Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
おっさんとしては遠山金四郎は中村梅之助さんですなあ。桜吹雪を見せる時の見栄の切り方が粋でいなせでたまらなく好きでしたなあ。伝七捕物帳もよかった。
nyanzosan nyanzosan よよよい
動画にも書いている通り、行政や治安維持は各地域の町方とかに寄るとこが大きく実際に治安維持を行っていたのは、銭形平次みたいな十手持ちだったが彼らの多くが、ゆすりたかりで生計を立てていたそうだ。あと、長屋の大家とかも行政権が認められていて。素行の悪い入居者など処払いする権限とか有していたこういう司法権や行政権を細かくわけて地域自治が出来ていたから。わずか150人ほどの与力しかいない町奉行所で百万都市江戸の行政や治安を維持していたのだ
ワシも中村梅之助
公共に尽くす愛のある人を評価する人が上にいたのがまたすごいな。いまの日本はモラルが破綻している。賢いだけじゃダメなんだな。
今回も面白かっです。江戸時代の行政を、現代の行政に置き換えて想像出来るところに、改めて歴史の繋がりを感じることが出来ました。ありがとうございました。
元々1000石以上の上級旗本の出身で最終的に大名にまで出世した異例の人物。吉宗にとっては非常に信頼できる行政官といった人材だったんでしょうね。
町奉行を務めた後に寺社奉行になっている。他の奉行とは別格で寺社奉行は譜代大名から選ばれる事になっているが大岡は旗本で勤めているのだから、異例の事だったその後で、役職に合わせるように石高を加増され一万石の大名になっているな
シチューのCMが流れると冬だなぁと実感しますね。
「大岡越前」に出てくる吉宗がやたらテンションが高くて好き
忠相が加藤剛、吉宗が山口崇。この二人は大河『風と雲と虹と』で平将門(加藤剛)、将門の従兄弟でライバルの平貞盛(山口崇 )としても共演されてますね。お二人とも既に鬼籍に入られてます。でも子供心になんて上手くて男前な役者さんだろうと思って見てました。
@@persuasion-heartbeat.mfd-f8331 山口崇さんはご存命!
加藤剛の大岡越前は山田奉行の所から物語が始まっているから、何と無くは分かっていたな。20年も務められる人もいれば過労死しちゃう人もいる職業とは、お旗本といえども大変だな。それに石高を考えると、ドラマみたいにお奉行自ら出てくると、旗本といえども小さい旗本は頭が上がらんな。
例えば大名格の悪徳検校と対決したり
40年くらい前は大岡越前と水戸黄門が入れ替わりでシリーズを重ねて行ってた。家族団欒で観る定番時代劇。年がバレるかもしれないけど。
大岡越前も、12部あたりからだったかな?小石川養生所医師役は榊原伊織(竹脇無我)と結城新三郎(西郷輝彦)が入れ替わりで出演してたような?
最終回で江戸に着いた後、弥七とお新が黄門様を見送るシーンが定番でしたね。竹脇無我さん演じる伊織先生と小料理屋たぬきの三次。自分はこの二人の演技が好きでした。本当に年がバレますな。
たまに『江戸を斬る』もやってましたね。
小学生も普通に時代劇観てた時代が昭和。
今回も楽しく拝見させて頂きました。大岡越前といえば、やはり加藤剛さんですね。近年になって東山紀之さんが演じていますが、東山さんの大岡越前に加藤剛さんが共演された時は、感慨深いものがありました。ところで魔理沙さんは政宗の三日月形の兜がお気に入りみたいですね(^^)/
大岡越前のドラマの版権を制作会社が持っているので、主題歌と題字がTBSとNHKで同じものを使えたらしい。それから、加藤剛氏の息子の加藤頼氏が同心約でNHKのドラマに出演していて『このドラマ、自分の親父が…(内容を覚えていない)』と語っていた。
町火消の左の絵のまといは上の丸い部分はケシの実を表し、下の四角い部分は枡を表していて、つまり[消します]の意味だそうです。
しゃれてる。 マスの絵で同じようなのがあるな。
能力より家柄で役職を与えるという悪習のために、幕末に至っては勝海舟に「アメリカは我が国と違って上に行く程優秀です」なんて言われてしまう惨状に陥っていましたが、大岡忠相は吉宗に見出されただけあって掛け値なしに優秀ですね。しかし大岡忠相をもってしても大商人達相手には苦戦、目論見通りには行っていません。本当にどうすれば良かったのやら…。
第二次大戦前夜にソ連のジューコフ元帥に「下士官は優秀、士官は普通、将校は愚劣」と評されたし、家柄云々関係なく我が国の宿痾なんじゃないかね? 現代でもそう変わってるようには思えん。
TheHaimani 優秀な人は組織を出ても他の組織から呼ばれるし、独立しても上手くいく。無能な人は組織に属していないと何もできない。上に行くほど無能になるのは当たり前
そういう点でいえば、経済に影響を与える商人達は独立した優秀な存在だから手強かったとも言えますな、ただ目的が国のためでなく、自分本位!
加藤剛さんの30年続いた大岡越前も、最新のNHKの東山紀之の大岡越前も、主題歌は山下毅雄さんのやつなんだよね、しびれるわ~。ありがとう「株式会社シー・エー・エル」
ムール貝の悪夢 加藤剛の大岡越前のゲストに高橋悦史や西岡徳馬と言った文学座出身の俳優が出るのが良かったよね。
面白かった👍
僭越ながら、チョットだけ補足します。 実は、江戸の町奉行所には南町奉行所(南番所)、北町奉行所(北番所)の他に「中町奉行所(中番所)」の三奉行所が鼎立していた時期があった。江戸の町奉行所が三奉行制だったのは、元禄15(1702)年に鍛冶橋内に「中町奉行所」ができてから、享保4(1719)年に廃止されるまでの16年間だったという。中町奉行に就任したのは、丹羽長守(にわ ながもり、1643~1726)と坪内定鑑(つぼうち さだあき、1649~1723)の2名のみである。丹羽長守は元禄15(1702)年に中町奉行に就任。坪内定鑑は宝永4(1707)年に南町奉行から中町奉行に転任し、同時に丹羽長守は中町奉行から北町奉行に転任し、南町奉行には松野助義(まつの すけよし、1648~1720)が北町奉行から転任したという。これは宝永4(1707)年に、最北の常盤橋内にあった奉行所(北町奉行所)が、最南の数寄屋橋内に移転して「南」となり、鍛冶屋橋の脇にあった奉行所(南町奉行所)が位置的には「中」に、鍛冶屋橋と呉服橋の中間にあった奉行所(中町奉行所)が位置的には「北」になったための転任であったとされる。(まったくもって、ややこしくて、わけわからん・・・・www)なお、この幻の「中町奉行所」を扱った時代劇も実在する。タイトルは『江戸中町奉行所』(テレビ東京系)。放映時期は、 第1シリーズは1990年7月~9月、金曜21:00~21:54に全13話。 第2シリーズは1992年4月~6月、金曜21:00~21:54に全12話。主演の同心役は近藤正臣、田中健。中町奉行(丹羽長守)役は丹波哲郎だった。
真田幸村が水戸黄門みたいなチャンバラのドラマって、風雲真田幸村ですかね?あれは面白かった!六文銭が三途の川を渡してやる!って決め台詞。
