【走る国宝】不運と幸運が重なって生まれた奇跡の名車トヨタ2000GTを解説/ゆっくり解説
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- Опубликовано: 29 мар 2022
- 今回の題材は、名車「トヨタ2000GT」。
実は、開発の数々の困難と不運、そして幸運が重なって名車になったのはご存じですか?
皆さんのコメント待ってるぜ!
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【参考文献】
ニューモデル速報 歴代シリーズ 生誕50周年記念 トヨタ2000GTのすべて
・出版社 : 三栄 (2017/5/31)
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【参考文献2】
Toyota 2000GT―the complete history of J 吉川信 (著)
たちばな出版 (2003/12/1)
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【参考文献3】
トヨタ2000GTを愛した男たち 細谷四方洋 (著)
・出版社 : 三恵社 (2019/11/15)
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【動画内の画像について】
動画内で使用されている画像については主に”CCライセンス”の画像を使用させていただいてます。 CCライセンスの規定の元、下記に各画像のクレジットを表記します。(登場順) (※ソース元を合理的に表示するため、動画内ではなく概要欄にて表示させていただきます。)
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NAParishwww.flickr.com/photos/8593553...
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GOOネット/www.goo-net.com/usedcar/brand...
Michi1308/www.flickr.com/photos/2225625... Авто/Мото
【訂正】
17:17頃
☓誤り:ヤマハの系列店の日本楽器
↓
◯正しくは、”日本楽器製造(現ヤマハ)”
になります。
※ヤマハ発動機は日本楽器製造(現ヤマハ)から分離してできた会社です。
誤解を招き誠に失礼いたしました。
また、ご丁寧にお時間を割いてご指摘いただいた視聴者様には誠に感謝申し上げます。
動画の中のホイールの説明に間違いがあります。ホイールがセンターロック式なのはプロトタイプだけで量産車には普通にボルト式になっています。開発時はレースシーンでもセンターロックが主流だったので、それの名残りでしょうね。
本物は何度かモーターショーで見た事がありますが、当時のホイール、タイヤがか細くて古さは感じます!最新の3000cc程のV6ターボエンジンを積んで、太いワイド、ロープロタイヤを装着して、現代に生まれ代わらせてよみがえらせて欲しいですね!😇😇😇
私が知らない情報ありがとうございます。1969年ころ千代田区神田淡路町のレンタカー店でから1晩6500円で借りました。操作系はすべて格段に重かったですが 加速は良かったです。周りの車は少し離れて走ってくれました。71歳です。
知ってる人がみたら感動するはず
おとはが3歳数ヶ月の頃!…( ; ゜Д゜)
想像するに現在70代の後半でいらっしゃると。素晴らしい!!
当時の価格で6,500円って、やはり一般の方が気軽に借りられる金額ではないですね。
@@jurikichi9216 貯金を取崩ましたけど、良い思い出が作れました。
私は1973年関東自動車に入社しました。その時東富士工場の金型置き場
に2000GTのボディーの金型がありました。先輩はここで2000GTを作った
と言っていました。時々さび落としのため油を塗ったりしました。
関東自動車は今名前も変わり東富士工場もなくなりましたが、関東自動車
では2000GTのほかS800とセンチュリーも作っていました。私は1年足らずで
会社を辞めましたがこの動画で関東自動車という名を聞き懐かしく思い投稿しました。
いじめの宝庫 関東自動車ですね
2000GTはヤマハ発動機の本社で量産(と言っても職人による手作り)されたことになってますけど?
働きやすかったけどリーマンでみんな切られましたなぁ
歴代マークⅡも関自工でしたね。最後のセリカも、最後のソアラも、最後のスープラ(現行では無い)も関自工でした。センチュリーもタクシーも関自工、カローラシリーズも、、実は主要な車種を作っていましたが、トヨタ自動車東日本(TMEJ)と社名が変わってから、、そして無くなっちゃいました。地元としては寂しいです。
@@yossyrider4486 私は今67歳、高卒で北海道から関東自動車に入社1年で訳あってやめましたが、初めての就職で、忘れられない会社です。
いつかまた現地にいきたいと思っていましたが無くなり残念です。記憶を辿れば、確か静岡県裾野市御宿1450関東自動車工業だったと思います
たった1年でしたが、関自で教わった技術は今でも生きています。その後の私の基本になりました。私は型治具係にいました。当時1年先輩が、川村さん
2年先輩だったと思いますが菊池さん、この2人は北海道出身の方でした。あと当時の先輩で佐藤さん、追出さん、上司に梶ヶ谷さんとか居ました。
