ストイコビッチの凄さたるや!ユーゴラスラビアのベストイレブンがこれ!サビチェビッチ オシム ミハイロビッチ【海外サッカー】伝説の歴代スーパープレー&ゴール Yugoslavia XI●クロアチア代表
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- Опубликовано: 5 июл 2024
- ストイコビッチに天才サビチェビッチにミハイロビッチ…かつてあった国、ユーゴスラビアの歴代ベストイレブンを誠に勝手ながら作成してみました。
1987年のワールドユースを制し、1990年のワールドカップでは惜しくもPK戦で敗れるもベスト8。
翌年には国内最大のクラブ、レッドスターがチャンピオンズリーグを制し、クラブ世界一決定戦でも勝利。
その後、多くのプレーヤーがビッククラブに引き抜かれ、プロシネツキはレアルマドリードで10番、サビチェビッチはACミランで10番を背負っています。そして監督はあのイビチャ・オシム。
ただ、内戦による制裁から1992年の欧州選手権は出場取り消しに(予選では圧倒的な強さを見せていました)。そして皮肉なことに、代替出場のデンマーク代表が優勝。
もし解体していなかったらどうなっていたのでしょう。
モドリッチ擁するクロアチアは、ロシア・ワールドカップで準優勝に輝き(カタールワールドカップは3位)、セルビアも単独でW杯に出場しています。
今回の私の勝手な選考基準は、1987年から1998年あたりに活躍したプレーヤーに絞らせていただいています。
ちょっと長い動画になってしまいましたが、最後まで観ていただけると幸いです。
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0:00 オープニング
0:48 ユーゴスラビア ベストイレブン
ASIAN KUNG-FU FOOTBALL
#ストイコビッチ #サビチェビッチ #ベストイレブン #オシム #ミハイロビッチ #ユーゴスラビア #クロアチア代表 #海外サッカー - Спорт
やっぱり、私はこの時代のサッカーが好きだな。と改めて感じさせられました。この時代のサッカーには、世界情勢などの時代背景も相まって、国としての歴史やプライド、そして選手個々の自我など単なる一つのスポーツではなく、チーム自体にイデオロギーを感じさせてくれました。たった一つの勝利やゴールに国の希望を、そして人々に勇気を与えてくれました。
一つの素晴らしい映画を見たような気分です。ありがとうございました。
共産主義圏では、言論統制など自由が無かったのでサッカーが唯一の娯楽や遊興でした。だから、実利より魅せるテクニシャンやファンタジスタが好まれたのです。OK BOY? P.S.「イデオロギー」って何?
とにかくすべてにおいて技術が高く、憧れのチームでした🤩
世代ど真ん中なので、たまらない企画でした。ヤルニ、ボバンが入ってて嬉しいです。
そして最後のオシムで涙。
綺羅星のごとく個性派が集まり、こんなにロマン溢れるベストイレブンは後にも先にもないような気がします。
だね!綺羅星だね!
今のフットボール(サッカー)は10番タイプのファンタジスタは絶滅危惧種で水を運ぶ人(ポリバレント)ばかりになってる事をオシムは惜しむのでしょうか?
オシム監督が日本が世界で戦うために必要な、走るサッカーが今まさに花開いてますね。
日本に来てくれてありがとう、イビチャオシム。
逆に、今の代表には小野伸二や中村俊輔や中村憲剛の様な生粋の10番のファンタジスタが絶滅危惧種ですよね。イビチャ氏が言う所のポリバレント(水を運ぶ人)ばかりになってサッカーが退屈になった皮肉をあなたはどう思いますか?
98年に日本対クロアチア、ドイツ対ユーゴを現地で観戦しました。歴史を感じますね。
タラレバを語りたくなるメンバー
そしてその中に日本と深い関わりのある2人
日本サッカー永遠のタラレバはオシムさんが元気だったら・・・😢
僕らの心に永遠に忘れないものが残っただろうな
パンチェフ、ボクシッチを忘れず名を出してくれて、ありがたい。
さすが、アジカンさん👍️
ワイもボクシッチは思った。
チヤモツトやシニョーリ、カシラギとのラツィオ時代が印象!
