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懐かしいもの、ほかに何がありますか?
アンテナテレビ😉もう、やってたらごめんなさい😅
キッチンパラソル
応接間のソファにかけられた白いレースのカバーみたいなやつ。祖母の家の応接間のソファにかけてあって、親戚が集まるとすぐみんながソファに座ったり寝転んだりしてぐちゃぐちゃになってた。もちろん凶器になるガラスの灰皿も置いてあった。旅行先で買った土鈴も並べてあったなぁ…
かつお節削り器。今使ってる家庭は少ないと思う。
はいちょうという網戸になった小さな棚。おばあちゃんの家にあった、食事の残りをそこにしまっておいたんだよ。風通しが良くて痛みにくいと言うことで、昔の知恵?それから名前は忘れたけど、食卓を被う網とそれより大きな赤ちゃんをハエなどから守る網。赤ちゃんのは一人用のかやだったかな。どれも今よりも気温が低いから成立したものかもだけど。後は鰹節を削るかんなと、ハンドル式の削り機。鰹節が固いときはキャベツとかの葉っぱでくるんでおくと削りやすくなるとかばあちゃんに教わった。かんなは時々研いで、大工さんのかんなのように金槌でトントン叩いて歯の具合を調節したりしたな。後払い台所の出入り口に下がっていた、ビーズの暖簾。懐かしいのぅ。
12:32 昔1970年代に住んでいたアパートは6世帯ぐらいで住んでいたのに、赤い郵便受けが屋外の門柱に一個だけしかありませんでした。向かいの家の話だと戦後直後に出来たと聞いていたので、後付けだったんだなと納得しました。それでも手紙が盗まれる事がなく、各々郵便受けを開けては自分んちのを抜き取っていたのが実に当たり前で平和に暮らしていたんだなと、懐かしく思い出しました。ああ、行方不明になったミドリガメが郵便受けの上で甲羅干ししてたのを、隣の家のお兄さんが見付けてくれたんだった!www
赤い郵便受けは3年前まで使ってましたが長年の風雨で劣化した為、ステンレス製に買い替えました。今住んでる家が築60年以上なので、片板ガラスは家のあちこちで健在です!
すりガラス、曇りガラスといえば、凹凸面にセロテープを貼ったらその部分だけ普通のガラスと同じように透けたのが子供心に不思議でたまらなかった。ここで紹介されているものがすべて実家の母屋にあったけれど、遺影は最近外されていたなぁ。まさに並び順も場所も形式に則ったものだったけれど、唯一生前の姿を知っていた大好きな祖母の遺影が無くなっていたのが少し寂しかった。
私の部屋のガラスがすりガラスですが、凹凸が粗く、セロテープを貼っても透けて見えないタイプです…
灰皿の話は誰かが作ったコラ画像がデマ元ですよ、ダガーナイフ所持禁止ポスターのコラ画像です。
そもそも、銃刀法に灰皿の記載はありませんしね。銃砲刀剣類所持等取締法第一条 この法律は、銃砲、刀剣類等の所持、使用等に関する危害予防上必要な規制について定めるものとする。第三条 何人も、次の各号のいずれかに該当する場合を除いては、銃砲若しくはクロスボウ 又は刀剣類を所持してはならない。どこに灰皿があるんだって言うねw
あー、良かった間違えで、黒王の灰皿重かったですよ!
私のアパートのキッチンと居間とを仕切る扉には、型板ガラスが使われていますね。足踏みミシンは、小さい頃に家にありました、横に倒して机の中に収めるタイプでした。
その昔、ウチにあった大型のガラス製の灰皿は袋入りの飴やラムネやクッキーなど、駄菓子を盛る容器になってました。型板ガラスに関しては、昨今は一般的な透明ガラスの上に貼れる様々な半透明シール(柄入り)があるので、無理に本物を入手しなくても良いのではないかと。
足踏みミシンはペダルの踏み込み(上下運動)がクランクを介してミシンを稼働させる回転運動に変換される仕組みが子供心に不思議で面白かった。あと作業する天板を開けてミシンの機関部を格納できる仕組みも。
学校の教材に、足踏みミシンと電動ミシンの両方があった。知り合いの家には足踏みミシンがあった(その方は亡くなり、その家は取り壊されたが)…
灰皿の件エビデンス見当たらないなぁ個人のネタ画像が見つかるけど銃砲刀剣類所持等取締法の条文の中には灰皿の文字無いっぽいけど
灰皿はデマですね昭和ネタのゆっくりチャンネルをそのままパクってるようです
ネタ画像が原因のデマですねruclips.net/video/4DnlJJ371Jg/видео.htmlこの動画の14:50あたりの情報をそのまま流用したようです
床の間や仏壇の解説など文化史の勉強にもなってありがたい。
昭和に祖父が建てた家に住んでるんだが、最近猫が仏壇の荒らし方覚えて困ってる…
赤い郵便受けは、最近見かけなくなりましたが、たまに、赤い郵便受けを取り付けている、民家を見かける事があります。昭和50年代は、取り付けている民家が、当たり前にありました。
消えたというより見ることが少なくなったって感じかな。頻繁ではないものの、普通に見かける物の方が多い印象
今じゃ木彫りの熊はプーさん柄や逆に鮭に喰われてる物とかバリエーション豊かになったよね。
ロシアのマトリョーシカのルーツは、東北の入れ子型コケシ。入れ子型コケシのルーツは、エジプトのファラオの棺。
実家(平成に建てた家)には、石油ストーブも、ガラスの灰皿も、赤い郵便受けも、掛軸も、お菓子の缶もある。あ、灰皿は私がこの間捨てたんだ。足踏みミシンは、私が子供の頃は、家にも学校にもあった。意外と使い勝手は良かった。
どうぶつの森も初代らへんは船乗りのおみやげで木彫りのクマあったけど・・・今の最新作あつ森だと船乗りのお土産にもなければ通常販売家具からも消えてるからなぁ。普通に好きだったんだけど。
昭和の生活用品、懐かしい思い出です。生活用品関係は、ニュースで取り上げられないから、知らない間に無くなるっての多いよね。今回も、昭和の貴重な配信ご苦労様でした、月夜ちゃん、葵依ちゃん👍。
ストーブの変遷懐かしいですね。自分が低学年の頃は、朝コークス当番が、用務員のおじさんの所にバケツで、コークス貰いに行ってましたね。後はストーブの上のアルマイトのタライに、水入れて給食の瓶牛乳を温めて飲んでましたね。中学の頃は教室のガスストーブの上の熱が出るところで、給食の食パンを焼いてトーストにしてたのを記憶しています
アイヌはもともと動物の彫刻を禁忌としていたため、近代以前には動物文様の彫刻は見られない。近代以降に熊をモチーフにしたのはに本州人が経済的に困窮したアイヌの生活立て直しのためにこれを勧めたためである。ちなみにアイヌの細工品は江戸時代から蝦夷地の特産品として有名で、刀の鞘などの木工細工が取引されていた。
北海道だと新築とかじゃない限りエアコンなんて滅多にない感じがする。学校は小中高全部無かったし、道外の大学に行くまでエアコンのリモコンを自分で操作したことが無かったレベル。でもエアコンよりストーブの方が暖かいんだよなー
