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出雲王国から銅鐸信仰と共に伝わったクナトノ大神は、別名を日本各地でサイノカミと呼ばれる竜蛇神信仰ですね。クナト三神はクナトノ大神、幸姫サビメ命、その御子サルタヒコ大神。出雲の大国主や少名彦たちが元々信仰していた始祖の土地神だと思います。遡ると今から約4000年前の縄文末期のB.C2000年ごろに中部インドのクナ国からシベリア経由で渡来した大国主の祖先のクナト王達が信仰していた神様のようで、神奈備山も蛇(竜神)がトグロ状に巻いた姿に似た円錐形の先の尖った山の意味ですね。『記紀』に登場するイザナギ尊の禊祓いで最初に登場する杖の神、久那土神は、その故事をヒントにして引用したものの様です。出雲旧家に伝わる伝承をまとめた富家本と呼ばれる大元出版の最新刊富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」の本にも分かりやすく記載されているので、面白いです。だんだん認知度が上がってきている様なので、今後に期待が出来そうです。丹波、丹後国は出雲の人達(B.C.219~220年に渡来した徐福の末裔の五十猛大年彦命、海香久山命ら皇室に繋がるいわゆる天孫族と呼ばれる海部氏)が移住した国の様なので、元伊勢籠神社や奥宮真名井神社についてもご紹介を是非お願いしたいです。
長文のコメントありがとうございます◎大元出版さんの本は僕もいくつか愛読させていただいています(^ ^)丹波におけるクナト神については富家伝承を裏付ける興味深い場所がいくつもありますので、いずれ紹介いたします◎丹後地域は富家伝承や丹後残欠風土記の通り、ホアカリ一族を祀る神社がいくつもあり、大名持とホアカリのやりとりを由緒にする地名や、それに豊受大神も加わって神話好きにはたまらない地域だと思いますが、一般の認知度でいうとかなり低いです(^_^;)籠神社や真名井神社に伝わる口伝についてはかつて海部氏自身が著した本(第15回の動画で少し紹介したと思います)がありますので、それを元に僕の考えをお話ししたいと思っています◎
とても分かりやすい説明で、ストンと腑に落ちます。探していた神様に出逢えたようで、震えました。コメント欄も情報が一杯で、勉強になります。登録しました。他の動画も拝見させていただきます。ありがとうございました。💖
初めまして、コメント有難うございます◎僕の説明で分かりやすいですか(^_^;)無茶な説明も多いと思いますが、上達できるように頑張ります◎色々間違えると思いますがお気付きのことはどんどんご指摘下さい(^ ^)
私は岩手県の人間なのですが、この間ハイキングにいったところにクナト神社がありました。久那斗という文字がつかわれていて、古い出雲の神様だったのですね、それと田中英道さんによると縄文時代にイスラエルから日本にやってきていて、神伝承につながったのではないか、という説を述べてました。日本にはまだまだ不思議で解明されていない歴史、謎が数多くあるようですね、グローバリストに歴史、文化、伝承を消されないように私達日本人が守っていかなければならないと思います。
びっくりしました。綺麗な形の神奈備山ですね。
ありがとうございます、僕もビックリしたんです^_^
素晴らしい動画ですね。幸の神3神で名前が残るのはサルタ彦大神だけだと思ってました。そのままの名前で祀られているとはびっくりです。クナト大神も佐比売大神も名前を変えられてしまってるので、とても貴重だと思います。勉強になりました。
コメント有難う御座います。他府県の場合は詳しくないのですが、丹波地域ではクナト神を祀る興味深い神社が少なくありませんので、近いうちに動画を作りたいと思っております(^^)また機会があれば丹波エリアにお越しいただけると嬉しいです◎
1ヶ月前に丹波、丹後エリアを旅行したんですよ。景色も綺麗で素晴らしいところですね。もう少し早くこのチャンネルを発見してたら今回の神社も参拝できたのになと思いました。丹波地方にはまた遊びに行きます。
東北地方にも同様の山が沢山あります。仙台市の一番古い西多賀神社はピラミッド型の太白山に向かい、しかも夏至の太陽が太白山に沈む時のライン上にあり、夏至の太陽が多賀神社の鳥居の⛩真ん中に沈みます。神奈備山は円錐形が多く季節を知らせるランドマークのようです。太白山の旧名はウトガ森です。参考にして下さい。
ひこ様、横からコメント失礼します。岩手県一関市舞川という地に烏兎ヶ森(うどがもり)とよばれる、ピラミッド型のきれいな山があります。記して頂いた太白山の旧名と似ているなと思いました。その舞川の地では、舞草刀という蝦夷の蕨手刀が作られていたとか。
