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竹取物語でも、翁が不老不死の妙薬を最後に燃やした山が不死山(富士山)。当時は良く噴火していたから、噴煙とかで山頂は雲なので良く見えなかったとかで。
800年の噴火以前は美しくもなんともない山だったかな?
いや宝永火山は富士山の中腹から噴火したから、むしろ富士の円錐美を崩した形に。噴火前はさぞ綺麗な円錐火山だったろうね
大和朝廷は出雲王国も調伏しもっと領土を広げたいとの事で武内宿禰に東国を調査させに行ったという話しがありますがその時の宿禰の噺では、毛涯の地ではあるがとても広くて素晴らしい場所報告されたようです。ただ、富士山についての記述が無いのはその後3度の大噴火に依って今野形になったようなので当時は今とは違っていた可能性はあります。富士王朝はあったと思います。
■「富士山が日本一の山」ってそもそも近代的な「測定」が前提の話なので、畿内からしたら「なんか東国のド田舎にデケェ山があるらしい」程度の認識だった説。■『古事記』は本質的に氏族縁起の集成なので、政権にとって重要性の低い事項は無視される。■『日本書紀』は歴史書なので、富士山に関する事件が無ければ記載がないのは普通。現に『続日本紀』には富士山の火山活動について記録がある。■富士山がタブー視されていた訳でもなく『常陸国風土記』には富士伝承が記載されている。
とても興味深く、楽しく見れました!ありがとうございます!
富士山の南側にある愛鷹山の麓には大規模な古墳がいくつもあるので、かなりの権力者がいたのは確かですが徐福が出てくると軟化怪しいなぁ
布都御魂=徐福説もあるらしいよ
まさに、歴史は勝者が作るもの日本が関東中心に戻ったのも何かの因果を感じます
普通に富士五湖すらなかったのだから形がいまとちゃうんやろ。
越前越後とか筑前筑後とか、国を分割するのに前中後を使ってた地域と、上野下野やら上総下総とか上下で分割してた地域(今の関東)では、昔は国そのものが違ってたという話を読んだか聞いたことがあります。(コウヅケシモツケの)毛の国とか、総(フサ)の国とかの呼称はいかにも異民族的ですし、後の親王任国の関係で上野介や上総介とかは越前守のようなカミではなくスケであるとかもその関連っぽいかな?なので、記紀が編纂された当時は編纂者達に、関東に隣接する富士山は我々の領域外(今の関東の領域に含まれる山)、だと思われてたのかもね。富士王朝云々はともかくとして。…なんて単なる感想でした(追記)富士王朝の話もわりと好きです。面白かったです。
上総は親王任国なので守ではなく介が一番上だったようです。
蛮東かな
風土記には普通に富士山の記録ありますよそもそも記紀は歴史書だから地域の特色を詳しく書く性格の文書ではないですよ
@@たぬ-w8k さんご教示ありがとうございます。ただ、風土記のことは存じてはおりますが、記紀にも比叡山や伊吹山などいくつもの山が登場しているのに(山のことではないですが阿蘇も登場します)、あれだけ目立つ富士山が記紀に登場しないのは不思議だなと思っています。(ちょっと妙だな、という程度の感想)必要があれば地方の地名とて登場すると思うので。例えば、有名なヤマトタケルが東征で関東各地を訪れたくだりでは、焼津や筑波、足柄などの多くの地名が登場しているにも関わらず、関東では特にバカでかく視界に存在する富士山については、見たとか誰かいたとか何かあったとかの記載なくスルー…。後年の外国人(幕末のハリス達や江戸時代の朝鮮通信使など)の反応や感想と(おそらく初めて富士山を見たであろうヤマトタケルとを)比べて凄い違和感…。あれに一切触れないなんてマジですか?国外(主に唐)に向けても恥ずかしくないように、国内の歴史書を整えたはずなのに…。なんか妙だな、何でだろな?と。なんて、所詮考察遊びの域を出ないコメントなんですけどね😅実際のところは、記紀に富士山が登場しなければならないという訳ではないので、記紀編纂者が富士山は記載不要と判断したという、ただそれだけの話なんでしょうね。。。
@@リノホス ヤマトタケルの東征において富士山の記録がない理由はわかりませんが、なくても歴史書として成立しますし、風土記にも竹取物語にも富士山は登場するので、大和朝廷が富士山を知らないから別の王朝があったかもしれないという説は成立しないと思います。(竹取物語は記紀と同時代に書かれた物語です)前方後円墳が東北南部まで分布してることからも、別の王朝があった可能性は低いと思います。
興味深い話でした。富士王朝が本当にあったなら常陸国風土記ではその事実に蓋をした可能性もあるもしくは常陸国風土記に記されていたように始祖の神が呪詛を吐いたことにより、噴火が起きて滅んだ可能性もある色々と考えられることができて楽しい
ずんだもん、キングダムが900話を迎えた年、富士山が噴火するという噂があるのだ。
何回も火山爆発を繰り返して今の形になったので日本書記が書かれた頃の富士山はどこにでもある平凡な山だった説を支持する
日本書紀が書かれたのはせいぜい1500年前なのでほとんど今の山の形と変わりませんよ10万年前なら形はだいぶ違うんですけどね
自分も当時は平凡な山だった説を支持。平安時代の間に富士山は複数回の噴火があり、中には大規模な噴火もあったようなので山体の形や高さも変わったものと予想。
樹海が怪しい。
まぁ別の部族が牛耳っていたと考えるしかないか
革命があった
ずんだ「いちふじ にたか さんなすびというから昔から日本のシンボル」ずんだもん、その言葉が生まれたのは江戸時代だw
ああ、いわれて見れば・・・タケミナカタが諏訪まで逃げてるんだから当然富士に言及があってもいいよな・・・イワナガヒメ-コノハナサクヤヒメが富士と関連付けられてるけど、後付ぽいし
日本の神々はユーラシア大陸ではなく《ムー大陸》からやって来たんだと思うね。日本人は『前地球文明人類の生き残りである』という小説を書いてみたよ。
沈んだスンダランドの血を引いてることは確かで、マオリ族はその時分かれたグループだって
草薙、焼津など、ヤマトに抵抗した部族の記録にちなむ地名が静岡には残っているからね記紀が書かれた当時の富士山はヤマトに抵抗する勢力の象徴だったんだろう