まだいましたが49年前なので名前も忘れました。顔は覚えていますが、関自はトヨタの子会社、下請け?と言う扱いでしたが、当時トヨタの主力車種
を多く作っていて、ある意味本当のトヨタらしさがありました。私が辞める年には新型車の型を作っていました。今は無いがチェイサーでした。
私が辞めた後発売されました。懐かしい思い出でした。
今から30年近く前に、トヨタ関係の仕事してました。
それのお陰でこの『2000GT』を運転させてもらう機会が有りました。
ガキの頃に『サーキットの狼』を読んで憧れて、ずっと運転したかった車だったので、テンション爆上がりでした。
因みに、この動画でも紹介された、前期型、後期型のMT&ATと三種類全て運転させて貰えたのは今となっては、自分の宝物です。
現在は億越えの価値になってるんですね‼️
当時でも、2000万位のプライスは付いてました。
小学校の頃「スーパーカーブーム」があって、大阪の万博公園で世界の名車を集めたショーがあり、フェラーリやランヴォルギーニ、マセラティにブガッティ、ポルシェ、ランチア等、溜息が出そうな豪華絢爛の場に、唯一国産で飾られていたのが2000GTだった。スポットライトが輝く純白の車体が、とても誇らしく見えましたね。
「かっこいい」は時とともに移り変わるけれど、「美しい」は永遠の感覚だと思います。
車の設計製造について、いろいろ揶揄されているようですが、
この工業芸術品が時代を超えて人々の記憶に残っている事実から、
仕事として関わった技術者にとっては、とても幸せなご経験だったのではないでしょうか。羨ましい限りであります。
「美しい」は永遠。ほんと仰る通りです。👍
現在、空力というものによって外観の「美しさ」が完全に排除された感じがします
@@user-xo6bb4nb8m 航空機の場合は空力を突き詰めると美しくなっていったのに、自動車は空力を突き詰め始めたら段々と不恰好になってきてるのほんと不思議
@@user-xo6bb4nb8m スタイルに関して、現代の市販車では衝突安全とか法令の縛りも大きいのでしょうね。
これも時代の流れでしょうか・・・仕方ないと判ってはいますけど、ちょっと寂しいですね
何言っちゃってんの
こち亀の劇中で中川が2000gtについて「いい物は時代を超えて素晴らしいですよ」と言ってたけど、まさにその通りだと思う
こち亀で昔は高くて買えなかったが、今は古くなって安くなっただろうと思い込んだ大原部長が面白かった。あり得ない店が出てくるし、買ってしまった部長がすごい。
@@user-sj5fi4jz6oさん こち亀で思い出すのはインチキ自動車屋の「マークソーズ」「ベンシ」「ポルシュ」「フュラーリ テスタオッサンドナイ・・・」。
@@takana4381 そうですね。テスタオッサンドナイシテマンネンはエンジンがヤバイ。若い巡査がポルシェカレラカブリオレの右ハンドルを買ったのが始まり。65万円。ハンドルコラムシフト、ベンチシート、エンジンはフロントで前輪駆動にダイハツ3気筒660㏄。ポルシュだったかな。BNWなどよく見ないとわからない。懐かしい。
@@user-sj5fi4jz6oさん あと「H.ONDA」と言うのもありましたね!!
この車の価値もわからない頃にこの車を間近で見たことがあります。
ワンオーナーの全く傷一つないもので、本当に綺麗な車で価値が分からなくても触れることもできないほど神々しさを今でも覚えてます。
まあ、デザインだけでも秀逸なので・・・
自分としては、トヨタに「2000GTレプリカ」として、
外見だけでも復活させて、中身はごく普通で良いので ってくらい w
@@kato12241224それだとロッキーオートさんがやってますね
トヨタ2000GT。個人的にはランボルギーニミウラと並ぶ個性的かつ流麗でカッコいいエクステリアデザインだと思うんですが、奇しくも両車ともにデザインありきの車でなく、シャーシーとエンジンレイアウト等が先にあってそれに合わせてデザイナーがエクステリアデザインを作りあげたことに不思議なつながりを感じてしまいました。
前渋谷で日本版ミッレミリアでゼッケンつけて信号待ちしてる2000GTをすぐ数m横で見て、この車が渋谷の町並みを走ってるのを目の当たりにして感動して腰が抜けたことがあった。ほんとにヘナヘナとして座りこんでしまった。実際に間近でみるとものすごいオーラがあるよね。
その昔、取引先のとある板金屋さんにレストア中?の2000GTがあって行く度に小一時間眺め回してた思い出。
流用が難しいだなんて、もうそれは工業製品じゃなくて工芸品じゃないか。
当時の感覚でも「かっこいい」なんだね。
今だから「かっこいい」かと思ってた
みんなのコメント見ても愛されてる感が伝わる。
数年前のこと。戸隠で真っ赤な2000GTを見た。今までも何度か見たことはあったけど実際に動いている2000GTを見たのはその時が初めて。感動と興奮でテンション爆上がり。他にもなんか凄いクルマがいたんだけど車種を覚えてないレベルで2000GTの存在感は凄かった。
20歳の頃、友人がバイトしていたボーリング場のオーナーの娘が2000GTをボーリング場に乗り付けていたのを指を咥えて見ていました。女子大生の身分でこんな車を乗り回しているお金持ちが羨ましかったのを覚えています。その後彼女はポルシェに乗り換えました。
フロントマスクとテールデザインが特に凄いと思います。新車発売当時、地方都市ですが駐車してるのと走り去る姿を見かけました、幼稚園児かそれ未満だったか忘れましたが鮮烈な記憶です。
子供の頃、父親がプラモデルを作ってくれた記憶が鮮明に残ってます。子供心にもかっこ良かった車の一台です
2000GTは日本を代表するクラシックカーとしての風格が半端無い!
