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画面内に出てくる『健全なポリコレ』という言葉が投稿者がいかにポリコレを揶揄し疎んじているかが良くわかる。典型的なノンポリ(日本人)仕草。ずっとそうだが日本人が日本人向けに書いた本だけを参考にするのでは難易度の高い内容は扱えないことがよくわかる。大衆向け動画なのでこれでも良いんだろうが、最後の真実をくさす言葉もノンポリ過ぎる。こういう人が維新や自民に投票するんだろう。間違った情報をどれだけ仕入れても間違いが積み重なるだけだ。
ほへー
@@mond2 うわぁ。失望させないで欲しいからこそのコメントなんだけどダメかぁ
ほーん
@@mond2 ブリカスとか言いがちなのを諭すのは良い点でした。リテラシーを底上げしてる良い動画ではある。それだけに細部に問題があるのが残念だ。
晒されてて草
韓国人です. この映像を通じて日本語と西洋史を同時に学ぶことができて良いです。
🇯🇵❤🇰🇷
日本人です。
菊池先生のご著書は軽妙なのも読んでいて楽しかった思い出がありますカノッサの屈辱を「ハインリッヒのお芝居」とか、ナポレオンのフランス皇帝をハプスブルグが「その手があったか!」みたいなの、固い本のはずなのに読んでいて思わずプッと吹き出してしまいましたハイネの「ドイツ古典哲学の本質」に通じる緊張と緩和による笑いを感じた思い出があります
「征夷をせず、将軍としての軍事知識もなく、源氏嫡流でもない」
宮将軍?
徳川家光以降も当てはまりそう。
江戸時代にはミリオタ的な「兵学」「軍学」しかそもそも存在せず、そのあたりなら将軍も教養として学んではいたでしょうね。頼朝からしても「源氏嫡流」かというと多分に怪しい。「征夷」も奥州藤原氏討伐のためだったという説があったけど、「欲しかったのは大将軍で、4つくらいの候補から消去法で『征夷大将軍』になった」という説も出てきてる。
征夷(後北条氏討伐を秀吉主導の先鋒としてやり江戸へ本拠地を移した)大将軍家康さんおつ
家康「エゲレスとかイスパニアとかオロシャとかおるやろ」
動画をありがとうございます。今回も面白かったです!
毎度ありがとうございます🙏🙏🙏💰✨
幕末に外国が開国を迫ったとき日本の政治体制を研究していて幕藩体制を神聖ローマ帝国的だと理解していたそうな。「教皇=天皇 徳川将軍=皇帝 領邦=藩領 諸侯=藩主」といった具合に。
実際幕府がうつり変わっても天皇はずっと権威として利用されてきたのも共通だし日本人にめちゃめちゃわかりやすい
摂政 関白、 征夷大将軍、 太政大臣、内閣総理大臣など名称や制度が変わっても 天皇に任命されたものが 日本 国の統治権を得る建前は変わっていない
その対比は解りやすくて納得できるんですが、天皇の英訳はEmperorなんですよねもちろん実際に教皇と天皇は山程違いがあるし、「Japanese Pope」なんて訳す訳にはいかないでしょうが、ちょっと違うなーと感じる
@@はやくてぬくい天皇はアッバース朝のカリフの様であるという欧米の研究もある。最初は自ら政権を担い徐々に政治の実権は有力家臣に移り、最終的にはスルタンを任命する権威的存在になるという流れが似ているというもの。
@@はやくてぬくい イコールというより簡略化って感じですかね日本自体がミニヨーロッパみたいな天皇も一応神道のトップですし
お疲れ様です、今回も大変勉強になりました欧州史に触れると、王侯間でヨーロッパ世界全土を共有してるような感覚が「???」だったのですが(前回のポーランド解説回とか特に!)、今回でようやく腑に落ちたような気がします彼等は土地に生きてると同時に、ローマという広大な概念世界を生きていたんですね
エンディングのボニーの言葉、これに尽きるね。事実は一つ。でも、真実はそれに向き合う人の数だけ存在する。コナン君はまだまだ子供だって事だよ。
19:08シャルルツルピカ王「今、禿って言ったよな?」アイアイ「ここ、違うチャンネル…」
アウグストゥスも自分がでっち上げた権威がこんな形で続いていくとは思いもよらなかったでしょう。
何より一神教なるものがついにはローマを呑み込み浸み込みいつしかローマの土壌のようになってしまった様はどう頑張ったって想像のしようがない
@@serorikuresonアウグストゥスの時代なんてまずキリスト教が存在してない上に元になったユダヤ教すら地方のマイナー宗教でしかないですもんね
@@serorikureson たしか最初の殉教者の女性がいろいろ強烈だったからだと思う
アウグストゥスはエンペラーに就任したのであって即位したわけではないらしいですね。そもそもエンペラーは大将軍程度の意味であって政治的地位ではないのだそうで。就任したのもアウグストゥスが最初ってわけではなく、かのユリウス・カエサルもエンペラーだった時期はあるのだそうです。ますます以て、日本の征夷大将軍と似たような役職だと思えますな。源頼朝も自分のでっち上げた権威があんな形で続いていくとは思いもよらなかったでしょう。
意地でもドイツを"Allemand""Niemcy""Germania""Saksamaa"みたいな感じでよぶ周辺諸国さんおもろい(北欧とベネルクスは割と近いけど)
是には思わず「アイアイ」ハンザみたいにぼやっとしてて掴み所がある様な無い様なwまぁ概念的なものとして残っていた部分と、きっかけからまとめて呼称した結果がややこしさを増していただけで、結局ややこしいのには変わりなかったわけだ。
建前と本音が本当に同時進行してたんだな。しっかしややこしい。
歴史には詳しくないですが大変勉強になりました。
神聖ローマ帝国の何がわかりにくいかって、欧州歴史地図として一番よくみる18世紀前後の地図において「枠だけ存在するなぞの領域」ってって部分なんよね。枠(国)として存在するのかと思いきやそれをまたいでる謎の国が2つもあるし。カール大帝の帝国が分裂して東が帝位を受け継ぎ、カロリング朝が絶え、大空位時代を経て形骸化、ヴェストファーレンでそれが固定化する、という流れを大雑把に抑えて初めて把握できる、「欧州の天地は複雑怪奇なり」の象徴とも言える国。
ゲルマン人はローマ帝国の一地方官を名乗っていたというの、なるほどってなりました。
戦国武将がぜんぜん実権ないのに関東管領とか弾正台とかの地位を朝廷から貰ってたのと同じようなもんか・・・・
ナポレオン戦争の時期から近代に入るのは国民国家という概念ができたからって思ってたけど神聖ローマ帝国の解体で古代ローマの概念もぶっ壊したからってのもあるのか
「古代ローマ帝国の魂の残滓が別のうつわに宿ったような幻想の帝国」なにげに名言じゃねうp主が考えたの?