日本武尊が山梨の酒折で連歌歌ってそれが連歌の発祥ってあるのに富士山が無視されてるのは不自然過ぎるよな酒折からでも富士山は見えただろうに
そもそも記紀の編纂にかかわってる藤原氏の祖は常陸国の出身、ぜってえ富士は知ってるはずだよなw
単純に大和王権の範囲内じゃなかっただけの話。現在残ってる風土記は、出雲国風土記、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記、そもそも他の国で風土記が作られていたかも証拠がない。あったとしても後世に残るほど規模が大きくなかった可能性が高い。なら他の勢力が強かった地域があってもおかしくはない。自領域であっても大和王権の支配は完全なものではなかった可能性はあると思う。
ヤマトタケルの足柄山のエピソードまで書いてるから、知らなかったはずはない
焼津からも富士山ハッキリ見えるしね
「かぐや姫」の「竹取物語」が出来た頃は、富士山から噴煙が立ち上ってたそうだから、今とは随分様子が違ってたと思う。
4世紀から8世紀にかけ富士の火山活動は穏やかで噴煙などなかったと考えられている。竹取物語の成立時期と関わっている話だね。ちなみに、江戸から昭和のはじめまで富士は噴煙をあげる山だったそうだ。そんなことすらもう忘れられているんだね
不タヒの山と呼ぶくらいだから、もっとずっと以前から煙は立ち上っていたと思います🙇💦竹取物語が書かれるよりも、ずっと前から立ち上る煙を眺める不タヒ山周辺の人々が、いたのでしょう😭御殿場泥流や古富士泥流が、立ち上る災いの電源だったの
日本の地名の中に富士見って富士山見えてたのだ
最西端は和歌山県なのだ。このしゃべり方って感染りますね。( ゚□゚)💧
@@私は元のら猫 ずんだもん大流行なのだ
地元の山陰にも富士見町有るけど、多分それ伯耆富士の大山を富士山に見立てて付けた地名だと思う。
やれやれ・・・誰も真実に気が付かないとはな言及されないのはそこに無かったからだある日ニョッキリ富士山が生えてきた、あるいはトコトコお引越ししてきたと考えるのが自然
いやいや、わかりませんぞ😅ある日突然、天から富士山がドッスンと落ちてきたのかもしれませんぞ😆
何をバカなことを。富士はワシが造ったんだよ。ダイダラボッチと棒倒しして遊ぶためにな。
巨人が砂遊びをしてできた山かもしれない🤔
富士山の土は滋賀県辺りからかもよ。跡地は琵琶湖に。
@@蜂蜜漬け桃 エアーズロックは宇宙人の捻り出した💩説あるから、伊豆に海水浴に来た宇宙人が遊んでて作ったのかもしれんな。
天照大神の孫で、神武天皇の曽祖父にあたる瓊瓊杵尊の奥さんに木花之佐久夜毘売という神様がいます。木花之佐久夜毘売は記紀にも登場してしっかりエピソードもあるメジャーな神様です。現代では富士山の神として知られていて、信仰の中心である浅間大社も歴史のある神社なはずなのですが、意外とその二つが結びついたのは後世のことなんですかね。
コノハナサクヤヒメとの結びつきは明治以降らしいですね。そも山岳信仰は仏道が起源です。考えすらしなかったでしょう
木花咲耶姫は記紀では南九州にも関わりあるから調べてみたらどうでしょうか?
コノハナサクヤヒメは別名「神阿多都比売」といい直球で阿多の神姫という意味。阿多というのは現在の鹿児島県西岸部(薩摩半島)のことです。つまり元々は桜島に関係する神様であり、恐らく過去に富士山が噴火した際にその縁で火山の神として富士山で祀られ始めたのでしょう。 何ならかぐや姫も恐らく元ネタは隼人族の神話のようなものを改変したものである可能性が高いです。
@@爆弾鬼斬り 産屋に火をつけた話も火山の神と考えると接点を感じますね
兎に角、物証があれば解決できるから掘るしかない!
富士山の北西〜西部あたりの古い方言(飛田方言、井川方言)が周囲の方言からは浮くように独特だったりする<独特な言語の痕跡?があるので、王朝というほどでなくても割と強い独立勢力があったことの傍証にはなるのかも?
日本の方言はルーツを辿る歴史的なカギになるから衰退して無くならないようにしたいところですな
富士山は九州や奈良からは見えない分けで書いてなくて当たり前じゃないの?愛知県まで行っても見えないよ。
文書は、創作だと思うが、富士山の北側は、縄文時代から遺跡やらなんやら出てますよね。縄文人が作られたのも、山梨県の甲府盆地ではないかと言われていますよね。何らかの遺跡はあったと思います。埋もれてしまった富士五湖辺りではないと思いますね。無地があって自然がある盆地の方にあったと思います。
関東ではだいたい富士山見えるんだよね…
関東の色々なとこで"富士見"って地名ありますしね。いまは見えなくても昔は見えた名残なとこも。
三階以上の高い建物は、1972年くらいから東京は増えたんだよ。それ以前は、都内のいろんなところから富士山は見えた。ワタシの小学校の廊下(オルガンが置いてあった)の窓からよく見えたな。
@@umin9276 さんちなみに、冬ならうちの会社の3.5階で見えますよ!あれ(熊谷仕込みの海幕のあれが邪魔)
@@bontas89 うちの小学校からはザウスが見えた。
昨日富士市を車で移動していたら急に富士山の威容さが出現して驚愕したとんでもない化け物のような山や
富士山の近くに行くときは見たらびっくりするほどでかいんだよなー、と思いながら行くがやはり毎回びっくりするそれぐらい迫力あるよね
王朝っていうぐらいなら遺跡ぐらいは出るんじゃ無いの?😅
一応近くに古墳群はあるにょ
古事記が712年風土記が713年なんですね。常陸風土記に富士筑波伝説について書いてあるそうだから、何かあったのは間違い無いよね。
余談だけど奈良からも富士山見えないわけじゃないんだよね。天気が良ければ大台ヶ原から望むことができる。当時の人がそれを見て日本一巨大な山だとは思わないだろうけど。
古事記や日本書紀ですら内容がどこまで史実に忠実か怪しいのに宮下文書ってなあ
宮下文書なんて炭素年代測定すれば一発で真偽がはっきりするのに、科学的調査しないで書いてある事だけを疑ったり信じたりするのは馬鹿らしい気がするな。
写本だったらどうすんの?
