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31:08において宗春公の逝去年を元和元年としていますが、正確には明和元年(1764)です。お詫びして訂正いたします
江戸時代の元号についてもいつか解説してほしいです
@あまのノロイ x,うg7zってぶふう?ずっxzgz
@@茨城良一 5ygzc🍬🍸🍬🍬
元和は家康の時代…
年老いた宗春が数十年ぶりに屋敷を出ることが許されたときに名古屋の町人達が町中に提灯を掲げたというところ何か涙がでてきました。おそらく宗春もこの光景に涙したんではないかと思います。
いかに幕府の権力を持ってしても宗春公が領民に慕われる政治をしていたことを消すことはできなかった。
私も涙が出ました。宗春公もきっと嬉しかったと思います。私は名古屋人ですが、今日ほど名古屋人で良かったと思う事はなかったです。
台北で同様です.
現代の世の中を活気づける為にも、宗春の政策は参考にすべき所があると思います。節制や貯蓄ではなく、あえて持っているお金を使い、経済を回す事が重要ではないかと。現代政治家にもこの動画を見てもらいたいと思いました。
宗春が表舞台から退いても庶民から深く慕われていたのは、二十一ヶ条をはじめその政策を広く流布して庶民にまで周知し、さらに自ら実践した事によるものでしょうね。吉宗といえど庶民には顔の見えない存在であり、その政策は幕府財政のためであって庶民は苦しむだけ。そんな時代に子々孫々まで語り草になるほどの大いなる夢を見せてくれた宗春を、人々は忘れる事はなかったのでしょう。
名古屋出身です。何度観てもこの動画、神回です。ありがとうございました😊✌🏼
八代将軍吉宗を最初見た時は、宗春に中井貴一さんはカッコよすぎんじゃないのと思いましたけど、今思うと結構ハマってると思います。反骨精神とか、眉目秀麗の名君イメージとか。
徳川宗春は、お金や財政の役割について正しく理解していた藩主で、財政政策は200年後のケインズの考え方を先取りしたようにも思われる政策です①前半 ●状況・・・需要不足によるデフレ ●政策 ☆倹約令などの需要規制を緩和による需要拡大 ※宗春の規制緩和はまず需要規制の緩和により需要を拡大をさせている 「規制緩和が素晴らしい」と言って需要不足のデフレ時に供給側の規制緩和を推進したら デフレはさらに長期化・深刻化する(例・現在の日本) ☆歳出の拡大による有効需要の創出 ☆資本形成 ●結果・・・名古屋はデフレを脱却し好景気となる②後半 ●状況・・・需要過剰によるインフレ ●政策 ☆引き締め ☆商人からお金(貨幣)を借りることによりお金の流通量を減らす ※現代に例えるなら日銀の売りオペ(国債を銀行に売る) ●名古屋は幕府の金貨改鋳によるインフレの影響が少なかった 宗春の財政政策の目的は「経世済民」であったのにたいして、幕府の財政政策の目的は「財政健全化」で、その結果幕府の財政は一時的に黒字化したものの、人々は貧困化しました。そして、大変残念なことに現在の政府が20年にわたって撮り続けている財政政策も幕府の財政政策に近いもです。 宗春のお墓は尾張徳川家の菩提寺建中寺(名古屋市東区)にあったが、第2次世界大戦後の名古屋市復興計画※の一環で平和公園(名古屋市千種区)に移されました。※復興計画で久屋大通・若宮大通の100m道路が誕生。市内中心部あった墓所の墓は、平和公園などが造営されそこに移された。 尾張藩はその後、宗勝、宗睦と続いた後、10代~13代まで一橋家、田安家など将軍家系統出身者の藩主が続き、尾張藩にとっては不遇の時代となりました。しかしやがて、尾張藩は幕末・維新において重要な役目を演じることになります。14代藩主慶勝の登場です。慶勝は久しぶりの将軍家系統ではない御連枝高須藩の出身であり、幕府に逆らって隠居させられますが、子供の義宜が16代藩主になると尾張藩の実権を握り、戊辰戦争に際して藩内の佐幕派を粛正して新政府側につき、尾張から江戸までの間の譜代親藩を含む大名や寺社仏閣に至るまで使者を送って新政府側に付くよう説得しました。この結果、新政府軍は大きな抵抗を受けることなく江戸まで行くことができました。もし、この維新の時に、慶勝や尾張藩が反対の動きをしていたら、歴史は違ったものになっていたかもしれません。 なお慶勝は①隠居させられていた時期に欧米からもたらされた写真にこりあちらこちらを撮影 名古屋城を最初に正式に撮影した人物は徳川慶勝②新政府に対して名古屋城の解体を申し出た(どこぞの市長もびっくり)が、 新政府に「それには及ばす」と言われ、 天守閣は1945年の名古屋大空襲で焼失するまで残った。
温知政要第3条「冤罪は国の恥 罪科はとことん調べつくせ」とか「死刑の廃止」とか理念がヨーロッパの近代刑法と同じですね。江戸時代でここまでの発想ができるってすごいことですよ。
尚、現代日本は悉く逆行した事をやっている模様
ありがとうございました。素晴らしいです。海外在住の名古屋人です。提灯のくだり、涙が出ました。
名古屋市民ですが、一番好きな尾張藩主です❤宗春公のゆるーいルールが治安向上に繋がり、名古屋に好景気と繁栄をもたらしたと思います❤タイムスリップするならば宗春公統治時代の名古屋で町人として暮らしたいです❤
確かに宗春公と聞いてニヒル役とは思うものの、経済に明るい側面があったとは知りませんでしたし、そもそも定説の名君吉宗という小学生以来の固定観念が宗春公について調べてみようなんて気を起こさせなかった。 有難うございました。
家老のクーデターで失脚に追い込まれた事は知っていましたが、朝廷や紀州藩のことは勉強になりました。こうなると宗春失脚は幕府内にある複数の派閥による内紛劇に、反体制派の尾張藩が利用されたという図式が見えてきますね。
尾張藩は幕府と対立することが多く、将軍候補を出すどころか、逆に藩の後継者を幕府から押し付けられる始末。幕末、薩長方に味方し、江戸城開城の際には、一番に城へ入城したので、幕府の不満武士も手を出すことができなかった。水戸藩も分裂、破滅したし幕末は激動の時代だった。
21:28 天才すぎる。金融政策をガッツリ学んでおられたんでしょうね。
個人としての関係は吉宗は宗春を昔の自分と同じ境遇だったこともあって気にかけており、宗春も吉宗には敬意を払っていたのは今回の動画で初めて知りました。昔よく聞かれたのは「尾張家の方が家格が上なんだから」って吉宗に対抗意識を持って真逆の政策をして名古屋を発展させたのはいいけど・・・・・って感じでしたよね。老中に睨まれたことと、発展させた後の商人たちに課税する政策を形にできなかったのが惜しまれますね
御三家の中で、尾張家そして宗春はもっと評価されて良いと思いました。今回も興味深く視聴させて頂きました。
宗春さん、この方初めて知りました。とても参考になったし面白かったです。
宗春が主人公の大河ドラマが見たい!34歳まで強制ニート、その後約10年はトリックスター、急転直下でまたニート劇的です。ニートとはちょっと違うか。本当にこんな人が居たんですね。せめてテレ東あたりで年末長編時代劇でやってくれないかな。面白くためになる動画でした。素晴らしい!
