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30年くらい前に姫路駅でやってました。今思えば入社したての18歳でよくやらして貰えたもんだと。笑推進で押し始めたら、連結テコを上げるんです。適度にスピードが乗って来たら操車が「止まれ、止まれ」って、機関士に合図をすると、そのまま惰性で流れ始めます。タキは中味が入ってると液体が前後に揺れるのでブレーキ掛けても止まり難かったのを覚えてます。ヨは軽すぎて向かい風の時はよく途中で止まりました。奥に貨車が置いてある時はそのまま流したら勝手に連結するので、適度にスピード緩めて飛び降りたら作業終了。今では考えられないですね。笑当時の姫路駅の突放ハイライトはパワム8連に肥料満載の貨車を500mくらい流す作業がありました。重いのを長距離流すのでそこそこスピードに乗せて放すからなかなかスリルがありました。しかも、突き当たりの車止め手前で止めるという難作業。足踏みのブレーキには効きの悪いのがあるので、突放前に仮踏みして確かめてからブレーキを掛け始める場所を決めてました。2~3回止まらずに冷や汗かいたことありましたね(^^;もう一回やってみたいなぁ。
day4140 長文で説明有難うございます
day4140 貴重なお話をありがとうございました。肥料は加古川の多木化学の肥料でしょうか?
構内係→運転係・輸送係?
@@oj8703 いえ、荷物はダイセルのもので、姫路から富山へ送ってました。今でもコンテナで送ってるんじゃないかなぁ。
@@tomiyakaratomikawa いえ、構内係から営業フロントでした。元々、機関士候補で採用されましたが、20歳まで免許が取れないので、それまで各地に配属されるんです。営業って、言っても世間のようにお客様回りをするのではなく、フレンズ(当時のシステムの名称)で荷物のルート予約をしたり、車票を作ったり、来客のお茶汲み、通運に伝票持って行ったり、フォークリフトの段取り、車検切れ貨車の留め置き(姫路には貨車の検修派出がありました)とか様々でした。
昔勤務していた駅の同僚に片脚ひいて歩いてる人がいて、その本人から突放で脚落としたと聞いて衝撃だったわ。
貨車が1両で走ってるの可愛い💠
昔の貨物操車場(貨物ターミナル)での組み換え作業映像を観ると、良く行われていた作業ですよね。
突放、久しぶりに拝見しました。👀機関車共々貴重な動画ですね!👍
これはもっと広まるべき動画じゃありませんか?貨物で頑張る作業員の方々が光ってる✨貨物列車が激減している昨今、こういう姿を見られるのは貴重ですよ!
私の父親が今は無い東札幌駅で入換でこれをやって構内係の足踏が遅くて連結する貨車に10キロ以上で連結したら荷物の醤油のびんが散乱してたそうです、売り物にならない物を貰って機関区で使ったらしいです、父は苗穂で機関士していました、連結は5キロ以下なのにたまにブレーキが甘い人いるから面白いって言ったら失礼かな
地元の富田駅です。こんな作業をじっくり見るのは初めてですが列車の走る音がいつ聞いてもいい音です。
デッキ付きの電気機関車、しかも重連が見られることも貴重な動画ですね。モーター音が懐かしい。
めっちゃわかりやすくて良かったです!突放禁止、って書いてあるので動画のタイトル見た時にえ?突放ってやってもいいの?って思ってしまいましたww
国鉄の職員だった祖父はこの作業をやる職員だったそうです。レールのポイント切り替えをやるときは横を貨物が高速で通過するからものすごく怖かったと話していました。
百済で1日中眺めていましたが、今でもあるのですね。しかも電機の重連でやってます。
子どものころ、突放?された貨車がポイントでそれぞれに分かれていき、それに作業員が飛び乗ってブレーキを操作しながら次々と連結して、何本もの編成をしていたのを見てました。その時はまだ子供で、格好いいと思って、大人になったらなりたい職業のひとつでした。その場所は、突放した貨車の勢いが無くならないように、全体がゆるい下り坂になっていたと思います。あと、それぞれの貨車に行き先が書かれた板か札がはさまっていたと記憶してます。昭和40年代初期ころのことです。「とっぽう」と読むのは、今知りました。
僕もついほうって読んでました笑
すごく判り易い動画です。ありがとうございます。
むかし、大宮操で働いている人の話を聞いたことがあります。「何十輌っていう突放の時は、飛び乗ってすぐブレーキをかけないと間に合わなかった」そうで、当時の貨車のブレーキが足踏み式で「雨の日は滑って怖かった」そうです。
昔々のその昔の話かと思えば、今でもあるんですね。突放 連結って、操車場時代の話だと思ってたら。。。
まさか、実際に見れるとは突放して連結とかもあるんだよね。
多分、私鉄ではいまだにやってると思います。JRは飛び降り、飛び乗り、ブレーキホースを繋がずに入れ替えすることさえも禁止されてしまいました。
父親が若き頃国鉄社員で、エグい話を聞いたことありますよ。
小さい頃、突放を見に行ってたなー。久しぶりに拝見しました。
昔は吹田の操車場で傾斜を利用した貨車の単独自走?を見るの好きでした。
子供の頃からこの風景はよく見てました。見てたのはこっちではなくあっちの方ですが。あっちの方は踏切の音がカンカン鳴りまくるので見ててとても楽しかったです
突破作業初めてみました。JRと三岐の交換作業何ともいえません。最高ですね。
そうか…今の若い人は知らないのね。かつてはこの作業、全国各地至る所で見られた日常風景だったってこと。何故旧国鉄は人員が多かったのか?そして男女比において極端に女性比率が少なかったのか?その一つがこれ。雨の日も風の日も雪の日も昼も夜も、切り離され惰性で転がって来る貨車に飛び乗りブレーキをかけ停まる寸前に飛び降りまた次の貨車に飛び乗り…女性や爺さん職員には酷な仕事。勢い男性、それもガタイの丈夫な若い衆の出番となる。軌道や架線、信号設備などの点検や整備も人海戦術だった上に人員の必要量も波動が大きいからどうしても多くの人員を確保していなければならなかった。物資別適合車をその都度組成していた当時はこの方法が最も手早く処理できる方法だったけどUP主さんや他の方々もお気づきのようにこの作業は極めて危険な作業でもあり実際労災事故も珍しくなかった。
おっしゃる通りです。規模が小さな貨物取扱駅の「駅員」は出札・改札・信号・入換作業・ポイント清掃など、何でもやらされた。分割前はそんな職員もたくさんいたけどね・・・
負傷ないし殉職した職員の配偶者に仕事を与えるためのキオスクですしね。
awacs40 びっくり納得マン
国鉄時代、キオスクの運営元は”公益財団法人鉄道弘済会”でしたので。
勉強なりやした!一言でいうと、あらよっとっ!って感じすかね。
家の近くで前は頻繁に見れました。子供ながらになんで電車が付いてないのに動くんだ?と思ってました。謎が解けました、ありがとうございました!