えっへん
ものすごく文学的。ラノベ好きな人が絶賛しそう
菊池良生先生の『ドイツ誕生』『ハプスブルク帝国』『傭兵の2千年史』と三佐川先生の『オットー1世』は持っています。『傭兵の2千年史』は古代の説明で事実誤認もありますが、中世から近世のドイツ傭兵の部分は興味深かったです。自作の歴史風ファンタジー小説を書こうとして情報収集を続けていたら、神聖ローマ帝国の奥の深さに驚いたことがあります。
一人で戴冠出来るもん!なフリードリヒ2世カッコいい
するっと、頭の中に『神聖ローマ帝国』の概念が入って来る、分かりやすい動画でした。感謝!。なんて言うか、「現代に生きる私たちが、私たちの考える『国』の概念で色々と考えるから分かりにくくなるんだね」、みたいな事を思いました。
いつも面白くてタメになる話をありがとうございます。国号の話は面白いですね。Wikiedia先生によるとローマ帝国はImperium Romanumですが、そもそもSPQRでは無いのかと。いや、SPQRですら正式な国号では無かったのでしょうか。中華王朝は国号をしっかり定めるのと対照的に思えました。
あのチャンネルのシャルル禿頭王がついにコラボ🎉🎉
わかり易かったです、ありがとうございました
歴史においては「真実は一つ」なのではなく「真実は一つ一つ」とでもして、とりあえず留保する姿勢が大事なのかもしれませんね。老書生の、それこそ「老いの戯言」ですが。
おっしゃる通りだと思います。
歴史は事実・解釈・意見の三段階構造あって史料解釈こそがすべての始まりだから留保しながらどういう解釈過程があったのかを調べないといけないんですよね→史学の卒論とか研究とかやる際には 事実だけ見て意見を持つのは危ない(全体像や文脈を見る前に結論を下す)し、また新たな史料の発見でおもっきし解釈変わってしまうパターンもあるし
王国とか教会って概念は巷のなろう小説とかで使い勝手の良い舞台装置として使われがちだけど、実際にはヨーロッパ土着の制度って意味合いが強くて、そんな軽々しく持って来れるようなポータブルな概念ではないなこれ
アリアハン王国「マジかぁ…」
シ○ランド公国「歴史と伝統に裏打ちされているのだよ。」
ジオラル王国「おっそうだな」
9:33 戦国大名は勝手に国司を名乗ったりはしたけど、守護はちゃんと将軍からもらってたはず
確かに、守護の例えは不適当でしたね。おっしゃる通り国司なり官位名なりにでも脳内変換しといて下さい
間違った知識なんかは後からアップデート出来るから、大事なのはいろいろインプットってのは良いですね!
世界史出来事系好きだけど、高校は日本史専攻だったし、神聖ローマ帝国って意味わからん、と思ってたのでありがたいです。複雑で難しいけど何となく分かりました笑最後の真実はひとつじゃなくて多角的、情報は色々取り入れてアップデート出来るってすごくいい言葉でした。パレスチナ自治区問題解説もこのチャンネルの切り口で見てみたいです。(しかし平和は遠い…💧)
「神聖」「ローマ」「帝国」じゃなくて「神聖」「ローマ帝国」だからローマだけ切り出すとローマ無えじゃんってことになっちゃうのよねそもそもローマ無いのにローマ帝国名乗るなよとは思うけど巨大化した後に分裂したローマ帝国さんサイドにも問題がある
神聖ローマ帝国のわかりにくさってアウグストゥス以来の護民官職権がローマ皇帝の正当性で護民官とは平民会を就任の根拠としていて、つまりローマ皇帝は平民の支持が正当性なのにローマ教皇やら周りの君主やらが承認することで王政と何が違うのかわかりにくいのよね。
ナポレオンが第一統領から皇帝になったのも、古代ローマのアウグストゥスを意識していましたから、フランス帝国もある意味、ローマ帝国のまがい物なのかも。西洋史の「皇帝」も、単純に王様より上の世襲の位というわけではなくて、なんか理解しにくいので、いずれ解説していただけるとうれしいです。
皇帝=大君主というのは東洋の話で、ヨーロッパでは大統領とか統帥みたいなもの。"皇帝"になれば自動的に天下(中華やローマなど世界)の正当な支配権が付与されるから、皇帝に翻訳された。中華の皇帝曹髦弑逆とローマの近衛による皇帝殺害の、本人たちや周囲のリアクションの違いとかをベースに東西の違いを解説してほしい。
しいていうなら北斗の拳の拳王がもっとも近いかも・・・・一時的にでもヨーロッパを制した覇者につけられる称号で、領主や王に比べて自動的に土地や地位が世襲されるという意味合いは少ないかと。そして大衆の歓呼の声に支持されて誕生するというイメージがあるのも王との違いでローマ皇帝がローマ第一市民も名乗ってた残滓ではないかと思う。愛新覚羅溥儀が満州皇帝になる際に宇垣一成と会談したんだが、宇垣は明らかに前述のような西欧の皇帝イメージで喋ってるのに溥儀は当然ながら中国の皇帝のイメージで満州皇帝について語ってるから、話がぜんぜん噛み合っていなくて読んでいて笑える
日本でいうところの室町時代後期みたいな状態だったんですね
西フランクを継いだフランス王は皇帝を名乗ろうとしたこともあったね。フランスはよくイタリア遠征もやってたしドイツの皇帝に張り合ってたのかな。
オドアケルがロムルスを廃位したとき、まだローマの元老院は残ってたからやはり「滅亡」と呼称するのは無理がある気がします。ローマ帝国の正式国名はローマの元老院と市民(SPQR)なのでね。
ただローマ元老院が無くなった時期はよくわからないので、元老院を基準とすると西ローマの滅亡時期をはっきりと決められなくなってしまいますね。
あっ、そっかぁ(遅き理解)
@@baatarism9209どこで見たのか忘れましたが中世まで後期まで形だけ残ってたと聞きました。機能として失われたのはビザンツが再征服しに来た時と言うのが一般的かな?
ローマ人の大好きなガルムとかはいつから作られなくなったのかな...イタリア人の料理のレシピにはよくアンチョビが使われるからちゃんと子孫だなって思う
東ローマ帝国だって成立以来、ローマ持ってた時期はユスティニアヌス帝時代とかわずかだし…ローマとは概念だ
そもそも古代ローマ帝国すら後半期は割とローマどうでも良いという…っぱラヴェンナとコンスタンティノポリスよ
ローマ帝国の西半分が失われたので残った東半分を後世に東ローマと呼んだ、というだけだしね。まあ日本でも東久留米とか北広島とかお前どこやねんみたいな地名がちらほら…。
@@char5457 ま、ビザンツ帝国と同様に後世の呼び名であって自称はずっとローマ帝国だったようです
@@asakazefuji 漢帝国と同じですね。1回外戚に乗っ取られて「新」になったけれど、前漢は当たり前として後漢も「漢帝国が続いているんだ」ってスタンスだったし、国号も漢。
16:54 これってテウトニ族から来てるんですかね?
