【車窓】489系「能登」上野→金沢 2007年6月7日

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  • Опубликовано: 29 ноя 2024

Комментарии • 142

  • @syaso
    @syaso  6 месяцев назад +19

    ※モハではありません。モーター音などは楽しめませんので、予めご了承願います。

    • @ceoing
      @ceoing 2 дня назад

      無問題!!

  • @まかちゃん-i3l
    @まかちゃん-i3l 6 месяцев назад +21

    昔から見てました。古すぎますが昔は次の赤羽からも乗車する人いましたねー。ホームにあった売店スタンドでお茶と駅弁買って乗り込んでる姿も懐かしく思い出します。時は過ぎてこのタイプの車両になってからは良く働く車両だなぁ〜と記憶にあります。確か初代のホームライナー古河の往復こなしてからのスタートが始まりだったはずです。毎日頑張って走ってた光景が懐かしいです。ありがとうございました。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +6

      まかちゃん様、こんにちは。コメントありがとうございます!
      「能登」は、旧客から始まって、14系、そして489系へ。
      世の中から急行や夜行が消えて行く中でも、最後までよく頑張ってくれました。
      そして、おっしゃるように、晩年は、ウォーミングアップ的に、ホームライナー鴻巣→ホームライナー古河をこなしてから、「能登」となって、金沢へ旅立つ列車でしたね。

    • @yoichiyahagi5960
      @yoichiyahagi5960 6 месяцев назад

    • @こちたんぱぱ
      @こちたんぱぱ 3 месяца назад +1

      赤羽から熊谷まで立ち客も多くて、高崎を過ぎるくらいまでは騒々しかった印象ですね。顔を真っ赤にしてフラフラしていたと思ったら倒れちゃった女の子を介抱したり、ロビーカーに入ってきた酔っ払いに絡まれて同行の先輩が殴りかかろうとしちゃったのを止めたりと、何度か利用しましたが毎回何かが起きる列車でした。学生時代の利用だったので、ドタバタ乗車も楽しかったんですけどね

  • @まーくん-z2y
    @まーくん-z2y 6 месяцев назад +9

    夜の車窓はなぜかワクワクします。走行音やたまに聞こえる踏切警報音がまた良い味出してますよね。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +2

      まーくん様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      いいんですよね~。夜行列車の、何とも言えない哀愁感を帯びた音色。
      物悲し気に警笛が鳴るのも好きです😊

  • @1221NT-
    @1221NT- 6 месяцев назад +6

    今回も懐かしの国鉄型特急をチョイス頂きありがとうございます🙏
    モハなどの中間車両は車両中央と車端部ではジョイント音が違いますね。
    連結部のリズミカルなジョイント音も好きなのですが…
    一方のクハの先頭部も好んでます。
    モーター音はありませんが
    独特のジョイント音が良いのです。
    この「能登」も489系も
    乗る機会はありませんでしたが
    2003年のトワイライトEXPの24系食堂車に乗った時に
    これは元「白山」に使われていたサシ489だったので嬉しかったです。
    1992年に189系の「あさま」には乗りました。
    横川〜軽井沢間をゆっくりと登る光景はよく覚えてますよ!
    旧客時代の「能登」は小学生の頃に鉄道大百科などで写真で見たことがあります。乗ってみたかったですね。
    ちなみに地元の日豊本線は1984年まで旧客が走っていました。
    開け放しの乗降ドアや開け放しの最後部の貫通扉の恐怖は幼少期だった頃の記憶として今でも残ってます。
    今回も作業用BGMとして活用させて頂いてます。ありがとうございます。
    ショート動画もちょくちょく拝見させて頂いてます。
    高評価させて頂きました。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      1221 NT様、こんにちは。いつもありがとうございます!
      ショートも見て頂けて、恐縮です。加えて高評価をいつも頂き、本当にありがとうございます😊
      その日豊本線の旧客。
      私も小学6年生の時に乗りました。
      恐らく、最後の最後の頃だったのでしょう。
      めちゃくちゃ貴重な経験でした。
      同級生の子のご両親が、共に鹿児島出身で、夏休みに遊びに行かせてもらいました。
      なので、1983年だと思います。
      夏休みの間、2週間位滞在させてもらって、その間に、観光でどこかへ行ったのですが、その時に乗りました。
      私が定期便の旧客に乗ったのは、幼少の頃の「鳥海」と、この日豊線だけです。
      最後尾車まで行ってみると、連結器部分のドアが開放され、チェーンみたいなのが申し訳程度にひっかけてある程度で、直下のレールを眺めながら楽しんだものです。
      夏の暑い時だったので、側面のドアも窓も殆ど開いていて、乗客もまばらで、ローカル線らしい雰囲気に包まれていました。
      大人になってからも、どうしても旧客に乗りたくて、大井川鉄道に乗りに行きました😊

  • @山田太郎-b3b5v
    @山田太郎-b3b5v 6 месяцев назад +4

    またもやお邪魔いたします!😄
    急行「能登」といえば、昔(昭和57~62年)転勤で長野市にいた時、隣の上田市で夜遅くなり、帰る手段が「能登」(14系座席車+寝台車)しか無くなり、長野まで約30分強
    座席車に乗ったことがあります。
    実家が東京だったため、189系の「あさま」や489系の「白山」にはだいぶお世話になりました。
    碓氷峠通過時に台車の空気バネをパンクさせるための「ゴツゴツ」とした乗り心地は今でも懐かしく思い出されます。
    ボンネット型の489系(481系)は私も大好きな国鉄型の最もカッコイイ車両だと思います。😃
    今回も先頭車と最後尾車のそれぞれの特徴的なジョイント音をたっぷり堪能させていただきました。
    発車時の車内放送チャイムは通称『「フンガフンガ」(!)の鉄道唱歌』バージョンでしたね。
    今回も懐かしく貴重な音源をありがとうございました。🥰

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      山田太郎様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      いつでも、お邪魔しちゃって下さい😊
      そうですか、そうですか。14系時代ですか。
      丁度、その頃は、夜行急行が旧客から脱却し、14系寝台+座席車とか、12系客車で組成するのが流行っていた時代ですね。それすら、もう遠い過去で、今となっては良い時代でした。
      あの鉄道唱歌って、通称「フンガフンガ」っていうんですね😊
      コーヒー飲みながら読んでいたので、ちょっと吹き出しそうになりました。
      まさに、「フンガフンガ」ですよね。
      もちろん賛否はあるでしょうが、個人的には、この鉄道唱歌、好きなんですよ。

  • @peenya
    @peenya 6 месяцев назад +3

    いつも貴重な動画をありがとうございます。
    何度か「能登」には乗車させていただきましたが、出発の瞬間はいつも期待と不安な入り混じるなんともいえない心境になったことを思い出します。
    00:12:19 の鉄道唱歌もなかなか味わいがあって嬉しく思いました。当時の雰囲気を思い出しながら視聴させていただきます。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      peenya様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      ご視聴頂き有難いです。
      そうですか、そうですか。
      期待と不安…なんだろう、不安な気持ちもあったのですね。
      最初のフンガフンガの鉄道唱歌、個人的には、あの鉄道唱歌、結構好きなんです😊

  • @kuroki_chokai
    @kuroki_chokai 6 месяцев назад +1

    懐かしいです。
    大学生のころ、周遊券で金沢・富山へ旅行へ行った際に利用した思い出が蘇ります…
    当時お金があまり無くて北陸ではなく能登の指定席に乗り込みました。
    弾丸旅行で、翌日は糸魚川からきたぐにの狭い中段寝台に乗って大阪まで向かい、東海道線周りで東京に帰りました。今思えば若さでなんとかなったなという旅程でした。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      とっくん(特佐黒木)様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      私も、若い時には、無理な旅程を組んで旅したものですが、流石に、今は無理ですね😊

  • @587asakaze8
    @587asakaze8 6 месяцев назад +3

    この電車のオルゴールBGMは鉄道唱歌と東京音頭の2種類がありましたね。
    この電車の思い出は冬場に浦佐駅で寝台特急北陸号と一緒で足止めを喰らい、JR東日本の無償提供で東京まで新幹線で戻れた事ですかね。
    しかし諦めずリベンジでこの能登号で上野〜金沢間のグリーン車を乗り納めをしました。
    アップ有難うございました🙏感謝

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      587 asakaze様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。そんな出来事があったのですね。
      私も「あけぼの」で2回、運転打ち切りがあったのですが、今思えば、それも含めて良い思い出です。
      リベンジで、「能登」のグリーンに乗車できて何よりでしたね。
      「能登」のグリーン車って、恐らく、多少の改造はされているのですが、座席とかデッキの扉とか、国鉄時代の雰囲気を色濃く残していて、味わいがあって好きでしたね。

  • @y_pika5324
    @y_pika5324 6 месяцев назад +4

    在来線は人の営みや街並みとの近さがいいですね。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      ぴかぴか様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      確かに、確かに。
      新幹線と在来線の違いって、そういう感じですよね。
      新幹線は高架を走る事が多いので、ちょっと見下ろす感じもありますしね。

  • @中村貴志-o5v
    @中村貴志-o5v 6 месяцев назад +1

    こんにちは。急行能登の動画ありがとうございました。個人的には、寝台を連ねた信越本線経由の時代を連想するのと、行楽シーズンにはその名の通り能登半島の輪島まで運行されていました。上越線経由になってからも、何度もお世話になりました。急行ですが、定期券と急行券で乗車出来、ホームライナー的な役割と終電の役割を担っていました。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      中村貴志様、おはようございます。本日もありがとうございます!
      そうですね~。私もどちらかと言えば「能登」と言えば客車を連想してしまう世代です。
      いつの頃からか489系になって「えらいランクアップしたなぁ…」と思ったものです。
      かつての客車急行は、「能登」もそうでしたが、繁忙期に延長運転みたいなのがありましたね。
      繁忙期の時刻表を見て延長運転が掲載されていると、見ているだけでワクワクしたものです。

  • @山中純-f9u
    @山中純-f9u 6 месяцев назад +2

    国鉄型特急車両は、485系と489系でしたね!車両によって、ボンネット型の車両も在りましたね!これは、急行能登で、上野金沢間で、運行してましたね!夜行急行だったでしょうね!