最近はエアコン増えてますよ!ただ冬用じゃなくて夏の暑さのためです!ここ数年耐え難い暑さが続いていますから。
紹介されたもの…木彫りの熊と掛け軸は普通にあります。火鉢もありますが、使ってはないんですけどね。今年は昭和97年(^^)
サスペンスドラマの凶器で必ず出てくるガラスの灰皿。
お菓子で缶と言ったらサクマ式ドロップス買ってたかと言うとそれは無いミシンは進化して今もあるけどジャーーージャーーーと左右に持ち手を動かす毛糸の編み機は全く見なくなった
缶と言えば泉屋のクッキーも忘れないで!真ん中のドーナツ型のが取り合いだった。今でも大好き💕
家庭科のミシンは足踏みでした😂逆走しちゃうんです❣️ガラス板ですが高杉クリニックさんのRUclipsの背景はとても懐かしい磨りガラスです😊楽しかったです。upありがとうございました❤
おはようございます。昭和のレトルトな雑貨は懐かしいですね😀😀😀😀
返信ありがとうございます。
サントリーオールドに毛糸で作った衣装を着せてたり 椰子の実を人形みたいに作ったもんがまぁまぁあったよなポケモンのカプテテフを見たら妙に思い出した
大きい灰皿は個人宅にはもちろん飲食店にあったイメージです。禁煙分煙の時代だからたしかに見る機会は減ってますがまさか銃刀法違反になる可能性があるとは……目に見えるところにはないけどしまい込んでる人はいっぱいいると思いますし、こういう情報はテレビのワイドショーがやればいいのにって思いました。ナイフやボウガンや許可なく飼ってはいけなくなった生き物なんかはちらほら知ってるけどまさかあの灰皿が……
ガラスの灰皿が凶器になる昔のサスペンスドラマも、時より再放送されていますね。小学校の頃は異様に息苦しく疲労感が酷かったのですが、よく考えたら屋内(居間)で親や親族の喫煙が原因だったのではないか、と思います。一度も煙草吸っていませんが、家系もあり、今後の健康が心配です。
わたしも喘息持ちの子供でしたが、両親とも「セブンスター」「ハイライト」といった煙草を喘息吸入器をつかってる私の横で吸っていましたしね~家の電灯の傘が黄色くにごっていましたよ・・・
ネタですから
@@凶太郎-t1m ネタというよりデマ。
うちの実家は表側が生け垣、裏側がトタン塀、門の所の一部だけがブロック塀で郵便受けはブロック塀に埋め込まれていたけど、蓋が壊れて郵便物が落ちてしまうので付け替えた。田舎だから表札も出してなくて、数年前に郵便受けを新しく着けた時にラベルライターで父の名を貼ってやっと表札に準じるものを付けられた。
今でもキャラクターのお菓子で四角い缶を見かけると買っています。細長い缶には小学生の時の未使用トッポジージョ、サンリオの鉛筆が入っています。足踏みミシンはスピードの調節が簡単でした。どの家の玄関にもガラスケースに入った姫ダルマが飾ってありました。あれは押し売りから買っていた物ですね。婚約して初めて相手の実家に泊まった時、遺影がずらりと並んでいて怖くて眠れなかったです。
石油ストーブは暖房機であり、やかんで加湿器にもなるし加熱調理もできる
木彫り熊、意外と高いぞ(笑)ガラスの灰皿がヤ○ザの事務所に有るのはドツくタメだぞ。以前、洒落の解る友人の家の床の間に『モナリザ』の掛け軸があったなぁ(笑)見た時に不本意ながら爆笑してしまった。
ダルマストーブ懐かしいですね。小学校の頃ストーブにコークスを焚べる作業を男女関係なくやらされてました。真っ赤になったスコップを振り回したりして遊んでました。今だったら大問題ですね。
木彫りの熊は鮭の逆襲とか新シリーズ出てるのがすごいわ
熊の置物は面白かった。お土産シリーズを、お願いします。提灯や三角形のペナントを、お願いします。
石油ストーブは、2004年の新潟県中越地震で電気とガスが止まった時に自宅でも活躍しました。地震発生が10月23日ということもあり、明け方と夜間は寒くなり始めた時期でした。災害の備えとして、昔ながらの製品が有用になることもあると思い知った体験でしたね。
実はアナログは災害や事故に強いんですよ。
昔、北海道に住んでいる友人の家に遊びに行ったら、一般的な反射型ストーブよりも一回り大きくて煙突の付いた反射型ストーブがあって驚いた。(ごく普通の一戸建て民家)部屋の隅には普通の反射型ストーブがあったので、俺「普段はこっち(小さい方)使っているんだろ?」って聞いたら、友「いや、それはこっち(大きい方)でも足りない時に追加で使う用w」と笑いながら言われてさらに驚いた。
赤い郵便ポストは田舎に行くとたまに見かけますそれに大抵は農家か大きな家に多く設置してある所が多いです。
昔の人は、お菓子の空き缶には写真や手紙を入れてましたね。戦時中、火災で焼失しない様にだったみたいです。大事な書類などはお菓子の空き缶に保存すると良いですね。
灯油のストーブは現役だよ。災害で停電した事があるから捨てられないなぁ。木彫りの熊は実家にあったけど、邪魔なだけだった。ガラスの灰皿は昔あったなぁ。サスペンスドラマの凶器にもなっていたw足踏みミシン、懐かしいなぁ。中学の時のは足踏みだった。年がばれるw 。遺影写真で、軍人だった親類の写真は全員軍服姿がかっこ良くて凛々しくて見るのがたのしみだった。お菓子の缶は裁縫箱になったりしたなあ。今は、車の鍵のケースになっている。何だかキーの周波数を遮断してくれるから盗難防止になると聞いてからクッキーの缶に入れているよ。
8:34 昔はガラスの重い灰皿で頭を殴って殺すという場面がサスペンスドラマで良く見かけられたものです。
応接間を全くみなくなった。昭和に家を建てるときは応接間を作ることがステータスだった。昭和に建てた私の家にもある。応接間がなかった昭和初期に建てた祖父の家は増築までして応接間を作った。
掛け軸は生まれた時からずっと家にあるから何の違和感も感じなかったなぁ……
ステンレスの浴槽は底が深すぎて子供の頃溺れないように膝立ちして入ってたなあ
平成でも、小学校焼却炉使ってみたたよ~木彫りの熊、アイヌ人形も(木彫り)あったし、ストーブやはり災害時には必要だわ。便利な世の中になってもファッションでも、音楽ももどってますよね~
欄間といえば「波の伊八」だな。あの葛飾北斎が波の絵を描く際にインスピレーションを与えた作家だ。
褞袍?半纏?綿入れ(半纏)って呼んでました。ドテラマンってアニメも有ったなぁ。北海道の一部の店舗では「彫って そのまま」の熊(未塗装)が売ってますので 自分好みに仕上げるも良し、時の流れに任せて熟成を待つも良し(笑)
この動画見てて思い出した。学校に焼却炉あったんだけどホントの話で殺人事件があって、突っ込まれてたのを。
鉄の大きな蓋付きカンカンはお金入れ(なんちゃって金庫)だった。親は、金属なので多少火に耐えると考えたんだろうな。
ガラスの灰皿で殴るとか常識だったよね昔は
どこの組ですか?