横内正さんの大岡様が一番好き。吉宗と旅をして、旅費稼ぎに賭場に行って面白いとはまりかけるのをたしなめる吉宗との掛け合いが面白かった記憶が。
@午後の悪夢 Part2 松平健です。私、毎日、暴れん坊将軍を見てるんで…
@午後の悪夢 Part2 203高地は明治時代の日露戦争の話しです。歌っていたのは、確か五木ひろしで『契り』という題名だったと思います。
@午後の悪夢 Part2 様思い出して良かったですね。ついでに『連合艦隊』の主題歌『群青』歌手、谷村新司も良いですよ🎵(蛇足です😳)
町奉行と来たら・・・火付け盗賊改めの解説お願いしますw
火つけ盗賊改は、もっぱら盗賊の捕縛を中心にやる役職で、町奉行のように江戸の行政権まではないそれだけに町奉行より格はかなり落ちるよ有名な長谷川平蔵は500石程度の旗本だったというし。町奉行が3000石の旗本から選ばれる事と比較すればその格の違いがわかるでしょうが
町方が役方(文官)だったのに対して火付盗賊改方は番方(武官)で、凶暴化・武装化し放火までするようになった盗賊に対処するための組織で今で言う軍警察や国家憲兵みたいな役職ですね。
深川奉行はフィクションだが、本所・深川地域を管轄する本所奉行はあった、高速鯨船で悪巧みの現場に突貫する…ことはしないw
のちに江戸の牙で有名な本所方になる奉行でしたでしょうか。
何と言っても加藤剛さん。大岡越前と聞くたび頭の中で自動変換する。毎回どこかで一回は泣きながら見ていた。あまりに加藤剛さんのセリフが心に沁み入りすぎて
私も大岡越前=加藤剛さんですね。いや、加藤剛さん=大岡越前のイメージです。はまり役でした。
江戸町奉行の組織や業務についてよくわかりました。
遠山の金さん、杉良太郎もお忘れなく。
125人の与力や同心(お目見え以下の下級武士)で今の東京を管理していたわけではありません、町奉行所の管轄は今の都心部のみ、幕末には朱引という境界線が引かれ(今の都心と文京、台東、江東、品川区の一部)と管轄が広くなりましたが基本的には外堀の内側が管轄でした。他の方も書かれているように隅田川の向こう側(川向うと呼ぶ)は本所奉行が担当していました。町火消も江戸イロハ48組が江戸を、本所深川16組が川向うを担当していたように江戸という町は非常に狭い地域でした。おまけに江戸市中の半分以上は武家屋敷地だったので町奉行の管轄ではなかったので実際に管理していた地域は今の千代田区中央区の外堀通り西側の町人地だけだったのです。
@Francoise Arneur はいそのとおりです。大名旗本でも単独で将軍に会え目を合わせて直接会話できるのは国持大名と寄り合いと呼ばれた高禄の旗本だけでした。殆どの大名旗本は集団でのお目見えでうずくまったまま将軍の気配を感じるだけだったそうです。
金さんといえば中村梅之助やろ!
火付盗賊改方をやって欲しいです。
すごく有能な官僚だってのは解った
もし綱吉の時代に忠相がいたら生類憐れみの令とか赤穂浪士討ち入りの事とかどう治めていただろうな
町奉行は、現在で言えば、東京都知事、東京高裁判事、東京地裁判事、警視庁長官とそして国務大臣の役目も一部になっている旗本としては最高位の住職だ。これより上は譜代大名以外はなれない。しかし将軍や老中あるいは大名家にモノ申せる立場ではないよ。生類憐みとか赤穂浪士討ち入りとかを裁ける立場ではない
町奉行所北・南が有名ですが一時的に中町奉行所もありました
初代が丹羽遠江守の奉行所ですね。時代劇でも江戸中町奉行所というのがありましたね。
@@oumiya_goinkyo 近藤正臣主演でしたね
当時の中町奉行が能登守だったから、大岡能登守改め大岡越前守になった。当時は官名が大廊下・大広間・溜間以外の大名は老中と被らない、同じ名字で官名が被らない、同役と被らないとかあった。だから、柳沢出羽守保明が松平姓と吉保の名前をを与えられた際に出雲松江松平家の当主が出羽守だったから出羽守改め美濃守になった。
南町奉行と北町奉行は、行政区分で分けていたのではなく南と北が月交代で役目を担っていたのでありどうにも非効率的なやり方に感じてならないなそこに中町が加わったらさらに酷い
どうもはじめまして 面白かったですね 聞いた話ですが一度だけ本当に大岡越前がお白州で裁きをしたらしいですね 間違いだったらすいません 遠山の金さんもやってほしいです 次回も楽しみにしてます
大岡越前と時代劇繋がりで「今大岡」とも呼ばれた長谷川平蔵こと長谷川宣以はどうでしょうか。 …まあだいぶ時代はくだってしまいますが。
ギャン沢グフ夫 長谷川平蔵是非お願いします!
大岡越前と長谷川平蔵では格が違うよ。町奉行は行政権や司法権もあったけど。火つけ盗賊改は、司法権もあったようだが。基本的に治安維持だけだからな
時代劇だと、和歌山生まれの吉宗と幼馴染というキャラクターだったけど、全然違ったのね。実力で大名にまでなった唯一人の人物とは本当に凄い人だったんですね。
大岡忠相役は加藤剛さん、横内正さん、田村亮さんが浮かびます
同感です!
両替商は今の金融業金融業はいつの時代も政府最有力者と癒着してるから奉行ごとき恐くないんだろな
@Francoise Arneur それでも正しい、銀行や証券会社ってこと江戸の三井と大阪の鴻池が有名で大名から旗本まで沢山金貸してるそのうえ有力者に多額の賄賂も送ってるからねそれと対峙する大岡忠相は凄いのです。
@Francoise Arneur 間違えです日本政府が定めている事業区分の金融業では銀行、証券が入っています。
忠相が山田奉行に着任している際に、現地をお忍びで訪れて密漁をしていた吉宗(山口崇)をポカリと殴りつけたシーンが忘れられない。
時代劇だけのお話なのを改めてお勉強、忠相君、ちょっとばかし挫折しましたか、物価に憑いては現在でも難しいですね。
本題ではないのですが……「配達された宅急便がクールでもないのに冷たい」ことで、冬になったことを実感する。思わず笑いました。お住まいは豪雪地帯? 北陸? 東北? それとも北海道?-私の住むドイツでは、冬場は、特に夜は零下に下がる。昼間でも、外は冷蔵庫よりよほど温度が低いから、バルコニーが冷蔵庫代わりになる。但し、うっかり葉物野菜などをバルコニーに出しておくと、寒さ防止に保温(保冷)バッグに入れておいても、がちがちに凍っていたりします。(笑)ウィーンに住んでいた頃は、古い建物で、二重窓の間に何十センチかの隙間があり、そのスペースが野菜・果物の冷蔵保存にはちょうど良かったのですけれど。ドイツの本拠地のアパートは、二重ガラスとブラインドーで断熱仕様なのですが、隙間のスペースがないから、冷蔵保存には向かないのですよね……。
ここのコメ欄では40代の俺は若い方だな。好きな役者は誠実・実直な加藤剛、人情の杉良太郎。
奉行のお話面白かった。んで、町奉行の大岡越前と火盗改の鬼平ってどっちが偉いのですか?って言うか、時代劇を見てるとどっちも捕り物をやってるんですけど、両方の立ち位置ってどうなってるのでしょうか?