納得のメンバーですね。オシムさんと言えば90年ワールドカップ初戦の話が真っ先に浮かびます。多民族国家のユーゴスラビアの代表監督。本当に纏めるのが大変だったのでしょう。
オシムさんなら、このスター軍団をも上手くまとめたでしょうね
そして、メディアの意見に聞く耳もたず、スターをただ並べるだけでなく絶妙なバランスを見つけて起用したでしょうね
レアル、バルサ、ミランの10番が揃ってることも凄いしそれらを凌いでストイコビッチが10番を付けてたのも凄い!この時代のユーゴ選手は少なからず戦争の影響や差別を受けてるのが悲しいですね。たらればだけどユーゴドリームチームはこの時代のサッカーファンならみんな夢見たはず
いい事言うね!同感👍
レアルバルサミランの10番を差し置いて名古屋グランパスエイトの10番が代表10番ってとんでもない話ですよね。
@@user-on8eg4xe7d 当時のストイコビッチの年俸が3億円くらいで安いと思った。アーセン・ベンゲルがアーセナルに連れて行きたがってたけど今思うとグランパスに残ってレジェンドになったのは性快かも知れないと思う。
まさにドリームだよね。優勝狙えたよ。
何で旧ユーゴスラビアはあんなにサッカーが強かったんだ?非民主政治で、サッカー強化特化政策なんか採用してたのか?非常に不思議だ。あと「ビッチ」ってのを聞くと遊女を想起してしまうのよ。
マジでピクシーは最高でした‼️
よくぞ日本に来てくれた‼️
名古屋サポではないですが
ピクシーのplayを観るのが
大好きでした‼️
この次期の東欧の選手は実に個性的で魅力的な選手ばかりで、旧ユーゴだけでも話は尽きないのに、ルーマニアにはハジがいて、ブルガリアにはストイチコフがいる。ほんとやべーわけで…
それでもオシム氏の言葉を借りるけれど、水を運ぶ選手を体現したユーゴビッチが好きだったなあ。
共産主義圏では、言論統制など自由が無かったのでサッカーが唯一の娯楽や遊興でした。だから、実利より魅せるテクニシャンやファンタジスタが好まれたのです。OK BOY?
オシムジャパン、ワールドカップで見て見たかったなぁ。
ピクシーがJリーグに来た時の華麗なプレーは今でも忘れない。
オシムさんが死んだのを惜しむ。ホントーにオシムジャパンでのW杯が観たかった。イビチャ氏は歴代の指導者でも屈指だと思う。
第二次岡田ジャパンが南アにベスト16に行けたのは弱者のサッカーに徹したから
オシムのチームで同じように出来たかと思うと疑問
ただパラグアイ戦でどんな采配を見せるのか、気になるところではある
ホント凄い面子。
こんなファンタジスタが揃う事ってないよ
共産主義圏では、言論統制など自由が無かったのでサッカーが唯一の娯楽や遊興でした。だから、実利より魅せるテクニシャンやファンタジスタが好まれたのです。OK BOY??
51歳です。未だに92年ヨーロッパ選手権でユーゴ代表が見たかったとつくづく思います。
この時代のユーゴの選手の中でもピクシーがNO.1だったと思います。次点にプロシネツキ。
優勝してたんじゃないかと思えるメンバー
本当噛み合えば優勝もあり得た
トヨタカップで来たユーゴのベオグラード・レッドスター
サビチェビッチが退場になっても攻め続けて、相手をコロコロッとねじ伏せた
ホントに強かった!
チリのコロコロとかけたわけですね!
