Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
これ見ると、金持ち従兄弟の17000円の童夢零のラジコンが羨ましかった。自分は走りっぱなしの左回りしか出来ない ル・マン24のポルシェ の 3800円!!!!でも、とうちゃんありがとうW
その片側にしか回れないやつの童夢零のを買ってもらいました。まま、ありがとう
ミツオカもメーカー申請に行ったら「はぁ?」って言われてあしらわれたって言ってたもんな制度としてあるのに審査もしないし受け付けないって法治国家として本当にどうなんだよ
天下り先を確保しておきたい官僚が作った「岩盤規制」。
酷い話ですね。モノづくり大国のはずなのに・・・
光岡は車体メーカーで日産からS13シルビアのエンジンを含む下回りを購入して上周りと内装を乗せて売ってました。当時の社長は「本当は下周りも作って売りたいのだが、認可が取れない」と言ってました。私はS13のオーナーだったので「錆びたら光岡に車体乗せてもらおう」と思ってました。
同様の事を軽トラキャンピングカーの作成者が車検場で言われて弁護士出動まで行ったとか。
日本のお役所は前例主義。考えるってことはしない。それだったらお役所に人員はいらない。日本凋落の諸悪の根源はお役所。メーカー自主規制ってことにして馬力規制させたり、碌なことはしていない。
ホント、ミッド4は販売して欲しかった。中学生の頃プラモ作って発売を楽しみに待ってたのになぁ・・日産に入ってミッド4を買ってやる‼️ってくらい憧れたんだが
「カウンタック等のタイプはシザーズドアでガルウィングドアではない」というのはその通りなのですが、70年代末のスーパーカーブームの頃は一律にガルウィングと紹介されていましたから、オッサン的にはある程度仕方がないことだと大目に見て頂ければと思ったりします。
私はどっちでもいいと思います
MID4はフジミ模型からプラモデルも出てたなぁちなみにですが、カウンタックはガルウィングじゃないですよ。大昔のベンツ300SLとか石原軍団ドラマのゴリラに出てきたスタリオンのように開くドアをガルウィングと言います。ランボルギーニのはシザードアと言います。
「ガル・ウイング」は「かもめの翼」ですよね!「シザー・ドア」は「鋏(ハサミ)の扉」
なるほど!開く形態が違いますからね。勉強になりました。
MID4と童夢を初めて見たときは、とうとう日本車でスーパーカーができたと、わくわくしたことを覚えてます❗
RX500は、広島のヌマジ交通ミュージアムというところで展示されてるようです
童夢ゼロ、市販こそされなかったけど、これのラジコンカーはけっこう販売されてましたね。小学校低学年のころ、私も買ってもらえましたけど、クラスでもラジコン童夢ゼロ持ってる人は5人くらいいました。もう別次元のカッコよさで、壊れてもしばらく部屋に飾っていました。
実走できたコンセプトカーで好きだったのは三菱のHSRシリーズだな、4WDターボ4WSにALBのオールホイールコントロール思想から始まって代を重ねる毎に電子制御サスやトルクベクタリングやコンピュータによる自動運転などが増えていく電子制御の三菱らしさが満載のコンセプトモデルだった
子供のころ、RX500のミニカーと童夢零のラジコンを持ってた。どっちもめちゃめちゃお気に入りだった。懐かしい。。
量産される事なく試作機で開発が終了したズゴックやゴックの派生型が好きだった。同じく量産される事なく終わってしまった車にも魅力を感じてしまう。不完全なモノって男のロマンなんだよきっと!
量産機は妥協の産物だからね。試作機は技術者の思いがストレートに実現されている。それを使いこなせる搭乗者は凄いとなる。
童夢に関しては日本やアメリカで認可とるよりヨーロッパで実績作った方が確実だったかもしれないですね。ヨーロッパなら国によってはワンオフや年間に何台作れるのみたいな手作りに近い車でも市販されてるしヨーロッパで実用されたら日本で輸入車として認可取るのも少しは楽だろうし。
ワコールのジオットキャスピタも結局発売出来なかったな。
MlD4Ⅱは、以前札幌市にあった日産展示場にあったが、本当に触れる位の近さで見学出来たな。スポイラーやボディに飛び石等の傷があり試作車兼テスト車と言う事が良く分かりました。この車が後の32ZやR32GT-Rの開発に寄与したんだから、無駄ではなかったですね。
当時、実際にMID4はⅠもⅡもベストカー誌で徳大寺氏が試乗レポートをしてましたね
MID4以外にミッドシップレイアウトの車が日産に無いのはなんでかな?
童夢零はラジコンカーが発売されてたなー。確か日本初のスーパーカーとか聞いた。子供の頃の記憶だから間違ってるかもしれないけど。
童夢零はずっとグランツーリスモに収録されているね
30:10齢50のワシは当時小学校に入学したばかり、年末のクリスマスにプレゼントとして親戚の叔父さんがやっていた模型店で発売直後の童夢零のラジコンカーを貰ったな…色んな処で走らせたけど高校入学前にモーターに砂が入って動かなくなるまで9年遊べたのを今も覚えとるわ。
800万円でNSXが出たときはホンダの本気を感じた、それにアルミボディーで専用工場までつくっている。その後リフレッシュプランまで後々の事まで考えている。
小学生か中学生の頃 家の4軒ほど隣の工場で童夢零を造っていたのを思い出した!近所に林レーシングってカーショップがあって そこのスタッフが作っていたと思う 当時スーパーカー小僧だったので童夢零のボディーの型が外に出してあるのを見た時のドキドキした気持ちは、今も覚えてる!