多分求めてる物とは違うと思いますが金の殿 ~バック・トゥ・ザ・NAGOYAって徳川宗春のドラマがやってましたよ
先日、名古屋城の本丸御殿を観覧してきました。完全な復元はまだ先になるとのことでしたが、本当に見事な出来栄えです!ド派手な彫刻欄間などが豪華ですごいのですが、個人的には更に奥の間に水墨画をバランス良く配するセンスに大変感動しました。
宗春のような為政者が日本に再び現れてほしいです。今の吉宗のような緊縮財政状態は庶民派つらいです
メチャクチャ泣けました。尾張にこんな素敵な漢が居たなんて‼️
尾張藩の前半まで台北で楽しく拝見致しました.宗春の人生起転落はドラマチックすぎて,一時期に幕府の圧に負けた事に見えて村から借金までだと思います.まさかな情報通の宗春がすぐ来るインフラ対策の一手だとびっくりです.最初と最後を除き,僅かな8年尾張治世の終止符を打たれても将軍からの朝鮮人参を植えてそして外出できる提灯道のシーンです."まだ覚えてくれるか?"大衆の思い出を伝えてくれる感動クライマックスで,私も泣きました.最後の天皇爆弾も非常に驚きです.
領民 領地思いのお殿様‥ 泣けてきます‥ 確かに吉宗公の二度目の貨幣改鋳は‥質の悪い元文小判や元文丁銀等を出したので‥インフレになっちゃったんですよね‥遅ればせながら‥良い動画を‥ありがとうございましたm(__)m‥
税制の歴史を考えると第二次世界大戦まで厳密な意味での重商主義における税収アップは不可能なんですよね。現在でも企業の脱税・節税が大規模にされているのに、江戸時代に企業(大商人)から安定した徴税をするのは不可能です。結局目に見えやすい農産物が主体になります。これは大英帝国ですら解決不可能でした。総力戦の時代になり政府の統制が掛けやすくなって初めて徴税システムが完成したと言っていいぐらです。田沼意次は一定の回答を出しますが、江戸時代に開放政策するのは無理がありました
非常にわかりやすかったです。三河の人間ですが、宗春は賛否ある中やはり名君だと思います。大河は今後25話構成にしてこういう地方大名とかネタにしてくれないかな…? ダメだろうけど…。
わかる。一年は長い。また一年向きではない人や話もある。宗春以外にも木曽(源)義仲とか、北畠顕家とか、最上義光とか、平賀源内とか.....半年大河でこそ見てみたい様な人物も。。。
宗春はあと10年藩主を続けていたらおそらく評価が変わったと思うので名君に入れるべきです。積極財政なんて、あの時代に理論化されていないので周囲はついて行けなかったでしょうけど、やってほしいですね。
今晩は、徳川宗春の話し有難うございました。今の時代に似ていますね。こう言う人の話しから政治を学ぶと言うのも、案かもですね。
まぁええがゃぁが、全てを表しています…素晴らしい…!
洒落てて粋で大衆の味方の人物だよな
28:37 田沼意次が失脚した時もそんな感じでしたね、日本橋中洲の件といい…
既に荻原重秀の革新的なアイデアを入念にぶっ潰した前科あり
昔、吉宗を三田村邦彦さん、宗春を西岡徳馬さんが演じたドラマがありまして、そこでは二人で仲良く諸国漫遊していたような。あと宗治の墓を金網か何かで囲っていて、吉宗の怒りがそうさせた、というテレビを見たような記憶があります。歴史は新しい証拠が見付かると変わるので、このような動画が凄く、眼から鱗、になります。これからも心身共にお気をつけて、動画投稿をお願いいたします。
その時代劇は殿様風来坊隠れ旅で三田村さんが演じたのは紀州藩9代藩主徳川治貞で吉宗の従兄弟の子で西岡さんが演じたのは尾張藩9代藩主徳川宗睦で宗春の従兄弟の子である。放送された時代は田沼時代で徳川家治が10代将軍の時
初めてコメントします。宗春の藩主の時に尾張藩に田沼意次のような人物がいたら現在の吉宗のイメージが変わっていたのでは?と宗春の話を聞くと考えます。
青春アドベンチャーの尾張春風伝聞いたら宗春のこともっと知りたくなってここにたどり着いた
従来の日本史で語られなかった、歴史の詳細を知ることができ勉強になりました。ありがとうございます
江戸自体にもバブルあったんですね...尾張藩は以外と地味だけど奥が深いですよね。
毎回分かりやすくて為になります。
>この世に、人の死は二度訪れると言います>それは本当の生命の終わりと、もう一つ、人々がその存在を忘れてしまった時です似たような台詞、銀河鉄道999にもあったなぁ漫画版で。
泣けました。脳内で中尾彬で再生されてしまうのは宿命なのでしょうか。しかしよかった・・・。
自分は中尾彬というと毛利輝元をイメージしてしまう
私はプルーン中井貴一さん
『八代将軍吉宗』の中井貴一の徳川宗春がイメージが強いです。
NHK の大河ドラマの印象と大分違っていました。名古屋の人に愛されているのがわかりました。
宗春の見方が変わった。部屋住みが長かったために民を思って自分の考えで政治を行おうとしたために後に吉宗と対決し、やがては仲違いし、謹慎処分にされたのは痛かった。やはりケチケチやるよりある程度消費してこそ金の使い方なのを宗春は分かっていて政策を出したのだけど後に頓挫してしまったのは残念。幕末、あっさり尾張徳川家は官軍を迎合し、尊王側に付いたのもやはり朝廷との繋がりが尾張徳川家にあったと言うこと、現在の当主恒孝氏は尾張徳川家の末裔だし。
宗春という人物がいたという事が、救いにもなるし心温まりました。貴重なお話を聞けて有難かったです。ありがとうございました。(*´ω`*)
八代将軍吉宗と対極的な尾張の宗春公。同じ部屋住みからの大出世❗藩主になって、「尾張名古屋は城で持つ」だったのを、一挙に大変貌させた名君。惜しむらくは、なまじ二十男で直臣に恵まれなかったこと。でも、民衆はその大繁栄させた名君を忘れなかった❗
神回です😊
鸚鵡籠中記って綱吉~吉宗の頃の生活などが詳しく書かれてる書物でこのあたりの当時の人たちの反応がよく書かれているらしいですね。
これをベースにした『元禄お畳奉行の日記』という文庫本がありますねぇ
名古屋人です✨名城公園には宗春ゾーンがあり、いつも賑わってます😊
宗春のほうが真の意味で暴れん坊
宗春がどんなに慈愛の心でまつりごとを行っても、その後の増税、支出抑制、緊縮財政は避けるべくもなく、あるいはこの失脚が明君としての宗春を救ったのかもしれないね。TERAちゃん今回も安定の高評価だ!
