ドイツ語の諺「ズボンと上着は同じ」は「Jacke wie Hose」、直訳すると「ズボンみたいな上着」で、大昔はズボンも上着も同じ生地だっただろうという点に着目すれば、お二人も動画内で仰っていましたが文脈的に理解に難くはありません。 僕は、中世の生地職人が生地を青"blau"に染める為に酔い潰れた人の尿を使っていた事から派生した"blau sein"(訳「青い」→酔っている)、その後生地を乾かす間ぐうたらしていた事から派生した"blauer Montag"(訳「青い月曜日」→定休日)"blaumachen"(訳「青する」→サボる)や、第一次世界大戦中の兵隊たちが敵地でお家に帰りたいあまり「駅」という単語にしか反応を示さなくなったという経緯からできた"nur Bahnhof verstehen"(訳「駅しか分からん」→わけわかめ)など、背景の文脈が突拍子もない諺シリーズも奥ゆかしくて好きです
ヒンディー語専攻していたものです。 前回の冒頭いきなりヒンディー語の諺が出てきたので、嬉しくなって「世界ことわざ比較辞典」を手に入れました。表紙にऊँट के मुँह में ज़िरा (ラクダの口にクミンシード) が挿絵付きで載っていたので期待大だったのですが、実際開いて読んで見ると、約400ある諺のうち10にも満たない項目にしかヒンディー語が出ていなくてガッカリ。同系統言語で同じ文化圏のネパール語はほぼほぼ全部の項目に出ているのに…。「同じ穴の貉」という意外な項目で出ていたけど、 एक ही थैली के चट्टे बट्टे の訳が「一つの袋の幼児用おもちゃ」とあって、なんか製品の取扱説明書みたい…。「同じ巾着袋に入っているおしゃぶりとガラガラ」の方がイメージしやすく、「どんぐりの背比べ」みたいなホンワカ感や事の矮小性が伝わるんだけどなと思いつつ…。外国語の諺は文化背景が違うところや意味の指す範囲の限界あって、少ない語彙でピッタリのイメージ伝えるのは至難の業ですね。でもまえがきを読んでこの辞典の目指すところや膨大な作業には敬服です。
ロシアでは暖炉の上に寝床があって、「暖炉から飛び降りる間」というのは「朝起きだす間」という意味だと思います。「世界の故事名言ことわざ総解説」を参照しました。
「自殺」ではなくてよかった
まあそりゃそうか
氷点下のロシアで寝床の下に暖炉が無かったら死んじゃうもんな
ゴールデンカムイに出てきて思い出しました!
「地雷を踏む」「オブラートに包む」ってもう現代の諺でいいと思うの。
いつか
A「地雷を踏む」B「ww…え?地雷をですか…?あの地雷…?ww」A「本当ですよ!…wwこの本に…」みたいな会話がされるのかもしれない
いいえ。
「ことわざは民衆の声、したがって神の声」、堀元さんが「民衆の声は神の声」があれば許せるとおっしゃっていましたが、ラテン語の成句にvox populi vox dei「民の声は神の声」というものがあるので、これを意識したかなりハイコンテクストなことわざなのかもしれません。
ドンピシャな補足ありがとうございます、まさにそれが言いたかったんですよね〜(初耳)
@@yurugengo 堀元さんが知らないの意外でした。
朝日新聞のコラム「天声人語」はこれの漢語翻訳としてちょー有名ですぞ。
聖マルチンが白馬に乗って迫るちん
寒すぎてもう冬来たかもしれん
ギャグが寒くて困るちん
これ評価してるの水野さんだろw
@@いくら-c1j 大好き
ラディッシュを下から見る=日本語なら「草葉の陰」に近いのですね。おもしろいなあ
一応中国語母語話者で現在日本に住んでる者です。ハンドルネームは「あいうえお」と読みます。
中国の故事成語やことわざに明らかに盛った数字が出てくるのは古代中国の知識人が同時に詩人でもあるからではないかと考えます。当時の教養として作詩が当たり前のもので、対句や押韻を優先したのではないだろうか。
また、唇亡歯寒と歯亡舌存についてですが、お二方が違和感を覚えられた原因はおそらく「亡」が「滅びる」と読むと辞書にあるからではないかと考えています。もしそれを「なくなる」と読めば、違和感もなくなるのではないでしょうか。唇亡歯寒は、唇は緩衝地帯で、もし緩衝地帯がなくなれば、歯は直接寒さにさらされ、危機に陥るということだと思います。例えば、朝鮮戦争において中国が義勇軍を出したのも朝鮮という唇がなくなれば、中国という歯がアメリカという寒さに晒されます。歯亡舌存は、年を取るとそれまでに固いものをかみ砕いてきた歯は次々と抜け、弱そうな舌がいつまでも残っているということを言ってると思います。
