EF65も110キロ出るんだよと、中学時代の私に優しく教えて下さいました。因みにEF65牽引時代は90~95キロ走行が基本だとも教えて頂きましたよ。
坪尻のローマ字表記の件はスルーして、夜明けて朝日差す時こそ夜行列車の醍醐味ですよね。
これだけは列車乗ってても自身が運転してても いつもテンション上がります。
小歩危駅付近の吊り橋って、あの小歩危吊り橋かな?
以前、主さんが薦めて下さった かずらばしより こっちの方が 恐怖感じるのは 私だけかな?
車停めるとこ少ないからたどり着きにくい場所だった気がするけど、記憶違いかも。
さて、正月休みですが、平戸市に放置した娘を迎えに、(車関連CMで恒例のあの島です。菅田くんのカローラスポーツとか、ソリオとか)九州へ もう1往復する予定だったのですが、例の災害で 妻が ビビってしまい、4日に出るのを躊躇してましたが、帰省してた 富士宮在住の妻の妹(伊藤つかささんに似てます。時代の方ならご存知)が乗っけてくれたので、助かりました。
その旦那の車が無限のステッカー貼り付けた現行形のシビックですが、何故だろう、心に何も刺さらないのです。
結構なチューンドなのに。
主さんのスカイラインは強烈に刺さるのに、ま、旧車マニアって こんなもんですよね。車も列車も(笑)
で、九州1往復 浮いたからって、夜ふらりと出たついでに気が付けば 木曽路19号を走り、気が付けば甲州街道を走り、気が付けば大月から中央道に乗り、とどめに首都高4号から都心外回りから銀座、浜崎橋からレインボー、羽田から海ほたる折り返しでベイブリッジから横浜インターから東名高速経由で安八スマートインターで降りて帰るとゆう、妻にサービスドライブをして来ましたが、帰宅してから東京タワーが あんまり見えなかったと叱られて、若干 凹んでる私です。
最後に報告ですが、今回の休みは 3524キロの走行でした。
妻のスペーシア カスタムZで行ったのですが、同じターボでも私のパレットSWの方が良く走るし、以前のワゴンR/RRは、もっと走る。新しくなっても走行性能が衰えるのは意味がないから、新型がいくら出てもどんどん興味は薄れていきます。
兄貴!本年もよろしくお願いいたします!
さて12系の発電機。まぁ、12系に限らんのですが、客車の発電機、実は、私も苦手で、できたら発電機なしの方が良かったのです。
ですが、ムーンライト高知の場合、編成はたった3両。
普通車は乗車率が高いですし、カーペット車はグループ乗車も多いので車内が賑やかな感じになるだろうと思い、敢えてそこを避けたら、発電機付き車両になってしまったというわけです。
しまった…坪尻のローマ字。やってもうた…。
さりげないメッセージに感謝。
コメント固定で、お詫びを出しておくこととします…😢
小歩危のつり橋なんですが、まさに兄貴の言う通り!
実は、かずら橋よりも地元民が使う地元つり橋の方がよっぽど恐ろしいです。
この辺りにかかるつり橋は、大体網羅したのですが、そりゃぁ恐ろしいです。
ですが、さすがに無想吊橋に比べたら、全然楽勝だと思います。
そうですか、そうですか。確かに正月早々の地震には奥様だけでなく、みんなビビったでしょう。
もちろん、能登半島の皆さまには、一日も早い復興を願うばかりです。
昨年は、北陸線の特急が廃止になることもあって、何度か金沢や和倉に行きました。
それだけに、何とも言えない気持ちになりました。
そうそう、伊藤つかささん、このワードにはやっぱり食いついちゃいますね。男としては。
すご~く可愛くて、大好きでした。
金八先生、そして「少女人形」も、懐かしいなぁ…。
いや~、わかります、わかりますとも。
最近のスポーツカーとか、なんか全然刺さらない感じ。
確かに、すごいチューンとかしてても、なんか違うんですよね。
なんなんですかね。
まぁ鉄道車両でも、最新鋭の装備と豪華な内装とかの新型車両が登場しても、なんかピンとこないんですよね。
アナウンサーとか、鉄道タレントが、ここぞとばかりに新車の良さをアピールしてくるのですが、正直「なんかなぁ~」って感じで。
むしろ、昔の本とか、ネット検索で出てくる20系客車のルーメットとかの方がときめきます。
最後に、今回の休みで3,524kmですか。
ま~た、とんでもない距離を走りましたね。
夜、ふらりと出たついでが、凄いことになりましたね。
しかし、ここでも、もちろん、わかりますとも!