昔は稲沢操車場とかカーリターダで速度調整して自動の突放組み替えとか弥富駅で木曽川橋へ向かう坂道を利用して名鉄側に貨物入れ替えしてたとか、名鉄日比野駅に電気機関車とワム貨車とか、弥富で米とか担ぎ下ろしとか、各駅毎の貨車1~2両その物を手押しなりの「重そうでも動いたのに驚いた」解結しながら集配達して行く作業を見たけど、最近は貴重な場面ですよ。
ド近所の駅でこんなことが行われていたなんて!…今度見に行こっと♪
危険と隣り合わせの作業 お疲れ様でございます
昔は突放した貨車をカーリターダで減速させて編成作ったりしてましたよね☺️
いいね!貨物列車は見てるだけでも面白い
子供の頃は田端とかでよく見ましたけど、もうこんな作業そのものを完全に忘れていました。今でもやってる所あるんですね。
戦時中、大船で大量の高濃度過酸化水素を積んだレオテが出発。北茅ヶ崎駅で、禁止されていたのにこれをやった為に、過酸化水素の瓶が割れ大爆発、駅舎を半分吹き飛ばす事故があった。
そんなことが。
入れ替え用にDD51を使ってるとは、なんという贅沢。 こっちはDE型の片側ショートタイプばかりで、生まれてこのかたDD51の実車なんて見た事もない。電気機関車も昔のようなチョコレート色で、随分とレトロ感がありますね。
私もそう思いました、普通わ入れ替え用のDE10を使うと思いますが、DD51を使うなんてJRも凄いですね。(最高かも)
40年以上前ですが、荷物列車というのがありました。機関車が貨車と荷物車を牽引していました。その荷物列車には国鉄の荷物車と郵便局の郵便車が連結されていました。汐留駅から東小倉駅間を走っていたほか、全国の主だった線路を荷物車と郵便車が時間帯をけて走っていました。始発駅や最終駅では、まさに突放が行われており、車内に残っていると、突放の大きな揺れに体を大きく揺らしていました。今はもう有り得ない、あの時代だからの日々でした。
父の実家の最寄り駅で帰省時は必ず使う駅ですがこんな珍しい光景が見れるとは知りませんでした
国鉄時代に数多くの作業員が散っていったという話を聞いたのはやはりそれだけ危険だと思ってましたが良く分かりました。カーリターダーは偉大ですね
汐留や吹田などの超大型操車場では『ハンプ』と呼ばれる丘を使って貨車を選別突放してました😃ブレーキを掛ける作業員👷♂️も沢山居ました🚑事故も多かったようです😭ありがとうございました🙌
半世紀前の高校生の頃、自転車通学してて突放作業のため踏切で待たされたなぁ。有人踏切だったので、うまく突放の間合いを見計らって通してくれたけど、今の自動踏切だと作業中は警報鳴りっぱなしの開かずの踏切になってたはず。
いい動画を見せていただきました!新鶴見操車場のあった時代を知っているので「突放禁止」の貨車は沢山見ましたが(主にコンテナ車と車運車)、そこはハンプヤードだったので、突放作業を見るのはこれが初めてです。
かつては、名(迷)鉄でも、突放作業はやってたらしく、名鉄三河線・豊田線の猿投駅〜西中金駅間は、その時まで貨物輸送が行われたので、その時突放作業は行われたそうです。
一度は見てみたい作業の一つです。突放を知らないとき、貨車が単独で走行している映像を見て、動力ないのに何故?と思ったのですが、まさに機関車から突き放されていたのですね。
自動車駐車時のサイドブレーキと同じように、貨車にも手ブレーキや側ブレーキが付います。貨車を留置する時、ブレーキが中途半端だと少しの勾配でも車両が勝手に動き出すことが実際あります。国鉄構内には、「流転防止!」や「流れるぞ」といった注意喚起の表記がされていました。
この中間車両だけ抜いた理由はこの車両だけ検査時期が迫っていたためここで抜いて、四日市駅構内の交番検査(車でいう6か月点検や1年、2年点検)にもっていくのか、東海道で稲沢経由で川崎(車の車検のようなもの)までのどちらかかと。
すごくわかりやすいです!