とっても知的な中二病、学校の勉強は嫌いでも知への欲求が人生をずーっと楽しくする。
突然見覚えのある禿頭王が出てきて草。あいあい(例のおサル)
「ドイツ語を話す人々の領域の領域」というのが明確に定まっていくまでにも、かなりの時間がかかるだろうから、便宜的に「神聖ローマ帝国」と名付けているのかなあと推測していました。より詳しく知ることができて、とてもよかったです。ありがとうございます。
ローマの権威の使われ方が、自力で領国を統一した戦国大名があらためて朝廷に守護職への任官を要求してたのとの似てて面白い。
伝統的に源氏が征夷大将軍になるということと照らしてみるとわかりやすかったです。
大変面白かったです。それでも調べてみればみるほど神聖ローマ皇帝は結構細かい部分で他の国の君主像から違ってきますからね……時代ごとでも変化しますし。古代ローマのトップにある人物ですら“皇帝”は誤訳でもありますしね。アウグストゥス、カエサル(神聖ローマ皇帝におけるカイザーの語源)、プリンケプス(プリンスの語源)、インペラトル(エンペラーの語源)等色々呼び名はありますけど、レックス(王)とは名乗ってませんしね。それぐらい君主号というのは曖昧というか……混乱してきますしね。
個人的にはイスラム世界におけるローマ帝国の認識の変遷がどうなってるのか興味があるオスマン帝国は実は自分たちこそがローマ帝国の後継国家だと考えていたならその後その認識はどうなっていったのか?興味はあるけど自分で調べる気になれない (`・ω・´)キリッ
個人的な考えでは地政学的にもイスラムにとっての「ローマ帝国」は目の前にあった東ローマ帝国を指すでしょうねルーム(ローマ)・セルジューク朝というムスリム国もありましたが、そのルームはアナトリア半島の地を指していましたしオスマン帝国はイスラム国家ですが、東ローマの首都であるコンスタンティノープルをギリシャ由来のイスタンブールと変えて遷都しました遷都後はルーム・カイサルを当地内では統治の為とはいえ自称してたのもあり、ローマとは東ローマのことであるという認識だったのでしょう神聖ローマについてはそもそも宗教面からも争う未来しか無いですし(東ローマの正統性を西側に唱えてもキリスト教ですら無いので議論にもならない)「ローマの正統性」はあくまで征服した東ローマの土地の貴族や住民を統治するためにわずかな間必要だっただけ、くらいだったのだろうと思います
ナポレオンが勝手に名乗ったっていうけど皇帝即位の手続きを考えると神聖ローマよりフランス皇帝の方が正統性有るように見えるけどね…
ドイツとドイツ語ってこんな由来があったんだ。しかし日本史以上にヨーロッパ史って解りにくいなあ。
コンスタンディノポリスを中心とする!例のあの国こそが!真のローマ帝国!
末期を指してるんだよって動画で言ってるのにコメ欄にヴォルテール沸いてて草枯れる
インターネットだしね。しかたないね。(´・ω・`)
ハエが湧くみたいなノリで草
ハプスブルク家の話があまり出てこないことでうまく整理できていますね(◍•ᴗ•◍)神聖でもなければ、ローマでもなければ、帝国ではない国(?)も分かりやすくていいですね。世界史でもふわっとしていて、なんかハプスブルク家が牛耳っている感が強かったのですが。
コンスタンティヌスの寄進状とか当時の権力者は何処まで信じてたんかな
高校の世界史では「神聖ローマ帝国の開祖はオットー1世」と習ったはずですが、一般的にはカール大帝が開国の祖と言われてるんですね。最近知りました。後の世にヴォルテールから「神聖でもローマでも帝国でもないやろ!」と突っ込まれてるのが笑えますw。
ヴォルテールの例の話にかねてより疑問を持ってたのでめちゃめちゃ面白かった欧州の歴史、おもろ〜!
おまいさんせっかく動画面白いのに晒しなんてなさるのか😢
つまり“真性”ローマ帝国があるってことは、そこまでは至らない“仮性”ローマ帝国ってのもある訳だ。
禿頭王…何回目は何直の影響だろうか
真実はいつもひとつ!は危険は目から鱗
「誰にとっての真実か」ということですよね。。確かに、とても含蓄のある言葉と思いました。
『ユーグ・カペー』の顔立ちって、「キアヌ・リーブス」に似てますね。
そもそも、オドアケル以前の410年のローマ略奪が西ローマ帝国の滅亡なんじゃね?って説が最近は出てきたしなぁ
ふと思ったのですが、このチャンネルが姉妹チャンネルより硬い感じがするのは、内容だけでなく、メアリーさんが賢くて、マリーちゃんみたいな「おバカキャラ」じゃないからでは? いや、それはそれとして、面白かったです、とっても(マリーちゃんごめん)。
いちおう意図的に分けてはいます。モンド2のほうがちょっぴり本格的な歴史をやるので、メアリには多少の歴史の知識はあるていでお送りしております。
@@mond2 なるほど、そういうことですね。たしかに、姉妹チャンネルだからと行って、あまり似てしまっても、詰まりませんものね。どちらのチャンネルも、楽しみに拝見しております。これからも面白い歴史解説を、よろしく。
守護を名乗ったのではなく、官位を名乗ったですね。まあ、朝廷から認められていない私称ですが
そうですね。守護は不適当でした。各自で脳内変換おねがいします
ポッと出の斎藤"義"龍とかが偏諱も受けずに勝手に「義」の通字を使ったりしてるぐらい足利家はとっくに形骸化してたのに、諸侯は守護職にこだわってたの不思議。毛利隆元の時代はともかく、朝倉義景の家臣も守護代にするって裏取引で朝倉家を裏切ってるし。ちなみに大内家などは"ガチ"の官位名乗ってましたよ。大内家傘下の国人領主もガチ官位です。石見小笠原の上総介・従五位下や、益田藤兼の従四位下・侍従などですね。偽物の官位を名乗り出したのは豊臣秀吉が出て来て以降の武将達って印象が強いです。
「滅亡」って言葉が誤解を生むよなあ
中世は池谷文夫著「神聖ローマ帝国ードイツ王が支配した帝国ー」、近世以降はピーター・H・ウィルスン著「神聖ローマ帝国 1495-1806」がいいね。