幕府のお上に逆らう宗春への恨みは相当なもので死後のお墓にさえ金網をかけさせ明治になるまでその金網は外されなかった(罪人のお墓にやる行為)とかまあ儒教ってのは縦の関係を重視してそれに逆らうものは死のうが生きようが永遠に許さないって吉宗大好き儒教の教えを忠実に守る仕返し方法ではあるけれど
尾張(名古屋)人の性質を考えれば宗春は最高のお殿様だったんだな。
四公六民といえば戦国時代の伊勢新九郎(北条早雲)が同じことをしましたね。彼は梟雄として有名だけど、実際は善政を行い民からは大人気の大名だったそうです。
現代の経済において見習うべきは断然宗春だな質素倹約(笑)んなもんで経済成長も財政再建もようできんわ
緊縮財政は現在にも通じる問題ですよね
この映像を拝見でき、恐悦至極に存じます
今の時代に宗春がいたら、冷えきった名古屋栄の錦三あたりを再生してもらいたい
知れば知るほど名君なのかわからなくなる人、徳川吉宗。
そりゃ、暗殺で将軍になった奴が名君のはずがない。その因果応報なのか、宗家も御三家御三卿も田安家以外は水戸の血筋になっているし、吉宗の出身の紀州家は現当主が独身の為断絶の予定だし。
倹約!増税!一揆!じゃなあ
知れば知るほど名君と感じる宗春
上様はマツケン補正が強すぎてなー。まあいいことだって結構してるんだが。
とはいえ尾張藩も羽振りの良さが祟って宗春の代で赤字だらけだからねその赤字を返済する為に次の藩主で倹約に戻るという
時は廻り‥今まさに世界中で続く我慢の生活‥このままでは駄目だと、尾張名古屋から変化を起こせるよう、きっと宗春公は見守って下さってますよね👍
入魂の労作、本当にお疲れ様です🙏。"暴れん坊宰相宗春” 👍 …… なんて時代劇、出来ないでしょうかね(笑)。
スーパースターが殿様やってる感すき
両者とも歪みや弊害も生んでますし吉宗も宗春も簡単に評価出来ない人物なんですよね経済政策に正解は存在しないと言う証明かも知れませんね
完璧な政策は存在しないんですか?
かつて、家康は任官に際して吉良家の系図を借りて清和源氏を名乗ろうとしたが、なかなか上手くいかなかった。ようやく、新田氏の一族である得川(世良田)義季(?~1247)と結びつけることによって、その目的を果たすことができたという。まさか、そのときの無理矢理こじつけた「新田氏の末裔」という虚構がこのようなところで祟ろうとは・・・。当時の幕府側に幾つかのアクシデントが重なれば、史実よりも100年早く江戸幕府が朝敵となっていたかもしれない。 蛇足ながら一言。幕初・幕末を除く江戸時代を扱う時代劇において、経済感覚のすぐれた政治家が、何故か悪役とされる摩訶不思議な法則があるようだ。
家康は藤原氏を名乗っていた時期もあるらしいですね。征夷大将軍になるためには清和源氏の末裔を名乗った方が都合が良かったのでしょうか。結局のところ徳川氏もとい松平氏の出自は不明点が多いのが実情のようです。
@@arakawaakaishi というか宗家次期当主ご本人が講演で「どこの馬の骨とも・・・」みたいな表現でおっしゃっていたのを生で見ました(笑)。
確かに水戸黄門の最終回に出てた様な…。
緩和政策は現代なら有益な不景気対策、名古屋人の現在の気質や文化の豊かさにいい影響になったのですね。痛快な殿様‼
宗春と吉宗、すごく面白いですね。
勉強になりましたm(__)m
今の政治家にちっとは学んて欲しいもんだね人の心ってもんをさ・・・
何かの時代劇で質素倹約の吉宗に対抗してバブル景気を煽ったような描かれ方をしてたな。
当時の経済が米本位制を取っていたにも関わらず、商人や町人たちの間ではお金が流通していた。これはダブルスタンダード、商業が発展し町人の力が強くなる中、米という不安定な貨幣はますます価値を下げていく。それが幕府の足かせであったが、それを改革することは明治が来るまでできなかった。武士制度の限界、それが幕末を生み出す結果となったのだろう。吉宗が武士の面目にとらわれずもっと宗治を見習っていれば、幕府は生き延びられたかもしれない。
勘違いしてるけど、当時というか戦後の近代化まで国民の大半が農民だったわけで、江戸時代に現金収入の乏しい百姓に現金納税を強いるのは不都合だったんだよ。江戸時代は現金でさえ金貨、銀貨、藩札だとか色々ありすぎて何を持ってスタンダードとせよというのか。
@@tetsupa それはわかってるだからこそ誰も改革が出来なかったわけでしょ?これを覆すには明治維新という大改革が必要だったわけだ。
徳川宗春公、偉大ですね。
今回の背景は、名古屋城か栄の繁華街の方がより良かったと思う。
しかし松平乗邑は吉宗が家重に家督を譲ると失脚させられ、加増1万石を没収され隠居を命じられるた上に、出羽山形に転封を命じられるんですよね。家重との対立との説が有力だけど、吉宗も彼を煙たく思っていたのかも。吉宗隠居後も寺社奉行として、公事方御定書の追加改定にかかわった大岡忠相とは大違い。
幕府の政策目的は、家康公時代からの現状維持、まあ、強いて言えば軍事力(人口)の増大と武士の世の功徳の達成であって、経済規模の拡大は特に目指してない…って事ですかね。石高増大で目的は叶うはずなんだけど、余剰生産力によって物流が増大し貨幣が不足。コメだけは余っているので年貢収入に依っていた武士だけが干上がっていく。商業への課税さえ出来れば、国力の増大が財政の強化にも繋がったであろうに、これでは国家経済の発展が悪いものにしか見えないわけで、ひたすら米と年貢で回る国に戻そうとするしかなかったんですかね。「村からの借金」と言うのが、商業課税にあたっていると考えれば良かったんだと思います。後は資本の行方が寡占と浪費に向かわないように、ある程度制御さえ出来れば良かったんだと思うんですが。もっとも、当時、国力を増大させて侍の相対的な価値を落として何したいんじゃい、って話もあるんですが…、そう言えば、この動画の宗春公はもう単なる武士には見えないですね。
