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どんな競技でも、未来永劫語り継がれる「2位」はこのチームだけだろう。まさに空前絶後。熱い動画、ありがとうございました。
2010JCのブエナビスタとか?勝ったのは武豊騎乗のローズキングダムだけど、ブエナビスタ降着のJCと呼ばれることが多い
サッカーを「球蹴り」からワールドスポーツである『フットボール』にした張本人こそ彼ら74年のオランダ代表。クライフよ、永遠なれ。
Jリーグ発足の頃、当時高校生だった私は雨でサッカーの授業が中止になり先生の計らいで74年のワールドカップビデオを見せてもらいました。サッカー素人でしたがオランダチームの試合にとにかく凄い衝撃を受けました。守勢から一転、一斉に攻撃を仕掛ける。全員攻撃全員守備。日本のレベルは20年以上世界レベルから遅れているんだなとすぐ理解しました。
子供の頃に、とにかくクライフに憧れた。当時14番希望したら誰とも被らず楽々ゲット。その後、数年で競争率UP。人気番号と化してた。懐かしい。
中村憲剛の番号です。
背番号!10はサッカー界のレジェンドペレ選手、それに対して、ヨハンクライフは、自部だけの背番号14を広げてたったとか???❤
@@anneshirley7398 ナイスツッコミ
自分も部で14番希望したら何故か13番で悔しかった…(´・ω・`)ミュラーだったから渋々我慢したのは青春の思い出です
クライフのプレーは、まるで現代のサッカー選手が70年代にタイムスリップしてプレーしているみたいに異次元ですね。今でも伝説の選手として語り継がれるのも納得。おそらく現代に生まれても超一流プレイヤーだった気がする。
この頃スポーツニュースで見たクライフがカッコ良すぎて14番をつけたかったことを覚えています。
50年前に革命が起きていたんですねえ🎉中々優勝できないオランダですがいつもワクワクさせてくれて好きです🇳🇱
Nambaから出てた金子達仁の解説してた西ドイツ大会オランダ対ブラジル戦を穴が開くほど見ました。有名なフライングダッチマン。この時のオランダ代表は最高です❤
とても50年前のサッカーには思えません!サッカーの革命ですね🌟面白かった!
アジカンの曲を探していたはずなのに、なぜかサッカー動画に見てしまった…面白かったです
素晴らしいまとめありがとうございます。。初めて見たヨーロッパサッカーが74年の決勝でした。それまで野球少年の自分が、試合直前のクライフを見て一目ぼれ。こんなカッコいいいスポーツ選手がいるんだと驚きました。勝敗関係なく、クライフが強烈に印象に残りました。
74年の決勝で西ドイツに敗れたオランダ。その14年後のEURO88の準決勝で対戦したのは因縁の西ドイツ。場所は同じミュンヘンのオリンピアシュタディオン。そしてなんとPKで1点ずつを取るという奇跡的に似たような展開。ゲルト・ミュラーのゴールが決勝ゴールになった14年前とは逆に、ファン・バステンのゴールで雪辱。とても不思議な感じがしたものです。もし決勝だったらなおのことだったでしょう。
素晴らしい素晴らしすぎる動画です
1970年代からの「オレンジ軍団」のファンで、今回の動画に感動しました。(クライフ大好き少年でした)個人的に、オランダは才能溢れる自由奔放な選手の集まりで その才能が輝く時は素晴らしいのですが、反面 チーム内紛問題もよくあり 負ける時もあっさりという感があります。(まあ そこも魅力ですが)悲願のワールドカップ制覇をと 願って止みません。
ヨングブルートがタバコ屋さんだったという情報ありがとうございます。当時オランダの「ボール狩り」の場面にワクワクしたものでした。カッコよかった。
この大会でのクライフのユニフォームだけが3本線ではなく2本線であることがオランダサッカーのインパクトの一部を演出している⚽そして、決勝戦の対戦カードもサッカーの神様の演出🇳🇱🇩🇪
プーマですね。
@@山岡士郎-b8i クライフが個人的に契約していたからと聞きました。
中学の時の監督はサッカー初心者てしたが、新人戦で負けたあとから指導方針を変えて出来たチームがまさにこのオランダのようなチームでした。初心者なりにかなり勉強したんだろうなと今更ながら思う。
Brilliant wrap-up. Thank you for your marvelous summary of the Orange
私はこのワールドカップからサッカーに夢中になりました。
これだけやって凄い事を成し遂げた国で選手もいるのにW杯をまだ獲ってないのが本当に不思議。ガキの頃から何故かナショナルチームで1番好きな国はオランダでした!
この特集!! 懐かしい、当時高校のサッカー部でした。時は高校2年の一学期の期末テストの前日で、テスト休みで部活は休みでしたが、昼休み誰かが何気なく、「今夜のワールドカップの決勝戦、見たいな」と言いました。テスト前日でしたが、一人の部員の家へ部員の多くが泊まって、夜中の決勝戦を観戦することになりました。決勝戦までのオランダのトータルフットボール(当時そう言ってました)が衝撃的で多くのメンバーがクライフのファンでしたが、ベッケンバウアーとゲルトミュラーのファンと2分していました。翌日のテストは皆玉砕でしたが、部活ではクライフやミュラーの真似をしていました。懐かしい記憶です。
またまた涙ものの動画をありがとうございます!!初めて知ることのオンパレードで,いやあ楽しかったです!クライフに憧れて,私もプーマのスパイクを履いていました。そう言えば,彼のユニフォームだけadidasの三本線ではなく,二本線の特別扱いでしたね。
名前にはよく聞くトータルフットボールをこれだけ詳しく聞いたのは初めてで、意外と日本にも関与のある人達がいるのも興味深いですね。これだけサッカーに変革をもたらしたのに優勝できなかったオランダの当時の試合をぜひ観てみたいと思いました。
当時サッカーを本格的に始めたばかりで、生でドイツ対オランダ戦の決勝を観た自分としては感慨深い話でした。オランダのサッカーとクライフ・ベッケンバウアーに憧れたものです。
この大会のあと、10番から14番に変えてもらった15歳の自分…素晴らしい映像と解説をありがとうございます!
ヨハン・クライフ10代の頃は野球もやってたみたいね。ポジションはキャッチャー
実はこの1974オランダは、1950年代に一世を風靡したマジック・マジャールのハンガリーをモチーフにしたんですよね。ミケルス自身もそう語ってたそうです。
マジックマジャールをご存じの方も、ずいぶん少なくなってしまったでしょうね。間違っているかもしれませんが、マジックマジャールのフォーメーションは、今は誰も知らないWMだったように記憶しています。
@@吉川博明-p5u知っていたら博識のように見られるのは寂しさがありますね。
@@吉川博明-p5u そうですね!その陣形が、マジック・マジャールのイニシャルになってるのも面白いですね。自分のチャンネル動画用に調べてたので、色々と驚かされました!