コメント有難う御座います。東北地方は一番じっくりと旅したいなと思っている地域です^_^おっしゃるとおり神奈備山は季節や信仰の目印ですね。僕の家の裏山もきれいな神奈備山で、夏至の頃、東から見ると夕陽が山頂に沈み、そのライン上に三つの神社が並んでいます。山の名前は「上ノ山」ですが本来は「神ノ山」だったんだと思います。小さな山でも、古代史の鍵を握っている山は多いと思います。またお気付きのことがあればまた教えて下さい^_^
すごく勉強になりました。
嬉しいお言葉、ありがとう御座います😊また特別編をしようかなと考えておりますので是非チャンネル登録しておいて下さい笑
はじめまして!主さんもコメント欄のみなさんもとても詳しい方達ばかりで登録させていただきました。返信もきちんとされていて凄いですね✨私も思うがまま勝手に回り回っていたところ出雲の神様に辿り着いていることがわかりました🐉✨他の動画も見させてもらいます。
有難うございます。出雲族をはじめとする国津神は日本のどこにいても出会えるので有難いですよね◎僕も皆様からのローカルな情報に勉強させられています(^ ^)
木と風の音がして良いですね。今度のお祭りには行ってみようかな。
ぜひぜひ!オススメの神社です^_^☆
初めて拝見しましたが、分かりやすくてフェアなご説明で、感心してしまいました。私も出雲旧家の口伝については大元出版の書籍を通して知り、とても関心を持っておりますが、形跡が上書きされがちなのか、なかなかクナト神などサイノカミ信仰やらカンナビ山やらの実例に身近では遭遇しません。今回の例は後の八幡ブームに合わさって埋もれかけたのだろうという点含めて腹に落ちましたし、御神木の奥に三輪山のようなきれいな形の山が見える映像を示していただいてドキッとしました。歴史の表舞台だった丹波丹後の情報発信をこれからも楽しみにしてます。
嬉しいお言葉ありがとうございます!無茶苦茶な説明をしていることも多々あると思いますが、また色々ご指摘いただけるとありがたいです◎僕もそうです、大元出版の斎木雲州さんや谷戸貞彦さんの本をよく読みました。僕の周りではクナト神や幸の神は時々見かけます。ただ今回のような八街彦と八街姫(猿田彦とサイ姫)がセットの例に気付いたのは初めてでした。そして明らかなカンナビまであると、富家伝承はやはり捨て置けないと確信しました(^ ^)他にも興味深い場所でクナト神を祀る神社がありますので、またご紹介いたします。またいつか丹波の神様にじっくり会いに来ていただけると嬉しいです(^ ^)
出雲族始祖神、国常立(クナト)大神。出芽→出雲クナト=フナト神。先住出雲族酋長の故・富當雄(初代:斎木雲州)さん「出雲と大和のあけぼの」引用神門氏系譜抜粋に斎木雲州本に出て来る神門氏の一族の末子、島津国造家と日本書紀の斯摩宿禰擦り合わせで島谷氏口伝の「親は島氏」を系譜で結び付けました。国常立→八島篠→布葉之文字巧為→八束水臣津野→赤衾伊努意保須美比古佐倭気→八千矛(大国主)→阿遅須枳高日子↓鹽冶毘古能→速甕之多気佐波夜遅奴美→甕主彦→身櫓浪→遠津山崎帯→出雲(神門)振禰=倭健→伊賀曽熊↓島津(志摩)国造家の島(直)氏=斯摩宿禰(斎木雲州本の武内宿禰とは斯摩宿禰の事)↓丹後国二宮社家嶋谷家と熊野(志摩)水軍の嶋衆→播磨国松浦氏武家島谷氏。日本書紀研究者は斯摩宿禰と武内宿禰は同一人物としており日本旧事本記では千熊長彦ともされています。(埼玉県の南関東国造家の島族は、この島津(志摩)国造家の島氏子筋を自称し又、埼玉苗字辞典サイトのシ行の島氏には「斯摩、志摩、司馬は、島と記す。」としており良ーく読み解くと・・武内宿禰の裔、蘇我馬子は、蘇我馬子(司馬宿禰)=島大臣と名乗っていたからみたいですね。因みに、京丹後国の元の社家は蘇我社家で南北朝時代今伊勢と戦い負け、佐渡島送りで滅亡して居ます。)また、家の島谷氏は古代氏族で名家で富裕層には知られており名家の謂れを調べて居たら、松浦党武家ですが血縁は無くルーツは播磨国と社家が居て社家は京丹後国の氏族で南北朝~戦国時代に無人あばら屋化した京丹後を江戸時代初期に徳川家譜代で大阪城城代の阿部の一族が復古神道により京丹後国最古の一族を京丹後2代の殿様、京極高広公に依頼し探し出したのが鍛冶屋太兵衛で鍛冶屋太兵衛が宮津の分宮神社(現・和貴宮神社)に任官の際、氏姓を古代に分かたれた播磨国の島谷氏を名乗りたいとし従六位嶋谷出雲守と名乗ったと宮津・和貴宮神社のサイトで紹介の経緯の詳しい人にネット掲示板で聞きました。丹後国風土記にある、出雲国譲り前哨戦にあたる、出雲国盗り合戦で大国主として戦った一族が島谷氏だそうです。大国主と新羅王子の天日槍が戦い、丹後国を取られ、島谷氏は播磨国を死守し鍛冶屋太兵衛の嶋谷家が京丹後国を守って来たと言う事です。なので、京丹後国には嶋谷神主、宮司、祠掌だらけなんだそうです。(嶋谷神主らの神社の祭神には必ず、クナト大神や豊受大神が祭られています。豊受大神もクナト大神としてる様です)斎木雲州本出版の大元出版って、大本教絡みっぽいですね・・ネーミングがwこちらの動画の第9回の大宮売神社の宮司さんが嶋谷さんでしょうかね?