佐藤彰一著「フランク史III カロリング朝の達成」(名古屋大学出版会)、三佐川亮宏著「オットー大帝ー辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ」(中公新書)、三佐川亮宏著「紀元千年の皇帝ーオットー三世とその時代ー」(刀水書房)、エルンスト・ヴェルナー著 瀬原義生訳「中世の国家と教会 カノッサからウォルムスへ」(未来社)、井上雅夫著「西洋中世盛期の皇帝権と法王権ーハインリヒ三世・グレゴリウス七世・ハインリヒ四世をめぐって」(関西学院大学出版会)、井上雅夫著「カノッサへの道ー歴史とロマン」(関西学院大学出版会)、藤崎衛著「世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか: カノッサの屈辱」(NHK出版)、カール・ヨルダン著 瀬原義生訳「ザクセン大公ハインリヒ獅子公 中世北ドイツの覇者」(ミネルヴァ書房)、フリードリヒ・フォン・ラウマー著 柳井尚子訳「騎士の時代ードイツ中世の王家の興亡」(法政大学出版局 叢書ウニベルシタス)、エルンスト・カントーロヴィチ「皇帝フリードリヒ二世」(中央公論社)、藤澤房俊著「フリードリヒ2世」(平凡社)、菊池良生著「ハプスブルクをつくった男」(講談社現代新書)、鈴本達哉著「ルクセンブルク家の皇帝たちーその知られざる一面」(現代文芸社)、薩摩秀登著「王権と貴族ー中世チェコにみる中欧の国家」(日本エディタースクール出版部)、薩摩秀登著「プラハの異端者たちー中世チェコのフス派にみる宗教改革」(現代書館)、江村洋著「中世最後の騎士ー皇帝マクシミリアン1世伝」(中央公論社)、江村洋著「カール五世 中世ヨーロッパ最後の栄光」(東京書籍)、瀬原義生著「カール五世とその時代」(文理閣)、菊池良生著「戦うハプスブルク家 近代の序章としての三十年戦争」(講談社現代新書)、C.ヴェロニカ・ウェッジウッド著 瀬原義生訳「ドイツ三十年戦争」、アダム・ヴァントルツカ著 江村洋訳「ハプスブルク家 ヨーロッパの一王朝の歴史」(谷沢書房)
(-⊙ω⊙-)ゞ日本も江戸時代までは武士と庶民は話す言葉が違ったんだよなあ
神聖ローマ帝国は聞いたことあっても三都主アレサンドロ聞いたことない若者多そう
真実はそれを語る人々の数だけ在る。事実(現象)は唯一つで、それを如何に解釈するかで真実はドンドン湧いて出て来る。
ヨーロッパの歴史によくある複数の領地の王や諸侯を一人の人間が兼任する、あるいは肩書きを持つって政治のやり方が東洋人にはいまいち馴染みがないから、余計にわかりにくいんやろな
神聖ローマ帝国ってFEのレスター諸侯同盟っぽいと感じるね
帝国側としては権威を維持するのに教会の権威が必要だったのは、わかるのだけれど。教会側はどうして帝国からもうお前らの認定必要ねーよと言われるまでずっとドイツの王様をローマの皇帝と認め続けたんだろう。メリットあるのかな。
イタリアで教皇派と皇帝派が争ってたように一度できた権威は利用価値があるんだよ。教会内でも今の教皇が気に食わないどっかの大司教は皇帝のお墨付きがもらえれば対抗できる。
単なる政権交代で王や政府高官が去り民がそのまま残るのは滅亡とはいえない気がします。民族構成も常用言語も変わっちゃうのが滅亡ですかね。ユダヤ王国とか後ウマイヤ朝とか…😂
確かに国家の滅亡では有るが、国家解散と完全消滅の違いはあるだろう。そもそも中華王朝は国家解散のみで完全消滅は全くなかった。現代でも大きい会社の解散は従業員はそのままでありながら取締役や株主に責任を負わせ別の株主に総入れ替えする方法もある。現代国家の解散は上層部を取っ替えるのが主流である。
ロマンティック・・・ローマっぽい感じ!ルーマニア・・・・・ローマのような国(自称)!かなw
ボルテールのせいで馬鹿にされがちな神聖ローマ帝国
ローマってやっぱり偉大なんだなあ
カールの戴冠のときのコンスタンティノープルの皇帝が女帝で、その権威を認めなかったことが西の皇帝の復活の要因の一つらしいですね
なんかカールを皇帝にするためのていのいい理由づけとしたようにも感じますね。
@@mond2 機会を狙っていたというよりかは棚から牡丹餅かもしれないですが、これが最後の一押しをした感じではありますね
ローマ帝国はローマ人の帝国神聖ローマ帝国はドイツ人の帝国
こうやって解説を聞いていますと、ヨーロッパの人には「天下統一!」的な野望がなかったのかしら??信長や秀吉や家康的な・・
私たちが「ローマ字」と呼んでるものも、その「ローマ」は、西欧って意味ですよね。もちろん、イタリア語の発音と綴り字が、日本語との対応が一番いいのは分かるけど(・)>#あまり厳密じゃなくロジックを端折って言ってますご容赦…
ラテン語を祖語とするフランス語やスペイン語をロマンス諸語と言うように、ラテン語に由来する事物をローマの名で呼ぶパターンですね。
ラテン≒ローマであり、ラテンアルファベット=ローマンアルファベット(本来ローマ帝国=グレコ・ローマンなんだけどね)ローマンアルファベットは(西欧というよりも)カトリック圏(≒かつて西ローマ帝国だった地域)で用いられる。東方教会圏=正教会圏(≒かつて東ローマ帝国だった地域)はラテンではなくビザンツ=グレコの文化を継承しているため。ギリシャ語(ελληνική)アルメニア語(հայերեն)ジョージア語(ქართველი)キリル文字(кириллица)など文字もラテンとは異なる。
ワシも神聖ローマ帝国でモテモテになりたかったんじゃよ
王権神授説?かな神聖ローマ帝国皇帝は。
オットー1世は苦労人(962)
【真実はいつもひとつ】なわけ、ない。(笑)
言語の変遷が気になるな
弱そうな陰キャのコメが一番上で晒されてるね
(そんなのよくわかるね!?)
封土を分かちて諸侯を建てる…これが封建である。
神聖でもローマでもなければ帝国でもないあの国ですか。。。
ヴォルテールさんの影響強すぎるんだ末期の帝国はそれこそ「ドイツの代表ズラするための看板」みたいなものだったから…
ヨーロッパってなんか千葉北西部~茨城栃木あたりの雰囲気に似てる
神聖でもローマでも帝国でもない神聖ローマ帝国
新鮮ローマ定食が旨かったからだよw
ヨーロッパ人?ローマ人?同じ人たちなのか〜?