昭和サスペンスドラマの殺人シーンの定番やね。
@@michiruhayai3215 女性が襲われるシーンで、手探りで灰皿つかんでボコッって殴ってましたね😅
パワハラアイテムの定番やね
お前は殴った側なのか、やられた側なのか??
ゴーフルとか榮太棲とか、柿の種とか、あの缶が欲しかっんだよなぁ。爺さんのショートピースの缶がいちばんの宝だった。あ、泉屋のクッキーの缶の箱もな📦
殺虫剤が瓶詰めで売っていた。子供の頃、ポンプ式の噴霧器に殺虫液を入れてシュポシュポした記憶がある。昔はハエがめちゃ多かった。魚屋さんにはハエ取りの粘着テープがぶら下がっていた。歯磨きはチューブ式でなく、歯磨き粉が袋に入って売られていた。
ストーブは天板で何でも焼いて食う楽しみがあるんやで
此の度は、〖元祖浪花屋の柿の種〗を動画に入れて戴きまして、有り難う御座います。亀田製菓を始め、他社の製菓会社から作られている柿の種は〝OEM版〟となります。昭和の時代に売られていた〖元祖浪花屋の柿の種〗は、昭和の時代は柿の種がそのまま缶に入れられた状態で売ってました。そして、蓋を開けて柿の種を鷲掴みで掴んで食べるのが当たり前でした。何時の頃からか缶入りの柿の種は、個包装となっては缶に入れる形で売られる様になりました。個包装の方が食べ易い事と、湿気ない(湿気づらい)事から個包装に変えたのだと想われます。鷲掴みで食べるのが実に食べ応えが有って良かったのですが……。
大きく重い灰皿が銃刀法で禁止された時は驚きました。昔は実家で毎週集会をやっていたもので大きなガラスの灰皿が何個もあって、祖母は蒸し暑い季節になるとガラスの灰皿に水を張って切り花を浮かべ、なかなか涼しげな生け花をやっていましたが、もうできませんね…。
実際に銃刀法で調べてみて。どこにもそんな記述見つからないから。
最近は木製の大きな茶箱に、お目にかかってないなあ。衣服や玩具を収納していたのだが…。
小学生の頃は石炭ストーブでした。日直になると、寒い中休み時間に外に石炭を取りに行きました。中学・高校は石油ストーブでしたが、ストーブの上にタライに入れた水を置いていて、これまた日直になると、水が少なくなると補充に行かされてました。石油の補充は、用務員さんが定期的にやってた記憶があります。ガラスの大きな灰皿は、旅館とかに行った時に良く部屋に置いてありましたね。今は銃刀法で禁止なんですね。2014年というとタバコをやめて数年経ったころなので、知らなかったです。高校1,2年の冬休みは、年末の郵便局の配達アルバイトをやってましたが、その頃は赤郵便受けだったと思います。
銃刀法はデマ。実際に銃刀法調べたが、どこにもそんな記述見つからなかったよ。
灰皿100g以上が銃刀法違反ってマジ???それ言い始めたら100g以上の硬くて人殴れそうなもの全部危険ってことになるのでは?