以前のワゴンRのRRの方が断然走る!
最近の車って、ホント遅いんですよね。
ジムニーなんか、糞みたいに遅いんでビックリしました。
なんか、自動車も鉄道も、年々つまらない方向に物事が進んでいて、ときめくことが減りました。
それもこれも、単に年取ったからかも知れませんがね…😌
主さんのチャンネルには、皆様、車窓を見て幸せな気持ちになる為に来られてるので、災害関連とかは なるべく話題にはしないように心掛けてるつもりですが、当然、私も心を痛めてる1人です。
去年の5月に見附島や珠洲市(駅跡の道の駅とか)行った翌日に地震があり、心痛めてた矢先に元日の大地震で、触れ合った方々が被害に逢われたかと考えるだけで涙がこぼれます。
阪神淡路大震災の際は自身の大型トラックに 緊急物資輸送車の幕を掲げて数往復(多分、6往復)した経験を踏まえて、友人の運送会社社長には、お呼びがあれば私はいつでも応援に行くスタンスは伝えてあります。
その友人は私と価値観が似ていて、神戸の時はお互い、運賃を受け取りませんんでしたから、今回もお呼びがあれば同じ事をするでしょう。
自分に出来る事は その位かな、と思いつつ、初詣に行った際は、とりあえず募金箱にお金を入れようとしたら既に紙幣でいっぱいの感触だったのは驚きでした。
名鉄パノラマカーの(既に廃車)先頭車両に飾ってあった御札の、不動明王を祀る、あの寺院です。
それと、翌日の羽田の事故後の対応でもそうですが、改めて日本人は素晴らしいと再認識させられましたね。
運良く、(悪く?)二十歳の娘が車を買い増し(買い換えじゃなく、買い増し。車に対する価値観が親父と一緒。ただ、アメ車じゃなくて軽四ですが)した時にキャンペーンに応募したら(主さんなら解る)和倉温泉加賀屋の宿泊券が当選してしまい、軽四で行ける場所じゃないぞ、と躊躇してたのですが、期限内に復旧したら夫婦で行こうと思ってます。
単純に10万円位するのかな?
期限内の復旧しなかったら勿体ないな、と考えちゃうのは今は不謹慎なのかな?(笑)
発電機エンジンの話に戻りますが、以前にお話した24系白帯好きなのは、絶壁ボルダリングの三段寝台でも70センチ幅ベッドで静かだからです。583系のメカニカル絶壁も好きなのですが、24系25形では刺激が足りないし、昭和育ちは三段寝台の狭さ(縦方向)が何か落ち着くのと、妹を含めた三人で旅した時に乗った車両での記憶が いい思い出だからかも知れません。
列車名は思い出せませんが、ひょっとして、明星号か日本海号が24系運用の時代があれば それかも知れません。
ただ、当時は妹(水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘の趣里さんに雰囲気が似てます)がついてくると、予算超過って言われてA寝台を使わせて貰えなかったから、少し拗ねてた気がします(笑)
三段どころか二段寝台も絶滅した今、それならばと 昔は各地にあったブルートレインホテルを探しても、もう殆んどありませんね。
有名な所では湯前線(第三セクターだったよね)の どっかの駅前に「はやぶさ」が割りと綺麗な状態で保存されてて、今でも宿泊出来るみたいですが、妻に言わせると、以前に乗車した あかつき号では熟睡出来なかったので、寝台車ベッドの印象は良くないらしいです。
九州鉄道記念館でも581系月光のベッド(になる前)に寝転んでも、寝心地はいまいちって 言ってたしなあ。
やれやれ┐(´д`)┌
和倉温泉加賀屋の宿泊券!いいなぁ!!
絶対一度は止まりたい名旅館!!