サビチェビッチ、ストイコビッチ、プロシネツキ…ワールドクラスのファンタジスタが3人。しかも全員同時に出場したことがあるとかなんて贅沢な…。攻撃的MFとFWの人選については全く異存はありません
プロシネツキが1番。映像観なよ。フットサル選手みたいな足技を使う。ディスティファーノよりもペレよりもマラドーナよりもメッシやクリスティアーノロナウドよりもロナウジーニョよりもうまい。比較できるなら90年代のコジョンスやロナウド、南米ブラジルリーグで活躍した元チリ代表のヴァルディビア。
@@halumi2002 誰かと比べて「あっちの方が上だ」っていうレトリックや論法を用いてマウントを取る方はかなりの確率で嫌われます。つべコメはともかくリアルで同様の論法を用いるのは忌避しましょう。嫌われたいのなら別ですが。
映像で比較しただけだから気にしないで。
解っているとは思いますが、当時ユーゴのメンバー凄いのは3人どころじゃないですよね。
各ポジションに揃えていて控えもワールドクラス。94年WC出場していたら優勝候補だったでしょう。
当時はロシアもレギュラーがボイコットしましたけど。他チームもギッグス、ゾラ、ファンバステン、ライー、ラカトシュなど凄い選手をもっと試合で見たかったですけどね。
@@user-pu8qs7sp6g 「分かっていると思いますが」というレトリック(修辞)は「あなたは分かって無いので、分かってる私が教えて上げますよ。」って意味です。余り好ましくないと思いますよ。
好きな選手ばかりだけど、ユーゴビッチを挙げてくれたことが嬉しい
他のチームなら主役になり得る巧さを持ち、献身性と泥臭さを兼ね備え、中盤ならどこでもこなせた戦術眼と、反則的なMFでした
1997-1998シーズン、リーグ連覇を狙うユベントスの苦しいシーズンの始まりがユーゴビッチ放出だった...。
そこでユベントスはACミランからエドガー・ダービッツを獲得して安定を取り戻し、リーグ連覇を果たすも、チャンピオンズリーグ決勝では再び敗れてしまう...。優勝を果たしたのはミヤトビッチが決勝点を決めた32年ぶりのレアル・マドリードだった。
まさにドリームチーム、サッカーファン全てに夢を魅せてくれるそんなチームになっていたことでしょう。ストイコビッチの「NATO STOP STRIKES」のシャツは今でも忘れません。あのチームの消滅はサッカー界における非常に大きな損失だと思っています。EURO2000のスロベニア戦はテープが擦り切れるほど見返した覚えがあります。ピクシーは本当に大好きな選手です。素晴らしい動画でした。ありがとうございます。
NATO(北太平洋条約機構)は何故コソボ紛争に介入して爆撃したの?ウクライナ紛争で明らかに国際法違反をしている侵略国家のロシアに対しては、ウクライナへの軍事支援しかしないのに。ピクシーが得点した際にユニフォームを脱いで当該メッセージの付いたシャツをあらわにしましたがそれで極めて不快になった人が居る事も忘れてはいけません。認知度の高いインフルエンサーとしての振る舞いとしては不適切です。一サッカー選手がでしゃばる事柄では無いです。」
ユーゴは本当に、何故か心に深く残る選手が多く居る不思議な国ですね。
目の付け所が流石です。
ホントーに大切な物は無くしてから気付くモノなんだよ。
タレント集団とはこのユーゴスラビアの為にある言葉じゃないですかね。サッカーのスタイルもインテリジェンスに富んだ魅力溢れるものです。サッカー好きな人間にはこれ以上ない美しいフットボールの表現をできる役者揃いですよね。それだけに内紛が悲しく憎いです。でも先人の蒔いた種は確実に育っているはずです。更にその魅力的なチームに我が日本代表が勝利する日を期待したいです。
私はミヤトビッチが好きでしたね。フィオレンティーナ時代は怪我に泣かされてましたね。レアル・マドリー時代が好きでした。
ユーゴがワールドカップ優勝する姿が見たかった
1994年はマジで優勝を狙えたと思う。
日本代表でも、オシムの走るサッカーもっと見たかった‼️
うわぁ!!
