【ゆっくり解説】戦場で最も恐ろしい武器『弓の威力』が恐ろしすぎる。。。【戦国時代】
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- Опубликовано: 10 сен 2024
- #ゆっくり解説 #ゆっくり歴史解説 #日本史 #戦国
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あの絵はモンゴルに苦戦した図じゃなくて竹崎季長がヒャッハー単騎駆けかました勇猛さを描かせた図なんだよなぁ
蒙古軍も、最前列は迎撃してるけどその後ろの列は逃走してる が、その部分は切り取られ、まるで「蒙古軍に無理な突撃を仕掛けて弓の猛射とてつはうに翻弄される鎌倉武士」のような印象を与えている
実はあの絵は竹崎本人が書かせた絵で、反撃している蒙古兵がいるのは「オレ勇敢に戦っス!だから報酬増やして欲しいっス!」というさらにえげつない内容なのが、どんだけ武士が暴れただけの戦いだったかわかってしまう。ちなみにてつはうは何故か鎌倉武士の指揮を上げたそうな
@@ichigoh
竹崎某が生還したなら、神風特別攻撃隊の若者のように、英霊にならず英雄だね
つまり領主に対して「自分はこんなに活躍しましたよ」とアピールするための証拠写真ですね
@@satotarou6534
当たり前だが、当時は写真はない
昔、弓道部にいたときに、「弓は接近戦になったら槍として使う」と聞いた事があります。弦を外した状態で相手を突いて使用したそうです。「相手の喉元を突くのだ」と教えられました。確かに、ある程度の長さがあるので有りだなと感じました。もちろん、部活動でそのような使い方をしたことはありません。
弭槍といって、筈に槍の穂先がついた弓がある。
誤変換失礼、筈ではなく弭。
筈は矢のほうですね。
森鴎外の「阿部一族」がドラマ化された時槍の着いたら弓が出てきたよ。私が知る限り映像に出てるのはコレだけだと思う。主演佐藤浩市で原作は薄い本で2時間弱のドラマに丁度よい長さだったな
弭槍(はずやり):日本。
戦国時代に矢を射つくした時や弓の弦が切れたとき、あるいは矢を使えないような近接戦になった時、弓の端(弭)に15cm程の袋穂式の槍穂を付けて簡易の槍として使ったもの。
弓組足軽達の多くが携帯したが、あくまで非常用の武器のため、あまり威力は無かったと思われる。
「世界の武器防具百科」より
マンガ「センゴク」で筈槍はありましたね
弓は中央に矢をつがえると弦が共鳴で押さえられなくなるから中央をずらして矢をつがえることで大型化と制動性を両立した。それでもスタビライザーの無い和弓は射手の技量に頼るため長時間の修練が重要になる。
なんでまぁ雑兵の飛び道具は投石
数で押しゃ案外バカにならん
@@hellharmony 古代の城壁を破る巨大投石器はロープのねじり力と板バネの計算に3乗と3乗根の計算が必要だったので設計には数学力が重要だったそうです。
@@hellharmony こちらをご覧ください。
でんじろう先生が解説 スリング/投石ひも 作り方と投げ方のコツ/ 米村でんじろう[公式]
ruclips.net/video/tvT69E3m5Zs/видео.html
RUclipsの良い所はコメ欄のお陰で知識の幅が広がる事です。有難い。
当時93歳まで生きてた事がすごいわ
真ん中を持たないのは独特だよね。それが銅鐸にも描かれてて古くからなんだよね。
あの位置が、振動の小さくなるポイントらしいですね
弥生時代銅鐸に弓の下側を持つ様に描かれ。蛇足アイヌ民族も短い弓だが木弓の下側を握る昔の写真が有る。世界で『弓の下側を握る』民族は日本列島だけだ,世界に他に無し。
戦国の世が終わったあとも三十三間堂での藩の威信をかけた矢通し競技の中で堅帽子弽が発明されたりと進歩はしてるんだよね。
今の市販の弓は大体張力で14から16キロ程の強さのモノを使う人が多い。専門店の人曰く、戦国時代の強弓は40キロくらいはあるかも、みたいな話は聞いた事がある。
矢の威力は先端の鏃の質によって大きく左右されるが、私が弓道部現役時に堅物射の大会に参加した時は、戦国時代に使用されたのと同程度の規格の鏃(市販されていません)を使い、16キロの弓で約30m先(近的)の1mmの鉄板を貫通させることに成功しました。
京都の三十三間堂での遠的大会(60m)も16キロ程度なら余裕で届きます。威力のイメージの参考までに。
40kの弓 学生時代にOBが持ってきて引いてました‼️
矢勢が半端ないです!
引かせてもらったのですが怖くて
離をあきらめて戻しました😂お恥ずかしい話
鉄板の厚さは?
その代わり今の弓道のように大きく引き切るような使い方はされず、特に馬上ではそんな暇はありませんし、少ない引き幅で素早く引いても威力を上げるために40~60キロ前後あったようですね。
まあそれでも現代弓よりもかなり威力あると思いますが。
@@user-xu4ti9pw8l 小笠原流の祭典?が武道館で開催された時(10年以上前)鎧姿の高段者が10人以上並んで的に向かって射続ける催しがありましたが全員一射につき数秒も掛けず撃ち続けるという、現代の弓道では考えられない射術を披露してたのが凄く印象に残ってるなぁ。今の弓道だと1射1分以上かけるのが普通なのに…しかも普通に刺さってたし
@@user-dw7cq9lg6z 堅物射抜きの大会は特別に鉄板を的として使いますが、他の普通の大会では直系30cm程の円形の的を使います、的の表面は紙製です。
この話は妙に納得しますね。それでも弓道として残っているのいは有難いですね。
弓は鉄砲と違い、枝垂れ撃ちという高く打ち上げて塀の向こうの敵兵に当てるとか、山の上から斜面のふくらみに沿って矢を飛ばし姿が見えない敵兵に当てるなど、間接射撃が可能なんですよね。鉄砲が千丁単位で運用されるようになっても弓は重要な戦力であり続けたのも当然…。
まあ実は火砲も同じなんですけどね、銃弾も砲弾も直線で飛ぶわけじゃないですから
砲撃は曲射しますしその最たるものの一つが迫撃砲です
書かれている塀の向こうへのめくら撃ちでは実際には敵兵に当てるのは困難で威嚇以外で損害を与えるのであれば集団で数を撃つしかありません、そして数うちゃ当たるといったそんなもので良いのであれば銃弾でも実はできます
@@user-gw6cl8uh5f
精度が低いからテキトーに撃つ銃と一緒ってそれは無理あるでしょ笑
銃だって放物線描くっても、水平に狙いを定めて射撃する銃と、そもそも斜め上に放つ弓で描く放物線では比較にならないことはわかるでしょ
詭弁で混ぜっ返すのは失礼だからやめたほうがいいですよ
@@user-gw6cl8uh5f
矢は放物線でも威力は大して変わらんが、鉄砲は弾の減衰が大きすぎてでそんな運用無理でしょう。
迫撃砲はそもそも、炸薬でダメージを与えるから、鉄砲の例に出すとかおかしい。
初期のコンピュータ "ENIAC" が作られた目的の一つが弾道計算ですからね
戦艦大和の主砲は最大射程では、目標が水平線の先になると聞いたことが有ります
その為、できるだけ遠方が見えるように測距儀は艦橋最上部に取り付けられたそうです
銃や砲も弾道射撃と言っても、どこでも、何でも可能ではなく、専用の砲であったり、遠い場所へ撃ち込む時しか出来なくない?