学校の暖房器具といえば、小中学校時代は石油ストーブで、低学年のときは大きなファンヒーターでしたが、高学年と中学は、火が見える円柱タイプのものでした。あれって、ストーブの真ん前の席は、暑くてたまらないのに、離れた席は全くその効果がなく、とても寒かった。高校でエアコンになったときは「ウソでしょ」とびっくりした。お菓子の缶は、模型の塗料を入れるのに現役で使ってる…
ガラスの灰皿とか、木彫りの熊とか。ガラスの灰皿…割れたんだよね…。掛け軸…見たことある。赤い郵便受けは祖母の家にあった。ハトサブレーのカンカン持ってた。開けてみたら写真がいっぱい入ってた。あとゴーフルのカンカンは母のお裁縫道具入れになってた。ミシンは、足踏みのミシンを使ってた。母親が裁縫の学校を卒業していたから、使ってた。最近の遺影の写真はカラーになってる。祖父の遺影写真は白黒の写真だった気がする。最近は父方の祖母、伯父の元奥さんが亡くなったので、遺影写真は見てました。
床の間、うちにあるけど本棚代わりにしてたな😅ずっと掃除してないからホコリ溜まってると思われ掃除しなきゃ思い出させてくれてありがとう
4:25昭和44年に小学校に入学したけどこんなストーブを使うてたで
高校はダルマストーブでした体育から帰ってくるとストーが消えてたりして寒い思いをするので体育の前に石炭をくぺておいてました。一度消えちゃうとつけるのたいへんなんですよね隣のクラスから種火を貰ってつけてました。あったかくなるまでちょっとじかんきるんですよねー
小、中学校で、使用していました。日直の担当でした。火をおこすにあたり、最初の火つきが悪く、苦労した経験をしました。最後は、先生の手助けで、なんとか火をおこし、ストーブとして、役割を果たしました。又、給食の時、食パンを、ストーブのふたの上にのせて、トーストにして食べた学年の時もありました。
おじいちゃん、おばあちゃんの家に大鷲が翼を広げたデカイ置物が床の間にありました。
金属製のと木製のがありましたね
@@第四玉手箱 確か、金属製だったと思います。
震災時にすべてのインフラが絶たれた時、古い石油ストーブが役に立った。震災から復旧したら新しい石油ストーブを買い、古いストーブは作業部屋の暖房に利用している。
キャップ帰りだから包丁(刃物)をキャップ道具と一緒に車内にポンと積んでてもOKは間違いですし、刃物を取り扱う仕事で帰りに鞄等に刃物を鞘に入れていてもアウトです。かなり厳格な規則があり、説明すると長くなりますので、興味のある方は警察のホームページに刃物の取扱い、銃刀法関連の記事がありますのでそちらを見て下さい。
床の間、掛け軸は実家にあります。掛け軸は季節ごと、行事ごとに掛け変えたり。自分の家を建てたときは床の間を作るという発想すらなかった。😅
年末年始限定でプリントゴッコってあったな、買った事なかったけど。
長押の説明、秀逸‼️😂😂😂👍
足踏みミシン懐かしい!……めっちゃ遊んでましたwww踏むとめっちゃ回るんですよ
ベルトはずして早回し競争。踏み板の隙間に指が入り込み、ガッコンガッコン、振り回されて親指骨折したお調子者がおりました。なのに俺の勝ちだとさ。しばらく包帯巻かれていた。彼にはくだらない勝利への執念があるようだ。
桐タンス懐かしーな
学校給食の牛乳瓶をだるまストーブのうえにやかんでお湯沸かしてホットミルクしたり食パン焼いたりしたなぁ
ストーブは寒冷地は必須アイテムですよ
ミシンは何故ミシンと呼ばれるのか?『ソーイングマシン』の『マシン』を『ミシン』と日本人が聞き違えてそのまま広まったという説があります小学生の頃に読んだ何かの本に書いてました
①天井から吊るすハエ取紙②ご飯を上から覆う網状の蚊帳のようなやつ③爪付きお玉④ガスの炊飯器これ等は昭和50年代に大体どの家庭でも見かけた
②はデパートの包装紙だったなぁ
とある中古屋で、額装されたドレの版画を気に入って買ってきた。以来10数年部屋に飾っていたのだが、その部屋を退居する際に、部屋を整理しているとき、フと思ってその額装の裏が気になって開けてみた。見知らぬおばあちゃんの遺影だった。10数年部屋に飾ったままだったことにゾッとしてしまったが、怪異現象等もなかったからもしかしたら守護してくれていたのかもしれない。
江戸末期、函館港に入港したイギリス船でストーブを発見した当時の北海道では凍死が社会問題だったそうです。なのでと当時の発見は大発見でした
祭壇の絵は神道形式ですが食べ物をお供えって言うのは仏教であって神道は神饌って言います、キリスト教は何ていうんだろ?ちなみに葬式へ参列するときに持参するお金は仏教は御仏前、神道は御霊前、キリスト教は残念ながら分かりません。
レスポワールの缶は筆記用具やスプーン、フォークなんかの食器を入れるのに使ってますねー
自分も小学生の頃、石油ストーブがあって他の生徒が上履きを温めるために乗っけてたら靴底が柔らかくなった記憶があるわw
型板ガラス、レトロで可愛くて好きです!
ストーブは便利なんで重宝してます
冒頭の昭和の家風呂の画像が嫁の実家のモノそっくり。ちなみに埼玉県だが夏暑く、冬超寒い。木彫りクマも、デカイ奴がリビングに鎮座しています。
うちのマンション古いからキッチンと部屋の間に型板ガラスの引き戸があるけど、これはもう作られていないのか…大事に使おうと思います。昔は当たり前だったものが無くなっていくの、少し寂しい気持ちになります。
ストーブはまだ使っている家あるけど…ストーブの上でお水沸かしたりしてるの見たことある
あれは冬の乾燥した空気に水蒸気で潤すためにもやっているんですよ。
木彫りの熊は分かるんだけど、田舎の家の玄関にはくす玉のような謎のビーズ工芸やスズメバチの巣とかもあったななんか小型犬の服みたいなの着せられた黒電話に、ページの軸がズレたみたいな電話帳も
すごい急だけど、月夜と葵衣のファンアート描きたいです!!いつも、面白いし勉強にもなる動画をありがとうの気持ちを込めて!!(= ꙍ=)ノ♥︎
割と実家で見たことあるものばっかりww
食パン🍞トースターまだ在るのかな?
焼きあがったら、ポンと飛びあがるトースターですか?私はあれが好きで、それに変えかえました😅
小学一年生の頃、教室では石炭ストーブを焚いてましたガスストーブになったときは大盛りあがりでした
昭和46年生まれの人間ですが家の納戸に足踏みミシンありました😅
トイレの上でガラガラ回っていたヤツ(「臭突」っていうらしいです)。あれ、なんとなく欲しいんですけど、ホームセンターにはないですね。
ガラスの灰皿現役で使ってます。とても使いやすいですよ。
今でも石油ストーブは売ってるよ商品は消えて無い使用する人が少ないだけでしょう
灰皿と言えば、70年代は旅行のお土産がその地のロゴが入った灰皿だった。今は誰も喜ばないか。
木彫りの熊って、私の通ってる職場にもありますよ(*^^*)
小さかった頃(60年代前半)は裏庭に石炭小屋があった。コークスは火力が強くて風呂焚きに使うと湯当たりが強過ぎて好きじゃなかったな。その後、常磐炭鉱の豆炭になって、ガス釜になった。懐かしい。
俺の通っていた小学校では昭和49年までは石炭ストーブを使用していました。その後は石油ストーブに変わりました。夏場はエアコンはまだ無かったから暑くてたまらなかった。
掛け軸は5年前までありました。もう処分しました。
懐かしいもの、ほかに何がありますか?