ローマ(イタリアの都市の方)とローマ(帝国という概念の方)の区別が重要ですね
この動画でいうところの中世のローマ人=インチキ・ローマ人(カトリック系)ね。この時代のガチ・ローマは、必ず「東」を付けて東ローマまたはビザンツ(東方・正教会系)と呼称される。この時代のヨーロッパとはキリスト教≒カトリック+正教会の圏内を指すのでインチキ・ローマとは微妙に範囲が違うかな。ローマはキリスト教化された後はもうローマじゃないんだけど、「蛮族」がローマという名前だけパクり続けたんだよな。
神聖モテモテ…
アヴァール人だかマジャール人をボコしてたよな
神聖でもローマでもましては帝国でもない国
15:23 カール大帝死後は息子のルートヴィヒ1世が単独相続して、分裂したのはルートヴィヒの息子たちからだったような
おっしゃる通りです。大帝が死ぬ時には生き残っていた息子はルートヴィヒだけでした。もともとは3人に分割する予定だったそうですが。
なんかネットの歴史界隈ってよくフランス叩きたがるのに、フランス人のヴォルテールの言葉はありがたがって何度も擦ってるの謎
画面内に出てくる『健全なポリコレ』という言葉が投稿者がいかにポリコレを揶揄し疎んじているかが良くわかる。
典型的なノンポリ(日本人)仕草。
ずっとそうだが日本人が日本人向けに書いた本だけを参考にするのでは難易度の高い内容は扱えないことがよくわかる。
大衆向け動画なのでこれでも良いんだろうが、最後の真実をくさす言葉もノンポリ過ぎる。こういう人が維新や自民に投票するんだろう。
間違った情報をどれだけ仕入れても間違いが積み重なるだけだ。
ほへー
@@mond2 うわぁ。失望させないで欲しいからこそのコメントなんだけどダメかぁ
ほーん
@@mond2 ブリカスとか言いがちなのを諭すのは良い点でした。
リテラシーを底上げしてる良い動画ではある。
それだけに細部に問題があるのが残念だ。
晒されてて草
韓国人です. この映像を通じて日本語と西洋史を同時に学ぶことができて良いです。
🇯🇵❤🇰🇷
日本人です。
菊池先生のご著書は軽妙なのも読んでいて楽しかった思い出があります
カノッサの屈辱を「ハインリッヒのお芝居」とか、ナポレオンのフランス皇帝をハプスブルグが「その手があったか!」みたいなの、固い本のはずなのに読んでいて思わずプッと吹き出してしまいました
ハイネの「ドイツ古典哲学の本質」に通じる緊張と緩和による笑いを感じた思い出があります
「征夷をせず、将軍としての軍事知識もなく、源氏嫡流でもない」
宮将軍?
徳川家光以降も当てはまりそう。
江戸時代にはミリオタ的な「兵学」「軍学」しかそもそも存在せず、そのあたりなら将軍も教養として学んではいたでしょうね。
頼朝からしても「源氏嫡流」かというと多分に怪しい。
「征夷」も奥州藤原氏討伐のためだったという説があったけど、「欲しかったのは大将軍で、4つくらいの候補から消去法で『征夷大将軍』になった」という説も出てきてる。
征夷(後北条氏討伐を秀吉主導の先鋒としてやり江戸へ本拠地を移した)大将軍
家康さんおつ
家康「エゲレスとかイスパニアとかオロシャとかおるやろ」
動画をありがとうございます。今回も面白かったです!
毎度ありがとうございます🙏🙏🙏💰✨
幕末に外国が開国を迫ったとき日本の政治体制を研究していて幕藩体制を神聖ローマ帝国的だと理解していたそうな。
「教皇=天皇 徳川将軍=皇帝 領邦=藩領 諸侯=藩主」といった具合に。
実際幕府がうつり変わっても天皇はずっと権威として利用されてきたのも共通だし日本人にめちゃめちゃわかりやすい
摂政 関白、 征夷大将軍、 太政大臣、
内閣総理大臣など名称や制度が変わっても 天皇に任命されたものが 日本 国の統治権を得る建前は変わっていない
その対比は解りやすくて納得できるんですが、天皇の英訳はEmperorなんですよね
もちろん実際に教皇と天皇は山程違いがあるし、「Japanese Pope」なんて訳す訳にはいかないでしょうが、ちょっと違うなーと感じる
@@はやくてぬくい天皇はアッバース朝のカリフの様であるという欧米の研究もある。最初は自ら政権を担い徐々に政治の実権は有力家臣に移り、最終的にはスルタンを任命する権威的存在になるという流れが似ているというもの。
@@はやくてぬくい
イコールというより簡略化って感じですかね
日本自体がミニヨーロッパみたいな
天皇も一応神道のトップですし
お疲れ様です、今回も大変勉強になりました
欧州史に触れると、王侯間でヨーロッパ世界全土を共有してるような感覚が「???」だったのですが(前回のポーランド解説回とか特に!)、今回でようやく腑に落ちたような気がします
彼等は土地に生きてると同時に、ローマという広大な概念世界を生きていたんですね
エンディングのボニーの言葉、これに尽きるね。
事実は一つ。でも、真実はそれに向き合う人の数だけ存在する。
コナン君はまだまだ子供だって事だよ。
19:08
シャルルツルピカ王「今、禿って言ったよな?」
アイアイ「ここ、違うチャンネル…」
アウグストゥスも自分がでっち上げた権威がこんな形で続いていくとは思いもよらなかったでしょう。
何より一神教なるものがついにはローマを呑み込み浸み込み
いつしかローマの土壌のようになってしまった様は
どう頑張ったって想像のしようがない
@@serorikuresonアウグストゥスの時代なんてまずキリスト教が存在してない上に元になったユダヤ教すら地方のマイナー宗教でしかないですもんね
@@serorikureson
たしか最初の殉教者の女性がいろいろ強烈だったからだと思う
アウグストゥスはエンペラーに就任したのであって即位したわけではないらしいですね。
そもそもエンペラーは大将軍程度の意味であって政治的地位ではないのだそうで。
就任したのもアウグストゥスが最初ってわけではなく、かのユリウス・カエサルもエンペラーだった時期はあるのだそうです。
ますます以て、日本の征夷大将軍と似たような役職だと思えますな。
源頼朝も自分のでっち上げた権威があんな形で続いていくとは思いもよらなかったでしょう。
意地でもドイツを"Allemand""Niemcy""Germania""Saksamaa"みたいな感じでよぶ周辺諸国さんおもろい(北欧とベネルクスは割と近いけど)
是には思わず「アイアイ」
ハンザみたいにぼやっとしてて掴み所がある様な無い様なw
まぁ概念的なものとして残っていた部分と、きっかけからまとめて呼称した結果がややこしさを増していただけで、結局ややこしいのには変わりなかったわけだ。
建前と本音が本当に同時進行してたんだな。しっかしややこしい。
歴史には詳しくないですが大変勉強になりました。
神聖ローマ帝国の何がわかりにくいかって、欧州歴史地図として一番よくみる18世紀前後の地図において「枠だけ存在するなぞの領域」ってって部分なんよね。枠(国)として存在するのかと思いきやそれをまたいでる謎の国が2つもあるし。カール大帝の帝国が分裂して東が帝位を受け継ぎ、カロリング朝が絶え、大空位時代を経て形骸化、ヴェストファーレンでそれが固定化する、という流れを大雑把に抑えて初めて把握できる、「欧州の天地は複雑怪奇なり」の象徴とも言える国。
ゲルマン人はローマ帝国の一地方官を名乗っていたというの、なるほどってなりました。
戦国武将がぜんぜん実権ないのに関東管領とか弾正台とかの地位を朝廷から貰ってたのと同じようなもんか・・・・
ナポレオン戦争の時期から近代に入るのは国民国家という概念ができたからって思ってたけど神聖ローマ帝国の解体で古代ローマの概念もぶっ壊したからってのもあるのか
「古代ローマ帝国の魂の残滓が別のうつわに宿ったような幻想の帝国」
なにげに名言じゃね
うp主が考えたの?