マジックマジャールのMMシステムですね。3-2-3-2
クライフやアリゴ・サッキは元気なときは監督をやっててほしかった。とてもみたかった。
20世紀のフットボールにおいて、大きな革新はオランダのトータルフットボールとミランのゾーンプレスと言われているとか…。オランダがワールドカップの優勝がないのが不思議ですね。
そのミランの背骨がオランダ代表の屋台骨であるフリット,ファン・バステン,ライカールトなのも面白いですね。
このおふたりが僕の言いたいことを全部言ってくれています‼︎すっかり同じことを思いました😂
初めてワールドカップの決勝を生放送(衛星中継)したんですね。ダイアモンドサッカーと言う海外のゲームを放送していた番組の金子さんと岡野さんのコンビが解説していました。深夜ブラウン管の白黒テレビに噛り付いて見てました。クライフの訃報は大きな喪失感が有りましたね。
2次リーグの対東ドイツ戦。クライフのマーク役だったコンラット・バイゼは、クライフがピッチの外で靴紐を結び直す際もその傍を離れなかった、という逸話があるぐらい徹底マークしていたそうですが、それでもクライフを抑えきれなかった。クライフは私の中で№1のプレーヤーです。
大好きだったブラジル代表が敗れたことはショックでしたが、74年大会のオランダ代表とクライフは本当に永遠に記憶に残るレジェンドだったと思います。
当時のサッカー少年はオランダ贔屓か、西ドイツ派かで大別されていたかのように思えます。自然、ユニフォームの選択は贔屓表明の最たるものでありました。
詳しい解説、ありがとうございます。この大会には、アヤックスのチャンピオンズカップ3連覇の立役者、フルスホフが怪我で参加出来ませんでした。彼が出ていても優勝できたかどうかわかりませんが、本大会で見たかったです。また決勝戦の出来がすこぶる悪かったのが悔やまれます。
クライフ誰もがうっとりするような特別な響きを感じさせる言葉だ今回も素晴らしい企画、ありがとうございます。
いやー懐かしい話ですね。空飛ぶオランダ人ヨハン-クライフかっこよかったー😊14番欲しかった。ジャンケンで負けて15番ですわ。メキシコ五輪の釜本番号よりクライフ番号が、、、。
現代フットボールの始まりが74年のオランダ。現代の戦術を遡っていくとオランダに辿り着く事が多い
古典的なイングランドサッカーでもなく、個人技のブラジルサッカーでもなく、このトータルサッカー(プレッシングフットボール)こそが、私の見てきたサッカーの『原点』です。インターセプトされた時にポジションに戻らず、ボールに近い選手による「ボール狩り」から始まり、スペースに追い込み2人3人とプレスをかける。 奪い返した時には数的優位が生まれている。 ゲームメーカーではなく「ボールを奪い返した選手」から攻撃が始まる。 つまり誰もが守備力が必要だし、誰もが攻撃の起点となる。 これがトータルサッカー(プレッシングフットボール)と言われる所以だ。 新鮮だった! 実際はピッチ上に「Jクライフ」という卓越した指揮官(監督)が必要だった。この様に、外から見ていると「未来のサッカー」で魅了させてくれた1974年のオランダでしたが、選手間では心の隔たりという亀裂を生じていたとか。 クライフが異次元過ぎたのだ。クライフは1978年アルゼンチン大会本戦出場切符を最後に僅か30歳で代表を去る。 「W杯は一度で十分」という名言を残し代表に復帰する事は無かった。 「1978年のW杯に出ていたら・・」歴史は変わっていたのかも知れない。 今日的に言えば、年齢的にはあと2回は出られた事だろう。 後年、「スターによるスターの大会」と呼ばれた1982年スペイン大会でも、クライフは現役の35歳だった。 オランダは欧州予選で敗退していたけれども。。
「凡将は過去のサッカーをみせる、名将は未来のフットボールをみせる」
ニースケンスは35年前くらいに国立で行われたマスターズサッカーで知りました。体もそんなに大きくなくテクニックがある選手だと認識していました。他にティガナ、ジレス、プラティニもマスターズサッカーに参加していたのを思い出します。
ニースケンスはスポーツ万能でテニスや野球もプロ並みに上手かったそうです。器用で運動神経抜群だったんだね。
クライフは美しんだよ
アジカンさんいつもありがとう😊
ワールドカップで優勝した西ドイツ代表のベッケンバウアーより、準優勝に終わったオランダ代表のクライフの方が評価が高い事が、全てを物語っている。
ヨハン・ニースケンスさんの訃報が入りました。トータルフットボールを体現する名選手でした。どうか安らかにお眠りください
カッコいいよねぇ優勝してほしかったな…
クライフ先生にとって家族と離れ離れになるW杯は一度きりでたくさんだったそうです。
トータルフットボールがオランダから。。。というのは知ってましたが、こういうことだったんですね。。。凄くよくわかりました!
子供の頃に所属していたサッカークラブのユニがオレンジでした。当時は海外サッカーの事をほとんど知らなかったから何でオレンジ?と思っていました。自分らより上の世代のユニがシャツ黄色パンツ青のブラジルユニで、兄貴のお下がりで練習で着てくるのが何人かいて、流石にブラジル代表は知っていたのでそっちの方がカッコ良くて羨ましいと思っていました。後々オレンジのユニがオランダ代表のユニだったというのがわかって、一方的な親近感を抱いてオランダ代表が好きになりました。カタールW杯でメッシのアルゼンチンと当った時はどっちを応援するか悩んだけど、オランダ代表は自分の命ある限りこの先何十年と見続けることが出来るけど、メッシのW杯は今回で最後だろうと思ったので、アルゼンチンの方を応援しました。ごめんなさいw
オランダのサッカーには目を奪われました。現代サッカーの基となる全てを備えてたと思います。フライング・ダッチマンはバックスの守備の位置から飛び込んだものです。「え?なぜ?」と目をこすりました。史上最高の選手は今でもクライフと答えます。
次はサッキのミランのゾーンプレスにピックアップして欲しい
全員攻撃、全員守備、魅せるサッカー。トータルフットボールはフットボールの理想形だと思います。個人的には強烈な長距離砲放つアリー・ハーンが好みです。
トヨタカップに来た時のリトマネン中心のアヤックスと戦術が似てるね、伝統だね
この時のアヤックスは先祖返りとでもいったような感がありました。この試合、既に引退していたライカールトがスタンド観戦していました。
当時のオランダは、ミケルスの戦術をよく知る、アヤックスの選手が中心でした。好みの選手はロブ・レンセンブリンクでした。オランダは、次回の1978年のアルゼンチン大会も惜しくも準優勝でした。
クライフがバルサの監督の時自分に似た華奢だけどパスの上手い選手を2軍で見て抜擢したその選手がペップ現代サッカーの斬新な戦術家の誕生にも寄与している
クライフはもちろんですが,78年にも大活躍したレンセンブリンクに憧れていました。
ダーヴィッツは運動量はすごかったです。ユーベでのプレーが印象的です。当時のアヤックスのメンバーは最強だったと思います。フィンランドの英雄リトマネンの特集も見たいです。
年代が違うので、勝手なイメージでクライフはMFだと思ってました😅いつも興味をそそる語り口で今回も本当に面白かったです😊
60年代はさすがに時代が違い過ぎると思うけど、70年代80年代には現代でも通用するんじゃないかってモンスターが何人かいると思う。その1人は間違いなくヨハン・クライフですね
ロマーリオ、グアルディオラが現役の頃、監督時代でも別格で巧かったと口揃えて語られており、身体能力も圧巻。脳は現代フットボールの全てがつまってる。圧倒的…
サムネに時計じかけのオレンジが!ヤンセンは浦和でヘッドコーチもしましたね。監督はオフトでした。
戦術戦法も衝撃的ですが見た目佇まいが雑な長髪の゙戦士達がユニフォームだらしなくラフに着て走りに走る、何とも底しれぬ魅力溢れて居ました。にしても今世紀オランダ代表は長髪グーリットダービッツもいますがロッベンスナイデルみたいな髪型の主力もいて😅多様化時代の反映でしょうか😂
あの決勝だけ茶番なのかと疑いたくなる。それほど当時のオランダサッカーは、イノベーティブでした。
初めて観た。凄い映像だ…
ウイイレのオランダクラシックにいた、クロルやニースケンスとか名前しか知らなかったので参考になりました。74年メンバー分かって面白かったです!