貴重な経験をされてますね小中の頃に近くの工場でガルウィングのスーパーカーの開発がされていたなんて何と羨ましい!運輸省の許可が降りなかったってのは納得行かないなぁ…理由が理不尽に思えてどうしても癒着や利権を疑ってしまうよ…
@@竹さん-h6l あれは試作レベルのクルマでしょう。コーチビルダーとして市販車をベースに数台だけ製作するならともかく、量産となると安全性や生産効率も考える必要があるが、そういうレベルには見えない。日本だけでなくアメリカでも認可が下りていないのだから、そういうことでしょう。資金を集めてレーシングカーを製作できたのなら御の字。
懐かしい!あの頃のスタイリングはやはりときめくね。三栄の「カースタイリング」は定期購読してたよ。
童夢ー零は当時、トミカのミニカー持ってて、一番のお気に入りだった。行方不明になったが、あれは捨てたくなかったなあ。
オートバックスのガライヤぜひ紹介して欲しいですもしかしたらガライアかも知れない‼️日産のSR20エンジン搭載MRでフルオーダーメイド東雲スーパーオートバックスで展示よ約束受付したが販売断念不運な車
ガライヤですね。カウンタックのようなシザースドアで、窓は開閉しないはめ込み式じゃなかったっけ。
MID4のプラモ作ったわぁ懐かしす当時のプラモはフジミが700円タミヤが1200円くらいだったのになぁ…なんだよ今の価格…RX500のエンジンを掛けるRUclips動画あったなぁ次は何時にエンジンを掛けますっていうロータリーサウンドだけを聞かせるというマニアックな見せ方童夢零はミニカーとかおもちゃいっぱい出てたもんなぁミニカー持ってた気がするわぁ気のせいかもしれんけど持ってた気がするわぁ
MID4は各技術を他の車に転用していましたが、ミッドシップレイアウトも何らかの車に受け継いでほしかったと思う次第でした
テールヘビーな朴李トヨタの[MR-2が](嗤世田谷口から、三京乗ると、多摩川に架かる橋の上[ポルシェコーナーで刺さる]MR-2(嗤
童夢零はドア側の茶筒みたいなシフトレバーとか結構とんでもない内装で、夢いっぱいで市販化は無理っぽかったけどステアリングとホイールだけは市販化に成功してましたね😅あれ、今でもほしいなぁ。
ホイールも市販化されたと思います。
トミカが出してたミニカーの中ではほぼ唯一のガルウイングの奴だったよね
この頃の日産は元気が有りましたね。冒頭でサニーの話をしてましたが、トラッドサニーと言うキャッチコピーでボクシーでかっこ良かったですね、運転も楽だったし、少し後で登場するプリメーラは秀逸でした。MID4は残念だったけど本当に夢の有るクルマでした。当時市販しないのが不思議でしたリアルスポーツとかで売り出したら、アメリカで売れた様な気がします。Zがダントツ人気でしたがフェラーリよりも信頼性は有ったのではと思いました🙇
童夢零は市販されなかったけど、童夢零のラジコンは市販されましたね。小学生の頃、親にねだってクリスマスプレゼントに買ってもらったことを覚えています。
いすゞMX1600も市販化寸前で頓挫しましたよね。残念!!
こちらはダイヤペットで製品化された事がありましたからね。それだけに市販に高い期待が寄せられていたんだと思います。
運輸省の役人の石頭ぶりは様々な車の開発ストーリーに出てきますね。自動車メーカーの数がどうとか当時ですら時代錯誤。天下り先を用意できる大企業以外相手にしたくないんでしょう…。
運輸省、というか政府的には天下り云々以前にメーカーが増えるのは嫌なんでしょう。あまりにもメーカーが多いと各会社の売り上げが下がって、規模が小さなメーカーばかりになってしまう。すると、大手の外国メーカーに全部食われてしまいます。だから小さな芽は摘み取って、残った会社を世界で通用するレベルに育てたんだと思います。
つい最近まで280の馬力規制というアホな規約が罷り通っていたし。
当時の日本のメーカーは、国際的には弱小だったし、ヨーロッパのメーカーがアメのメーカーに食い荒らされてる様も見てましたからね。今とは状況が全く異なっていた事を理解していなければ、正当な評価は下せませんね。
2人乗り、オープンカー、ドアミラーもなかなか首を縦に振らなかった。輸入車はOKだったのに。
@@Railton-bb 国内メーカーの統廃合さえ実行されそうになったからね。ホンダとマツダも対象になり、その打開策がF1挑戦とロータリーエンジン。
ミッドシップの慣性モーメントと自転車のタイヤより高い位置で20kgでは例え話として別の作用が強すぎます。重心が高い位置で積み荷が重ければ危ないという話
童夢零は1/1スケール以外は大量に売れた…って事だな。確かに各社が競うようにラジコン、子供用玩具、プラモデル、スーパーカー消しゴム等々、カウンタックより人気があったかも?もちろん下敷きやら筆箱などの文具もあった。童夢は1/1以外の零のヒットでルマン参戦資金も得られたから結果オーライか。ルマンに出た零RLもDFVエンジンやフレームがちゃんと再現された精密なプラモデルも売られていた。もちろん買った。今でもミニカーなら新製品がちょくちょく出てくるくらい人気は続いている。というか、この動画を見たていたら またプラモデルを作りたくなってきた。Fujimiのホームページではカタログ落ちしていないし、そろそろ再版を期待したい。
童夢ゼロ のラジコン持ってた〜😅小学生の頃😅スーパーカーTVでも登場してサーキット走ってたような。
童夢ラジコンのテレビコマーシャルもあったよね?
マツダRX500と童夢零は、その昔、トミカになっていたと記憶。RX500のトミカをブーブーと前後に動かしながら、「こんなにかっちょいい車、どこにも走ってないよなあ」と不思議でしたw
❤😅
童夢零は時々京都高尾パークウェイに持ち込んで走らしているよ🚗
童夢零は中古車販売店のイベントで実車が展示されているのを見ました。
@@130theater 花背に本社ある時に入れて貰いました。その時、童夢、零、置いてありました。
自分も黄色いヤツ持ってて従兄弟が欲しがってせがんできましたが貸しませんでしたね‼️(笑)
いすゞベレット1600MXも、この列に加えて欲しい。
MID4の開発をしていた技術者のご令嬢と一緒に仕事をしていた事があります。童夢-零が登場したのはとても嬉しいけど、せっかくなのでジオット・キャスピタも紹介して欲しかったな。童夢の画像で脇にチラッと写ってるしwwwそれから実現していれば日本初のミッドシップ市販車になる筈だった、いすゞベレットMX1600、まるでアバルト?と言いたくなるようなスタイリングが素晴らしかった、スズキR/S1も忘れないであげて♡あ、クイズの答えはヤマハOX-99ですね。こちらもジオットと同じくバブル景気崩壊で計画が頓挫した悲運の車です。由良拓也さんのデザインが魅力的なスポーツカーだったんだけどな💦
19:44 RX500はご覧の通り固定ライトです。
銀色はリペイント補修後で補修前の黄色(オレンジ)はリトラクタブルで当時のミニカーは黄色で販売されてました。
@@sannjouzubatto6805 うおお!ホンマやん!リサーチ不足でした。申し訳ない。