えっへん
ものすごく文学的。ラノベ好きな人が絶賛しそう
菊池良生先生の『ドイツ誕生』『ハプスブルク帝国』『傭兵の2千年史』と三佐川先生の『オットー1世』は持っています。『傭兵の2千年史』は古代の説明で事実誤認もありますが、中世から近世のドイツ傭兵の部分は興味深かったです。
自作の歴史風ファンタジー小説を書こうとして情報収集を続けていたら、神聖ローマ帝国の奥の深さに驚いたことがあります。
一人で戴冠出来るもん!なフリードリヒ2世カッコいい
するっと、頭の中に『神聖ローマ帝国』の概念が入って来る、分かりやすい動画でした。感謝!。
なんて言うか、「現代に生きる私たちが、私たちの考える『国』の概念で色々と考えるから分かりにくくなるんだね」、みたいな事を思いました。
いつも面白くてタメになる話をありがとうございます。国号の話は面白いですね。Wikiedia先生によるとローマ帝国はImperium Romanumですが、そもそもSPQRでは無いのかと。いや、SPQRですら正式な国号では無かったのでしょうか。中華王朝は国号をしっかり定めるのと対照的に思えました。
あのチャンネルのシャルル禿頭王がついにコラボ🎉🎉
わかり易かったです、ありがとうございました
歴史においては「真実は一つ」なのではなく「真実は一つ一つ」とでもして、とりあえず留保する姿勢が大事なのかもしれませんね。老書生の、それこそ「老いの戯言」ですが。
おっしゃる通りだと思います。
歴史は事実・解釈・意見の三段階構造あって史料解釈こそがすべての始まりだから留保しながらどういう解釈過程があったのかを調べないといけないんですよね→史学の卒論とか研究とかやる際には 事実だけ見て意見を持つのは危ない(全体像や文脈を見る前に結論を下す)し、また新たな史料の発見でおもっきし解釈変わってしまうパターンもあるし
王国とか教会って概念は巷のなろう小説とかで使い勝手の良い舞台装置として使われがちだけど、
実際にはヨーロッパ土着の制度って意味合いが強くて、そんな軽々しく持って来れるようなポータブルな概念ではないなこれ
アリアハン王国「マジかぁ…」
シ○ランド公国「歴史と伝統に裏打ちされているのだよ。」
ジオラル王国「おっそうだな」
9:33 戦国大名は勝手に国司を名乗ったりはしたけど、守護はちゃんと将軍からもらってたはず
確かに、守護の例えは不適当でしたね。
おっしゃる通り国司なり官位名なりにでも脳内変換しといて下さい
間違った知識なんかは後からアップデート出来るから、大事なのはいろいろインプットってのは良いですね!
世界史出来事系好きだけど、高校は日本史専攻だったし、神聖ローマ帝国って意味わからん、と思ってたのでありがたいです。
複雑で難しいけど何となく分かりました笑
最後の真実はひとつじゃなくて多角的、情報は色々取り入れてアップデート出来るってすごくいい言葉でした。
パレスチナ自治区問題解説もこのチャンネルの切り口で見てみたいです。(しかし平和は遠い…💧)
「神聖」「ローマ」「帝国」じゃなくて「神聖」「ローマ帝国」だからローマだけ切り出すとローマ無えじゃんってことになっちゃうのよね
そもそもローマ無いのにローマ帝国名乗るなよとは思うけど巨大化した後に分裂したローマ帝国さんサイドにも問題がある
神聖ローマ帝国のわかりにくさってアウグストゥス以来の護民官職権がローマ皇帝の正当性で護民官とは平民会を就任の根拠としていて、つまりローマ皇帝は平民の支持が正当性なのにローマ教皇やら周りの君主やらが承認することで王政と何が違うのかわかりにくいのよね。
ナポレオンが第一統領から皇帝になったのも、古代ローマのアウグストゥスを意識していましたから、フランス帝国もある意味、ローマ帝国のまがい物なのかも。西洋史の「皇帝」も、単純に王様より上の世襲の位というわけではなくて、なんか理解しにくいので、いずれ解説していただけるとうれしいです。
皇帝=大君主
というのは東洋の話で、ヨーロッパでは大統領とか統帥みたいなもの。"皇帝"になれば自動的に天下(中華やローマなど世界)の正当な支配権が付与されるから、皇帝に翻訳された。
中華の皇帝曹髦弑逆とローマの近衛による皇帝殺害の、本人たちや周囲のリアクションの違いとかをベースに東西の違いを解説してほしい。
しいていうなら北斗の拳の拳王がもっとも近いかも・・・・一時的にでもヨーロッパを制した覇者につけられる称号で、領主や王に比べて自動的に土地や地位が世襲されるという意味合いは少ないかと。そして大衆の歓呼の声に支持されて誕生するというイメージがあるのも王との違いでローマ皇帝がローマ第一市民も名乗ってた残滓ではないかと思う。愛新覚羅溥儀が満州皇帝になる際に宇垣一成と会談したんだが、宇垣は明らかに前述のような西欧の皇帝イメージで喋ってるのに溥儀は当然ながら中国の皇帝のイメージで満州皇帝について語ってるから、話がぜんぜん噛み合っていなくて読んでいて笑える
日本でいうところの室町時代後期みたいな状態だったんですね
西フランクを継いだフランス王は皇帝を名乗ろうとしたこともあったね。フランスはよくイタリア遠征もやってたしドイツの皇帝に張り合ってたのかな。
オドアケルがロムルスを廃位したとき、まだローマの元老院は残ってたからやはり「滅亡」と呼称するのは無理がある気がします。ローマ帝国の正式国名はローマの元老院と市民(SPQR)なのでね。
ただローマ元老院が無くなった時期はよくわからないので、元老院を基準とすると西ローマの滅亡時期をはっきりと決められなくなってしまいますね。
あっ、そっかぁ(遅き理解)
@@baatarism9209どこで見たのか忘れましたが中世まで後期まで形だけ残ってたと聞きました。
機能として失われたのはビザンツが再征服しに来た時と言うのが一般的かな?
ローマ人の大好きなガルムとかはいつから作られなくなったのかな...イタリア人の料理のレシピにはよくアンチョビが使われるからちゃんと子孫だなって思う
東ローマ帝国だって成立以来、ローマ持ってた時期はユスティニアヌス帝時代とかわずかだし…ローマとは概念だ
そもそも古代ローマ帝国すら後半期は割とローマどうでも良いという…
っぱラヴェンナとコンスタンティノポリスよ
ローマ帝国の西半分が失われたので残った東半分を後世に東ローマと呼んだ、というだけだしね。
まあ日本でも東久留米とか北広島とかお前どこやねんみたいな地名がちらほら…。
@@char5457
ま、ビザンツ帝国と同様に後世の呼び名であって
自称はずっとローマ帝国だったようです
@@asakazefuji 漢帝国と同じですね。1回外戚に乗っ取られて「新」になったけれど、前漢は当たり前として後漢も「漢帝国が続いているんだ」ってスタンスだったし、国号も漢。
16:54 これってテウトニ族から来てるんですかね?