大岡越前でしょ。大岡越前は、確か、一万石位の大名クラスになってる…たと思ったけど…
出身から考えれば大岡家、長谷川家ともに身分は旗本ですから同等ということになります、が家禄では大岡家が一千九百石なのに対して長谷川家は四百石ですから立ち位置としては大岡家の方が遥かに上だったのでしょう。最終的には寺社奉行にまで大出世した大岡越前は一万石の大名となるわけですから圧倒的に大岡越前が上という事になると思います。
寺社奉行と勘定奉行それに町奉行の三奉行動画の通り、寺社奉行だけが譜代大名から選ばれ、奉行の中でも別格とされている
大岡忠相はデスクワークで多忙すぎて出血するほどの痔になってついに仕事休んでしまったっていう記録もあるよね。
豊川稲荷東京別院行ったばかりの自分には当にタイムリーな回。
原正和 愛知県豊川市にある豊川稲荷の直轄で大岡忠相によって作られた別院ですね平成30年12月から翌31年1月まで豊川市の桜ヶ丘ミュージアムで大岡越前展をやっていました。大岡越前由来の品が展示されていたので良かったでしたよ豊川稲荷からは徒歩10分ぐらいの場所で一日で両方巡れる所でした
他の方が書いていますが、風雲真田幸村の決め台詞、日の本一の兵ぞ、が今も覚えています。前々回の動画を見たせいか、麒麟が来るの宣伝番組で、勝新太郎さんの秀吉役の台詞などが、ああ!!となりました。のちに出てくるかもしれない、鬼の平蔵こと長谷川平蔵も楽しみです。大岡越前は判例の前例に基づく判例を作り、長谷川平蔵は受刑者の教育に力を入れたことを教えてほしいです。鬼平犯科帳は中村吉右衛門をモデルに池波正太郎が書いたと母が言っていました。でも発表された当時は若過ぎるので演じきれませんと断られたから、萬屋錦之介が演じたとか。その後、丹波哲郎を経て、吉右衛門になったとか。魔理沙が言っていた、加藤剛の大岡越前、松方弘樹の遠山の金さんのイメージを持っています。前回から、魔理沙が眼帯を外した姿、反対意見が半数を超えるまで、続けてほしいです。幕末も仙台藩が東北諸藩を纏めようとしていましたし。
真田幸村が水戸黄門みたいに悪を懲らしめる時代劇ってテレ東でやってた「風雲!真田幸村」ですかね。幸村は北大路欣也さんが演じてました。
加藤剛さん、小石川療養所の竹脇無我さん、同心大坂志郎さん、盗賊上がりの松山英太郎さん、名優揃いでしたね。奥様の平淑恵さん、大奥様の加藤治子さんも印象深いですね
松山英太郎の実弟は、「怪奇大作戦」 にレギュラー出演されていた松山省二 (現政路)。
私の中では「大岡越前=加藤剛」因みに、現在、CS「時代劇チャンネル」で平日の夕方に『大岡越前』『暴れん坊将軍』を続けざまに絶賛放映中!!『大岡越前』のテンション高めの山口・吉宗「上様」『暴れん坊将軍』の暴れん坊な松平・吉宗「新さん」…どちらも好き❤
面白かった
w
一番好きな金さんは西郷輝彦なんて言えない雰囲気のコメ欄・・・
シーズン2が好きでした
名奉行と言えば・・・私は落語の「佐々木政談」とか「鹿政談」を思い出すよ.
遠山の金さんはテレ朝、日テレ、テレ東を制覇した中村梅之助だな。
渋谷かつみん 松方弘樹さん世代だから知らなかったです
テレ朝は遠山の金さん捕物帳、日テレは伝七捕物帳で、テレ東はそば屋梅吉だったんですね。
大岡忠相はいつも痔の病にかかっていました!そう古文書に記録されてます!
なるほど。「鍋奉行」は仙台藩風の呼び名てことね。
鬼平犯科帳で有名な火付け盗賊改方を動画にしてください
遠山の金さんもお願いします
大岡忠相が寺社奉行になったのは良いものの、大名でなければなれない奏者番を兼帯しなかったため、大名である奏者番を兼帯する寺社奉行の同役達や奏者番達から虐げられたという話が残る。そもそも江戸城内において、奏者番には伺候する詰所(伺候席・詰席。いわゆる控室)が指定されていたが、寺社奉行職単独の詰所は用意されていなかった。通例では寺社奉行は奏者番と兼帯であるので、奏者番の席に伺候していればよかったが忠相はそうではないため、奏者番の面々は「ここは(大名の格式である)奏者番の詰所である。」として、旗本格のため奏者番ではない忠相の立ち入りを禁じた。このため数年に渡り忠相は、江戸城内で固定の詰所を持たないままに寺社奉行を務めていた。数年後にこの事態にようやく気がついた将軍吉宗により、“寺社奉行の専用の詰め所”が制定されて忠相にも控室が与えられることとなり、その後で大名に昇進。大岡忠相が同僚の寺社奉行からイジメを受けるシーンを大河”八代将軍吉宗”で見たような気がするが、正確には覚えていない。
寺社奉行になった大岡忠相は居場所を与えられず、1日中廊下を歩き回っていたという話を本で読んだ記憶があります。有能な人物にとって、仕事をさせてもらえず、居場所も無い名ばかりの栄転は、耐え難い屈辱だったことでしょうね。
記憶にある「最古の金さん」は「中村梅之助版」だった(再放送の可能性もあり)←ここは越前の話題やっちゅうねん!
わたしは片岡千恵蔵だなぁ。
@@user-dy4hx6xf8v 殿>「中梅→杉様w→松弘」の順。大岡は…個別では見てなくて、八代絡みでの代々が印象残ってます。
親分&子分ズの「遠山の金さん」ググって聴いたら一瞬であの頃にタイムスリップした
@@零式艦上戦闘機-s2w 殿>それぞれに想いのあるドラマシリーズですね。
河内院 これらの俳優は1970年以降のシリーズものですね。チャネルは違うかも知れないが、それ以前にも役者が放送していたなぁ。さらに芝居小屋でも。
私は遠山の金さんと言えば杉良太郎さんです♪✨
昔、私が店番やってた道場に、大岡越前の子孫だって人が来た。
金さんは杉良太郎のほうが思い浮かぶ
金さんは、杉良太郎さんか中村梅之助さん(中村梅雀さんのお父上)の方が好きです。梅之助さんは「伝七捕物帖」の方をイメージする人の方が多いでしょうか?大岡裁きなら、3方1両損や産みの親か育ての親の話ですね。どちらも創作ですけど。あんまり言うと年寄りみたいですけど、まだ若い方ですよ(=^ェ^=)
@Francoise Arneur さん結局、お七は自分は十六だと言い張って、死罪(火炙り)になるんですよね。
@Francoise Arneur さん人情話に町奉行が絡むと、大岡忠相か遠山金四郎になりますね。歌舞伎や落語などで脚色されるので、町人に親しまれた奉行の話になります(о´∀`о)
@Francoise Arneur さん「金公」と言うよりもキムコと言った感じですよ( ;゚Д゚)笑ってしまいましたけど(^-^)v
tera sen様 一つどうしても気になることがあるのでリクエストしたいのですが。確か、江戸時代のセーフティーネットで、大商人が貧しい町人にお金を寄付している(打ち壊し対策もあったと記憶しております)という記憶があるのですが、実際のところどうなのでしょうか。コメント程度で良いので教えてください(トマ・ピケティの本を読んでいて、気になってしょうがなくて)。。。何卒、よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。不勉強で申し訳ございません、寄付といえば江戸よりも大坂というイメージしかないのですが、ただセーフティネットという事であれば江戸町会所が思い浮かびます。松平定信によって設けられたこの会所は、平時に積み立てた銭や米を災害時などに貧民に交付、また貸し付けるという組合の様なものだったらしいです。町人によって運用されていたこの施設は、お上にのみ頼らない民間の保険といったもので、当時としては画期的なシステムだったと個人的には思うのです
ありがとうございます。実は社労士の勉強していて、戦後から大半(健康保険は大正期あたりから)の労働保険・社会保険で江戸時代の時は基本、親の面倒は、基本、子がみる等は聞いていたのですが、餅は餅屋に聞いた方が足掛かりとしては十分かと思いまして(気が向いたら作ってほしいですが・作成の「お気持ち程度」なら寄付します)。
大岡越前は田村亮、遠山の金さんは杉良太郎のイメージが強い
ロンブー???!!!