@@IzumizukiPinky うわーん!それも知らんかっとってん
近い時期に販売された初代NSXが7000台以上も売れたのでMID4も市販化して欲しかったですね
トヨタのgtoneとか日産のr390とかナンバー付き台造らないとレースに出れないから売る気は全く無いけど仕立てた公道モデルなんてのも
トヨタ222Dは、以前トヨタ博物館に行った時に飾ってありました。黒い個体です。
コメント全部読みました。楽しかったです。
童夢といえばX-021が市販されていればマジで欲しかった
222Dは以前はお台場メガウェブに有りましたが閉鎖に伴い移動しましたね。運良くリアカバー開けているのを見たことがありますがMR-2と全然別物でしたね
日本にある白いのはエンジン縦置きの後期型だから、尚更別物感マシマシですね。トヨタは本気で200台市販するつもりで、パーツの手配も始めてたらしい。
童夢零のラジコン持ってたわ~ 🤣
MID4はよろしくメカドックの終盤にNEOって名前で似たようなデザインで登場してました。
同じ次原隆二作の「特別交通機動隊スーパーパトロール」でもブラックMID4という悪の組織が遠隔操作するマシンが出ていましたね。
初代NSXとDC2インテグラのスーパーチャージャー搭載車が発売される予定だった。Vtecとスーパーチャージャーの組み合わせは相性が良く、誰が乗っても良い車になっていた。当時の川元社長が「だせ!だせ!」と乗り気だったものの、販売計画は白紙になった。あと、マクラーレンf1にはホンダF1エンジンを載せたいとゴードンマーレイからホンダに打診があったが、ホンダは断った。もしかしたらマクラーレンF1ホンダが誕生していたかもしれない。
トムス・エンジェルってあったね。確かフロントガラスはランチア・ストラトスのを使ったとか。今考えるとロータス・エリーゼとコンセプトは一緒だから近いクルマを購入するのは可能だね。
童夢零子供の頃、スーパーカー消しゴムで持ってましたいつか道を走ってるの見たかったなぁーって子供心に思ってました 市販されて道を走って無いと知った時の悲しみが。。。orz
童夢→運輸省からメーカーとして認められない、光岡→メーカーとして認められる…なぜなのか?と思ってしまいますね…時代の違いはあるでしょうけど…
ドームは技術に自信ががあったのではないでしょうか? ミツオカは 単なる板金屋
@@ユウイワサキ さん私も同感です。童夢はもっと評価されて欲しいです…
個人的見解です。昔は三輪も含め余多有った、東急くろがね、オオタ、ホープ、岡村、富士、プリンス、ヤンマー等々、合併や萎んだのもある、そうなっていく、そう成る運命だったのか?まぁ減った・減らされた?で今の状態、今後、減る事はあっても増やす事は無しでしょう、童夢は自動車製造業、光岡は技術力の高い自動車架装・鈑金加工業者(誰かも言ってる)でしょう、支障も無いし認めたって所でしょうね。
@@Quensax ひとえに時代の違いでしょう。零の時代はZすら2dy2以外は認可されていない。暴走族やオイルショックが重なって、スポーツカー=悪という風潮が最高潮にあったんです。下手すれば、役所は「スポーツカーなんて全部なくなってしまえ」と本気で思っていたかもしれない。多分5年後だったら童夢も認可されていたはずです。
役人に小遣いやらんかったからだろ
MID4Ⅱはステアリングとかメーター周りとかのデザインに後のZ32やR32とのつながりを感じますね😄 出てほしかったけど2000万じゃバブル期でもきびしかったかなぁ😰
MID4ⅡのインテリアはS13シルビアの没案を流用したものだということが公表されています。「シルビアのすべて」に載っている没案のインテリアスケッチを見ると、ほぼMID4Ⅱということがよくわかります。
日産MiAT4とトヨタ22DDとマツダRX500と童夢零ですね。市販出来なかったですよね。でも今後の開発に生かされて良かったです。
私にとっての和製スーパーカーは童夢-零かな当時は子供ながらに日本でも遂にスーパーカーが出来たと心躍った物ですが、残念ながら市販化には結びつきませんでしたね玩具で登場した位だったかな・・・
MID4 を市販化していたら、日産には違う未来があったろうにな。MAZDA もそうだけど。Honda の前にスーパーカーを持ってる日本メーカーがあっても良かった。
童夢零はスーパーカーブームの後期にテレビで「日本の初めてのスーパーカー!」ってキャッチコピーで紹介されていた思い出。
童夢零は当時ラジコンあったな🤔
トヨタ222Dは今ならMR2復活のためのヒントがあるんじゃないかな!
ヤマハOX99だったな
そういやox99もこの動画のネタに入るんじゃないかね?
以前行ったヤマハコミュニケーションプラザに展示されてたな。トヨタ2000GTと並んでたわ。
MID−4 欲しかったよかなり頑張って金貯めてた思い出w希少な動画ありがとう御座います
680万って言われて、 買い替えないでお金を貯めてたのに
童夢ゼロ懐かしいですねー😂子供の頃ラジコン買ってもらったの思い出しました。
「わかる人にわかってもらえればいい」って技術屋の集まりでは「万人にわかりやすい車を作る」って商売人には勝てなかったんだなぁ。
商売人も技術がなければ売れない。トヨタは求められる商品力のある車と、水素エンジンも作れる技術も両方兼ね備えていて、他のメーカーの全てを上回っていたから勝てた。
日産の人は技術じゃあうちが一番なんて思ってたのだろうけども、買う側の「判る人」が見たら、そうじゃあなかったってことなんすよ
RX500。トミカのミニカー持ってるよ
まだ小学生の頃、童夢零とP-2を鈴鹿サーキットの屋外展示で見たことがありました。零とP-2とでは開けたライト周りの意匠が異なるんですよね。いやー懐かしい。
ライトの高さ規制を満足させるためで、零はP2よりもノーズが低かったのです。P2はアメリカのバンパーの規制に合わせるためにノーズを少し上げました。
ガライヤの悲劇も取り上げてほしい
RX-500を、マツダの販売店に見に行った。期待していたけど、フェラリやランボルギーニの方がカッコよかった。スーパーカーブームの頃、日本車は頑張ってた。
童夢-零はトミカにもあったしな
日産MiD4とマツダRX500とトヨタ222Dと童夢零ですね。市販化されなかったけどいい車です。
MID4は富士スピードウェイで、実走行している実車を見ました。その時は発売されると思っていました。
開発段階の車なら、NS-Xの開発中のCR-Xのミッドシップが今なお気になります。
ありましたねミッドシップ検証に作った車輛が、三代目CR-Xの時期とも被ってたので、販売されるのでは?と、噂まででてましたね。
初代CITYにもミッドシップがありましたね。
MID4は市販化して欲しかったですねしかし予想価格が2000万は高過ぎましたね後に発売されたHONDA初代NSXが約800万でしたし近年販売された2代目NSXの価格に近いのですから…RX500を当時のカー雑誌で見た時は衝撃を受けました今ではゲームではありますがGTS、GT7で運転出来る楽しみがあります実は後部のデザインを見たのはこのゲームが初めてでした