実は、私もず~と泊まりたいと思っていたんですが、今回、こんなことになって、本当に残念でなりません。
でも、きっと、加賀屋のことですから、割と早くに復旧できるのではないでしょうか。
期限内に復旧できるといいですね。
三段寝台の狭さ…。
個人的には、よ~くわかります。あの狭さこそが寝台列車の醍醐味なんだと。
僕も最初に乗ったのは小学4年生の時、20系の「天の川」でした。
上段では狭くてちょっとした拍子に、すぐに屋根に頭をぶつける感じでしたが、それも面白かった。
でも、確かに女性には不評かもしれませんね。
ブルートレインホテル...僕も、何回かネットで検索して、泊まってみようかな~と思ったこともあったのですが、やっぱり、動いてないと面白くないかな~…ということで、今のとこ泊まったことはないです。
手前味噌になりますが、私の動画をモニターにして、窓に埋め込み、車掌と車内販売員も乗り込んで、食堂車を組み込んでくれたら、臨場感もあって良いかも…と思ってしまうわけです。
うおー。
ブチくそ懐かしい!
21Karafuto様、そうでしょ!
こんな列車、もう日本では見かけないですもん😊
途中停車駅の案内で「岡山」から始まったが、その放送の最後に「次は新大阪に止まりまーす」って、どういうこと?快速なら、新大阪で降りる人だっているかもしれんでしょ!
しかしながら、夜行列車の窓から見る景色は、なんとも言えないなぁ。この非日常な時間が、とにかく楽しかった。
ま様、おはようございます。コメントありがとうございます!
お~、言われるまで知らずに聞き流しておりましたが、確かに、岡山からスタートしてますね。
新大阪から先、大阪、三ノ宮、神戸、明石、明石、姫路も停車するので、ここはきちっと放送して欲しかったなぁ…。
割と聞きやすく、感じの良いアナウンスだっただけに、残念😢
まぁ、それでも、確かに、夜行列車から見る車窓は、例え同じ車窓であっても、通勤電車から見る車窓とは、不思議と一味違って見えるものです😊
懐かしいな、一度、利用はさせてはもらいましたけれど?、
森田友之様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
「ながら」や「えちご」に比べると、マイナーなムーンライトでしたからね…。
乗車経験がある人も少ないと思いますので、希少な経験かと…。
京都で5分遅延したせいか、客車列車なのに京都〜新大阪を26分でかっ飛んでるEF65の本気…
Kenji Sonoda様、こんばんは。コメントありがとうございます!
ブルトレ全盛にはこんな運用もあったのか😮
しきにゃん様、おはようございます。コメントありがとうございます!
かつては、こんな、味わいのある列車も走っていたわけですね😊
こんばんわ 四国内の夜行急行は「土佐?あしずり?」「うわじま」
で、国鉄ワイド周遊券で宿泊費節約をしてましたね(笑)
もちろんその頃は瀬戸大橋もなく、宇高航路でした。
帰り道に初めてホバークラフトに乗ったんですが、宇野駅での接続も悪く
なおかつ高くつくので、お客さんはほとんどいませんでしたね。
その代わりといってはなんですが、車掌さんがお客さんに
アイスキャンディーを配ってました。
バニラ味でしたね。(笑)
この時に、四国最難関の1つである牟岐線全線完乗もしました。
ムーンライトに1度は乗りたかったんですが、岡山が3時台ですから…
乗車はできませんでした。
しかし3両高知、3両松山でそのうち3両がG車とは
なかなかに豪華な編成ですね…
バス対抗でしょうか、JR四国にとって最大の敵は高速路線バスかもですね
そう考えると鳴門海峡大橋をおとしたのは痛いですし、
最終新幹線に引き継いで、高知、松山へノビノビ編成走らせてもよかったかと思います。
夜間を放り出したのは、高速路線バスの独壇場にして下さいと
言っているようなものですからね(笑) 🚄
asakazeさん、おはようございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年は早々に能登の地震、そして羽田の飛行機事故と、相次ぐ不幸に見舞われました。
なので、新年の挨拶は自重気味でスタートしております。
「ホバークラフト」。もう、その言葉自体が懐かしいですよね。
子供の頃、本で読んで憧れたヤツです。
僕は、宇高連絡船も青函連絡船も乗ったことがないので、国鉄の連絡船に凄く憧れていました。
連絡船って、その言葉の響きだけでも旅情を感じるじゃないですか。