@@straight1208 その判断をするためにも科学的調査が必要なんだよ。ワンチャン本当に古いものだったら堂々と世紀の大発見と言えるわけだし。
書いてありますけどコノハナサクヤ姫命は浅間神社の主祭神浅間神社の御神体は富士山ですちゃんと書いてあります
いや、木花之佐久夜毘売がどこそこに祀られたということは書いてなかったと思う
富士山という名前じゃなかったとかですかね
蓬萊山とも言われていますね。
明治2年に、宮下文書を開けたのが、まずかったのかな。もし、せめて昭和時代に開けて当時のボロボロの紙面が残っていたら、上手く復元できて信憑性が高まって教科書に載ったかもしれないね。
そんな昔に遥か東方にあるほとんどの人が見たこともない山が日本の象徴だったわけは無いんだけど
宮下文書に書かれた富士山の噴火の記述は正史に触れられていない部分に関しては、地質学的学術調査の結果とは食い違うか真偽が判断できないものだったそうです。
神様の時代の話だしね、、、そもそも正史も地質学と比べたら危ういんじゃないかな
まぁ幕末期に書かれた偽書ですからね……
なんか、ワンピースの「天竜人や五老星は外から来た人外だった」という考察を思い出した。空白の100年が富士王朝の話しと重なるなぁ^^;まぁ日本は日本ですけどね♪
空白の百年という概念自体、日本史の3世紀~4世紀の約100年間が、一切の記録が残ってない歴史の空白期間である事が元ネタかと
記紀にはヤマトタケルは双子で大碓命と小碓命がいたとあります。たぶん当時は九州の九州王朝と畿内の大和王朝に分かれていて、小碓命は九州王朝のヤマトタケルで大碓命は畿内大和王朝のヤマトタケルだと思われます。そして記紀には小碓命が大碓命を殺したとあるので、九州王朝が大和王朝を滅ぼして全国統一したのが応神天皇の武内宿禰ではないでしょうか。富士山は大和王朝の山だから九州王朝には無視されたのではないでしょうか。
徐福は長寿の霊薬を見つけて 江戸時代までいきて 晩年になって宮下文書を書き残したんだ!
ツクヨミが立場的に重要そうな立ち位置なのに急にフェードアウトしていくのが不自然な感じしたけど宮下文書のエピソードがあったなら納得できるなー記紀自体がこの辺の話参考にしてる可能性ありそう
当時は富士山周辺が倭国の領域でなかっただけ
ですね日高見の国とか蝦夷とか呼ばれる地域だったのでしょうヤマトタケルが東征?で茨城県辺りまで行ったとも書かれていますからね
秦の始皇帝も富士山知ってたぐらいだし日本に住んでる人が知らないわけないよなぁ
富士山が親の神様を受け入れなかったってのは樹海で迷うからとか噴火を目の当たりにした先達が危険だから近寄るなって注意喚起だったのかな?
不二阿祖山太神宮は、再建されています。鳥居は、3本柱です。
富士山が見えない地域で書かれた シランケド(ΦωΦ)
宮下文書の話かあ。ワハハハ。
あれ、なんかトヨタと外資系企業で富士山の麓にスマートシティ作るんだっけ??その時何か発掘されないかなぁと期待。。。
スマートシティは計画が頓挫したとか?
溶岩あるのに作れるの?
富士山は京都からでも見えるって聞いたけど、奈良からは無理かでも「知らなかった」だけは無いよね
今日の夕方のよみうりテレビで奈良から富士山を観る番組があるようです
天気が良ければ奈良の大台ケ原から見えるらしいです
へえ 奈良からでも見えるんですね初めて知りました
知らなかった可能性は少しだけあるよ。富士が都で知られるようになったのは、8世紀に入り噴煙を上げ始めたのがきっかけで、それまで地元以外では「名もなき山」のはずだからね
@@MedakaNoBoo 私もそう思います(ヤマトタケルの話が東の端でどこまで行ったか調べてみてください)が、噴煙を上げ始めたので「富士が都で知られるようになった」が「富士が都で隠しきれなくなった」の可能性も否定出来ないと思います
富士山は幽玄で偉大な霊山として口にしてもいけない土地として「禁足地」だったからかも。
黒幕で隠されてただけでは?
期待してましたが、徐福が出てきてしょぼ〜んとなりました。
どうしてですかт ̫ т?!
紀元前200年あたりの日本は弥生時代前期ですよ。文字も無く、当時の中国語を理解できますか?
歴史考察系ってやたら宮下出すよね。偽書なのにね。
沼津市内R246とR1が接続する道路工事で移設される熊野神社の成立年代が卑弥呼と同じと判明した途端に工事が止まって、その後どうなった?
富士山のビジュアルインパクトが広く伝わらなかったのは当時風景画の概念がなかったのも要因のひとつなのかな
見たら目が潰れるって、エルダースクロールだなきっと。
そもそも、一の御嶽は奈良の金峰山であって、富士山は二の御嶽だったからかも。
諏訪あたりがぎりぎり東の端では?
朝廷から見て近い湖が近江。遠い湖が遠江諏訪はギリギリ東の端扱い
神武が富士から奈良に都を移したのなら神武東征と矛盾するやんけw
とりあえず宮下文書の炭素年代測定やってみたら?
紙の保存限界を考えれば、一定期間ごとに写本を新しく作って交換し保存を続けるに決まってるので、それは的外れが過ぎるでしょう一度も写本を作らず保管してたなら、読めない程ボロボロに風化してておかしくないので、測定などせず一目見れば分かる話
まあそんなことせずとも、書かれている言葉から江戸幕末の作成だろうとされてるし、これは結構決定的だと思う。それより古い成立とするならなら、少なくとも江戸期の言葉の使い方は現れないはず。
写本を作る際に、現代語訳してないと断ずる証明も出来ないけどね
原本もボロボロのままでいいから残す習慣があればねぇ。
江戸幕末の言葉の物しか残っていなければ江戸幕末の物としか。それ以前の物の写本とするなら証明しなければならない。
山岳信仰は超メジャーだけにあれだけインパクトあるもんが古代信仰になかったのは不自然よな
太古から山を恐れ敬う気持ちはあったろうが、山岳信仰は「役行者」が中世になってはじめたもので古代史に無くて当然、じつはそこまで古くはないよ
@@MedakaNoBoo 日本での山岳信仰をWikipediaで調べてみました。「日本の古神道においても~」から始まり途中「また仏教でも~」と続き、チベット仏教を紹介した後に「日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついている」と考察し最後に「その後、密教、道教の流れをくんだ修験者や山伏たちが、俗世との関わりを絶ち、悟りを開くために山深くに入り修行を行った。」と説明しているので、古いのではないでしょうか。
藤商事があるからそれで我慢してほしい
富士の樹海の下に遺跡あればいいわけか
そうなんですよねー。結局は、掘ってみて何かしらの痕跡が出てこないと…なんですよね。何か出てくると良いですね❗️
樹海の中に石垣があるそうです。
あると思うよ?それが高天原だと思う。神武天皇を《初代》とする為に、そして天照大御神を女性神に擦り替える為に《富士王朝》の存在に触れなかったのだろう。
ポンペイ的だったら胸熱
ないと思う当時の富士山は噴煙上がるほどの活火山だったし、いくら古代人でもリスクのある場所には住まないでしょう
いつもありがとうございます。伊勢から富士山が見えます。
宮下文書をwikiで見ると「文体は漢語と万葉仮名を併用した記紀風のもので、筆者・成立事情は不明[4]。助詞の用例や発音など言語的特徴から幕末期の成立であるとも考えられている[5]。だってさ。」
お前ら富士山のこと書くなよっていう東の圧力説
征伐される側だった東が圧力かけられるの?
