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昔、派遣社員をしていた時に元海自の人に聞いた話。「乗っていた艦が中東に派遣される事になり、長い航海をしたのだけど途中、食料調達と娯楽を兼ねて釣りをした。『F作業』と呼んでいてこれがまた結構釣れたものだから司厨員は魚を捌くのに忙しくなり、F作業の度にそれが続くので最後は『F作業で釣れた魚は釣った者が責任を持って処理する事!』との通達が出た。」そうです。
時々、トビウオの群れが潜水艦に乗り上げる時があり、久々に新鮮な魚が食べられると喜んだらしいね。
潜水艦に冷房が付いていたなんて凄いなあ。日本の潜水艦には水中を静止する装置も付いていたらしいし。日本の技術は大したもんだ。蛍光灯で日光浴していたなんて、なるほどねえ。醤油も粉末があったらしい。保存と軽量の為に。
5:36 電気式レンジと電子レンジは別物ですよ。
そうですよねたしかオーブンに近い構造だった気が
レンジという言葉が日本の料理人以外には電子レンジを連想させる。からでしょうねえ。。。日本で使われる英語には往々にして本来の意味とは違うイメージが定着して使われているのに修正されないという現実。。。カタカナ表記も含めて修正を続けて欲しいが、英語学者が国語教育に口出ししにくいんだろうなあ。。。
乾燥タマゴの話を聞きたかったです。
吉村昭氏の著作「深海からの使者」には大戦中の日本とドイツ往復の潜水艦の悲惨さが描かれています。高温多湿の船内で缶詰にされて数週間しかも敵の攻撃に怯えながら。もちろんシャワーも扇風機もない。酒も飲めない。地獄です。
因みにアメリカの「ガトー級潜水艦」にはシャワールームとアイスクリームマシンが備えられていた。
艦内でのつらい生活を耐えて、ドイツ(実際はフランスのドイツ海軍基地)に到着した潜水艦乗組員はドイツ海軍などの熱烈な歓迎を受けて、パリのホテルや南フランスの保養地で優雅な休暇を堪能できた。(日本への帰りはまたつらい航海ですが)
同著者の戦艦武蔵でも、トラック停泊中はスコールが来ると「スコール用意」の号令がかかって兵士がタオルを持って甲板に上がるシーンがあったけど、シャワーあっても士官以下は使えんかったやろな。
映画(Uボート)でも航海が長引くと積み込んだパンはカビるしハムも腐敗して行く場面あったね
日清戦争時に本格的な潜水艦は世界に存在せず(アメリカの南北戦争時に南軍がハンレーを使用してますが半没潜水艇みたいな感じですから)、帝国海軍初の潜水艦は日露戦争終了直後に就役したホランド型潜水艦が最初のはずですが。
潜水艦に米麦飯ではなく白米飯だったのは待遇と言うより、白米に比べ麦や玄米の方が傷みやすい為だったらしいです。通常の水上艦艇と違って仲間意識が高かったと言われています。何しろ沈没・全員戦死だからね。
缶詰も単に腐らないだけで金属臭がついて味は劣ったとも言われています。ただいなり寿司の缶詰は評判はよいとか沢庵の缶詰は今も自衛隊では美味しいと評判だとか
もうかなり前に缶詰は廃止になりましたよ。今はレトルトパックのみ
@@sunami808 さんなるほど、缶詰はやっと無くなりましたか!レトルトのほうが美味しいとも言われますからね
伊八潜の機関士だった叔父はこういう飯を食ってたんだ…お土産のバナナが美味しかったって婆ちゃんが言ってました
切り干し大根、ワカメ、スルメが航海が長くなるとミリ飯はそんな材料になります。潜水艦だけでなく小型艦船も似たり寄ったりです。
ベッドは、通常戦闘艦では少なくとも三分の一は任務中だし8時間睡眠としても3人に一つで間に合う。水上艦と違って潜水艦では休憩時に使えるスペースが少ない(食堂も狭い)から、その分ベッドが多いにしても1人に一つは多いですねえ。。。
旧日本海軍では武器より食事が進歩的だったんだなあ
青いバナナ、は軍歌『轟沈』にも歌われた。
蛍光灯は東芝がアメリカから技術提供され製造された
バナナの件、戦前は台湾バナナが大量に輸入されていたので、さほど珍しい食べ物ではありませんでした。価格も安価だったようです。戦況の悪化とともに輸送量は減少し、台湾を失った終戦直後は進駐軍向けを除いてほとんどゼロになります。1963年以降は自由化されフィリピンバナナが主流となります。
電気式オーブンじゃないかな、電子レンジは確か米軍の発明品と思う
即席麵、ガム、スムージー。驚くほどの、戦後時代先取り。そう感じられる、旧軍潜水艦での配食内容。
青いバナナと言えば、轟沈にも出て来ますね。
♪可愛い魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた、でしたっけ。私は「可愛い魚雷」って表現が印象に残りましたね。
うちの親父は潜水艦の乗務員でしたね。詳しく話さないでしたね。
日本海軍潜水艦の食事と言えば米駆逐艦かと思ったよ
0:44元兵舎食堂の佐世保海軍カレー本店ってどこの店だ?しかも1945年なんて言う戦争末期に創業するほど当時の日本に余裕かあったとは思えないんだが?