茶色と黄色のラインでかわいいデザインの電車だね
なるほど、文字通り突き放すと言う事ですね。昔はよく富田駅で三岐鉄道に乗り換えていました。太平洋セメントと言うのが、いかにもらしいですね。
突放ってこうゆう意味だったんだ!為になるぅ〜
新潟貨物ターミナルにたまに行くけどこんなの見たこと無い。というか、突放作業の意味を初めて知った
かつて操車場というのが存在した頃は機関車が貨車を連結器開放状態にしたまま後押しして途中で機関車のブレーキをかけて貨車だけ惰性で転がす「突放」というのがよく見られたが今では少ないようです。衝撃に弱い積み荷用や検測車、大物車など特殊な構造の車両には「突放禁止」表示がよく見られるようです。
海外だと、作業員乗らずに突放、ポイントを素早く切り替えて連続でやってます。
大香師さん昔はやってましたよ。当然投げた貨車は止めなきゃいけないので先にはブレーキ掛が待機してます。ただその流れてきた貨車に乗るときや側ブレーキと言われる駐車ブレーキをかける際転落により死亡事故や傷害事故が多発してたためJR化以降JR直轄の駅では禁止となりました。が、今でも一部臨海鉄道では行われてます。
貨車の突放ってずっと気になってたので助かります
コキでは"突方禁止"と書いてあるのをよく見ますが、まだ突方をやっている貨物駅あるんですね。
「とんだ」なのか「とみた」なのか少し迷っちゃいました。岸辺駅が「とんだ」駅に近いので余計に。大して知識が無いので何度かコメントと概要を読みこんで理解できました。そうやって答え探しするのも楽しく感じました。
凄い初めて見た。富田駅の最寄り駅沿線に住んでいて、何回もこの駅を見たことあるけど、、、
以前は効率よく入れ換え作業を行うためあったみたいですが、走行中の貨車に飛び乗って係員がブレーキを掛けたりするため事故なども多く危険な作業なのでこういう表記がついたんだと記憶しています。昔は配送別に1編成の列車の中でも行先の違う貨車が色々とあったのでいちいち機関車を使って奥まで入れ込んで解放。戻ってと一つ一つ入れ換えをしていたんでは間に合わなかったのでしょうね。よく言えば作業の仕組みを熟知して経験を重ねないとできない職人技。今では考えられませんが、昭和の頃は鉄道に限らずこういった危険な作業は結構あったと思います。安全は大事ですがそれだけでは世の中が回らなかった時代背景もあったと思います。
fujitanisan 日本は自動連結器への切り替えを済ませているので、これでもまだマシな方なのでしょうね。
この車両は側に手ブレーキが設置されていて、突放しても飛び乗って制動を掛けれないからじゃないですかね。国鉄時代のコキ50000は全車デッキデッキに手ブレーキを設置してましたから突放はしていました。ヤード経由方式から拠点間輸送に切り替わり、突放も見ないようになりました。禁止車両は車運車やシキなんかもありました。
「突放作業」言葉では知っていましたが、実際に動きを見るのは初めてというか、現在は危なっかしいからやっていないと思っていました😅とても勉強になりました。ありがとうございます🙇♂️
突放は、内規では禁止されていますが、現場の判断で続けられているところもあります。
動画見てから知り合いのJR吹田機関区に勤めている機関士さんに聞いたら、やはり現場では禁止されてるとかでやった事無いと…。貴重な映像って事ですね😮
JRの内規で禁止だけどこれは三岐の軌道上だからOKってことです?それともアウトら
@@watuyakun 一応JR貨物の就業規則では禁止されていますが、現場判断でやっている所はあると言うことです。あと、軌道保有会社の規則に会わせます。操車に関しては、現場まで目が行き届かないので管理が甘くなるのは事実です。それで事故が起こったら、現場責任者が処分されます
まてまてまて。2:54で連結うまいなぁと思ってたら進行方向のエンド側、運転士がいないじゃまいか(2:32)。バックでこの衝動とかプロすぐる。
これを特別と見る事に驚く、これとは多少違うけど・・昔は普通に大宮辺りでは見られていたんだけどね・・懐かしいね突き放した貨車にブレーキ係の人が捕まって旗振り乍ら走って最後はガシャンと音がして連結!
Greetings From Johor, Malaysia..Nice Video
初めてみました。こんなスーと走って行くんですね。スゲー!!
「突放」には運転手や作業員の熟練技術が必要です。失敗すると時と場合によっては連結器やその他を壊したり、大きな事故につながる可能性もあるので、だんだんやらなくなりました。
四日市市富田町ですか?セメント?生川DD51ってまだ走ってたんだねとても分かりやすい動画ですありがとうございます✨
子供の頃何回か見ましたが、1両の貨車とか無人で走行して他の貨車につなげる所もあった様に記憶しています
この時に大活躍するのが、機関車の単弁なんです、その次が自連の解放テコで、最期にハンドブレーキと足踏み(人間の体重)出掛けるブレーキでしょうね、勿論連結手が居なければ成立しませんが・・・。
学生時代、貨物駅でバイトしてたからよく見てたなw。今はその貨物駅も無くなった。
その点、突放はすごいよな。最後まで貨車たっぷりだもん。
勉強になりましたありがとうございました。
今は、タキやコキしか目にすることができませんが、国鉄時代の貨車は一部を除いて「突放」することを前提に作られています。手ブレーキや側ブレーキがあるステップや手すりには白くペイントされています。夜間や暴風雨・降雪など関係なく作業します。本州でも降雪時には、地下足袋に荒縄を巻いて作業されているところを見たことがあります。他でコメントされてる方もいますが、手ブレーキは長く使うと制輪子が減って、利きが悪くなってきます。調整は客貨車区や貨車区で交番検査時に調整されていました。注目して欲しいのは、タキ4両引き上げ時に3両は空気ホースを繋いでタキもブレーキの掛かる状態、突放車両は圧搾空気も入っていない状態で、制動は手ブレーキのみで突放されています。
ツキッパナシじゃ無かったんですね。(笑)吹田の旧操車場の近くに住んでますが知りませんでした。係員を乗せずに切り離した先でがっしゃーんってするのを禁じてると思ってました。😂1つ賢くなりました。ありがとうございます。因みに吹田操車場は、鷹取と並ぶ大きな操車場でしたが再開発で消滅し、吹田市民病院、国立循環器病研究センター、ショッピングモール、マンション、道路などが立ち並びとても綺麗な街並みになりました。吹田〜千里丘間で車窓から見る事ができます。
東藤原でも突放が見られましたね以前三岐鉄道で働いていて東藤原近くを通っていたので懐かしいです
突放どころか今ではそもそも作業員がなるだけ下に降りないようになっていますね
ヘッドライトの形状やつりかけの音が東武っぽいと思ったら、元東武の電気機関車でした。
コンプレッサーの音が私の好きな「ゆっくり回転(?)」の音でしたので懐かしいです。
『突放』という言葉自体、初めて知りました‼️このような映像にして頂けますと、本当に分かり易いです😆👍✨‼️「太平洋セメント」様の荷物を1両、切り離したんですね(^_^)v全て初めて見る行動でしたので、感激してしまいました✌
35年前には普通に見られたこの作業が「突放」だと最近知りました。
国鉄時代の経験者です。2回くらい死にかけました💦
お疲れ様です。私はその後身のEで勤務し操車までやりましたが、うちの会社では今は禁止されているので、突放は経験がありません。たとえ時間がかかっても、推進で所定番線までもって行き、1両切り離した後、入信なり入標できちんと戻って来いと言うのが、今の会社の安全に則った方針になっています。大先輩たちから、死ななくても足を失った人などの話を聞き、怖い作業だなと感じました。今でもやっている会社があることに、非常に驚きです。経験者のお話は、いろいろと聞いてみたいです。
自分の親父も元国鉄職員で、この仕事をしていたそうです。やはり親父も死にかけたことが何度かあったそうです!同僚は列車に巻き込まれ、足を切断したそうです💦
西大分駅に止まってるコンテナ車に突放禁止って書いてたので何だろうって思ってました。突放って危険そうですけど見てる分には面白いですね!