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      山中純様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      私は元々の地元が八王子で、いつも貫通・非貫通の「あずさ」ばかりを見ていました。
      なので、たまに上野駅に行ってボンネットの特急を見ると、羨ましかったですね。
      やっぱりボンネットは、風格があって、迫力が違います😊

  • @SIGMA-M
    @SIGMA-M 6 месяцев назад +1

    平成半ばになっても全く同じ区間を走る夜行列車がたった数分の差しかない同時刻に走っていたのはすごいですね。少し前まで新幹線が長らくこず、立地のいい空港もない大都市という特殊な事情を持った北陸地区もここ数年で様変わりしました。ボンネット型の長編成はやはりかっこいい!鉄道唱歌も2種類聴けて美味しい列車ですね。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      シグマ様、連投ありがとうございます!
      「全く同じ区間を走る夜行列車がたった数分の差しかない同時刻…」
      ホント、摩訶不思議でしかありませんでした。
      しかし、それには北陸ならではの特殊な事情があったわけですね😊

  • @nori3081
    @nori3081 6 месяцев назад +1

    人生で初めて乗った夜行急行が能登でした。
    既に489系に置き換えられてからの乗車でしたが、まだ信越線経由の時代、そして意外にも初めて碓氷峠を超えたのもこの列車が最初でした。
    その後、北陸方面の旅行で計3回乗車しました(全て金沢方面)。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      義矩様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      489系に置き換え後も、最初は信越線経由でしたからね。
      今思えば、横軽を通る「能登」に乗れたことも貴重な体験になったことでしょう😊

  • @mawazu224619
    @mawazu224619 6 месяцев назад +1

    約40年前の能登号は寝台列車でした
    夏休みの東京への家族旅行で利用しました
    当時小学生でした
    寝台車で寝た時の興奮は今でも鮮明に残っています

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      こうすけr様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうなんですよね~。
      かつては客車で運行されていて、私なんかも、どちらかと言えば客車時代の「能登」の方が印象に残っています。
      私も初めて乗った寝台列車は、寝台急行の「天の川」という20系寝台でした。
      小学3年生の頃で、もう45年以上前ですが、こうすけr様同様に、今でもあの日のワクワク感は、鮮明に覚えています😊

  • @ちょい懐鉄道映像
    @ちょい懐鉄道映像 6 месяцев назад +2

    懐かしいですね、能登。よく乗りました。週末は酔っ払い輸送列車でした。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      ちょっと懐かしい鉄道の映像ちゃんねる様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      おっしゃる通りで、金曜の夜は、酔っ払いが多かったですね…😊

    • @こちたんぱぱ
      @こちたんぱぱ 3 месяца назад

      酔っ払いで嫌な思いをしたこともあり、女性を介抱して後日良い思いをさせてもらったこともあり、大学時代毎年合宿へ行くのに利用しましたが、必ず何かがある列車でした

  • @ぎょぴ千歳
    @ぎょぴ千歳 6 месяцев назад +6

    利用したとき
    満員でデッキ部分で寝たのはいい思い出

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      ぎょぴ千歳様、こんばんは。いつもコメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。そんなに混雑していた時代もあったのですね…

    • @こちたんぱぱ
      @こちたんぱぱ 3 месяца назад

      大学時代に合宿等で何度か利用しましたが、最初にデッキ寝を経験してからは3時間前集合→ロビーカー居座りを徹底していましたよ。金曜に上野を出る便に乗っていたからかも知れませんが、赤羽あたりから酔っ払いが多数乗ってきてデッキは酒臭かったのなんの…

    • @ceoing
      @ceoing 2 дня назад

      うわー!夜行じゃないけど、富山から青森までデッキで立ったままで移動した若き日を思い出しました。➡特急白鳥

  • @ceoing
    @ceoing 2 дня назад +1

    入善駅のすぐそばの工場に勤務していたころ、夜勤の休憩時間に屋上から立山の朝焼けとともにこの列車を眺めていました。車窓映像にその工場が見えたときは、なぜか、ガッツポーズしてしまった。当時、489系で乗りましたよ。上野➡入善。特急北陸もあったあの頃、なんだかこっちのほうが贅沢した気分だった・・・。ところで、5:40:25くらいで、入善駅手前ですれ違ってるのは、もしや、急行きたぐに・・・・

    • @syaso
      @syaso  2 дня назад +1

      しぶじいチャンネル様、「日本海」に続きまして、連投ありがとうございます。
      屋上からの立山の朝焼け。す~ごく美しかったでしょうね。冬だと激寒でしょうが。
      5:40:25は、おっしゃる通り「きたぐに」です。
      この瞬間、かつての国鉄時代の栄光の特急車両である489系と583系が並んでいるわけです😊
      昭和を代表する大女優の吉永小百合と名優高倉健が並んだ瞬間です。

  • @サンダーバード-l2z
    @サンダーバード-l2z 6 месяцев назад +1

    車窓さん貴重な映像ありがとうございます
    なぜ乗っとかなかったのか
    今となっては後悔でしかありません😓

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      サンダーバード様、おはようございます。
      こちらこそ、いつもありがとうございます!
      そうですか、そうですか、「能登」には乗車できていませんでしたか。
      定期列車だったので、「まぁ、いつでも乗れるだろう…」と思っていると、乗らないまま終わっちゃう事ってありますよね…。

  • @こちたんぱぱ
    @こちたんぱぱ 3 месяца назад +3

    懐かしいなあ、489系“能登”。大学時代の合宿で乗ったんですが、3時間前から並んでロビーカーのソファに陣取り、金沢までひたすら麻雀に励んで電車賃し持っていなかったのに5万円超まで稼いだんだけど、結局帰京するまでに使い果たしたなあ…私が乗った時は、福井行きでしたね

    • @syaso
      @syaso  3 месяца назад +1

      こちたんぱぱ様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      ロビーカーのソファで徹夜で麻雀、いいですね😊
      流石に「能登」のロビーカーで徹夜で麻雀はした事ないですが、僕も学生時代は、よく友人の家や学校の近くの雀荘でやったなぁ…。
      もう30年以上も前ですが。

    • @こちたんぱぱ
      @こちたんぱぱ 3 месяца назад +1

      @@syaso 様
      もしかしたら、同世代かも知れませんね(笑)福井行きの“能登”に大学生で乗っていたという時点で、私の年齢は察して頂けると思います

    • @syaso
      @syaso  3 месяца назад +1

      ありがとうございます!
      恐らく、こちたんぱぱ様の方が、少し下かなぁ…と思います。
      「能登」が定期で福井延長になったのがwikiによると、1994年とのことなので。
      (臨時では福井延長はあったようですが…)
      私は「能登」が定期で福井延長になった、まさにその年の1994年に大学を卒業しました。
      丁度、バブル崩壊後の、就職氷河期1期生です😢

    • @こちたんぱぱ
      @こちたんぱぱ 3 месяца назад

      @@syaso 様
      私は1浪の上、事情により6年も大学に在籍していたので、お知らせ頂いた年代から考えるとsyaso様が4年制大学にストレートインしていたら同い年ですね(笑)

  • @SO-or5jc
    @SO-or5jc 6 месяцев назад +1

    489系能登の車窓
    モーター無しですが
    繋ぎ目の音が眠気を誘う感じがして眠れない時にピッタリですね

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      9000 SO52様、こんばんは。コメントありがとうございます!
      そうおっしゃって頂けると有難いです。
      私は、9000 SO52さんのコメントのおかげで、今夜もぐっすり眠れそうです😊

  • @簡単感嘆
    @簡単感嘆 3 месяца назад +4

    おめぇ2007年まで走ってたのかい😊

    • @syaso
      @syaso  3 месяца назад

      簡単感嘆様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      「おぅ!老体に鞭打ちながら頑張って走ってたぜ!」って感じですかね😊

  • @とりてん-l1i
    @とりてん-l1i 6 месяцев назад +2

    上り能登を早朝出勤途中見かけるの日課だった

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      。とりてん様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      「今日は定刻通りだなぁ」とか、「ちょっと遅れてるなぁ」とか、色々あったでしょうね😊

  • @テトラ-t6x
    @テトラ-t6x Месяц назад +1

    この頃はまだ土日きっぷが残ってて、ホテル代浮かすために直江津まで乗って、そこから快速妙高で長野、そして新幹線で東京に戻るっていう行程をよく組んだなぁ……

    • @syaso
      @syaso  Месяц назад

      テトラ様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうそう、土日きっぷ。
      私も、ルートは違えど、土・日きっぷは、よく利用したものです。
      快速「妙高」も懐かしいなぁ…。

  • @kawakenda4
    @kawakenda4 6 месяцев назад +1

    高校の修学旅行、3日間みっちりスキー滑ったあとに、こういうボンネットついた古い夜行快速で夜通し糸魚川から神戸までの帰路だった。
    当時は「もう一泊させろよ」と思ったが今となっては貴重な経験だったな。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      かわけん様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      3日間、みっちりスキーをやった後に、夜通しで糸魚川から神戸、しかも寝台じゃなくて座席車。
      これは、相当きつかったでしょうね…。
      でも、そういう事って、時が過ぎると、何故かいい思い出になったりしますよね😊

  • @三由伸
    @三由伸 6 месяцев назад +1

    25年位前に、大学生の時に何回も乗りました。滑川出発後のチャイムは、ペールギュントの「朝」でした。
    特急の放送のチャイムとか、駅の列車接近音がアニーローリーとか、JR西日本、金沢支社は、音楽に詳しい社員がいたのでは、と思います。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      三由伸様、おはようございます。コメントありがとうございます!