上が長い日本式の弓は魏志倭人伝に出て来る
ついでに倭人は矢じりに鉄を使うと書いてある
魏では矢じりはは何だったのだろうか?石?
@@kieyam3596
漢の頃には鉄の製造は国営化しているし、出土品も鉄の筈。なおその前は青銅。日本への鉄の伝来は相当古い (出土品は中国より古いくらい)で、一方で製鉄技術は持ってなかったから日本の鉄は隕鉄かも。あいつら、未開人の癖に戦争だとヤバイぞという意味で「鉄を使う」と書いてるのかもですね。魏志倭人伝を読んでないから話半分に。
@@kieyam3596
青銅ではなかろうか。
@@kieyam3596
蛮人のくせに鉄を使うのが凄いってことじゃない?
魏の時代には日本では製鉄はしていないはずだから、ちょっと信憑性に欠けるけど
日本にとっては当時は鉄を採掘してなくて、ほぼ輸入品だったはずなので、一撃必殺の武器だったんですかね。
少量の鉄で十分な威力があるから使ってたのかな?
和弓は鉄バネだの獣の腱だのといった強素材を使えた他の弓と比べ、
「素材が弱いから大型化せざるを得なかった」
「大型化したため複雑な構造に長大な矢を番えざるを得なかった」
「結果として重くて長い矢を、高レートで長距離に投射する強力な兵器になった」
というマイナス×マイナス=プラス現象が起きてて面白い
短弓もあったらしいけど、実物も技術も殆ど残ってないのが残念
小柄だった源義経は小さい弓を使ってたと聞いたことがある。
@@kieyam3596川に取り落としてしまった弓を、「流れた先で誰かに拾われて、アイツこんな小さい弓使ってんのかと思われたら恥ずかしい」って慌てて拾ったと言う有名な逸話がありますね。どこまで本当か分かりませんが、面白い話ですよね
弓にはロマンを感じます。猟銃持ちの爺ですが、機会が有れば弓もやってみたい。
魏志倭人伝に「木弓用い 木弓 下短く上長し 竹の矢 鉄骨矢じり放つ」と伝統の弓術
形状が和弓そのままなのが面白いですよね。魏書か晋書か忘れましたが、鏃がデカいという記述も、やっぱ和弓だなぁと思った覚えがあります
知らなかった知識で凄く勉強になります
弓の方は、様々な工夫がされて強化していってますが、ほとんど変化しなかったのは矢の方だそうです。
竹という便利な素材が有ったからか、矢羽と鏃以外の部分はほぼ変わらずにいたようです。
西洋などでは、矢の中央部分を一番太く、前後の部分を細く作る、全体として紡錘形に作るという工夫がされて、飛翔速度や距離、貫通力を向上させるようにしていたようです。
日本で生まれ独自に発達したんだから、「魔改造」というのは不適切では?
和弓形状の長弓は、日本で生まれて独自に発展したものというより、南方系のオーストロネシア語族らから発展したものが、呉、朝鮮に渡り、日本に伝わったのではないかとする説が主流です。朝鮮の古墳から、和弓と似たタイプの長弓が出ており、ご存知でしょうが当時の朝鮮半島には倭人の国があり、交流が盛んな時代です。本当の出自はまだ分かりませんが、今のところ和弓は「東南アジアに近接する海上文化圏全体に見られる長弓の仲間の形状」とするのが妥当です
@@user-op7hi4nd9wそう聞くと『むしろ沖縄→九州→朝鮮ルートじゃね?』って気持ちにもなる☺️
が、まあとにかく。
要するに、日本発祥じゃなさそうだよってことね。
同時多発とかもないではないけど、見つかってる古い順としては
東南アジア→朝鮮→日本
ですよ、と。
そこまでは言ってないか?
でも今の通説はこの辺にあるよ、と。
大学の弓道部にいた頃に弓道の歴史を調べたことがあったのですが江戸時代を境に弓術と弓道が分かれていて和弓の長さも構造も変わっている事を知った時は中々に興味深かった。
当時も様々な種類があったのだとは思うのですが刀剣類みたいに失伝してしまっているものも多そうですね。
戦国当時の合戦の検証をしている人の動画をみると現代では考えられない使い方や管矢などの再利用もあって合理的だなぁと思った。
そもそも部隊単位で運用するときに個人の命中力は関係ない。面制圧するために一斉射か敵前面に対して矢衾をつくるために射撃するわけで、前に飛ばせればよい。熟練するには大変でも、そもそも兵隊にはそこまでの習熟度は必要ない。
それがモンゴル兵の運用です。鎌倉武士は、狭いところで戦闘が行われますので、状況が変わってきます。狙える距離で戦うことが多いわけで。
高性能な弓と矢を作る匠がいなければ、どんな名手も活躍できなかったと思う。
当たり前田のクラッカー
和弓のサイズはアンドレ ザ ジャイアントとほぼ同じだ!