このデザインはトヨタかヤマハ発動機のどちらなのか気になっていましたが、この動画では基本デザインはトヨタとなっていますね。
エンジンは確かクラウンのエンジンをヤマ発がDOHC化したものなので、丸投げではないですね。
写真を眺めているだけでどんぶり飯5杯はいけますね。
フォグランプじゃなくて、ドライビングランプと言っていたと思います。
インパネに台湾楠を使っていたのは117クーペで、2000GTはローズウッドを使ったと言われていましたが間違いでしょうか。マイチェン後に台湾楠にコストダウンされたのでしょうか。
フェアレディZが名をはせたのは一時代後、コンセプトも全く異なりますし。
フェアレディZが名車なら2000GTは宝石だと思います。
去年俳優の唐沢寿明さんが2000GTロードスターをトヨタ博物館に寄贈したというニュースが話題になりましたね。ボンドカーとは別で、水没車ベースにトヨタとTRDがレストア・カスタムした世界に1台の車両だとか。
もう20年近く前の話にはなってしまいますが
当時近所にあったトヨタの中古車センターの屋内で2000GTが展示販売されてたのを思い出しました
当時の価格でジャスト2000万円で、まぁ高い、買えるわけないというのが感想でしたけど
現状を考えると爆安だったのかもしれませんね。もちろんそうだとしても買えるわけはなかったんですけどもw
そういや70スープラは発売時トヨタ3000GT・スープラとしてCM打ってましたね
以前こういった車のレストアと販売をしている中古車ショップをRUclipsに上がってましたね。
そこでレストア済で8000万円って言ってたかな?思わず安って言ってしまった(笑)
そしてそこで買った人は手放す時もそこに売るらしい、この素晴らしい車を後世に残す為に。
幸運にも昔々もう20年も前に2度程見かけました。一度は高速道路で走ってる処と高級住宅の前に止まっている所。
どちらも美しかったなぁ。もう目にすることは叶わないだろうけど未だに目に浮かびます。
今でも世界で一番綺麗な車だと思います。
河野(Kawano)二郎さんとは面識ありました TOYOTA7開発中の死亡事故での訴訟もあり米国に駐在されてました 現社長の章夫さんの父君章一郎さんと大学も同じで同期入社とご本人から聞きました デザインの野崎さんはその後80コロナもデザインされたはずです 大学卒業後のセールス実習では2000GTも販売してました ちなみに1969年当時カローラDXが50.7万円2000GTは238万円でした
戦後の焼け野原から僅か20年でこの様な世界に通用するスポーツカーを造れるとは
日本人のモノづくり精神ここに極まれりと言った感じですね
あれだけの凄まじい戦争をやっていたからこそ、ここまでの技術が発達したとも言えますね
朝鮮戦争の需要で儲けただけ定期
@@iliketurtles2531
朝鮮戦争の後は、スエズ戦争、ベトナム戦争による特需もありましたね。
当時は石油が安かったことも追い風になりました。
「運も実力のうち」という言葉がありますが、高度成長期の日本が「下駄を履いた状態でスタートした」と言えるほど好条件に恵まれていたことは確かですね。
@@iliketurtles2531 工学の基礎が出来てないと儲けさせても貰えないからなあ
いま90年代あたりの車が「一周回って」カッコいいということになってるけど、
当時から今までまったく回らずカッコいい2000GT
先日トヨタ博物館に行き唐沢寿明さんが寄付した2000GT見ましたがやはり当時他の国産車との違いが素人でもわかりましたね😃土産で車好きな知り合いの女の子に2000GTのTシャツ買ってあげたら凄く喜んでくれました☺️あとレクサスLFAも展示してあり思わず見とれてしまいました😊
自宅の近所にこの車があって、オーナーさんと話ししたらレプリカでした、フレームから組んだガチのレプリカでエンジンは3000ccが入ってるそうです
トヨ2は他のコメントであるように本当に「小さい」です
まるで軽自動車を極めて屋根を低くした感じです
実際に見たのは 昭和50年銀座4丁目の路上コインパーキングで夜であります
これは非常に良いコンディションの車でオーナーは屋根付きガレージか
はたまた「スポーツカー関西」製かと思っちゃいました
また昭和55年頃 品川区小山2丁目の同栄商事(つけ麵大王)に多分社長のもの
と思える2000GTです その他同じ敷地にアストンマーチンなどがありました
スポーツカー関西は懐かしいですな。(*´・∀・)本当に新車みたいにレストアできたのか?
