【ゆっくり解説】古事記にも日本書紀にも、富士山が出てこない理由
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- Опубликовано: 13 апр 2024
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
八ヶ岳との話は、「背の高さを競って、お互いに樋を山頂に乗せて水を流すと富士山の方へ流れていったので、怒った富士山が八ヶ岳の頭を殴り、八つに割れてしまったから八ヶ岳と名前になった」という昔ばなしですね。
風土記を裏読みすると、遠い昔に別れた本家筋の一族が富士に凱旋して戻って来たものの、全く歓迎されず、分家の筑波では歓迎されたという、今でもよくある話しだな、、
古事記や日本書紀に記述されている主な地域は西日本であるから、これが8世紀初頭の大和朝廷の主な勢力圏であったと考えるのが自然だと思います。
富士山は地形的に特異であっても、語るべき物語がまだない程度の関わりの薄い地域だったのではないでしょうか。
その空白地帯に当時何があったのかを想像するのはロマンですね。僕としてはアラハバキを含む別の日本の神話を信仰している別の文化圏があって、大和朝廷の武力にやられて属国になって同化政策中って感じなのではと想像してます
空白地帯て…
縄文人が住んでたわ
ヤマトが滅ぼしたけどな
@@user-st8bo4nb2s縄文人は滅ぼされていませんよ。日本列島全域で高度に混血が進み、縄文人の遺伝子は男系でも女系でも大量に受け継がれています。仮に東国の縄文人が滅ばされたと解釈しても、滅ぼしたのは、ヤマトではなく、それより前に東国に勢力を広げていた集団という解釈が妥当です。ヤマトに征服される前から、既に東国は稲作と鉄器と古墳を大量に擁する地域です。その集団が第何波だったか分かりませんけどね。
この時代の富士山は割と活動的だったから頻繁に火山灰を降らせ、時には噴火し鳴動する山と関りになりたくなかったからでは。
それを言ったら天孫降臨の逸話がある九州なんてもっと火山だらけなんだよなぁ…
茨城の人たちの温かさって古代からなんだなぁ。
西日本であまり知名度がなかったのと
資料収集に携わったのがほとんど西日本の豪族だったからかな
単純に富士山を書く理由が何もないからですね。
日本書紀は皇室の歴史書であって、日本の地理書ではありませんから天皇が登山でもしない限り書く必要はない。
富士山の昔話は懐かしいです。
例の「田子の浦ゆ・・」で万葉集にはでてきますよね。古事記、日本書紀が700年代のはじめ万葉集が終わりころだから700年代に何かあったんですかね。
噴火するか降灰して周辺で凶作を引き起こしていたのでは
万葉集が編纂されたのは750年代から780年代の成立ですが収められた和歌は600年代から750年代までが収められており山部赤人や高橋虫麻呂の詠んだ富士山を含む和歌は700年代初頭で古事記、日本書紀を編纂した同時期なので富士(当時は布士、不尽とも)の名前自体が禁忌と言うわけではなさそうです。
確か現在までに、6回噴火してたと思います。富士山
ハロー 霊夢嬢さん🍒
教養が浅い🤪 万葉集を読んでくださいね。 四千五百十六首🫵
存在したと考える方が伊勢に伊勢神宮がある理由がなっとくがいく。そこから富士山から上る夏至の太陽を拝むことができるから。ということは天皇家は知っていたということになるのではないか?
個々人が富士山をどう思うかはともかく、
記紀の世界観的には霊峰は富士じゃなくて三輪山ですんで・・・
補足しとくと、木花開耶姫が富士山の人扱いされるようになったのは江戸時代頃からなので、
記紀に木花開耶姫が登場することと富士山は無関係。
@@user-gx4pf7ep2e桜島の月讀神社に祀られてるのも木花咲耶姫です。
富士の有る静岡東部や山梨が当時は大和政権の勢力下に無く
東夷(あずまえびす)の勢力圏だったから…とかじゃないかな?
地名から想像するに、草薙とか焼津辺りが大和朝廷の東端かもしれないですね。安倍川か大井川が防衛ラインだったのかな?