たった一人のユーザーにだけ販売されたTVRのスピード12とかも解説して欲しいデス
MID4は当時雑誌社の試乗会が行われる程、完成に近かったと聞いていたので、当時の日産にインフィニティがあればという車ですね。童夢零はスーパーカーブーム真っ只中に急に和製スーパーカーとして発売を期待されたモデルで当時グッズが一杯出ており、自分も下敷きを持っていたの思い出します。1つ解説で残念なのはガルウイングの話でカウンタックが出ていましたが、正確にはカウンタックはガルウイングでは無くシザーズドアで、ガルウイングは1954年2月ベンツ300SLが始祖ですね。 他メーカーにも幻に終わったモデルはあるので第二弾をお願いします。
とうのインフィニティもemerg-Eと言うMRのEVスーパーカーをプロトタイプまで作っていたのに市販化していないしなんとも言えないわね
童夢零懐かしいランチャストラトスやカウンタックに似ててこれもラリーで活躍するのかと期待してた
新車を作る苦労が分かり易く教えて頂き、勉強になりました。感謝。
童夢零は何台か作られたものを当時の童夢本社にあった童夢ミュージアムで見ました。私のチャンネルに動画があります。童夢本社は滋賀県米原市の奥から、米原駅南にあります。鉄道総研研究所(ここの風洞実験設備は童夢の協力で作られました)の北側です。カーボン事業を東レに売って小さくなりましたが、国道8号線の横にある本社、そこに以前のレースカーを外から見ることができます。童夢零も見られるかもしれません。
MID-4は、当時の自動車雑誌で市販化の噂が絶えませんでした。童夢零は幻の国産スーパーカーとして有名でした。
日産も1台位ミッドシップ出して欲しかった
YamahaのOX99も市販化期待したけど出なかったな
RX500のミニカーを持っていた
ホンダがNSXを発表した時「MID4じゃん」と思ったっけ。
同じくw
シルバーのMID4-2方は特に似てるよね。これもあってZ33のデザインに繋がったのか。ミラーは今のBMWスポーツオプションに近いね。先進的だったんだなぁ。
童夢零はワクワクしたなぁ😍
スーパーカーに憧れた少年時代。大人になってわかる事。スーパーカーはお値段もスーパーなのだ。
大人になったら、スーパーに乗って行く車にも困る始末…
@@はらひろし-q1o 確かにそうですね。笑いをありがとう。
童夢零のラジコンカーがあったことを思い出しました!当時、京都にプロジェクトの会社があり、チーフデザイナーが由良卓也氏だった記憶があります。
スタイリングはチーフデザイナーは童夢の創立者の林ミノルさんです。
17:34これ大好きだわ、クラシックカーなんだけど近未来的でカッコいい。
櫻井眞一郎氏とMID4だけで1話作れますよ!究極のスポーツカーいやー懐かしい❤しかし日産って会社はプリンス系譜のロマンを吸収した日産ダットラ系譜のお堅いコスト意識が頭ごなしに押さえつける歴史を繰り返してるね。
RX500素晴らしい! 駆動スペックはデミオ並みでいいからこのデザイン系で安く出したら売れると思うんだが
222Dか3S積んだAWのジムカーナも速いからあれをエンジニアがガチで仕上げてたとするとどれほどになったのだろう
そう言えば、縦置きミッドシップの4WDってありませんね。いや、あったぞ、ホンダアクティ、日本が誇る軽トラだー!
日本には4気筒スーパーチャージャーリアエンジン4WD、4輪独立懸架式サスペンション、3速AT搭載のマシンもありますよ。スバルサンバーです(*^-^*)この車は高回転時のエンジン音も良く、ATの変速スピードも早かったので走りも気持ちよかったですね!
ランボルギーニのディアブロが縦置きミッド4WDだった気がする。
アクティーはトラックもバンも横置ですよ。縦置きだったのはZとバモス/ホビオの4WDモデルですね
マツダRX500と同じ時期、いすゞにベレット1600MXというミッドシップのコンセプトカーがあった。当時「夢の車」と呼ばれた。
RX-500はとても日本車に見えないな
この4車で唯一知らなかったのは222D。RX-500は???って感じでしたが画像見たら「あー、こんなの有ったわ」って思い出した。MID-4はバブル期末期辺り富士スピードウェイで開催されたレースの先導車で走ってた記憶が今でも残ってる。童夢-零は・・・申し訳ない、知ってはいたがなんというか・・・敢えて言おう!一発屋。
トヨタ222D以外の3車はトミカでも製品化されていましたからね。
TRDのアレとオートバックスのアレはないのか
零は今見てもカッコイイな。
日産MID4、童夢零は実車販売はしなかったけど・・・模型化や玩具化(ミニカーとかラジコン)はしましたね。
童夢零は林みのる氏の自伝に製作の顛末が詳しく語られています。最初はそんな大袈裟なプロジェクトではなくて、やってる間に段々話が大きくなったという事でした。市販化計画も周りが盛り上がって進んだ部分が大きく、林氏自身は「市販して売れればレーシングカー作る資金の余裕が出来るかな」くらいだった様ですね。当時スーパーカーブームが辛うじて続いてて、玩具化の版権料がかなり入って来て市販プロジェクト進める資金になった様です。搭載エンジンが日産のL型直6なのは、当時解体屋で手頃な値段で手に入る最もパワフルなエンジンだったからだとか。
童夢は零とp-2があったよ😮
222D、開発段階ではニュルブルクリンクでグループBセリカの方が速かったらしいです。確かホワイトが国内、ブラックはヨーロッパ。今の豊田は嫌いですが・・・この頃は他メーカーと切磋琢磨してTTEは歴史の有るチームで好きでした。222Dがラリーフィールドでの活躍を思うとロマンですね。
ガルウィング?ランボルギーニはシザースドアとCS放送で言ってたが?
市販して欲しかったクルマで、個人的1位は「ダイハツ・X-021」かな。FR、フロントミッド、車重700kgエンジンは1,600cc、140PSだから特筆するものでもないけど、5kg/psはすごいスペックだった。
GSX-R/4かな…アレは日本のケーターハムになれたと思っている。
@@岩本直行-b9h 確かに、GSX-R/4も面白いコンセプトカーだけど、市販が前提じゃなかったからねぇ。アルトと同じ重さで、隼のエンジンとか、絶対楽しいよね🤣
@@IzumizukiPinky その可能性もあるかもだけど、多分一番の要因は「バブル崩壊」だと思う。
日産のMID4は市販化されるのが目前だったから、自分が乗らずとも見てみたい車ではあったなヵ後にホンダのNSXが出たときに「MID4とよく似てんな」と思ったもんだよ
16:10 ヘンリ・トイボネンですね。マシンはランチアデルタS4。
童夢零は当時ラジコン持ってたー!お気に入りの一台でタイレル6(ティレル)と飾ってた。
これ見ると、金持ち従兄弟の17000円の童夢零のラジコンが羨ましかった。自分は走りっぱなしの左回りしか出来ない ル・マン24のポルシェ の 3800円!!!!