  • @美浦法師ノア殿
    @美浦法師ノア殿 2 месяца назад +1

    何故だろう、津田ボイスで夜行列車の接近放送を聴くと脳汁がドバドバ出る

    • @syaso
      @syaso  2 месяца назад

      美浦法師ノア殿、こんばんは。コメントありがとうございます!
      夜行列車の放送も、上野駅では定期で聞くことができなくなってしまいました…😢

  • @名も無き配管工
    @名も無き配管工 2 месяца назад +1

    急行列車というのがまた、趣があってよかったなあ。上野発の北陸方面の夜行列車は、北陸新幹線延伸までもってくれると思ってたけど、北陸も能登も新幹線延伸の少し前に姿を消してしまいましたね。まあ、でもしょうがないか。能登とか最後の方かなり閑古鳥が鳴いてる感じだったもんなあ

    • @syaso
      @syaso  2 месяца назад

      名も無き配管工様、こんにちは。コメントありがとうございます!
      先日は、「トワイライト」にもコメントを頂きまして、ありがとうございました。
      確かに、「急行」っていう響きがいいんですよね。
      かつては全国各地に急行が走っていて、夜行急行も多く走っていましたが、いつしか「急行」という種別が、臨時を除けば、JRからはすっかり消えてしまいました。
      北陸方面の夜行急行と言えば、かつての「越前」なんかも夜行急行らしい列車で、個人的には好きな列車でした。

  • @user-bw8zb5zt7m
    @user-bw8zb5zt7m 6 месяцев назад +1

    急行とはいえ、「こだま」のスピリッツを現代に伝えるボンネット特急ですね。
    当時大学生だった私は、外から見るだけでしたが、こだま色は見飽きることがないです。
    この時代にタイムスリップしてみたい。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      Y N様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      やはりボンネットと言えば、「こだま」
      私もタイムスリップしたいですね。
      できれば、パーラーカーに乗車したいですね😊

  • @hokuriku_ngt48
    @hokuriku_ngt48 6 месяцев назад +1

    上野を夜遅くに出発して、金沢に早朝に着くって言うのが夜行列車の楽しみ方ですよねー、自分は金沢ー上野を夜行列車で移動するとしたら寝台特急北陸の方を使ってましたね。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      北陸の撮り鉄(NGT48推し)様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
      正直申し上げて、私も「北陸」の方が良いですね~。
      やっぱり、なんだかんだでちゃんと寝れるので、次の日の疲れが全然違うんですよね。
      それに、夜行列車って、やっぱり客車の方が個人的には雰囲気があって好きですね😊

  • @Tsuki_ekaki
    @Tsuki_ekaki 2 месяца назад +1

    その昔、「急行・能登で東京へ~♪」というCMが流れていたって聞いたことあります

    • @syaso
      @syaso  2 месяца назад

      つきんぼ -Tsukinbo-様、こんにちは。コメントありがとうございます!

  • @hiroshia5789
    @hiroshia5789 6 месяцев назад +5

    老朽化したとはいえ、特急型車両を急行料金で乗れた事がよかったです。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +3

      Hiroshi A様、こんにちは。コメントありがとうございます!
      おっしゃる通り、まさに、私が子供の頃に憧れたボンネットの特急に、急行料金で乗れるという有難さ。
      本当に急行か?という特急並みの走りっぷりも良かった😊

    • @大介松本-o8t
      @大介松本-o8t 11 дней назад

      寝台急行銀河号もそうでした

  • @テイコウタロウ
    @テイコウタロウ 6 месяцев назад +3

    そういえば特急北陸やムーンライトえちごも同じ高崎線や上越線を走っていましたな。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      テイコウタロウ様、こんにちは。コメントありがとうございます!
      そうなんですよ。
      かつて、新幹線が開業するまでは、東北本線、常磐線が在来線特急急行の花形路線だったように思うのですが、晩年は、高崎線と上越線が圧倒的に面白かった。
      加えて、「あけぼの」も走っていましたね。

  • @next_sta.233
    @next_sta.233 6 месяцев назад +1

    走ってた当時は中学生だから見に行けなかった思い出
    大人になっていつかは見たいと思った矢先に消えてなくなったな……

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      舞浜Traffic stageNext future sta.〜その先へ〜様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      どの世代でも同じですね。
      私も、「いつか見たい!」「いつか乗ろう!」と子供の頃に思っていた列車が、大人になったら消えていたという事がたくさんあります😢

  • @真ほいみん
    @真ほいみん 6 месяцев назад +1

    ホームライナー鴻巣が出た時から期待していた急行能登がついに出てきてくれたなぁと。おそらく急行能登の車窓フル動画はRUclips初では?
    一時期は福井まで運行していた能登もきたぐにのように583系で運用しても良かった列車ですね。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      真ほいみん様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      そうなんですよ!
      私も「能登」は、583系がピッタリだったと思うのです。
      特に、JRの立場になって考えたら、「能登」に寝台を連結させれば、ほぼ同時刻に走る「北陸」を早々に廃止にできたと思うのですよね。
      でも、その一方で、鉄道ファンの立場としては、「北陸」が早々に廃止になってしまうのも悲しいし…。
      しかし、「能登」のヘッドマークを、583系の、あの横長のデザインで見て見たかったなぁ…。
      加えて、側面の正方形の方向幕に『急行「能登」(上越線経由)←上野 福井→』と掲出されていたら、想像しただけでもカッコいいなぁ😊

    • @こちたんぱぱ
      @こちたんぱぱ 3 месяца назад

      ボックスシートの583系だった“きたぐに”“津軽”をそれぞれ利用しましたが、互い違いに足を伸ばして向かい側の席に乗せて寝られる点では、普通席で比べたら583系の方が良かったかもしれませんね。ただ、私が489系“能登”に乗っていた頃はロビーカーがあったので、居住性は抜群に“能登”がよかったですよ

  • @Maruhachii0093
    @Maruhachii0093 22 дня назад +1

    [忙しい人向け]
    1:00:00
    2:00:00
    3:00:00
    4:00:00
    5:00:00
    6:00:00
    7:00:00

    • @syaso
      @syaso  21 день назад

      マルハチチャンネル様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      本日も、「忙しい人」むけのタイムスタンプ、ありがとうございます!

  • @小倉弘-v9h
    @小倉弘-v9h Месяц назад +2

    急行「能登 金沢行上野→ 大宮 → 高崎 → 長岡(運転停車) → 直江津 →黒部 → 富山 → 小杉 → 高岡 → 津幡 → 金沢 🌰

    • @syaso
      @syaso  Месяц назад

      小倉弘様、こんにちは。ミッドナイトに続き、能登にも停車駅コメントありがとうございます!

  • @車窓-n7d
    @車窓-n7d 6 месяцев назад +1

    非モーター車のジョイント音が響く音好き

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      車窓。様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      モーター音を楽しみにされている方が多い中、そうおっしゃって頂けると、助かります😊