@@user-cg6eb3gp7d
その当時 昭和50年の話しで2000GTは最終で昭和45年の生産です
だとしたら5年以上も乗っている計算です
でも新車にしか見えませんでした
きっとべンツ並の車体と細部の作りこみがあったのでしょう
あと「スポーツカー関西」ですが 昭和49年の頃だったと思いますが
実際に大阪に行って見てきました
その中で一番かっこよかったのはコーベットステングレイと F 1です
スポーツカー関西って確か80年代に自動車雑誌に、嘘臭い広告打ってたレストア屋(?)だったけど今調べると悪評しかない。
何時見ても、本当に美しい車。
トヨタ2000GTに相当する、こんなにも美しい車は二度出ないだろうな…
投稿お疲れ様です
「オープンカーに改造してくれれば007で使ってあげるよ。」って言われてすぐに作って無事出演した話好き。
面白かった!
野原ひろしがベタ惚れなのも納得だ(なんのこっちゃ)
美しいよなぁ…、EV計画の中に入れて復活して欲しい。
復活と言えば「ヨタハチ」もだな。あの頃のデザインがスゲーカッコ良く見えるのはなんでだろう?当時の日本のモノ作りの情熱が凄すぎた?ヨタハチの解説もあるのかな?
私が免許とった頃、カーセンサーで400万くらいで売ってました。ハコスカGT-Rが300万くらいでした
2000GTの運転席に座った事がありますが…鳥肌が立ったわ感動して涙流しました!
失禁はしなかったですか?
@@maco14maco
それはないわw
私も有ります。 ボンドカーなんだけど、本当は、助手席に座りたかった
私も座ったことがあります。
とても感動的な体験でした。
着座位置はRX-7ぐらい低く、木製ステアリングが冷たかったのと、シートが仮面ライダーの腹筋みたいにボコボコしていて独特な座り心地だと思いました。
@@user-fm7jg9fx5z シートの例えが草
昔、調布の銭湯前の空き地に野ざらしで2000GTが置いてあったなぁ。
ちなみに普通にケンメリのGTRは環八沿いの中古車屋に並んでた(350~400万くらい)時に、2000GTは800万くらいだった。
私の世代なら、2000GTと言えば、福澤幸雄かなぁ。。。
日産の傑作デザインのフェアレディZ32型(日産のデザインで唯一買いたいと思った車)をデザインした前澤さんが亡くなる前に日本車史上最高のデザインはトヨタ2000GTだと仰っていましたね。
昔、フェラーリの後ろに、2000GTが路駐してたことがあって、周りに、人集りが出来てたのを思い出しました。やっぱり2000GT はフェラーリよりカッコ良かったですよ。
金さえ出せばいつでも誰でも買える車と、金がいくらあっても入手できるとは限らない車との違いでしょうね。
@@drittastrada7244 さん、もしそうなら、今ごろランボルギーニというメーカーは存在していないでしょう。
題名にあるように、まさに「走る国宝」ですね。子供のころプラモデルを作って眺めて憧れてました。
そう言えば...2000GTの横に有る小さい扉は確か...右側バッテリー左側エアークリーナーおさまってたはず...
これらをおさめる為だけに収納スペースと扉を作るて豪華だよなw
エンジルーム内に場所が無かったので、仕方無く両サイドに置く事になりましたとさ…
浮谷東次郎の為に作られたと言われてる2000GT
もし彼が事故死せず乗っていたらどんな活躍をしたか車好きとしては気になるifですね
彼のがむしゃら1500キロは昔は学校の指定図書で図書室に置いてあり、私も小学校の頃楽しく読ませて頂きました。出来たばかりの東名高速を50ccのクライドラーで走るという、若き浮谷少年の活躍が胸を熱くさせたものです。
私は中学一年生の時に図書委員をやっていて、がむしゃら1500キロを学級図書として選定しました。本を選べるのが図書委員の特権で、豊田有恒氏の全開(フルスロットル)で疾れ!も置いていましたよ。
浮谷さんの死後だけどね東名が出来たのは。まして最初から50ccのクライドラーでは走れません。
50年以上前の疑問を解説してくれて初めて分かりました。オヤジ、オッサン、爺ぃ~に嬉しい!
還暦+αになってしまいました。50年以上前になるでしょうか。小学生の頃ヤマハ袋井テストコースに2000GTはよく走っていました。裏山によじ登って何度も見たおぼえがあります。カメラを持った大人は捕まったという噂が絶えませんでした。紫の2000GTは何度も見ています。白も多かったです。子どもながらにその雄姿に胸を躍らせていました。走っている日には自宅からもその音が聞こえたんです。今はその近くにさわやかハンバーグの本社工場があります。
福沢さんの悲劇もこのコースで起こりました。歌手のOさんが涙を流しながら歌ったのも覚えています。今は磐田のヤマハコミュニティープラザにゴールドの2000GTが展示されています。5年位前にそのゴールドをヤマハ袋井テストコースで走行させるというイベントがあり何十年かぶりにその雄姿を見せていただきました。
昔はたまに路上でも見かけたんですが最近はめっきり見なくなりました。毎年のようにコミュニケーションプラザで見ることができる幸せをひしひしと感じています。
素晴らしい体験をされましたね!