とはいえ、唇がなくなることは確かに意味不明ですね。
最後に、個人的に面白いと思った中国の故事成語を三つ紹介します。
まずは懸梁刺股(けんりょうしこ)。これは日本語にもあるようで、懸頭刺股(けんとうしこ)と言われているようです。苦労して勉学に励むことのたとえであり、これは二つのエピソード、懸梁と刺股から成り立っています。懸梁は、漢の時代の孫敬と言う人が夜通し勉強した際、寝落ちしないために自分の髪と天井の梁を縄で結び、眠りそうになったら髪が引っ張られ、その痛みで目が覚めるというもの。ちなみに、日本語で調べると天井の梁から吊り下げた縄を自分の首に引っ掛けるから懸頭とあるが…どっちが正しいでしょうか…次に、刺股ですが、戦国時代の蘇秦が同じように夜通し勉強していた時に眠気を覚ますために太ももを錐で刺していたことに由来します。血がくるぶしまで垂れていたとか…
次に、葉公竜を好む(しょうこうりゅうをこのむ)という四字熟語ですが、これは見せかけだけの愛好を揶揄したたとえで、葉公という竜が大好きで家中に竜に関するものを飾っていた人がいた。これに感動した竜は葉公に直接会いに行ったが、本物の竜を目にした葉公は恐怖に駆られ逃げ回り、ついには気絶してしまった。数年前にテレビでカープ女子にわか説のようなものが検証されたのを思い出す。広島カープのユニフォームを着た女性がカープの監督の写真を見せられ、「誰このおじさん」と言ったのが印象的でした。堀元さん、にわかを目撃した際はぜひこのことわざを使ってみてください。
最後に、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)という成語ですが、これは書物を大量に持つことのたとえで、牛車で運べば牛が汗をかき、家で積み上げれば天井(棟木)に届くという意味です。水野さん、ぜひ使ってみてください。
長文失礼しました。ゆる言語学ラジオもゆるコンピューター学ラジオもいつもジョギング中に聴いてます。ことわざ回はとても面白かったので、ぜひ続きを作ってください。
葉公竜を好む、堀元さんが好きそうですね。話としても面白い。
蛍雪が好きです。リアル部屋に差し込む街灯で受験勉強したことがあります。
ことわざじゃありませんが非常に怒っている事をあらわす言い方で「ガンジーでも助走をつけて殴るレベル」って凄いと思った
最高です
核 ガ ン ジ ー
痛快ですよね
助走をつけてがいい味出してます
この表現の出典ってどこなんでしょうね
こういう現代ネットミーム学みたいなのも気になるなあ
この世界のことわざ辞典に「プリンでトランジスタを作る」を是非入れて欲しい。
東海出身だからか、水野さんの「なし\」に違和感がなかった
27:57 27歳成人男性の「うえーん」、愛らしさを感じて好き
OJADというネットの日本語アクセント辞典があります。
東大と何かエラい研究機関が関わってる信頼できるとこみたいですが、そこでも「梨」は「なし\」と書かれてました。
堀元さんの発音は、関東出身者がTVラジオを通して関東方言アクセントを広めてるのを学習したという事だと思います。
名古屋生まれの自分も違和感なかったですね。でも和歌山弁(おそらく関西含む)なら、なし ̄だと思います。
馬と火鉢みたいな突拍子もない比較好きだけどなあ。
根本から違うことが理解できるし、「どうしてその2つが出てきた?」みたいな言葉選びも楽しい。
こういう突拍子もない発想は昔の落語家さんたちがすごいですよ。もし興味があれば昭和の落語家さんとか調べてみてください。
コメントしましたが…
・馬…男根
・火鉢…膣
というイメージで、うまい例えだなと私は思いました。
太宰治の時代がそうだったか分かりませんが…
昔は通い婚だった事とかも考えると、
・男…移動できる「馬」
・女…家で動けず(男の家に行けず)待つ「火鉢」
かなと。
3:30 「女心と秋の空」は元々は「男心と秋の空」だったという話もありますし、結局何であろうと人の心は変わりやすいんでしょうね
いっそのこと、ゆる言語で「現代ことわざ大賞」をやりませんか?視聴者のみなさんで、現代の世相を反映した諺を作って、お二人に大賞を決めてもらうというのはどうでしょう。