非常に濃厚なコメントを頂き有難うございます。しかし僕の知識不足のために理解できない部分がいくつもあります(^_^;)まず冒頭の初代斎木雲州=富当雄さんというのも知りませんでした。では「出雲と大和のあけぼの」と「出雲と蘇我王国」の著者は親子ということなのでしょうか?丹後旧家については表に裏に何かと小耳にはさみますが、僕はまだ直接コンタクトを取れていません。直接お話を伺いたいところがいくつかあり、来年春頃からの取材を計画しているのですが、それにあたり僕もしっかりとした準備をいたいと考えています。もしよろしければ僕のインスタグラムにDMくださいませんか?文化財トラベラーで検索すればすぐ出るはずです。コメントで頂いた内容でお聞きしたいことがあり、逆に何かお力になれることもあるかもしれません(^_^;)差し支えなければで結構です◎あ、それと大本教については同感ですww
宮津と伊勢(松阪)の混血者としては、とても興味深く、登録させて頂き、拝聴したいと思います。10年近く前に、海部権宮司からお話頂いた時に、丹後、丹波のお話を特に留意されていらっしゃったのを思い出しました。今後も楽しみにさせて頂きます!
コメント有難うございます◎宮津と伊勢!ゴージャスな血筋!僕の家系のルーツは北陸なので、丹波ルーツの方が羨ましくなる時もあります(^_^;)動画は下手で雑な説明ですが、少しでも多くの方に丹波の面白みをシェアできればと思っています。有難うございます◎
@@nakabunken そこに自身を埋め居る事が大切です。生まれの私よりも、良く学ばれている方に、学びたいと思います。これから、宜しくお願いします。
曖昧にされちゃってるけど、自分のルーツ 知りたいよねぇ~(^^)
出雲大神宮の五柱目の隠れた神様がクナトの神と神主さんからお聞きしましたね。
そうなんですか!それは初めて聞きました!教えていただき有難うございますm(__)mまだまだ勉強中につき、お気付きのことがあればぜひご指摘ください◎
⛩ 2021 今年もよろしくお願いします 🇯🇵 素朴な神社さんですね、御神体が山。 大神神社を例としてその様な神社がある事を最近知りました。 クナト神 初耳です、なぜ 隠れ神になる必要があったのですか?
胡蝶てふてふ隊員!こちらこそ今年もヨロシクです(^ ^)!三輪山は神奈備の代表ですね。縄文遺跡が多い関東などでは至る所に自然崇拝(アニミズム)が残っていると思います。隠れ祭神とは僕が勝手に使っている言葉ですが、隠れ神というと少しニュアンスが違うかもしれません。ご存知かと思いますが現在、各神社が表向きにしている主祭神は、例えば明治以前と以降では変わっているところが少なくありません。神仏分離の際に整理されたり、国粋主義の影響で韓国系の神(アメノヒボコなど)を祀る神社は別の神に変えたりなど。これは近代に限らず、例えば出雲大社でも中世はスサノオが祭神だったことが知られていますし、伊勢やその他名のある神社でも表に裏に色々な話がありますよね(^ ^)僕の使う「隠れ祭神」は「忘れられた祭神」という感じで、今回紹介したクナトさんは境内社でしっかりと祀られているので隠れてはいません。しかし、この神を説明できる説を僕は他に知りません。神社入口の立派な解説版と御由緒書きにもありません。ということは忘れられた神になっていると言えます。そこに祀られている理由が忘れられた神それが「隠れ祭神」という感じでいます◎
いつもながら 丁寧なお返事ありがたき幸せ❤︎ でございます。隠れ祭神 とは 忘れられた祭神と言う意味でしたか! わたしはご自分の意志で隠れる事を選んだ祭神なのかと思ってしまいました、天之御中主の様に( 個人の意見 )。隊長は どこの神社に言っても 「なぜ この神がこの神社に祀られているのか? 」 と考えるのですね。なるほど スゴイです❤︎