めっちゃ良い企画だぁ。。。
ありがとうございます!!
ディフェンスでは幻ですがセルビア人のベロデディチを入れたいです。
セルビア人ながらルーマニア代表を選んでしまったためユーゴスラビア代表にはなれませんでしたが、1986年にルーマニアのステアウア、1991年にレッドスターでチャンピオンズカップ制覇に貢献、東欧のベッケンバウアーと呼ばれた名リベロでした。
ストイコビッチは、ユーゴスラビアのスターだ‼️
名古屋に住んでる時の、学区内にストイコビッチの家(少し多きな3階建てくらい?)の建物があって部活の帰宅途中にセルシオに乗ったストイコビッチが通り過ぎました。ドラガンは名古屋の英雄です。言いたかったのはそれだけです。
ボバン、大好きだった選手の一人です。98のボバン対ジダン、本当にしびれました。ボバンのミスが敗退に繋がってしまった。これもまたドラマでした。
プロシネツキの異名(バルカンの黄金銃)はサッカー史上で一番好きかもしれない。言葉の意味は分からないが、とにかくものすごい自信だ!って感じです。
動画では紹介されていませんが、ヤルニの「左サイドの速射砲」という異名も好きです。
当時、サッカーダイジェストがつけた異名ですね。
足裏で引くフェイントがピストルのトリガーに似せて、引いて放つ!かつ、あの金髪なので、バルカン半島の黄金銃でしたね🙂
ありがとうございます!
日本限定のニックネームだとは意外です。しかもちょっと強引。でもカッコいい!ありがとうございます。
熊手の脚を持つ男なんて言われたりもしてたな。
この頃の旧ユーゴの選手は本当に皆凄かった。天才だらけ。
東欧のブラジルと言われてたけど、この時代に限っては正直ブラジルを凌駕してたと思う。
ストイコビッチやサビチェビッチは言わずもがな、ボクシッチやミヤトビッチが好きだったな~。
あと何気にサラゴサ(だったかな?)にいたミロセビッチもゴツくて足元上手くて好きだった。
素晴らしい企画!!
内戦さえ無ければ、1992年のユーロ、1994年のワールドカップも、より面白かったのかなと思うばかり。
ドゥンガ 『やあ、久しぶり。もし君たちが出ていれば、我々も分からなかったな』
ワールドサッカー界復帰直後、『再出発』として行われたブラジルとの親善試合前の主将挨拶にて、『彼』がストイコビッチにかけたコメントの内容からして、94アメリカ大会覇者の関心と認識が顕著であり、リップサービスではない『本心』が込もっていた模様か。どちらかといえば、奴等が出なくて命拾いしたという『安堵』の色が窺えるのかも。いかに『プラーヴィ(青)』が時代を通して、世界的に多大な影響力を与えているかの証左ですね。
'90年W杯で言えばどうしてもMVP級の活躍を見せたピクシーや困難な状況で監督を務めあげたオシムに注目が集まるけど、若きタレント集団の中でベテランの存在感を見せたスシッチを忘れてはいけない。
ボスニア出身で派閥争いでは常に不利な立場でありながら、圧倒的なスキル(当時のユーゴの中で!)で絶対的な主力として長きに渡ってユーゴ代表に君臨した名手。
ストイコビッチのプレーをスタジアムで見れたのは嬉しかった
私にとって歴代最強国はオシムの率いるユーゴスラビアです。そのユーゴスラビアを特集してくれたことに感謝です。
旧ユーゴは本当に凄かったですね!
ピクシーもサッカーで悔いに残ってるのは94年ワールドカップに出れなかった事だったらしいですね!
本当に見たかったです!