全部溶岩に流されたっていえるから都合がいいんだよ偽書には
おまんら今の考え方の延長でしか過去を見ることができないんだろうが、国民国家成立前の王権の時代は統治者が非統治者と違うから、統治の正当性があるんだぜ。統治者が国民と同じだったら、俺が統治してもいいじゃんってなるだろ。日本神話も天皇は天孫族で日本の土着民と違うから統治の正当性があるって話だぜ。
うろ覚えですが富士山は3つの山でできてます。後から火山の噴火でできた山が重なってます。宮下文書は確かその現在の富士山になった経緯書いてあったと思います。そして年代測定法から噴火でできた山の時期が分かっておりそれについて整合性は取れてると思います。
縄文時代とかの事まで当ててるのはそれはそれで怪しいんだよなぁ。
三重県、和歌山県から富士山が、かすかだが見える場所が有るとテレビで観たことがあるな。実際に見えていました。当時の人々が見た(見えた)としてもそれが富士山とは誰もおもわんだろうが…
それはない。二見の夫婦岩の間から夏至の日に富士山から太陽が昇るように神社が設置されている。
三重や和歌山じゃなくて愛知だけど、北斎の「尾州不二見原」の、樽の中の小っさい富士山が、凄い好き😊
昭和もそうだが、富士は噴煙を上げていた時期があるんだよ、目印になる。それで区別したのだろうね
三重県は鈴鹿山脈の中に登山で有名な御在所岳に「富士見岩」というのがあります。いつ頃付けた名前かわかりませんし条件が良くないとですが見えますね。なので現在の三重県というか三重と滋賀の県境からは見える箇所が複数あります。どこの方はわかりませんがよくご存知で。
@@Higuchi_Pat おそらく伊勢は東国勢力の一番端で、ヤマトは東国を取り込むためにあるいは九州勢力(物部)を駆逐するためにシンボルとして伊勢に東国的な神社を設置したんだと思う。東国は逃げた出雲勢力の地域になっていたから
まあ偽書ではあるけど、作られた意図を考えると興味深い
宮下文書も武内文書等も単なる偽書と片付けてしまうのはどうかと思います。信憑性においては記紀だって変わらない。朝廷が保管したのと個人で保管したものでは扱いは違うだろうし、残すなら写本は必ずするから字体や紙質とかで判断するのは違う。物理的な裏付けがあると良いのですが。
結局は「上代特殊仮名遣い」の有無ですね。「本文を(写本制作当時の)筆記法に完全に修正してしまっただけ」なんて無理筋を想定するよりも「偽作」とした方が遥かに自然です。
富士山=不死山 でかぐや姫の話に出てこなかったかな? 翁に不死の薬を渡したかぐや姫 その薬を燃やした山が富士山(不死の山)って話を聞いたときへーーって思った記憶
ほほう、それを求めて徐福が来たと。。。
@@1860hide 確かに富士の麓には徐福伝説ありますね健脚であちこち日本を伊能忠敬のように歩いたのか、3000人連れてきたと言われる徐福チームが徐福を語っていたのかロマンですな
まだ、小さかったとか?
いわゆる古史古伝。書かれた時期は恐らく幕末。
そうでしょうね
記紀を参考に宮下文書が編纂されたという線は無いのか?富士噴火があったとしても余りにも遺物や遺構が無さすぎる。王朝ともなれば他地域との交易もあったはずだし
近畿からでも、今の東海道新幹線沿いに歩けば、富士まで10日で来れる。偉い人が「ちょっと見てこい」くらいは言えたと思う。
色々な国が有ったからね。熊毛王国なんか水上交通の利権と塩田で、平安末期まで存在してた。まあ実際には大和政権の傘下だけど、江戸時代の藩みたいなものかな。
オカルトやん
ここで述べられている富士伝説みたいなものを一般人はともかく当時の識者なら知ってたんじゃないですかね奈良時代の知識では完全に否定できなかったので触れなかったとか
天から神様が来てより、説得力有るよね~
むっちゃ近現代敵価値観で書かれててワロタ
あまりの神々しさに人々の崇拝の対象になっては都合悪いから
じゃじゃなくてじゃあと、あ まで伸ばしてるとこにずんだもんから年配みを感じるw
赤色立体地図で遺跡の痕跡が見つからないかなあ
枝豆なのに随分アカデミックだな?
京都に富士山なかった。からダス❤
富士文明と言えばスプリガン
富士山の由来は不死山って聞いたことあります
不ニ山 だと思ってた
竹取物語、いわゆる「かぐや姫」伝承だね。山であがる噴煙をつかい「不死の妙薬」を天上世界へ返したとされ、それが浅間神社の名前の由来とされている。 不死→天上世界(天国)→富士 噴煙(噴火)→地獄のひとつ→浅間といった対比ってことだね
全部音読みなので漢字伝来以前にはあり得ない音を当てたか、かつて別の呼び方があったかのどちらか
徐福は、不死の妙薬があるとされる蓬莱山を目指し日本に渡って来たとされ、富士山がその蓬莱山だとしていた不死の薬のある山、不死山
封印を解く時期が悪すぎる
宮下文書はありま〜す
大相撲は富士だらけだよ。
古代中国の算術書『周髀算経』をニューカムの黄道傾斜角近似公式を使って解釈すると、今から約5千年前に周髀の立てられた緯度が35.33°Nと推定できました。この緯度で古代中国の都市を探すついでに日本列島を見るとなんと富士山もこの緯度を通っていました。これも古代のミステリーです。
「記紀では神々の住まう地として登場する高天ヶ原」←登場しとるやないかーい!※関西じゃないから特に記載するイベントは無かったけど名山として名高い富士を神話に組み込んで編纂した
山岳信仰。奈良時代の修験道の役行者。神変大菩薩は伊豆大島から富士山に夜な夜な修行で飛行した。という伝記があります。ただこの伝記も後世の仮託かもしれませんが😅。
竹取物語でも、翁が不老不死の妙薬を最後に燃やした山が不死山(富士山)。
当時は良く噴火していたから、噴煙とかで山頂は雲なので良く見えなかったとかで。
800年の噴火以前は美しくもなんともない山だった
かな?