  • @まつよし-j1z
    @まつよし-j1z 6 месяцев назад +1

    ご無沙汰してます。
    しなの も完乗してないのですが、この能登は 睡眠時に利用させて頂いてます。
    モハではないよ、と恐らく私のような国鉄型モーター音(MT54とかかな)マニアに対してのお気遣いをされてますが、ジョイント音とか車両からのノイズで充分に堪能出来ますよ。
    ってゆうか、熟睡出来ます(笑)
    越中宮崎辺りで目覚める事が多く、長距離運転手時代にはこの車窓とは反対側の めし屋で 名物「たら汁」を食べた後、列車を眺めながら寝る事が 定番だったので この区域に不思議な縁を感じます。
    急行能登は、当時 岐阜市(南側の窓を開けると岐阜城が近くに見える地区です)在住の私には馴染みが薄い列車だったのですが、昭和の終わり位の夏に 新車のシーマタイプⅡリミテッドで 能登へ行った時、14系客車で七尾線 走ってるのを並走した事があります。臨時列車だったようですね。
    次に見たのは、まだ信越線経由時代で(平成一桁です)長野県北部の牟礼辺りの国道18号を大型トラックにて走行中、特急白山カラーの電車でした。
    そして最後は、エスティマアエラスで 長野北陸一周ドライブ中に寄った、道の駅 倶利伽羅にて 見た編成は この動画と同じ国鉄色でした。
    上野発の列車は なかなか馴染みが ない中でも世代をここまで見送った列車は そうそうないかな。
    さて、鉄道には全く関係ない 私事で毎回恐縮ですが、またこの場を借りて脱線させて頂きます。
    以前、毎日が忙しいと ぼやいたコメントの時より 更に忙しくなり、連休も前半は仕事を余儀なくされ、2日に やっと休みかと思いきや、妻に「お札(ふだ)替えるの、忘れてた」と言われたので、こないだ行ったばかりの出雲大社へ その晩の21時から出て行って来ました。
    給油停車した(我が家では運転停車と言ってます)鳥取迄は、ノンストップで、青山剛昌記念館の隣の道の駅や由良駅が午前3時頃で1時間程の小休止。
    その後、4時過ぎに走り出して、出雲大社には めざましテレビが始まって(井上アナを見るのが日課です)すぐの 6時過ぎに到着だったのですが、既に駐車場は7割以上は停まってたかな。
    参拝後、更地になった母屋跡を遠望したタイミングの昼過ぎ、「コナンが見たい」と言われたので、そこから頑張ってGWの交通量の中、鳥取空港へ。
    正直、その3時間半のノンストップが一番 しんどかったな。
    本来なら木次駅から列車乗るつもりだったのに、(いつなくなってもおかしくないからね)2対1で あえなく撃沈。
    アニメはヤマトしか興味ない私は、空港では寝ようと思ったのもつかの間、飛行機が離発着するのね。(爆)
    1時間どころか15分位しか眠れませんでした。
    鳥取を19時くらいに出て、9号線を経由して舞鶴や高浜辺りで時間調整しつつ、夜明け直前の4日朝に帰宅した次第です。
    往復でちょうど千キロ。
    今年のGWは 楽だったな(笑)
    で、6日からハードワーキングな毎日に戻ってるのです。
    ホンダの関連する仕事内容なのらしいですが、ちょっと多過ぎるかな、と思いますが、持ち帰る収入が格段に増えたので、私には収入を求めないと言ってた妻も割りと機嫌がいい日が続いてるのが救いです。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      兄貴!ご無沙汰してます!
      そりゃそうですよね。絶対に忙しい日々を送っていると思いました。
      それでも、懐事情がほくほくであれば、それは、何よりでございます。
      往復1000km…相変わらずですね~。
      それでも、今年のGWは楽ですか!
      僕は、先日、徳島から湯原温泉まで車(嫁の車:ジムニー)で行ったのですが、それだけでも結構しんどかったです。眠いし…。ミッションだし…。
      「コナン」かぁ…。うちの嫁も「コナン」好きなんですよね。
      鳥取空港で「コナン」とは何ぞや?ということで、調べたら、大変なことに。
      そもそも「鳥取砂丘コナン空港」なる名前になっているとは。
      これは、鳥取方面に行くことになったら、私も連れて行かれそうな気がします😊
      ということで、兄貴も忙しい日々を送っておられるでしょうが、いつもの言葉を贈らして下さい。
      体だけはお大事に。
      では、では。

    • @まつよし-j1z
      @まつよし-j1z 6 месяцев назад +1

      湯原温泉……
      ダムの下に露天風呂が あるとこでしたよね。
      下呂温泉の噴泉地もですが、私は入る勇気がありません(笑)
      昭和60年に57年式ローレルターボメダリスト(ブルー/シルバー)で行ったきりです。
      ダムの上の狭い道は まだ通行出来るのかな?
      中国勝山から国道313号を行くのですが、温泉に寄らず そのまま県境を越えると旧倉𠮷線の関金近くの竹林廃線跡の近くを通って倉𠮷へ出られるのかな
      多分、主さんは米子道経由だと思いますが、私は高速道路が苦手でして。
      そういえば、主さんの業務用連絡車(で、合ってるのかな?)でもある エッセに乗った時、あまりもの動力性能の高さに驚きました。
      コペンだったか、ムーブだったかの高性能エンジンを乗りやすくデチューンしたものだと何かで知りましたが、それ以上に燃費の良さにも驚きました。
      ターボいらないな、って感じる位ですよね。
      何故に人気車種なのかは理解出来ました。
      和製フィアット500とゆうより、向こうがフランス産エッセって
      (多分、叱られる。ファンの方々に)
      ついでに、出雲大社には 私のパレットSWで行って来ました。
      妻のスペーシアカスタムより加速性能が良いので。
      同じターボなのにね

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      湯原のダムの上って、通れるんですね…知らなかった。
      行けばよかった…😢
      ちょっと調べて見たら、通れそうでした。でも、
      ちなみに、私も、あの露天風呂に入る勇気はなく、ちかくの温泉宿に泊まりましたよ。
      旧倉𠮷線の竹林廃線跡。
      これは、確かに、ちょっと足を延ばせば行ける距離だったのですが、時間の都合で行くことができなかったんです…。
      実は、「関金温泉」や「三朝温泉」などのラドン湯に最近興味があって、いずれは時間を作って両方の温泉に行ってみたいと思っているのです。
      その際には、旧倉𠮷線の竹林廃線跡にも行ってみたいと思っています。
      エッセ、今も、我が家の駐車場でチョコンと居座っています。
      (※社用車ですが、事実上、近所の買物用の自家用車です)
      実は、こいつ、持病というか、なんというか。
      エアコンの調子がイマイチよくなくて。
      最初はガス不足かと思い、ガスを充てんしたのですが、どうもそうでもない。
      全然冷風が出ない日もあれば、キンキンに冷える日もある。
      2度程、当社の整備に出したのですが、「今、症状でてないからわかんないなぁ…」ということで、「しばらく様子見て」と言われる。
      それで、また症状が出たので持っていくと「症状出ないんだよね~」と言われる。
      困ったものです…😢

  • @colon0311
    @colon0311 6 месяцев назад +1

    昔あった「なんちゃらライナー」って都市と校外を結んでいたうちにもいくつか方向幕があってなんでこんなところ?というのもある。「石狩ライナーほしみ」とかほしみってプレハブみたいな駅だ。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      colon 0311様、連投ありがとうございます!
      「石狩ライナーほしみ」なんていうのがあったのですね…。

  • @歩-j2h
    @歩-j2h 6 месяцев назад +3

    小学生の頃に一人で座席車で上野まで乗った「能登」は旧型客車でした。扉は手動で車掌さんが走行中閉めて歩いていたのが衝撃的でした。デッキで落ちたら死ぬなぁ…とまぢで思いました。新幹線と電車特急に飽き飽きしていた生意気なガキのちっちゃな冒険だった気がします。懐かしいなぁ

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      歩様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。
      まさに、私が一番憧れていた旧客時代の「能登」ですね。
      今では考えられない手動の扉で、走行中も扉が開けっ放しだったり…。
      「新幹線や特急にに飽き飽きしていた…」って、なんかわかるなぁ。
      私も、スマートな近代的な列車よりも、雑多でワイルドな旧客に憧れた口です😊

    • @歩-j2h
      @歩-j2h 6 месяцев назад +3

      車窓.com様 お返事有難うございます。昨今はスピードアップばかり重視して小綺麗な空間にはなりましたが汽車旅の情緒は薄れてしまい残念です。北陸の駅も新幹線が開業を前に高架化されて味もそっけもないです。改札から列車が見えた地上駅の頃にベルが鳴ってから慌てて乗り込んだりしたことが本当に懐かしいですね😭今では旧型客車はおろか電車の夜行すらサンライズだけになるとは…なんともやるせないです。昔のままの客車など新造さたら絶対ウケると思いますが😂

  • @大坂孝幸
    @大坂孝幸 6 месяцев назад +1

    夜行急行能登号。
    かつては、EF58形とEF62形とEF63形が碓氷峠超えをして、旧型客車で運行されていた。
    寝台特急北陸開設後は、10系客車になったが、老朽化で12系客車に変わり、さらには、特急はくたかの間合い運用で489系特急電車🚃が使われた。
    平成9年の北陸新幹線長野開業で碓氷峠超えが廃止されて、上越線経由になり、寝台特急北陸ともに活躍していた。
    しかし、北陸新幹線金沢開業の2年前の平成15年3月15日の運行を最後に寝台特急北陸ともに廃止されてしまった。
    最終列車出発の金沢駅や上野駅は別れを惜しむ鉄オタが殺到して、📷📷📹📹😭😭⤵️⤵️🚃🚃🚃の中、最後の旅路に出た。
    二年後北陸新幹線金沢開業で並行在来線の北陸本線金沢ー倶利伽羅間はIRいしかわ鉄道に、倶利伽羅ー市振間はあいの風とやま鉄道に、市振ー直江津間はえちごトキめき鉄道に移管されて、北陸本線は分断した。
    さらに、2024年3月16日には、北陸新幹線敦賀開業で敦賀ー牛の谷間は、パピライン福井に、牛の谷ー金沢ー倶利伽羅間はIRいしかわ鉄道に、倶利伽羅ー市振間はあいの風とやま鉄道に、市振ー直江津間はえちごトキめき鉄道に移管されて、北陸本線は、大分断されて、敦賀ー米原間しかない。
    特急街道もサンダーバート、しらさぎはリレーかがやきとはくたかになり、賑わいを失った。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      大坂様、こんばんは。いつもありがとうございます!
      今回も、実に簡潔でわかりやすい「能登」の歴史と概要の解説、ありがとうございます!