サビチェビッチが代表で10番を付けるのですか?と記者に問われた時に、代表の10番を付ける選手は日本に居ると言ったエピソードがピクシーの存在感の大きさを物語ってる
いやー、アジカンさん、今回の動画、サイコーですわ⤴️⤴️(下から目線で)
軽~く神回‼️
日本人には、なかなか理解しづらい、同じ国での、民族同士の対立ですが、おのおのの言い分があるのでしょう。
ユーゴスラビア代表、大好きでした。
1990イタリアW杯のユニフォームも👍️😮
凄いチーム。
夢のチーム。
メンツがとにかくすごい😊
小さな国にあんなに天才ばかり揃ってたのは凄い。分裂しても結構強いし。
旧ユーゴにおれるスポーツと政治は私の論文のテーマでした。
夢のイレブンは私が思い描いたモノそのものです。
昔を思い出し感動しました。ありがとうございます。
これを毎回ワールドカップの度に思い出す…
この世代のプロシネツキ率いるユーゴスラビアのユース代表がブラジル代表たちも圧倒して余裕で世界一位を獲っていざそのメンバーでワールドカップて時に戦争に運命を変えられた幻のドリームチームだもんなー
日韓w杯でクロアチアが富山でキャンプしてて練習試合を観た事がありますが、ヤルニの快速っ振りはホンマ凄かった!
オシムが全部持ってった感じすね。
素晴らしい動画でした。
幻であり不運なチームですね。
ボクシッチやオシムの話も含めて全部伝えましたね。
昔スルナとかもいましたね。
今でもユーゴだったら末恐ろしいチーム。
ユーロ96で初めてスーケルを見て、絶妙なトラップからドリブル、シュート、何度もビデオを見返してました。
海外のサッカー事情がなかなか入って来ない時代、イタリアワールドカップ(1990)のストイコビッチは衝撃的だった。特にスペイン戦での1点目、キックフェイントからの得点は子供ながら度肝を抜かれた。
今回のベストイレブン、異論は特にありません。
ストイコビッチ選手のワールドカップのシュートすごいです
ユーゴ好きでした。歴史にもしはつきものですが、ユーゴが92年ユーロに出たら、、、と思います。
ユーロに『代替出場』し、『覇者』となったデンマーク🇩🇰の主将はミカエル・ラウドルップ。そんなラウドルップが後に神戸移籍し、奇しくも『名古屋の10番』として日本のJ リーグで相対することとなった訳だが、互いに内心では『別の意味合い』で、決して譲れない葛藤があったに違いない『因縁のカード』だったように思えます。
好きだったアサノビッチ、シミッチ、スティマッツらが入れる余地が無いホント当時人材の宝庫だったなぁ😮
ストイコビッチは絶対ヨーロッパでずっとやっていたらバッジョ以上の知名度だった。ずっと前から言っています。日本のサッカー界や日本人がJリーグで見て目に焼き付けられたのは永遠の財産👍
アスプリージャが爆走してるときに後ろから余裕で追いついたヤルニ見た時はマジ笑ったわ。
久しぶりにキター🎉
楽しみにしてますよ☀️
東欧のブラジルと云われたユーゴスラビアの選手は、戦術を持って生まれて来ると言われたくらいに、戦術理解度も高かった。
テクニックも素晴らしく、才能だけならワールドカップ優勝も狙えた戦力が揃っていたが・・・。
試合終了のホイッスルが鳴ったときに、11人揃っていないコトが多かったんよなwww
自分はデンマークファンなので、ユーロ92チャンピオンになった際の「この優勝をユーゴスラビアに捧げる」というコメントはものすごく印象に残っています。