いや宝永火山は富士山の中腹から噴火したから、むしろ富士の円錐美を崩した形に。噴火前はさぞ綺麗な円錐火山だったろうね
大和朝廷は出雲王国も調伏しもっと領土を広げたいとの事で武内宿禰に東国を調査させに行ったという話しがありますがその時の宿禰の噺では、毛涯の地ではあるがとても広くて素晴らしい場所報告されたようです。ただ、富士山についての記述が無いのはその後3度の大噴火に依って今野形になったようなので当時は今とは違っていた可能性はあります。富士王朝はあったと思います。
■「富士山が日本一の山」ってそもそも近代的な「測定」が前提の話なので、畿内からしたら「なんか東国のド田舎にデケェ山があるらしい」程度の認識だった説。
■『古事記』は本質的に氏族縁起の集成なので、政権にとって重要性の低い事項は無視される。
■『日本書紀』は歴史書なので、富士山に関する事件が無ければ記載がないのは普通。現に『続日本紀』には富士山の火山活動について記録がある。
■富士山がタブー視されていた訳でもなく『常陸国風土記』には富士伝承が記載されている。
とても興味深く、楽しく見れました!ありがとうございます!
富士山の南側にある愛鷹山の麓には大規模な古墳がいくつもあるので、かなりの権力者がいたのは確かですが
徐福が出てくると軟化怪しいなぁ
布都御魂=徐福説もあるらしいよ
まさに、歴史は勝者が作るもの
日本が関東中心に戻ったのも何かの因果を感じます
普通に富士五湖すらなかったのだから形がいまとちゃうんやろ。
越前越後とか筑前筑後とか、国を分割するのに前中後を使ってた地域と、上野下野やら上総下総とか上下で分割してた地域(今の関東)では、昔は国そのものが違ってたという話を読んだか聞いたことがあります。
(コウヅケシモツケの)毛の国とか、総(フサ)の国とかの呼称はいかにも異民族的ですし、後の親王任国の関係で上野介や上総介とかは越前守のようなカミではなくスケであるとかもその関連っぽいかな?
なので、記紀が編纂された当時は編纂者達に、関東に隣接する富士山は我々の領域外(今の関東の領域に含まれる山)、だと思われてたのかもね。
富士王朝云々はともかくとして。
…なんて単なる感想でした
(追記)富士王朝の話もわりと好きです。面白かったです。
上総は親王任国なので守ではなく介が一番上だったようです。
蛮東かな
風土記には普通に富士山の記録ありますよ
そもそも記紀は歴史書だから地域の特色を詳しく書く性格の文書ではないですよ
@@たぬ-w8k さん
ご教示ありがとうございます。
ただ、風土記のことは存じてはおりますが、記紀にも比叡山や伊吹山などいくつもの山が登場しているのに(山のことではないですが阿蘇も登場します)、
あれだけ目立つ富士山が記紀に登場しないのは不思議だなと思っています。
(ちょっと妙だな、という程度の感想)
必要があれば地方の地名とて登場すると思うので。
例えば、有名なヤマトタケルが東征で関東各地を訪れたくだりでは、焼津や筑波、足柄などの多くの地名が登場しているにも関わらず、関東では特にバカでかく視界に存在する富士山については、見たとか誰かいたとか何かあったとかの記載なくスルー…。
後年の外国人(幕末のハリス達や江戸時代の朝鮮通信使など)の反応や感想と(おそらく初めて富士山を見たであろうヤマトタケルとを)比べて凄い違和感…。
あれに一切触れないなんてマジですか?
国外(主に唐)に向けても恥ずかしくないように、国内の歴史書を整えたはずなのに…。
なんか妙だな、何でだろな?と。
なんて、所詮考察遊びの域を出ないコメントなんですけどね😅
実際のところは、記紀に富士山が登場しなければならないという訳ではないので、記紀編纂者が富士山は記載不要と判断したという、ただそれだけの話なんでしょうね。。。
@@リノホス
ヤマトタケルの東征において富士山の記録がない理由はわかりませんが、なくても歴史書として成立しますし、風土記にも竹取物語にも富士山は登場するので、大和朝廷が富士山を知らないから別の王朝があったかもしれないという説は成立しないと思います。
(竹取物語は記紀と同時代に書かれた物語です)
前方後円墳が東北南部まで分布してることからも、別の王朝があった可能性は低いと思います。
興味深い話でした。
富士王朝が本当にあったなら常陸国風土記ではその事実に蓋をした可能性もある
もしくは常陸国風土記に記されていたように始祖の神が呪詛を吐いたことにより、噴火が起きて滅んだ可能性もある
色々と考えられることができて楽しい
ずんだもん、キングダムが900話を迎えた年、富士山が噴火するという噂があるのだ。
何回も火山爆発を繰り返して今の形になったので
日本書記が書かれた頃の富士山はどこにでもある平凡な山だった説を支持する
日本書紀が書かれたのはせいぜい1500年前なのでほとんど今の山の形と変わりませんよ
10万年前なら形はだいぶ違うんですけどね
自分も当時は平凡な山だった説を支持。
平安時代の間に富士山は複数回の噴火があり、中には大規模な噴火もあったようなので山体の形や高さも変わったものと予想。
樹海が怪しい。
まぁ別の部族が牛耳っていたと考えるしかないか
革命があった
ずんだ「いちふじ にたか さんなすびというから昔から日本のシンボル」
ずんだもん、その言葉が生まれたのは江戸時代だw
ああ、いわれて見れば・・・タケミナカタが諏訪まで逃げてるんだから
当然富士に言及があってもいいよな・・・
イワナガヒメ-コノハナサクヤヒメが富士と関連付けられてるけど、後付ぽいし
日本の神々はユーラシア大陸では
なく《ムー大陸》からやって来た
んだと思うね。
日本人は『前地球文明人類の生き
残りである』という小説を書いて
みたよ。
沈んだスンダランドの血を引いてることは確かで、マオリ族はその時分かれたグループだって
草薙、焼津など、ヤマトに抵抗した部族の記録にちなむ地名が静岡には残っているからね
記紀が書かれた当時の富士山はヤマトに抵抗する勢力の象徴だったんだろう
日本武尊が山梨の酒折で連歌歌ってそれが連歌の発祥ってあるのに富士山が無視されてるのは不自然過ぎるよな