でも、とうちゃんありがとうW
その片側にしか回れないやつの童夢零のを買ってもらいました。まま、ありがとう
ミツオカもメーカー申請に行ったら「はぁ?」って言われてあしらわれたって言ってたもんな
制度としてあるのに審査もしないし受け付けないって法治国家として本当にどうなんだよ
天下り先を確保しておきたい官僚が作った「岩盤規制」。
酷い話ですね。モノづくり大国のはずなのに・・・
光岡は車体メーカーで日産からS13シルビアのエンジンを含む下回りを購入して上周りと内装を乗せて売ってました。
当時の社長は「本当は下周りも作って売りたいのだが、認可が取れない」と言ってました。
私はS13のオーナーだったので「錆びたら光岡に車体乗せてもらおう」と思ってました。
同様の事を軽トラキャンピングカーの作成者が車検場で言われて
弁護士出動まで行ったとか。
日本のお役所は前例主義。考えるってことはしない。それだったらお役所に人員はいらない。
日本凋落の諸悪の根源はお役所。メーカー自主規制ってことにして馬力規制させたり、碌なことはしていない。
ホント、ミッド4は
販売して欲しかった。
中学生の頃プラモ作って発売を
楽しみに待ってたのになぁ・・
日産に入ってミッド4を買ってやる‼️
ってくらい憧れたんだが
「カウンタック等のタイプはシザーズドアでガルウィングドアではない」というのはその通りなのですが、70年代末のスーパーカーブームの頃は一律にガルウィングと紹介されていましたから、オッサン的にはある程度仕方がないことだと大目に見て頂ければと思ったりします。
私はどっちでもいいと思います
MID4はフジミ模型からプラモデルも出てたなぁ
ちなみにですが、カウンタックはガルウィングじゃないですよ。
大昔のベンツ300SLとか石原軍団ドラマのゴリラに出てきたスタリオンのように開くドアをガルウィングと言います。
ランボルギーニのはシザードアと言います。
「ガル・ウイング」は「かもめの翼」ですよね!
「シザー・ドア」は「鋏(ハサミ)の扉」
なるほど!開く形態が違いますからね。勉強になりました。
MID4と童夢を初めて見たときは、とうとう日本車で
スーパーカーができたと、わくわくしたことを覚えてます❗
RX500は、広島のヌマジ交通ミュージアムというところで展示されてるようです
童夢ゼロ、市販こそされなかったけど、これのラジコンカーはけっこう販売されてましたね。
小学校低学年のころ、私も買ってもらえましたけど、クラスでもラジコン童夢ゼロ持ってる人は5人くらいいました。
もう別次元のカッコよさで、壊れてもしばらく部屋に飾っていました。
実走できたコンセプトカーで好きだったのは三菱のHSRシリーズだな、4WDターボ4WSにALBのオールホイールコントロール思想から始まって代を重ねる毎に電子制御サスやトルクベクタリングやコンピュータによる自動運転などが増えていく電子制御の三菱らしさが満載のコンセプトモデルだった
子供のころ、RX500のミニカーと童夢零のラジコンを持ってた。どっちもめちゃめちゃお気に入りだった。懐かしい。。
量産される事なく試作機で開発が終了したズゴックやゴックの派生型が好きだった。
同じく量産される事なく終わってしまった車にも魅力を感じてしまう。
不完全なモノって男のロマンなんだよきっと!
量産機は妥協の産物だからね。試作機は技術者の思いがストレートに実現されている。それを使いこなせる搭乗者は凄いとなる。
童夢に関しては日本やアメリカで認可とるよりヨーロッパで実績作った方が確実だったかもしれないですね。
ヨーロッパなら国によってはワンオフや年間に何台作れるのみたいな手作りに近い車でも市販されてるしヨーロッパで実用されたら日本で輸入車として認可取るのも少しは楽だろうし。
ワコールのジオットキャスピタも結局発売出来なかったな。
MlD4Ⅱは、以前札幌市にあった日産展示場にあったが、本当に触れる位の近さで見学出来たな。
スポイラーやボディに飛び石等の傷があり試作車兼テスト車と言う事が良く分かりました。
この車が後の32ZやR32GT-Rの開発に寄与したんだから、無駄ではなかったですね。
当時、実際にMID4はⅠもⅡもベストカー誌で徳大寺氏が試乗レポートをしてましたね
MID4以外にミッドシップレイアウトの車が日産に無いのはなんでかな?
童夢零はラジコンカーが発売されてたなー。確か日本初のスーパーカーとか聞いた。子供の頃の記憶だから間違ってるかもしれないけど。
童夢零はずっとグランツーリスモに収録されているね
30:10齢50のワシは当時小学校に入学したばかり、年末のクリスマスにプレゼントとして親戚の叔父さんがやっていた模型店で発売直後の童夢零のラジコンカーを貰ったな…色んな処で走らせたけど高校入学前にモーターに砂が入って動かなくなるまで9年遊べたのを今も覚えとるわ。
800万円でNSXが出たときはホンダの本気を感じた、それにアルミボディーで専用工場までつくっている。その後リフレッシュプランまで後々の事まで考えている。
小学生か中学生の頃 家の4軒ほど隣の工場で童夢零を造っていたのを思い出した!
近所に林レーシングってカーショップがあって そこのスタッフが作っていたと思う 当時スーパーカー小僧だったので童夢零のボディーの型が外に出してあるのを見た時のドキドキした気持ちは、今も覚えてる!
貴重な経験をされてますね
小中の頃に近くの工場でガルウィングのスーパーカーの開発がされていたなんて
何と羨ましい!