そもそもが武士の本来のメインウェポンが弓だったんだよね。
日本では弓矢の改良は進まなかったけど、日本刀の技術は世界一みたいですね。
焼き入れと焼き鈍しを組み合わせて折れにくくしたことや、反り(湾曲)を入れて切れ味を良くしたこと、片刃で軽くしさらに両手で扱えるように柄の部分を長くして細かな刀さばきができるようにしたとこなど、まさに狭い日本ならではの工夫
青龍刀ではツバメ返しはできないです
刀の技術が世界一というのは少々行き過ぎな気がしますが(近代、サーベルの方が良さそうと制式の持ち替えが発生したので、少なくとも互角以上と看做された技術はあった)、美術品としても実用品としても長らく輸出品として稼いでくれた品なので、世界屈指の刀剣の一種なのは間違いないですね
刀なんてサブウェポンに技術を投じるわけがなかろう
@@井実芳仁 サブウェポンの出来不出来にも命がかかってるんだから、技術投じるに決まってるでしょ
弓:メインウェポン
槍・薙刀:サブウェポン
刀:ファイナルウェポン
刀使う頃には戦況は決してて敵を討ち取るか討ち取られるかのときや敗れて自刃するときになる
刀が武士の魂といわれるんはその辺から来てるんやろね
威力はあるが、習得に時間がかかるという和弓。鉄砲を初めて見た時の、織田信長。部下に弓と鉄砲を1か月練習させた後、鉄砲を選んだ(銃の方が上達までの期間が短い)。子供の頃、そのように読みました。
信長さあ
ほんとちゃんとしてるよな
現代人って言われた方が納得するのわかるわ
和弓の威力を遺憾なく発揮した戦いといえば、なんといっても蒙古襲来。
蒙古軍の得意とした戦術は、騎兵で弓の射程に素早く接近して、馬上からの弓での一斉射撃を繰り返すといういわば一撃離脱戦法。
しかしこの戦術は、騎兵が縦横無尽に動き回れる広い平地である事が大前提。
船に乗っている状態では使えない。
一方、蒙古襲来のような遮蔽物のない海上での戦いは、射程距離の長い弓を持っている方が絶対有利。
蒙古軍の弓は、馬上で使いやすいように和弓に比べて小型で、射程距離も短い。
普段から修練を重ねた鎌倉御家人が、威力と射程距離に勝る和弓の一斉射撃、敵が怯んだら小舟で蒙古軍の船に乗り込み、切れ味鋭い日本刀で、狭い船の上で得意の一騎打ち戦法で、蒙古軍に出血を強いた。
和弓は日本を救った武器!
軽騎兵の戦術はその通りだけど弓の認識は間違ってるよ
モンゴルで使われていたような複合弓の射程は和弓に比べて短くないからね
そもそも揺れる船上から正確な弓を当てるなんて土台無理な話、もっと後の時代になって大砲使うようになってもろくに当たらないから結局乗り移って決戦してるんだし
@@user-gw6cl8uh5f 様
勉強不足ですいません。
弓の射程は和弓もモンゴルの弓も変わらないのですね。
知りませんでした。
となると日本側が有利に戦えた要因は、事前に築いた土塁や防塁でしょうか。
船より高い位置に土塁があれば、それだけ弓射程やの威力も、敵に比べて相対的に上がりますからね。
@user-gw6cl8uh5f
当時の和弓も、竹とハゼノキなどを組み合わせた複合弓ですよ。
ロングボウである和弓 の射程距離は、最大400m。
元寇の時代のモンゴル弓と和弓では、その性能比較を最近、海外の方が実験し、射程はほぼ互角、威力や貫通力では圧倒的に和弓であるとしていますよね。
射程距離で同じなのに、威力では和弓が勝る。これは和弓の方が長くて重い矢を使っていた為のようです。
つまり弓そのものの性能では、やはり長いロングボウである和弓の方がモンゴルの短弓に勝っていて、
でも当時の日本の武士たちは、単純に遠くに飛ばすことよりも、敵が近づいた時に、正確に、しかも敵の盾や甲冑も射抜くような、重くて長い矢を使うことを好んだ。
一方モンゴル軍の弓矢は、あくまでも縦横無尽に走る乗馬の機動性との組み合わせでこそ真価を発揮する物だったので、
弓そのもの威力が弱まっても、短くて取り回し安いショートボウ(短弓)を好んで使用していた。
ということだったようですね。
揺れる船上から敵に矢を当てるのが不可能だと言うのなら、走り回る馬上からの騎射も同じです。
モンゴル軍の弓矢の用法は、まず遠くから(最大射程距離から)山なりに大量の矢を放って、ある程度のダメージを相手に与えて、
そして馬の機動力で一気に距離を縮めて至近距離から相手を射抜く。
それに対して鎌倉武士団、九州武士団は、待ち構えて、盾の陰から、威力で勝るロングボウ(和弓)を引き絞って、確実に当たる距離に入った瞬間に相手を射抜く。
文永・弘安の役では、船で海を渡ったことにより、元軍の主力が漢人と朝鮮人だったことと、馬を大量に運ぶことが不可能だったことなどもあり、本来のモンゴル軍の機動力を生かせなかった。
それも鎌倉武士団と九州武士団が元軍に勝てた原因でしょうね。
とにかく和弓の威力はモンゴルの弓に勝っていたようですよ。
@@silversurfer512
矢の威力は、質量に比例して、速度の二乗に比例します
和弓は耳の後ろ迄引き、モンゴルやトルコ弓のような短弓だけでなく、イギリスのロングボウでも顎や頬の辺り迄しか引きません
体格の差は在っても、和弓の矢が長いと思われるので、スパインの関係で長いだけでなく太い矢にする必要があります
鏃の重量にもよりますが、和弓の矢が重く矢速が同じなら、和弓の矢の威力が大きいでしょうね
でも、一般に、径が大きく重い矢の飛距離は短くなります
平安末期頃から和弓も竹と木を使っているので一応複合弓ですが、モンゴル弓は、動物の角や腱を使い、弦を張っていない時は反対側に大きく反っているので、弦を張った時点で既に大きなエネルギーが在り、短いドローレングスでも大きなドローウエイトになります
@@yamato3228和弓も弦を張ってない時は逆にそっているよ。大体、射程が同じで、重さが違うのならば、初速は重たい矢を使用している方が速いので、和弓の方が初速は出ていて威力もあった。遠距離になれば、重量=威力なので、当然和弓の方が威力が出る。さらに、鎌倉武士は高貫徹力の和弓で撃ち合う前提の重装騎兵。遠距離で元軍と撃ち合ったら一方的だったんじゃないかね。
現在でも、射時の音の少なさや、銃よりは熱探知に引っかかりにくい状況では、銃よりも有効です。
ほんとに上級者向けだから日本で弓習いたいってなったとき、いきなり和弓から始めるのは酷だと思うんよ
短弓とかはスリングショット感覚で使えるのに和弓で躓く外人は多そう
現代人には戦国時代の強弓はとても引けないそうですね。
和弓の下側に矢をつがえるのは、かなり古くからです。銅鐸に描かれた弓矢もその形に描かれています。
蒙古兵「冗談みたいな射程と冗談みたいな威力を冗談みたいな重装甲で馬にまで乗って戦うから冗談みたいな機動力まであった。そしてそれは冗談で済まなかった。あいつらうんこまでつけて撃ってきたし船にうんこ投げてきた」
中国の投石器は石だけでなく敵兵の死体を城の中に投げ込んで、戦意喪失させるのに使ったらしいですね
@@satotarou6534あと衛生面を悪くして病気を蔓延させる効果もあるらしいからやる事がエグい😱
@@satotarou6534 なお鎌倉武士には一切効果なかった模様。なんなら蒙古のお得意の人の肉盾戦法を人質ごと切り捨て、相手が使うって・・・と悟り逆に使う始末
ふと疑問に思ったのだけど、肉盾に使われた当時の対馬って日本なんですかね?