戦術が発達すればそれを打開する個の技術も発達する.その繰り返し
ミケルス→クライフ→グアルディオラと継承されてますが誰もが走らせる、ハードワークを前提としたやり方なんですよね。グアルディオラ「(僕のサッカーの)デッサンはクライフ」
W杯‘74年大会決勝戦が日本で初、生中継で放映されたのは、当時ひとつの事件であった。当時東京12チャンネルのダイヤモンドサッカーが世界のフットボールを紹介(当初はイングランド一部リーグ戦が主体)してくれる唯一の番組だった。現代であれば南米欧州のプレーは身近に視聴可能だが、当時この番組はまさに長崎/出島のオランダ的存在そのもの。その生中継の決勝戦に進出したのが伝説的なオランダだったのは不思議なご縁というしかない。(日本人の勝手な思い込みです)実際にオランダの衝撃的な戦術の凄さを味わったのは一次・二次リーグ戦が後日、当番組で放映された時だった。日本のア式フットボールが真の黎明を迎えた記念碑的な番組だったことは間違いない。もうひとつ、感慨深いのは優勝した西ドイツについて。まさかそのドイツに先のW杯で勝利を挙げることが出来るなど、当時誰が想像したろうか。クラマー氏の日本代表のコーチ就任、そして日本人選手をブンデスリーガに受け入れてくれる等、ドイツには大恩を受けている歴史がある。そしてW杯本大会でこれ以上無い形での恩返しが出来たものと感じている。この勝利に決して驕ること無くひたむきに質の高いプレーを目指して今後も闘って貰いたい。FIFAの定める順位はもちろん選手たちの地道な努力の結果であるものの、次の勝利を約束するものではない。隣国の様に対戦前から相手の順位が下と見て侮る風潮が、日本のメデイアやフアンの間にも見られるのは残念な事だ。過去の戦績など、次の戦いの勝利を何ら保証するものではないのだから。
特に、準決勝リーグ初戦の対アルゼンチン戦での雨の中での4得点は凄まじい~⚽
ミランのサッキ監督もオランダのトータルフットボールを模倣としたらしいですね。
決勝はフォクツがクライフにマンマークに付くことにより、即興で西ドイツもトータルフットボールになったと言われてます。フォックがクライフから奪うことは、従来のディフェンスラインでボール奪うとは違い、それこそがプレッシングになります。そしてフォクツのポジションの穴を埋めることで、西ドイツもポジションが流動的になり、オランダも混乱したと言われています。同じような戦術なら、歴代でも最強クラスのタレントを揃える西ドイツが勝つのは必然だったかもしれません。この決勝が、サッカーを新しいステージに上げた試合かもしれません⚽
オランダは敗れたが勝利したのはオランダのサッカーだったと言えるかもしれませんね。
2002、日本でオレンジのユニフォーム観たかったですね。
最近78年のクライフ抜きで南米で決勝まで行ったのは凄いのではと思いましたそれにしても04ユーロでオランダを葬ったチェコのユニフォームとは😂
ヨハン・クライフとは渋いですねリアルタイムで見てないですがフットボールを大きく変えたとかクライフターン練習したっけなあ
時計仕掛けのオレンジ
背番号14は永遠の憧れ
1974年ワールドカップのオランダだけでなく、礎のオランダのアヤックス・アムステルダムは1970-1971、1971-1972、1972-1973シーズンと欧州チャンピオンズカップ3連覇を果たした。後にフランツ・ベッケンバウアー擁するバイエルン・ミュンヘンが3連覇を果たす。1974年、ベッケンバウアーにとってはワールドカップとチャンピオンズカップを獲得。それでもバロンドールはベッケンバウアー...ではなくヨハン・クライフが獲得した。それだけ、オランダのほうがインパクトがあったからといえる。
1969ー70年にはフェイエノールトが先陣を切ってチャンピオンズカップに優勝、勢いのままインター・コンチネンタルカップも制した。アヤックスもインターコンチネンタルカップに優勝している。オランダの躍進が始まったときでした。
78アルゼンチンW杯出場辞退は、「奥さんが出るな」、バルセロナ監督時にCL決勝戦前に「ミランにレッスンを講じよう」だが 0−4の敗退にモウリーニョも、そんな昔話しは聞きたくない... 「ボールは疲れない」の戦術は ミケルス師匠との名言だと思います。
4年後のアルゼンチン大会のクライフのいないオランダなんてレップやハーンが何10mもの距離から強引にロングシュートを決めたりして決勝まで勝ち上がったが、74年のオランダは強引にゴールを決めようと思えば決められる選手がいたのに敢えてシュートを打たずにパスをつないでいたということになる。これはクライフのポゼッション重視の思想がチームに影響を及ぼしていたわけか。
中長距離からのシュートを打つ場合は他に有効な選択肢(オープンスペース)が少なかった為と思われます。ゴールに近づけれるならなるべく確実性の高い近距離でシュートを放ちたいですからね。
@@惟任日向-r5d クライフもファンハネヘムもいなくてもオランダにはまだ武器が残っていた。日本代表にはそんな武器は最初からないけどな。
小学生の頃クライフターンを必死に練習していざ試合になったらDFが全然引っかからなかった苦い思い出があります😂でもオランダ好きだったな。
オランダがW杯優勝なしが信じられない。各時代に歴史に名前を残す選手ばかりです。
1984年のクライフしか見てないですが、オランダ史上最高のフットボーラーだと思っています
私もクライフをリアルタイムで見たのは、選手晩年にオランダに戻ってからのことでした。
プレッシングで世界のサッカーを根本から覆した1974オランダ代表。しかし、プレッシングの流れを頑なに拒んだ国が決勝でオランダに勝った西ドイツである。西ドイツはこれ以降も『サッカーは1対1の勝利を積み重ねてゴールを奪う』という伝統のサッカーを続けた。 そのあと、1980年に監督のミケルスは1FCケルンの監督に就任。奥寺と当時飛ぶ鳥落とす勢いだったシュスターを構想外としたのだ、運動量の少ないシュスターはわかるが、GK以外どこでもこなせて戦術理解度が高い奥寺を手放したのはミケルスのミスである。結局奥寺はヘルタ・ベルリンを経てヴェルダーブレーメンへ移籍、シュスターはなんとかつてミケルスが指揮をとったFCバルセロナへ移籍する。もし、奥寺がミケルスの下でやっていたら…少し想像してしまった。
因みに奥寺さんはヴェルダーでブンデスの年間ベストイレブンに選ばれ、西ドイツ代表に呼びたい選手という有難い評価を頂いていましたね。
74年のオランダ、82年のブラジルは正に夢のチームでした。PKをど真ん中に蹴るニースケンスにはびっくりした思い出が。クライフは私の中ではサッカー史上、最高にカッコいい選手ですね。
多少盛っているだろうけどバルサの監督を務めていた時のストイチコフとのFK勝負の話が好き
クライフがカッコ良すぎてずっと14番つけてた。アジカンさんチェコのユニ着用ですか??