実は我が家は遠山家の血統(ものすごーく遠い)ですが、役が代わる度に面長で切れ長の目の俳優でないと「これは遠山家の顔じゃない」と母が文句を付けていました。母は父を顔で選んだんじゃないと言ってるけど何だかなぁ…
歳がバレルけど、大岡越前は加藤剛。遠山の金さんは高橋英樹。てへッ😳鬼平は中村吉右衛門。
霊夢にも兜をしてあげてほしい
大岡が兼任した関東御用掛のブレーン兼実行部隊として大活躍したのが荻原重秀の子供である乗秀。吉宗時代には綱吉期に活躍した政治家・官僚が多く復帰しており、生類憐れみの令はともかくその政策・経済はかなり評価されていました
長谷川平蔵もやって、大岡越前は中国の逸話とかの焼き直しが多い、長谷川平蔵は刑務所に自立支援施設を作った人、世界初だよ!
久保田藩 狭山藩 高松藩 黒羽藩 安芸広島藩 福岡藩をお願いします🙇♂️
川にゴミを捨てると船の運航の妨げになる為違法投棄は禁止、古着書付等再利用も盛んで欧州よりクリーンな都市だったそうな。
江戸前期の刑法は家康が影響を受けた今川仮名目録をベースにしているんだよな
忠相が能登守のままだったら番組名が大岡能登になっていた。
その発想はなかった(・ω・;
赤坂に大岡越前ゆかりの神社があったような。
江戸幕府はなんで警察権と裁判権を分けなかったんだろう両方を一人にやらせたらそりゃ町奉行は過労死するだろ
警察権と司法権を分けるという考え方自体がなかったんでしょうね。幕府は基本軍事政権だから。
奉行といえば鍋奉行が有名ですね。
鍋奉行ならやったことあるぞ!
遠山の金さんは杉良太郎や松方弘樹だよ、杉良太郎の「すきま風」は最高。
雪かきしたい・・・嫌だけど・・・でも寂しい
江戸町奉行とは、現在の警察庁かな?
江戸町奉行は江戸で行っていた業務で「司法・警察」「消防・防災」「民政」と多岐に渡り、現在の官庁組織で言えば、「東京都知事」「最高裁判所長官」「警察庁長官」「警視庁の警視総監」「東京消防庁長官」等の役職を一人で兼任していたようなもの。
@@五十嵐真一-h6v さん・成程、一人で〜兼務の役所仕事ですか?昔の人は、
遠山の金さんが「北大路欣也」ですか?私は「中村梅之助」です。年齢がばれちゃいますかね?(*^▽^*)
金さんといえば杉良太郎
金さんも大岡も痔だったらしいな。当時はボラギノールもないから辛かっただろうなぁ……
某大河wでの「やまいだれに『寺』」は笑った。
トリビアの泉でやっていた。
痔血走り候
江戸時代の三大奉行、町奉行の北町奉行所と、南町奉行所の現在の位置関係は❓️ 何と言っても南町奉行所は、現在の有楽町東口の広場の吉野家の店先です(笑)当時は犯罪者や極悪人、または役人でもなければ入れなかった場所ですが、今は、お腹が空けば誰でも入れます❗(笑)さしずめ、現在の国会議事堂内の吉野家のようです‼️話はそれますが、北千住の吉野家さんは旧日光街道沿いの、江戸時代の、将軍様が鷹狩りに行く際に御休憩された、御殿跡地内にお店があります、恐らくグレード的には将軍の鷹狩り用の宿泊施設なので、南町奉行所跡地よりもランクが上だと思われます❗(笑)当時のお奉行様も幕府の役人ですから、普段の生活は今で言う官舎に住んでいまして、吉良幸之助邸より、東側の、今の地下鉄新宿線の菊川駅のほぼ真上の鰻の天千代さんが、その官舎跡地になります👌天千代さんは明治時代創業で、直接、時の明治政府から土地を購入して、創業したので間違いがありません、私の家(松平家から土地を購入、シーボルトが住んでいた)と同様ですね👌そして北町奉行所の位置は、東京駅の日本橋口の新しく出来たビル、今にも倒産しそうな出前館の東京本社蛾、入っているビルです‼️現在のお店等の目印で位置関係が分かって貰えればと思いました‼️
日本は明治の御維新までは日本は律令国家ですよ。あくまでも、原則論として、ですが。鎌倉の御成敗式目も、律令を否定してませんし、その後も各政権による律令の否定はされてません。正式に律令が否定されるのは明治の御維新時です。まあ、律令制のもとでも律外の官なんて置かれ、有名無実化してましたけど。
@Francoise Arneur 様その通りです。律令を改正して、大日本国憲法が発布されました。ただ、律令と憲法には連続性がほぼ絶無であるため、私は律令が否定されたと評価し得ると考えております。ま、ここから先は人それぞれの評価になろうかと思います。
@Francoise Arneur 様現行憲法については、おっしゃるとおりだと思います。何せ不磨の大典と呼ばれた明治憲法が、進駐軍に所属する夢見る少女の妄想によって現行憲法に置き換えられたという事実を踏まえれば、明治及び昭和における律令や憲法の否定ってのは、日本の場合、外的要因により引き起こされると見るべきなんでしょうね。ただ、律令下においても、明治憲法下においても、現状にあわせた令外の官が置かれた事を鑑みれば、現行の律令や憲法の不備を、現状にあわせ施行規則や法律で補っていくと言う事は、律令や憲法の否定には当たらないと私は考えております。最も至近な例で言えば、私学助成がそれに当たりますよね。公の支配に服さない教育に対する公金の支出は憲法89条が厳に戒めることですが、1条校を設置することにより、私学に対する助成を実現してますよね。これは憲法89条の否定ではなく、運用やその解釈(公の支配に服するとは何か)を規定することにより実施されてます。これは現行憲法の否定に当たらないと私は理解しております。ま、律令の方は現状からの乖離が激しすぎて、完全に有名無実化してたってのは歴史が示す通りではありますけどね。
暖冬は嫌いじゃ❗冷夏も嫌いじゃ❗
山田奉行所、昔調べたな。
遠山の金さんと言えば杉良太郎、もしくは西郷輝彦さん
高橋英樹も良いよ~~🤣
大岡忠助の肖像画はいい顔してんなぁ
山形に雪が全然なくてスタッドレス買った意味がなくなってしまった。(あ、関係ない話でゴメンナサイ)
与力って25人くらいしかおらんのか
テレビ局が作ってんだからそりゃインチキのオンパレードでしょうよ
今の時代でも残る、鍋奉行。権限ありすぎ。
金さんは杉良かな^^;;
そ
暖冬はクソぞ❗️
金さんは杉良太郎そこは譲れない。
西郷輝彦だろ(´・ω・`)
冷やっこくて
脱線が多い
おっさんとしては遠山金四郎は中村梅之助さんですなあ。
桜吹雪を見せる時の見栄の切り方が粋でいなせでたまらなく好きでしたなあ。
伝七捕物帳もよかった。
nyanzosan nyanzosan よよよい
動画にも書いている通り、行政や治安維持は各地域の町方とかに寄るとこが大きく
実際に治安維持を行っていたのは、銭形平次みたいな十手持ちだったが
彼らの多くが、ゆすりたかりで生計を立てていたそうだ。
あと、長屋の大家とかも行政権が認められていて。素行の悪い入居者など処払いする権限とか有していた
こういう司法権や行政権を細かくわけて地域自治が出来ていたから。わずか150人ほどの与力しかいない町奉行所で百万都市江戸の行政や治安を維持していたのだ
ワシも中村梅之助
公共に尽くす愛のある人を評価する人が上にいたのがまたすごいな。いまの日本はモラルが破綻している。賢いだけじゃダメなんだな。
今回も面白かっです。
江戸時代の行政を、現代の行政に置き換えて想像出来るところに、改めて歴史の繋がりを感じることが出来ました。
ありがとうございました。
元々1000石以上の上級旗本の出身で最終的に大名にまで出世した異例の人物。吉宗にとっては非常に信頼できる行政官といった人材だったんでしょうね。
町奉行を務めた後に寺社奉行になっている。他の奉行とは別格で寺社奉行は譜代大名から選ばれる事になっているが
大岡は旗本で勤めているのだから、異例の事だった
その後で、役職に合わせるように石高を加増され一万石の大名になっているな
シチューのCMが流れると冬だなぁと実感しますね。
「大岡越前」に出てくる吉宗がやたらテンションが高くて好き
忠相が加藤剛、吉宗が山口崇。この二人は大河『風と雲と虹と』で平将門(加藤剛)、将門の従兄弟でライバルの平貞盛(山口崇 )としても共演されてますね。お二人とも既に鬼籍に入られてます。でも子供心になんて上手くて男前な役者さんだろうと思って見てました。
@@persuasion-heartbeat.mfd-f8331 山口崇さんはご存命!