運輸省の許可が降りなかったってのは納得行かないなぁ…
理由が理不尽に思えてどうしても癒着や利権を疑ってしまうよ…
@@竹さん-h6l あれは試作レベルのクルマでしょう。コーチビルダーとして市販車をベースに数台だけ製作するならともかく、量産となると安全性や生産効率も考える必要があるが、そういうレベルには見えない。日本だけでなくアメリカでも認可が下りていないのだから、そういうことでしょう。資金を集めてレーシングカーを製作できたのなら御の字。
懐かしい!あの頃のスタイリングはやはりときめくね。三栄の「カースタイリング」は定期購読してたよ。
童夢ー零は当時、トミカのミニカー持ってて、一番のお気に入りだった。行方不明になったが、あれは捨てたくなかったなあ。
オートバックスのガライヤぜひ紹介して欲しいです
もしかしたらガライアかも知れない‼️
日産のSR20エンジン搭載MRでフルオーダーメイド
東雲スーパーオートバックスで展示よ約束受付したが販売断念
不運な車
ガライヤですね。カウンタックのようなシザースドアで、窓は開閉しないはめ込み式じゃなかったっけ。
MID4のプラモ作ったわぁ懐かしす
当時のプラモはフジミが700円タミヤが1200円くらいだったのになぁ…なんだよ今の価格…
RX500のエンジンを掛けるRUclips動画あったなぁ
次は何時にエンジンを掛けますっていうロータリーサウンドだけを聞かせるというマニアックな見せ方
童夢零はミニカーとかおもちゃいっぱい出てたもんなぁ
ミニカー持ってた気がするわぁ気のせいかもしれんけど持ってた気がするわぁ
MID4は各技術を他の車に転用していましたが、ミッドシップレイアウトも何らかの車に受け継いでほしかったと思う次第でした
テールヘビーな朴李トヨタの[MR-2が](嗤
世田谷口から、三京乗ると、多摩川に架かる橋の上[ポルシェコーナーで刺さる]MR-2(嗤
童夢零はドア側の茶筒みたいなシフトレバーとか結構とんでもない内装で、夢いっぱいで市販化は無理っぽかったけどステアリングとホイールだけは市販化に成功してましたね😅
あれ、今でもほしいなぁ。
ホイールも市販化されたと思います。
トミカが出してたミニカーの中ではほぼ唯一のガルウイングの奴だったよね
この頃の日産は元気が有りましたね。冒頭でサニーの話をしてましたが、トラッドサニーと言うキャッチコピーでボクシーでかっこ良かったですね、運転も楽だったし、少し後で登場するプリメーラは秀逸でした。MID4は残念だったけど本当に夢の有るクルマでした。当時市販しないのが不思議でしたリアルスポーツとかで売り出したら、アメリカで売れた様な気がします。Zがダントツ人気でしたがフェラーリよりも信頼性は有ったのではと思いました🙇
童夢零は市販されなかったけど、童夢零のラジコンは市販されましたね。小学生の頃、親にねだってクリスマスプレゼントに買ってもらったことを覚えています。
いすゞMX1600も市販化寸前で頓挫しましたよね。残念!!
こちらはダイヤペットで製品化された事がありましたからね。それだけに市販に高い期待が寄せられていたんだと思います。
運輸省の役人の石頭ぶりは様々な車の開発ストーリーに出てきますね。自動車メーカーの数がどうとか当時ですら時代錯誤。天下り先を用意できる大企業以外相手にしたくないんでしょう…。
運輸省、というか政府的には天下り云々以前にメーカーが増えるのは嫌なんでしょう。あまりにもメーカーが多いと各会社の売り上げが下がって、規模が小さなメーカーばかりになってしまう。すると、大手の外国メーカーに全部食われてしまいます。だから小さな芽は摘み取って、残った会社を世界で通用するレベルに育てたんだと思います。
つい最近まで280の馬力規制というアホな規約が罷り通っていたし。
当時の日本のメーカーは、国際的には弱小だったし、ヨーロッパのメーカーがアメのメーカーに食い荒らされてる様も見てましたからね。
今とは状況が全く異なっていた事を理解していなければ、正当な評価は下せませんね。
2人乗り、オープンカー、ドアミラーもなかなか首を縦に振らなかった。輸入車はOKだったのに。
@@Railton-bb 国内メーカーの統廃合さえ実行されそうになったからね。ホンダとマツダも対象になり、その打開策がF1挑戦とロータリーエンジン。
ミッドシップの慣性モーメントと自転車のタイヤより高い位置で20kgでは例え話として別の作用が強すぎます。重心が高い位置で積み荷が重ければ危ないという話
童夢零は1/1スケール以外は大量に売れた…って事だな。
確かに各社が競うようにラジコン、子供用玩具、プラモデル、スーパーカー消しゴム等々、カウンタックより人気があったかも?
もちろん下敷きやら筆箱などの文具もあった。
童夢は1/1以外の零のヒットでルマン参戦資金も得られたから結果オーライか。
ルマンに出た零RLもDFVエンジンやフレームがちゃんと再現された精密なプラモデルも売られていた。もちろん買った。
今でもミニカーなら新製品がちょくちょく出てくるくらい人気は続いている。
というか、この動画を見たていたら またプラモデルを作りたくなってきた。
Fujimiのホームページではカタログ落ちしていないし、そろそろ再版を期待したい。
童夢ゼロ のラジコン持ってた〜😅
小学生の頃😅
スーパーカーTVでも登場してサーキット走ってたような。
童夢ラジコンのテレビコマーシャルもあったよね?
マツダRX500と童夢零は、その昔、トミカになっていたと記憶。
RX500のトミカをブーブーと前後に動かしながら、「こんなにかっちょいい車、どこにも走ってないよなあ」と不思議でしたw
❤😅
童夢零は時々京都高尾パークウェイに持ち込んで走らしているよ🚗
童夢零は中古車販売店のイベントで実車が展示されているのを見ました。
@@130theater
花背に本社ある時に入れて貰いました。その時、
童夢、零、置いてありました。
自分も黄色いヤツ持ってて従兄弟が欲しがってせがんできましたが貸しませんでしたね‼️(笑)
いすゞベレット1600MXも、この列に加えて欲しい。
MID4の開発をしていた技術者のご令嬢と一緒に仕事をしていた事があります。
童夢-零が登場したのはとても嬉しいけど、せっかくなのでジオット・キャスピタも紹介して欲しかったな。
童夢の画像で脇にチラッと写ってるしwww
それから実現していれば日本初のミッドシップ市販車になる筈だった、いすゞベレットMX1600、まるでアバルト?と言いたくなるようなスタイリングが素晴らしかった、スズキR/S1も忘れないであげて♡
あ、クイズの答えはヤマハOX-99ですね。
こちらもジオットと同じくバブル景気崩壊で計画が頓挫した悲運の車です。
由良拓也さんのデザインが魅力的なスポーツカーだったんだけどな💦
19:44 RX500はご覧の通り固定ライトです。
銀色はリペイント補修後で補修前の黄色(オレンジ)はリトラクタブルで当時のミニカーは黄色で販売されてました。
@@sannjouzubatto6805 うおお!ホンマやん!