街中を普通に走ってる速度域でなく、テストコースを駆け抜ける2000GTを観てみたいです。
それに、紫の車体は一度も観たことがありません。
とても羨ましいです。
こんばんは。当時、2000GTのカラーリングは頻繁に塗り替えをしているのでは・・・という噂も流れていました。当時は子どもでしたが何度も顔を合わせている大人たちの話に聞き耳を立てていて耳に入ってきた噂です。覚えている色は紫と白が最も多くて少しですが黄色もあったように思います。福沢氏の事故の後は走る姿が見られなくなりました。その後はオートバイばかりでした。土曜日の午後に200円程度の一般開放がありヘルメット着用の条件で自転車での走行も可能になりました。今考えてみれば事故の後にテストコースの運営が若干変わったように思えてきます。近年、自宅にいて爆音が聞こえてくることは全くありません。
数年前のゴールドの2000GTの雄姿は裏山をよじ登ったのではなくコース内での見学でした。エンジンルームやドアも開けてあり隅々まで見学できました。その車両はコミュニケーションプラザに行けばいつでも間近で見ることができますが、常にはドアやボンネットは開いていません。何年か後にまた2000GTを走らせるイベントが行われることを期待しています。その際には人型宇宙さんもご一緒できるといいですね。
@@sabu511 さん
詳しく返信をいただき感激です
\(^^)/
文章を拝見するだけでもワクワクします!
街中で走行してる姿や、博物館などに展示されている姿は見たことがあっても、やはりサーキット等でスポーツカーらしい全開走行を見ることはないので、とても羨ましいです!
福沢氏にお会いすることは勿論できませんが、細谷氏とはご挨拶させていただく機会がありました。いい思い出です。
いつか全開走行をこの目で見たい、感じたいと思います、ありがとうございました!
歴史的名車であり貴重な産業遺産ではありますが、純然たる価値というより投資資金が流れ込んで異常な高騰をしているんでしょうね。オールアルミボディーにレクサスのエンジンを移植した高性能なレプリカもありますが、やはり本物とは似て非なるものでしょう…。
ハチロクと同じで有名な名車だから投機対象になってしまったんでしょうね。
製作社は覚えてないのですが2012年のオートサロンにおいて、EV化した2000GTを見かけましたね
ボンドカー仕様と速度記録達成時のスタイリングだったかと思いますが確かあれも車体はレプリカだったと聞いています
これがIzumizukiPinkyさん仰られてるロッキーオートさんだったのかもですね
@@user-ot4pw4ih2g さん
横から失礼します。ロッキーオートのレプリカ車は、当初トヨタアクアのエンジンとバッテリーで駆動するFFハイブリッド車でした。
その後、80スープラの3リッターエンジンを搭載したFRを発売しました。
この車と117クーペは、美しい!
当時デザインされた74式戦車も美しいと思うのは私だけ?
うしろの造形がフェラーリ250を思いおこされるのは私だけかも…
そのくらいTYPE74は美しく、後にも先にも、日本の戦車であの造形美を持った物は無い。
117は丸目のがよい。なぜ角にしたのか理解に苦しむ。
ヤマハでエンジンの組み上げに叔父が関わっていた様で、ヤマハの販売店の人が「作り上げるのが大変だった」ってその製造に関わった人と話したことありましたよ(昔バイクを買う時に叔父から教えて貰った店の店長が絡んでた様で) 組み上げる人達は、ヤマハサッカー部の人もいた様ですよ
これ以降、トヨタのスポーツエンジンはヤマハが手掛けていくことになるのが胸熱。
とくに2T-Gは名機ですね。アルファロメオの4気筒を真似したと言われてはいますが、名機には違いない。
腕のある職人さんが活躍する時代に戻ってほしいなぁ(;^_^A
以前、メガウェブで2000GT 試作車に同乗走行させて頂いた事があります。
貴重な経験でした。
ヤマハが単独で4輪車を作りあげられなかったからトヨタと共同開発したのに、トヨタのアンチは決まって「2000GTはヤマハが作った」と言いきる。
エンジン作れないもしかしてヤマハの技術の中に日産の技術もあるかも???🎉
2000GTが出てくる映画って007が有名だけど、日本のヘアピンサーカスって言う映画にも2000GT出てくるの
しかもここで使われた2000GTはトヨタの元レース車両で数台しか造られなかったアルミボディの1台
この車体が現存してたら市販の2000GTの倍近くの値段ついてたかもね
動画の中で言ってましたが、最初ヤマハは日産に持ち込み企画で行ったらしいが、プリンスとの合併話で企画が消えたと聞いています、それと後期型はエアコンが取り付けられるようになっています。七宝焼きのエンブレム実はトヨタから200GTの本を出したときにエンブレムが付いてきました、今も本棚に眠っています、それと当時の百科事典(数万円)にスポーツカーの欄にトヨタ2000GTが日本のスポーツカーとして写真付きで載っていました。