加藤剛の大岡越前は山田奉行の所から物語が始まっているから、何と無くは分かっていたな。
20年も務められる人もいれば過労死しちゃう人もいる職業とは、お旗本といえども大変だな。
それに石高を考えると、ドラマみたいにお奉行自ら出てくると、旗本といえども小さい旗本は頭が上がらんな。
例えば大名格の悪徳検校と対決したり
40年くらい前は大岡越前と水戸黄門が入れ替わりでシリーズを重ねて行ってた。
家族団欒で観る定番時代劇。
年がバレるかもしれないけど。
大岡越前も、12部あたりからだったかな?小石川養生所医師役は榊原伊織(竹脇無我)と結城新三郎(西郷輝彦)が入れ替わりで出演してたような?
最終回で江戸に着いた後、弥七とお新が黄門様を見送るシーンが定番でしたね。
竹脇無我さん演じる伊織先生と小料理屋たぬきの三次。自分はこの二人の演技が好きでした。
本当に年がバレますな。
たまに『江戸を斬る』もやってましたね。
小学生も普通に時代劇観てた時代が昭和。
今回も楽しく拝見させて頂きました。大岡越前といえば、やはり加藤剛さんですね。近年になって東山紀之さんが演じていますが、東山さんの大岡越前に加藤剛さんが共演された時は、感慨深いものがありました。ところで魔理沙さんは政宗の三日月形の兜がお気に入りみたいですね(^^)/
大岡越前のドラマの版権を制作会社が持っているので、主題歌と題字がTBSとNHKで同じものを使えたらしい。それから、加藤剛氏の息子の加藤頼氏が同心約でNHKのドラマに出演していて『このドラマ、自分の親父が…(内容を覚えていない)』と語っていた。
町火消の左の絵のまといは上の丸い部分はケシの実を表し、下の四角い部分は枡を表していて、つまり[消します]の意味だそうです。
しゃれてる。 マスの絵で同じようなのがあるな。
能力より家柄で役職を与えるという悪習のために、幕末に至っては勝海舟に「アメリカは我が国と違って上に行く程優秀です」なんて言われてしまう惨状に陥っていましたが、大岡忠相は吉宗に見出されただけあって掛け値なしに優秀ですね。しかし大岡忠相をもってしても大商人達相手には苦戦、目論見通りには行っていません。本当にどうすれば良かったのやら…。
第二次大戦前夜にソ連のジューコフ元帥に「下士官は優秀、士官は普通、将校は愚劣」と評されたし、家柄云々関係なく我が国の宿痾なんじゃないかね? 現代でもそう変わってるようには思えん。
TheHaimani
優秀な人は組織を出ても他の組織から呼ばれるし、独立しても上手くいく。無能な人は組織に属していないと何もできない。上に行くほど無能になるのは当たり前
そういう点でいえば、経済に影響を与える商人達は独立した優秀な存在だから手強かったとも言えますな、ただ目的が国のためでなく、自分本位!
加藤剛さんの30年続いた大岡越前も、最新のNHKの東山紀之の大岡越前も、主題歌は山下毅雄さんのやつなんだよね、しびれるわ~。ありがとう「株式会社シー・エー・エル」
ムール貝の悪夢 加藤剛の大岡越前のゲストに高橋悦史や西岡徳馬と言った文学座出身の俳優が出るのが良かったよね。
面白かった👍
僭越ながら、チョットだけ補足します。
実は、江戸の町奉行所には南町奉行所(南番所)、北町奉行所(北番所)の他に「中町奉行所(中番所)」の三奉行所が鼎立していた時期があった。
江戸の町奉行所が三奉行制だったのは、元禄15(1702)年に鍛冶橋内に「中町奉行所」ができてから、享保4(1719)年に廃止されるまでの16年間だったという。
中町奉行に就任したのは、丹羽長守(にわ ながもり、1643~1726)と坪内定鑑(つぼうち さだあき、1649~1723)の2名のみである。
丹羽長守は元禄15(1702)年に中町奉行に就任。坪内定鑑は宝永4(1707)年に南町奉行から中町奉行に転任し、同時に丹羽長守は中町奉行から北町奉行に転任し、南町奉行には松野助義(まつの すけよし、1648~1720)が北町奉行から転任したという。
これは宝永4(1707)年に、最北の常盤橋内にあった奉行所(北町奉行所)が、最南の数寄屋橋内に移転して「南」となり、鍛冶屋橋の脇にあった奉行所(南町奉行所)が位置的には「中」に、鍛冶屋橋と呉服橋の中間にあった奉行所(中町奉行所)が位置的には「北」になったための転任であったとされる。
(まったくもって、ややこしくて、わけわからん・・・・www)
なお、この幻の「中町奉行所」を扱った時代劇も実在する。
タイトルは『江戸中町奉行所』(テレビ東京系)。
放映時期は、
第1シリーズは1990年7月~9月、金曜21:00~21:54に全13話。
第2シリーズは1992年4月~6月、金曜21:00~21:54に全12話。
主演の同心役は近藤正臣、田中健。中町奉行(丹羽長守)役は丹波哲郎だった。
真田幸村が水戸黄門みたいなチャンバラのドラマって、風雲真田幸村ですかね?