有名なヤマトタケルノミコトが蝦夷征伐の際、現在の焼津市と旧清水市草薙に伝説を残している。草薙の剣で火を起こし焼き払った地が焼津、草薙では地元の豪族と戦ったと聞いた。因みに、清水市の地名変更の際、草薙剣町という地名が無くなり現在は草薙1丁目から3丁目となりました。
@@sadakichi1000 群馬県が最大の大和朝廷の拠点だったのになにいったんだ
@@malkotoisu9730そうなの?
琵琶湖が近江で浜名湖が遠江
浜名湖より東は化外の地か
阿蘇山だよね。富士山🗻の名前は。阿蘇東西南北で分かれていた。
やってきた親を鬱陶しく感じるのって、1000年以上前も同じなんだ?
「蒼の封印」という漫画に、富士山に鬼の王国があった❗なんて描かれていたな🎵
ウガヤコフスキー😂爆
地味に響き良いわ😅💦
霊夢ちゃんのコメントがいちいち面白いw
東京に引っ越したときに、家から富士山が見えて感動した。
ヤマトタケルの東征の話でも焼津の後は横須賀の辺りの話になって富士山は出て来ないですよね。当時は富士山はタブーだったのかも。
港からだと雲の影響で見えない時が有るけど焼津駅に向う道路からだと結構くっきり見える場所が焼津に有り穴場です
奈良県から富士山見えますよ。小学校の地域について書かれた教科書にも載っていました。
大台ケ原から見えます。
朝熊山や大台ヶ原だけでなく奈良県大峰山系の弥山や八経ヶ山からも見えますよ
奈良県すごい!
@@user-fx9zh8ec2d今後、 奈良と三重は中京地域、東海地方ということで。
奈良市からは見えないじゃん。(笑)
福島県からも見えるらしい。怪しいけどね。😅そんな事言ったらキリが無い話しだな。
面白いですね。ただ、偽書と思われる物を取り上げすぎかも。ただ、だから面白いのかも。ところで、富士山は『更級日記』にも出て来ますよ。作者の菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)は寛仁4年(1020年)9月に自分の目で見た富士山を自分の言葉で上手に描写しております。今から1004年前の富士山がどのようであったか、それがわかる。すごいことです。
長野県の諏訪大社、東が上諏訪で西が下諏訪なのだが、日本の場合前中後分割でも上下分割でも京都基準になっていて、京都から近い順に前・中・後または上・下になっているのに、諏訪大社の場合のみ逆になっている。京都から遠い方が上になっているんだよ。
だから諏訪以東に関しては別の権力があったと考える方がしっくりくるよね、山梨の酒折と埼玉のさきたまとかは関係が深そうだし、長野・山梨・東京・埼玉は他地域に比べて道祖神が異様なほど多く存在しているし。
その理屈だとなぜ、群馬が上野、栃木が下野になってる説明がつかないが
@@user-zg8mf3zc9m
???
諏訪大社は律令制よりも前から存在した、令制国の国分割なんてずっと時代が下ってから。
そもそも律令制後に分割したなら確実に西が上になるだろうが。w
@@user-tl6yq5st2p あなたは神社の上下を国名の上下と同一視して、神社の上下も必ず中央政権が決めるはず、でも諏訪大社は上社のほうが東、だから大和王権と違う王権が東国にあったと繋げていますけど、神社の上下は必ず中央政権が決める決まりがあるんですか?仮に、諏訪大社に上社 下社ができたのが、律令以降でも、ローカルなことならば地元の人の視点
で上下を決めるでしょう
要は神社の上下が、国名と同じ様に奈良視点でないから、別の王権の存在を想定するのは飛躍だと思いますよ。上賀茂神社、下鴨神社は北が上だから北に大和王権と別の王権を想定するんですかね。(上賀茂、下鴨神社は単に川の上流、下流といった程度のことで上下が決まっているだけだと思われます)
律令制時代の東山道だと上下逆転なのですが、それより前の古東山道は伊那で分岐して高頭>杖突峠>上諏訪(神社)>茅野>大門峠だったとの説があるのでそれだと別におかしくないのです