酒折からでも富士山は見えただろうに
そもそも記紀の編纂にかかわってる藤原氏の祖は常陸国の出身、
ぜってえ富士は知ってるはずだよなw
単純に大和王権の範囲内じゃなかっただけの話。現在残ってる風土記は、出雲国風土記、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記、そもそも他の国で風土記が作られていたかも証拠がない。あったとしても後世に残るほど規模が大きくなかった可能性が高い。なら他の勢力が強かった地域があってもおかしくはない。自領域であっても大和王権の支配は完全なものではなかった可能性はあると思う。
ヤマトタケルの足柄山のエピソードまで書いてるから、知らなかったはずはない
焼津からも富士山ハッキリ見えるしね
「かぐや姫」の「竹取物語」が出来た頃は、富士山から噴煙が立ち上ってたそうだから、今とは随分様子が違ってたと思う。
4世紀から8世紀にかけ富士の火山活動は穏やかで噴煙などなかったと考えられている。竹取物語の成立時期と関わっている話だね。ちなみに、江戸から昭和のはじめまで富士は噴煙をあげる山だったそうだ。そんなことすらもう忘れられているんだね
不タヒの山と呼ぶくらいだから、もっとずっと以前から煙は立ち上っていたと思います🙇💦
竹取物語が書かれるよりも、ずっと前から立ち上る煙を眺める不タヒ山周辺の人々が、いたのでしょう😭
御殿場泥流や古富士泥流が、立ち上る災いの電源だったの
日本の地名の中に富士見って富士山見えてたのだ
最西端は和歌山県なのだ。このしゃべり方って感染りますね。( ゚□゚)💧
@@私は元のら猫 ずんだもん大流行なのだ
地元の山陰にも富士見町有るけど、多分それ伯耆富士の大山を富士山に見立てて付けた地名だと思う。
やれやれ・・・誰も真実に気が付かないとはな
言及されないのはそこに無かったからだ
ある日ニョッキリ富士山が生えてきた、あるいはトコトコお引越ししてきたと考えるのが自然
いやいや、わかりませんぞ😅
ある日突然、天から富士山がドッスンと落ちてきたのかもしれませんぞ😆
何をバカなことを。
富士はワシが造ったんだよ。
ダイダラボッチと棒倒しして遊ぶためにな。
巨人が砂遊びをしてできた山かもしれない🤔
富士山の土は滋賀県辺りからかもよ。跡地は琵琶湖に。
@@蜂蜜漬け桃 エアーズロックは宇宙人の捻り出した💩説あるから、伊豆に海水浴に来た宇宙人が遊んでて作ったのかもしれんな。
天照大神の孫で、神武天皇の曽祖父にあたる瓊瓊杵尊の奥さんに木花之佐久夜毘売という神様がいます。
木花之佐久夜毘売は記紀にも登場してしっかりエピソードもあるメジャーな神様です。
現代では富士山の神として知られていて、信仰の中心である浅間大社も歴史のある神社なはずなのですが、意外とその二つが結びついたのは後世のことなんですかね。
コノハナサクヤヒメとの結びつきは明治以降らしいですね。そも山岳信仰は仏道が起源です。考えすらしなかったでしょう
木花咲耶姫は記紀では南九州にも関わりあるから調べてみたらどうでしょうか?
コノハナサクヤヒメは別名「神阿多都比売」といい直球で阿多の神姫という意味。阿多というのは現在の鹿児島県西岸部(薩摩半島)のことです。つまり元々は桜島に関係する神様であり、恐らく過去に富士山が噴火した際にその縁で火山の神として富士山で祀られ始めたのでしょう。
何ならかぐや姫も恐らく元ネタは隼人族の神話のようなものを改変したものである可能性が高いです。
@@爆弾鬼斬り
産屋に火をつけた話も火山の神と考えると接点を感じますね
兎に角、物証があれば解決できるから掘るしかない!
富士山の北西〜西部あたりの古い方言(飛田方言、井川方言)が周囲の方言からは浮くように独特だったりする<独特な言語の痕跡?があるので、王朝というほどでなくても割と強い独立勢力があったことの傍証にはなるのかも?
日本の方言はルーツを辿る歴史的なカギになるから衰退して無くならないようにしたいところですな
富士山は九州や奈良からは見えない分けで書いてなくて当たり前じゃないの?愛知県まで行っても見えないよ。
文書は、創作だと思うが、富士山の北側は、縄文時代から遺跡やらなんやら出てますよね。
縄文人が作られたのも、山梨県の甲府盆地ではないかと言われていますよね。
何らかの遺跡はあったと思います。
埋もれてしまった富士五湖辺りではないと思いますね。
無地があって自然がある盆地の方にあったと思います。
関東ではだいたい富士山見えるんだよね…
関東の色々なとこで"富士見"って地名ありますしね。いまは見えなくても昔は見えた名残なとこも。
三階以上の高い
建物は、1972年くらいから東京は増えたんだよ。それ以前は、都内のいろんなところから富士山は見えた。ワタシの小学校の廊下(オルガンが置いてあった)の窓からよく見えたな。
@@umin9276 さん
ちなみに、冬ならうちの会社の3.5階で見えますよ!あれ(熊谷仕込みの海幕のあれが邪魔)
@@bontas89 うちの小学校からはザウスが見えた。
昨日富士市を車で移動していたら急に富士山の威容さが出現して驚愕した
とんでもない化け物のような山や
富士山の近くに行くときは見たらびっくりするほどでかいんだよなー、と思いながら行くがやはり毎回びっくりする
それぐらい迫力あるよね
王朝っていうぐらいなら遺跡ぐらいは出るんじゃ無いの?😅
一応近くに古墳群はあるにょ
古事記が712年
風土記が713年なんですね。
常陸風土記に富士筑波伝説について書いてあるそうだから、何かあったのは間違い無いよね。
余談だけど奈良からも富士山見えないわけじゃないんだよね。
天気が良ければ大台ヶ原から望むことができる。
当時の人がそれを見て日本一巨大な山だとは思わないだろうけど。
古事記や日本書紀ですら内容がどこまで史実に忠実か怪しいのに宮下文書ってなあ
宮下文書なんて炭素年代測定すれば一発で真偽がはっきりするのに、科学的調査しないで書いてある事だけを疑ったり信じたりするのは馬鹿らしい気がするな。
写本だったらどうすんの?