オシム、ピクシー、スーケルなど日本人としても忘れられないラインナップでした。
楽しいよレッドスタービッチ軍団 ボバン もいたよな
プロシネツキ懐かしい
全選手を覚えてるよ
いい題材
東欧のブラジル 本当に凄かった 内戦無ければ スペインの前に絶対にワールドカップを取っていた
なぜ 共産圏でこんなに凄い選手が輩出したのか 本当に不思議
ACミランが来日した時には、サビチェビッチのドリブルと切り返しには驚かされた物でした。
あんなドリブル初めて見ました。
悲しい内紛や内戦‥ベスト11に入らなくても才能溢れる選手が何人その犠牲になったのかを思うと残念でなりませんね‥
ロナウドとフィーゴ目的で、1996、97シーズンのクラシコを見た時、ミヤトビッチに度肝抜かれました❗
こんなカッコ良くて、上手い選手がいたのかと…
ヨーロッパでは「ロベルトバッジョの華麗さとサビチェビッチの天才を合わせ持つ男」と言われたことも、あったそうです😊
フィールドのダンディズム
ユーゴ解体は残念だけど、それがあったからこそオシムと全盛期のピクシーを日本で見れたのかもしれない
最高だ、旧ユーゴは同時期にスター揃いでした。自分も旧ユーゴはすごく好きでした。
あの内線がなけれは・・・。
W杯も出場剥奪されて悲しかった。
しかし、とても魅力的なチームでした。ベロデディチが最終的にルーマニア選択したのも思い出しました。
今日もありがとうございます。
ここには『夢』が詰まってる。
プロシネツキのテクニックは異常
激しく同意です。eフットボールに出てきてもらいたい(笑)
日韓対世界選抜のプロシネツキのゴールが最高でしたね。ウイイレでエディットしてつくってました笑
92年のEuroで代替出場のデンマーク🇩🇰が優勝して予選で同組で圧倒的1位で出場を決めていたユーゴスラビアが内戦の影響で出場できなかった当時からよく言われてましたね。
選出したメンツはゲームでは間違いなく最強ですね。
この時代のストイコビッチとかR.Baggioとかサビチェとか本当に感動したなセリエA黄金時代ミハイロのFKとかしかし、クロアチアとセルビアは勿体無い!
サビチェビッチを見た時の衝撃は凄かったです🫡
フランス代表みたいなユニフォームなのがまた良い
そうそうたるメンバーで、好きな選手がいっぱいいて、テンションが上がりました🤩
いつも楽しみく拝見しています。
こういう天才ばかり注目されがちだけど、地味に良い選手多かった。新ユーゴだとヨカノビッチとかレッズに居たペトロビッチとか印象に残ってる。審判に唾吐いて出場停止になって売却されてトヨタカップに出れなかったというビニッチも凄かったらしい。名古屋にきた時にジャンルカ冨樫氏がビニッチを激推ししてた。
90年イタリアW杯をリアルタイムで観てた自分としては、94年アメリカ大会にユーゴが出場できなかったことが本当に残念でなりませんでした。
特にイタリア大会で魅せたストイコビッチのFKやプレーに魅了された自分としては、このタイミングでの彼のプレーを、あの舞台で見たかったですね。
個人的には、ストイコビッチの他にはボバン、ボクシッチが好きでした。
この回、最高です。ありがとうございます。
この頃のユーゴは特別ですよね。
別の年代でやってもここまでには及ばない気がします。
10番が似合う選手は世界に何人もいますがストイコビッチは別格!
大学生だけど
ユーゴヴィッチ凄すぎる!
このチャンネル勉強になります!