30年近く前にトヨタカップでアヤックスが来日した時に紹介VTRで70年代の全盛期に戻った!とオランダ人が言ってたの思い出した!
今でもオランダのサッカーは日本の目指すべき所にあると思う。フィジカル重視、縦に早いサッカーより美しいトータルフットボールが観てて楽しい
74年西独W杯でオランダが見せたトータルフットボールは世界のサッカーシーンに、衝撃を与えましたね。ACミランの監督だったアリーゴ.サッキが考案した、ゾーンプレスもオランダのトータルフットボールがヒントになっているそうです。余談ですが2004年中国代表の監督だったアーリーハーンは日本人選手のポテンシャルの高さに感銘を受けて、日本サッカー協会に日本代表の監督をやりたいと売り込みをかけていたそうです。
リアルタイムで見たかったなあどんな衝撃だったんだろう
観れなかった僕は凄く同意です。86年W杯あたりでもサカダイやサカマガでは最新扱いされてた記憶があります。82年のブラジル、86年のマラドーナが有耶無耶にしてその後のミランが(以降略
今回も興味深い動画ありがとうございます。'74W杯は戦術的にもエポックメイキングな大会だったと思われます。今ではまず語られることはないですが、'74年大会の最初の衝撃は、優勝候補筆頭に挙げられていたイタリアの一次リーグ敗退であったといいます。前回大会での準優勝、前年の好調さ(イタリア代表を率いたバルカレギ監督は’73年の欧州最優秀監督に選ばれていた)から、そう言われていたようです。が、大会が始まってみると国際試合12試合連続無失点記録を更新中だったGKゾフが最弱と目された中米ハイチにゴールを割られるなど、良いところ無く大会を去りました。カテナチオはW杯を掴むことが出来ず、プレッシングフットボールの台頭がサッカーの新時代を告げた大会だったと言えると思います。
オランダの解説に対し、アジカンさんはチェコeuro2004を思い出しました😂
優勝できなかった理由はクライフだけが異次元だったから、1クライフはフォクツのマンマークをうけ全く動けない状態、2ほかの選手が得点できればいいけどクライフと比べるともっさりした動きだった。また決勝にいけたことでクライフ以外満足してさまった。3西ドイツが自然とトータルフットボールができていた、ベッケンバウアーが監督より権力が上だったのもある
オランダには自分の目が黒いうちにワールドカップでもユーロでもいいので優勝して欲しいモノです。
オランダ74のサイドバックはあって、ないようなもんだね。いまでも手本になる。
きちんとグラディオラ監督に引き継いでますね
「無様に勝つより美しく…」クライフの有名な言葉として知られてるけど、元日本代表監督の岡田さんに言わせれば「負け惜しみで言ってるに決まってるのに、本気で信じてる選手がたまにいるんだよね」って言ってましたね。ミケルスは間違いなくサッカーの歴史に残る名将だけど、ドイツのケルンの監督に就任した時に、リーグ優勝ドイツカップ優勝に貢献した奥寺さんを試合でほとんど使わずに、事実上戦力外にした張本人だしね。時代的にしょうがなかったかもしれないけど、日本人選手に対する偏見があったととしか思えない。
イビチャ・オシムさんも自身の戦術等をミケルスさんが率いる当時のオランダを参考にしたのかも知れませんね。ピート・カイザーさんが選ばれなかったのはミケルスさんのスタイルに合わなかったからでしょうね…ドイツのオベラート(クライフ)とネッツァー(カイザー)の各氏みたいな関係性みたいですね。
あまり言われない話でいうとオシムさんの指導者時代の参謀で盟友が、クライフ在籍時代のアヤックス選手です。ハインツシルヒャー。1971-72、1972-73のアヤックス一員でレアルマドリード戦などに出場してます。オシムとシルヒャーが1976/77ストラスブールで2部優勝したときのがElekSchwartz。アマチュアの多かった時代のオランダ代表を率いていた監督。
東ドイツ戦の際、靴紐を結び直すために一旦、ピッチの外に出たクライフを東ドイツの選手がピッチ内からマークしていたそうです。
緩いグラウンドにスタッドの長いシューズに履き替えたんですね。
この動画に触発されて1974決勝視たら面白かった!と云うのが西ドイツも仕事人、職人揃いの個性派だらけで特にボンホフ、オベラーツが効きまくりでしたね、勿論クライフに試合通じて徹底的猟奇的マンマークした猟犬テリアベルティフォクツがMVP。オランダ代表はやや精彩欠きましたが前半終了瞬間ファネフェムが主審付近にボール蹴りつけクライフと共に烈しく抗議したシーンはオランダ代表らしいなあとインパクトありました
リアルタイムでこの決勝戦を観ていて、前半1分で思わず声が出た。それから50年以上クライフ以上驚かせる選手を見た事がない。
80年代からサッカーを始めた私には、クライフやベッケンバウアーは先生や先輩から語られるのみで、全く未知の領域で興味もあまりありませんでした。すでに数十年前にサッカーもヤメた令和な今、あらためてクライフと74年オランダの凄さを知るとは思いもしませんでした。ありがとうございます。
どんな競技でも、未来永劫語り継がれる「2位」はこのチームだけだろう。まさに空前絶後。
熱い動画、ありがとうございました。
2010JCのブエナビスタとか?