あれは面白かった!六文銭が三途の川を渡してやる!って決め台詞。
横内正さんの大岡様が一番好き。
吉宗と旅をして、旅費稼ぎに賭場に行って面白いとはまりかけるのをたしなめる吉宗との掛け合いが面白かった記憶が。
@午後の悪夢 Part2 松平健です。
私、毎日、暴れん坊将軍を見てるんで…
@午後の悪夢 Part2 203高地は明治時代の日露戦争の話しです。
歌っていたのは、確か五木ひろしで『契り』という題名だったと思います。
@午後の悪夢 Part2 様
思い出して良かったですね。
ついでに『連合艦隊』の主題歌『群青』歌手、谷村新司も良いですよ🎵
(蛇足です😳)
町奉行と来たら・・・火付け盗賊改めの解説お願いしますw
火つけ盗賊改は、もっぱら盗賊の捕縛を中心にやる役職で、町奉行のように江戸の行政権まではない
それだけに町奉行より格はかなり落ちるよ
有名な長谷川平蔵は500石程度の旗本だったというし。
町奉行が3000石の旗本から選ばれる事と比較すればその格の違いがわかるでしょうが
町方が役方(文官)だったのに対して火付盗賊改方は番方(武官)で、凶暴化・武装化し放火までするようになった盗賊に対処するための組織で今で言う軍警察や国家憲兵みたいな役職ですね。
深川奉行はフィクションだが、本所・深川地域を管轄する本所奉行はあった、高速鯨船で悪巧みの現場に突貫する…ことはしないw
のちに江戸の牙で有名な本所方になる奉行でしたでしょうか。
何と言っても加藤剛さん。大岡越前と聞くたび頭の中で自動変換する。毎回どこかで一回は泣きながら見ていた。あまりに加藤剛さんのセリフが心に沁み入りすぎて
私も大岡越前=加藤剛さんですね。いや、加藤剛さん=大岡越前のイメージです。はまり役でした。
江戸町奉行の組織や業務についてよくわかりました。
遠山の金さん、杉良太郎もお忘れなく。
125人の与力や同心(お目見え以下の下級武士)で今の東京を管理していたわけではありません、町奉行所の管轄は今の都心部のみ、幕末には朱引という境界線が引かれ(今の都心と文京、台東、江東、品川区の一部)と管轄が広くなりましたが基本的には外堀の内側が管轄でした。
他の方も書かれているように隅田川の向こう側(川向うと呼ぶ)は本所奉行が担当していました。
町火消も江戸イロハ48組が江戸を、本所深川16組が川向うを担当していたように江戸という町は非常に狭い地域でした。
おまけに江戸市中の半分以上は武家屋敷地だったので町奉行の管轄ではなかったので実際に管理していた地域は今の千代田区中央区の外堀通り西側の町人地だけだったのです。
@Francoise Arneur はいそのとおりです。
大名旗本でも単独で将軍に会え目を合わせて直接会話できるのは国持大名と寄り合いと呼ばれた高禄の旗本だけでした。
殆どの大名旗本は集団でのお目見えでうずくまったまま将軍の気配を感じるだけだったそうです。
金さんといえば中村梅之助やろ!
火付盗賊改方をやって欲しいです。
すごく有能な官僚だってのは解った
もし綱吉の時代に忠相がいたら生類憐れみの令とか赤穂浪士討ち入りの事とかどう治めていただろうな
町奉行は、現在で言えば、東京都知事、東京高裁判事、東京地裁判事、警視庁長官とそして国務大臣の役目も一部になっている
旗本としては最高位の住職だ。これより上は譜代大名以外はなれない。
しかし将軍や老中あるいは大名家にモノ申せる立場ではないよ。生類憐みとか赤穂浪士討ち入りとかを裁ける立場ではない
町奉行所北・南が有名ですが一時的に中町奉行所もありました
初代が丹羽遠江守の奉行所ですね。
時代劇でも江戸中町奉行所というのがありましたね。
@@oumiya_goinkyo 近藤正臣主演でしたね
当時の中町奉行が能登守だったから、大岡能登守改め大岡越前守になった。当時は官名が大廊下・大広間・溜間以外の大名は老中と被らない、同じ名字で官名が被らない、同役と被らないとかあった。だから、柳沢出羽守保明が松平姓と吉保の名前をを与えられた際に出雲松江松平家の当主が出羽守だったから出羽守改め美濃守になった。
南町奉行と北町奉行は、行政区分で分けていたのではなく
南と北が月交代で役目を担っていたのであり
どうにも非効率的なやり方に感じてならないな
そこに中町が加わったらさらに酷い
どうもはじめまして 面白かったですね 聞いた話ですが一度だけ本当に大岡越前がお白州で裁きをしたらしいですね 間違いだったらすいません 遠山の金さんもやってほしいです 次回も楽しみにしてます
大岡越前と時代劇繋がりで「今大岡」とも呼ばれた長谷川平蔵こと長谷川宣以はどうでしょうか。 …まあだいぶ時代はくだってしまいますが。
ギャン沢グフ夫 長谷川平蔵是非お願いします!
大岡越前と長谷川平蔵では格が違うよ。
町奉行は行政権や司法権もあったけど。火つけ盗賊改は、司法権もあったようだが。基本的に治安維持だけだからな
時代劇だと、和歌山生まれの吉宗と幼馴染というキャラクターだったけど、全然違ったのね。実力で大名にまでなった唯一人の人物とは本当に凄い人だったんですね。
大岡忠相役は加藤剛さん、横内正さん、田村亮さんが浮かびます
同感です!
両替商は今の金融業
金融業はいつの時代も政府最有力者と癒着してるから
奉行ごとき恐くないんだろな
@Francoise Arneur
それでも正しい、銀行や証券会社ってこと
江戸の三井と大阪の鴻池が有名で大名から旗本まで沢山金貸してる
そのうえ有力者に多額の賄賂も送ってるからね
それと対峙する大岡忠相は凄いのです。
@Francoise Arneur
間違えです
日本政府が定めている事業区分の金融業では
銀行、証券が入っています。
忠相が山田奉行に着任している際に、現地をお忍びで訪れて密漁をしていた吉宗(山口崇)をポカリと殴りつけたシーンが忘れられない。
時代劇だけのお話なのを改めてお勉強、忠相君、ちょっとばかし挫折しましたか、物価に憑いては現在でも難しいですね。
本題ではないのですが……「配達された宅急便がクールでもないのに冷たい」ことで、冬になったことを実感する。
思わず笑いました。お住まいは豪雪地帯? 北陸? 東北? それとも北海道?
-
私の住むドイツでは、冬場は、特に夜は零下に下がる。昼間でも、外は冷蔵庫よりよほど温度が低いから、バルコニーが冷蔵庫代わりになる。
但し、うっかり葉物野菜などをバルコニーに出しておくと、寒さ防止に保温(保冷)バッグに入れておいても、がちがちに凍っていたりします。(笑)
ウィーンに住んでいた頃は、古い建物で、二重窓の間に何十センチかの隙間があり、そのスペースが野菜・果物の冷蔵保存にはちょうど良かったのですけれど。
ドイツの本拠地のアパートは、二重ガラスとブラインドーで断熱仕様なのですが、隙間のスペースがないから、冷蔵保存には向かないのですよね……。
ここのコメ欄では40代の俺は若い方だな。
好きな役者は誠実・実直な加藤剛、人情の杉良太郎。
奉行のお話面白かった。
んで、町奉行の大岡越前と火盗改の鬼平ってどっちが偉いのですか?
って言うか、時代劇を見てるとどっちも捕り物をやってるんですけど、両方の立ち位置ってどうなってるのでしょうか?