きてぃーブラック 西大分と言う事は関係ないですけど九州の方ですか?
@@EF--vr2bg 大分県でございます。なので、牧駅の横にある大分車両センターにななつ星が止まってるのをたまに見ます。
Very nice.Interesting,Thank you
エンジンとモーターの音がイイ!それはともかく、これが突放作業ですか!理屈では知ってても、見る機会がないもので・・・そういえば幼い頃だったか、どこかの駅で「勝手に」貨車が動いているのを見て気味悪く思ったことがありました。
作業がよくわかりました!
三岐鉄道の突放作業ですが、貨物駅の終点東藤原駅で突放作業中にトラブルが発生した為今年に入り突放作業は禁止になったらしいです
昔都城駅でよく見てました
「突放禁止」は、ブレーキが付いていない貨車だからなのでしょうね。「突放」自体は重要な車両テクニックなので、然るべき教本と教習を規定して正式に安全活用して欲しいですね。
極めて分かりやすい‼️‼️
コキ車両懐かしいです。守秘義務の為詳しくは無理ですが新しい車両はもう無いでしょうね。
昔の貨車は突放出来る様に操者の乗る所にブレーキが付いていたけど(体重を掛けて止める)、コキ車のブレーキは回さなければならないし、何よりもも危険!過ぎるしね!
いつだったかな、多分まだ保育園か小学校低学年の時に黒部峡谷鉄道のトロッコに乗りに行って、ホテルが宇奈月駅周辺の温泉街だったからじいちゃんと一緒に散歩がてら宇奈月駅まで行ったら、車両基地の構内で同じことしてるのを見たことある。当時は黒薙駅から宿泊施設に行くまでに現役の貨物専用線の上を歩けたり、地元が北陸だから、JRに関してはま475系や485系が現役で走ってたり、今思えばかなり貴重な光景が当たり前の様に見れたなぁ
車両毎に単独のブレーキが付いてないと危険で出来ないでしょう 昔は操車場と呼ばれた場所でよく見た光景
一歩間違ったら大事故の職人技ですな
三岐鉄道電気機関車、吊り掛けモーター音、マニアウケしますねぇ!😆👍💯前後のデッキが、個人的には、goodです!\(^o^)/
岸辺駅が最寄りの住人ですが、コキに「突放禁止」と書かれていて、突放って何だろう?。とは思ってましたが、意味を調べることもなく何年もたっていました。それが、RUclipsr さんがオススメしてくるって、わたしの心は、Google に読まれてますね。(^^;)
当たり前の作業かと思っていた…。四日市市民より
国鉄時代に製造されたク5000とJR時代に製造されたコキ100・101、102・103、104、105、106、110、200は突放が構造上できない。またJR貨物では突放が原則禁止。私鉄ではやってますね。
初めて突放作業を見ました。なるほどって思いました。ありがとうございましたm(__)m
名の通り突いて放つ。初めて聞きましたが結構荒っぽい作業ですね。
客車見てるより貨車のほうがおもしろいので最近はまっています。昔、鷹取工場傍の学校へ通っていて工場内も見学しました
突放は、貨車を機関車の追放により切り離して操作することですほとんどの場合、挟まれによる人身事故が発生しているので、禁止になってます。特にコンテナ貨物で、積載有りで突放すると貨物破損が多数出るので禁止になってます
長年「『つきっぱなし』ってなんだろう?」と思っていました。ありがとうございました。(「カーリング」ですね)で、「突放(とっぽう)禁止」となっている貨車は、突放(とっぽう)に向いていない事情があるのでしょうか?手動ブレーキ操作が難しくて事故が起きやすいとか?
「つきはなし」だと思っていた「とっぽう」なんですね
長瀬:『その点とっぽうってすげぇよな、最後までチョコたっぷりだもん。』
意味は「突き放し」そのものなんですけどね。送り仮名を省いて書いていた大昔なら「つきはなし」と読んでいたでしょう。
「流転注意」なんて表記もありますね。人生の悲哀を感じさせますが、現場では極めて即物的な意味で。
電車が流れる事象は、車庫でよくありました。サスメタル無しだと、転がるそうです。
40年ぐらい前かな、現在新川崎駅がある場所だったと思うのですが、新鶴見操車場という広大なヤードがあって突放を何時間も飽きもせずに見てた覚えが・・・。まあ、電気機関車がいろんな貨車を50両ぐらい連ねて疾走してた時代です。EH10とか懐かしいなぁー
ああ、なるほど。昔の貨物ターミナルで見られた斜面を利用して貨物車を連結させたまま機関車から切り離し、坂の下にある貨車と連結させるのを「突放」と呼ぶのね。あの光景は昔はよく見たが、そんな名前でl呼ばれてたのは知らなかった。
鉄は専門外ですが、この作業でだいぶ手間と時間を節約できるのは分かる。ただコメント欄から、数多く災害を出している作業で、世の中で禁止の方向にシフトしているのも分かる・・手ブレーキのみが頼りとか・・。こうして、一歩ずつ安全性は向上させていくのでしょう。
国鉄がまだ民営化する前に藤枝駅で貨車の入れ替え作業を見ていると、後もう少しで連結のタイミングが楽しかった。貨車の入れ替え作業を見て、連結時の衝撃で踊る様に、ワフ35000が線路から外れるかなと思った。その時初めて列車の怖さを初めて知ったと同時にお金をいくら出しても乗れない荷物列車や貨物列車の最高部に連結している車掌車の価値観を自分の目に焼き付ける事が出来た。宝くじで10億円が当たったら、1000万円出してヨ8000を借りて旅行して見たい。
1:09このまま突っ込むのかと思ってびっくりした
おー!地元地元☆昔は小野田セメントでしたよね
30年くらい前に姫路駅でやってました。今思えば入社したての18歳でよくやらして貰えたもんだと。笑
推進で押し始めたら、連結テコを上げるんです。適度にスピードが乗って来たら操車が「止まれ、止まれ」って、機関士に合図をすると、そのまま惰性で流れ始めます。
タキは中味が入ってると液体が前後に揺れるのでブレーキ掛けても止まり難かったのを覚えてます。
ヨは軽すぎて向かい風の時はよく途中で止まりました。
奥に貨車が置いてある時はそのまま流したら勝手に連結するので、適度にスピード緩めて飛び降りたら作業終了。今では考えられないですね。笑
当時の姫路駅の突放ハイライトはパワム8連に肥料満載の貨車を500mくらい流す作業がありました。重いのを長距離流すのでそこそこスピードに乗せて放すからなかなかスリルがありました。
しかも、突き当たりの車止め手前で止めるという難作業。
足踏みのブレーキには効きの悪いのがあるので、突放前に仮踏みして確かめてからブレーキを掛け始める場所を決めてました。
2~3回止まらずに冷や汗かいたことありましたね(^^;
もう一回やってみたいなぁ。
day4140 長文で説明有難うございます
day4140 貴重なお話をありがとうございました。
肥料は加古川の多木化学の肥料でしょうか?