@@straight1208 その判断をするためにも科学的調査が必要なんだよ。ワンチャン本当に古いものだったら堂々と世紀の大発見と言えるわけだし。
書いてありますけど
コノハナサクヤ姫命は浅間神社の主祭神
浅間神社の御神体は富士山です
ちゃんと書いてあります
いや、木花之佐久夜毘売がどこそこに祀られたということは書いてなかったと思う
富士山という名前じゃなかったとかですかね
蓬萊山とも言われていますね。
明治2年に、宮下文書を開けたのが、まずかったのかな。もし、せめて昭和時代に開けて当時のボロボロの紙面が残っていたら、上手く復元できて信憑性が高まって教科書に載ったかもしれないね。
そんな昔に遥か東方にあるほとんどの人が見たこともない山が日本の象徴だったわけは無いんだけど
宮下文書に書かれた富士山の噴火の記述は正史に触れられていない部分に関しては、地質学的学術調査の結果とは食い違うか真偽が判断できないものだったそうです。
神様の時代の話だしね、、、そもそも正史も地質学と比べたら危ういんじゃないかな
まぁ幕末期に書かれた偽書ですからね……
なんか、ワンピースの「天竜人や五老星は外から来た人外だった」という考察を思い出した。
空白の100年が富士王朝の話しと重なるなぁ^^;
まぁ日本は日本ですけどね♪
空白の百年という概念自体、日本史の3世紀~4世紀の約100年間が、一切の記録が残ってない歴史の空白期間である事が元ネタかと
記紀にはヤマトタケルは双子で大碓命と小碓命がいたとあります。たぶん当時は九州の九州王朝と畿内の大和王朝に分かれていて、小碓命は九州王朝のヤマトタケルで大碓命は畿内大和王朝のヤマトタケルだと思われます。そして記紀には小碓命が大碓命を殺したとあるので、九州王朝が大和王朝を滅ぼして全国統一したのが応神天皇の武内宿禰ではないでしょうか。富士山は大和王朝の山だから九州王朝には無視されたのではないでしょうか。
徐福は長寿の霊薬を見つけて 江戸時代までいきて 晩年になって宮下文書を書き残したんだ!
ツクヨミが立場的に重要そうな立ち位置なのに急にフェードアウトしていくのが不自然な感じしたけど宮下文書のエピソードがあったなら納得できるなー
記紀自体がこの辺の話参考にしてる可能性ありそう
当時は富士山周辺が倭国の領域でなかっただけ
ですね
日高見の国とか蝦夷とか呼ばれる地域だったのでしょう
ヤマトタケルが東征?で茨城県辺りまで行ったとも書かれていますからね
秦の始皇帝も富士山知ってたぐらいだし日本に住んでる人が知らないわけないよなぁ
富士山が親の神様を受け入れなかったってのは樹海で迷うからとか噴火を目の当たりにした先達が危険だから近寄るなって注意喚起だったのかな?
不二阿祖山太神宮は、再建されています。鳥居は、3本柱です。
富士山が見えない地域で書かれた シランケド(ΦωΦ)
宮下文書の話かあ。ワハハハ。
あれ、なんかトヨタと外資系企業で富士山の麓にスマートシティ作るんだっけ??その時何か発掘されないかなぁと期待。。。
スマートシティは計画が頓挫したとか?
溶岩あるのに作れるの?
富士山は京都からでも見えるって聞いたけど、奈良からは無理か
でも「知らなかった」だけは無いよね
今日の夕方のよみうりテレビで奈良から富士山を観る番組があるようです
天気が良ければ奈良の大台ケ原から見えるらしいです
へえ 奈良からでも見えるんですね
初めて知りました
知らなかった可能性は少しだけあるよ。富士が都で知られるようになったのは、8世紀に入り噴煙を上げ始めたのがきっかけで、それまで地元以外では「名もなき山」のはずだからね
@@MedakaNoBoo 私もそう思います(ヤマトタケルの話が東の端でどこまで行ったか調べてみてください)が、噴煙を上げ始めたので「富士が都で知られるようになった」が「富士が都で隠しきれなくなった」の可能性も否定出来ないと思います
富士山は幽玄で偉大な霊山として口にしてもいけない土地として「禁足地」だったからかも。
黒幕で隠されてただけでは?
期待してましたが、徐福が出てきてしょぼ〜んとなりました。
どうしてですかт ̫ т?!
紀元前200年あたりの日本は弥生時代前期ですよ。文字も無く、当時の中国語を理解できますか?
歴史考察系ってやたら宮下出すよね。偽書なのにね。
沼津市内R246とR1が接続する道路工事で移設される熊野神社の成立年代が卑弥呼と同じと判明した途端に工事が止まって、その後どうなった?
富士山のビジュアルインパクトが
広く伝わらなかったのは
当時風景画の概念がなかったのも要因の
ひとつなのかな
見たら目が潰れるって、エルダースクロールだなきっと。
そもそも、一の御嶽は奈良の金峰山であって、富士山は二の御嶽だったからかも。
諏訪あたりがぎりぎり東の端では?
朝廷から見て近い湖が近江。
遠い湖が遠江
諏訪はギリギリ東の端扱い
神武が富士から奈良に都を移したのなら神武東征と矛盾するやんけw
とりあえず宮下文書の炭素年代測定やってみたら?
紙の保存限界を考えれば、一定期間ごとに写本を新しく作って交換し保存を続けるに決まってるので、それは的外れが過ぎるでしょう
一度も写本を作らず保管してたなら、読めない程ボロボロに風化してておかしくないので、測定などせず一目見れば分かる話
まあそんなことせずとも、書かれている言葉から江戸幕末の作成だろうとされてるし、これは結構決定的だと思う。それより古い成立とするならなら、少なくとも江戸期の言葉の使い方は現れないはず。
写本を作る際に、現代語訳してないと断ずる証明も出来ないけどね
原本もボロボロのままでいいから残す習慣があればねぇ。
江戸幕末の言葉の物しか残っていなければ江戸幕末の物としか。それ以前の物の写本とするなら証明しなければならない。
山岳信仰は超メジャーだけにあれだけインパクトあるもんが古代信仰になかったのは不自然よな
太古から山を恐れ敬う気持ちはあったろうが、山岳信仰は「役行者」が中世になってはじめたもので古代史に無くて当然、じつはそこまで古くはないよ
@@MedakaNoBoo
日本での山岳信仰をWikipediaで調べてみました。
「日本の古神道においても~」から始まり途中「また仏教でも~」と続き、チベット仏教を紹介した後に「日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついている」と考察し最後に「その後、密教、道教の流れをくんだ修験者や山伏たちが、俗世との関わりを絶ち、悟りを開くために山深くに入り修行を行った。」と説明しているので、古いのではないでしょうか。
藤商事があるからそれで我慢してほしい
富士の樹海の下に遺跡あればいいわけか
そうなんですよねー。結局は、掘ってみて何かしらの痕跡が出てこないと…なんですよね。
何か出てくると良いですね❗️
樹海の中に石垣があるそうです。
あると思うよ?