@@胡蝶てふてふ 隊員◎こちらこそ毎回コメントありがとうございます(^ ^)アメノミナカヌシ達の「隠れ」にも色々な説があり興味深いですね!ローカルな神社の祭神とその土地との関係はなかなか教えてくれるものがありませんのでぜひいつも気にしてみてください◎
出雲風土記で、カンナビノの意味を調べてみよう。色々わかるよ。
八衢比古、八衢比売って、これに龍神信仰を加えたのが、八岐の大蛇=出雲族じゃないですかねスサノウ=天日矛=但馬のヒボコじゃないかと思うのですが、八岐の大蛇神話は、韓半島から渡来したヒボコ族が但馬で先住民の出雲族を破った史実の神話化じゃないかと思うのです草薙剣というのも、但馬や丹後の鉄剣の出土量を見れば納得できるわけで、ヒボコ族を象徴する神宝でしょう出雲口伝によると、丹波からヤマト入りした天村雲が初代大王になり、ヤマトで出雲族と混血した様なので、これが加茂氏、紀氏、尾張氏となり、尾張氏が熱田神宮に草薙剣を祀ったのだと思います加えて、彼らが祖とする天火明こそが天照大神で、紀氏が伊勢に祀ったのだと思いますだから、伊勢にはスサノウの牛頭天王信仰も残ってるわけです
コメント有難う御座います。僕も基本的に八岐大蛇伝説は縄文の龍蛇信仰と弥生文化(スサノオ族)との軋轢を伝えた伝説と解釈しています。この史実をモデルにした説話は時代を変え、場所を変え、人物を変えてあちこちで語り継がれています。丹波では日子坐王vs陸耳御笠、麿子親王の鬼退治、源頼光vs酒呑童子の伝説があります。この辺りについては、スサノオとは何者か、をじっくり考える動画を撮りたいと思いながら、実現できていません。天日槍もまた深掘りしないといけない丹波の重要人物ですし、丹波は古代史のポテンシャルがいっぱい眠っています^_^あとクナト神、八衢彦・姫についても少しづつ調べが進んでいますので、またご紹介できるように頑張ります☆
新潟市の五泉市の粟島神社には、今でもクナトの大神が祀られています。新潟は大彦が流れ着いた土地とも言われ、古い出雲の神が残っています
クナト様情報、有難う御座います^_^北陸は出雲族足跡がかなり知られていますよね。僕も機会があれば教えて頂いた神社にご挨拶に行きますね◎僕もちょこちょこ丹波クナト様をご紹介していきたいと思います^_^
出雲族の神
古代の出雲王国(紀元前660年~紀元3世紀末に滅亡。王家は辛うじて存続。後に出雲の熊野大社の社家神主をしていた元王家から継体天皇が出て今の皇室(第二次出雲王朝?がスタート))出雲王国時代には国教、滅亡の後も尚古事記の完成迄は宗教のみならず社会の規範、慣習の大半を占めたのが幸(サイ)の神信仰(原神道)(今も日本人の慣習、信仰等の基底を成す)磐座は出雲族の習い。また、二墓制(埋葬墓と祭祀墓)も出雲族の習い。これを拡大解釈する事で神社が拡散していった。墓地と仏壇の位牌の関係も元を辿れば同じ事。出雲の王は磐を良く拝んだから磐津彦、イワの神。等とも呼ばれた。その幸の神信仰の主神が久那斗大神。出雲の大神山🗻、伯耆大山が本籍地(神奈備山)原形は、シバ大神。大黒天、自在天神。不動明王。地蔵菩薩(閻魔大王)、金剛蔵王。他イザナギ(出雲系)渡来系のイザナギ(国生み神話)は徐福や子孫勢力(天津神。イザナギ、スサノオ、ニニギ、神武)がモデル女神で后神が、幸姫之命。又は、サビメ大神。本籍地はサビメ山。原形はインド時代のあまたの女神が混淆習合。サラバスティ(水神、弁天)パールバーディ(シバの妻)イナンナ(太陽の女神→天照大神)豊穣、繁栄、芸術芸能その他諸々の女神。イザナミ。明治に改ざんされて、三瓶山。↑の女夫神の御子神がサルタ彦大神。鼻高彦。本籍地は島根半島の最高峰、鼻高山🗻原形は象頭神ガネーシャ尊。サルタは体から突き出たモノ。要するに勃起マラの比喩。若く精力、威力絶大な神。~、出雲族が新天地に進出するとき先陣を守り、露払、道開きの神。外敵や疫病には敢然と塞がり(塞の神)、払い退け鎮圧して出雲族を守護する神。同じく、境界、結界に在って守護する神。アタ(天神)の子、アタゴ神
ご神木の裏の山へは登らなかったのですか?入山禁止になっていますか?