構内係→運転係・輸送係?
@@oj8703 いえ、荷物はダイセルのもので、姫路から富山へ送ってました。今でもコンテナで送ってるんじゃないかなぁ。
@@tomiyakaratomikawa いえ、構内係から営業フロントでした。
元々、機関士候補で採用されましたが、20歳まで免許が取れないので、それまで各地に配属されるんです。
営業って、言っても世間のようにお客様回りをするのではなく、フレンズ(当時のシステムの名称)で荷物のルート予約をしたり、車票を作ったり、来客のお茶汲み、通運に伝票持って行ったり、フォークリフトの段取り、車検切れ貨車の留め置き(姫路には貨車の検修派出がありました)とか様々でした。
昔勤務していた駅の同僚に片脚ひいて歩いてる人がいて、その本人から突放で脚落としたと聞いて衝撃だったわ。
貨車が1両で走ってるの可愛い💠
昔の貨物操車場(貨物ターミナル)での組み換え作業映像を観ると、良く行われていた作業ですよね。
突放、久しぶりに拝見しました。👀
機関車共々貴重な動画ですね!👍
これはもっと広まるべき動画じゃありませんか?
貨物で頑張る作業員の方々が光ってる✨
貨物列車が激減している昨今、こういう姿を見られるのは貴重ですよ!
私の父親が今は無い東札幌駅で入換でこれをやって構内係の足踏が遅くて連結する貨車に10キロ以上で連結したら荷物の醤油のびんが散乱してたそうです、売り物にならない物を貰って機関区で使ったらしいです、父は苗穂で機関士していました、連結は5キロ以下なのにたまにブレーキが甘い人いるから面白いって言ったら失礼かな
地元の富田駅です。こんな作業をじっくり見るのは初めてですが列車の走る音がいつ聞いてもいい音です。
デッキ付きの電気機関車、しかも重連が見られることも貴重な動画ですね。モーター音が懐かしい。
めっちゃわかりやすくて良かったです!突放禁止、って書いてあるので
動画のタイトル見た時に
え?突放ってやってもいいの?って思ってしまいましたww
国鉄の職員だった祖父はこの作業をやる職員だったそうです。
レールのポイント切り替えをやるときは横を貨物が高速で通過するからものすごく怖かったと話していました。
百済で1日中眺めていましたが、今でもあるのですね。しかも電機の重連でやってます。
子どものころ、突放?された貨車がポイントでそれぞれに分かれていき、それに作業員が飛び乗ってブレーキを操作しながら次々と連結して、何本もの編成をしていたのを見てました。
その時はまだ子供で、格好いいと思って、大人になったらなりたい職業のひとつでした。
その場所は、突放した貨車の勢いが無くならないように、全体がゆるい下り坂になっていたと思います。
あと、それぞれの貨車に行き先が書かれた板か札がはさまっていたと記憶してます。
昭和40年代初期ころのことです。
「とっぽう」と読むのは、今知りました。
僕もついほうって読んでました笑
すごく判り易い動画です。ありがとうございます。
むかし、大宮操で働いている人の話を聞いたことがあります。
「何十輌っていう突放の時は、飛び乗ってすぐブレーキをかけないと間に合わなかった」そうで、当時の貨車のブレーキが足踏み式で「雨の日は滑って怖かった」そうです。
昔々のその昔の話かと思えば、今でもあるんですね。
突放 連結って、操車場時代の話だと思ってたら。。。
まさか、実際に見れるとは
突放して連結とかもあるんだよね。
多分、私鉄ではいまだにやってると思います。JRは飛び降り、飛び乗り、ブレーキホースを繋がずに入れ替えすることさえも禁止されてしまいました。
父親が若き頃国鉄社員で、エグい話を聞いたことありますよ。
小さい頃、突放を見に行ってたなー。久しぶりに拝見しました。
昔は吹田の操車場で傾斜を利用した貨車の単独自走?を見るの好きでした。
子供の頃からこの風景はよく見てました。見てたのはこっちではなくあっちの方ですが。
あっちの方は踏切の音がカンカン鳴りまくるので見ててとても楽しかったです
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そうか…今の若い人は知らないのね。かつてはこの作業、全国各地至る所で見られた日常風景だったってこと。何故旧国鉄は人員が多かったのか?そして男女比において極端に女性比率が少なかったのか?その一つがこれ。雨の日も風の日も雪の日も昼も夜も、切り離され惰性で転がって来る貨車に飛び乗りブレーキをかけ停まる寸前に飛び降りまた次の貨車に飛び乗り…女性や爺さん職員には酷な仕事。勢い男性、それもガタイの丈夫な若い衆の出番となる。軌道や架線、信号設備などの点検や整備も人海戦術だった上に人員の必要量も波動が大きいからどうしても多くの人員を確保していなければならなかった。物資別適合車をその都度組成していた当時はこの方法が最も手早く処理できる方法だったけどUP主さんや他の方々もお気づきのようにこの作業は極めて危険な作業でもあり実際労災事故も珍しくなかった。
おっしゃる通りです。
規模が小さな貨物取扱駅の「駅員」は出札・改札・信号・入換作業・ポイント清掃など、何でもやらされた。分割前はそんな職員もたくさんいたけどね・・・
負傷ないし殉職した職員の配偶者に仕事を与えるためのキオスクですしね。
awacs40 びっくり納得マン
国鉄時代、キオスクの運営元は”公益財団法人鉄道弘済会”でしたので。
勉強なりやした!