耐久レースで強かったのはエンジンのブロックが量産車用のM型を使用していたから鋳鉄製のブロックは重いが強いのが特徴ですね、日産のL形もそういう理由でチューニングのベースエンジンには当時では最適だったということですね。
意見の違いから新年会でヤマハの偉いさん達と日産の偉いさん達が殴り合いの大喧嘩して日産2000GTの話は無かった事に。この話を是非とも映画にして欲しいですけど、無理でしょうね。(T_T)
トヨタの場合、日本GPに参戦したレーシングカートヨタ7のボディに“ヤマハの音叉マーク”をちゃんと貼り付けているんだよね。
20年くらい前に知り合いの車屋さんが家の中で飾られ保存されてた車を1000万で買ってきて自社で整備された2000GTに乗せてもらいました
運転が楽しい車でした、もう一回乗りたいなぁ…
その時、私の愛車はワイルドスピードに出ていたエクリプス カリカリにいじってました、懐かしいなぁ
美しいわ…ァストーリーにでてくる2000GTを見てるだけで泣けてくる
ありがとうございます……
一番最初に作ったプラモデルがトヨタ2000G Tだったなぁ〜
何年か前にトヨタ博物館でオープンの2000GTが展示されると聞いて見てきました。生で見るとますますカッコ良かったです。この時はオープン仕様も含めて6台くらい展示されていましたね
007の撮影用の俳優高いからと屋根ぶっちぎってロードスターにしたのと
唐沢寿明さん所有の水没車レストアロードスター化と…
2000GTの話だからメインになるのは、判るけどSOHCの2300GTが話題に挙がらないのが少し寂しい!
男の嫉妬が一番恐ろしいというが
その裏話が衝撃的でした
2000GTに詳しいつもりでいたんですけど、この話はむっちゃショックです。(T_T)!!
もっともその後世界はオイルショックでスポーツカーどころではなくなり、性能もデザインも精彩を欠いたクルマだらけになってしまったので、野崎さんの才能を活かせる機会など無かったかも知れませんね。
@@keroagunso 例えそうだとしても、まず車両設計ありのところから秀逸にまとめられるデザイナーなんて世界的にも少数なので、左遷を決めた奴は日本の工業デザインを20~30年は遅らせた罪人だと思います。
最近のトヨタ車がダサいと言われる所以はそこなのか。
未だにこれよりカッコいいデザインの車は見たこと無い
それ。!!( ゚□゚)✨
16:30 野崎諭は(さとる)の間違いですね。でもこの方を調べると、トヨタ社に入ってからそのアメリカの美術大学に留学したことや、その大学がマイケル・ベイなどの多数の著名人が輩出していること、大学の教育内容や外観、学生たちの卒業作品、などまで調べることができ、ちょっとした留学体験をWEBですることができました。興味深い情報ありがとうございます。
最初はスポークホイールもあったようです。耐久性からマグネシウム合金ホイールへ標準化。
私が18才の頃に新宿東口駅前で見ました。
あまりのカッコ良さに今でも鮮明に覚えています。
もう54年前の事です。
値段もともかく、この車の魅力はとにかく「カッコいい」に尽きると思う。現時点でもこの車以上にカッコいい車は見たことがない!
フェラーリ、ランボ?はっ、相手にならん。
実車を観たことがありますが、想像以上に小さかった。乗ったことはありませんが、中はかなり窮屈なのではないかと想像します。
2000GTは今は富士でやってるトヨタのイベントが鈴鹿でやってた時
2000GTオーナーズクラブ(確か10台くらい出てた)も出てて、その時に招待券の特典だったかでシートに座らせてもらいましたね。
あとその時にモリゾーがトヨタF1(TF102かTF103のどちらか)に乗って東コース回ってきてF1から降りてきた時はモリゾーF1も運転できるんだとビックリしましたw
トヨタ2000GT、良いですね。私が中学生の頃、近所のトヨタディーラーにて展示会(?)があり、トヨタ2000GTを見に行きました。お店の人も理解ある人で「将来のお客様」ということで運転席にまで座らせてもらいました。当時の車と比べてもかなり狭かった(タイト)車自体はやっぱり小さい印象でした。懐かしい思い出です。
でも、新車でトヨタを買った事ない。2TG,18RG迄は良かったなー
TOYOTA02000GT以後、ヤマハのDOHCシリンダーヘッドを搭載した、セリカ2000GTとか、伝説のAE86が生まれましたね。
トヨタは280Aのような前例の無い高性能スポーツカーを関東自工で生産できなさそうなことに悩みを抱えていた。ヤマハの川上源一はA550X開発中止に困っており、トヨタ自動車専務の豊田英二に相談。ここに両社のニーズが合致した。
1976、7年頃カーグラフィックという雑誌に掲載されてた広告で中古の2000GTは2~3台載っていて680万~700万の値札が提げられてました。 たしかスーパーカーブームの時期だったので広告にスーパーカーが沢山登場してました。 カウンタック新車で2300万だったかな? 当時の自分(中学生)の印象で当時の初任給10万位(大卒、高卒の差なんてよく知らなかったw)だったので97カ月我慢すればマセラティメラク(970万)買えそうとか割りと本気で思ってましたwww BMWの2002ターボが460万だったけど当時自分はこれのカッコ良さを理解出来ませんでしたwww 国産車で200万越えはクラウンとかセドリックとか一部スポーツカーとか各メーカーの看板車種に限られてたと記憶してます。 たしかギャランΛ(ラムダ)の特集記事読みたくて値段高いこの雑誌買ったんだよな。