日本書紀には成務天皇5年に東西を縦軸、南北を横軸として国や邑の境を定めたとある。北を上にするのは、4世紀以降のことで、昔は東が上だった。このあたりは初期前方後円墳が西を前方、東を後円としていることが多いのに対し、4世紀以降の前方後円墳は南を前方、北を後円にしていることの文献的裏づけにもなる。実は大和や河内には、前後分割や上下分割が東西基準になっている地名が見られる。この当時の「都」基準の呼び方は「かみ/しも」ではなく「ちかつ/とおつ」=遠近だった。首都が難波にあった頃などは、近江/遠江や近つ飛鳥(河内)/遠つ飛鳥(奈良)という呼び方があった。一口に古代といっても、3世紀から8世紀までを切り取っても500年もあるから、その辺はころころ変わって当然だと思う。
テンテン分かってるじゃないかw
4:56 ギャグマンガ日和の聖徳太子が馬を担いで富士山登るところを想像して吹いたw
それにしても富士山の登山料安すぎません?登山料の相場知らないけどもっと取っていい気が…
鎌倉時代に一気に大きくなった説
富士信仰って東京の方の文化だし、大和朝廷に対立する勢力のシンボルになっていたかもって考えるのはアリかも
縄文時代、最も繁栄していたのは北東北で、寒冷化によって少しずつ南に下っていった。そして、鹿島から船で鹿児島へ渡っちゃったから、富士山は無視されちゃったとか?
出雲、高千穂の神々も深掘りしたら面白いかも
まだ尾張が領域の終わりだったからでは?
富士山頂のお宮もお参りしたけど、昔の強靭な馬ならわりと馬でも行けなくはなさそうではある。
へ〜はじめて知った🫡
甲斐ヶ嶺、に含まれる分をどれだけ考慮して動画を作ってるんだろうね?
古事記や日本書紀に付いての授業で巫女の霊夢が生徒役なのは違和感があるな……
霊夢は原作では碌に修行もしない生臭巫女だからね
むしろ魔理沙の方が勤勉で色んな事に精通してる
@@2990117
確かにそうですね。
ただ三月精や儚月抄では神々に詳しい描写があったので……
そういえば、、、富士山の周りに妖しげな蟲を崇める集団がいて
聖徳太子の側近で養蚕殖産に詳しい秦河勝が攻め滅ぼしたという
記述があったっけ。。。
まあ確かに関係あるとしたら富士王朝云々より常世の虫教団だよねえ
🎉🎉おあ
物凄く単純に考えると
森に囲まれてて、よく見えなかったんじゃ…😮
これだと思います。見渡す限り緑で、奈良の山の中から見たらどこが遠近法でどこが高いかわからない
その時代の東日本はまだ日本じゃないからな
歴史書になく、風土記にあれば普通じゃないか?万葉には常陸風土記の冨士と筑波の山の因縁ネタの歌があるよ。
万葉集に乗ってるから逆に謎なんだよね
少なくとも富士山を呼んだ歌が乗ってるし、それもいくつかあるからタブー的な存在では無かった筈
@@日本語に出来るらしい
非論理的思考
で、古事記にも日本書紀にも、富士山が出てこない理由は?
徐福『いや、俺そんなの書いてない!』
縄文時代には東北地方にも集落があって遺跡も発掘されているから富士山周辺にも大和王朝には属していない集落や規模の大きい国はあっただろう。
富士山が数百年噴火しないだけで森林は復活するし町も出来る。
海外では発掘されているが噴火一発で滅ぶし今の神奈川まで火山灰は飛んでくるし。
熱海も昔は熱湯の海だったからついた地名だし。
竹取物語にも出てきますね(ちょっと違う)
竹取物語は平安時代だから、古事記日本書紀が書かれた奈良時代、あるいは内容の神話の時代から平安時代の間に、大和政権の支配領域が広がったという話かもしれない。
竹取物語は神武東征説がある
かぐや姫の爺さんが長髄彦と言う説がある
富士山見れば普通に感動するから、なんらかの意図があって記載しなかったと思いたいのは分かるが…
やはりたまたまじゃないかな(笑)
ホンダやカワサキがバイクで登頂したことがあるから、馬でもいけたんじゃ?