勝ったのは武豊騎乗のローズキングダムだけど、ブエナビスタ降着のJCと呼ばれることが多い
サッカーを「球蹴り」からワールドスポーツである『フットボール』にした張本人こそ彼ら74年のオランダ代表。クライフよ、永遠なれ。
Jリーグ発足の頃、当時高校生だった私は雨でサッカーの授業が中止になり先生の計らいで74年のワールドカップビデオを見せてもらいました。サッカー素人でしたがオランダチームの試合にとにかく凄い衝撃を受けました。
守勢から一転、一斉に攻撃を仕掛ける。全員攻撃全員守備。日本のレベルは20年以上世界レベルから遅れているんだなとすぐ理解しました。
子供の頃に、とにかくクライフに憧れた。
当時14番希望したら誰とも被らず楽々ゲット。
その後、数年で競争率UP。
人気番号と化してた。懐かしい。
中村憲剛の番号です。
背番号!10はサッカー界のレジェンドペレ選手、それに対して、ヨハンクライフは、自部だけの背番号14を広げてたったとか???❤
@@anneshirley7398 ナイスツッコミ
自分も部で14番希望したら何故か13番で悔しかった…(´・ω・`)
ミュラーだったから渋々我慢したのは青春の思い出です
クライフのプレーは、まるで現代のサッカー選手が
70年代にタイムスリップしてプレーしているみたいに異次元ですね。
今でも伝説の選手として語り継がれるのも納得。
おそらく現代に生まれても超一流プレイヤーだった気がする。
この頃スポーツニュースで見たクライフがカッコ良すぎて14番をつけたかったことを覚えています。
50年前に革命が起きていたんですねえ🎉中々優勝できないオランダですがいつもワクワクさせてくれて好きです🇳🇱
Nambaから出てた金子達仁の解説してた西ドイツ大会オランダ対ブラジル戦を穴が開くほど見ました。
有名なフライングダッチマン。
この時のオランダ代表は最高です❤
とても50年前のサッカーには思えません!サッカーの革命ですね🌟面白かった!
アジカンの曲を探していたはずなのに、なぜかサッカー動画に見てしまった…面白かったです
素晴らしいまとめありがとうございます。。
初めて見たヨーロッパサッカーが74年の決勝でした。それまで野球少年の自分が、試合直前のクライフを見て一目ぼれ。
こんなカッコいいいスポーツ選手がいるんだと驚きました。勝敗関係なく、クライフが強烈に印象に残りました。
74年の決勝で西ドイツに敗れたオランダ。その14年後のEURO88の準決勝で対戦したのは因縁の西ドイツ。場所は同じミュンヘンのオリンピアシュタディオン。そしてなんとPKで1点ずつを取るという奇跡的に似たような展開。ゲルト・ミュラーのゴールが決勝ゴールになった14年前とは逆に、ファン・バステンのゴールで雪辱。とても不思議な感じがしたものです。もし決勝だったらなおのことだったでしょう。
素晴らしい素晴らしすぎる動画です
1970年代からの「オレンジ軍団」のファンで、今回の
動画に感動しました。(クライフ大好き少年でした)
個人的に、オランダは才能溢れる自由奔放な選手の集まりで その才能が輝く時は素晴らしいのですが、反面 チーム内紛問題もよくあり 負ける時もあっさり
という感があります。(まあ そこも魅力ですが)
悲願のワールドカップ制覇をと 願って止みません。
ヨングブルートがタバコ屋さんだったという情報ありがとうございます。当時オランダの「ボール狩り」の場面にワクワクしたものでした。カッコよかった。
この大会でのクライフのユニフォームだけが3本線ではなく2本線であることがオランダサッカーのインパクトの一部を演出している⚽
そして、決勝戦の対戦カードもサッカーの神様の演出🇳🇱🇩🇪
プーマですね。
@@山岡士郎-b8i クライフが個人的に契約していたからと聞きました。
中学の時の監督はサッカー初心者てしたが、新人戦で負けたあとから指導方針を変えて出来たチームがまさにこのオランダのようなチームでした。
初心者なりにかなり勉強したんだろうなと今更ながら思う。
Brilliant wrap-up. Thank you for your marvelous summary of the Orange
私はこのワールドカップからサッカーに夢中になりました。
これだけやって凄い事を成し遂げた国で選手もいるのにW杯をまだ獲ってないのが本当に不思議。
ガキの頃から何故かナショナルチームで1番好きな国はオランダでした!
この特集!! 懐かしい、当時高校のサッカー部でした。
時は高校2年の一学期の期末テストの前日で、テスト休みで部活は休みでしたが、昼休み誰かが何気なく、
「今夜のワールドカップの決勝戦、見たいな」と言いました。
テスト前日でしたが、一人の部員の家へ部員の多くが泊まって、夜中の決勝戦を観戦することになりました。
決勝戦までのオランダのトータルフットボール(当時そう言ってました)が衝撃的で多くのメンバーがクライフのファンでしたが、ベッケンバウアーとゲルトミュラーのファンと2分していました。
翌日のテストは皆玉砕でしたが、部活ではクライフやミュラーの真似をしていました。懐かしい記憶です。
またまた涙ものの動画をありがとうございます!!
初めて知ることのオンパレードで,いやあ楽しかったです!
クライフに憧れて,私もプーマのスパイクを履いていました。
そう言えば,彼のユニフォームだけadidasの三本線ではなく,二本線の特別扱いでしたね。
名前にはよく聞くトータルフットボールをこれだけ詳しく聞いたのは初めてで、意外と日本にも関与のある人達がいるのも興味深いですね。これだけサッカーに変革をもたらしたのに優勝できなかったオランダの当時の試合をぜひ観てみたいと思いました。
当時サッカーを本格的に始めたばかりで、生でドイツ対オランダ戦の決勝を観た自分としては感慨深い話でした。オランダのサッカーとクライフ・ベッケンバウアーに憧れたものです。
この大会のあと、10番から14番に変えてもらった15歳の自分…
素晴らしい映像と解説をありがとうございます!
ヨハン・クライフ10代の頃は野球もやってたみたいね。
ポジションはキャッチャー
実はこの1974オランダは、1950年代に一世を風靡したマジック・マジャールのハンガリーをモチーフにしたんですよね。
ミケルス自身もそう語ってたそうです。
マジックマジャールをご存じの方も、ずいぶん少なくなってしまったでしょうね。間違っているかもしれませんが、マジックマジャールのフォーメーションは、今は誰も知らないWMだったように記憶しています。
@@吉川博明-p5u知っていたら博識のように見られるのは寂しさがありますね。
@@吉川博明-p5u そうですね!その陣形が、マジック・マジャールのイニシャルになってるのも面白いですね。
自分のチャンネル動画用に調べてたので、色々と驚かされました!