緊縮財政にすると景気が悪くなるよね。
プライマリーバランスを黒字へって言う人がやたらいたけどさ、プライマリーバランスが黒字ってことは庶民が政府に搾取されてるって事なんだよね。搾取されたいのかねぇ・・・(´・ω・`)
やっぱり宗春と言えば、暴れん坊将軍で中尾彬さんが演じた尾張 大納言宗春を思いだす
テレビドラマでは大納言でしたが、宗春公の藩主時代の官職は中納言 ですね。
経済的繁栄を実現した人の痕跡を徹底的に消そうとするのは田沼の時も一緒やな。
田沼意次もはよ見たいわ
宗春と意次は重なるものがある
多角的な視点と評価がある人物像は人気が出るわぁ真理なんて数が限られる
絵のひつまぶしと味噌煮込みは分かるが、他にも欲しかった。台湾ラーメンとか小麦粘土・・・もといウイロウとか。
あんかけスパ🍝
最後のエピソードは聞いてて涙が出る。吉宗も蟄居後気に掛けていたなら、株を下げず良かった。
おっ!吉宗に睨まれた殿様だ。めっちゃ面白かったよ
幕府は宗春卿に「ダムナティオメモリアエ」をやったのか…
いい殿様じゃないか・・・
公家である九条家は幕末には大活躍😮
さすが名古屋県だぜ!
積極財政やっても金持ちが蓄財するだけなんだよなあ
暴れん坊将軍とか大岡越前とかで悪役やその黒幕としての場面が多い方ですが、紛れもなく名君の1人だと思います。もっと再評価されてもいい歴史上の人物の1人だと思います。
宗春の時代には理論化されていない上に改革といえば倹約しか思いつかない周囲との軋轢に苦労しただろうとは思います。もう少し宗春の藩政が続けば、幕政改革or藩政改革の定番の倹約令自体意味ないんじゃないかという考え方に変わったかもしれないだけに無念だったでしょうね。
庶民への緩和政策は大賛成。しかし支配者たる武士階級のモラル破綻放置は絶対いかん。鸚鵡籠中記を見れば、いかに尾張徳川家の武士が宗春以前から堕落してたのかがわかる。庶民が自由を謳歌しても良いが、藩校などを作って武士のモラルアップすべきだった。温知政要ごときで部下がモラルを守れると思っているのが甘い、甘すぎる。
鸚鵡籠中記で博打にのめりこんで家財道具一式売ってしまって困窮してた同僚に、筆者達がカンパで生活費を集めてあげたら本人は早速博打に行ってしまい。珍しく大勝ちしてるところを藩の役人たちに現場を押さえられてしまって追放処分になったって話がありましたよね。横山光輝氏の漫画版が出てるのでお勧めです
尾張宗春公が出たのなら 次は、紀州治貞公と尾張宗睦公ですな
味噌煮込みうどんとひつまぶし!
…今の吉宗はサンバで賑わせていましたね
幕臣「倹約は上意ですので、守ってもらわぬと困ります」宗春「倹約倹約ってそれ何の意味があんの?」宗春「カネは使ってこそ意味があるんやで。上様はなんでそんな簡単なこと分らんのかの?」(TV番組 今夜はヒストリーにて)
犬王という映画を見てきても思ったが、権力に消されたとしても言い伝えられることで生き続けるというメッセージを徳川宗春からも教えられる
実際今でも名古屋は栄えてるしな
宗春「八代将軍へっぽこ将軍やることなすこと的外れ〜🎶」(特大ブーメラン)
神回提灯の所でぶわっと来ました
これ大河ドラマにすべきでは?
背景はどこだろう?岐阜羽島あたりかな‥
宗春3割、吉宗7割位の政策がちょうど良さそう
今回もいい動画でした。宗春は登場するのが早すぎたかな。田沼時代だったらあるいは・・・余談ですが、吉宗を名君と思ったことはないな。ある程度主人公が美化される大河ドラマを見てもこいつクズだなって思ったから。暴れん坊将軍とは真逆の人です。ややスケールが小さいけど似たようなことをしていた姫路藩主榊原政岑公も、似たような罪状で強制隠居させられてますね。しかも越後高田への懲罰転封付き贅沢って相当嫌われたんですね。
経済とは、心 である。
吉宗よりも、宗春の方が暴れん坊だな!
この動画を見たら、徳川宗春の人物像が百八十度変わりますね。何だか、現名古屋市長の河村たかし氏みたい。お祭り好きの派手好きでとても庶民的。ただ、詰めが甘いのも一緒みたい。幕府とは正反対の解放政策を実施したは良いが後々財政が逼迫し、結局それで身を滅ぼした。河村さんはそこまでは行かないけど、例のメダルかじりを始めとして、世情を考えないパフォーマンスをしてしまったり、SLを動態復元して、三セクのあおなみ線で走らせると豪語するも、宙ぶらりんで放ったらかし、名古屋城天守閣の木造復元も暗礁に乗り上げたまま、進まない。ノリ委せで、深く考えてないから全部中途半端。後半には、やること為すこと全部裏目で尻すぼみになった宗春と良い勝負ですよ。
31:08において宗春公の逝去年を元和元年としていますが、正確には明和元年(1764)です。お詫びして訂正いたします
江戸時代の元号についてもいつか解説してほしいです
@あまのノロイ x,うg7zってぶふう?ずっxzgz
@@茨城良一 5ygzc🍬🍸🍬🍬
元和は家康の時代…
年老いた宗春が数十年ぶりに屋敷を出ることが許されたときに名古屋の町人達が町中に提灯を掲げたというところ何か涙がでてきました。おそらく宗春もこの光景に涙したんではないかと思います。
いかに幕府の権力を持ってしても宗春公が領民に慕われる政治をしていたことを消すことはできなかった。
私も涙が出ました。
宗春公もきっと嬉しかったと思います。私は名古屋人ですが、今日ほど名古屋人で良かったと思う事はなかったです。
台北で同様です.