    • @大坂孝幸
      @大坂孝幸 6 месяцев назад +2

      @@syaso さん、寝台特急北陸もかつては夜行急行列車だったということです。
      急行列車時代の北陸はその先福井までを結んでいました。

  • @けん-d3f
    @けん-d3f 6 месяцев назад +1

    いつもと違ったルートで帰ろうと思い、この電車で帰りました。当時、福井迄行く電車もあったので、乗りました。上野で乗り自由席でウトウトしていて目が覚めると😱車内が人でびっしり‼️通勤ラッシュ並みで自分は体調が悪くなり、座席を変更してもらう為に車掌さんにグリーン車に変更をお願いしに行き変更してもらいました。(当日、人身事故で常磐線が遅延し最終に連絡する為、出発が遅れたとの事でした。)車掌さんから行先を聞かれたので終点の福井迄です。と答えたら、車掌さんは、じゃそのままで乗車してください。と言われ追加料金を受け取りませんでした。たしかに、車内には自分を含めて3人しか乗客はいませんでした。おかげで、初夜行列車で快適な帰省が出来ました。
    名前も所属も解りませんけど、
    ありがとうございました。と
    もし逢う事が出来たら、お礼を言いたいです。😊これが初夜行列車の思い出です。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      けん様、こんにちは。コメントありがとうございます。

  • @asakazetwilight
    @asakazetwilight 6 месяцев назад +2

    おはようございます
    懐かしいですね「能登」(*^^)v
    けど、自分489「能登」は乗ったことがないんです。(´;ω;`)ウゥゥ
    「白山」はありますけど
    客レ「能登」はワイド周遊券でけっこう乗りました。
    若いころ、お金があんまりなくて宿に泊まれず体力があったころです
    いわゆる「いってこい」で周遊区間内の往復で夜間を過ごしました
    仮に今あっても体力関係上できんですね(笑)
    途中下車する駅までは、寝たら「周遊区間内」離脱で、下りは席が
    空いてるかわからんですし、ほとんど「完徹」ですよ(笑)
    それに比べたら夜行急行「土佐」「うわじま」は楽でした。
    起きる必要がなかったんで...(笑)
    今は、電車が限られてしまうので、自分で経路を設定する
    プランがつくりずらくなってしまいました( ノД`)シクシク…🚄

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      asakazeさん、こんにちは。いつもありがとうございます!
      私にとっても、「能登」は、客車のイメージの方が強いんですよね。
      乗ったことはないのですが…。
      いつしか電車に変わっていて、驚いたものです。
      今は夜行列車が「サンライズ」以外は使えないので、本当に計画を立てにくくなりました。
      以前は、九州にも東北・北海道にも、寝台列車を使って、上手い事計画を練ることができたのですが、昨今はそうもいきません。
      それに、まさにasakazeさんじゃないですけど、「体力の限界!」(千代の富士か?)を感じる年齢になり、仮に、今、夜行列車が走っていても、次の日は午前中はホテルで寝て過ごすとか、そういうスケジュールじゃないと、無理だったでしょう。
      それを思うと、先日のasakazeさんの「叡山→WEST→やくも」には感服した次第です😊

  • @hallofox
    @hallofox 5 месяцев назад +2

    ATOSで急行の自動放送は貴重

    • @syaso
      @syaso  5 месяцев назад

      hallofox1993様、こんばんは。コメントありがとうございます!
      確かに、確かに…😊

  • @喜久谷口
    @喜久谷口 6 месяцев назад +2

    懐かしい

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      谷口喜久様、こんばんは。いつもありがとうございます!

    • @喜久谷口
      @喜久谷口 6 месяцев назад

      @@syaso 懐かしく拝見してます489系は一回しか乗れなかったのでまた乗りたいです

  • @中田武彦-t4u
    @中田武彦-t4u 6 месяцев назад +2

    夜行列車なので静かなサハの方が助かります🙏🏻

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      中田武彦様、こんばんは。コメントありがとうございます!
      いやぁ~、嬉しいです!
      そうおっしゃって頂けると、本当に私の心も穏やかになります。
      今日も「いい1日だった」と、思って寝ることができます。
      ありがとうございます!

  • @TR-di1nw
    @TR-di1nw 6 месяцев назад +2

    489だぁ!

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      湖国鉄様、こんばんは。コメントありがとうございます!

  • @Uchan-s9t
    @Uchan-s9t 6 месяцев назад +1

    座席で一晩明かすというのはどうですか?疲れますか?

    • @回送電車9114M
      @回送電車9114M 6 месяцев назад +1

      ワタシ個人の感想ですが😁
      平成18年夏、
      グリーン席で金沢〜大宮。
      ウツラウツラ…
      寝てるような寝てないような…
      次の日はずーっと頭がボーっとしてました😂

    • @Uchan-s9t
      @Uchan-s9t 6 месяцев назад

      @@回送電車9114M その体験を聞いてしまうと、廃止も致し方無い気がして島しますね😂

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      U chan様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      正直に申し上げますと、結構、疲れます…。
      同じ区間を寝台を連結した「北陸」が走っていたのですが、やっぱり「北陸」の方が、全然楽ですね。
      次の日の疲れが違います。
      それでも、夜間高速バスよりは遥かに良かったですね😊

    • @ceoing
      @ceoing 2 дня назад

      現代でいうと、夜行の高速バスと同じ感覚ですね。

  • @masasnowstyle
    @masasnowstyle 6 месяцев назад +1

    今ではテレホンカードとは?と、思う方もいるでしょうが…
    テレホンカードは読んで字のごとく
    オレンジカードは…知らない世代が多いでしょうね🤣🤣🤣
    のちの…オレンジが〝スイカ〟に様変わりです🎵

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад

      Masa T.様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      上手い事いいますねぇ😊

  • @坂井剛-x9z
    @坂井剛-x9z 5 месяцев назад +1

    俺が上野駅で見た時、ボンネット電車(´゚д゚`)なんだこの電車😅と言う状況でした。

    • @syaso
      @syaso  5 месяцев назад

      坂井剛様、こんばんは。コメントありがとうございます!
      そう、なんとボンネットなんですね😊

  • @toriri-service
    @toriri-service 6 месяцев назад +1

    つづき
    『長岡』は角栄先生のお膝元。
    この駅も新幹線が来る大きく明るい駅だが その新幹線も関越道も角栄先生が引いたもの。
    目白の田中邸から 長岡の本家まで『3回右折するだけで行ける』のは 都市伝説ではなく本当だ。勿論それを狙って関越道を造った訳では無く出来た結果そうなったのだから 絶頂期の頃は物凄く『引きの強い』方だったのだろう。
    新幹線が出来る前の1975年迄は ここ長岡から『越後交通栃尾線』が出ていた。
    762mmの軽便鉄道ながら 電機のようなデッキ付きの形態に 片方の台車は吊り掛け式で もう片方は車体装架カルダン駆動方式といったゲテモノ電車があるかと思えば アルミ車体の試作電車や スイスの電車を思わせるヨーロピアンスタイルのスタイリッシュな車体の電車もあり その一部は 神鋼電機の意欲作『垂直カルダン駆動方式』を採用したり インフラ面でも早くからCTCによる運行管理や 軌間にレールと並行してパイプを敷設。
    冬季は温泉水だか地下水だかを中に通して雪を溶かす 独自の『融雪システム』といった 意欲的な試みも成されていて 流石は角栄先生と関わりのある会社を思わせた。
    廃止は赤字が理由なようだったが ラッシュ時は通勤通学客の利用が結構あったようだし 本当にそうなのか?とも思う。
    昔は 国鉄も含めて 現在よりも廃止の基準が厳しかった。
    『長岡』を発車。ここからは『信越本線』を走る。
    高崎では左に下り直江津方向への線路と並行しながら別れたが 今走っているのは 高崎に向かう側の上り線。「再会したら逆走していた。」というパターンは『北斗』の動画の『函館本線』でもあったが 珍しいケースだ。
    尤も この時既に横軽間は廃線 軽井沢−篠ノ井は『並行在来線』化で分断されていた。
    現在は更に 長野−直江津が並行在来線化されてしまい。信越本線は3分割されてしまった。
    もう高崎−横川は『横川線』に改称。篠ノ井−長野は『篠ノ井線』に編入でも良い気がする。
    『前川』を過ぎて『来迎寺』手前で上越線で一緒に下って来た信濃川を渡る。
    『赤羽』を過ぎてすぐ『荒川』を渡ったが 『荒川』と『信濃川(千曲川)』は どちらも『甲武信ケ岳』を水源とする。
    雨が降った位置がちょっと違うだけで 水の行き着く先がこんなに違う所と
    そして水源を同じとする川をこんなにも離れた所で2度も渡る事に何だかロマンを感じる。
    因みに富士川となって駿河湾に注ぐ『笛吹川』の水源も甲武信ケ岳だ。
    『来迎寺』では 車窓反対側から前述した『魚沼線』が分かれていた。
    『西小千谷』から 更に信濃川を渡って『上越線』と繋がっていたら 短絡ルートとして今も残っていたかもしれない。
    車窓側には 75年迄旅客営業。95年迄貨物営業を行っていた『越後交通長岡線』の構内があったが 真っ暗で痕跡が残っているのかもわからない。
    こちらも 越後交通となる前の『長岡鉄道』時代 政界に入る前の角栄先生が社長を務められていた。
    列車は 日本海沿いを進む。
    金沢運転所所属の特急車は 日本海縦貫線を走る。この489系が錆だらけなのは 塩にやられるというのもあるのだろう。
    千鉄局(→千葉支社)の113系も錆だらけだった。
    因みにこの489系は TDL関連の臨時列車で『京葉線』にも乗り入れた事があるから 太平洋(というか東京湾)も見ている。
    『鯨波』辺りで夜明けらしくなって来た。
    まだ薄暗いが 車窓には日本海が広がる。もっと明るくなれば 冬は鉛色の 夏はマリンブルーの雄大な景色であろう。
    ここまで来ると 嘗て走っていた快速『 くじらなみ(→マリンブルーくじらなみ)』を思い出す。
    熊谷からこんな日本海の海迄 わざわざ電車に乗って泳ぎに来るお客さんが居るのか?と思うが 結構な年数運転されたので 安定した需要はあったのだろう。
    一番海岸に近い駅『青海川』も まだ暗くてその近さは良くわからないが 雰囲気は伝わる。
    高崎以来 久々の停車駅の『直江津』に到着 車内は静か。6月の早い夜明けですっかり明るくなった反対側のホームに まだ人影は見当たらない。
    つづく

