【小田急複々線開業初期】1997年ダイヤ徹底解説 平日昼下り【喜多見~和泉多摩川 部分開業】

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  • Опубликовано: 15 янв 2025

Комментарии • 8

  • @Series21next
    @Series21next Год назад +4

    2:26 この頃は経堂急行通過

    • @OdakyuDiagram
      @OdakyuDiagram  Год назад

      コメントありがとうございます。削除できていませんでした。ご指摘ありがとうございます。

  • @Train_Shrine_in_Japan
    @Train_Shrine_in_Japan Год назад +1

    3:44 あれ、1997年時点では喜多見検車区入出庫線はまだ上り線側だったと思う。
    あと、成城の下り待避線は使用停止されたけど、1997年改正前に旧1番線側が仮2番線になって線路が外側(海側)になったのでホーム位置逆かな。

    • @OdakyuDiagram
      @OdakyuDiagram  Год назад +1

      コメントありがとうございます。正確に把握できていない部分があり、失礼いたしました。こうした情報をいただきとても助かります。ありがとうございます。

  • @yoichi4053
    @yoichi4053 Год назад +1

    小田急初の本格的な狛江地区複々線開業、とても懐かしいです。
    たしか、土曜に複々線切替とダイヤ改正を同時に行い、迎えた月曜日・・・朝ラッシュが大混乱だったのを覚えていますw それで懲りたのか?以後の複々線延伸は、線路複々線切替とダイヤ改正を別日に行うようになりましたね。
    各停も短い複々線区間では抜かされ切れず、喜多見や和泉多摩川で優等待つことが多く並走はあまり見られなかったのが残念だった記憶があります。

    • @OdakyuDiagram
      @OdakyuDiagram  Год назад

      コメントありがとうございます。私は当時小学生だったので、この時期に電車を利用されていらっしゃった方のコメントいただけるととても興味深いです。本当に最初の最初の複々線でしたから、便利な反面、ラッシュ捌きにおける混乱もあったでしょうね。複々線というよりは、長い長い待避線というイメージだったかなと推察いたします。今回もありがとうございました。

    • @yoichi4053
      @yoichi4053 Год назад +1

      そうでしたか、コチラは当時学生でしたが初日は見事に遅刻しました(笑)
      喜多見の合流で詰まりまくってたので、隣り合った緩行線と急行線の車掌同時て窓を開け「ダメだこりゃ」みたいなことを言っていたのを見て、違う意味で複々線の醍醐味を感じたものですw

    • @OdakyuDiagram
      @OdakyuDiagram  Год назад

      お返事ありがとうございます。
      カオス状態の中にもこうした面白いやりとりがあるのは興味深いです(笑)
      試行錯誤な時代だったからこその面白みがあった時代なのでしょうね。