皆さんの気持ちと私も同じです。ほんとにほんとに残念としか言いようがありません。それにしても91年のレッドスターエグいですね🎉戦争はなにも生みません😢
私はボバンが好きなミランファンですがクロアチアメディアの報じた「警官に殴られていた少年」の姿は現在までどんな映像にも残っていないと聞いています。
90年のイタリアW杯、前大会王者アルゼンチンとの試合はスコアレスで終了してPKでアルゼンチンが勝ちましたがこの試合を支配していたのはマラドーナではなく間違いなくストイコビッチでした
彼がボールを持つたびにチャンスが生まれるって感じでキレキレのプレーでアルゼンチンを翻弄する姿に衝撃を受けましたね
ちなみにPKはマラドーナとストイコビッチが二人して失敗でした
サビチェビッチがバッジョにも譲らない10番をピクシーには譲るという流れは熱すぎる
移籍の背景等のエピソードを踏まえるとピクシー以上の存在になる助っ人はいないと思ってる
とにかく自信家で他の選手について語る時は基本上から目線の「ジェニオ」が、ピクシーの事を語る時だけは「アイツはスゲェ」「俺が唯一10番を譲る男」みたいな感じで称賛一辺倒なのが心底認めてる感じで好き。
だってストイコビッチが最強だもん☺️
1990年 新婚旅行先のスイスのテレビでワールドカップをリアルタイムで見た。ユーゴスラビア 素晴らしかった 殊にストイコビッチはジーコを彷彿とさせるファンタジスタで初めて見た私は衝撃を受けた。もっと見たかったけど、早期に敗退しちゃってガッカリだった。その後、信じられないことに日本にストイコビッチが来てくれて、またプレーが見れて嬉しかったなあ。
素晴らしい動画ありがとうございます😂
98年フランスワールドカップ以降、ワールドカップに旧ユーゴ構成国から毎回2ヶ国出続けてるのは地味にスゴい。
素晴らしい企画ですね。
大好きな87年のワールドユース優勝組が多くて嬉しいです。
ボバンとサビチェビッチ、スーケルとミヤトビッチは、それぞれミランとレアルでCLに優勝した時の同僚でしたね。特にスーケルとミヤトビッチ(87年組!)が表彰式で肩を組んでいた時は泣きそうになりました。
ヴェルディファンだった私の心を一瞬で奪ったサビチェビッチはヒーロー
確かにこの時のメンバーでのワールドカップが見たかった。
めっちゃ面白い企画だった!!
ユーゴスラビア
ピクシーが、日本に来てくれたから、
恥ずかしながら知りました。
ユーゴの選手皆んな 10番付けれる選手達、一回 日本で、試合した時
テレビで見てました。今でも RUclipsで見てます。この動画
すごーく スゴーク嬉しい😊
又 ユーゴスラビアの動画作ってください
あの時名古屋のベンゲルがピクシーをアーセナルに連れてったらアーセナルはもっと夢あるチームになってたはずです。怪我無ければどのチームでも世界屈指の10番
九〇年イタリア大会
PKで準決勝いけなかった。
タラレバだが、あそこでPK勝てたら決勝行けた可能性は高かった。
素晴らしいチームだった。
スーケルと言えば真っ先にユーロ98のデンマーク戦でのループが思い浮かぶ。また格闘家のミルコクロコップの奥さんがスーケルの妹なのも驚かされたなぁ。
シュマイケルが呆然と背中から倒れたリアクションが面白かったです(・w
ユーロならば1996か2000年では?