マジックマジャールのMMシステムですね。3-2-3-2
クライフやアリゴ・サッキは元気なときは監督をやっててほしかった。とてもみたかった。
20世紀のフットボールにおいて、大きな革新はオランダのトータルフットボールとミランのゾーンプレスと言われているとか…。オランダがワールドカップの優勝がないのが不思議ですね。
そのミランの背骨がオランダ代表の屋台骨であるフリット,ファン・バステン,ライカールトなのも面白いですね。
このおふたりが僕の言いたいことを全部言ってくれています‼︎
すっかり同じことを思いました😂
初めてワールドカップの決勝を生放送(衛星中継)したんですね。ダイアモンドサッカーと言う海外のゲームを放送していた番組の金子さんと岡野さんのコンビが解説していました。深夜ブラウン管の白黒テレビに噛り付いて見てました。クライフの訃報は大きな喪失感が有りましたね。
2次リーグの対東ドイツ戦。
クライフのマーク役だったコンラット・バイゼは、クライフがピッチの外で靴紐を結び直す際もその傍を離れなかった、
という逸話があるぐらい徹底マークしていたそうですが、それでもクライフを抑えきれなかった。
クライフは私の中で№1のプレーヤーです。
大好きだったブラジル代表が敗れたことはショックでしたが、74年大会のオランダ代表とクライフは本当に永遠に記憶に残るレジェンドだったと思います。
当時のサッカー少年はオランダ贔屓か、西ドイツ派かで大別されていたかのように思えます。
自然、ユニフォームの選択は贔屓表明の最たるものでありました。
詳しい解説、ありがとうございます。
この大会には、アヤックスのチャンピオンズカップ3連覇の立役者、フルスホフが怪我で参加出来ませんでした。
彼が出ていても優勝できたかどうかわかりませんが、本大会で見たかったです。
また決勝戦の出来がすこぶる悪かったのが悔やまれます。
クライフ
誰もがうっとりするような特別な響きを感じさせる言葉だ
今回も素晴らしい企画、ありがとうございます。
いやー懐かしい話ですね。空飛ぶオランダ人ヨハン-クライフかっこよかったー😊14番欲しかった。ジャンケンで負けて15番ですわ。メキシコ五輪の釜本番号よりクライフ番号が、、、。
現代フットボールの始まりが74年のオランダ。
現代の戦術を遡っていくとオランダに辿り着く事が多い
古典的なイングランドサッカーでもなく、個人技のブラジルサッカーでもなく、このトータルサッカー(プレッシングフットボール)こそが、私の見てきたサッカーの『原点』です。
インターセプトされた時にポジションに戻らず、ボールに近い選手による「ボール狩り」から始まり、スペースに追い込み2人3人とプレスをかける。 奪い返した時には数的優位が生まれている。 ゲームメーカーではなく「ボールを奪い返した選手」から攻撃が始まる。 つまり誰もが守備力が必要だし、誰もが攻撃の起点となる。 これがトータルサッカー(プレッシングフットボール)と言われる所以だ。 新鮮だった! 実際はピッチ上に「Jクライフ」という卓越した指揮官(監督)が必要だった。
この様に、外から見ていると「未来のサッカー」で魅了させてくれた1974年のオランダでしたが、選手間では心の隔たりという亀裂を生じていたとか。 クライフが異次元過ぎたのだ。
クライフは1978年アルゼンチン大会本戦出場切符を最後に僅か30歳で代表を去る。 「W杯は一度で十分」という名言を残し代表に復帰する事は無かった。 「1978年のW杯に出ていたら・・」歴史は変わっていたのかも知れない。 今日的に言えば、年齢的にはあと2回は出られた事だろう。 後年、「スターによるスターの大会」と呼ばれた1982年スペイン大会でも、クライフは現役の35歳だった。 オランダは欧州予選で敗退していたけれども。。
「凡将は過去のサッカーをみせる、名将は未来のフットボールをみせる」
ニースケンスは35年前くらいに国立で行われたマスターズサッカーで知りました。体もそんなに大きくなくテクニックがある選手だと認識していました。他にティガナ、ジレス、プラティニもマスターズサッカーに参加していたのを思い出します。
ニースケンスはスポーツ万能でテニスや野球もプロ並みに上手かったそうです。
器用で運動神経抜群だったんだね。
クライフは美しんだよ
アジカンさんいつもありがとう😊
ワールドカップで優勝した西ドイツ代表のベッケンバウアーより、準優勝に終わったオランダ代表のクライフの方が評価が高い事が、全てを物語っている。
ヨハン・ニースケンスさんの訃報が入りました。トータルフットボールを体現する名選手でした。どうか安らかにお眠りください
カッコいいよねぇ
優勝してほしかったな…
クライフ先生にとって
家族と離れ離れになるW杯は一度きりで
たくさんだったそうです。
トータルフットボールがオランダから。。。というのは知ってましたが、こういうことだったんですね。。。
凄くよくわかりました!
子供の頃に所属していたサッカークラブのユニがオレンジでした。
当時は海外サッカーの事をほとんど知らなかったから何でオレンジ?と思っていました。
自分らより上の世代のユニがシャツ黄色パンツ青のブラジルユニで、兄貴のお下がりで練習で着てくるのが何人かいて、流石にブラジル代表は知っていたのでそっちの方がカッコ良くて羨ましいと思っていました。
後々オレンジのユニがオランダ代表のユニだったというのがわかって、一方的な親近感を抱いてオランダ代表が好きになりました。
カタールW杯でメッシのアルゼンチンと当った時はどっちを応援するか悩んだけど、オランダ代表は自分の命ある限りこの先何十年と見続けることが出来るけど、メッシのW杯は今回で最後だろうと思ったので、アルゼンチンの方を応援しました。ごめんなさいw
オランダのサッカーには目を奪われました。現代サッカーの基となる全てを備えてたと思います。フライング・ダッチマンはバックスの守備の位置から飛び込んだものです。「え?なぜ?」と目をこすりました。史上最高の選手は今でもクライフと答えます。
次はサッキのミランのゾーンプレスにピックアップして欲しい
全員攻撃、全員守備、魅せるサッカー。トータルフットボールはフットボールの理想形だと思います。個人的には強烈な長距離砲放つアリー・ハーンが好みです。
トヨタカップに来た時のリトマネン中心のアヤックスと戦術が似てるね、伝統だね
この時のアヤックスは先祖返りとでもいったような感がありました。この試合、既に引退していたライカールトがスタンド観戦していました。
当時のオランダは、ミケルスの戦術をよく知る、アヤックスの選手が中心でした。好みの選手はロブ・レンセンブリンクでした。オランダは、次回の1978年のアルゼンチン大会も惜しくも準優勝でした。
クライフがバルサの監督の時
自分に似た華奢だけどパスの上手い選手を2軍で見て抜擢した
その選手がペップ
現代サッカーの斬新な戦術家の誕生にも寄与している
クライフはもちろんですが,78年にも大活躍したレンセンブリンクに憧れていました。
ダーヴィッツは運動量はすごかったです。
ユーベでのプレーが印象的です。当時のアヤックスのメンバーは最強だったと思います。
フィンランドの英雄リトマネンの特集も見たいです。
年代が違うので、勝手なイメージでクライフはMFだと思ってました😅いつも興味をそそる語り口で今回も本当に面白かったです😊
60年代はさすがに時代が違い過ぎると思うけど、70年代80年代には現代でも通用するんじゃないかってモンスターが何人かいると思う。その1人は間違いなくヨハン・クライフですね
ロマーリオ、グアルディオラが現役の頃、監督時代でも別格で巧かったと口揃えて語られており、身体能力も圧巻。
脳は現代フットボールの全てがつまってる。
圧倒的…
サムネに時計じかけのオレンジが!