一言でいうと、あらよっとっ!って感じすかね。
家の近くで前は頻繁に見れました。
子供ながらになんで電車が付いてないのに動くんだ?と思ってました。
謎が解けました、ありがとうございました!
昔は稲沢操車場とかカーリターダで速度調整して自動の突放組み替えとか
弥富駅で木曽川橋へ向かう坂道を利用して名鉄側に貨物入れ替えしてたとか、
名鉄日比野駅に電気機関車とワム貨車とか、弥富で米とか担ぎ下ろしとか、各駅毎の貨車1~2両その物を手押しなりの「重そうでも動いたのに驚いた」解結しながら集配達して行く作業を見たけど、最近は貴重な場面ですよ。
ド近所の駅でこんなことが行われていたなんて!…今度見に行こっと♪
危険と隣り合わせの作業 お疲れ様でございます
昔は突放した貨車をカーリターダで減速させて編成作ったりしてましたよね☺️
いいね!
貨物列車は見てるだけでも面白い
子供の頃は田端とかでよく見ましたけど、もうこんな作業そのものを完全に忘れていました。今でもやってる所あるんですね。
戦時中、大船で大量の高濃度過酸化水素を積んだレオテが出発。北茅ヶ崎駅で、禁止されていたのにこれをやった為に、過酸化水素の瓶が割れ大爆発、駅舎を半分吹き飛ばす事故があった。
そんなことが。
入れ替え用にDD51を使ってるとは、なんという贅沢。 こっちはDE型の片側ショートタイプばかりで、生まれてこのかたDD51の実車なんて見た事もない。
電気機関車も昔のようなチョコレート色で、随分とレトロ感がありますね。
私もそう思いました、普通わ入れ替え用のDE10を使うと思いますが、DD51を使うなんてJRも凄いですね。(最高かも)
40年以上前ですが、荷物列車というのがありました。
機関車が貨車と荷物車を牽引していました。その荷物列車には国鉄の荷物車と郵便局の郵便車が連結されていました。
汐留駅から東小倉駅間を走っていたほか、全国の主だった線路を荷物車と郵便車が時間帯をけて走っていました。
始発駅や最終駅では、まさに突放が行われており、車内に残っていると、突放の大きな揺れに体を大きく揺らしていました。
今はもう有り得ない、あの時代だからの日々でした。
父の実家の最寄り駅で帰省時は必ず使う駅ですがこんな珍しい光景が見れるとは知りませんでした
国鉄時代に数多くの作業員が散っていったという話を聞いたのはやはりそれだけ危険だと思ってましたが良く分かりました。
カーリターダーは偉大ですね
汐留や吹田などの超大型操車場では『ハンプ』と呼ばれる丘を使って貨車を選別突放してました😃ブレーキを掛ける作業員👷♂️も沢山居ました🚑事故も多かったようです😭ありがとうございました🙌
半世紀前の高校生の頃、自転車通学してて突放作業のため踏切で待たされたなぁ。有人踏切だったので、うまく突放の間合いを見計らって通してくれたけど、今の自動踏切だと作業中は警報鳴りっぱなしの開かずの踏切になってたはず。
いい動画を見せていただきました!
新鶴見操車場のあった時代を知っているので「突放禁止」の貨車は沢山見ましたが(主にコンテナ車と車運車)、そこはハンプヤードだったので、突放作業を見るのはこれが初めてです。
かつては、名(迷)鉄でも、突放作業はやってたらしく、名鉄三河線・豊田線の猿投駅〜西中金駅間は、その時まで貨物輸送が行われたので、その時突放作業は行われたそうです。
一度は見てみたい作業の一つです。
突放を知らないとき、貨車が単独で走行している映像を見て、動力ないのに何故?と思ったのですが、まさに機関車から突き放されていたのですね。
自動車駐車時のサイドブレーキと同じように、貨車にも手ブレーキや側ブレーキが付います。
貨車を留置する時、ブレーキが中途半端だと少しの勾配でも車両が勝手に動き出すことが実際あります。
国鉄構内には、「流転防止!」や「流れるぞ」といった注意喚起の表記がされていました。
この中間車両だけ抜いた理由はこの車両だけ検査時期が迫っていたためここで抜いて、四日市駅構内の交番検査(車でいう6か月点検や1年、2年点検)にもっていくのか、東海道で稲沢経由で川崎(車の車検のようなもの)までのどちらかかと。
すごくわかりやすいです!