現代の世の中を活気づける為にも、宗春の政策は参考にすべき所があると思います。
節制や貯蓄ではなく、あえて持っているお金を使い、経済を回す事が重要ではないかと。
現代政治家にもこの動画を見てもらいたいと思いました。
宗春が表舞台から退いても庶民から深く慕われていたのは、二十一ヶ条をはじめその政策を広く流布して庶民にまで周知し、さらに自ら実践した事によるものでしょうね。吉宗といえど庶民には顔の見えない存在であり、その政策は幕府財政のためであって庶民は苦しむだけ。そんな時代に子々孫々まで語り草になるほどの大いなる夢を見せてくれた宗春を、人々は忘れる事はなかったのでしょう。
名古屋出身です。何度観てもこの動画、神回です。ありがとうございました😊✌🏼
八代将軍吉宗を最初見た時は、宗春に中井貴一さんはカッコよすぎんじゃないのと思いましたけど、今思うと結構ハマってると思います。反骨精神とか、眉目秀麗の名君イメージとか。
徳川宗春は、お金や財政の役割について正しく理解していた藩主で、財政政策は200年後のケインズの考え方を先取りしたようにも思われる政策です
①前半
●状況・・・需要不足によるデフレ
●政策
☆倹約令などの需要規制を緩和による需要拡大
※宗春の規制緩和はまず需要規制の緩和により需要を拡大をさせている
「規制緩和が素晴らしい」と言って需要不足のデフレ時に供給側の規制緩和を推進したら
デフレはさらに長期化・深刻化する(例・現在の日本)
☆歳出の拡大による有効需要の創出
☆資本形成
●結果・・・名古屋はデフレを脱却し好景気となる
②後半
●状況・・・需要過剰によるインフレ
●政策
☆引き締め
☆商人からお金(貨幣)を借りることによりお金の流通量を減らす
※現代に例えるなら日銀の売りオペ(国債を銀行に売る)
●名古屋は幕府の金貨改鋳によるインフレの影響が少なかった
宗春の財政政策の目的は「経世済民」であったのにたいして、幕府の財政政策の目的は「財政健全化」で、その結果幕府の財政は一時的に黒字化したものの、人々は貧困化しました。そして、大変残念なことに現在の政府が20年にわたって撮り続けている財政政策も幕府の財政政策に近いもです。
宗春のお墓は尾張徳川家の菩提寺建中寺(名古屋市東区)にあったが、第2次世界大戦後の名古屋市復興計画※の一環で平和公園(名古屋市千種区)に移されました。
※復興計画で久屋大通・若宮大通の100m道路が誕生。市内中心部あった墓所の墓は、平和公園などが造営されそこに移された。
尾張藩はその後、宗勝、宗睦と続いた後、10代~13代まで一橋家、田安家など将軍家系統出身者の藩主が続き、尾張藩にとっては不遇の時代となりました。しかしやがて、尾張藩は幕末・維新において重要な役目を演じることになります。14代藩主慶勝の登場です。慶勝は久しぶりの将軍家系統ではない御連枝高須藩の出身であり、幕府に逆らって隠居させられますが、子供の義宜が16代藩主になると尾張藩の実権を握り、戊辰戦争に際して藩内の佐幕派を粛正して新政府側につき、尾張から江戸までの間の譜代親藩を含む大名や寺社仏閣に至るまで使者を送って新政府側に付くよう説得しました。この結果、新政府軍は大きな抵抗を受けることなく江戸まで行くことができました。
もし、この維新の時に、慶勝や尾張藩が反対の動きをしていたら、歴史は違ったものになっていたかもしれません。
なお慶勝は
①隠居させられていた時期に欧米からもたらされた写真にこりあちらこちらを撮影
名古屋城を最初に正式に撮影した人物は徳川慶勝
②新政府に対して名古屋城の解体を申し出た(どこぞの市長もびっくり)が、
新政府に「それには及ばす」と言われ、
天守閣は1945年の名古屋大空襲で焼失するまで残った。
温知政要第3条「冤罪は国の恥 罪科はとことん調べつくせ」とか「死刑の廃止」とか理念がヨーロッパの近代刑法と同じですね。
江戸時代でここまでの発想ができるってすごいことですよ。
尚、現代日本は悉く逆行した事をやっている模様
ありがとうございました。素晴らしいです。海外在住の名古屋人です。提灯のくだり、涙が出ました。
名古屋市民ですが、一番好きな尾張藩主です❤
宗春公のゆるーいルールが治安向上に繋がり、名古屋に好景気と繁栄をもたらしたと思います❤
タイムスリップするならば宗春公統治時代の名古屋で町人として暮らしたいです❤
確かに宗春公と聞いてニヒル役とは思うものの、経済に明るい側面があったとは知りませんでしたし、そもそも定説の名君吉宗という小学生以来の固定観念が宗春公について調べてみようなんて気を起こさせなかった。 有難うございました。
家老のクーデターで失脚に追い込まれた事は知っていましたが、朝廷や紀州藩のことは勉強になりました。
こうなると宗春失脚は幕府内にある複数の派閥による内紛劇に、反体制派の尾張藩が利用されたという図式が見えてきますね。
尾張藩は幕府と対立することが多く、将軍候補を出すどころか、逆に藩の後継者を幕府から押し付けられる始末。幕末、薩長方に味方し、江戸城開城の際には、一番に城へ入城したので、幕府の不満武士も手を出すことができなかった。水戸藩も分裂、破滅したし幕末は激動の時代だった。
21:28 天才すぎる。金融政策をガッツリ学んでおられたんでしょうね。
個人としての関係は吉宗は宗春を昔の自分と同じ境遇だったこともあって気にかけており、宗春も吉宗には敬意を払っていたのは今回の動画で初めて知りました。昔よく聞かれたのは「尾張家の方が家格が上なんだから」って吉宗に対抗意識を持って真逆の政策をして名古屋を発展させたのはいいけど・・・・・って感じでしたよね。老中に睨まれたことと、発展させた後の商人たちに課税する政策を形にできなかったのが惜しまれますね
御三家の中で、尾張家そして宗春はもっと評価されて良いと思いました。今回も興味深く視聴させて頂きました。
宗春さん、この方初めて知りました。とても参考になったし面白かったです。
宗春が主人公の大河ドラマが見たい!