平戸や琉球が江戸時代にも半分中国だったように、対馬は半分朝鮮だった気がします
@@satotarou6534 対馬に関する記述のある最も古い文献は魏志倭人伝で日本として書かれていますね。元寇のあった年ももちろん日本です。幕府は最初から対馬は切り捨てる予定で九州などに兵を配属していました。
また対馬は一度も日本国以外になった事はありません
以前に読んだ本には、上に長くて下に短い和式の弓は東南で魚漁に使用されていたものを始原とするとあった。水中にまで届くように威力があった。このことを触れないでいるのは少し違和感があるぜ。
なるほど、船上なら上がいくら長くても困らないですね
先日、マグロで有名な青森県大間漁港の祭りをテレビでみたら上海(昔の呉)付近で信仰されている媽祖がご神体でしたから、おそらく日本の海洋民は上海付近からやって来たのでしようね
イギリスのロングボウとの最大の違いは馬上で引く事に対応してた点
上部と下部が長さが違う下側は短弓とそう変わらないのは馬に跨がって矢をつがえる時に邪魔にならないように
ああいう持ち手の上下で長さの違う特殊な形状になった
矢に与えられるエネルギーは弓の弦と弓によって作られる面積に比例するとか。
そしてそのエネルギーを可能な限り短時間で矢に与えれば、矢の初速はより速くなる。
そうかなー、ボウガンなんかは面積極小だけど威力は凄い、和弓も柔な物だと面積は何倍もあるがさほど威力は無いように思える。
@@sidetonegawa5252
どれだけ強い弓をどれだけ引くことができるかで矢の威力は決まる
こう書けば分かるな?
弓って言うなれば板バネなんだよ。
普通のバネで言うと貯まるエネルギーは距離の二乗に比例する。
貯まるエネルギーは当然バネ係数でも変わる。
実際の計算式は大学の物理レベルなので勘弁して。
@@sidetonegawa5252
弓の剛性、断面二次モーメントとか材質のヤング係数にも比例するのでしょう。
徳川家康が、矢は射かけて相手が逃げればそれでよいとしてたし、三国志の呂布は、弓矢一本で3万の兵を引かせた。それに対比させて語られるのが、モンゴル兵は弓矢に毒を塗っているという話し、武の本質は武威を示して相手をひかせればそれでよく、殺す道具ではないことを意味していて「武」は矛を止めると書くんだよね
呂布の話も源為朝の話も、誇張が酷くて、真実ではないですよね😂
為朝も伊豆大島だかに流されたとき、二度と強弓を使えないよう腕の筋を切られたとか言われてるが復活してしまった。たぶん治ったということなんだな。これも本当かどうかは判らない。
勉強になりました。ありがとうございます。
高校時代、弓道部にいたのだが冷静に考えると物騒な部活だよね
大会とかで数百人集まってると、ふと思うことがある。
これって、このまま弓隊でどっか攻め込めるんじゃね?て。
ワイも弓道部だった。
部員募集のキャッチコピーに強盗が来ても勝てる!!ってあって興味持ったわw
@@user-sz1or6un2g
赤穂浪士の討ち入りでは、吉良家側が討ち入りに備えて、弦を張って臨戦態勢で並べていた弓を、突入した小野寺幸右衛門が真っ先に弦を切って回ったとか。
運搬の時は、車に積むときも含めて弦は絶対に外すように言われますよね。
万が一電車の中とか車の中で弦が切れて、弓が跳ねると怪我するし。
剣道や柔道の方が直接的に物騒だから、大丈夫
@@user-ei5dp6jo3n
いや、剣道の竹刀なんかは直接的な殺傷能力は低いけど、弓道の弓矢は、練習用のでも試合用の物でも殺傷力がある。
そういう意味で、弓道部の道具は物騒だという意味なのでは?
とても勉強になりました ありがとうございます
弓全般に言えるけど鉄砲と違い、伏せ撃ちが出来ないのが欠点和弓は特に屈んで撃つ事すら難しい
日本では食肉文化が盛んじゃなかったから材料に植物性のものを使った
竹や木材を使う場合、強度・耐久性・経年歪み軽減のために大型化していった
海外では弓は牛骨、弦は腱を使っていたので小さくてもしなりと強度を両立できた だそうだ
歴代の弓の名手として挙げられた中に、那須与一が入っていないのは何故??