リサーチ不足でした。申し訳ない。
@@IzumizukiPinky うわーん!それも知らんかっとってん
近い時期に販売された初代NSXが7000台以上も売れたのでMID4も市販化して欲しかったですね
トヨタのgtoneとか日産のr390とか
ナンバー付き台造らないとレースに出れないから売る気は全く無いけど仕立てた公道モデルなんてのも
トヨタ222Dは、以前トヨタ博物館に行った時に飾ってありました。黒い個体です。
コメント全部読みました。楽しかったです。
童夢といえばX-021が市販されていればマジで欲しかった
222Dは以前はお台場メガウェブに有りましたが閉鎖に伴い移動しましたね。
運良くリアカバー開けているのを見たことがありますがMR-2と全然別物でしたね
日本にある白いのはエンジン縦置きの後期型だから、尚更別物感マシマシですね。トヨタは本気で200台市販するつもりで、パーツの手配も始めてたらしい。
童夢零のラジコン持ってたわ~ 🤣
MID4はよろしくメカドックの終盤にNEOって名前で似たようなデザインで登場してました。
同じ次原隆二作の「特別交通機動隊スーパーパトロール」でもブラックMID4という悪の組織が遠隔操作するマシンが出ていましたね。
初代NSXとDC2インテグラのスーパーチャージャー搭載車が発売される予定だった。
Vtecとスーパーチャージャーの組み合わせは相性が良く、誰が乗っても良い車になっていた。
当時の川元社長が「だせ!だせ!」と乗り気だったものの、
販売計画は白紙になった。
あと、マクラーレンf1にはホンダF1エンジンを載せたいとゴードンマーレイからホンダに打診があったが、ホンダは断った。
もしかしたらマクラーレンF1ホンダが誕生していたかもしれない。
トムス・エンジェルってあったね。
確かフロントガラスはランチア・ストラトスのを使ったとか。
今考えるとロータス・エリーゼとコンセプトは一緒だから近いクルマを購入するのは可能だね。
童夢零
子供の頃、スーパーカー消しゴムで持ってました
いつか道を走ってるの見たかったなぁー
って子供心に思ってました
市販されて道を走って無いと知った時の悲しみが。。。orz
童夢→運輸省からメーカーとして認められない、光岡→メーカーとして認められる…なぜなのか?と思ってしまいますね…時代の違いはあるでしょうけど…
ドームは技術に自信ががあったのではないでしょうか?
ミツオカは 単なる板金屋
@@ユウイワサキ さん
私も同感です。童夢はもっと評価されて欲しいです…
個人的見解です。昔は三輪も含め余多有った、東急くろがね、オオタ、ホープ、岡村、富士、プリンス、ヤンマー等々、合併や萎んだのもある、そうなっていく、そう成る運命だったのか?まぁ減った・減らされた?で今の状態、今後、減る事はあっても増やす事は無しでしょう、
童夢は自動車製造業、光岡は技術力の高い自動車架装・鈑金加工業者(誰かも言ってる)でしょう、支障も無いし認めたって所でしょうね。
@@Quensax ひとえに時代の違いでしょう。零の時代はZすら2dy2以外は認可されていない。暴走族やオイルショックが重なって、スポーツカー=悪という風潮が最高潮にあったんです。下手すれば、役所は「スポーツカーなんて全部なくなってしまえ」と本気で思っていたかもしれない。多分5年後だったら童夢も認可されていたはずです。
役人に小遣いやらんかったからだろ
MID4Ⅱはステアリングとかメーター周りとかのデザインに後のZ32やR32とのつながりを感じますね😄 出てほしかったけど2000万じゃバブル期でもきびしかったかなぁ😰
MID4ⅡのインテリアはS13シルビアの没案を流用したものだということが公表されています。
「シルビアのすべて」に載っている没案のインテリアスケッチを見ると、ほぼMID4Ⅱということがよくわかります。
日産MiAT4とトヨタ22DDとマツダRX500と童夢零ですね。市販出来なかったですよね。でも今後の開発に生かされて良かったです。
私にとっての和製スーパーカーは童夢-零かな
当時は子供ながらに日本でも遂にスーパーカーが出来たと
心躍った物ですが、残念ながら市販化には結びつきませんでしたね
玩具で登場した位だったかな・・・
MID4 を市販化していたら、日産には違う未来があったろうにな。
MAZDA もそうだけど。
Honda の前にスーパーカーを持ってる日本メーカーがあっても良かった。
童夢零はスーパーカーブームの後期にテレビで「日本の初めてのスーパーカー!」ってキャッチコピーで紹介されていた思い出。
童夢零は当時ラジコンあったな🤔
トヨタ222Dは今ならMR2復活のためのヒントがあるんじゃないかな!
ヤマハOX99だったな
そういやox99もこの動画のネタに入るんじゃないかね?
以前行ったヤマハコミュニケーションプラザに展示されてたな。トヨタ2000GTと並んでたわ。
MID−4 欲しかったよ
かなり頑張って金貯めてた思い出w
希少な動画ありがとう御座います
680万って言われて、 買い替えないでお金を貯めてたのに
童夢ゼロ懐かしいですねー😂
子供の頃ラジコン買ってもらったの思い出しました。
「わかる人にわかってもらえればいい」って技術屋の集まりでは「万人にわかりやすい車を作る」って商売人には勝てなかったんだなぁ。
商売人も技術がなければ売れない。
トヨタは求められる商品力のある車と、水素エンジンも作れる技術も両方兼ね備えていて、他のメーカーの全てを上回っていたから勝てた。
日産の人は技術じゃあうちが一番なんて思ってたのだろうけども、買う側の「判る人」が見たら、そうじゃあなかったってことなんすよ
RX500。トミカのミニカー持ってるよ
まだ小学生の頃、童夢零とP-2を鈴鹿サーキットの屋外展示で見たことがありました。
零とP-2とでは開けたライト周りの意匠が異なるんですよね。
いやー懐かしい。
ライトの高さ規制を満足させるためで、零はP2よりもノーズが低かったのです。P2はアメリカのバンパーの規制に合わせるためにノーズを少し上げました。
ガライヤの悲劇も取り上げてほしい
RX-500を、マツダの販売店に見に行った。期待していたけど、フェラリやランボルギーニの方がカッコよかった。スーパーカーブームの頃、日本車は頑張ってた。
童夢-零はトミカにもあったしな
日産MiD4とマツダRX500とトヨタ222Dと童夢零ですね。市販化されなかったけどいい車です。
MID4は富士スピードウェイで、実走行している実車を見ました。その時は発売されると思っていました。
開発段階の車なら、NS-Xの開発中のCR-Xのミッドシップが今なお気になります。
ありましたねミッドシップ検証に作った車輛が、三代目CR-Xの時期とも被ってたので、
販売されるのでは?と、噂まででてましたね。
初代CITYにもミッドシップがありましたね。
MID4は市販化して欲しかったですね
しかし予想価格が2000万は高過ぎましたね
後に発売されたHONDA初代NSXが約800万でしたし
近年販売された2代目NSXの価格に近いのですから…