クナト神とアラハバキ神はペアなのかなぁ…
コメント有難う御座います。僕はいずれも出雲族の信仰だという認識です^_^
出雲王国から銅鐸信仰と共に伝わったクナトノ大神は、別名を日本各地でサイノカミと呼ばれる竜蛇神信仰ですね。クナト三神はクナトノ大神、幸姫サビメ命、その御子サルタヒコ大神。出雲の大国主や少名彦たちが元々信仰していた始祖の土地神だと思います。遡ると今から約4000年前の縄文末期のB.C2000年ごろに中部インドのクナ国からシベリア経由で渡来した大国主の祖先のクナト王達が信仰していた神様のようで、神奈備山も蛇(竜神)がトグロ状に巻いた姿に似た円錐形の先の尖った山の意味ですね。『記紀』に登場するイザナギ尊の禊祓いで最初に登場する杖の神、久那土神は、その故事をヒントにして引用したものの様です。出雲旧家に伝わる伝承をまとめた富家本と呼ばれる大元出版の最新刊富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」の本にも分かりやすく記載されているので、面白いです。だんだん認知度が上がってきている様なので、今後に期待が出来そうです。丹波、丹後国は出雲の人達(B.C.219~220年に渡来した徐福の末裔の五十猛大年彦命、海香久山命ら皇室に繋がるいわゆる天孫族と呼ばれる海部氏)が移住した国の様なので、元伊勢籠神社や奥宮真名井神社についてもご紹介を是非お願いしたいです。
長文のコメントありがとうございます◎
大元出版さんの本は僕もいくつか愛読させていただいています(^ ^)
丹波におけるクナト神については富家伝承を裏付ける興味深い場所がいくつもありますので、いずれ紹介いたします◎
丹後地域は富家伝承や丹後残欠風土記の通り、ホアカリ一族を祀る神社がいくつもあり、大名持とホアカリのやりとりを由緒にする地名や、それに豊受大神も加わって神話好きにはたまらない地域だと思いますが、一般の認知度でいうとかなり低いです(^_^;)
籠神社や真名井神社に伝わる口伝についてはかつて海部氏自身が著した本(第15回の動画で少し紹介したと思います)がありますので、それを元に僕の考えをお話ししたいと思っています◎
とても分かりやすい説明で、ストンと腑に落ちます。
探していた神様に出逢えたようで、震えました。
コメント欄も情報が一杯で、勉強になります。
登録しました。
他の動画も拝見させていただきます。
ありがとうございました。💖
初めまして、コメント有難うございます◎
僕の説明で分かりやすいですか(^_^;)
無茶な説明も多いと思いますが、上達できるように頑張ります◎色々間違えると思いますがお気付きのことはどんどんご指摘下さい(^ ^)
私は岩手県の人間なのですが、この間ハイキングにいったところにクナト神社がありました。久那斗という文字がつかわれていて、古い出雲の神様だったのですね、それと田中英道さんによると縄文時代にイスラエルから日本にやってきていて、神伝承につながったのではないか、という説を述べてました。日本にはまだまだ不思議で解明されていない歴史、謎が数多くあるようですね、グローバリストに歴史、文化、伝承を消されないように私達日本人が守っていかなければならないと思います。
びっくりしました。綺麗な形の神奈備山ですね。
ありがとうございます、僕もビックリしたんです^_^
素晴らしい動画ですね。幸の神3神で名前が残るのはサルタ彦大神だけだと思ってました。そのままの名前で祀られているとはびっくりです。クナト大神も佐比売大神も名前を変えられてしまってるので、とても貴重だと思います。勉強になりました。
コメント有難う御座います。
他府県の場合は詳しくないのですが、丹波地域ではクナト神を祀る興味深い神社が少なくありませんので、近いうちに動画を作りたいと思っております(^^)
また機会があれば丹波エリアにお越しいただけると嬉しいです◎
1ヶ月前に丹波、丹後エリアを旅行したんですよ。景色も綺麗で素晴らしいところですね。もう少し早くこのチャンネルを発見してたら今回の神社も参拝できたのになと思いました。丹波地方にはまた遊びに行きます。
東北地方にも同様の山が沢山あります。仙台市の一番古い西多賀神社はピラミッド型の太白山に向かい、しかも夏至の太陽が太白山に沈む時のライン上にあり、夏至の太陽が多賀神社の鳥居の⛩真ん中に沈みます。神奈備山は円錐形が多く季節を知らせるランドマークのようです。太白山の旧名はウトガ森です。参考にして下さい。
ひこ様、横からコメント失礼します。岩手県一関市舞川という地に烏兎ヶ森(うどがもり)とよばれる、ピラミッド型のきれいな山があります。記して頂いた太白山の旧名と似ているなと思いました。その舞川の地では、舞草刀という蝦夷の蕨手刀が作られていたとか。
コメント有難う御座います。東北地方は一番じっくりと旅したいなと思っている地域です^_^
おっしゃるとおり神奈備山は季節や信仰の目印ですね。僕の家の裏山もきれいな神奈備山で、夏至の頃、東から見ると夕陽が山頂に沈み、そのライン上に三つの神社が並んでいます。