以前に靖国で海軍カレー食べました。サラッとした感じの昔懐かしい昭和の味でした。
日本軍には海兵隊はありません
麦飯に比べて腐食しにくい白米飯にしたのが仇になって脚気(^_^;) 梅干し積んで出港するわけにはいかなかったんですかね(?_?)
電子レンジは当時まだありませんよ
じーちゃんがビタミン剤飲んでたとか言ってたけど嘘じゃなかったのか…聞いた時は「その時代にビタミン錠剤あるの?栄養失調気味の現代っ子じゃないんだからw」とか思ってたけど当時からビタミン錠剤ってあったんだ…
伊号400型潜水艦の方がデカいし、潜水空母と言える水上攻撃機3機積みなんだが…
昔は潜水艦は乗員がすれ違うのが大変なくらい艦内が非常に狭かったのに鑑みると、乗員に太った人間はすごく少なかったんじゃないかと推測する、物理的にだけでなく精神面でも肥満体の人の存続はかなり問題だったんじゃないかと考える、艦長など上級幹部は別だったろうけど、
レトルトは戦後大塚製薬が発明したボンカレーが世界初なんやからそんなもの戦中にあるわけないよ!
レトルトはアメリカが宇宙食の開発で発明し、ボンカレーはその技術を拝借して作られたかと。
@@高橋賢悟-z9x さん宇宙食ではなくて米軍のソーセージの真空パックがヒントで点滴の消毒を応用したら賞味期間が劇的に伸びたそうです
3月36日ってなんだよ。まじめにやってください。
エロ本はみんな必ず持っていったようです……
大戦以前、台湾が日本領だから、バナナは安価で大量に日本国内で流通していたよ!、おかしいよ、これ?
青いバナナも黄色く熟れた 男世帯は 気ままなものよ 髭も生えます 髭も生えます 無精髭
即席米はポン菓子みたいなものかな?まあ当時の潜水艦は現代のそれとは異なり普段は水上航行で敵勢力が存在する海域で潜航してたから艦上で釣りができた。蛍光灯はその消費電力が白熱灯よりかなり少ないことも採用された理由の一つ。潜航中はバッテリーを消耗するだけなので少しでも保たせるためだな。空母葛城の兵員室写真には蛍光灯が写っているのは見たことがある。米国艦の照明は白熱灯でそれはGEが白熱灯のラインが無駄になるのを怖れて蛍光灯の普及を妨害したからという話がある。
潜水艦部隊も『明石』で食事やデザートやオヤツを食べたのかな〜?
明石では無く平安丸など豪華貨客船を転用した特設潜水母艦から補給などを受けていたそうです。
カレーメシビーフでよろし
電子レンジや海兵隊は戦前の日本にはなかったはず。フィクション動画として拝見すれば良いのですがちょびっとホントの話も混じってるので混乱😵💫
とあるゲームで伊8がドイツの物が好きなのはドイツに行ったことが反映されてますもんね。
ドイツからの依頼のやつですね、なんでそんなの受けたのだろう
水上機1機で空母が潜水艦とは、さすがに言いすぎ。
即席めんて戦後だろwチキンラーメンが昭和33年発売で世界初だぞ🤪
いわゆるインスタントラーメンではなく、乾麺じゃないかな
下着は、使ったら洗濯せずに廃棄
アハトじゃなかった、はっちゃんです!(笑)
武田薬品がアリナミンを発売したのは戦後も昭和29年に成ってからだから 医師と言えどもビタミン剤なんて何処から調達したのかナー? 誘導体も見つかってないと思うけど!
ヒロポン錠剤?