34歳まで強制ニート、その後約10年はトリックスター、急転直下でまたニート
劇的です。ニートとはちょっと違うか。
本当にこんな人が居たんですね。
せめてテレ東あたりで年末長編時代劇でやってくれないかな。
面白くためになる動画でした。素晴らしい!
多分求めてる物とは違うと思いますが金の殿 ~バック・トゥ・ザ・NAGOYAって徳川宗春のドラマがやってましたよ
先日、名古屋城の本丸御殿を観覧してきました。完全な復元はまだ先になるとのことでしたが、本当に見事な出来栄えです!
ド派手な彫刻欄間などが豪華ですごいのですが、個人的には更に奥の間に水墨画をバランス良く配するセンスに大変感動しました。
宗春のような為政者が日本に再び現れてほしいです。
今の吉宗のような緊縮財政状態は庶民派つらいです
メチャクチャ泣けました。
尾張にこんな素敵な漢が居たなんて‼️
尾張藩の前半まで台北で楽しく拝見致しました.宗春の人生起転落はドラマチックすぎて,一時期に幕府の圧に負けた事に見えて村から借金までだと思います.まさかな情報通の宗春がすぐ来るインフラ対策の一手だとびっくりです.最初と最後を除き,僅かな8年尾張治世の終止符を打たれても将軍からの朝鮮人参を植えてそして外出できる提灯道のシーンです."まだ覚えてくれるか?"大衆の思い出を伝えてくれる感動クライマックスで,私も泣きました.最後の天皇爆弾も非常に驚きです.
領民 領地思いのお殿様‥ 泣けてきます‥
確かに吉宗公の二度目の貨幣改鋳は‥質の悪い元文小判や元文丁銀等を出したので‥インフレになっちゃったんですよね‥
遅ればせながら‥良い動画を‥ありがとうございましたm(__)m‥
税制の歴史を考えると第二次世界大戦まで厳密な意味での重商主義における税収アップは不可能なんですよね。現在でも企業の脱税・節税が大規模にされているのに、江戸時代に企業(大商人)から安定した徴税をするのは不可能です。結局目に見えやすい農産物が主体になります。これは大英帝国ですら解決不可能でした。総力戦の時代になり政府の統制が掛けやすくなって初めて徴税システムが完成したと言っていいぐらです。田沼意次は一定の回答を出しますが、江戸時代に開放政策するのは無理がありました
非常にわかりやすかったです。三河の人間ですが、宗春は賛否ある中やはり名君だと思います。大河は今後25話構成にしてこういう地方大名とかネタにしてくれないかな…? ダメだろうけど…。
わかる。
一年は長い。
また一年向きではない人や話もある。
宗春以外にも木曽(源)義仲とか、北畠顕家とか、最上義光とか、平賀源内とか.....半年大河でこそ見てみたい様な人物も。。。
宗春はあと10年藩主を続けていたらおそらく評価が変わったと思うので名君に入れるべきです。積極財政なんて、あの時代に理論化されていないので周囲はついて行けなかったでしょうけど、やってほしいですね。
今晩は、徳川宗春の話し有難うございました。今の時代に似ていますね。こう言う人の話しから政治を学ぶと言うのも、案かもですね。
まぁええがゃぁが、全てを表しています…素晴らしい…!
洒落てて粋で大衆の味方の人物だよな
28:37 田沼意次が失脚した時もそんな感じでしたね、日本橋中洲の件といい…
既に荻原重秀の革新的なアイデアを入念にぶっ潰した前科あり
昔、吉宗を三田村邦彦さん、宗春を西岡徳馬さんが演じたドラマがありまして、そこでは二人で仲良く諸国漫遊していたような。
あと宗治の墓を金網か何かで囲っていて、吉宗の怒りがそうさせた、というテレビを見たような記憶があります。
歴史は新しい証拠が見付かると変わるので、このような動画が凄く、眼から鱗、になります。これからも心身共にお気をつけて、動画投稿をお願いいたします。
その時代劇は殿様風来坊隠れ旅で三田村さんが演じたのは紀州藩9代藩主徳川治貞で吉宗の従兄弟の子で西岡さんが演じたのは尾張藩9代藩主徳川宗睦で宗春の従兄弟の子である。放送された時代は田沼時代で徳川家治が10代将軍の時
初めてコメントします。
宗春の藩主の時に
尾張藩に田沼意次のような
人物がいたら
現在の吉宗のイメージが
変わっていたのでは?と
宗春の話を聞くと考えます。
青春アドベンチャーの尾張春風伝聞いたら宗春のこともっと知りたくなってここにたどり着いた
従来の日本史で語られなかった、歴史の詳細を知ることができ勉強になりました。
ありがとうございます
江戸自体にもバブルあったんですね...尾張藩は以外と地味だけど奥が深いですよね。
毎回分かりやすくて為になります。
>この世に、人の死は二度訪れると言います
>それは本当の生命の終わりと、もう一つ、人々がその存在を忘れてしまった時です
似たような台詞、銀河鉄道999にもあったなぁ漫画版で。
泣けました。
脳内で中尾彬で再生されてしまうのは宿命なのでしょうか。
しかしよかった・・・。
自分は中尾彬というと毛利輝元をイメージしてしまう
私はプルーン中井貴一さん
『八代将軍吉宗』の中井貴一の徳川宗春がイメージが強いです。
NHK の大河ドラマの印象と大分違っていました。
名古屋の人に愛されているのがわかりました。
宗春の見方が変わった。部屋住みが長かったために民を思って自分の考えで政治を行おうとしたために後に吉宗と対決し、やがては仲違いし、謹慎処分にされたのは痛かった。
やはりケチケチやるよりある程度消費してこそ金の使い方なのを宗春は分かっていて政策を出したのだけど後に頓挫してしまったのは残念。
幕末、あっさり尾張徳川家は官軍を迎合し、尊王側に付いたのもやはり朝廷との繋がりが尾張徳川家にあったと言うこと、現在の当主恒孝氏は尾張徳川家の末裔だし。
宗春という人物がいたという事が、救いにもなるし心温まりました。
貴重なお話を聞けて有難かったです。ありがとうございました。(*´ω`*)
八代将軍吉宗と対極的な尾張の宗春公。同じ部屋住みからの大出世❗藩主になって、「尾張名古屋は城で持つ」だったのを、一挙に大変貌させた名君。惜しむらくは、なまじ二十男で直臣に恵まれなかったこと。でも、民衆はその大繁栄させた名君を忘れなかった❗
神回です😊
鸚鵡籠中記って綱吉~吉宗の頃の生活などが詳しく書かれてる書物でこのあたりの当時の人たちの反応がよく書かれているらしいですね。
これをベースにした『元禄お畳奉行の日記』という文庫本がありますねぇ
名古屋人です✨
名城公園には宗春ゾーンがあり、いつも賑わってます😊
宗春のほうが真の意味で暴れん坊
宗春がどんなに慈愛の心でまつりごとを行っても、その後の増税、支出抑制、緊縮財政は避けるべくもなく、あるいはこの失脚が明君としての宗春を救ったのかもしれないね。
TERAちゃん今回も安定の高評価だ!