@@silversurfer512
那須与一は、飛ぶ鳥3羽の内2羽落とすらしく、扇の的でも有名ですが、為朝のような剛弓使いのイメージは無いですね
それでも、弓流しの義経の弓より遥かに強い弓でしょうけどね
勉強になりました。八幡太郎義家・鎮西八郎為朝は弓の名手で知られますが、その名声とは裏腹に彼らの弓術の流派や、流派の祖となった等の情報は聞いたことはありません。いわゆる我流だったのでしょうが、弓術だけに限らず名を遺すほどの天才達は用いる流派(理論)が優れていたのではなく、その人本人の努力と才覚、体格や高い身体能力など生まれ持っての運が大きいのだろうと私は考えています。残念ながら銃火器などの個人兵装が発達し、簡単な訓練を受ければ子供でも一兵士の戦力となることが可能な現代では、武術の天才は誕生しないのかもしれませんね。
鎌倉時代迄弓は平氏や源氏の独占的技術で無い反乱者は射程距離て蒙古の様に敗けて矢にはその一族の模様があり戦いに於いての報奨の対象と成りました‼️
重装弓騎兵と言う超玄人好みのド変態兵種
イングランドのロングボウ兵以上の破壊力と馬による高機動、高防御ユニットしかし獲得条件とコストがバカ高と言うピーキーさ
画面切り替えの効果がうるさすぎる…残念…
弓使いが弓を使うって結構珍しいですね。
魔改造っていうけれど、シンプルな形状だけに一見そうは思えないな
逸話はいいから、その威力の説明をもっとしてくれ 他の弓との比較とか
現代の弓道において使用される和弓は基本的に張力が強くても16キロ程度。女性は14キロくらい。人に寄ってで最高20キロまでなら使ってるのを見た事がある。私は弓道部現役時16キロの弓を使っていましたが、「堅物射」という大会で戦国時代と同じ規格の矢じり(市販の矢には無い特別製、重い)を使った際は約30m先の厚み1,2mmの鉄板を貫通出来ました。
刺さる際の威力は矢じりの質で大きく変わるでしょうが、あの矢じりが人体に刺さったらゾっとしますね。
戦国時代の強弓と言われるモノは40キロくらいあるのでは、みたいな話は聞いた事があります。
@@regnaanhel3419 様 そういえば以前書物で元寇のとき複数人で一つの弓を引く記述があったような…
どうやって引くのか想像つかないけど。
@@wworks4u 「引く」の逸話は私は聞いた事が無いですが、戦国時代等で使われた強弓はキロ数で示す代わりに「3人張り」や「5人張り」と言った表現が使われたそうです。これは文字通り、弓に弦を張る際に何人掛かりになるかという意味で、現代の弓、例えば20キロ程度なら1人で張れるので如何に凄まじかったかがニュアンスで伝わるかと思います
@@regnaanhel3419
逆反した弓に弦を張るだけで何人も要するなら、その弓に矢を番えて引き絞るのは、ターミネーターでしょうか?
@@regnaanhel3419 さま 有難うございます。なるほどそういう意味だったのかもと思っています。
なぜかゲームだと弓はだいたい威力の弱い武器として扱われますね
弓が強いと近接武器の立場がなくなるし…
といっても弓が強いゲームもそこそこあるけど。
動画の中では正しいですけど 和弓ってクソ不便な武器です
モンゴルが世界を席巻したことでも分かるよう 短弓の方が明らかに取り回しやすい
イギリスもそうですけど 長弓は短弓を作る素材が容易に入手出来ない地域でしょうがなく作られた弓です
為朝があまりにもアシタカとか魔弾の王のイメージですごくすごい
毒矢なら熊も制圧できるし拾って射ち返す事もできる素晴らしい兵器😅
日本の重藤弓とネイティブアメリカンの強化弓とトルコ弓が三大強弓だっけ?
連弩は日本でなぜ浸透しなかったか。解説希望。
1は吉備真備が持ち帰らなかったからじゃないですかね?
対装甲用の凶悪な矢と、強力な角弓に勝てる弓矢が無いと将来大陸に飲み込まれるって危機感がガラパゴス弓のスタート地点だし
2は、弩や鉄砲は直線的で槍の延長と考えられてたから、現在のコンビニ並みに大量にあったくらいに山城大好きな日本で攻め手は「高い位置を確保した相手に矢を降らせる」必要があった。
攻城櫓で直射ゴリ押しできた大陸の平野部と求められる武器が異なったからかと。
@@ichigoh 平地の戦いは日本もたくさんあった。そうでないと武田の騎馬隊は活躍できない。
@@ichigoh 月山富田城は山城大好きな日本で攻め手は「高い位置を確保した相手に矢を降らせる」の戦術は無理。低い位置の攻め手が高い位置の城側を弓で攻撃しても非効率。高い位置の城側からの弓攻撃でやられる。
弩はまだしも、連弩は当の中国でも浸透してません
@@user-op7hi4nd9w 論点ずらしはやめて。
銃のように音が鳴らないから弓は暗殺向き
武芸十八般(字が合ってますか?)もしくはそれ以上が武士や侍にとって修めるのが当たり前になったのはいつからでしょうか?教えて頂ければその年代周辺を調べるので、知っている方は教えてください。お願いします🙇♀️
次回は補強版としてオイゲン・ヘリゲルも光を当てて欲しい✨
自分は歴史が苦手なので、弓の構造に興味があります。大きな弓は矢が放たれる初めから終わりまで一定の力で矢を押すことになり、大きな弓のメリットをイメージできた。しかし洋弓と違って弓の下半分を使うこととか、矢尻の描く軌跡が弧を描く点に違和感がある。どのように射出される時の特性(メリット・デメリット)とその解消法を考えたのか興味があります。
2本の伝統技術に、エロフィギュアに用いられてきた、魔改造、という言葉を使うアフォ
「海道一の弓取り」とかいうように、武力の象徴でした。現実の戦場での殺傷の比率も、弓矢6割、槍(長刀)2割、投石、刀の順序だったという。
16:21 「上方に人質としておいた妻子のことを思い?」 それなら、西軍に付くことになりませんか。もしかして、上方=江戸って考えているの?
それ、殺傷じゃなくて負傷者(しかも自己申告)
「投石」が意外と威力があるんですよね
百姓が土一揆で鍬や鋤で戦ったように思われているけど、あれは砦を作る道具であって主たる武器は石ころ
鍬や鋤でも殴り合いしてます。鎖鎌とかも、そういう農民、地侍の工夫の一例ですね
那須与一を忘れてませんか?