元静岡県民。
静岡については、登呂遺跡は学んだが、その後は平安末期まで登場しないんよね。
東海道中膝栗毛では熱田から七里の渡しになっているんだが、
名古屋城は出てこない。
金のシャチホコぐらい見えていたはずなんだが、無いものは無い。
富士山よりももっと国の中心が西よりだったからでは。
教科書を始めた八世紀日本、光る君へを達成し、八は末広がりと、後世に称えられている
1895年以降富士山が日本一では無い時期があったのよね
台湾の玉山(標高3952m)が日本名「新高山」として日本一高い山になってたからね。
「トラトラトラ、ニイタカヤマノボレ‼️」
がありました
「笑える神話=親神の育て方で子神の行動が大きく影響される。」
・親神が長男神に厳しく作法を守れと教育し
・次男神には甘く教育した。
「その結果
・長男神は作法を守り親神の突然の宿泊を断った。
・次男神は甘や科された教育を受けた為
作法を遵守せず親神を宿泊させもてなした。
「結果=甘やかれて作法を守らない筑波山に登山する者の数は“作法を守った富士山に遠く及ばない。」
笑える親神の老害アホさ加減ですよね。笑
(老害の典型=親神自身が作法遵守の大切さをボケて忘れ=前触れ無しの宿泊要請、
・親神の教えを遵守して居る富士山を軽んじ、教えを軽んじる筑波山を愛でた。
その結果“親神の言葉は老害の妄言と証明されたとの神話)
@@user-fn3112ux4t様
それが、ニイヤカヤマノボレに結びつくのですか、勉強になります。ありがとうございます。
台湾ってあんなに小さいのに富士山よりデカい山あるのか…知らなかったわ
今の姿の富士山になったのっていつ頃でしたっけ、少なくとも記紀や日本書紀の時期以降に大噴火数回やらかしてるはずだし
火山は全部アサマと読んでいたが、不老長寿の薬を山頂で焼いたという伝説があるから不死の山から富士山になったと聞いたことがある。
触れて揺らぐレベルの大和王権ではなかったでしょうに。東の、まつろわぬ者どもを平らげて、ヤマト王権ができたんだから。触れない理由にはならんでしょう。
親が悪いよ、新嘗祭はとても大切なお祭りだもの、その日に行くなんて失礼な話だよ
5世紀の北関東の古墳から、ワカタケル大王の鉄剣が出てるから、北関東までは倭王政権だった。たから当然富士山も知ってる。ところが日本書紀政権は、乙巳の変でクーデター後の政権だから、歴史が継続してないんだな
5月から11月まで富士山に雪は無いから年中雪があるって事はないね
富士山には「蓬莱山」の別名があります。
蓬莱とは草木の盛んなる貌、荒れ地の事で、それが中国の神仙思想により、前人未到の仙境であるという意味が持たされました。
日本書紀に記されている浦島太郎説話では、浦島子が赴く場所は竜宮城ではなく蓬莱山となっています。
また、熱田神宮・熊野にも蓬莱山の別名があります。
変わった所では江戸城にも蓬莱山の名があるそうです。
日本に於けるこの「蓬莱山」という言葉の意味を探ると、面白い発見があるかもしれません。
宮下文書
宮下あきらのマンガに出て来そう
民明書房🎉
と言うか当時の人は富士山の高さが3776mとは知らなかったからな。日本一かどうかデータ的な検証もしてないだろうから「東の国にやたら高い山がある」というのは知っていても日本一かどうかに興味はなかったんだろう。つい最近までは「外国領」だったしな。
昔に行って見てこない限り、記紀だってアヤシイ物なんだよなぁ、、、
これが達筆だったらまた違ったのだろうかw
すまん。宮下文書の名前が出てきた瞬間に視聴をやめる。なんだ青汁のCMかよ!って感じ。
海外のハプログループの動画見てたら、愛知静岡山梨辺りは縄文人のDが多い地域だったよ
単なるトンデモ話ですね。
だったらなぜ万葉集に富士ちに関する歌があるのですか?
東日本が、朝廷の勢力範囲になかったとあるが、焼津の話もあるし、東京湾を渡って房総にも行っている。焼津で殺されかけたんだから、勢力範囲じゃないのは頷けるが、記載しないでいられるのか?編纂した人達は、見たことないから、須弥山みたいな実在しないものと思ったのかな?