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      『越後交通栃尾線』
      もちろん、『越後交通』は私も子供の頃から親しみがありました。
      ただ、残念ながら、鉄道ではなくバスでした。
      父から「昔、ここに電車が走っていたんだよ」と、長岡に行くと良く聞かされたものです。
      父から聞かされるその話から、私は想像することしかできなかったのですが、今では簡単にネットで調べることができて、想像の中の車両や駅のホームも、躍動感のある写真や動画で見る事ができ、実に便利な世の中になったと思うのです。
      しかし、そうやって調べて見ると、『栃尾線』というのは、実に色々な車両があり、当時としては画期的なシステムも次々と導入され、一地方鉄道とは侮れない路線だったのですね。
      少し話は脱線しますが、とりりさんもご存じの通り、かつては地方に沢山の鉄道が走っていました。
      私が子供の頃は、蒲原鉄道や新潟交通がまだ健在で、これらにはギリギリ乗る事ができました。
      蒲原鉄道の記憶は、本当に寂しくて、「全然人が乗ってないなぁ…」というイメージでしたが、新潟交通は、たまたま乗車した時間の影響もあってか、学生や沢山の大人たちが乗っていて、私も必死に父のズボンに掴まって乗るほど、車内は物凄い混雑をしていました。
      そのイメージがあったせいで、まさか廃線になるとは思いもしなかったのですが、内情はなかなか厳しかったのでしょうね。
      『信越本線の3分割』
      こういった問題。
      新幹線の開業だけでなく、今回の『根室本線』のように、災害などで部分的な廃止が行われてしまう例もあり、分割されてしまった場合には、路線名も変更した方が良いと思うわけです。
      『本線』とは名ばかりで、切り刻まれた惨状を見ると、こっちも辛くなります。
      高崎−横川は『横川線』。
      篠ノ井−長野は『篠ノ井線』に編入。
      大賛成です!
      『甲武信ケ岳』
      とりりさんお得意の『川』関連ですね。
      しかし、凄いですね。
      『信濃川(千曲川)』、『荒川』、『富士川』の三つの大河の源流とは。
      3人の息子の偉大なる母という感じです。
      『489系が錆だらけ』
      パット見綺麗な車両でも、よ~く見ればボロボロ。
      もちろん、単純な劣化もあるだろうけど、確かに日本海に沿って走る車両にとって、塩害は付き物で、その影響もあったでしょう。
      私は仕事で自動車の中古車を扱っているので、塩害の恐ろしさをよ~く知っております。
      『マリンブルーくじらなみ』
      来ましたね~。
      僕もこの列車には馴染みがあり、アップロードこそしていませんが、183系になってからの車窓撮影もしています。
      私が子供の頃は165系で『くじらなみ』という愛称でしたが、ヘッドマークを掲出して走る165系の姿はカッコ良かった。
      子供の頃から「いつか乗りたい!」と思っていわけですが、183系になってから、やっとその夢が叶ったわけです。
      しかし、この列車。
      私が子供の頃から走っていたのですから、実に長い間愛された快速列車だったのだなぁ…ということで、調べて見ると、1968年からスタートし、2010年の夏まで42年間も走っていたというのだから驚きです。
      一時期「青海川」なる愛称に変更された時期もあったようですが、急行や特急に昇格することもなく、ず~と「快速」や「普通」という地位で最後まで走り続けた『くじらなみ』。
      今でも毎年、7月の時刻表が発売されると、ついつい「『くじらなみ』走るかなぁ…」って上越線のページをめくってしまう自分がいます。

    • @toriri-service
      @toriri-service 6 месяцев назад +1

      @@syaso さま
      ご存知かもしれませんが
      『昭和時代 鉄道記録映像』で検索し カラーの『てらだ』駅がサムネの動画を選ぶと越後交通長岡線・栃尾線の映像があります。(ヨーロピアンスタイルの モハ216・217もあり)
      他にも頸城鉄道や 茨城交通茨城線・水浜電車の映像も入っています。