大岡越前でしょ。
大岡越前は、確か、一万石位の大名クラスになってる…たと思ったけど…
出身から考えれば大岡家、長谷川家ともに身分は旗本ですから同等ということになります、が家禄では大岡家が一千九百石なのに対して長谷川家は四百石ですから立ち位置としては大岡家の方が遥かに上だったのでしょう。最終的には寺社奉行にまで大出世した大岡越前は一万石の大名となるわけですから圧倒的に大岡越前が上という事になると思います。
寺社奉行と勘定奉行それに町奉行の三奉行
動画の通り、寺社奉行だけが譜代大名から選ばれ、奉行の中でも別格とされている
大岡忠相はデスクワークで多忙すぎて出血するほどの痔になってついに仕事休んでしまったっていう記録もあるよね。
豊川稲荷東京別院行ったばかりの自分には当にタイムリーな回。
原正和 愛知県豊川市にある豊川稲荷の直轄で大岡忠相によって作られた別院ですね
平成30年12月から翌31年1月まで豊川市の桜ヶ丘ミュージアムで大岡越前展をやっていました。
大岡越前由来の品が展示されていたので良かったでしたよ
豊川稲荷からは徒歩10分ぐらいの場所で一日で両方巡れる所でした
他の方が書いていますが、風雲真田幸村の決め台詞、日の本一の兵ぞ、が今も覚えています。
前々回の動画を見たせいか、麒麟が来るの宣伝番組で、勝新太郎さんの秀吉役の台詞などが、ああ!!となりました。
のちに出てくるかもしれない、鬼の平蔵こと長谷川平蔵も楽しみです。大岡越前は判例の前例に基づく判例を作り、長谷川平蔵は受刑者の教育に力を入れたことを教えてほしいです。鬼平犯科帳は中村吉右衛門をモデルに池波正太郎が書いたと母が言っていました。でも発表された当時は若過ぎるので演じきれませんと断られたから、萬屋錦之介が演じたとか。その後、丹波哲郎を経て、吉右衛門になったとか。
魔理沙が言っていた、加藤剛の大岡越前、松方弘樹の遠山の金さんのイメージを持っています。
前回から、魔理沙が眼帯を外した姿、反対意見が半数を超えるまで、続けてほしいです。幕末も仙台藩が東北諸藩を纏めようとしていましたし。
真田幸村が水戸黄門みたいに悪を懲らしめる時代劇ってテレ東でやってた「風雲!真田幸村」ですかね。
幸村は北大路欣也さんが演じてました。
加藤剛さん、小石川療養所の竹脇無我さん、同心大坂志郎さん、盗賊上がりの松山英太郎さん、名優揃いでしたね。
奥様の平淑恵さん、大奥様の加藤治子さんも印象深いですね
松山英太郎の実弟は、「怪奇大作戦」 にレギュラー出演されていた松山省二 (現政路)。
私の中では「大岡越前=加藤剛」
因みに、現在、CS「時代劇チャンネル」で平日の夕方に『大岡越前』『暴れん坊将軍』を続けざまに絶賛放映中!!
『大岡越前』のテンション高めの山口・吉宗「上様」
『暴れん坊将軍』の暴れん坊な松平・吉宗「新さん」
…どちらも好き❤
面白かった
w
一番好きな金さんは西郷輝彦なんて言えない雰囲気のコメ欄・・・
シーズン2が好きでした
名奉行と言えば・・・私は落語の「佐々木政談」とか「鹿政談」を思い出すよ.
遠山の金さんはテレ朝、日テレ、テレ東を制覇した中村梅之助だな。
渋谷かつみん 松方弘樹さん世代だから知らなかったです
テレ朝は遠山の金さん捕物帳、日テレは伝七捕物帳で、テレ東はそば屋梅吉だったんですね。
大岡忠相はいつも痔の病にかかっていました!そう古文書に記録されてます!
なるほど。「鍋奉行」は仙台藩風の呼び名てことね。
鬼平犯科帳で有名な火付け盗賊改方を動画にしてください
遠山の金さんもお願いします
大岡忠相が寺社奉行になったのは良いものの、大名でなければなれない奏者番を兼帯しなかったため、大名である奏者番を兼帯する寺社奉行の同役達や奏者番達から虐げられたという話が残る。そもそも江戸城内において、奏者番には伺候する詰所(伺候席・詰席。いわゆる控室)が指定されていたが、寺社奉行職単独の詰所は用意されていなかった。通例では寺社奉行は奏者番と兼帯であるので、奏者番の席に伺候していればよかったが忠相はそうではないため、奏者番の面々は「ここは(大名の格式である)奏者番の詰所である。」として、旗本格のため奏者番ではない忠相の立ち入りを禁じた。このため数年に渡り忠相は、江戸城内で固定の詰所を持たないままに寺社奉行を務めていた。数年後にこの事態にようやく気がついた将軍吉宗により、“寺社奉行の専用の詰め所”が制定されて忠相にも控室が与えられることとなり、その後で大名に昇進。
大岡忠相が同僚の寺社奉行からイジメを受けるシーンを大河”八代将軍吉宗”で見たような気がするが、正確には覚えていない。
寺社奉行になった大岡忠相は居場所を与えられず、1日中廊下を歩き回っていたという話を本で読んだ記憶があります。有能な人物にとって、仕事をさせてもらえず、居場所も無い名ばかりの栄転は、耐え難い屈辱だったことでしょうね。
記憶にある「最古の金さん」は「中村梅之助版」だった(再放送の可能性もあり)
←ここは越前の話題やっちゅうねん!
わたしは片岡千恵蔵だなぁ。
@@user-dy4hx6xf8v 殿>「中梅→杉様w→松弘」の順。大岡は…個別では見てなくて、八代絡みでの代々が印象残ってます。
親分&子分ズの「遠山の金さん」ググって聴いたら一瞬であの頃にタイムスリップした
@@零式艦上戦闘機-s2w 殿>それぞれに想いのあるドラマシリーズですね。
河内院 これらの俳優は1970年以降のシリーズものですね。チャネルは違うかも知れないが、それ以前にも役者が放送していたなぁ。さらに芝居小屋でも。
私は遠山の金さんと言えば杉良太郎さんです♪✨
昔、私が店番やってた道場に、大岡越前の子孫だって人が来た。
金さんは杉良太郎のほうが思い浮かぶ
金さんは、杉良太郎さんか中村梅之助さん(中村梅雀さんのお父上)の方が好きです。梅之助さんは「伝七捕物帖」の方をイメージする人の方が多いでしょうか?
大岡裁きなら、3方1両損や産みの親か育ての親の話ですね。どちらも創作ですけど。
あんまり言うと年寄りみたいですけど、まだ若い方ですよ(=^ェ^=)
@Francoise Arneur さん
結局、お七は自分は十六だと言い張って、死罪(火炙り)になるんですよね。
@Francoise Arneur さん
人情話に町奉行が絡むと、大岡忠相か遠山金四郎になりますね。
歌舞伎や落語などで脚色されるので、町人に親しまれた奉行の話になります(о´∀`о)
@Francoise Arneur さん
「金公」と言うよりもキムコと言った感じですよ( ;゚Д゚)
笑ってしまいましたけど(^-^)v
tera sen様 一つどうしても気になることがあるのでリクエストしたいのですが。確か、江戸時代のセーフティーネットで、大商人が貧しい町人にお金を寄付している(打ち壊し対策もあったと記憶しております)という記憶があるのですが、実際のところどうなのでしょうか。コメント程度で良いので教えてください(トマ・ピケティの本を読んでいて、気になってしょうがなくて)。。。何卒、よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
不勉強で申し訳ございません、寄付といえば江戸よりも大坂というイメージしかないのですが、ただセーフティネットという事であれば江戸町会所が思い浮かびます。
松平定信によって設けられたこの会所は、平時に積み立てた銭や米を災害時などに貧民に交付、また貸し付けるという組合の様なものだったらしいです。
町人によって運用されていたこの施設は、お上にのみ頼らない民間の保険といったもので、当時としては画期的なシステムだったと個人的には思うのです
ありがとうございます。実は社労士の勉強していて、戦後から大半(健康保険は大正期あたりから)の労働保険・社会保険で江戸時代の時は基本、親の面倒は、基本、子がみる等は聞いていたのですが、餅は餅屋に聞いた方が足掛かりとしては十分かと思いまして(気が向いたら作ってほしいですが・作成の「お気持ち程度」なら寄付します)。
大岡越前は田村亮、遠山の金さんは杉良太郎のイメージが強い
ロンブー???!!!