本当に綺麗なクルマですね。エンジンはSOHC2300ccも試しに載せた個体もあるらしいですね。色々と話題の尽きないクルマですね、それだけ何時までも注目されるクルマなんですね。インパネなんて秀逸😀
トヨタ2000GT
いつ見てもかっこいいし、色っぽいよね。
いいですねー、なんかレトロな感じがめっちゃめっちゃいいですねー
今から45年程前の1978頃にトヨタの自動車整備学校で1965年の007の撮影中にカメラマンが撮影用の三脚等の機材を倒して2000GTのボンネットに凹ませたので綱島にあった当時のトヨペットサービスセンターで板金塗装したと話を聞きました。
その後、20程して私はコマツフォークリフトに就職した際に立川にあった営業所の町田分室に007の撮影中に凹んだ2000GTを板金塗装した方が偶然おられて話をしたところ、よく昔の話を知っていたね?と言われて色々と話を伺いました。
日本の1960年代の板金は極めて幼稚で凹んだ個所の裏にドーリーが当てられない場合は現在の様にチップを溶接して引っ張る技術がないので凹んだ個所を切開して板金するか軽微な個所なら半田を持ったそうですが当時は今の様にボディーの鋼板と同じように膨張収縮するプラスチックのパテが日本には無いので鉛の半田で盛って修理したと語っておられました。
007に使われた2000GTは今はトヨタの博物館に有るはずなのでその後、レストアされていなければ見学された際にボンネットを良く見ると解るかもしれません。
翌1965年(昭和40年)1月より、上述のトヨタ側の開発陣がヤマハ発動機に出張しながら、ヤマハの安川研究室の十数名と共に2000GTの開発プロジェクトを推進していった。開発プロジェクトは順調に進み、4月末に最終設計図が完成。計画開始からわずか11か月後の8月に試作車の第1号車が完成し、トヨタ自動車に送られた。
2000GTは、円谷プロの怪奇大作戦というドラマでみることができた。
昭和43年の特撮物だったけど、テスト走行中の2000GTが何台も見られて大興奮、役者さん達の演技何て、全く目に入らなかったし、普通は科学特捜隊の活躍で事件が解決して終わるんだけど、何故かこの回は未解決のまま終わってしまうという後味の悪い回だった。
けど事件は、自動車の暴走の原因を探るという、最近の煽り運転につながっているような事件で、近未来を予知したような終わり方は意味深だったな。
怪奇大作戦はSRI(科学捜査研究所、科捜研の女とは別組織?)ですね。子供向けのウルトラマンと違って、後味悪い回が多かった印象です。今では地上波で流せない回もありますし。
2000GTが出てきたのは、新車開発と人喰い蛾の回じゃなかったかな?
生産終了から随分たった後にもヨーロッパの自動車評論家達の
スポーツカーの名車にもその美しいエレガントなフォルムに「クラッシックな名車」に文句無しに選ばれた。
ポップアップの追加のヘッドライトはアメリカのライト高さへの苦肉の策になりました。
とにかく少年時代から
大好きな車。
欧州のスーパーカーと比べても、一番乗りたいと思える車やわ。
同年12月28日にトヨタ側の開発メンバーがヤマハに赴き、技術提携を結んだ。このときA550X試作車を実見しているが、上述の通り2000GTのシャーシの基本設計は各種計算含めすでに完成しており、具体的な影響は結果として見られない。
小学生の時展示会に乗せもらいました😄スタイリングたまらない。
3億円超え最近の出来事なんだね....今に始まったことではなくて以前から噂で3億超えだァ~と声高に言われていたね。
あ!冒頭の数枚の画像は群馬県の伊香保の「おもちゃと人形自動車博物館」の2000GTですな!?年に一回は行ってるので、すぐにピンときましたぞ!現在の車両のサイズに見慣れてしまっているから、今見ると2000GTもかなり小さく感じますよね。でも、カッコよさは色褪せないんだよなぁ………(しみじみ)
宮崎の車屋さんに2000GTがあって
外から見えるんで、そこを通る度に眺めてます!^ ^
赤もカッコイイなぁ
当時に4輪ディスクでDOHCって事がホンマにすごい
4輪ダブルウィッシュボーンもね
この素晴らしいオリジナルティ溢れるノスタルジックなデザインが素晴らしいですね!🎉🎉🎉😍😍😍 新しいハイブリットなエンジンと、足回り、インテリアにして復刻させて欲しいですね!この時代のにほんじんは素晴らしい想像力と新しい物を作り出す能力がありましたね!😘💞💖💖💖
デザインとしては市販車の最高傑作だよね。
20年前は1千万だったのに高くなったね。
収入と値段の比率で考えたら、LFAと同じ価格帯という話聞いたことあるな
トヨタ公認?2000GTのレプリカがあるよ、ロッキーオートの「ROCKY3000GT」
実際に動画に出ていた、細谷さんが監修しています。現在も製造していて2380万円!!