それが高天原だと思う。
神武天皇を《初代》とする為に、
そして天照大御神を女性神に擦り
替える為に《富士王朝》の存在に
触れなかったのだろう。
ポンペイ的だったら胸熱
ないと思う
当時の富士山は噴煙上がるほどの活火山だったし、いくら古代人でもリスクのある場所には住まないでしょう
いつもありがとうございます。伊勢から富士山が見えます。
宮下文書をwikiで見ると「文体は漢語と万葉仮名を併用した記紀風のもので、筆者・成立事情は不明[4]。助詞の用例や発音など言語的特徴から幕末期の成立であるとも考えられている[5]。だってさ。」
お前ら富士山のこと書くなよっていう東の圧力説
征伐される側だった東が圧力かけられるの?
全部溶岩に流されたっていえるから都合がいいんだよ偽書には
おまんら今の考え方の延長でしか過去を見ることができないんだろうが、国民国家成立前の王権の時代は統治者が非統治者と違うから、統治の正当性があるんだぜ。統治者が国民と同じだったら、俺が統治してもいいじゃんってなるだろ。日本神話も天皇は天孫族で日本の土着民と違うから統治の正当性があるって話だぜ。
うろ覚えですが富士山は3つの山でできてます。
後から火山の噴火でできた山が重なってます。
宮下文書は確かその現在の富士山になった経緯書いてあったと思います。
そして年代測定法から噴火でできた山の時期が分かっておりそれについて整合性は取れてると思います。
縄文時代とかの事まで当ててるのはそれはそれで怪しいんだよなぁ。
三重県、和歌山県から富士山が、かすかだが見える場所が有るとテレビで観たことがあるな。実際に見えていました。当時の人々が見た(見えた)としてもそれが富士山とは誰もおもわんだろうが…
それはない。二見の夫婦岩の間から夏至の日に富士山から太陽が昇るように神社が設置されている。
三重や和歌山じゃなくて愛知だけど、北斎の「尾州不二見原」の、樽の中の小っさい富士山が、凄い好き😊
昭和もそうだが、富士は噴煙を上げていた時期があるんだよ、目印になる。それで区別したのだろうね
三重県は鈴鹿山脈の中に登山で有名な御在所岳に「富士見岩」というのがあります。いつ頃付けた名前かわかりませんし条件が良くないとですが見えますね。
なので現在の三重県というか三重と滋賀の県境からは見える箇所が複数あります。どこの方はわかりませんがよくご存知で。
@@Higuchi_Pat おそらく伊勢は東国勢力の一番端で、ヤマトは東国を取り込むためにあるいは九州勢力(物部)を駆逐するためにシンボルとして伊勢に東国的な神社を設置したんだと思う。東国は逃げた出雲勢力の地域になっていたから
まあ偽書ではあるけど、作られた意図を考えると興味深い
宮下文書も武内文書等も単なる偽書と片付けてしまうのはどうかと思います。信憑性においては記紀だって変わらない。朝廷が保管したのと個人で保管したものでは扱いは違うだろうし、残すなら写本は必ずするから字体や紙質とかで判断するのは違う。物理的な裏付けがあると良いのですが。
結局は「上代特殊仮名遣い」の有無ですね。
「本文を(写本制作当時の)筆記法に完全に修正してしまっただけ」
なんて無理筋を想定するよりも「偽作」とした方が遥かに自然です。
富士山=不死山 でかぐや姫の話に出てこなかったかな? 翁に不死の薬を渡したかぐや姫 その薬を燃やした山が富士山(不死の山)って話を聞いたとき
へーーって思った記憶
ほほう、それを求めて徐福が来たと。。。
@@1860hide 確かに富士の麓には徐福伝説ありますね
健脚であちこち日本を伊能忠敬のように歩いたのか、3000人連れてきたと言われる徐福チームが徐福を語っていたのか
ロマンですな
まだ、小さかったとか?
いわゆる古史古伝。書かれた時期は恐らく幕末。
そうでしょうね
記紀を参考に宮下文書が編纂されたという線は無いのか?富士噴火があったとしても余りにも遺物や遺構が無さすぎる。王朝ともなれば他地域との交易もあったはずだし
近畿からでも、今の東海道新幹線沿いに歩けば、富士まで10日で来れる。偉い人が「ちょっと見てこい」くらいは言えたと思う。
色々な国が有ったからね。熊毛王国なんか水上交通の利権と塩田で、平安末期まで存在してた。まあ実際には大和政権の傘下だけど、江戸時代の藩みたいなものかな。
オカルトやん
ここで述べられている富士伝説みたいなものを一般人はともかく当時の識者なら知ってたんじゃないですかね
奈良時代の知識では完全に否定できなかったので触れなかったとか
天から神様が来てより、説得力有るよね~
むっちゃ近現代敵価値観で書かれててワロタ
あまりの神々しさに人々の崇拝の対象になっては都合悪いから
じゃ
じゃなくて
じゃあ
と、あ まで伸ばしてるとこに
ずんだもんから年配みを感じるw
赤色立体地図で遺跡の痕跡が見つからないかなあ
枝豆なのに随分アカデミックだな?
京都に富士山なかった。からダス❤
富士文明と言えばスプリガン
富士山の由来は
不死山って聞いたことあります
不ニ山 だと思ってた
竹取物語、いわゆる「かぐや姫」伝承だね。山であがる噴煙をつかい「不死の妙薬」を天上世界へ返したとされ、それが浅間神社の名前の由来とされている。
不死→天上世界(天国)→富士
噴煙(噴火)→地獄のひとつ→浅間
といった対比ってことだね
全部音読みなので漢字伝来以前にはあり得ない
音を当てたか、かつて別の呼び方があったかのどちらか
徐福は、不死の妙薬があるとされる蓬莱山を目指し日本に渡って来たとされ、富士山がその蓬莱山だとしていた
不死の薬のある山、不死山
封印を解く時期が悪すぎる
宮下文書はありま〜す
大相撲は富士だらけだよ。
古代中国の算術書『周髀算経』をニューカムの黄道傾斜角近似公式を使って解釈すると、今から約5千年前に周髀の立てられた緯度が35.33°Nと推定できました。この緯度で古代中国の都市を探すついでに日本列島を見るとなんと富士山もこの緯度を通っていました。これも古代のミステリーです。
「記紀では神々の住まう地として登場する高天ヶ原」←登場しとるやないかーい!
※関西じゃないから特に記載するイベントは無かったけど名山として名高い富士を神話に組み込んで編纂した
山岳信仰。奈良時代の修験道の役行者。神変大菩薩は伊豆大島から富士山に夜な夜な修行で飛行した。という伝記があります。ただこの伝記も後世の仮託かもしれませんが😅。