弓の威力や和洋の弓の性能差については一切言及されてないのか。
タイトルに騙されたわ。
和弓という規則は割とフレキシブルだと思ったが。
実際は時代ごとに大きさも違うし、射程に関しても有効射程と到達射程があるから強者は剛力だし、足軽でも弓を扱う事を思えば今の弓道が良くも悪くも武器としてのイメージを固定してしまっていると思う。
最大到達距離は300mらしいし、下手糞でも連射ができれば動画の中で言う雨霰で攻撃できたから鉄砲が登場するまでは主力武器でありえたと思う。
今の弓道はあくまでも武道で射的ではないから、そこは排除して個々に想像できる範囲で使用していたと思うな。
@@user-ec9xf2tp6q
今の弓道はスポーツだよ
的中で勝敗が決まるからね
モンゴル元寇で攻めてきた時、日本の和弓で、元寇の大将とかバンバン狙い撃ちして、やっつけたから、かなり役立ったみたい。元寇の弓は短いから遠くまで届かなかったので、日本の勝ち、善戦したと聞きました。
いやモンゴル弓は動物の腱とか骨を張り合わせた複合弓だから射程はそう変わらんよ
モンゴル弓兵は世界的にスタンダードな軽装兵だったのに、鎌倉武士は前代未聞の重装弓騎兵(しかも装備してた大鎧ってのが矢に対して防御効果が高い)だったのと
理論的には短弓に較べて速射性能に劣るはずの長弓をわけが分からない速度で連射してのが勝因
ついでにモンゴルは軍船の収容力の都合であまり馬を連れてこれなかった
@@doli747ついでに言うと、矢そのものの重さも全然違う。モンゴルの矢は短く軽い、和弓用の矢は長くて重い。射程が同じなら、重たい矢を飛ばせる和弓が威力が出る。遠距離だと矢の重量=威力なので、重装騎兵の鎌倉武士と軽装の元軍で撃ち合ったら一方的になっただろう。
指摘されてるように、決して武器の質で勝ったわけではありません。ただでさえ難しい上陸作戦を行ったら、戦慣れした兵士が沢山いたから無理ゲーだった、というのが元の敗因です
@@user-op7hi4nd9w もちろん地の利は大きいです。船酔いでやる気なんかないでしょうし。ただ、地の利は、武器の差にも絶大に影響してます。接近遭遇戦に特化した日本の武器は、日本で戦うには最強なのは当たり前です。
@@otokonokonokonoko 日本の武器は接近遭遇戦に特化してるわけではありませんよ。単純化して言いますが、二度の元寇ともに武装度は日本の武士の方が上です
更に和弓は、極寒の日に龍神を宿して制作されるんだよね〜
だから、世界最強になるんだよね~
蒙古襲来絵巻については、史料性は薄い。と言うのは、一度絵が出来上がってから加筆された事が判明しており、態と苦戦しているような演出がされたという事が判ったため。詰まり、元寇において、九州の武士団は其程苦戦はして居ないどころか、圧倒に近かったのではないか?と最近では考えられている。
てか蒙古襲来絵巻を描かせた最大の目的は写真機のない時代に「俺はこんなに活躍したんだぞ」といって自慢したり恩賞をもらったりするためなんでしようね
@@satotarou6534 そうですよ。そもそも鎌倉へいって恩賞くれっていうための材料だと、それはハッキリしてます。
筋肉より火薬使う方が習熟も楽だったのか
そしてこれからは頭脳よりAIを使いこなす時代にか・・
0:33 ちなみに動画では和弓を戦国時代の遠隔攻撃を支えた主力中の主力としていますが実際には投石とするのが正しいです
投石部隊も勿論いて活躍しましたが、主力は弓で正しいです。野戦での死傷者の傷では、最も弓が多く、また城の縄張りや塀の構造は投石ではなく、弓が基準になります
中国や欧州には
『扇の的=那須与一』の如き
エピソードは残ってないのかな?
↑
否 !! 欧州にだって
名射手 William Tell が居ましたね。
ごめんなさい。
『名人伝』(めいじんでん)は、中島敦の短編
中国の歴史書にも山のように弓の名手の話はあるが。
@@user-tv5eu5bf9b
技能だけ(?)でなら呂布もその一人でしょうが、
人柄が・・・と、ココは敢えて撰から外しました。
中国の伝説を持ち出すと、太陽を落としたり、飛ぶ鳥を落としたり、撃った矢を後ろから更に撃って矢が連なる形にしたり、とんでもないのが沢山出てきます
@@user-op7hi4nd9w
前の矢に次の矢が突き刺さるのは、日本では継ぎ矢、アーチェリー界では、ロビン・フッドと言うんだよ
日本人やばいよな。火縄銃の銃身を20個くっつけて20連発火縄銃とか作ってたんだぜ。頭イカれてるよ。
弓はもちろん矢も貴重品だよね戦場で使い捨てはもったいない。矢は自分で普段から作ってたのかな
@@yuan_yuan275
外れ矢は郎党が回収します
戦闘の後で矢を拾い集める話もありますね。
@@yuan_yuan275
外れ矢は郎党が回収していたようですね
矢は可能な限り拾います。1トンの鉄を作るのに、ひとつの山が禿山になるという時代なので、使い捨てには決してしません
@@user-op7hi4nd9w
日本の合戦では、郎党が矢を拾っていたんだよ
弓使いの武将達に非常に興味をそそられました。歴史に特に詳しくない自分ですがもちろん知らない人ばかりでした(^_^;) なんだったら各武将ごとに1本動画を上げて欲しいくらいです!
イングランドのロングボウ隊も同じだけど、熟練の射手を大人数用意出来るか?なんだよね。百年戦争のイングランドのロングボウ戦術も最初だけだった。
イングランドでも、ロングボウが主力武器で、フランスとの100年戦争で勝利を勝ち取っているんだよね。フランスはそのころはクロスボウで、これが撃ち合うんだけど速射性の勝り威力もそう負けないロングボウが勝っちゃう。島国だからこんなところにも共通点があるんだよなあ。それと練習させるために、すべてのスポーツを禁止して、無理やり弓稽古させて練度を上げたんだって。
中性ヨーロッパだとロビンフッドが有名、けど実在してたのかな。
@@sidetonegawa5252 12世紀ころの伝説の人物となっています。その後もずっと大切にされてる伝説なので、案外いたかもしれませんよ!。
モデルとされる人物がいないでもないですが、「ロビンフッド」というモロな名前で史実に登場するものではないので、基本的には想像上の人物ですね
@@user-op7hi4nd9w 12世紀ごろの伝説ですからねえ、日本と違って色んな民族がいて混ざったり別れたりしますから、なにかの仮託なんでしょうね。
@@xsr7009 謎の義賊、というキャラクター造詣には、当時の民俗的な思想がかった何かと、現代的なヒーロー像に通ずる物を感じますね
五人張りの弓を引いてみたい。
魏志倭人伝
「兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同」
和弓は、縄文時代からの狩猟用弓。
下弦が短いのは、取り回し性向上の為かな?