現代の世相を反映した諺というのは、例えば(思いつきですが)
「水ガス止まってガチャを引く」水道やガスが止まっているのに課金ガチャを引くような、優先順位が分からない人・様子。
「視聴者増やして広告失う」RUclipsrが収入を得るために視聴者を増やそうとして過激な動画をアップした結果、視聴者は増えたけれども広告がつかなくなってしまうような、中間的な目標を達成するために、最終的な目標を見失った様。
「瞳からでも住所は分かる」SNSにアップした写真の瞳に映った部屋の構造から、ストーカーに自宅住所を特定されたアイドルの例から、ネット上にアップする個人情報には細心の注意を払えという戒め。
ウイグル人はムスリムで、髭は蓄えていると経験豊かな人だ、とみなされる文化があります。ことわざを多く使える人も経験豊かな証拠と言えるため、いい喩えに思えますね
ミスターホリモトが「女心と秋の空」好きと言った瞬間に、「これは、この諺が前は『男心と秋の空』だったことを踏まえて変な男女平等を茶化す感じで紹介するやつだ!」と思ったのに違った。
【ゆる言語学ラジオ限定ことわざ】
堀元が捨てたネギを水野が拾う
39:07
タンゴのように柏手を打つ
笑ううんちくモンスター
@@1joker141
あれのこと「モンキークラップ」って勝手に言ってた…タンゴの方がオシャレですね…
@@tekoku3 水野さんの手の叩く音がいい音すぎて浮かんだのでモンキークラップはモンキークラップだと思います
10:30 で空海と温泉発見のエピソードがありますが、太宰府近隣の温泉や旅館では「菅原道真も入った湯」「泊まった宿」「食べた料理」とかザクザクあります。それが全て本当なら道真は死ぬほど太宰府をエンジョイしてたことになりますね笑
それは心温まる話ではありますね♨
大宰府生活をエンジョイしたにも関わらず怨霊となって出てくるんだから、恩を仇で返すみたいなやつですね。
去るものは日々に疎し、英語でもOut of sight,out of mind.って言うから、世界的に共通認識で真理なんだろうなあって思う
現代のことわざと聞いて連想したのは、博多華丸大吉の漫才で頻出される「よその子とゴーヤ(オクラ)は育つのが早い」かしら……使ったことはないけれど腹落ちはすごいする
乾杯の挨拶とスカートは短いほうがいい
25:54
新明解日本語アクセント辞典(第二版)によると、梨の「し」は高く発音します。
しかし後に「が」や「は」などの助詞がつくとその助詞を低く発音します。
ただし、最近では助詞に関わらず常に高く発音することも一般的になっているようです。
なので今回の「カラスが飛び立ち梨が落ちる」の場合お二方とも正しい発音ですが古くから発音されているのは水野さんの発音ですね。
私もコメントで指摘されるまで気付かなかったのですが今回の論点は梨の「し」ではなく梨の後の助詞「が」の高低という問題のようです。
《「が」や「は」などの助詞がつくと》と書かれたところは、《高く発音した「し」の後の「が・は」は低く発音する》ということでしょうか。 (=「し」がアクセント核になって直後に落ちる尾高型で、犬と同じ発音)
NHKアクセント辞典でも、水野さんの尾高型、堀元さんの平板型の2つが記載されています。
な(低)し(高)は一定で、あとに続く助詞の高低が変化するという理解でいいと思うのですが…。
@@kapikapikapivara
私の間違った理解を訂正していただきありがとうございます。
もう一度辞書を読み直すとSolemさんの通りで
「後に続く助詞の高低が変化する」が正しいです。
この度は誤った理解を広めてしまい申し訳ありませんでした。
@@サンカクふらすこ いえ!語が終わった後での高低にも違いがあることや、標準語では上がる所よりも落ちる所が問題になる(な ̄し ̄ でもな_し ̄でも同じ型に分類されます)点は一般に広く知られている知識ではないので、辞書を見ても実際かなり分かりづらいと思います。
わざわざご返答ありがとうございました。
「唇亡びて歯寒し」などの一見「?」なことわざって定期的にことわざ集作る人が「何このことわざ芯喰ってないやん…でもオモロいから載せとこ」が脈々と続いているだけやったらエモい
「半年ROMれ」も一見喧嘩売ってるように見えて「物事を俯瞰して冷静に見極めることが大切」というようなことわざにもなるんですね(?)