「フジ」は何か音読みに振り切ってる感じがします(漢字の意味から名付け)。それも特異ですよね。大和言葉としての名称は無かったのか?とか(良く調べずに書いています。)近隣の山名に痕跡が残ってたりして
それとも普通に日本語、藤色から付いた名称なんだろうか?だったらすみません
記紀は旅行記ではないので人物のエピソードがない限り描写することはないだけかな
その頃はプチ氷河期で行ける人が居なかったんじゃないですか?
記紀に載ってないけど、後世崇められてる山なんてのは富士山もそうだけど、文字通りでは無いが山程あると思うの
さすがに主観と現在の価値観とこじつけが過ぎると思う。
地域の一つ一つの事柄全てが古書に書かれていけないとか?
タイトル回収何処らへんですか?
記紀になぜ槍ヶ岳が登場しないのか?
ホツマツタヱに
17:50 じゃ、「日本誕生」で見られるラストの火山では噴火していたの当時の富士山は、どうしたのかなァ…?
そもそも記紀に沖縄(琉球)の事が無い
宮下文書は偽書の判定が下ってないっけ?
古事記や日本書紀が書かれた時期は政治的中心は京都以南だから富士山は出てこないのじゃない?
江戸も家康が開発するまでは何もなかったと言われてるから当然だと思う。
北に政治勢力があったというのも奥州藤原3代が繁栄していたから東北は栄えていたのは確かだと思うが。
ホツマツタエには、書いてあります。何と富士山は神々が造った人工山です。2つの山を1つの美しい山にしました❣️そして富士山嶺に都を造ったそうです❣️
こういう馬鹿って救いようないよなー
オオヤマツミノミコトって知らない?何も偽書を持ち出さなくても・・・w
はじめて、伊勢のお参りに行った時、朝熊山を同時にお参りした。
朝熊山からは、天気が良ければ富士が見える。
当時は噴煙が見えていた筈だし焼津からは崇拝対象だった、畏れられてもいた。
不思議な事に、荒ぶる富士の噴火を鎮める類の神事が、記録されて無い又は少なく、不明な点が多い、この辺りの伊豆七島の噴火祭祀が何処で行われていたのかも?不明なのも気になる。
関東には人が少なく、あることすら知らなかったんじゃないかな😸
ブツが古い新しいでいうと、発見された宮下文書の年代が新しいのは書き写しを実施した年代に依存するかもしれないね。
表向きは偽書としてわりと知名度のある竹内文書も古代から口伝で継がれたものを書き起こした関係で書自体はわりと古くないという話もある。
時代は下りますが、平安時代源義家で有名な、前九年、後三年の役が有りますが、この役と言う言葉の意味があります。それは、異民族を討伐する時のみ仕様される言葉だそうです。平安時代でも東北地方は畿内から見たら完全な別世界だったので、それ以前の関東や東海地方は、畿内の人間にしたら未開の地だったのでは無いでしょうか。
アラバキキとか、長脛彦なんかの別な勢力があって、ヤマト政権がそちらに行けなかったとも思いますけどね
はえー😮
富士山は日本一とは知られてないから昔目立たないというコメがあるけどそれは無い。圧倒的独立峰で、富士山の南は富士川が今よりも広がっていて、開けた土地では簡単に展望出来たはずだよ。海からも視認出来るのにw
日本一なのはここ最近の後付け。吉宗の頃。
縄文時代のルートは山梨側が有名だけど、南方に静岡県側にも遺跡があって、それが信じられないくらい古いもので大昔から人の往来はあったみたいだよ。そういうものに比べたら日本が始まったのだってごく最近のことってほど。
浅間大社の元宮であるヤマトタケルが開いたとも説がある山宮浅間神社は祭殿の無い神社で、古神道の形が残ってるんだけど、多分、ヤマトタケルなんかよりも大昔に祀られたものが日本神話に入った形で伝えられたんじゃないかなとは。
宮下文書は信じてない。当時の日本の人口分布を考えれば王朝ってのもどの程度の規模なんだかw
火山が活発化していて名前どころか、存在を意識さえ畏れおおかった山だった可能性は大きいかなとは思う。神さまを安易に見たり名前を呼ぶのも問題があったんじゃないかな。富士山の名前もかぐや姫あたりの不死の山から来てるっぽいくらいの新しい名前で。
伊勢神宮が富士山の見える立地でもあるのに、わざと山で隠してるという説もあるしね。
富士山の神さまは文献上最古で二人の女神。その文献よりも前からそう信じられてるらしいし、江戸初期ごろまで、そのように祀られてたらしい。かぐや姫や木花咲耶姫は日本神話からの転用だろうね。
自分もあんま信じてないんだけど、富士山の噴火で文化が消滅したならその宮下文書はどこに残ってたの?