何でもかんでも魔改造ってつけたり言えばいいと思ってるのか
那須与一は?
まぁ、為朝の逸話を知ってると銃よりヤバい(笑)
科学的評価では複数の素材を組み合わせたコンポジットボウが最も強力。
その中でも骨と腱を使ったモンゴル軍の弓が最強で、人類史上最も多くの死傷者を出した。
まぁアーチェリーより当たんないんだけどな
いや、歴史を調べてない内容だな💧
戦国時代でも弓は主力なわけだが…
和弓がでかいのは素材強度が無くて大型化しないと威力が出せなかったから
他国が巨大化の方向に進まなかったの必要がなかったから
イギリスなどにもロングボウはありましたね。
そうですね。”素材強度”、すなわち複合素材で強力な短弓を作りたくても高温多湿な気候のせいで接着剤が溶けてできなかったんです。
イギリスのロングボウも職業戦士であるフランス騎士に対して農民が集団で武装対抗するため技術のいらない手製の急造武器として出てきただけで、その後は廃れます。
日本は竹には苦労しそうにないな。
ありがとうございます!
ランボーが使ってたやつ格好いいよな!爆弾付いてるし(≧∇≦)b
元寇における、敵の鎧や弓に関しても、述べて欲しかった。向こうは軽い矢と革の鎧。接近戦なら、日本の圧勝。鉄砲が主力になったのは、秀吉の時代です。
日本の和弓が中国や西洋の弓に比べて長いのは、戦争自体が他国に比べて圧倒的に少なくて「弓矢の性能を高める改良の必要性が乏しかった」というもの。
小型化した方が戦場で持ち歩くのには圧倒的に便利。
特に、馬に乗った状態で矢を放つ「騎射」では、長い弓では弓の下部が馬に引っかかってしまい、進行方向の右側にいる敵に向かって矢を放てないという致命的な欠点があるので、騎射が戦争の主体であった民族にとっては短い弓の開発は絶対不可欠なものだった(相馬の流鏑馬なんか、的は進行方向左側のみ)。
しかし、短い弓で長い弓と同等の張力を得るためには弓の材質は「木や竹」だけでは足りず、金属(ハガネ)やクジラの髭などを組み合わせた「複合素材」にしなければならない。
ところが日本ではこの複合素材の開発が遅れたというか、天下を二分した戦争である「壬申の乱」や「関ケ原の戦い」であっても実質的に1日で終了するほど(他国に比べたら)小規模な戦争であったので、敵より小型で性能の良い弓を開発しなければならないという切迫感が生まれず、「材質のもろさをサイズを大きくしてカバーする」という方向に進化した。
まぁ、木や竹だけで作った方が1本の弓矢を作る材料費は安くすむので、同じ金額の軍事予算であればより多くの弓矢を揃えられるというメリットがあるし、城に籠って城壁の狭間から弓を射るだけなら長弓でもそれほど不便がなかったわけだけど…(つまり日本は昔も今も、防衛に金をかけずに経済を回していた)
ちなみに、和弓で矢を飛ばす際には弦を約1メートル後ろに引くが、モンゴルの騎馬民族が騎射に使用していた短弓では同じだけの張力を得るのに30cmほど(手首から肘まで)引くだけで十分。
なお、長弓の矢は短弓の矢に比べて約二倍の長さがあるので直進性(≒命中精度)にすぐれており、重さも約2倍なので命中した時の貫通力(≒殺傷力)も約二倍あるのだが、一方、短弓の矢は重さが約半分なので同じ張力で飛ばした場合の飛距離は約2倍に達し、和弓の最大飛距離が300メートル程度なのに対して短弓の飛距離は600メートルほどにまで達する。
よく、三国志など中国の時代劇で、砂漠の真ん中にある城めがけて空が真っ黒になるほど矢が飛んでいるシーンがあるけど、「命中精度や殺傷力が犠牲になっても、その代わりに遠くから短時間に大量の矢を敵に浴びせる方が良い」という物量作戦では短弓を使う方が理にかなっている。
(「一撃必中」とか「少ない本数で多くの敵を倒す」「上達するほど命中精度が上がる」という戦い方はいかにも精神論が好きな日本人が好みそうなやり方)
さらにいうと、もっと射程距離が長いのは紀元前3世紀に秦の始皇帝なんかが使用していた「弩」(ど)という、クロスボーやボーガンに似たT字型の武器。
何しろ「弩」に矢をセットするには和弓のように片手で弦を引っ張るのではなく、両足を弓にひっかけた状態で背筋を使って弦を両手で力いっぱい引き上げるのだから、和弓の数倍もの張力が得られた。
そういえば日本でT字型の弓をみかけないな。
遣隋使や遣唐使が持ち帰っているはずだし、もつと古くは弥生時代に渡来人が持ち込んでいるはずなのだけど、始皇帝陵みたく弩を構えている埴輪なんてのも聞いたことがない。
誰か知ってたら教えて!
弓の飛距離検証は結構ガバガバ、とあるサイトではトルコ弓800mロングボウ250m和弓120m
当時の技術と材料で作った訳でも無く飛距離稼ぐだけの競技用の矢を使用、恐らくトルコ弓だけ競技用を使用(使わない場合は600m)
軽い矢なら初速も早く風に乗れば距離を稼げる。これが正しいなら下でも書かれている通り和弓の弓術から弓道による変化、GHQによる武装解除及び規制辺りが
当時より劣化した原因の裏付けだと個人的に思う。
弩は奈良時代位まで日本でも使っていましたよ
あっ、そうなんですか
知りませんでした
ウィキペディアを見たら書いてありました
ありがとうございます。
扇の的の逸話がない、、、
数には勝てん
なぜ弓は左右対称ではないんだろう?🐕
馬上で使うのと、和弓は後ろに引くんじゃなく引き分けっていう弓手を真っすぐ伸ばして頭上から下ろす事でテコで引く事で後ろに引くより強い弓を扱えるっていう独特な引き方するから取り回しの問題かと。
あと説明しにくいが、実際射ると分かるけど弓は手で握るというか弓手の親指の第二関節で押す感じで捻りの力を支える感じだから親指と人差し指側に力がかかっている(残りの指は添えるだけの感覚で手の内作れって習った)
非対称だからなのか上に力がかかる持ち方だからなのかどっちが先なのか分からないが、上に力がかかる握り方で上に力がかかる上に長い弓を用いて弓返し(撃った後弓手の親指にかかっている捻りの力で弓が反転し弦が前になる)すると反動逃がしやすいし狙いが定まる
@@ichigoh剣道と一緒で、腕の重みを利用するんですかねー?