「日本国」と「大日本帝国」は別の国です。
完全に囚人のあれやんこの器欲しい✨✨
昔、派遣社員をしていた時に元海自の人に聞いた話。
「乗っていた艦が中東に派遣される事になり、長い航海をしたのだけど途中、食料調達と娯楽を兼ねて釣りをした。『F作業』と呼んでいてこれがまた結構釣れたものだから司厨員は魚を捌くのに忙しくなり、F作業の度にそれが続くので最後は『F作業で釣れた魚は釣った者が責任を持って処理する事!』との通達が出た。」そうです。
時々、トビウオの群れが潜水艦に乗り上げる時があり、久々に新鮮な魚が食べられると喜んだらしいね。
潜水艦に冷房が付いていたなんて凄いなあ。日本の潜水艦には水中を静止する装置も付いていたらしいし。日本の技術は大したもんだ。蛍光灯で日光浴していたなんて、なるほどねえ。醤油も粉末があったらしい。保存と軽量の為に。
5:36 電気式レンジと電子レンジは別物ですよ。
そうですよね
たしかオーブンに近い構造だった気が
レンジという言葉が日本の料理人以外には電子レンジを連想させる。からでしょうねえ。。。
日本で使われる英語には往々にして本来の意味とは違うイメージが定着して使われているのに修正されないという現実。。。
カタカナ表記も含めて修正を続けて欲しいが、英語学者が国語教育に口出ししにくいんだろうなあ。。。
乾燥タマゴの話を聞きたかったです。
吉村昭氏の著作「深海からの使者」には大戦中の日本とドイツ往復の潜水艦の悲惨さが描かれています。高温多湿の船内で缶詰にされて数週間しかも敵の攻撃に怯えながら。
もちろんシャワーも扇風機もない。酒も飲めない。地獄です。
因みにアメリカの「ガトー級潜水艦」にはシャワールームとアイスクリームマシンが備えられていた。
艦内でのつらい生活を耐えて、ドイツ(実際はフランスのドイツ海軍基地)に到着した潜水艦乗組員はドイツ海軍などの熱烈な歓迎を受けて、パリのホテルや南フランスの保養地で優雅な休暇を堪能できた。(日本への帰りはまたつらい航海ですが)
同著者の戦艦武蔵でも、トラック停泊中はスコールが来ると「スコール用意」の号令がかかって兵士がタオルを持って甲板に上がるシーンがあったけど、シャワーあっても士官以下は使えんかったやろな。
映画(Uボート)でも航海が長引くと積み込んだパンはカビるしハムも腐敗して行く場面あったね
日清戦争時に本格的な潜水艦は世界に存在せず(アメリカの南北戦争時に南軍がハンレーを使用してますが半没潜水艇みたいな感じですから)、帝国海軍初の潜水艦は日露戦争終了直後に就役したホランド型潜水艦が最初のはずですが。
潜水艦に米麦飯ではなく白米飯だったのは待遇と言うより、白米に比べ麦や玄米の方が傷みやすい為だったらしいです。
通常の水上艦艇と違って仲間意識が高かったと言われています。何しろ沈没・全員戦死だからね。
缶詰も単に腐らないだけで金属臭がついて味は劣ったとも言われています。ただいなり寿司の缶詰は評判はよいとか沢庵の缶詰は今も自衛隊では美味しいと評判だとか
もうかなり前に缶詰は廃止になりましたよ。今はレトルトパックのみ
@@sunami808 さんなるほど、缶詰はやっと無くなりましたか!レトルトのほうが美味しいとも言われますからね
伊八潜の機関士だった叔父はこういう飯を食ってたんだ…お土産のバナナが美味しかったって婆ちゃんが言ってました
切り干し大根、ワカメ、スルメが航海が長くなるとミリ飯はそんな材料になります。潜水艦だけでなく小型艦船も似たり寄ったりです。
ベッドは、通常戦闘艦では少なくとも三分の一は任務中だし8時間睡眠としても3人に一つで間に合う。
水上艦と違って潜水艦では休憩時に使えるスペースが少ない(食堂も狭い)から、その分ベッドが多いにしても1人に一つは多いですねえ。。。
旧日本海軍では武器より食事が進歩的だったんだなあ
青いバナナ、は軍歌『轟沈』にも歌われた。
蛍光灯は東芝がアメリカから技術提供され製造された
バナナの件、戦前は台湾バナナが大量に輸入されていたので、さほど珍しい食べ物ではありませんでした。
価格も安価だったようです。
戦況の悪化とともに輸送量は減少し、台湾を失った終戦直後は進駐軍向けを除いてほとんどゼロになります。
1963年以降は自由化されフィリピンバナナが主流となります。
電気式オーブンじゃないかな、電子レンジは確か米軍の発明品と思う
即席麵、ガム、スムージー。驚くほどの、戦後時代先取り。
そう感じられる、旧軍潜水艦での配食内容。
青いバナナと言えば、轟沈にも出て来ますね。
♪可愛い魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた、でしたっけ。
私は「可愛い魚雷」って表現が印象に残りましたね。
うちの親父は潜水艦の乗務員でしたね。詳しく話さないでしたね。
日本海軍潜水艦の食事と言えば米駆逐艦かと思ったよ
0:44
元兵舎食堂の佐世保海軍カレー本店ってどこの店だ?しかも1945年なんて言う戦争末期に創業するほど当時の日本に余裕かあったとは思えないんだが?