郷に入っては郷に従え
に近い気もします
インターネット掲示板に入るなら、そこの文化に従えみたいな…?
動画中で水野さんが引用している「隙自語」は成立に直接の経緯と究極の経緯が存在していたり、こういう「現代成語(?)」も深掘ってみると非常に面白いものですよね
ドイツにいた時に息子の帝王切開予定日が11/11でした。結構直前になって、その日が聖マルチンの日(St. Martinstag)だということに気が付きました。調べてみたら、聖マルチンは凍えている貧しい人に自分のマントの半分に切ってあげるという、慈悲深い素敵な感じの人だったのでいいなぁと思い、それまで予定していたセカンドネームをMartinに変更しました。息子は自分の物を人にもわけてあげたりする優しい所がある子に育ったので、セカンドネームにそれを入れて良かったなぁと思っています。
今は南半球に引っ越してしまったため、息子の誕生日は冬の到来というよりは、これから夏だなぁという感じです。
フランスの「去る者日々にうとし」に相当する諺がお洒落です。"Loin des yeux, loin du couer." (目から遠ければ心臓(心)からも遠い)。 物理的にもその通りだし、心情的にもその通りです。元はラテン語の諺(詩?)で、愛情の変化のことらしいです。
8:16 ホメロスが居眠りするわけじゃなくて、偉大なホメロスといえども観客がつい居眠りをしてしまうようなつまらない戯曲を書いてしまうこともある、という意味の諺ですね。
現代で諺の代わりに使われているものは、ネットスラングや漫画・映画・ドラマ等の名言だと思います。
ネットスラングは水野さんが「隙あらば自分語り」を例に出していましたが、「諦めたら試合終了ですよ」(スラムダンク)「手痛く負けた時こそ胸を張れ」(賭博黙示録カイジ)「答えは沈黙だ」(ハンターハンター)「希望は永遠の命」(ショーシャンクの空に)など、漫画等が出典でよく使われる言葉も結構ありませんか?
そして、これらが諺ほど一般用語にならないのは、狭いコミュニティで使われているからだと思います。ネットスラングはリアルで使えば痛い人だと思われるし、漫画や映画も、共通の趣味だと分かっている人以外には使わないでしょう。現在では、作品が膨大に生まれ、「誰もが知っている」作品の幅が狭くなっているのではないでしょうか。もし現在で諺クラスの共通用語を作ろうとすると、教科書に載っていたレベルの作品(走れメロス等)を出典にしないとなかなか難しいのではないでしょうか。
「諦めたら試合終了ですよ」確かにめっちゃことわざぽいですね。
エーミールの「そうかそうかつまり君は〜」とかは同じ年代の人だとだいたい知ってるからことわざみが強いかも
『憧れは理解から最も遠い感情だよ』
『あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ』など
「背に腹はかえられぬ」も、当たり前に使ってますけど外国の方からしたら「当たり前じゃん何言ってんの?」みたいな感覚なんですかね😂当たり前を見直すって面白いな〜
笹食ってる場合じゃねぇ!もネット用語ですが、ことわざに近いかな。もう十数年して世代が変わるまで生き残れば、ことわざとして認知されるかも
「百里を行くものは…」から連想した「家に帰るまでが遠足です」って比較的最近のことわざな気がする
馬と火鉢に関しては、あれが寧ろ哺乳類、あるいは生物みたいなレイヤーの共通点すらない、想像しても想像だにしないほどちがうものだって感じがして結構好き
自分も同意
レイヤー揃えた方が綺麗なのは分かるけど違いが際立っててより事実に即してる気がする
「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、ビートたけしが言った言葉?だけど、広く認知されてことわざ化した、みたいなコラムをどこかで読んだことがあります。
あとは「豚もおだてりゃ木に登る」は昭和2〜30ねん頃から福島あたりで使われていた表現がタイムボカンシリーズで国民に広まってことわざのようになっていった、ような気がします。昭和の頃まではそういった新たにことわざが生まれた事例はありそうだと思いました。
秀逸な例えは、のちに人々の記憶に残り、衒学的にひけらかしていくことで、さらに広がってになっていくのかなあと思いました。
21:28 キュウの漫才みたい