  • @مؤيدعيسى-ف3ش
    @مؤيدعيسى-ف3ش 4 месяца назад +1

    Good ❤ اللهم صل على محمد وال محمد ❤

  • @toriri-service
    @toriri-service 6 месяцев назад +1

    『直江津』を発車。
    ここから北陸本線に入る。会社も『JR西日本』となり『能登』の489系としては 漸く自分のテリトリーに戻って来た事になる。
    向かいのホームの交直流急行形電車が「おかえり〜。」上沼垂カラーの485系が「おつかれ〜。」と言っているようだ。
    ここから県境の市振辺りまでの区間は ルート変更の歴史だ。
    線路が雪崩や地滑りといった自然災害に何度も襲われた 海岸沿いルートから数百メートル内陸側の山地にトンネルを掘り 線形も良くなった。
    『能登』もこの区間を110km/h前後の速度で快走。トンネル内の秘境駅で知られる『筒石』も一気に通過。
    トンネルの狭間の『能生』は かつての『能生騒動』でも有名。
    特急『白鳥』が停車すると勘違いした地元が 歓迎の式典まで行ったが 実際は単なる行き違いの為の運転停車で 客扱いは『NO!』だった。
    現駅もルート変更で その頃と違う場所に移転している。
    列車は快調に飛ばして梶屋敷でセクションを通過『糸魚川』に到着。
    今では新幹線も停まる駅だが 在来線華やかなりし頃は 北陸本線を大阪行きや 青森行き・上野行きの列車が行き交う中 大糸線にも新宿行きの気動車急行『白馬』があった。
    新宿迄は約7時間で行けたらしいが『長野』もそうだったが新潟県の日本海沿いの街から『上野』と『新宿』どちらにも行けたなんて こちらにもロマンを感じる。
    『糸魚川』から先『能登』は『隔駅停車』の如く 1〜4駅通過する毎にこまめに停車し 北陸本線沿線と首都圏を結ぶ列車という性格が改めてわかる。
    夜行区間では ゆっくり目だった走りも ここでは自分の縄張りに戻って遠慮がなくなったように飛ばし気味となる。
    『親不知』近辺の旧ルートは 絶景ではあるが 線形が悪くトンネルが連続する蒸気機関車にとっては運行上の難所だったそうで ある時は乗客のおばあさんが数珠を取り出し「ナマンダブ ナマンダブ…。」と拝んでいた事もあったとか。
    『泊』を過ぎて 大阪発の『きたぐに』と離合。
    『黒部』『魚津』と連続停車し 地鉄電車の線路と並行すると 北陸に来た事を実感する。
    5:58:43 彼方に見える観覧車🎡は 富山県唯一の遊園地でもある『ミラージュランド』の『ジャイアントホイール』(最大高さ66m)だ。
    『滑川』を出ておはよう放送の鉄道唱歌は 上野出発時と違い 国鉄オリジナルのオルゴールだ。(細かい事を言えば 2音アップのタイプなので ボンネット形の本来のオリジナル「♪ドドドレ ミミミレ ドドドラソ」とは 違うが)
    目覚ましにはちょうど良かろう。
    しかし 富山到着前に再度鳴らされた時は ウルトラスローとなり『ゼンマイ式』なのがわかる。
    流石は県都で 6:15:53 高さのあるガラス張りの建物がポツンと目立つが これは 地元企業の『インテック』所有の『タワー111(トリプルワン)』で 94年から建っている富山のランドマーク的な建造物だ。
    111は 高さ111mから名付けられた。
    『富山』に到着すると 向かいのホームに683系『しらさぎ 2号』名古屋行きが待機中。
    なるほど『金沢』よりも先『福井』や『敦賀』方面へのお客さんの為に こうしてリレーしてくれているのだ。
    『能登』から降りてきた車掌さんが「う~ん。」と伸びをしながら『しらさぎ 2号』の車掌さんの所に行き何やら話している。「夜通しお疲れ様です。」「いや〜疲れた。この先 よろしく。」などと話しているのだろう。
    これも かつての『長野』もそうだったが名古屋や上野と行き来する列車同士が出会うと不思議な気もする。
    同時に 上野を出た時は『富山』や『高岡』というアナウンスにピンと来なかったが こうして名古屋行きの683系と並ぶと 逆に「本当に 上野から乗り続けてきたのか?」とも思ってしまう。
    個人的には「北陸は 米原乗り換えで行くもの」という固定観念があり 上野を出た時 アナウンスされた『黒部』や『富山』を馴染みがないと書いてしまったが 実際『敦賀』や『福井』なら そっち回りの方が速く『金沢』『富山』でも 速さならまだそっち回りだが 上信越線回りでも時間差は『福井』程大きくなく 寧ろ安価だったので 上野方面行きの列車も多数運転された。
    その辺りの詳しい話は Wikipedia等に任せておくとして 上野からは上越線回りの『特急 はくたか』信越線回りの『L特急 白山』夜行は 上越線回り『特急 北陸』信越線回り『急行 能登』が金沢まで。
    信越線回り『急行 越前』が福井まで運転された。
    福井駅の跨線橋の案内に 上りは『敦賀・米原・京都・大阪・名古屋・東京方面』下りには『金沢・富山・直江津・新潟・青森』の後に『上野方面』と書かれていて驚いた事があったが 1982年迄は毎日『越前』が走っていたのである。
    宮脇先生も『越前』に乗り 「(おそらくロネで寝ていたら)横軽間で頭が麓側になっていて目が覚めてしまった。」とか「 富山到着のアナウンス迄起きていたが 直後に大宮到着のアナウンスで目が覚めた。富山の次が大宮のような感覚だった。」といったエピソードを著書に残している。
    『はくたか』に運用された485系は 向日町運転所(大ムコ)所属で他にも『雷鳥』『うずしお』『しらさぎ』『みどり』『日向』『なは』『にちりん』と共通運用で 一昨日大分で見た『みどり』の編成に 今日は上野で『はくたか』で再会したなんていう事も実際にあった。
    東は『上野』西は『宮崎』『鹿児島』と超広域的な運用で だから西日本限定の481系が『上野』にやって来る事も普通にあった。『はくたか』の運行ルートに 交流50HZの区間はない。
    「じゃあ 行ってきます。」「よろしく。」という感じで『しらさぎ 2号』が先発。何度も安全確認をしてからドアを閉めていたので『能登』から乗り換えたお客さんもそこそこいたようだ。
    『能登』の車掌さんも安全確認。高崎以降 運停時も含めて 停車駅に人影を見なかったが ここで久し振りにホームで乗客の姿を見た。
    そのあと隣のホームに419系が入線。両方どちらも 空気抵抗が大きそうな『ワイドな国電顔』のタイプだ。
    『富山』を出て次の『呉羽』は 東洋紡の母体のひとつ『呉羽紡績』の創業地で 関連会社で 後楽園の人工芝を製造した事や『クレラップ』でお馴染みの『呉羽化学工業(→現 クレハ)』や『新呉羽自動車(→現 三菱ふそうバス製造)』に その名が残る。(6:35:53 奇しくも『越中大門』通過後に『東洋紡』の倉庫がある)『小杉』『高岡』とこまめに停まり 『高岡』からは 進路が少し内陸側となり 北側には『能登半島』を擁する事から 山中の風景となる。難読駅の『石動』を過ぎ『倶利伽羅』が近付くと 私は画面を注視した。『倶利伽羅』『倶利伽羅』駅名標がふたつ後ろへ遠ざかる。もうひとつ見たいと思ったが もう駅はなかった。
    と やってみたかったが 画面越しだとどこに駅名標があるかよくわからず 呆気なかった。
    七尾線と合流して『津幡』その七尾線用415系が停車中の『東金沢』を過ぎて間もなく『金沢』
    ゼンマイを巻き直した『鉄道唱歌』の後の最後のアナウンス。車掌さんの「○番のりば」という言い回しに 何だか安らぎを感じる。
    夜通し寝ずの乗務の車掌さんも 声が疲れ気味というか 無事終点迄来れてほっとした安堵が伺える。
    到着後 489系も「あ~無事終わった。さぁ寝ぐらに帰って休むか。」と金サワに戻って行った。
    お疲れ様でした。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      「おかえり~。」「おつかれ~。」
      本当に、そう言っているように見えてしまうから不思議。
      人間でも...というか、僕もそうですが、家が近づいてくるとホッとするものです。
      『能生騒動』
      今回も新たな発見!ありがとうございます。
      そんな騒動があったとは知らず、もちろんちゃんと調べました。
      とは言ってもネットでですが。
      これは、珍騒動というか、なんというか、地元の人は、相当落胆された事でしょう。
      残念ながら、当時の写真などが出てこなかったのですが、是非「ミス能生」も見て見たかったですね😊
      そうなんですよね。
      かつては、新宿~糸魚川を直通する気動車急行があったわけで。
      私は生まれも育ちも八王子なので、『アルプス』については小さな頃から良く調べていました。
      直通していたのが、僕が3歳か4歳の頃までなので、現車を見ていたとしても、記憶にないのがとても残念です。
      『白馬』は後に『アルプス』に統合され、下りに至っては、3階建ての『アルプス」+『八ヶ岳』+『かわぐち』で運転されていたというのですから驚きです。
      あの大都会新宿駅のホームに、濛々と煙を吐き出すキハ58・28を連ねたDC急行が発着していたのですから凄い時代です。
      オルゴール。
      489系のオルゴールって、「フンガフンガ」以外に「鉄道唱歌」が2タイプもあったのですね。
      僕自身は、編集中に、あまりきにしていなかったのですが、おはよう放送と富山着前では違うオルゴールが鳴っていた…ということなのでしょうか。
      遠くの観覧車。
      あれは、この区間を走ると絶対に気になる『やつ』ですね。
      気になるので、これは流石に調べた事があります。
      タワー111。
      こいつも気になる存在でしたが、こいつに関しては調べた事がありませんでした。
      で、今回は調べて見ました。
      せっかくのタワーなのに、展望台は現在、開放されていないようですね。
      富山の街の灯が、果たしてどの程度輝かしいかはわかりませんが、あの高層階から夜景が見れたら良いのにと思う人は沢山いるのではないでしょうかね。
      新呉羽自動車。
      お~、そうなのですか。この会社が現在の三菱ふそうバス製造なのですね。
      富山の会社をグーグルマップで上から見たら、バスがずらりと並んでいました。
      とりり様、お疲れ様でした。
      今回は距離が長く、しかも夜行列車ということで、とても大変だったのではないでしょうか。
      私としては、今回も、沢山の発見があり、また、色々と思い出す事もあって、十分に楽しむことができました。
      今回も本当にありがとうございました!

    • @toriri-service
      @toriri-service 6 месяцев назад +1

      @@syaso さま
      いや 489系のオルゴールは『フンガフンガ』と『旧国鉄タイプ』の2種類です。
      只 489系『ボンネットタイプ』は 本来『鉄道公安官』第2話の『ひばり』のシーンのような『♪ドドドレ ミミミレ ドドドラソ』のタイプですが 動画の編成は更新で2音高いタイプ(♪ミミミファ ソソソファ ドドドシラ)に変わっています。
      そしてこのオルゴールは『ゼンマイ駆動』で おはよう放送の後の 富山駅到着前の時は ゼンマイが伸び切って『超スローテンポ』になっていた様子を書いたのですが なんかわかりにくい書き方だったようですみません🙇💦
      金沢駅到着時は テンポが少し早くなっていたので(それでも通常より少し遅かった) 車掌さんがゼンマイを巻き直したようですね。
      尚 前述したようにそのボンネットタイプが全盛の頃『はくたか』の編成は 北陸特急以外にも『日向』『なは』『みどり』等の関西−九州系統の特急と共通運用で その超広域振りもさる事ながら 西日本60HZ仕様の481系も分け隔てる事無く運用に入り 上野では『はくたか』の481系と『ひばり』『やまびこ』『ひたち』等の東日本50HZ仕様483系との奇跡の並びも見られました。
      あと『倶利伽羅』の所は 『時刻表二万キロ』か『最長片道切符の旅』か忘れましたが 宮脇先生の真似 をしようとしましたが 動画だと叶いませんでしたね😅
      今回も喜んでいただけて何よりでした🙇
      こちらこそ ありがとうございました。

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      おはようございます!返信ありがとうございます。
      なるほど、なるほど、ゼンマイだと伸びてテンポが変わったりするわけですね~。
      納得です😊
      いやぁ~、「はくたか」編成が、「日向」「なは」「みどり」の運用にも入っていた関西編成とは知りませんでした。
      そこで、手持ちの「特急・急行大百科」を見たら、確かに、東京に来る唯一の関西編成(向日町)と書いてあるじゃないですか。
      とりりさんのおっしゃるように、西と東の481が並ぶ光景を見れたかもしれないわけですね。
      この本が編集されたころは、「雷鳥」との共通運用の時代に入っていたようで、それでも尚、継続して向日町車を使用していたのだから意外です。
      「日向」「なは」「みどり」の運用に入っていた頃は、九州で乗ってしまった虫が、上野駅で飛び降りる…なんて事もあったのでしょうね😊
      今回も本当にありがとうございました!