山の名前は「上ノ山」ですが本来は「神ノ山」だったんだと思います。
小さな山でも、古代史の鍵を握っている山は多いと思います。
またお気付きのことがあればまた教えて下さい^_^
すごく勉強になりました。
嬉しいお言葉、ありがとう御座います😊また特別編をしようかなと考えておりますので是非チャンネル登録しておいて下さい笑
はじめまして!主さんもコメント欄のみなさんもとても詳しい方達ばかりで登録させていただきました。返信もきちんとされていて凄いですね✨
私も思うがまま勝手に回り回っていたところ出雲の神様に辿り着いていることがわかりました🐉✨他の動画も見させてもらいます。
有難うございます。出雲族をはじめとする国津神は日本のどこにいても出会えるので有難いですよね◎僕も皆様からのローカルな情報に勉強させられています(^ ^)
木と風の音がして良いですね。
今度のお祭りには行ってみようかな。
ぜひぜひ!オススメの神社です^_^☆
初めて拝見しましたが、分かりやすくてフェアなご説明で、感心してしまいました。
私も出雲旧家の口伝については大元出版の書籍を通して知り、とても関心を持っておりますが、
形跡が上書きされがちなのか、なかなかクナト神などサイノカミ信仰やらカンナビ山やらの実例に身近では遭遇しません。
今回の例は後の八幡ブームに合わさって埋もれかけたのだろうという点含めて腹に落ちましたし、
御神木の奥に三輪山のようなきれいな形の山が見える映像を示していただいてドキッとしました。
歴史の表舞台だった丹波丹後の情報発信をこれからも楽しみにしてます。
嬉しいお言葉ありがとうございます!
無茶苦茶な説明をしていることも多々あると思いますが、また色々ご指摘いただけるとありがたいです◎
僕もそうです、大元出版の斎木雲州さんや谷戸貞彦さんの本をよく読みました。
僕の周りではクナト神や幸の神は時々見かけます。ただ今回のような八街彦と八街姫(猿田彦とサイ姫)がセットの例に気付いたのは初めてでした。そして明らかなカンナビまであると、富家伝承はやはり捨て置けないと確信しました(^ ^)
他にも興味深い場所でクナト神を祀る神社がありますので、またご紹介いたします。
またいつか丹波の神様にじっくり会いに来ていただけると嬉しいです(^ ^)
出雲族始祖神、国常立(クナト)大神。
出芽→出雲
クナト=フナト神。
先住出雲族酋長の故・富當雄(初代:斎木雲州)さん「出雲と大和のあけぼの」引用
神門氏系譜抜粋に斎木雲州本に出て来る神門氏の一族の末子、島津国造家と
日本書紀の斯摩宿禰擦り合わせで島谷氏口伝の「親は島氏」を系譜で結び付けました。
国常立→八島篠→布葉之文字巧為→八束水臣津野→赤衾伊努意保須美比古佐倭気→八千矛(大国主)→阿遅須枳高日子↓
鹽冶毘古能→速甕之多気佐波夜遅奴美→甕主彦→身櫓浪→遠津山崎帯→出雲(神門)振禰=倭健→伊賀曽熊↓
島津(志摩)国造家の島(直)氏=斯摩宿禰(斎木雲州本の武内宿禰とは斯摩宿禰の事)↓
丹後国二宮社家嶋谷家と熊野(志摩)水軍の嶋衆→播磨国松浦氏武家島谷氏。
日本書紀研究者は斯摩宿禰と武内宿禰は同一人物としており
日本旧事本記では千熊長彦ともされています。
(埼玉県の南関東国造家の島族は、この島津(志摩)国造家の島氏子筋を自称し又、埼玉苗字辞典サイトのシ行の島氏には
「斯摩、志摩、司馬は、島と記す。」としており良ーく読み解くと・・武内宿禰の裔、蘇我馬子は、
蘇我馬子(司馬宿禰)=島大臣と名乗っていたからみたいですね。因みに、京丹後国の元の社家は蘇我社家で南北朝時代今伊勢と戦い負け、佐渡島送りで滅亡して居ます。)
また、家の島谷氏は古代氏族で名家で富裕層には知られており
名家の謂れを調べて居たら、松浦党武家ですが血縁は無く
ルーツは播磨国と社家が居て社家は京丹後国の氏族で
南北朝~戦国時代に無人あばら屋化した京丹後を江戸時代初期に
徳川家譜代で大阪城城代の阿部の一族が復古神道により京丹後国最古の一族を
京丹後2代の殿様、京極高広公に依頼し探し出したのが鍛冶屋太兵衛で
鍛冶屋太兵衛が宮津の分宮神社(現・和貴宮神社)に任官の際、氏姓を
古代に分かたれた播磨国の島谷氏を名乗りたいとし
従六位嶋谷出雲守と名乗ったと宮津・和貴宮神社のサイトで紹介の経緯の詳しい人にネット掲示板で聞きました。
丹後国風土記にある、出雲国譲り前哨戦にあたる、出雲国盗り合戦で
大国主として戦った一族が島谷氏だそうです。
大国主と新羅王子の天日槍が戦い、丹後国を取られ、島谷氏は播磨国を死守し
鍛冶屋太兵衛の嶋谷家が京丹後国を守って来たと言う事です。
なので、京丹後国には嶋谷神主、宮司、祠掌だらけなんだそうです。
(嶋谷神主らの神社の祭神には必ず、クナト大神や豊受大神が祭られています。豊受大神もクナト大神としてる様です)
斎木雲州本出版の大元出版って、大本教絡みっぽいですね・・ネーミングがw
こちらの動画の第9回の大宮売神社の宮司さんが嶋谷さんでしょうかね?