渡来系勢力が優占する前に先住民の無数の文化圏があった「可能性」だけはいくらでも唱えられる
歴史的ロマンも幾分はあるが、どちらかと言うとスピリチュアルな方々のネタにされてしまうのが残念やね
何がびっくりするって、動画をまったく見てない人たちが勝手にコメント欄で自説を開陳してること
おおむかしは日本は3つくらいに分かれていた気がします、北海道・東北だって違うし、九州だって違うし、たぶん。
むかしの土佐は都の左と書いて都左と呼んだそ~です。なので徳島辺りにこの呼び方をした王国の都があったと言われてるんですねー。珊瑚を宝石としてた最初の国だそう、阿波風土記が残ってたらこの辺のことわかるんでしょうけど。なので4つです、国造大和蝦夷と違う王国なんですよ
内容楽しそうなのに聴きづらくて残念です
×二県をまたがる 〇二県にまたがる
間違っていたらごめんの
古い記述に 蝦夷がいたと記述がある
越前がヤマトの最前基地で 何百年かけ
東方へ討伐にとあったよ。
同じ越国でも、そんな感じ 越国は鶴岡あたりまでだったらしい
(今の地図や都道府県あてはまりません)
えみしが住んでいた。
ましてや 東国 違う国だったのかも
蝦夷が治めていた?崇めていた山 認めないとかあったのかも
次第に じわじわと 東国はヤマトになり 今の形になったんで
時間 歳月はかかるから
最初の方に出てくる酒折の宮ってドコか知らんけど富士山そばっぽいからソコで急に方向転換してるヤマトタケルが本当は何かやらかしたんじゃねえの?だから山ごと黒歴史に
富士山とは別に蓬莱山という山、滋賀県にあるよ。
不二阿祖山太神宮の存在を無視することは出来まい。
成層火山で当時はそこまで目立つ存在じゃなかったのでは?
単なる火山をいちいち記述しないでしょ
西日本の人間に認知されてなかったのでは🤔
東方の秘境扱い?
日本の土地じゃなかったんやろ。
または、富士山ではなく不死山やったから説。
別の名前だから現代人にはわからない説
富士山を特別視し出したのは江戸に遷都してからでしょう
それまではただの高い山って言ういうだけでね
西日本からしたら普段見えないし、意識することもない
江戸から見えるようになって、ようやく意識し始めたんだろ
万葉集読んだことありますか?山部赤人学校でやるでしょ。
@@isamich1535
全ては読んだことはないよ
全く何も書かれていないとは言っていない
ここで言いたいのは、これだけの存在の割には影が薄いということ
それは動画でも言われているわけで
@@elentnavi4426 「それまではただの高い山って言ういうだけでね」山部赤人の歌を知ってればこんな〇ホみたいなことは言わんだろうと思っただけですが、やっぱりご存じなかったようですね。
@@isamich1535
で、結局何が言いたいの?
人をアホ呼ばわりして煽ってすっきりしたいだけ?
情けないのう
…あのさ~『富士』という名称は平安頃からの名称な。
そもそも富士山の神は『木花咲耶姫』だぞ。
つまりは、全ての伝承は平安期になってからのもの。田子の浦のヤツも富士ではなく不盡と記されてるんで、「ふじ」という音は元からあったのだろうとは思う。
富士王朝の始まりは3万年前に天御祖神が富士山麓に降臨されたことがその始まりです。