茶色と黄色のラインでかわいいデザインの電車だね
なるほど、文字通り突き放すと言う事ですね。
昔はよく富田駅で三岐鉄道に乗り換えていました。太平洋セメントと言うのが、いかにもらしいですね。
突放ってこうゆう意味だったんだ!為になるぅ〜
新潟貨物ターミナルにたまに行くけどこんなの見たこと無い。というか、突放作業の意味を初めて知った
かつて操車場というのが存在した頃は機関車が貨車を連結器開放状態にしたまま後押しして途中で機関車のブレーキをかけて貨車だけ惰性で転がす「突放」というのがよく見られたが今では少ないようです。衝撃に弱い積み荷用や検測車、大物車など特殊な構造の車両には「突放禁止」表示がよく見られるようです。
海外だと、作業員乗らずに突放、ポイントを素早く切り替えて連続でやってます。
大香師さん
昔はやってましたよ。
当然投げた貨車は止めなきゃいけないので先にはブレーキ掛が待機してます。
ただその流れてきた貨車に乗るときや側ブレーキと言われる駐車ブレーキをかける際
転落により死亡事故や傷害事故が多発してたためJR化以降JR直轄の駅では禁止となりました。
が、今でも一部臨海鉄道では行われてます。
貨車の突放ってずっと気になってたので助かります
コキでは"突方禁止"と書いてあるのをよく見ますが、まだ突方をやっている貨物駅あるんですね。
「とんだ」なのか「とみた」なのか少し迷っちゃいました。岸辺駅が「とんだ」駅に近いので余計に。大して知識が無いので何度かコメントと概要を読みこんで理解できました。そうやって答え探しするのも楽しく感じました。
凄い初めて見た。富田駅の最寄り駅沿線に住んでいて、何回もこの駅を見たことあるけど、、、
以前は効率よく入れ換え作業を行うためあったみたいですが、走行中の貨車に飛び乗って係員がブレーキを掛けたりするため事故なども多く危険な作業なのでこういう表記がついたんだと記憶しています。昔は配送別に1編成の列車の中でも行先の違う貨車が色々とあったのでいちいち機関車を使って奥まで入れ込んで解放。戻ってと一つ一つ入れ換えをしていたんでは間に合わなかったのでしょうね。よく言えば作業の仕組みを熟知して経験を重ねないとできない職人技。
今では考えられませんが、昭和の頃は鉄道に限らずこういった危険な作業は結構あったと思います。安全は大事ですがそれだけでは世の中が回らなかった時代背景もあったと思います。
fujitanisan 日本は自動連結器への切り替えを済ませているので、これでもまだマシな方なのでしょうね。
この車両は側に手ブレーキが設置されていて、
突放しても飛び乗って制動を掛けれないからじゃないですかね。
国鉄時代のコキ50000は全車デッキデッキに手ブレーキを設置してましたから
突放はしていました。
ヤード経由方式から拠点間輸送に切り替わり、突放も見ないようになりました。
禁止車両は車運車やシキなんかもありました。
「突放作業」言葉では知っていましたが、実際に動きを見るのは初めてというか、現在は危なっかしいからやっていないと思っていました😅
とても勉強になりました。ありがとうございます🙇♂️
突放は、内規では禁止されていますが、現場の判断で続けられているところもあります。
動画見てから知り合いのJR吹田機関区に勤めている機関士さんに聞いたら、やはり現場では禁止されてるとかでやった事無いと…。
貴重な映像って事ですね😮
JRの内規で禁止だけどこれは三岐の軌道上だからOKってことです?それともアウトら
@@watuyakun 一応JR貨物の就業規則では禁止されていますが、現場判断でやっている所はあると言うことです。あと、軌道保有会社の規則に会わせます。操車に関しては、現場まで目が行き届かないので管理が甘くなるのは事実です。それで事故が起こったら、現場責任者が処分されます
まてまてまて。
2:54で連結うまいなぁと思ってたら進行方向のエンド側、運転士がいないじゃまいか(2:32)。
バックでこの衝動とかプロすぐる。
これを特別と見る事に驚く、これとは多少違うけど・・昔は普通に大宮辺りでは見られていたんだけどね・・懐かしいね
突き放した貨車にブレーキ係の人が捕まって旗振り乍ら走って最後はガシャンと音がして連結!
Greetings From Johor, Malaysia..Nice Video
初めてみました。
こんなスーと走って行くんですね。
スゲー!!
「突放」には運転手や作業員の熟練技術が必要です。失敗すると時と場合によっては連結器やその他を壊したり、大きな事故につながる可能性もあるので、だんだんやらなくなりました。
四日市市富田町ですか?
セメント?生川
DD51ってまだ走ってたんだね
とても分かりやすい動画です
ありがとうございます✨
子供の頃何回か見ましたが、1両の貨車とか無人で走行して他の貨車につなげる所もあった様に記憶しています
この時に大活躍するのが、機関車の単弁なんです、その次が自連の解放テコで、最期にハンドブレーキと足踏み(人間の体重)出掛けるブレーキでしょうね、勿論連結手が居なければ成立しませんが・・・。
学生時代、貨物駅でバイトしてたからよく見てたなw。今はその貨物駅も無くなった。
その点、突放はすごいよな。最後まで貨車たっぷりだもん。
勉強になりましたありがとうございました。
今は、タキやコキしか目にすることができませんが、国鉄時代の貨車は一部を除いて「突放」することを前提に作られています。
手ブレーキや側ブレーキがあるステップや手すりには白くペイントされています。
夜間や暴風雨・降雪など関係なく作業します。
本州でも降雪時には、地下足袋に荒縄を巻いて作業されているところを見たことがあります。
他でコメントされてる方もいますが、手ブレーキは長く使うと制輪子が減って、利きが悪くなってきます。調整は客貨車区や貨車区で交番検査時に調整されていました。
注目して欲しいのは、タキ4両引き上げ時に3両は空気ホースを繋いでタキもブレーキの掛かる状態、突放車両は圧搾空気も入っていない状態で、制動は手ブレーキのみで突放されています。
ツキッパナシじゃ無かったんですね。(笑)吹田の旧操車場の近くに住んでますが知りませんでした。係員を乗せずに切り離した先でがっしゃーんってするのを禁じてると思ってました。😂1つ賢くなりました。ありがとうございます。因みに吹田操車場は、鷹取と並ぶ大きな操車場でしたが再開発で消滅し、吹田市民病院、国立循環器病研究センター、ショッピングモール、マンション、道路などが立ち並びとても綺麗な街並みになりました。吹田〜千里丘間で車窓から見る事ができます。
東藤原でも突放が見られましたね
以前三岐鉄道で働いていて東藤原近くを通っていたので懐かしいです
突放どころか
今ではそもそも作業員がなるだけ下に降りないようになっていますね
ヘッドライトの形状や
つりかけの音が東武っぽいと思ったら、
元東武の電気機関車でした。
コンプレッサーの音が私の好きな「ゆっくり回転(?)」の音でしたので懐かしいです。
『突放』という言葉自体、初めて知りました‼️
このような映像にして頂けますと、本当に分かり易いです😆👍✨‼️
「太平洋セメント」様の荷物を1両、切り離したんですね(^_^)v
全て初めて見る行動でしたので、感激してしまいました✌
35年前には普通に見られたこの作業が「突放」だと最近知りました。
国鉄時代の経験者です。
2回くらい死にかけました💦
お疲れ様です。私はその後身のEで勤務し操車までやりましたが、
うちの会社では今は禁止されているので、突放は経験がありません。
たとえ時間がかかっても、推進で所定番線までもって行き、
1両切り離した後、入信なり入標できちんと戻って来いと言うのが、
今の会社の安全に則った方針になっています。
大先輩たちから、死ななくても足を失った人などの話を聞き、怖い作業だなと感じました。
今でもやっている会社があることに、非常に驚きです。
経験者のお話は、いろいろと聞いてみたいです。
自分の親父も元国鉄職員で、この仕事をしていたそうです。
やはり親父も死にかけたことが何度かあったそうです!