加えて、ものすごく地味な存在でしたが、「仁堀連絡船」なんてのも、ありましたよね。
私が敬愛する紀行作家の宮脇俊三先生は「最長片道切符の旅」の中で、仁堀航路がなくなってしまったら、一筆書きで四国には入れないと書いていたのが思い出されます。
話は戻って、ムーンライト高知松山ですが、確かにムーンライト編成で、こんなにグリーン車連結してるのって、珍しいと思うんですが、一方で、私が乗車した時もそうでしたが、グリーン車は、ガラガラで、私以外の乗客は数人程度でした。
一方、数少ない普通車は、ほぼ満席みたいな感じで、どう考えてもバランスに欠けていました。
グリーン車は、18切符が使えないので、結局、利用者がほとんどいなかったというのが実情でしょうね。
僕自身は、撮影の為に、できるだけ乗客が少ない方が良かったので、あえて18切符が使用できない「グリーン」を選択したわけですが、高知に関しては、発電機がついていて、客車なのにディーゼルカーみたいな走行音になってしまったのが、ちょっと残念です。
ムーンライトのグリーン車と言えば、かつて、「ムーンライト八重垣」には寝台車が連結していたそうで。
私は、それに乗り損ねた事が今でも悔やまれます…。
しかし、今思えば、JR西日本って、客車のムーンライトを走らせていたのですから、ある意味凄かったですね。
特にムーンライト九州なんて、結構な長距離でしたし。
こういった面白い列車が消えてしまって、昨今の鉄道旅行は、一層、薄味になってきました。
私は学生の頃の旅行サークル合宿先が四国だったんです。
その時が、四国初上陸でしたね。
自分往復同じ路線(航路)に乗ることが余り好きくないもんで(笑)
で、ホバークラフトにしたんです。
上には上がいて、行くときは全員集合で同じ電車で目的地へいくんですが、
帰りは現地解散で自由にしてねという方針で、松山解散だったんで
友人は仁堀航路で帰った友人もいます。
その理由は、家でTV「北斗の件」が見たいから(笑)
何か「四国周遊券」には仁堀航路は設定されていなかった記憶が
あり、その分の別出費で、「それほどか?」と言われてたように
思うんですが、「1回でもかかせん!!」...(笑)と帰っていきました。
自分「客車グリーン」は使ったことがありません。うらやましいです。
14系ですかね?私はテツですので、却ってディーゼル音が心地よいんですが(笑)
14系というと、初期車ですかねリクライニングしてもフックしないのは(笑)
それで、夜体を起こすだけでガチャンガチャンと元に戻る音が響いて
いました(笑)臨時夜行急行妙高乗車時の記憶
「ムーンライト八重垣」に寝台車が付いていた!!それは私も知りませんでした。
知っていたら、私も乗っていたかもしれませんです。
今はご存じの通り、まず第一に「新幹線」がきますんで、それに伴って
ルートが減っていってるんですよね。大阪から北海道へいくのも、今は
東海道新幹線、東北北海道新幹線のみで、日本海ルートが無くなってしまった
ようにです。
そうすると、在来線と新幹線の選択肢は消えましたんで、飛行機と新幹線
もしくはどちらかかの往復とおっしゃる通り面白味は減りました。
これは北陸新幹線も一緒で、糸魚川~青森間も同様です。
今は旅先での観光を楽しむのみと言われているような気がしますね。
車窓こそ、旅の楽しみとさせて頂いている私といたしましても🚄
こんなのがあったのですか...
ららぽーと好き様、こんばんは。コメントありがとうございます!
こんなの、あったんですよ😊
全車グリーン車だったので、18キッパーからは不評でしたね。
@@syaso 僕はその時生まれてなかったので、乗れなくて非常に残念でした。
高知行きは貴重ですね
辻くろしお様、こんにちは。コメントありがとうございます!
ムーンライト高知「高知行」 京都 → 新大阪 → 大阪 → 明石 → 姫路 → 岡山 → 児島(運転停車) → 多度津(運転停車) → 琴平 → 阿波池田 → 土佐北川(運転停車) → 土佐山田 → 高知 🌰
小倉弘様、さらに、「ムーンライト高知」にも、停車駅コメントを頂き、恐縮でございます。
まだ西川原就実駅が無い
木尾裕貴様、おはようございます!コメントありがとうございます!
そうそう、この頃はまだ「西川原就実」駅はなかったですね~😊
復活してほしいですね ムーンライトシリーズ
藤原鎌足の子孫様、おはようございます!
おっしゃる通り!
海外では次々と夜行列車が復活しています。
是非、こういうことこそ、海外の真似をして欲しいものです😊
まさに、夜汽車 ですね!