実は我が家は遠山家の血統(ものすごーく遠い)ですが、役が代わる度に面長で切れ長の目の俳優でないと「これは遠山家の顔じゃない」と母が文句を付けていました。母は父を顔で選んだんじゃないと言ってるけど何だかなぁ…
歳がバレルけど、大岡越前は加藤剛。
遠山の金さんは高橋英樹。
てへッ😳
鬼平は中村吉右衛門。
霊夢にも兜をしてあげてほしい
大岡が兼任した関東御用掛のブレーン兼実行部隊として大活躍したのが荻原重秀の子供である乗秀。吉宗時代には綱吉期に活躍した政治家・官僚が多く復帰しており、生類憐れみの令はともかくその政策・経済はかなり評価されていました
長谷川平蔵もやって、大岡越前は中国の逸話とかの焼き直しが多い、長谷川平蔵は刑務所に自立支援施設を作った人、世界初だよ!
久保田藩 狭山藩 高松藩 黒羽藩 安芸広島藩 福岡藩をお願いします🙇♂️
川にゴミを捨てると船の運航の妨げになる為違法投棄は禁止、古着書付等再利用も盛んで欧州よりクリーンな都市だったそうな。
江戸前期の刑法は家康が影響を受けた今川仮名目録をベースにしているんだよな
忠相が能登守のままだったら番組名が大岡能登になっていた。
その発想はなかった(・ω・;
赤坂に大岡越前ゆかりの神社があったような。
江戸幕府はなんで警察権と裁判権を分けなかったんだろう
両方を一人にやらせたらそりゃ町奉行は過労死するだろ
警察権と司法権を分けるという考え方自体がなかったんでしょうね。
幕府は基本軍事政権だから。
奉行といえば鍋奉行が有名ですね。
鍋奉行ならやったことあるぞ!
遠山の金さんは杉良太郎や松方弘樹だよ、杉良太郎の「すきま風」は最高。
雪かきしたい・・・嫌だけど・・・でも寂しい
江戸町奉行とは、現在の警察庁かな?
江戸町奉行は江戸で行っていた業務で「司法・警察」「消防・防災」「民政」と多岐に渡り、現在の官庁組織で言えば、「東京都知事」「最高裁判所長官」「警察庁長官」「警視庁の警視総監」「東京消防庁長官」等の役職を一人で兼任していたようなもの。
@@五十嵐真一-h6v さん・成程、一人で〜兼務の役所仕事ですか?昔の人は、
遠山の金さんが「北大路欣也」ですか?私は「中村梅之助」です。年齢がばれちゃいますかね?(*^▽^*)
金さんといえば杉良太郎
金さんも大岡も痔だったらしいな。当時はボラギノールもないから辛かっただろうなぁ……
某大河wでの「やまいだれに『寺』」は笑った。
トリビアの泉でやっていた。
痔血走り候
江戸時代の三大奉行、町奉行の北町奉行所と、南町奉行所の現在の位置関係は❓️
何と言っても南町奉行所は、現在の有楽町東口の広場の吉野家の店先です(笑)
当時は犯罪者や極悪人、または役人でもなければ入れなかった場所ですが、今は、お腹が空けば誰でも入れます❗(笑)
さしずめ、現在の国会議事堂内の吉野家のようです‼️
話はそれますが、北千住の吉野家さんは旧日光街道沿いの、江戸時代の、将軍様が鷹狩りに行く際に御休憩された、御殿跡地内にお店があります、恐らくグレード的には将軍の鷹狩り用の宿泊施設なので、南町奉行所跡地よりもランクが上だと思われます❗(笑)
当時のお奉行様も幕府の役人ですから、普段の生活は今で言う官舎に住んでいまして、吉良幸之助邸より、東側の、今の地下鉄新宿線の菊川駅のほぼ真上の鰻の天千代さんが、その官舎跡地になります👌天千代さんは明治時代創業で、直接、時の明治政府から土地を購入して、創業したので間違いがありません、私の家(松平家から土地を購入、シーボルトが住んでいた)と同様ですね👌
そして北町奉行所の位置は、東京駅の日本橋口の新しく出来たビル、今にも倒産しそうな出前館の東京本社蛾、入っているビルです‼️
現在のお店等の目印で位置関係が分かって貰えればと思いました‼️
日本は明治の御維新までは日本は律令国家ですよ。あくまでも、原則論として、ですが。
鎌倉の御成敗式目も、律令を否定してませんし、その後も各政権による律令の否定はされてません。
正式に律令が否定されるのは明治の御維新時です。
まあ、律令制のもとでも律外の官なんて置かれ、有名無実化してましたけど。
@Francoise Arneur 様
その通りです。
律令を改正して、大日本国憲法が発布されました。
ただ、律令と憲法には連続性がほぼ絶無であるため、私は律令が否定されたと評価し得ると考えております。
ま、ここから先は人それぞれの評価になろうかと思います。
@Francoise Arneur 様
現行憲法については、おっしゃるとおりだと思います。
何せ不磨の大典と呼ばれた明治憲法が、進駐軍に所属する夢見る少女の妄想によって現行憲法に置き換えられたという事実を踏まえれば、明治及び昭和における律令や憲法の否定ってのは、日本の場合、外的要因により引き起こされると見るべきなんでしょうね。
ただ、律令下においても、明治憲法下においても、現状にあわせた令外の官が置かれた事を鑑みれば、現行の律令や憲法の不備を、現状にあわせ施行規則や法律で補っていくと言う事は、律令や憲法の否定には当たらないと私は考えております。
最も至近な例で言えば、私学助成がそれに当たりますよね。公の支配に服さない教育に対する公金の支出は憲法89条が厳に戒めることですが、1条校を設置することにより、私学に対する助成を実現してますよね。これは憲法89条の否定ではなく、運用やその解釈(公の支配に服するとは何か)を規定することにより実施されてます。
これは現行憲法の否定に当たらないと私は理解しております。
ま、律令の方は現状からの乖離が激しすぎて、完全に有名無実化してたってのは歴史が示す通りではありますけどね。
暖冬は嫌いじゃ❗冷夏も嫌いじゃ❗
山田奉行所、昔調べたな。
遠山の金さんと言えば杉良太郎、もしくは西郷輝彦さん
高橋英樹も良いよ~~🤣
大岡忠助の肖像画はいい顔してんなぁ
山形に雪が全然なくてスタッドレス買った意味がなくなってしまった。(あ、関係ない話でゴメンナサイ)
与力って25人くらいしかおらんのか
テレビ局が作ってんだからそりゃ
インチキのオンパレードでしょうよ
今の時代でも残る、鍋奉行。権限ありすぎ。
金さんは杉良かな^^;;
そ
暖冬はクソぞ❗️
金さんは杉良太郎そこは譲れない。
西郷輝彦だろ(´・ω・`)
冷やっこくて
脱線が多い