以前に靖国で海軍カレー食べました。サラッとした感じの昔懐かしい昭和の味でした。
日本軍には海兵隊はありません
麦飯に比べて腐食しにくい白米飯にしたのが仇になって脚気(^_^;) 梅干し積んで出港するわけにはいかなかったんですかね(?_?)
電子レンジは当時まだありませんよ
じーちゃんがビタミン剤飲んでたとか言ってたけど嘘じゃなかったのか…聞いた時は「その時代にビタミン錠剤あるの?栄養失調気味の現代っ子じゃないんだからw」とか思ってたけど当時からビタミン錠剤ってあったんだ…
伊号400型潜水艦の方がデカいし、潜水空母と言える水上攻撃機3機積みなんだが…
昔は潜水艦は乗員がすれ違うのが大変なくらい艦内が非常に狭かったのに鑑みると、乗員に太った人間はすごく少なかったんじゃないかと推測する、物理的にだけでなく精神面でも肥満体の人の存続はかなり問題だったんじゃないかと考える、艦長など上級幹部は別だったろうけど、
レトルトは戦後大塚製薬が発明したボンカレーが世界初なんやからそんなもの戦中にあるわけないよ!
レトルトはアメリカが宇宙食の開発で発明し、ボンカレーはその技術を拝借して作られたかと。
@@高橋賢悟-z9x さん宇宙食ではなくて米軍のソーセージの真空パックがヒントで点滴の消毒を応用したら賞味期間が劇的に伸びたそうです
3月36日ってなんだよ。まじめにやってください。
エロ本はみんな必ず持っていったようです……
大戦以前、台湾が日本領だから、バナナは安価で大量に日本国内で流通していたよ!、おかしいよ、これ?
青いバナナも黄色く熟れた 男世帯は 気ままなものよ 髭も生えます 髭も生えます 無精髭
即席米はポン菓子みたいなものかな?
まあ当時の潜水艦は現代のそれとは異なり普段は水上航行で敵勢力が存在する海域で潜航してたから艦上で釣りができた。
蛍光灯はその消費電力が白熱灯よりかなり少ないことも採用された理由の一つ。潜航中はバッテリーを消耗するだけなので
少しでも保たせるためだな。空母葛城の兵員室写真には蛍光灯が写っているのは見たことがある。米国艦の照明は白熱灯で
それはGEが白熱灯のラインが無駄になるのを怖れて蛍光灯の普及を妨害したからという話がある。
潜水艦部隊も『明石』で食事やデザートや
オヤツを食べたのかな〜?
明石では無く
平安丸など豪華貨客船を転用した特設潜水母艦から補給などを受けていたそうです。
カレーメシビーフでよろし
電子レンジや海兵隊は戦前の日本にはなかったはず。フィクション動画として拝見すれば良いのですがちょびっとホントの話も混じってるので混乱😵💫
とあるゲームで伊8がドイツの物が好きなのはドイツに行ったことが反映されてますもんね。
ドイツからの依頼のやつですね、なんでそんなの受けたのだろう
水上機1機で空母が潜水艦とは、さすがに言いすぎ。
即席めんて戦後だろw
チキンラーメンが昭和33年発売で世界初だぞ🤪
いわゆるインスタントラーメンではなく、乾麺じゃないかな
下着は、使ったら洗濯せずに廃棄
アハトじゃなかった、はっちゃんです!(笑)
武田薬品がアリナミンを発売したのは戦後も昭和29年に成ってからだから 医師と言えどもビタミン剤なんて何処から調達したのかナー? 誘導体も見つかってないと思うけど!
ヒロポン錠剤?
「日本国」と「大日本帝国」は別の国です。
完全に囚人のあれやん
この器欲しい✨✨