とっても知的な中二病、学校の勉強は嫌いでも知への欲求が人生をずーっと楽しくする。
突然見覚えのある禿頭王が出てきて草。あいあい(例のおサル)
「ドイツ語を話す人々の領域の領域」というのが明確に定まっていくまでにも、かなりの時間がかかるだろうから、便宜的に「神聖ローマ帝国」と名付けているのかなあと推測していました。より詳しく知ることができて、とてもよかったです。ありがとうございます。
ローマの権威の使われ方が、自力で領国を統一した戦国大名があらためて朝廷に守護職への任官を要求してたのとの似てて面白い。
伝統的に源氏が征夷大将軍になるということと照らしてみるとわかりやすかったです。
大変面白かったです。それでも調べてみればみるほど神聖ローマ皇帝は結構細かい部分で他の国の君主像から違ってきますからね……時代ごとでも変化しますし。
古代ローマのトップにある人物ですら“皇帝”は誤訳でもありますしね。アウグストゥス、カエサル(神聖ローマ皇帝におけるカイザーの語源)、プリンケプス(プリンスの語源)、インペラトル(エンペラーの語源)等色々呼び名はありますけど、レックス(王)とは名乗ってませんしね。それぐらい君主号というのは曖昧というか……混乱してきますしね。
個人的にはイスラム世界におけるローマ帝国の認識の変遷がどうなってるのか興味がある
オスマン帝国は実は自分たちこそがローマ帝国の後継国家だと考えていた
ならその後その認識はどうなっていったのか?
興味はあるけど自分で調べる気になれない (`・ω・´)キリッ
個人的な考えでは地政学的にもイスラムにとっての「ローマ帝国」は目の前にあった東ローマ帝国を指すでしょうね
ルーム(ローマ)・セルジューク朝というムスリム国もありましたが、そのルームはアナトリア半島の地を指していましたし
オスマン帝国はイスラム国家ですが、東ローマの首都であるコンスタンティノープルをギリシャ由来のイスタンブールと変えて遷都しました
遷都後はルーム・カイサルを当地内では統治の為とはいえ自称してたのもあり、ローマとは東ローマのことであるという認識だったのでしょう
神聖ローマについてはそもそも宗教面からも争う未来しか無いですし(東ローマの正統性を西側に唱えてもキリスト教ですら無いので議論にもならない)
「ローマの正統性」はあくまで征服した東ローマの土地の貴族や住民を統治するためにわずかな間必要だっただけ、くらいだったのだろうと思います
ナポレオンが勝手に名乗ったっていうけど皇帝即位の手続きを考えると神聖ローマよりフランス皇帝の方が正統性有るように見えるけどね…
ドイツとドイツ語ってこんな由来があったんだ。
しかし日本史以上にヨーロッパ史って解りにくいなあ。
コンスタンディノポリスを中心とする!例のあの国こそが!真のローマ帝国!
末期を指してるんだよって動画で言ってるのにコメ欄にヴォルテール沸いてて草枯れる
インターネットだしね。しかたないね。(´・ω・`)
ハエが湧くみたいなノリで草
ハプスブルク家の話があまり出てこないことでうまく整理できていますね(◍•ᴗ•◍)神聖でもなければ、ローマでもなければ、帝国ではない国(?)も分かりやすくていいですね。世界史でもふわっとしていて、なんかハプスブルク家が牛耳っている感が強かったのですが。
コンスタンティヌスの寄進状とか当時の権力者は何処まで信じてたんかな
高校の世界史では「神聖ローマ帝国の開祖はオットー1世」と習ったはずですが、一般的にはカール大帝が開国の祖と言われてるんですね。最近知りました。後の世にヴォルテールから「神聖でもローマでも帝国でもないやろ!」と突っ込まれてるのが笑えますw。
ヴォルテールの例の話にかねてより疑問を持ってたのでめちゃめちゃ面白かった
欧州の歴史、おもろ〜!
おまいさんせっかく動画面白いのに晒しなんてなさるのか😢
つまり“真性”ローマ帝国があるってことは、そこまでは至らない“仮性”ローマ帝国ってのもある訳だ。
禿頭王…何回目は何直の影響だろうか
真実はいつもひとつ!は危険は目から鱗
「誰にとっての真実か」ということですよね。。確かに、とても含蓄のある言葉と思いました。
『ユーグ・カペー』の顔立ちって、「キアヌ・リーブス」に似てますね。
そもそも、オドアケル以前の
410年のローマ略奪が西ローマ帝国の滅亡なんじゃね?って説が最近は出てきたしなぁ
ふと思ったのですが、このチャンネルが姉妹チャンネルより硬い感じがするのは、内容だけでなく、メアリーさんが賢くて、マリーちゃんみたいな「おバカキャラ」じゃないからでは? いや、それはそれとして、面白かったです、とっても(マリーちゃんごめん)。
いちおう意図的に分けてはいます。モンド2のほうがちょっぴり本格的な歴史をやるので、メアリには多少の歴史の知識はあるていでお送りしております。
@@mond2 なるほど、そういうことですね。たしかに、姉妹チャンネルだからと行って、あまり似てしまっても、詰まりませんものね。どちらのチャンネルも、楽しみに拝見しております。これからも面白い歴史解説を、よろしく。
守護を名乗ったのではなく、官位を名乗ったですね。まあ、朝廷から認められていない私称ですが
そうですね。守護は不適当でした。
各自で脳内変換おねがいします
ポッと出の斎藤"義"龍とかが偏諱も受けずに勝手に「義」の通字を使ったりしてるぐらい足利家はとっくに形骸化してたのに、諸侯は守護職にこだわってたの不思議。毛利隆元の時代はともかく、朝倉義景の家臣も守護代にするって裏取引で朝倉家を裏切ってるし。
ちなみに大内家などは"ガチ"の官位名乗ってましたよ。大内家傘下の国人領主もガチ官位です。石見小笠原の上総介・従五位下や、益田藤兼の従四位下・侍従などですね。
偽物の官位を名乗り出したのは豊臣秀吉が出て来て以降の武将達って印象が強いです。
「滅亡」って言葉が誤解を生むよなあ
中世は池谷文夫著「神聖ローマ帝国ードイツ王が支配した帝国ー」、近世以降はピーター・H・ウィルスン著「神聖ローマ帝国 1495-1806」がいいね。