@@s190309 ユーロ96だったね。
美しいサッカー、また見たい🙄
もし実現したら団結したら皆が✋を抜かず闘えたら間違いなく世界一になれるチームですねー。しかしユーゴビッチとヤルニが過労死しかねないメンバー構成😂
どう考えてもオシムさんしかこのメンバーはまとめきれない✨
92年のヨーロッパ選手権は本当に残念だった。その後の94年ワールドカップ観たかった。幻の最強チームと今でも思ってる。
シュケルのW杯98の6得点の内1PK以外の5ゴールは全て股抜きシュートである。日本もやられたね。ヤルニのドイツ戦のミドル!!懐かしいネェ~。
当時レアル・マドリーでのシュケルとミヤトビッチの2トップが幻の統一ユーゴの片鱗を魅せてくれた。私はバルサのファンであるが、あの2人のツートップのレアル・マドリーは、毎試合観た。他にも若きラウール、レドンドとか魅力的な選手いたし。
ジェニオ(天才)サビチェビッチが点を獲ったミランvsバルサのチャンピオンズ・カップ決勝。ミランはバレージとコスタクルタのセンターDFコンビが累積警告で出場停止。バルサはロマーリオ、ストイチコフ、ラウドルップ兄。余裕で勝てると思ったら、ミランのデサイーの2得点を含む4-0で完敗。クライフ監督曰く「あんな強いチームに勝てるわけがない」。試合終了後、ジェニオが真っ先に向かったのは、観戦に来ていたオシムのところだったと何かで読んだことがある。
アレン・ボクシッチは確かマルセイユ時代にフランスリーグ得点王だけど、このメンバーだとベンチだよね(笑)。
マァ、凄いメンバーだよ。クロアチアなんて神奈川県の半分くらいの人口なのにネェ~😅。
自分がサッカーに興味を持つきっかけとなったチームでした。ユーロ2000でオランダに粉砕された時はしばらく凹んでました。
サボ・ミロシェビッチに1票。
中盤にアサノビッチが入っていてほしかった。プロフェッサーと言われて、高いテクニックに東欧独特のリズムとインスピレーションで仕掛ける選手が多い中、彼はそのテクニックに知性に乗せてプレーしていた。プレーもシンプルながらもしっかりと周りがわかっている、プロシネツキやサビチェビッチとは全く違うテクニシャンだった。
アサノビッチは渋かったですね。
運動量、テクニック、戦術理解、フィジカルと全て備えていた。
プロシネツキほど華麗ではないが、とにかくミスがない。
中盤のやや低めから一気に上がってくる推進力と必殺のフリーキックもまた魅力的。
プロフェッサー、という異名も納得
クロアチアが準優勝だった2018年あたりもメンツでいえばこれに負けず劣らずだったと思う。
GKにはオブラクがいて、DF陣にはサヴィッチ,コラロフ,ロヴレンでFWにはジェコとマンジュキッチで何より中盤はタレント揃いでモドリッチ,ラキティッチ,マティッチ,ピアニッチ,ミリンコビッチ・サビッチ,コバチッチっていうえぐい選手の全盛期が一気にきてた
ユーゴビッチはテクニックと運動量を兼備した名MFでしたね。
今回挙がってないトコだとアサノビッチも好きでしたね。
中盤の低めから左足一本でゲームをコントロールし、時折鋭い攻め上がりで前線をアシスト。
キリンカップで来日した際の弾丸FKも思い出深いです。
当時世界最高のFWであるサビチェビッチを顎で使える選手はピクシーしかいないとベンゲルが語っていたね。
オシム ストイコビッチ
この2人が日本にきたのが奇跡
ゼリコ・ペトロヴィッチのことも思い出してあげて
セルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア共和国およびコソボにより構成されていたユーゴスラビア代表
混血の民族だけあって運動能力が高くサッカーだけでなく球技で優秀な選手が多かった(バスケ、ハンドボール、水球)
1991年までに行われたヨーロッパ選手権予選を勝ち上がったものの、同年スロベニアとクロアチアがユーゴスラビアを離脱
更に本大会直前になってボスニア・ヘルツェゴビナもユーゴスラビアを離脱
ユーゴスラビア連邦軍がサラエヴォに侵攻するにあたって監督のイビチャ・オシムが辞任
国連はユーゴスラビアに対しての制裁を決定
これに呼応してFIFA、UEFAはユーゴスラビア代表の国際大会からの締め出しを決定
既に開催国であるスウェーデン入りしていたユーゴスラビア代表は帰国し、ユーゴスラビアの解体とともに優勝候補だったユーゴスラビア代表も解体してしまった
この大会の優勝は"ユーゴスラビアに代わって出場"したデンマークだった
サッカーユーゴスラビア代表のテクニシャン集団の中でもストイコビッチとプロシネツキのテクニックはズバ抜けて凄かった
ユーゴ好きには堪らんな。昔、意味なく何度もベストイレブンを考えたな。癖が強過ぎて機能するかな。