アンテナテレビ😉
もう、やってたらごめんなさい😅
キッチンパラソル
応接間のソファにかけられた白いレースのカバーみたいなやつ。
祖母の家の応接間のソファにかけてあって、親戚が集まるとすぐみんながソファに座ったり寝転んだりしてぐちゃぐちゃになってた。
もちろん凶器になるガラスの灰皿も置いてあった。
旅行先で買った土鈴も並べてあったなぁ…
かつお節削り器。今使ってる家庭は少ないと思う。
はいちょうという網戸になった小さな棚。おばあちゃんの家にあった、食事の残りをそこにしまっておいたんだよ。風通しが良くて痛みにくいと言うことで、昔の知恵?
それから名前は忘れたけど、食卓を被う網とそれより大きな赤ちゃんをハエなどから守る網。赤ちゃんのは一人用のかやだったかな。どれも今よりも気温が低いから成立したものかもだけど。
後は鰹節を削るかんなと、ハンドル式の削り機。鰹節が固いときはキャベツとかの葉っぱでくるんでおくと削りやすくなるとかばあちゃんに教わった。かんなは時々研いで、大工さんのかんなのように金槌でトントン叩いて歯の具合を調節したりしたな。
後払い台所の出入り口に下がっていた、ビーズの暖簾。懐かしいのぅ。
12:32
昔1970年代に住んでいたアパートは6世帯ぐらいで住んでいたのに、赤い郵便受けが屋外の門柱に一個だけしかありませんでした。
向かいの家の話だと戦後直後に出来たと聞いていたので、後付けだったんだなと納得しました。
それでも手紙が盗まれる事がなく、各々郵便受けを開けては自分んちのを抜き取っていたのが実に当たり前で平和に暮らしていたんだなと、
懐かしく思い出しました。
ああ、行方不明になったミドリガメが郵便受けの上で甲羅干ししてたのを、隣の家のお兄さんが見付けてくれたんだった!www
赤い郵便受けは3年前まで使ってましたが
長年の風雨で劣化した為、ステンレス製に買い替えました。
今住んでる家が築60年以上なので、片板ガラスは家のあちこちで健在です!
すりガラス、曇りガラスといえば、凹凸面にセロテープを貼ったらその部分だけ普通のガラスと同じように透けたのが子供心に不思議でたまらなかった。
ここで紹介されているものがすべて実家の母屋にあったけれど、遺影は最近外されていたなぁ。まさに並び順も場所も形式に則ったものだったけれど、唯一生前の姿を知っていた大好きな祖母の遺影が無くなっていたのが少し寂しかった。
私の部屋のガラスがすりガラスですが、凹凸が粗く、セロテープを貼っても透けて見えないタイプです…
灰皿の話は誰かが作ったコラ画像がデマ元ですよ、ダガーナイフ所持禁止ポスターのコラ画像です。
そもそも、銃刀法に灰皿の記載はありませんしね。
銃砲刀剣類所持等取締法
第一条 この法律は、銃砲、刀剣類等の所持、使用等に関する危害予防上必要な規制について定めるものとする。
第三条 何人も、次の各号のいずれかに該当する場合を除いては、銃砲若しくはクロスボウ 又は刀剣類を所持してはならない。
どこに灰皿があるんだって言うねw
あー、良かった間違えで、黒王の灰皿重かったですよ!
私のアパートのキッチンと居間とを仕切る扉には、型板ガラスが使われていますね。
足踏みミシンは、小さい頃に家にありました、横に倒して机の中に収めるタイプでした。
その昔、ウチにあった大型のガラス製の灰皿は袋入りの飴やラムネやクッキーなど、駄菓子を
盛る容器になってました。型板ガラスに関しては、昨今は一般的な透明ガラスの上に貼れる
様々な半透明シール(柄入り)があるので、無理に本物を入手しなくても良いのではないかと。
足踏みミシンはペダルの踏み込み(上下運動)がクランクを介してミシンを稼働させる回転運動に変換される仕組みが子供心に不思議で面白かった。あと作業する天板を開けてミシンの機関部を格納できる仕組みも。
学校の教材に、足踏みミシンと電動ミシンの両方があった。知り合いの家には足踏みミシンがあった(その方は亡くなり、その家は取り壊されたが)…
灰皿の件エビデンス見当たらないなぁ
個人のネタ画像が見つかるけど銃砲刀剣類所持等取締法の条文の中には灰皿の文字無いっぽいけど
灰皿はデマですね
昭和ネタのゆっくりチャンネルをそのままパクってるようです
ネタ画像が原因のデマですね
ruclips.net/video/4DnlJJ371Jg/видео.html
この動画の14:50あたりの情報をそのまま流用したようです
床の間や仏壇の解説など文化史の勉強にもなってありがたい。
昭和に祖父が建てた家に住んでるんだが、最近猫が仏壇の荒らし方覚えて困ってる…
赤い郵便受けは、最近見かけなくなりましたが、たまに、赤い郵便受けを取り付けている、民家を見かける事があります。昭和50年代は、取り付けている民家が、当たり前にありました。
消えたというより見ることが少なくなったって感じかな。頻繁ではないものの、普通に見かける物の方が多い印象
今じゃ木彫りの熊はプーさん柄や逆に鮭に喰われてる物とかバリエーション豊かになったよね。
ロシアのマトリョーシカのルーツは、東北の入れ子型コケシ。入れ子型コケシのルーツは、エジプトのファラオの棺。
実家(平成に建てた家)には、石油ストーブも、ガラスの灰皿も、赤い郵便受けも、掛軸も、お菓子の缶もある。あ、灰皿は私がこの間捨てたんだ。足踏みミシンは、私が子供の頃は、家にも学校にもあった。意外と使い勝手は良かった。
どうぶつの森も初代らへんは船乗りのおみやげで木彫りのクマあったけど・・・
今の最新作あつ森だと船乗りのお土産にもなければ通常販売家具からも消えてるからなぁ。
普通に好きだったんだけど。
昭和の生活用品、懐かしい思い出です。生活用品関係は、ニュースで取り上げられないから、知らない間に無くなるっての多いよね。今回も、昭和の貴重な配信ご苦労様でした、月夜ちゃん、葵依ちゃん👍。
ストーブの変遷懐かしいですね。自分が低学年の頃は、朝コークス当番が、用務員のおじさんの所にバケツで、コークス貰いに行ってましたね。後はストーブの上のアルマイトのタライに、水入れて給食の瓶牛乳を温めて飲んでましたね。中学の頃は教室のガスストーブの上の熱が出るところで、給食の食パンを焼いてトーストにしてたのを記憶しています
アイヌはもともと動物の彫刻を禁忌としていたため、近代以前には動物文様の彫刻は見られない。
近代以降に熊をモチーフにしたのはに本州人が経済的に困窮したアイヌの生活立て直しのためにこれを勧めたためである。
ちなみにアイヌの細工品は江戸時代から蝦夷地の特産品として有名で、刀の鞘などの木工細工が取引されていた。
北海道だと新築とかじゃない限りエアコンなんて滅多にない感じがする。学校は小中高全部無かったし、道外の大学に行くまでエアコンのリモコンを自分で操作したことが無かったレベル。
でもエアコンよりストーブの方が暖かいんだよなー