何と言ったらいいんだろ?
真後ろに弦を引くんじゃなく、前に弓を押しながら腕を下げていくことで事で結果的に弦が引けているのが引き分けなのです
@@ichigoh 矢を放った瞬間弦を外側に廻すので放つ前から弓を身体の外側にねじるような持ち方をしているんだな。そうしないと弦が腕に当たって痛い 思いをする。正式に弓道やってないけどガキの頃竹でさんざん弓矢作って遊んでいたので何となく。
@@surinngo4129 「骨で引く」と言います。自分の前に丸い的があるとイメージしそれを上に持ち上げ、最高点に達したときに自分の骨格と筋肉を意識しながら重力と筋力で“分けて”いく感じです。
外国「ファッ〇ュ~!」
日本「わっきゅう~!」
「院宣」は上皇の命令で、天皇の命令は「宣旨」と「綸旨」です。
人の体を壊し、命を奪う技術に対する日本人の探求心は異様
イングランドだとロングボウは威力が強すぎて使用禁止されていたんだっけ。
「強すぎてズルい。ロングボウを破門にしろ」とフランス等が文句を言った事があるだけで、禁止にはなってないです
@@user-op7hi4nd9w 第二次大戦では使われていたようですが、イングランド国内の紛争でも使用されていたんでしたっけ?
解説でも言う通り、和弓には大変な修練が必要で、掌のタコの出来方で技量が分かる程。『手の内を見る、見せる』はここから来ている。
ところで、何が "魔改造" なのか?
長尺過ぎて使う場所が限定される事か?長距離飛ばせる?洋弓でも遠くへ飛ばせるし和弓程の技術は必要ない。私の親友は弓道七段だから、和弓を馬鹿にする気はない。
しかし魔改造には反発する。究極の魔改造はなんと言っても "石弓" だろう。最近はボウガンと言うが、昔しの物はもっと大きく特別な技術も力も必要ないし、使用も場所を選ばない。もっとも優れた魔改造と言うなら石弓だろう。
那須与一のこと?
ーコメ、和弓です
今は平均身長が高くなっているため、のび寸と言う通常の弓より1寸長い物を使う人も多いみたいです
また、現在の競技用の弓はグラスファイバーやカーボンを使った複合素材のものが多いかと思います
因みに、和弓は28m先の直径36cmの的に当てるだけでかなりの技量を必要とします
弓を上から見れば分かりますが、矢をつがえると矢は斜め右を向きます
これを "手の内" と呼ばれる方法で、弓に捻りを与えることで真っ直ぐに飛ばします
また、普通に弓を持つと肘関節は上に曲がる向きになりますが、これを後ろから見て右に曲がる向きになるように動かす練習をします
射型を含めて、これらを習得しないと和弓は矢を真っ直ぐ前に飛ばす事すらできません
ですので弓道は練習を始めて、実際に弓で矢を打たせてもらえるようになるまで2〜3ヶ月掛かります
それに対してアーチェリーは、初めて使ったその日に、スタビライザーが無くても同じ距離の直径10cm程の的に当てることが可能です
取り回しを含めて、少なくとも武器としての使い勝手はアーチェリーの圧勝ですね
アーチェリーを始めた日に28mの距離で10cmにグルーピングさせるのは絶対無理
@@yamato3228
いや、私が実際にやりましたよ
高校の頃弓道をやってましたが、大学でアーチェリーをやっていた先輩が道具一式を持ってきたので、それを借りて初めてやってみて、10cm以内にグルーピング出来ましたちなみに的に使ったのは、某筒状のポテトチップスの蓋でした
スタビライザーを付けると重すぎて引けなかったので外してもらい、サイトとクラッカーを付けたのみの状態でした
皆で「アーチェリーすげえ」と驚いた覚えがあります
まぁ、一般的なローアンカー射法ではなく、弓道に近いハイアンカー射法でしたが
@@user-vu7dx7wb2l
アーチェリーを初めてする人間はクリッカーを使えない
矢尺をドローレングスに合わせる必要があるからね
ところで、28mで10cmにグルーピングするなら、30mでもそんなに変わらんだろから、36射で340点は超えるよね?
@@user-vu7dx7wb2l
で、オリンピックの金メダリストになったの
@@user-vu7dx7wb2l
アーチェリー初心者はクリッカーを使いこなせない
その理由は、引き尺に矢尺を合わせる必要があるから
28mで10cmにグルーピングするなら、30mでもそんなに変わんだろから、36射で340点は楽勝だね
ところで、その弓は何ポンドだったの?
ちなみに、スタビが付いている方が引き重量は軽く感じるんだよ
いくら弓道経験者でも、初めてのアーチェリーでそんな点数が出るなら、当然だが、アーチェリーでオリンピック代表になったんだよね?
鎌倉武士ちょっと勘違いしてない?いきなり中身が胡散臭くなってきた
和弓は実用性から離れて弓道という型に移行して行く、中国やヨーロッパ、モンゴルの弓と比べると性能は飛距離、破壊力は劣る
呂布や項羽のような一騎当千の主人公が
流れ矢に当たってタヒる
そんな漫画が読みたい
漫画はまだないかもだが、将門
源為朝も、保元の乱では結局負けて捕縛されますよね。
太平記だと、新田義貞が雑兵の流れ矢でタヒりますね
世界の弓を比べた動画見たが、モンゴルとかの複合弓に比べて和弓はエネルギー効率があまり良くないらしい。
日本の弓も複合弓ではあるんですけどね。動物素材を使っていないけれど。