佐藤彰一著「フランク史III カロリング朝の達成」(名古屋大学出版会)、三佐川亮宏著「オットー大帝ー辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ」(中公新書)、三佐川亮宏著「紀元千年の皇帝ーオットー三世とその時代ー」(刀水書房)、エルンスト・ヴェルナー著 瀬原義生訳「中世の国家と教会 カノッサからウォルムスへ」(未来社)、井上雅夫著「西洋中世盛期の皇帝権と法王権ーハインリヒ三世・グレゴリウス七世・ハインリヒ四世をめぐって」(関西学院大学出版会)、井上雅夫著「カノッサへの道ー歴史とロマン」(関西学院大学出版会)、藤崎衛著「世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか: カノッサの屈辱」(NHK出版)、カール・ヨルダン著 瀬原義生訳「ザクセン大公ハインリヒ獅子公 中世北ドイツの覇者」(ミネルヴァ書房)、フリードリヒ・フォン・ラウマー著 柳井尚子訳「騎士の時代ードイツ中世の王家の興亡」(法政大学出版局 叢書ウニベルシタス)、エルンスト・カントーロヴィチ「皇帝フリードリヒ二世」(中央公論社)、藤澤房俊著「フリードリヒ2世」(平凡社)、菊池良生著「ハプスブルクをつくった男」(講談社現代新書)、鈴本達哉著「ルクセンブルク家の皇帝たちーその知られざる一面」(現代文芸社)、薩摩秀登著「王権と貴族ー中世チェコにみる中欧の国家」(日本エディタースクール出版部)、薩摩秀登著「プラハの異端者たちー中世チェコのフス派にみる宗教改革」(現代書館)、江村洋著「中世最後の騎士ー皇帝マクシミリアン1世伝」(中央公論社)、江村洋著「カール五世 中世ヨーロッパ最後の栄光」(東京書籍)、瀬原義生著「カール五世とその時代」(文理閣)、菊池良生著「戦うハプスブルク家 近代の序章としての三十年戦争」(講談社現代新書)、C.ヴェロニカ・ウェッジウッド著 瀬原義生訳「ドイツ三十年戦争」、アダム・ヴァントルツカ著 江村洋訳「ハプスブルク家 ヨーロッパの一王朝の歴史」(谷沢書房)
(-⊙ω⊙-)ゞ日本も江戸時代までは武士と庶民は話す言葉が違ったんだよなあ
神聖ローマ帝国は聞いたことあっても三都主アレサンドロ聞いたことない若者多そう
真実はそれを語る人々の数だけ在る。事実(現象)は唯一つで、それを如何に解釈するかで真実はドンドン湧いて出て来る。
ヨーロッパの歴史によくある複数の領地の王や諸侯を一人の人間が兼任する、あるいは肩書きを持つって政治のやり方が東洋人にはいまいち馴染みがないから、余計にわかりにくいんやろな
神聖ローマ帝国ってFEのレスター諸侯同盟っぽいと感じるね
帝国側としては権威を維持するのに教会の権威が必要だったのは、わかるのだけれど。教会側はどうして帝国からもうお前らの認定必要ねーよと言われるまでずっとドイツの王様をローマの皇帝と認め続けたんだろう。メリットあるのかな。
イタリアで教皇派と皇帝派が争ってたように一度できた権威は利用価値があるんだよ。教会内でも今の教皇が気に食わないどっかの大司教は皇帝のお墨付きがもらえれば対抗できる。
単なる政権交代で王や政府高官が去り民がそのまま残るのは滅亡とはいえない気がします。民族構成も常用言語も変わっちゃうのが滅亡ですかね。ユダヤ王国とか後ウマイヤ朝とか…😂
確かに国家の滅亡では有るが、国家解散と完全消滅の違いはあるだろう。そもそも中華王朝は国家解散のみで完全消滅は全くなかった。現代でも大きい会社の解散は従業員はそのままでありながら取締役や株主に責任を負わせ別の株主に総入れ替えする方法もある。現代国家の解散は上層部を取っ替えるのが主流である。
ロマンティック・・・ローマっぽい感じ!
ルーマニア・・・・・ローマのような国(自称)!かなw
ボルテールのせいで馬鹿にされがちな神聖ローマ帝国
ローマってやっぱり偉大なんだなあ
カールの戴冠のときのコンスタンティノープルの皇帝が女帝で、その権威を認めなかったことが西の皇帝の復活の要因の一つらしいですね
なんかカールを皇帝にするためのていのいい理由づけとしたようにも感じますね。
@@mond2 機会を狙っていたというよりかは棚から牡丹餅かもしれないですが、これが最後の一押しをした感じではありますね
ローマ帝国はローマ人の帝国
神聖ローマ帝国はドイツ人の帝国
こうやって解説を聞いていますと、ヨーロッパの人には「天下統一!」的な野望がなかったのかしら??信長や秀吉や家康的な・・
私たちが「ローマ字」と呼んでるものも、その「ローマ」は、西欧って意味ですよね。
もちろん、イタリア語の発音と綴り字が、日本語との対応が一番いいのは分かるけど(・)>
#あまり厳密じゃなくロジックを端折って言ってますご容赦…
ラテン語を祖語とするフランス語やスペイン語をロマンス諸語と言うように、ラテン語に由来する事物をローマの名で呼ぶパターンですね。
ラテン≒ローマであり、ラテンアルファベット=ローマンアルファベット(本来ローマ帝国=グレコ・ローマンなんだけどね)
ローマンアルファベットは(西欧というよりも)カトリック圏(≒かつて西ローマ帝国だった地域)で用いられる。
東方教会圏=正教会圏(≒かつて東ローマ帝国だった地域)はラテンではなくビザンツ=グレコの文化を継承しているため。
ギリシャ語(ελληνική)アルメニア語(հայերեն)ジョージア語(ქართველი)キリル文字(кириллица)など文字もラテンとは異なる。
ワシも神聖ローマ帝国でモテモテになりたかったんじゃよ
王権神授説?かな神聖ローマ帝国皇帝は。
オットー1世は苦労人(962)
【真実はいつもひとつ】
なわけ、ない。(笑)
言語の変遷が気になるな
弱そうな陰キャのコメが一番上で晒されてるね
(そんなのよくわかるね!?)
封土を分かちて諸侯を建てる…これが封建である。
神聖でもローマでもなければ帝国でもないあの国ですか。。。
ヴォルテールさんの影響強すぎるんだ
末期の帝国はそれこそ「ドイツの代表ズラするための看板」みたいなものだったから…
ヨーロッパってなんか千葉北西部~茨城栃木あたりの雰囲気に似てる
神聖でもローマでも帝国でもない神聖ローマ帝国
新鮮ローマ定食が旨かったからだよw
ヨーロッパ人?ローマ人?
同じ人たちなのか〜?
ローマ(イタリアの都市の方)とローマ(帝国という概念の方)の区別が重要ですね
この動画でいうところの中世のローマ人=インチキ・ローマ人(カトリック系)ね。
この時代のガチ・ローマは、必ず「東」を付けて東ローマまたはビザンツ(東方・正教会系)と呼称される。
この時代のヨーロッパとはキリスト教≒カトリック+正教会の圏内を指すのでインチキ・ローマとは微妙に範囲が違うかな。
ローマはキリスト教化された後はもうローマじゃないんだけど、「蛮族」がローマという名前だけパクり続けたんだよな。
神聖モテモテ…
アヴァール人だかマジャール人をボコしてたよな
神聖でもローマでもましては帝国でもない国
15:23
カール大帝死後は息子のルートヴィヒ1世が単独相続して、分裂したのはルートヴィヒの息子たちからだったような
おっしゃる通りです。大帝が死ぬ時には生き残っていた息子はルートヴィヒだけでした。もともとは3人に分割する予定だったそうですが。
なんかネットの歴史界隈ってよくフランス叩きたがるのに、フランス人のヴォルテールの言葉はありがたがって何度も擦ってるの謎