最近はエアコン増えてますよ!ただ冬用じゃなくて夏の暑さのためです!ここ数年耐え難い暑さが続いていますから。
紹介されたもの…木彫りの熊と掛け軸は普通にあります。火鉢もありますが、使ってはないんですけどね。今年は昭和97年(^^)
サスペンスドラマの凶器で必ず出てくるガラスの灰皿。
お菓子で缶と言ったらサクマ式ドロップス
買ってたかと言うとそれは無い
ミシンは進化して今もあるけど
ジャーーージャーーーと左右に持ち手を動かす毛糸の編み機は全く見なくなった
缶と言えば泉屋のクッキーも忘れないで!真ん中のドーナツ型のが取り合いだった。今でも大好き💕
家庭科のミシンは足踏みでした😂
逆走しちゃうんです❣️
ガラス板ですが高杉クリニックさんのRUclipsの背景はとても懐かしい磨りガラスです😊
楽しかったです。
upありがとうございました❤
おはようございます。昭和のレトルトな雑貨は懐かしいですね😀😀😀😀
返信ありがとうございます。
サントリーオールドに毛糸で作った衣装を着せてたり 椰子の実を人形みたいに作ったもんがまぁまぁあったよな
ポケモンのカプテテフを見たら妙に思い出した
大きい灰皿は個人宅にはもちろん飲食店にあったイメージです。禁煙分煙の時代だからたしかに見る機会は減ってますがまさか銃刀法違反になる可能性があるとは……
目に見えるところにはないけどしまい込んでる人はいっぱいいると思いますし、こういう情報はテレビのワイドショーがやればいいのにって思いました。
ナイフやボウガンや許可なく飼ってはいけなくなった生き物なんかはちらほら知ってるけどまさかあの灰皿が……
ガラスの灰皿が凶器になる昔のサスペンスドラマも、時より再放送されていますね。
小学校の頃は異様に息苦しく疲労感が酷かったのですが、
よく考えたら屋内(居間)で親や親族の喫煙が原因だったのではないか、と思います。
一度も煙草吸っていませんが、家系もあり、今後の健康が心配です。
わたしも喘息持ちの子供でしたが、両親とも「セブンスター」「ハイライト」といった煙草を喘息吸入器をつかってる私の横で吸っていましたしね~家の電灯の傘が黄色くにごっていましたよ・・・
ネタですから
@@凶太郎-t1m
ネタというよりデマ。
うちの実家は表側が生け垣、裏側がトタン塀、門の所の一部だけがブロック塀で郵便受けはブロック塀に埋め込まれていたけど、蓋が壊れて郵便物が落ちてしまうので付け替えた。
田舎だから表札も出してなくて、数年前に郵便受けを新しく着けた時にラベルライターで父の名を貼ってやっと表札に準じるものを付けられた。
今でもキャラクターのお菓子で四角い缶を見かけると買っています。細長い缶には小学生の時の未使用トッポジージョ、サンリオの鉛筆が入っています。
足踏みミシンはスピードの調節が簡単でした。
どの家の玄関にもガラスケースに入った姫ダルマが飾ってありました。あれは押し売りから買っていた物ですね。
婚約して初めて相手の実家に泊まった時、遺影がずらりと並んでいて怖くて眠れなかったです。
石油ストーブは暖房機であり、やかんで加湿器にもなるし加熱調理もできる
木彫り熊、意外と高いぞ(笑)
ガラスの灰皿がヤ○ザの事務所に有るのは
ドツくタメだぞ。
以前、洒落の解る友人の家の床の間に『モナリザ』の掛け軸があったなぁ(笑)
見た時に不本意ながら爆笑してしまった。
ダルマストーブ懐かしいですね。
小学校の頃ストーブにコークスを焚べる作業を男女関係なくやらされてました。真っ赤になったスコップを振り回したりして遊んでました。
今だったら大問題ですね。
木彫りの熊は鮭の逆襲とか新シリーズ出てるのがすごいわ
熊の置物は面白かった。お土産シリーズを、お願いします。提灯や三角形のペナントを、お願いします。
石油ストーブは、2004年の新潟県中越地震で電気とガスが止まった時に自宅でも活躍しました。
地震発生が10月23日ということもあり、明け方と夜間は寒くなり始めた時期でした。
災害の備えとして、昔ながらの製品が有用になることもあると思い知った体験でしたね。
実はアナログは災害や事故に強いんですよ。
昔、北海道に住んでいる友人の家に遊びに行ったら、一般的な反射型ストーブよりも一回り大きくて煙突の付いた反射型ストーブがあって驚いた。(ごく普通の一戸建て民家)
部屋の隅には普通の反射型ストーブがあったので、
俺「普段はこっち(小さい方)使っているんだろ?」って聞いたら、
友「いや、それはこっち(大きい方)でも足りない時に追加で使う用w」
と笑いながら言われてさらに驚いた。
赤い郵便ポストは田舎に行くとたまに見かけます
それに大抵は農家か大きな家に多く設置してある所が多いです。
昔の人は、お菓子の空き缶には写真や手紙を入れてましたね。戦時中、火災で焼失しない様にだったみたいです。大事な書類などはお菓子の空き缶に保存すると良いですね。
灯油のストーブは現役だよ。災害で停電した事があるから捨てられないなぁ。木彫りの熊は実家にあったけど、邪魔なだけだった。ガラスの灰皿は昔あったなぁ。サスペンスドラマの凶器にもなっていたw
足踏みミシン、懐かしいなぁ。中学の時のは足踏みだった。年がばれるw 。遺影写真で、軍人だった親類の写真は全員軍服姿がかっこ良くて凛々しくて見るのがたのしみだった。
お菓子の缶は裁縫箱になったりしたなあ。今は、車の鍵のケースになっている。何だかキーの周波数を遮断してくれるから盗難防止になると聞いてからクッキーの缶に入れているよ。
8:34 昔はガラスの重い灰皿で頭を殴って殺すという場面がサスペンスドラマで良く見かけられたものです。
応接間を全くみなくなった。昭和に家を建てるときは応接間を作ることがステータスだった。昭和に建てた私の家にもある。応接間がなかった昭和初期に建てた祖父の家は増築までして応接間を作った。
掛け軸は生まれた時からずっと家にあるから何の違和感も感じなかったなぁ……
ステンレスの浴槽は底が深すぎて子供の頃溺れないように膝立ちして入ってたなあ
平成でも、小学校焼却炉使ってみたたよ~
木彫りの熊、アイヌ人形も(木彫り)
あったし、ストーブやはり災害時には必要だわ。便利な世の中になってもファッションでも、音楽ももどってますよね~
欄間といえば「波の伊八」だな。
あの葛飾北斎が波の絵を描く際にインスピレーションを与えた作家だ。
褞袍?半纏?綿入れ(半纏)って呼んでました。ドテラマンってアニメも有ったなぁ。北海道の一部の店舗では「彫って そのまま」の熊(未塗装)が売ってますので 自分好みに仕上げるも良し、時の流れに任せて熟成を待つも良し(笑)
この動画見てて思い出した。学校に焼却炉あったんだけどホントの話で殺人事件があって、突っ込まれてたのを。
鉄の大きな蓋付きカンカンはお金入れ(なんちゃって金庫)だった。
親は、金属なので多少火に耐えると考えたんだろうな。
ガラスの灰皿で殴るとか常識だったよね昔は
どこの組ですか?