幕府のお上に逆らう宗春への恨みは相当なもので
死後のお墓にさえ金網をかけさせ明治になるまでその金網は外されなかった(罪人のお墓にやる行為)とか
まあ儒教ってのは縦の関係を重視してそれに逆らうものは死のうが生きようが永遠に許さないって吉宗大好き儒教の教えを忠実に守る仕返し方法ではあるけれど
尾張(名古屋)人の性質を考えれば宗春は最高のお殿様だったんだな。
四公六民といえば戦国時代の伊勢新九郎(北条早雲)が同じことをしましたね。
彼は梟雄として有名だけど、実際は善政を行い民からは大人気の大名だったそうです。
現代の経済において見習うべきは断然宗春だな
質素倹約(笑)
んなもんで経済成長も財政再建もようできんわ
緊縮財政は現在にも通じる問題ですよね
この映像を拝見でき、恐悦至極に存じます
今の時代に宗春がいたら、冷えきった名古屋栄の錦三あたりを再生してもらいたい
知れば知るほど名君なのかわからなくなる人、徳川吉宗。
そりゃ、暗殺で将軍になった奴が名君のはずがない。その因果応報なのか、宗家も御三家御三卿も田安家以外は水戸の血筋になっているし、吉宗の出身の紀州家は現当主が独身の為断絶の予定だし。
倹約!増税!一揆!
じゃなあ
知れば知るほど名君と感じる宗春
上様はマツケン補正が強すぎてなー。まあいいことだって結構してるんだが。
とはいえ尾張藩も羽振りの良さが祟って宗春の代で赤字だらけだからね
その赤字を返済する為に次の藩主で倹約に戻るという
時は廻り‥今まさに世界中で続く我慢の生活‥このままでは駄目だと、尾張名古屋から変化を起こせるよう、きっと宗春公は見守って下さってますよね👍
入魂の労作、本当にお疲れ様です🙏。
"暴れん坊宰相宗春” 👍 …… なんて時代劇、出来ないでしょうかね(笑)。
スーパースターが殿様やってる感すき
両者とも歪みや弊害も生んでますし吉宗も宗春も簡単に評価出来ない人物なんですよね
経済政策に正解は存在しないと言う証明かも知れませんね
完璧な政策は存在しないんですか?
かつて、家康は任官に際して吉良家の系図を借りて清和源氏を名乗ろうとしたが、なかなか上手くいかなかった。ようやく、新田氏の一族である得川(世良田)義季(?~1247)と結びつけることによって、その目的を果たすことができたという。
まさか、そのときの無理矢理こじつけた「新田氏の末裔」という虚構がこのようなところで祟ろうとは・・・。
当時の幕府側に幾つかのアクシデントが重なれば、史実よりも100年早く江戸幕府が朝敵となっていたかもしれない。
蛇足ながら一言。
幕初・幕末を除く江戸時代を扱う時代劇において、経済感覚のすぐれた政治家が、何故か悪役とされる摩訶不思議な法則があるようだ。
家康は藤原氏を名乗っていた時期もあるらしいですね。
征夷大将軍になるためには清和源氏の末裔を名乗った方が都合が良かったのでしょうか。
結局のところ徳川氏もとい松平氏の出自は不明点が多いのが実情のようです。
@@arakawaakaishi というか宗家次期当主ご本人が講演で「どこの馬の骨とも・・・」みたいな表現でおっしゃっていたのを生で見ました(笑)。
確かに水戸黄門の最終回に出てた様な…。
緩和政策は現代なら有益な不景気対策、
名古屋人の現在の気質や文化の豊かさにいい影響になったのですね。
痛快な殿様‼
宗春と吉宗、すごく面白いですね。
勉強になりましたm(__)m
今の政治家にちっとは学んて欲しいもんだね
人の心ってもんをさ・・・
何かの時代劇で質素倹約の吉宗に対抗してバブル景気を煽ったような描かれ方をしてたな。
当時の経済が米本位制を取っていたにも関わらず、商人や町人たちの間ではお金が流通していた。
これはダブルスタンダード、商業が発展し町人の力が強くなる中、米という不安定な貨幣はますます価値を下げていく。
それが幕府の足かせであったが、それを改革することは明治が来るまでできなかった。
武士制度の限界、それが幕末を生み出す結果となったのだろう。
吉宗が武士の面目にとらわれずもっと宗治を見習っていれば、幕府は生き延びられたかもしれない。
勘違いしてるけど、当時というか戦後の近代化まで国民の大半が農民だったわけで、江戸時代に現金収入の乏しい百姓に現金納税を強いるのは不都合だったんだよ。江戸時代は現金でさえ金貨、銀貨、藩札だとか色々ありすぎて何を持ってスタンダードとせよというのか。
@@tetsupa
それはわかってる
だからこそ誰も改革が出来なかったわけでしょ?