ヤンセンは浦和でヘッドコーチもしましたね。監督はオフトでした。
戦術戦法も衝撃的ですが見た目佇まいが雑な長髪の゙戦士達がユニフォームだらしなくラフに着て走りに走る、何とも底しれぬ魅力溢れて居ました。にしても今世紀オランダ代表は長髪グーリットダービッツもいますがロッベンスナイデルみたいな髪型の主力もいて😅多様化時代の反映でしょうか😂
あの決勝だけ茶番なのかと疑いたくなる。それほど当時のオランダサッカーは、イノベーティブでした。
初めて観た。
凄い映像だ…
ウイイレのオランダクラシックにいた、クロルやニースケンスとか名前しか知らなかったので参考になりました。74年メンバー分かって面白かったです!
戦術が発達すればそれを打開する個の技術も発達する.その繰り返し
ミケルス→クライフ→グアルディオラと継承されてますが誰もが走らせる、ハードワークを前提としたやり方なんですよね。
グアルディオラ「(僕のサッカーの)デッサンはクライフ」
W杯‘74年大会決勝戦が日本で初、生中継で放映されたのは、当時ひとつの事件であった。
当時東京12チャンネルのダイヤモンドサッカーが世界のフットボールを紹介(当初はイングランド一部リーグ戦が主体)してくれる唯一の番組だった。
現代であれば南米欧州のプレーは身近に視聴可能だが、当時この番組はまさに長崎/出島のオランダ的存在そのもの。
その生中継の決勝戦に進出したのが伝説的なオランダだったのは不思議なご縁というしかない。(日本人の勝手な思い込みです)
実際にオランダの衝撃的な戦術の凄さを味わったのは一次・二次リーグ戦が後日、当番組で放映された時だった。
日本のア式フットボールが真の黎明を迎えた記念碑的な番組だったことは間違いない。
もうひとつ、感慨深いのは優勝した西ドイツについて。
まさかそのドイツに先のW杯で勝利を挙げることが出来るなど、当時誰が想像したろうか。
クラマー氏の日本代表のコーチ就任、そして日本人選手をブンデスリーガに受け入れてくれる等、ドイツには大恩を受けている歴史がある。
そしてW杯本大会でこれ以上無い形での恩返しが出来たものと感じている。
この勝利に決して驕ること無くひたむきに質の高いプレーを目指して今後も闘って貰いたい。
FIFAの定める順位はもちろん選手たちの地道な努力の結果であるものの、次の勝利を約束するものではない。
隣国の様に対戦前から相手の順位が下と見て侮る風潮が、日本のメデイアやフアンの間にも見られるのは残念な事だ。
過去の戦績など、次の戦いの勝利を何ら保証するものではないのだから。
特に、準決勝リーグ初戦の対アルゼンチン戦での雨の中での4得点は凄まじい~⚽
ミランのサッキ監督もオランダのトータルフットボールを模倣としたらしいですね。
決勝はフォクツがクライフにマンマークに付くことにより、即興で西ドイツもトータルフットボールになったと言われてます。
フォックがクライフから奪うことは、従来のディフェンスラインでボール奪うとは違い、それこそがプレッシングになります。そしてフォクツのポジションの穴を埋めることで、西ドイツもポジションが流動的になり、オランダも混乱したと言われています。
同じような戦術なら、歴代でも最強クラスのタレントを揃える西ドイツが勝つのは必然だったかもしれません。
この決勝が、サッカーを新しいステージに上げた試合かもしれません⚽
オランダは敗れたが勝利したのはオランダのサッカーだったと言えるかもしれませんね。
2002、日本でオレンジのユニフォーム観たかったですね。
最近78年のクライフ抜きで南米で決勝まで行ったのは凄いのではと思いました
それにしても04ユーロでオランダを葬ったチェコのユニフォームとは😂
ヨハン・クライフとは渋いですね
リアルタイムで見てないですがフットボールを大きく変えたとか
クライフターン練習したっけなあ
時計仕掛けのオレンジ
背番号14は永遠の憧れ
1974年ワールドカップのオランダだけでなく、礎のオランダのアヤックス・アムステルダムは1970-1971、1971-1972、1972-1973シーズンと欧州チャンピオンズカップ3連覇を果たした。
後にフランツ・ベッケンバウアー擁するバイエルン・ミュンヘンが3連覇を果たす。1974年、ベッケンバウアーにとってはワールドカップとチャンピオンズカップを獲得。それでもバロンドールはベッケンバウアー...ではなくヨハン・クライフが獲得した。それだけ、オランダのほうがインパクトがあったからといえる。
1969ー70年にはフェイエノールトが先陣を切ってチャンピオンズカップに優勝、勢いのままインター・コンチネンタルカップも制した。アヤックスもインターコンチネンタルカップに優勝している。オランダの躍進が始まったときでした。
78アルゼンチンW杯出場辞退は、「奥さんが出るな」、バルセロナ監督時にCL決勝戦前に「ミランにレッスンを講じよう」だが 0−4の敗退にモウリーニョも、そんな昔話しは聞きたくない... 「ボールは疲れない」の戦術は ミケルス師匠との名言だと思います。
4年後のアルゼンチン大会のクライフのいないオランダなんてレップやハーンが何10mもの距離から強引にロングシュートを決めたりして決勝まで勝ち上がったが、74年のオランダは強引にゴールを決めようと思えば決められる選手がいたのに敢えてシュートを打たずにパスをつないでいたということになる。
これはクライフのポゼッション重視の思想がチームに影響を及ぼしていたわけか。
中長距離からのシュートを打つ場合は他に有効な選択肢(オープンスペース)が少なかった為と思われます。ゴールに近づけれるならなるべく確実性の高い近距離でシュートを放ちたいですからね。
@@惟任日向-r5d クライフもファンハネヘムもいなくてもオランダにはまだ武器が残っていた。
日本代表にはそんな武器は最初からないけどな。
小学生の頃クライフターンを必死に練習していざ試合になったらDFが全然引っかからなかった苦い思い出があります😂でもオランダ好きだったな。
オランダがW杯優勝なしが信じられない。
各時代に歴史に名前を残す選手ばかりです。
1984年のクライフしか見てないですが、オランダ史上最高のフットボーラーだと思っています
私もクライフをリアルタイムで見たのは、選手晩年にオランダに戻ってからのことでした。
プレッシングで世界のサッカーを根本から覆した1974オランダ代表。しかし、プレッシングの流れを頑なに拒んだ国が決勝でオランダに勝った西ドイツである。西ドイツはこれ以降も『サッカーは1対1の勝利を積み重ねてゴールを奪う』という伝統のサッカーを続けた。 そのあと、1980年に監督のミケルスは1FCケルンの監督に就任。奥寺と当時飛ぶ鳥落とす勢いだったシュスターを構想外としたのだ、運動量の少ないシュスターはわかるが、GK以外どこでもこなせて戦術理解度が高い奥寺を手放したのはミケルスのミスである。結局奥寺はヘルタ・ベルリンを経てヴェルダーブレーメンへ移籍、シュスターはなんとかつてミケルスが指揮をとったFCバルセロナへ移籍する。
もし、奥寺がミケルスの下でやっていたら…少し想像してしまった。
因みに奥寺さんはヴェルダーでブンデスの年間ベストイレブンに選ばれ、西ドイツ代表に呼びたい選手という有難い評価を頂いていましたね。
74年のオランダ、82年のブラジルは正に夢のチームでした。
PKをど真ん中に蹴るニースケンスにはびっくりした思い出が。
クライフは私の中ではサッカー史上、最高にカッコいい選手ですね。
多少盛っているだろうけどバルサの監督を務めていた時のストイチコフとのFK勝負の話が好き
クライフがカッコ良すぎてずっと14番つけてた。アジカンさんチェコのユニ着用ですか??