昭和サスペンスドラマの殺人シーンの定番やね。
@@michiruhayai3215 女性が襲われるシーンで、手探りで灰皿つかんで
ボコッって殴ってましたね😅
パワハラアイテムの定番やね
お前は殴った側なのか、やられた側なのか??
ゴーフルとか榮太棲とか、柿の種とか、あの缶が欲しかっんだよなぁ。
爺さんのショートピースの缶がいちばんの宝だった。
あ、泉屋のクッキーの缶の箱もな📦
殺虫剤が瓶詰めで売っていた。子供の頃、ポンプ式の噴霧器に殺虫液を入れてシュポシュポした記憶がある。昔はハエがめちゃ多かった。魚屋さんにはハエ取りの粘着テープがぶら下がっていた。歯磨きはチューブ式でなく、歯磨き粉が袋に入って売られていた。
ストーブは天板で何でも焼いて食う楽しみがあるんやで
此の度は、〖元祖浪花屋の柿の種〗を動画に入れて戴きまして、
有り難う御座います。
亀田製菓を始め、他社の製菓会社から作られている柿の種は〝
OEM版〟となります。
昭和の時代に売られていた〖元祖浪花屋の柿の種〗は、昭和の
時代は柿の種がそのまま缶に入れられた状態で売ってました。
そして、蓋を開けて柿の種を鷲掴みで掴んで食べるのが当たり
前でした。
何時の頃からか缶入りの柿の種は、個包装となっては缶に入れ
る形で売られる様になりました。
個包装の方が食べ易い事と、湿気ない(湿気づらい)事から個包
装に変えたのだと想われます。
鷲掴みで食べるのが実に食べ応えが有って良かったのですが……。
大きく重い灰皿が銃刀法で禁止された時は驚きました。昔は実家で毎週集会をやっていたもので大きなガラスの灰皿が何個もあって、祖母は蒸し暑い季節になるとガラスの灰皿に水を張って切り花を浮かべ、なかなか涼しげな生け花をやっていましたが、もうできませんね…。
実際に銃刀法で調べてみて。
どこにもそんな記述見つからないから。
最近は木製の大きな茶箱に、お目にかかってないなあ。衣服や玩具を収納していたのだが…。
小学生の頃は石炭ストーブでした。日直になると、寒い中休み時間に外に石炭を取りに行きました。中学・高校は石油ストーブでしたが、ストーブの上にタライに入れた水を置いていて、これまた日直になると、水が少なくなると補充に行かされてました。石油の補充は、用務員さんが定期的にやってた記憶があります。
ガラスの大きな灰皿は、旅館とかに行った時に良く部屋に置いてありましたね。今は銃刀法で禁止なんですね。2014年というとタバコをやめて数年経ったころなので、知らなかったです。
高校1,2年の冬休みは、年末の郵便局の配達アルバイトをやってましたが、その頃は赤郵便受けだったと思います。
銃刀法はデマ。
実際に銃刀法調べたが、どこにもそんな記述見つからなかったよ。
灰皿100g以上が銃刀法違反ってマジ???
それ言い始めたら100g以上の硬くて人殴れそうなもの全部危険ってことになるのでは?