ムーンライトでも、客車で運行されていたものは、電車とは違って、夜汽車感がありますよね😊
この列車は、私(京都市内在住)と主様を直接結ぶ列車ではないですか(笑)
ただ、ちょっと残念なのが、ムーンライト徳島でないとこですかね…。
かつては、ムーンライト山陽と併結して3階建てだったようなので、いっそ、徳島も連結して夢の4階建てを実現して欲しかった…。
ムーンライト、首都圏=ながらで、小田原から18切符で西国を目指すのが定番でしたが、
現在は、臨時夜行快速が廃止になり、悔しさを隠せません。幸い、東日本には汎用特急型のE257系があり、
それを基にムーンライト越後やムーンライト信州なら、臨時での復活も不可能ではないと、思います。
本当にそうですね。
E257系は、確かに「ムーンライト」にはうってつけのような気がします。
世界的な傾向では、環境問題などもあって、夜行列車が見直され、次々と復活していると聞きます。
一方、日本では、それに加えてバスやトラックのドライバー不足問題もあります。
鉄道業界も人手不足の傾向はあるようですが、それでもバスやトラックに比べれば将来的には自動運転化などが進むでしょうから、流動的に人員配置ができる可能性はあるでしょう。
将来的には、ムーンライトのような夜行列車、さらに欲を言えば、寝台列車が復活することを願います。
たしか全車グリーン車指定席だったんですよね。青春18きっぷで乗れない残念な列車でした。
いちごと鉄道様、おはようございます。いつもありがとうございます!
そうそう、全車グリーンでしたね。それもあってか、繁忙期にも拘わらず、車内はガラガラでした😢
もう昔の記憶なので誤解があるのかもしれませんが、ムーンライト松山が運転される日に限って、ムーンライト高知に、普通車指定席が連結されていました。
初めて聞いた列車…知らなかった
SA様、おはようございます。
本年もよろしくお願いいたします。
そうですか、そうですか。
僕も、後になってから知ったのが「ムーンライト八重垣」です。
寝台も連結していたというのですから、乗ってみたかった…。
@@syaso ムーンライト系って東京起点のイメージが強すぎる影響ですかね…
ムーンライトながらとムーンライトえちごの存在感が強すぎて、ちょっと陰に隠れてましたかね…😊
ブルートレインじゃなく団体貸切みたい。
修学旅行で乗ったやつ。
12系客車と言えば、団体や臨時で使用されることも多かったですからね😊
20:40
タイムスタンプありがとうございます!
これをサンライズの車両をもう何編成か作って
定期列車化してくれないかな?
なんなら最終新幹線後出発後で特急あさかぜ(京都⇒下関)
始発新幹線に間に合うように(下関⇒京都)で!
J9との交渉が上手くいくなら博多始発!\(^o^)/
無理かな?(^▽^;)
ウツケタワケ様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうそう、ホントにサンライズの編成って、あと何編成か欲しいですよね。
走らせたい区間がいっぱいあります。
交直両用に改造して、全国各地を走ってもらいたい!
でも、それも、夢のまた夢…ということでしょうか。
松山に続き高知も!
ありがとうございます!
高知の方は、発電機を積んだ客車だったので、ちょっと喧しいのが残念です😢
乗降客の大半が18きっぱーで収益がたいして見込めないのによく走らせてたって感じ
僕も、本当に、そう思います…。
そもそもムーンライトって、夜間走行なので、JRにしてみれば、経費ばかりかかって、全く儲からない列車だったのではないかと思います。
この列車(当初は何気に定期列車だった!)、通常期はグリーン車指定席のみ、18きっぷ時期のみ普通車指定席を連結してたんです。車内放送にもある通り、グリーン車指定席は18きっぷでは乗れませんから、それなりに収益あったのかと。
人気機関車型?驚き、は審査にて黒字列車創作?四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両在る列車?、しばらく後に営業です。
この頃はJRも、貧民に思いやりがあったな~😊
MITSURU CHIE様、おはようございます。コメントありがとうございます!
昨今は、本当にブルジョア志向が強くなりましたよね。
ななつ星や瑞風に代表される豪華寝台列車や、豪勢な地元料理を振る舞う観光列車。
そういうのが今の流行りなのでしょうね…。
高知が地上時代。
鉄ちゃんマン様、おはようございます。本日もありがとうございます!
そうそう、この頃は、ギリギリで地上駅でしたね。
高架化工事はやってましたね😊
高校時代に四国へ旅行に行った際、なけなしのお金で乗った思い出があります。
AZUSA HANEDA様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
今では乗る事のできない列車。
当時はなけなしのお金でしたが、今となってはいい思い出にはなったことでしょう😊