30年近く前にトヨタカップでアヤックスが来日した時に紹介VTRで70年代の全盛期に戻った!とオランダ人が言ってたの思い出した!
今でもオランダのサッカーは日本の目指すべき所にあると思う。フィジカル重視、縦に早いサッカーより美しいトータルフットボールが観てて楽しい
74年西独W杯でオランダが見せたトータルフットボールは世界のサッカーシーンに、衝撃を与えましたね。
ACミランの監督だったアリーゴ.サッキが考案した、ゾーンプレスもオランダのトータルフットボールがヒントになっているそうです。
余談ですが2004年中国代表の監督だったアーリーハーンは日本人選手のポテンシャルの高さに感銘を受けて、日本サッカー協会に日本代表の監督をやりたいと売り込みをかけていたそうです。
リアルタイムで見たかったなあ
どんな衝撃だったんだろう
観れなかった僕は凄く同意です。86年W杯あたりでもサカダイやサカマガでは最新扱いされてた記憶があります。82年のブラジル、86年のマラドーナが有耶無耶にしてその後のミランが(以降略
今回も興味深い動画ありがとうございます。'74W杯は戦術的にもエポックメイキングな大会だったと思われます。今ではまず語られることはないですが、'74年大会の最初の衝撃は、優勝候補筆頭に挙げられていたイタリアの一次リーグ敗退であったといいます。前回大会での準優勝、前年の好調さ(イタリア代表を率いたバルカレギ監督は’73年の欧州最優秀監督に選ばれていた)から、そう言われていたようです。が、大会が始まってみると国際試合12試合連続無失点記録を更新中だったGKゾフが最弱と目された中米ハイチにゴールを割られるなど、良いところ無く大会を去りました。カテナチオはW杯を掴むことが出来ず、プレッシングフットボールの台頭がサッカーの新時代を告げた大会だったと言えると思います。
オランダの解説に対し、アジカンさんはチェコ
euro2004を思い出しました😂
優勝できなかった理由はクライフだけが異次元だったから、
1クライフはフォクツのマンマークをうけ全く動けない状態、
2ほかの選手が得点できればいいけどクライフと比べるともっさりした動きだった。
また決勝にいけたことでクライフ以外満足してさまった。
3西ドイツが自然とトータルフットボールができていた、ベッケンバウアーが監督より権力が上だったのもある
オランダには自分の目が黒いうちにワールドカップでもユーロでもいいので優勝して欲しいモノです。
オランダ74のサイドバックはあって、ないようなもんだね。いまでも手本になる。
きちんとグラディオラ監督に引き継いでますね
「無様に勝つより美しく…」クライフの有名な言葉として知られてるけど、元日本代表監督の岡田さんに言わせれば「負け惜しみで言ってるに決まってるのに、本気で信じてる選手がたまにいるんだよね」って言ってましたね。
ミケルスは間違いなくサッカーの歴史に残る名将だけど、ドイツのケルンの監督に就任した時に、リーグ優勝ドイツカップ優勝に貢献した奥寺さんを試合でほとんど使わずに、事実上戦力外にした張本人だしね。時代的にしょうがなかったかもしれないけど、日本人選手に対する偏見があったととしか思えない。
イビチャ・オシムさんも自身の戦術等をミケルスさんが率いる当時のオランダを参考にしたのかも知れませんね。
ピート・カイザーさんが選ばれなかったのはミケルスさんのスタイルに合わなかったからでしょうね…
ドイツのオベラート(クライフ)とネッツァー(カイザー)の各氏みたいな関係性みたいですね。
あまり言われない話でいうとオシムさんの指導者時代の参謀で盟友が、クライフ在籍時代のアヤックス選手です。ハインツシルヒャー。1971-72、1972-73のアヤックス一員でレアルマドリード戦などに出場してます。オシムとシルヒャーが1976/77ストラスブールで2部優勝したときのがElekSchwartz。アマチュアの多かった時代のオランダ代表を率いていた監督。
東ドイツ戦の際、靴紐を結び直すために一旦、ピッチの外に出たクライフを東ドイツの選手がピッチ内からマークしていたそうです。
緩いグラウンドにスタッドの長いシューズに履き替えたんですね。
この動画に触発されて1974決勝視たら面白かった!と云うのが西ドイツも仕事人、職人揃いの個性派だらけで特にボンホフ、オベラーツが効きまくりでしたね、勿論クライフに試合通じて徹底的猟奇的マンマークした猟犬テリアベルティフォクツがMVP。オランダ代表はやや精彩欠きましたが前半終了瞬間ファネフェムが主審付近にボール蹴りつけクライフと共に烈しく抗議したシーンはオランダ代表らしいなあとインパクトありました
リアルタイムでこの決勝戦を観ていて、前半1分で思わず声が出た。それから50年以上クライフ以上驚かせる選手を見た事がない。
80年代からサッカーを始めた私には、クライフやベッケンバウアーは先生や先輩から語られるのみで、全く未知の領域で興味もあまりありませんでした。
すでに数十年前にサッカーもヤメた令和な今、あらためてクライフと74年オランダの凄さを知るとは思いもしませんでした。
ありがとうございます。