まだ締め切らずに受注されてるのでしょうか?
買える人が羨ましいですね。
面白かった!2000GTがボンドカーになった時凄く嬉しかったのを思い出す😁
世界で認められた日本製!そんな感じ👍
色んな意味でやはり2000GTは名車のトップだよ!
子供の時から2000GTはかっこいいとは思ってましたが、結構サイズが小さくで驚きです。
確かに小さく感じました。リヤ斜めから見たスタイルは素敵な車です。
歌手の森山良子さんが路上教習で使用したお父様の車がトヨタ2000GTだったとテレビ番組で話されてましたね、ちなみにその車は今、山口県の医師の方が所有されてるとか。
中学生の頃スーパーカーブームで、堀切橋のたもとにあった中古車屋に3台置いてあり、ちょくちょく見に行ってました。当時の中古車価格が800万だったかな? 当然のことながら、年を取れば取るほど値段は上がっていきますね。
言われないと分からない出来のレプリカが出て来て、それはある意味喜ばしい事かもしれないけど、
2000GTを見かけると本物か?と余計なプロセスが必要になってしまった。
初めまして♪ 投稿、お疲れ様でした。トヨタは2000GTの設計グループに”ポルシェ911”、”ジャガーE タイプ”それに”ロータスエラン”を与えて好きなだけ乗り回させてたという話を車の雑誌で読んだことがあります。設計者たちも発奮したのでしょうね。因みにトヨタ7を開発した時は関連会社を介してフォードのGT40を購入していますね。さて、まだ小学生だった1960年代後半に当時住んでいた福岡県の天神町で実車を見たことがあります。本当に美しかった💕 実際に走っている車の独特な匂いや走り去る時の排気音が今でも耳に残っています。設計者が後に更迭されたという話は初めて知りました。残念ですが、いかにも日本の企業だなという印象を受けましたね。興味深い動画をありがとうございました
トヨタとヤマハってだいぶ前から共同制作しているんだ!
ありがとうございました!
2000GTは写真で見ると大きく感じるが、実際に見てみると意外と小さくて驚く
サーキットの狼ミュージアムでオープン仕様を見ましたが、ユーノスロードスターくらいに見えました。
2000ですからねえ
近所のカフェに2000GTが
室内展示されてた
舐める程 眺めて居たが違和感が?
ホイルが5穴…?(ーー;)
マスターに問い合わせたら
レプリカ(T-T)
5ナンバーだけど実車よりも
実車よりも大柄だって?
他にもレース仕様のエランも展示
されてるから由良近くにいらしたら
一見の価値ありかも?
水だしコーヒーも絶品ですよ!
7,8年前だったか,JR名古屋駅のツインタワー内のエントランスに,この真っ赤な2000GTが展示されてたことがあった。初代フェアレディZが全高1290mm,スズキ・フロンテ・クーペが1190mm。
軽スポーツのAZー1とかも低いそうだね。
2000GTは極限のルーフ高を実現してたが,ショコネの逸話にもあるように,高身長なアメリカ人が乗るには,低すぎて頭つかえたそう😅
実際にマツダのロードスターと同じくらいのサイズですね
映画「007は二度死ぬ」では、本当はボンドのためにMI6が用意したのではなく、日本の諜報員タイガー田中の愛車なので、正式なボンドカーでは無い。だからボンドカーの特殊装備はされていないのです。
整備士指定にスクリーン飛び出しも懐かしい。
今でも、トヨタ2000GT新車で買えるはずですよ、当時の2000TGではないですが、形は同じでハイブリッド車も選べるはず。細谷さん自身が運転されていますよ。
マジでこの世で1番カッコいい車だと思う
ゼロヨンキングの愛車ですなぁ✨
まぁ中身はセルシオの4リッターエンジンをフルチューンして、おまけに4WDって反則レベルのスペックでしたね😃
当時トヨタにはR型やM型などのエンジンがありましたが、いずれも〝実用エンジン〟だった様です。他社で発表された様なスポーツ系のチューンが施されたエンジンについてはノウハウがなかった様ですね。
ヤマハからの技術提携で、シリンダーヘッドから上の変更で、OHV、SOHCの〝カウンターフロー〟からツインカムの〝クロスフロー〟にする事によってパワーアップを図る方法は、そののち長きにわたって続いています。2T-Gエンジンにはヘッドにはっきりとヤマハの刻印がある事で有名になりましたね。