非常に濃厚なコメントを頂き有難うございます。
しかし僕の知識不足のために理解できない部分がいくつもあります(^_^;)
まず冒頭の初代斎木雲州=富当雄さんというのも知りませんでした。では「出雲と大和のあけぼの」と「出雲と蘇我王国」の著者は親子ということなのでしょうか?
丹後旧家については表に裏に何かと小耳にはさみますが、僕はまだ直接コンタクトを取れていません。直接お話を伺いたいところがいくつかあり、来年春頃からの取材を計画しているのですが、それにあたり僕もしっかりとした準備をいたいと考えています。
もしよろしければ僕のインスタグラムにDMくださいませんか?文化財トラベラーで検索すればすぐ出るはずです。コメントで頂いた内容でお聞きしたいことがあり、逆に何かお力になれることもあるかもしれません(^_^;)
差し支えなければで結構です◎
あ、それと大本教については同感ですww
宮津と伊勢(松阪)の混血者としては、とても興味深く、
登録させて頂き、拝聴したいと思います。
10年近く前に、海部権宮司からお話頂いた時に、丹後、丹波のお話を特に留意されていらっしゃったのを思い出しました。今後も楽しみにさせて頂きます!
コメント有難うございます◎
宮津と伊勢!ゴージャスな血筋!
僕の家系のルーツは北陸なので、丹波ルーツの方が羨ましくなる時もあります(^_^;)
動画は下手で雑な説明ですが、少しでも多くの方に丹波の面白みをシェアできればと思っています。
有難うございます◎
@@nakabunken そこに自身を埋め居る事が大切です。
生まれの私よりも、良く学ばれている方に、学びたいと思います。
これから、宜しくお願いします。
曖昧にされちゃってるけど、自分のルーツ 知りたいよねぇ~(^^)
出雲大神宮の五柱目の隠れた神様がクナトの神と神主さんからお聞きしましたね。
そうなんですか!それは初めて聞きました!
教えていただき有難うございますm(__)m
まだまだ勉強中につき、お気付きのことがあればぜひご指摘ください◎
⛩ 2021 今年もよろしくお願いします 🇯🇵
素朴な神社さんですね、御神体が山。
大神神社を例としてその様な神社がある事を最近知りました。
クナト神 初耳です、なぜ 隠れ神になる必要があったのですか?
胡蝶てふてふ隊員!
こちらこそ今年もヨロシクです(^ ^)!
三輪山は神奈備の代表ですね。縄文遺跡が多い関東などでは至る所に自然崇拝(アニミズム)が残っていると思います。
隠れ祭神とは僕が勝手に使っている言葉ですが、隠れ神というと少しニュアンスが違うかもしれません。
ご存知かと思いますが現在、各神社が表向きにしている主祭神は、例えば明治以前と以降では変わっているところが少なくありません。神仏分離の際に整理されたり、国粋主義の影響で韓国系の神(アメノヒボコなど)を祀る神社は別の神に変えたりなど。
これは近代に限らず、例えば出雲大社でも中世はスサノオが祭神だったことが知られていますし、伊勢やその他名のある神社でも表に裏に色々な話がありますよね(^ ^)
僕の使う「隠れ祭神」は「忘れられた祭神」という感じで、今回紹介したクナトさんは境内社でしっかりと祀られているので隠れてはいません。しかし、この神を説明できる説を僕は他に知りません。神社入口の立派な解説版と御由緒書きにもありません。ということは忘れられた神になっていると言えます。
そこに祀られている理由が忘れられた神
それが「隠れ祭神」という感じでいます◎
いつもながら 丁寧なお返事ありがたき幸せ❤︎ でございます。
隠れ祭神 とは 忘れられた祭神と言う意味でしたか! わたしはご自分の意志で隠れる事を選んだ祭神なのかと思ってしまいました、天之御中主の様に( 個人の意見 )。
隊長は どこの神社に言っても 「なぜ この神がこの神社に祀られているのか? 」 と考えるのですね。
なるほど スゴイです❤︎
@@胡蝶てふてふ 隊員◎
こちらこそ毎回コメントありがとうございます(^ ^)
アメノミナカヌシ達の「隠れ」にも色々な説があり興味深いですね!