RX500を当時のカー雑誌で見た時は衝撃を受けました
今ではゲームではありますが
GTS、GT7で運転出来る楽しみがあります
実は後部のデザインを見たのはこのゲームが初めてでした
たった一人のユーザーにだけ販売されたTVRのスピード12とかも解説して欲しいデス
MID4は当時雑誌社の試乗会が行われる程、完成に近かったと聞いていたので、当時の日産にインフィニティがあればという車ですね。童夢零はスーパーカーブーム真っ只中に急に和製スーパーカーとして発売を期待されたモデルで当時グッズが一杯出ており、自分も下敷きを持っていたの思い出します。1つ解説で残念なのはガルウイングの話でカウンタックが出ていましたが、正確にはカウンタックはガルウイングでは無くシザーズドアで、ガルウイングは1954年2月ベンツ300SLが始祖ですね。
他メーカーにも幻に終わったモデルはあるので第二弾をお願いします。
とうのインフィニティもemerg-Eと言うMRのEVスーパーカーをプロトタイプまで作っていたのに市販化していないしなんとも言えないわね
童夢零懐かしいランチャストラトスやカウンタックに似ててこれもラリーで活躍するのかと期待してた
新車を作る苦労が分かり易く教えて頂き、勉強になりました。感謝。
童夢零は何台か作られたものを当時の童夢本社にあった童夢ミュージアムで見ました。私のチャンネルに動画があります。
童夢本社は滋賀県米原市の奥から、米原駅南にあります。鉄道総研研究所(ここの風洞実験設備は童夢の協力で作られました)の北側です。
カーボン事業を東レに売って小さくなりましたが、国道8号線の横にある本社、そこに以前のレースカーを外から見ることができます。
童夢零も見られるかもしれません。
MID-4は、当時の自動車雑誌で市販化の噂が絶えませんでした。
童夢零は幻の国産スーパーカーとして有名でした。
日産も1台位ミッドシップ出して欲しかった
YamahaのOX99も市販化期待したけど出なかったな
RX500のミニカーを持っていた
ホンダがNSXを発表した時「MID4じゃん」と思ったっけ。
同じくw
シルバーのMID4-2方は特に似てるよね。これもあってZ33のデザインに繋がったのか。
ミラーは今のBMWスポーツオプションに近いね。先進的だったんだなぁ。
童夢零はワクワクしたなぁ😍
スーパーカーに憧れた少年時代。
大人になってわかる事。
スーパーカーはお値段もスーパーなのだ。
大人になったら、スーパーに乗って行く車にも困る始末…
@@はらひろし-q1o 確かにそうですね。笑いをありがとう。
童夢零のラジコンカーがあったことを思い出しました!
当時、京都にプロジェクトの会社があり、チーフデザイナーが由良卓也氏だった記憶があります。
スタイリングはチーフデザイナーは童夢の創立者の林ミノルさんです。
17:34これ大好きだわ、クラシックカーなんだけど近未来的でカッコいい。
櫻井眞一郎氏とMID4だけで1話作れますよ!究極のスポーツカーいやー懐かしい❤
しかし日産って会社はプリンス系譜のロマンを吸収した日産ダットラ系譜のお堅いコスト意識が頭ごなしに押さえつける歴史を繰り返してるね。
RX500素晴らしい! 駆動スペックはデミオ並みでいいからこのデザイン系で安く出したら売れると思うんだが
222Dか3S積んだAWのジムカーナも速いからあれをエンジニアがガチで仕上げてたとするとどれほどになったのだろう
そう言えば、縦置きミッドシップの4WDってありませんね。いや、あったぞ、ホンダアクティ、日本が誇る軽トラだー!
日本には4気筒スーパーチャージャーリアエンジン4WD、4輪独立懸架式サスペンション、3速AT搭載のマシンもありますよ。
スバルサンバーです(*^-^*)
この車は高回転時のエンジン音も良く、ATの変速スピードも早かったので走りも気持ちよかったですね!
ランボルギーニのディアブロが縦置きミッド4WDだった気がする。
アクティーはトラックもバンも横置ですよ。縦置きだったのはZとバモス/ホビオの4WDモデルですね
マツダRX500と同じ時期、いすゞにベレット1600MXというミッドシップのコンセプトカーがあった。当時「夢の車」と呼ばれた。
RX-500はとても日本車に見えないな
この4車で唯一知らなかったのは222D。
RX-500は???って感じでしたが画像見たら「あー、こんなの有ったわ」って思い出した。
MID-4はバブル期末期辺り富士スピードウェイで開催されたレースの先導車で走ってた記憶が今でも残ってる。
童夢-零は・・・申し訳ない、知ってはいたがなんというか・・・敢えて言おう!一発屋。
トヨタ222D以外の3車はトミカでも製品化されていましたからね。
TRDのアレとオートバックスのアレはないのか
零は今見てもカッコイイな。
日産MID4、童夢零は実車販売はしなかったけど・・・模型化や玩具化(ミニカーとかラジコン)は
しましたね。
童夢零は林みのる氏の自伝に製作の顛末が詳しく語られています。最初はそんな大袈裟なプロジェクトではなくて、やってる間に段々話が大きくなったという事でした。市販化計画も周りが盛り上がって進んだ部分が大きく、林氏自身は「市販して売れればレーシングカー作る資金の余裕が出来るかな」くらいだった様ですね。当時スーパーカーブームが辛うじて続いてて、玩具化の版権料がかなり入って来て市販プロジェクト進める資金になった様です。
搭載エンジンが日産のL型直6なのは、当時解体屋で手頃な値段で手に入る最もパワフルなエンジンだったからだとか。
童夢は零とp-2があったよ😮
222D、開発段階ではニュルブルクリンクでグループBセリカの方が速かったらしいです。
確かホワイトが国内、ブラックはヨーロッパ。
今の豊田は嫌いですが・・・
この頃は他メーカーと切磋琢磨してTTEは歴史の有るチームで好きでした。
222Dがラリーフィールドでの活躍を思うとロマンですね。
ガルウィング?ランボルギーニはシザースドアとCS放送で言ってたが?
市販して欲しかったクルマで、個人的1位は「ダイハツ・X-021」かな。
FR、フロントミッド、車重700kg
エンジンは1,600cc、140PSだから特筆するものでもないけど、5kg/psはすごいスペックだった。
GSX-R/4かな…アレは日本のケーターハムになれたと思っている。
@@岩本直行-b9h
確かに、GSX-R/4も面白いコンセプトカーだけど、市販が前提じゃなかったからねぇ。
アルトと同じ重さで、隼のエンジンとか、絶対楽しいよね🤣
@@IzumizukiPinky
その可能性もあるかもだけど、多分一番の要因は「バブル崩壊」だと思う。
日産のMID4は市販化されるのが目前だったから、自分が乗らずとも見てみたい車ではあったなヵ
後にホンダのNSXが出たときに「MID4とよく似てんな」と思ったもんだよ
16:10 ヘンリ・トイボネンですね。
マシンはランチアデルタS4。
童夢零は当時ラジコン持ってたー!お気に入りの一台でタイレル6(ティレル)と飾ってた。