これを覆すには明治維新という大改革が必要だったわけだ。
徳川宗春公、偉大ですね。
今回の背景は、名古屋城か栄の繁華街の方がより良かったと思う。
しかし松平乗邑は吉宗が家重に家督を譲ると失脚させられ、加増1万石を没収され隠居を命じられるた上に、出羽山形に転封を命じられるんですよね。家重との対立との説が有力だけど、吉宗も彼を煙たく思っていたのかも。吉宗隠居後も寺社奉行として、公事方御定書の追加改定にかかわった大岡忠相とは大違い。
幕府の政策目的は、家康公時代からの現状維持、まあ、強いて言えば軍事力(人口)の増大と武士の世の功徳の達成であって、
経済規模の拡大は特に目指してない…って事ですかね。
石高増大で目的は叶うはずなんだけど、余剰生産力によって物流が増大し貨幣が不足。
コメだけは余っているので年貢収入に依っていた武士だけが干上がっていく。
商業への課税さえ出来れば、国力の増大が財政の強化にも繋がったであろうに、これでは国家経済の発展が悪いものにしか見えないわけで、ひたすら米と年貢で回る国に戻そうとするしかなかったんですかね。
「村からの借金」と言うのが、商業課税にあたっていると考えれば良かったんだと思います。
後は資本の行方が寡占と浪費に向かわないように、ある程度制御さえ出来れば良かったんだと思うんですが。
もっとも、当時、国力を増大させて侍の相対的な価値を落として何したいんじゃい、って話もあるんですが…、そう言えば、この動画の宗春公はもう単なる武士には見えないですね。
緊縮財政にすると景気が悪くなるよね。
プライマリーバランスを黒字へって言う人がやたらいたけどさ、プライマリーバランスが黒字ってことは庶民が政府に搾取されてるって事なんだよね。
搾取されたいのかねぇ・・・(´・ω・`)
やっぱり宗春と言えば、暴れん坊将軍で中尾彬さんが演じた尾張 大納言宗春を思いだす
テレビドラマでは大納言でしたが、宗春公の藩主時代の官職は中納言 ですね。
経済的繁栄を実現した人の痕跡を徹底的に消そうとするのは田沼の時も一緒やな。
田沼意次もはよ見たいわ
宗春と意次は重なるものがある
多角的な視点と評価がある人物像は人気が出るわぁ
真理なんて数が限られる
絵のひつまぶしと味噌煮込みは分かるが、他にも欲しかった。台湾ラーメンとか小麦粘土・・・もといウイロウとか。
あんかけスパ🍝
最後のエピソードは聞いてて涙が出る。吉宗も蟄居後気に掛けていたなら、株を下げず良かった。
おっ!吉宗に睨まれた殿様だ。めっちゃ面白かったよ
幕府は宗春卿に「ダムナティオメモリアエ」をやったのか…
いい殿様じゃないか・・・
公家である九条家は幕末には大活躍😮
さすが名古屋県だぜ!
積極財政やっても金持ちが蓄財するだけなんだよなあ
暴れん坊将軍とか大岡越前とかで悪役やその黒幕としての場面が多い方ですが、紛れもなく名君の1人だと思います。
もっと再評価されてもいい歴史上の人物の1人だと思います。
宗春の時代には理論化されていない上に改革といえば倹約しか思いつかない周囲との軋轢に苦労しただろうとは思います。もう少し宗春の藩政が続けば、幕政改革or藩政改革の定番の倹約令自体意味ないんじゃないかという考え方に変わったかもしれないだけに無念だったでしょうね。
庶民への緩和政策は大賛成。
しかし支配者たる武士階級のモラル破綻放置は絶対いかん。
鸚鵡籠中記を見れば、いかに尾張徳川家の武士が宗春以前から堕落してたのかがわかる。
庶民が自由を謳歌しても良いが、藩校などを作って武士のモラルアップすべきだった。
温知政要ごときで部下がモラルを守れると思っているのが甘い、甘すぎる。
鸚鵡籠中記で博打にのめりこんで家財道具一式売ってしまって困窮してた同僚に、筆者達がカンパで生活費を集めてあげたら本人は早速博打に行ってしまい。珍しく大勝ちしてるところを藩の役人たちに現場を押さえられてしまって追放処分になったって話がありましたよね。横山光輝氏の漫画版が出てるのでお勧めです
尾張宗春公が出たのなら 次は、紀州治貞公と尾張宗睦公ですな
味噌煮込みうどんとひつまぶし!
…今の吉宗はサンバで賑わせていましたね
幕臣「倹約は上意ですので、守ってもらわぬと困ります」
宗春「倹約倹約ってそれ何の意味があんの?」
宗春「カネは使ってこそ意味があるんやで。上様はなんでそんな簡単なこと分らんのかの?」(TV番組 今夜はヒストリーにて)
犬王という映画を見てきても思ったが、権力に消されたとしても言い伝えられることで生き続けるというメッセージを徳川宗春からも教えられる
実際今でも名古屋は栄えてるしな
宗春「八代将軍へっぽこ将軍やることなすこと的外れ〜🎶」(特大ブーメラン)
神回
提灯の所でぶわっと来ました
これ大河ドラマにすべきでは?
背景はどこだろう?岐阜羽島あたりかな‥
宗春3割、吉宗7割位の政策がちょうど良さそう
今回もいい動画でした。
宗春は登場するのが早すぎたかな。
田沼時代だったらあるいは・・・
余談ですが、吉宗を名君と思ったことはないな。
ある程度主人公が美化される大河ドラマを見ても
こいつクズだなって思ったから。
暴れん坊将軍とは真逆の人です。
ややスケールが小さいけど似たようなことをしていた姫路藩主榊原政岑公も、
似たような罪状で強制隠居させられてますね。しかも越後高田への懲罰転封付き
贅沢って相当嫌われたんですね。
経済とは、心 である。
吉宗よりも、宗春の方が暴れん坊だな!
この動画を見たら、徳川宗春の人物像が百八十度変わりますね。何だか、現名古屋市長の河村たかし氏みたい。お祭り好きの派手好きでとても庶民的。ただ、詰めが甘いのも一緒みたい。幕府とは正反対の解放政策を実施したは良いが後々財政が逼迫し、結局それで身を滅ぼした。河村さんはそこまでは行かないけど、例のメダルかじりを始めとして、世情を考えないパフォーマンスをしてしまったり、SLを動態復元して、三セクのあおなみ線で走らせると豪語するも、宙ぶらりんで放ったらかし、名古屋城天守閣の木造復元も暗礁に乗り上げたまま、進まない。ノリ委せで、深く考えてないから全部中途半端。後半には、やること為すこと全部裏目で尻すぼみになった宗春と良い勝負ですよ。