  • @toriri-service
    @toriri-service 6 месяцев назад +1

    急行『能登』が上野駅16番線に入って来た。
    折り返しに備えて座席はもう転換済みだ。
    待機していた運転士さんが 鍵を開けて乗り込む。回送列車の運転士さんが そのまま折り返す訳ではないようだ。
    運転台には扇風機があり そこは『国鉄型』らしいところ。『クハ489-1』1971年製のこの車両の運転台には冷房が付いていない。
    『ホームライナー』のトレインマークを外すと 輝く『能登』のマークが姿を現した。本当に『輝く』で『ホームライナー』のマークは光を通さない素材だ。
    尾久で夜まで休んだあと 鴻巣へ行って戻って また古河へ行って戻って「さぁ アルバイトは終わり。これから本業だ!」と 気を引き締めているようにも見える。
    しかし 蛍光灯の調子が悪いのか 能の字のあたりが暗い。
    反対側の先頭車は全部明るいのにそこは残念なところだ。
    5:45 床置きクーラーのスリットや 5:55 映画『天国と地獄』の身代金受け渡しシーンの象徴『7センチだけ開く洗面所の窓』(あれは 151系だったが)は初期車ならではの特徴。
    6:20 型式のステンレス切り抜き文字周りや ボンネットフードの隙間に錆も浮いていて 車両はかなりくたびれた印象。
    撮影時点で風雪に耐えながら36年間も走り続けた大ベテランだ。
    定刻に上野を発車。
    イントロ付きの なんだか昭和のクイズ番組の『只今 解答作成中』に流れるようなポップなアレンジの鉄道唱歌で 案内が始まる。
    今や特急も停まるようになった『赤羽』『浦和』や『本庄』『深谷』『新町』も通過して 『高崎』までは『大宮』『熊谷』のみ停車とは流石というか 夜行列車ならではだ。
    高崎の次は『直江津』まで停まらない。尤も ド深夜に上越線の何処かの駅に停めたところで需要はないだろう。まぁ『長岡』には どうせ運停もするから客扱いしても良さそうだが…。
    『糸魚川』『黒部』『富山』『高岡』と 上野発の列車には あまり馴染みのない駅名が続き 車掌さんも『JR西日本』所属と 関西と反対方向に出発した列車なのに「あれ?」という感じだが この列車は確かに北陸に向かっているし 北陸は西日本エリアだ。
    案内が終わる前に 15:55『尾久車両センター』を通過。
    この編成も 朝の上りで上野に着いたあとは ここで整備され 夜まで待機していた。
    嘗ては時間を問わず 沢山の車両が留め置かれていたが 今は 幾つものレールが水銀灯の光に輝いているだけだ。
    赤羽を通過すると 21:13 ライトアップされたシンボルは このエリアにある 広大な『星美学園』敷地内の『サレジアン国際学園 中学校高等学校』で 星美学園は 新幹線赤羽台トンネルが敷地の下に掘削されると決まった時 反対運動を起こし 北区もそれに乗っかる形で 結構な騒ぎとなった事を思い出す。
    大宮まで停まらないとはいえ 速度はゆっくり目で 60〜90km/h程度で軽く転がす感じの走りだが それもダイヤ通りなのだろう。
    夜行列車ゆえに 急いで早く着いても意味がない。
    しかし駅間でも街明かりが多いところは やはり『電車区間』だ。
    『大宮』到着を告げるアナウンスに まだ宇都宮線にも川越線にも接続列車があるのに 乗換案内が一切ないのは 車掌さんにとってアウェイエリアだからか?
    その『大宮』は やはり大ターミナル。こんな時間でもまるで不夜城のように 明るく綺羅びやかだ。
    『大宮』を出ると 街明かりも少なくなり『郊外』らしくなる。
    『北上尾』通過中「次は熊谷に停まります。」と車掌さんが回って来た。
    アナウンスと同じ声で この方が『専務車掌』さん。もう一人が『運転車掌』さんなのだろう。『高崎』までは 終電&ライナー代わりに使うお客さんもいるだろうから 気が抜けない。
    『北本』をゆっくりと通過。
    ホームの乗客に向けた看板スペースの半分近くが無地なところに 長引く不況と PR手段としての駅看板という媒体がオワコン化している事を感じる。
    次の『鴻巣』も そうだった。
    『行田』は『草津』で観た右車窓の東口も こちらの西口も 駅前に住宅が建ち並ぶ風景だが どちらもコンビニひとつなく 周辺に住んでいる人達はどこで買い物してるんだろう?と気になる。
    久々に街明かりが増えて来たと思えば『熊谷』
    秩鉄の留置線には 奥から元西武新101系の急行用6000系と 隣に2本 元国鉄101系の1000系が留め置かれ フェンスで屋根しか見えないが ホームにも1000系が留置されている。
    尤も あちらはとっくに店じまい済みで 1:12:08 アナウンスが始まったと同時に通過した『上熊谷』駅も真っ暗だ。
    『籠原』では ホームの向かいに停車中の211系は一部の扉が開いているものの グリーン車🍀は明かりを落としているので 通過退避をしている訳ではない。
    留置線の電車たちも夜明けまで待機中だが こちらは『ミッドナイト・エクスプレス』の如く 走り続ける。
    1:18:06『深谷』ホーム進入前と通過後に警笛を鳴らしたが 電車用の「ファーン」というタイフォンと ディーゼル機関車用の「ピョー」というホイッスルの合奏に「ボンネット型だな。」と思う。
    485系シリーズは 脅かして知らせる警笛の効果を高める意味なのか 降雪時により聞こえやすくする為なのか ボンネット先頭車は このタイプの警笛が多い。
    これが 貫通型や非貫通型になると(ついでに 115系1000番台も)電車用の「ファーン!」と電気機関車用の「ピィーッ!」というホイッスルの合奏となるから 鳴らされるとよりびっくりした。
    この辺りまで来ると 列車も所々で種別に相応しい速度を出すが 時折ゆっくり目に走る時もあり ダイヤは駅通過時刻も定められているから やはりこれもダイヤ通りの走りなのだろう。
    運転士さんも気が抜けない。
    埼玉県最後の駅『神保原』を通過して神流川を渡ると群馬県。
    実際の県境は 川を渡った少し先にあり『草津』の時は見逃したが 県境を越えてすぐの所に ラスクで有名な『ガトーフェスタハラダ』の本社&新町工場がある。(『草津』の動画を観直したら 1:36:31に確認。)
    かろうじてわかる八高線『北藤岡』駅を見て合流。
    『倉賀野』を過ぎて少し走ると 高崎操車場の跡地を通るが ここにも『ガトーフェスタハラダ 高崎工場』が この6年後に建つ。
    (尚 調べたら四国には取扱店舗がなく 梅田か三宮まで行くしかないようです🙇 通販は可能です。)
    『高崎』に到着。
    上信電鉄構内には 元西武451系の100形がボロボロの状態で放置されている。 96年に廃車後も倉庫代わりに使われていたが この後も荒廃が酷くなりこの10年後に解体された。
    ED31と 登場時は 非冷房なのが唯一残念ではあったが 一枚窓に黒バンパーの日本車離れした正面に 斜めストライプの斬新な側面。ワンハンドルマスコンに電気指令式ブレーキ装備の 1000形が休んでいる。
    気動車メーカーのイメージの新潟鐵工所が 電車製造の実績も作っておきたいと 売り込んで出来たものだが 結果 大手私鉄に持って行っても驚かれるような意欲的な作品となり 1977年『ローレル賞』も受賞した。
    上信電鉄では 後の6000形や250形も新潟鐵工所に発注。最近の久々のオリジナル車 7000形も新潟トランシスに発注した。
    つづく

    • @syaso
      @syaso  6 месяцев назад +1

      今日も、会社の昼休みにゆっくりと拝読させて頂きました。
      ありがとうございます!
      「さぁ アルバイトは終わり。これから本業だ!」と 気を引き締めているようにも見える。
      まさに、とりりさんの真骨頂とも言える表現、今日も楽しくなってきました!
      しかし今回は夜行列車。
      真っ暗な車窓が多い中、果たしてどういった展開になるのか楽しみなわけです。
      「天国と地獄」は、一度しか見たことがないので、これはまた、機会を見つけてちゃんと見たいと思った次第です。
      それこそ、あまり編集中には気にしていなかったのですが、良く見れば、489系の車体は、だいぶ腐食や錆でボロボロだったと気づかされました。
      遠くから見れば華やかな国鉄特急色に身を包んだ流線形のボンネットスタイルも、間近で見れば、かなりの痛みが。
      人間と同じというか、今のご時世でこれを言うのはまずいのかも知れませんが、美しかった女性も、やがてはお婆ちゃんに…という事なのでしょうか。
      寄る年波には勝てないのですね。
      鉄道唱歌。
      この「能登編成」の鉄道唱歌は、なんとも独特ですよね。
      まさに、クイズ番組の「考え中…」みたいな感じ😊
      好みが分かれるところでしょうが、個人的には結構好きです。
      特急の顔ともいうべき489系。
      赤羽、浦和、本庄、深谷、新町と停車したら、悲しすぎる…。
      そこらの駅は、私が子供の頃のイメージでは湘南色の急行電車の停車駅。
      「ゆけむり」じゃないんだから…。
      だからこそ、そこらの駅は全部通過!なんなら、熊谷だって通過でも良かった。
      熊谷民、ごめんなさい…。
      「能登」の乗客の特徴のひとつとして、やはり、仕事終わりの遅かったサラリーマンや、街で一杯ひかっけてきたサラリーマンなどが、熊谷、高崎辺りまでは結構乗車しているという感じで、実際、私が乗った時にも、そのような乗客がかなり乗車していて、熊谷、高崎で、自由席の車内の乗客の半数以上が下車しました。
      もともと割と静かだった車内ですが、高崎を過ぎてからは、更に静けさが増した感じで、途中からイビキをかいている人の音がやけに気になった次第です。
      電車の警笛って、そのような微妙な違いがあったのですね...。
      言われてみれば、ボンネット型の警笛は、貫通・非貫通のそれとは違うような。
      警笛ひとつとっても、奥が深い。
      鉄道に関する知識というものは、本当に奥が深くて、幅も広い。
      「ガトーフェスタハラダ」。
      恥ずかしながら、何のこっちゃ?という事で、調べてみると、120年の歴史というのだから、かなり老舗ということで驚きました。
      しかも店舗も、全国に点在していて、なぜか四国だけない…。
      まぁ、四国だけないというのは、色々なものがそうであったりするのですが、特に私が住む徳島は「唯一」というものが多いです。
      まず、ご存じの通り、日本で唯一電車が走っていない。
      日本で唯一、自動改札が無い。
      ただ、個人的に誇っているのは、日本で唯一、原型エンジンのキハ40・47が徳島運転所に所属している!
      高崎駅に到着する時、いつも気になっていたのがボロボロの上信電鉄の車両。
      いつも、あのボロボロの車両はなんだろう…と気になっていたのですが、あれも元西武の車両だったのですね。
      そういえば、最近、500形を西武カラーにリバイバルしたとか。
      やっぱり、このデザインには、結局、西武の「あの色」が一番似合うわけです。