同僚は列車に巻き込まれ、足を切断したそうです💦
西大分駅に止まってるコンテナ車に突放禁止って書いてたので何だろうって思ってました。
突放って危険そうですけど見てる分には面白いですね!
きてぃーブラック 西大分と言う事は関係ないですけど九州の方ですか?
@@EF--vr2bg
大分県でございます。なので、牧駅の横にある大分車両センターにななつ星が止まってるのをたまに見ます。
Very nice.Interesting,Thank you
エンジンとモーターの音がイイ!
それはともかく、これが突放作業ですか!理屈では知ってても、見る機会がないもので・・・
そういえば幼い頃だったか、どこかの駅で「勝手に」貨車が動いているのを見て気味悪く思ったことがありました。
作業がよくわかりました!
三岐鉄道の突放作業ですが、貨物駅の終点東藤原駅で突放作業中にトラブルが発生した為今年に入り突放作業は禁止になったらしいです
昔都城駅でよく見てました
「突放禁止」は、ブレーキが付いていない貨車だからなのでしょうね。
「突放」自体は重要な車両テクニックなので、然るべき教本と教習を規定して正式に安全活用して欲しいですね。
極めて分かりやすい‼️‼️
コキ車両懐かしいです。守秘義務の為詳しくは無理ですが新しい車両はもう無いでしょうね。
昔の貨車は突放出来る様に操者の乗る所にブレーキが付いていたけど(体重を掛けて止める)、コキ車のブレーキは回さなければならないし、何よりもも危険!過ぎるしね!
いつだったかな、多分まだ保育園か
小学校低学年の時に黒部峡谷鉄道の
トロッコに乗りに行って、
ホテルが宇奈月駅周辺の温泉街だったから
じいちゃんと一緒に散歩がてら宇奈月駅まで行ったら、車両基地の構内で同じこと
してるのを見たことある。
当時は黒薙駅から宿泊施設に行くまでに
現役の貨物専用線の上を歩けたり、
地元が北陸だから、JRに関してはま475系や
485系が現役で走ってたり、
今思えばかなり貴重な光景が
当たり前の様に見れたなぁ
車両毎に単独のブレーキが付いてないと危険で出来ないでしょう 昔は操車場と呼ばれた場所でよく見た光景
一歩間違ったら大事故の職人技ですな
三岐鉄道電気機関車、吊り掛けモーター音、マニアウケしますねぇ!😆👍💯
前後のデッキが、個人的には、goodです!\(^o^)/
岸辺駅が最寄りの住人ですが、コキに「突放禁止」と書かれていて、突放って何だろう?。とは思ってましたが、意味を調べることもなく何年もたっていました。
それが、RUclipsr さんがオススメしてくるって、わたしの心は、Google に読まれてますね。(^^;)
当たり前の作業かと思っていた…。四日市市民より
国鉄時代に製造されたク5000とJR時代に製造されたコキ100・101、102・103、104、105、106、110、200は突放が構造上できない。
またJR貨物では突放が原則禁止。私鉄ではやってますね。
初めて突放作業を見ました。なるほどって思いました。ありがとうございましたm(__)m
名の通り突いて放つ。初めて聞きましたが結構荒っぽい作業ですね。
客車見てるより貨車のほうがおもしろいので最近はまっています。昔、鷹取工場傍の学校へ通っていて工場内も見学しました
突放は、貨車を機関車の追放により切り離して操作することです
ほとんどの場合、挟まれによる人身事故が発生しているので、禁止になってます。
特にコンテナ貨物で、積載有りで突放すると貨物破損が多数出るので禁止になってます
長年「『つきっぱなし』ってなんだろう?」と思っていました。ありがとうございました。(「カーリング」ですね)
で、「突放(とっぽう)禁止」となっている貨車は、突放(とっぽう)に向いていない事情があるのでしょうか?手動ブレーキ操作が難しくて事故が起きやすいとか?
「つきはなし」だと思っていた「とっぽう」なんですね
長瀬:『その点とっぽうってすげぇよな、最後までチョコたっぷりだもん。』
意味は「突き放し」そのものなんですけどね。
送り仮名を省いて書いていた大昔なら「つきはなし」と読んでいたでしょう。
「流転注意」なんて表記もありますね。
人生の悲哀を感じさせますが、現場では極めて即物的な意味で。
電車が流れる事象は、車庫でよくありました。サスメタル無しだと、転がるそうです。
40年ぐらい前かな、現在新川崎駅がある場所だったと思うのですが、新鶴見操車場という広大なヤードがあって突放を何時間も飽きもせずに見てた覚えが・・・。
まあ、電気機関車がいろんな貨車を50両ぐらい連ねて疾走してた時代です。
EH10とか懐かしいなぁー
ああ、なるほど。
昔の貨物ターミナルで見られた斜面を利用して貨物車を連結させたまま機関車から切り離し、坂の下にある貨車と連結させるのを「突放」と呼ぶのね。
あの光景は昔はよく見たが、そんな名前でl呼ばれてたのは知らなかった。
鉄は専門外ですが、この作業でだいぶ手間と時間を節約できるのは分かる。ただコメント欄から、数多く災害を出している作業で、世の中で禁止の方向にシフトしているのも分かる・・手ブレーキのみが頼りとか・・。こうして、一歩ずつ安全性は向上させていくのでしょう。
国鉄がまだ民営化する前に
藤枝駅で貨車の入れ替え作業を
見ていると、後もう少しで連結
のタイミングが楽しかった。
貨車の入れ替え作業を見て、
連結時の衝撃で踊る様に、
ワフ35000が線路から外れるかなと思った。
その時初めて列車の怖さを初めて知ったと同時にお金をいくら
出しても乗れない荷物列車や
貨物列車の最高部に連結している車掌車の価値観を自分の目に
焼き付ける事が出来た。
宝くじで10億円が当たったら、1000万円出してヨ8000を借りて旅行して見たい。
1:09
このまま突っ込むのかと思ってびっくりした
おー!地元地元☆昔は小野田セメントでしたよね