ローカルな神社の祭神とその土地との関係はなかなか教えてくれるものがありませんのでぜひいつも気にしてみてください◎
出雲風土記で、カンナビノの意味を調べてみよう。色々わかるよ。
八衢比古、八衢比売って、これに龍神信仰を加えたのが、八岐の大蛇=出雲族じゃないですかね
スサノウ=天日矛=但馬のヒボコじゃないかと思うのですが、八岐の大蛇神話は、韓半島から渡来したヒボコ族が但馬で先住民の出雲族を破った史実の神話化じゃないかと思うのです
草薙剣というのも、但馬や丹後の鉄剣の出土量を見れば納得できるわけで、ヒボコ族を象徴する神宝でしょう
出雲口伝によると、丹波からヤマト入りした天村雲が初代大王になり、ヤマトで出雲族と混血した様なので、これが加茂氏、紀氏、尾張氏となり、尾張氏が熱田神宮に草薙剣を祀ったのだと思います
加えて、彼らが祖とする天火明こそが天照大神で、紀氏が伊勢に祀ったのだと思います
だから、伊勢にはスサノウの牛頭天王信仰も残ってるわけです
コメント有難う御座います。僕も基本的に八岐大蛇伝説は縄文の龍蛇信仰と弥生文化(スサノオ族)との軋轢を伝えた伝説と解釈しています。この史実をモデルにした説話は時代を変え、場所を変え、人物を変えてあちこちで語り継がれています。丹波では日子坐王vs陸耳御笠、麿子親王の鬼退治、源頼光vs酒呑童子の伝説があります。この辺りについては、スサノオとは何者か、をじっくり考える動画を撮りたいと思いながら、実現できていません。天日槍もまた深掘りしないといけない丹波の重要人物ですし、丹波は古代史のポテンシャルがいっぱい眠っています^_^
あとクナト神、八衢彦・姫についても少しづつ調べが進んでいますので、またご紹介できるように頑張ります☆
新潟市の五泉市の粟島神社には、今でもクナトの大神が祀られています。新潟は大彦が流れ着いた土地とも言われ、古い出雲の神が残っています
クナト様情報、有難う御座います^_^
北陸は出雲族足跡がかなり知られていますよね。僕も機会があれば教えて頂いた神社にご挨拶に行きますね◎
僕もちょこちょこ丹波クナト様をご紹介していきたいと思います^_^
出雲族の神
古代の出雲王国
(紀元前660年~紀元3世紀末に滅亡。
王家は辛うじて存続。
後に出雲の熊野大社の社家神主をしていた元王家から
継体天皇が出て
今の皇室(第二次出雲王朝?がスタート))
出雲王国時代には国教、
滅亡の後も尚古事記の完成迄は
宗教のみならず社会の規範、慣習の大半を占めたのが
幸(サイ)の神信仰(原神道)
(今も日本人の慣習、信仰等の基底を成す)
磐座は出雲族の習い。
また、二墓制(埋葬墓と祭祀墓)も出雲族の習い。
これを拡大解釈する事で
神社が拡散していった。
墓地と仏壇の位牌の関係も元を辿れば同じ事。
出雲の王は磐を良く拝んだから
磐津彦、イワの神。等とも呼ばれた。
その幸の神信仰の主神が
久那斗大神。
出雲の大神山🗻、伯耆大山が本籍地(神奈備山)
原形は、シバ大神。
大黒天、自在天神。
不動明王。地蔵菩薩(閻魔大王)、金剛蔵王。他
イザナギ(出雲系)
渡来系のイザナギ(国生み神話)は徐福や子孫勢力(天津神。イザナギ、スサノオ、ニニギ、神武)がモデル
女神で后神が、
幸姫之命。又は、サビメ大神。
本籍地はサビメ山。
原形はインド時代のあまたの女神が混淆習合。
サラバスティ(水神、弁天)
パールバーディ(シバの妻)
イナンナ(太陽の女神→天照大神)
豊穣、繁栄、芸術芸能その他諸々の女神。
イザナミ。
明治に改ざんされて、
三瓶山。
↑の女夫神の御子神が
サルタ彦大神。鼻高彦。
本籍地は島根半島の最高峰、
鼻高山🗻
原形は
象頭神ガネーシャ尊。
サルタは体から突き出たモノ。
要するに勃起マラの比喩。
若く精力、威力絶大な神。
~、出雲族が新天地に進出するとき
先陣を守り、露払、道開きの神。
外敵や疫病には敢然と塞がり(塞の神)、
払い退け鎮圧して出雲族を守護する神。
同じく、境界、結界に在って守護する神。
アタ(天神)の子、アタゴ神
ご神木の裏の山へは登らなかったのですか?入山禁止になっていますか?
クナト神とアラハバキ神はペアなのかなぁ…
コメント有難う御座います。
僕はいずれも出雲族の信仰だという認識です^_^