学校の暖房器具といえば、小中学校時代は石油ストーブで、低学年のときは大きなファンヒーターでしたが、高学年と中学は、火が見える円柱タイプのものでした。あれって、ストーブの真ん前の席は、暑くてたまらないのに、離れた席は全くその効果がなく、とても寒かった。高校でエアコンになったときは「ウソでしょ」とびっくりした。お菓子の缶は、模型の塗料を入れるのに現役で使ってる…
ガラスの灰皿とか、木彫りの熊とか。
ガラスの灰皿…割れたんだよね…。
掛け軸…見たことある。
赤い郵便受けは祖母の家にあった。
ハトサブレーのカンカン持ってた。
開けてみたら写真がいっぱい入ってた。
あとゴーフルのカンカンは母のお裁縫道具入れになってた。
ミシンは、足踏みのミシンを使ってた。
母親が裁縫の学校を卒業していたから、使ってた。
最近の遺影の写真はカラーになってる。
祖父の遺影写真は白黒の写真だった気がする。
最近は父方の祖母、伯父の元奥さんが亡くなったので、遺影写真は見てました。
床の間、うちにあるけど
本棚代わりにしてたな😅
ずっと掃除してないからホコリ溜まってると思われ
掃除しなきゃ
思い出させてくれてありがとう
4:25
昭和44年に小学校に入学したけど
こんなストーブを使うてたで
高校はダルマストーブでした
体育から帰ってくると
ストーが消えてたりして寒い思いをするので
体育の前に石炭をくぺておいてました。
一度消えちゃうとつけるのたいへんなんですよね
隣のクラスから種火を貰ってつけてました。
あったかくなるまでちょっとじかんきるんですよねー
小、中学校で、使用していました。日直の担当でした。火をおこすにあたり、最初の火つきが悪く、苦労した経験をしました。最後は、先生の手助けで、なんとか火をおこし、ストーブ
として、役割を果たしました。又、給食の時、食パンを、ストーブのふたの上にのせて、トーストにして食べた学年の時もありました。
おじいちゃん、おばあちゃんの家に
大鷲が翼を広げたデカイ置物が床の間にありました。
金属製のと木製のがありましたね
@@第四玉手箱 確か、金属製だったと思います。
震災時にすべてのインフラが絶たれた時、古い石油ストーブが役に立った。
震災から復旧したら新しい石油ストーブを買い、古いストーブは作業部屋の暖房に利用している。
キャップ帰りだから包丁(刃物)をキャップ道具と一緒に車内にポンと積んでてもOKは間違いですし、刃物を取り扱う仕事で帰りに鞄等に刃物を鞘に入れていてもアウトです。かなり厳格な規則があり、説明すると長くなりますので、興味のある方は警察のホームページに刃物の取扱い、銃刀法関連の記事がありますのでそちらを見て下さい。
床の間、掛け軸は実家にあります。掛け軸は季節ごと、行事ごとに掛け変えたり。自分の家を建てたときは床の間を作るという発想すらなかった。😅
年末年始限定でプリントゴッコってあったな、買った事なかったけど。
長押の説明、秀逸‼️😂😂😂👍
足踏みミシン懐かしい!
……めっちゃ遊んでましたwww
踏むとめっちゃ回るんですよ
ベルトはずして早回し競争。踏み板の隙間に指が入り込み、ガッコンガッコン、振り回されて親指骨折したお調子者がおりました。なのに俺の勝ちだとさ。しばらく包帯巻かれていた。彼にはくだらない勝利への執念があるようだ。
桐タンス懐かしーな
学校給食の牛乳瓶をだるまストーブ
のうえにやかんでお湯沸かして
ホットミルクしたり食パン焼いたりしたなぁ
ストーブは寒冷地は必須アイテムですよ
ミシンは何故ミシンと呼ばれるのか?
『ソーイングマシン』の『マシン』を『ミシン』と日本人が聞き違えてそのまま広まった
という説があります
小学生の頃に読んだ何かの本に書いてました
①天井から吊るすハエ取紙
②ご飯を上から覆う網状の蚊帳のようなやつ
③爪付きお玉
④ガスの炊飯器
これ等は昭和50年代に大体どの家庭でも見かけた
②はデパートの包装紙だったなぁ
とある中古屋で、額装されたドレの版画を気に入って買ってきた。以来10数年部屋に飾っていたのだが、その部屋を退居する際に、部屋を整理しているとき、フと思ってその額装の裏が気になって開けてみた。
見知らぬおばあちゃんの遺影だった。10数年部屋に飾ったままだったことにゾッとしてしまったが、怪異現象等もなかったからもしかしたら守護してくれていたのかもしれない。
江戸末期、函館港に入港したイギリス船でストーブを発見した当時の北海道では凍死が社会問題だったそうです。なのでと当時の発見は大発見でした
祭壇の絵は神道形式ですが食べ物をお供えって言うのは仏教であって神道は神饌って言います、キリスト教は何ていうんだろ?ちなみに葬式へ参列するときに持参するお金は仏教は御仏前、神道は御霊前、キリスト教は残念ながら分かりません。
レスポワールの缶は筆記用具やスプーン、フォークなんかの食器を入れるのに使ってますねー
自分も小学生の頃、石油ストーブがあって他の生徒が上履きを温めるために乗っけてたら靴底が柔らかくなった記憶があるわw
型板ガラス、レトロで可愛くて好きです!
ストーブは便利なんで重宝してます
冒頭の昭和の家風呂の画像が嫁の実家のモノそっくり。
ちなみに埼玉県だが夏暑く、冬超寒い。
木彫りクマも、デカイ奴がリビングに鎮座しています。
うちのマンション古いからキッチンと部屋の間に型板ガラスの引き戸があるけど、これはもう作られていないのか…大事に使おうと思います。昔は当たり前だったものが無くなっていくの、少し寂しい気持ちになります。
ストーブはまだ使っている家あるけど…
ストーブの上でお水沸かしたりしてるの見たことある
あれは冬の乾燥した空気に水蒸気で潤すためにもやっているんですよ。
木彫りの熊は分かるんだけど、田舎の家の玄関にはくす玉のような謎のビーズ工芸やスズメバチの巣とかもあったな
なんか小型犬の服みたいなの着せられた黒電話に、ページの軸がズレたみたいな電話帳も
すごい急だけど、月夜と葵衣のファンアート描きたいです!!
いつも、面白いし勉強にもなる動画をありがとうの気持ちを込めて!!
(= ꙍ=)ノ♥︎
割と実家で見たことあるものばっかりww
食パン🍞トースターまだ在るのかな?
焼きあがったら、ポンと飛びあがるトースターですか?
私はあれが好きで、それに変えかえました😅
小学一年生の頃、教室では石炭ストーブを焚いてました
ガスストーブになったときは大盛りあがりでした
昭和46年生まれの人間ですが家の納戸に足踏みミシンありました😅
トイレの上でガラガラ回っていたヤツ(「臭突」っていうらしいです)。あれ、なんとなく欲しいんですけど、ホームセンターにはないですね。
ガラスの灰皿現役で使ってます。とても使いやすいですよ。
今でも石油ストーブは売ってるよ
商品は消えて無い
使用する人が少ないだけでしょう
灰皿と言えば、70年代は旅行のお土産がその地のロゴが入った灰皿だった。今は誰も喜ばないか。
木彫りの熊って、私の通ってる職場にもありますよ(*^^*)
小さかった頃(60年代前半)は裏庭に石炭小屋があった。コークスは火力が強くて風呂焚きに使うと湯当たりが強過ぎて好きじゃなかったな。その後、常磐炭鉱の豆炭になって、ガス釜になった。懐かしい。
俺の通っていた小学校では昭和49年までは石炭ストーブを使用していました。その後は石油ストーブに変わりました。夏場はエアコンはまだ無かったから暑くてたまらなかった。
掛け軸は5年前までありました。もう処分しました。