「今日の水野、飾りが無い気がするなあ」
「エビサンドに乗って滑りたいなあ」
「あー飾りあった。よかった、質量は変わってないな」
「孔子のニオイはかぎとれる」www 水野さんのワードセンス😂
ことわざってどのように広まって受け入れられるようになったんでしょうね。「よしこのことわざを広めたろ」って頑張った人がいるんですかね。そしてそれを「そうだな」と受け入れられていく過程があるのも面白いですね。
ことわざマスターよしこ
老子・荘子・孔子のよくわかってないことをべらべらしゃべりつづけるって、故事を体現するの笑う。
イソップ童話、グリム童話、アンデルセン童話見分けポイント:社会や文化があまり出なくて寓話性が強いのがイソップ、宗教色や思想が強いのがアンデルセン、本当は怖そうなのがグリムです。
イソップは動物がめっちゃ出てくるイメージないですか?笑
やっぱり「お前がホリエモンを編集するとき、お前もホリエモンに編集されているのだ」が痛快で大好きですね。
26:13
今回のアクセントバトル、「梨」はNHK日本語発音アクセント新辞典によると「ナシ\」ですが第2アクセントとして「ナシ‾‾」も掲載されているので引き分けですね。
「女心と秋の空」は大正以後で、もともと江戸時代ごろに「男心と秋の空」と言っていたようです。つまり人間の心は秋の空なのですね。
このコメント探してました
つまり人間は秋
一周回って情報量が0になったと言われそうですね
動画はもちろん面白いんだけど、コメント欄で色んな考察が繰り広げられてるのを見るのも楽しい
個人的には「先ず隗より始めよ」のエピソード聞いた時にそれ自分で言うのめちゃくちゃ厚かましいなと思ってモヤモヤした記憶があって数年ごとに思い出してはモヤモヤする人生を送ってます
こんにちは。
おふたりからは、違和感ベースのじゃれ合いの楽しさよりも、ことわざの背後にあるだろう、今の聞き手の直感からはみ出たり異なったりするような当時や彼の地の『文脈』や前提のお話こそを、「私たちにとってそれとの出会いとなるようなことわざ回」こそをもっと聞きたい、というのが、勝手な期待です。
今回のシリーズにおいても、時々あらわれるそういった瞬間がもっとも楽しく嬉しいところでした。
でももしそうなると、調査が半端なことでは済まなくて、ことわざ回自体ができなくなっちゃいますね。お話の読み解きが、お説教みたいにもなりかねないですし。それはそれで、遠火で手をあぶるかのようなところで…!
動画も面白いですし、コメント欄の考察や意見を拝見するのも面白いです!ここに興味深い考察を書けるような知識の深い人間になりたい。
「宅を移してその妻を忘る」が実際にあったかどうか→出産して退院するときに赤ちゃんを忘れて帰ろうとした話なら聞いたことある。「来た時ひとりだったんで」と。
大人になったらメモの活用で忘れ物はしなくなりましたが、子供のころランドセルを忘れて家を出て、一緒に登校していた子を迎えに行った先で指摘されて気づくという経験を持つわたしには、そんなやつおらんやろーとは決して思えないエピソード でした。。
日本語は575だと快を感じるので、ことわざも5音7音の組み合わせだと聴き触り耳触りが良くて、記憶に残りやすいんでしょうね。
・女心と秋の空
・唇亡びて歯寒し etc…
ラディッシュがrootと語源を共有しているということは、「ラディッシュを下から見る」は、ルーツ、つまり人の血筋の連なりの一部となるような感覚があり、しっくりきました。
「君たちがいるところは中華が3000年前に通過した…」
こんなところで心の烈海王が出てくるとは思わなかった
全然関係ないしそんなことも無いんだけど、誤謬ってなんか凄い風吹いてそうだよね。
「馬と火鉢ほど違う」はむしろレイヤーが揃ってたらどのくらい違うかが薄れてしまう恐れがあるので、揃える必要はない気がします…。
インターネットミームは現代のことわざっぽくないですかね
「5000兆円欲しい」とか「課金は家賃まで」とか
5000兆円は本当に欲しいじゃん
学校では教えてくれないイケメンエリート遊び人やらかし杜牧
杜牧は若い頃湖州で絶世の美少女と出会い、10年後この地方の長官となって迎えに来ると言って少女と別れた。
14年後湖州刺史となった杜牧が少女を迎えに行くと、少女はすでに結婚していて三人の子供もいた。
聞くと10年間待っていたのだが迎えに来なかったので結婚してしまったとか。
出合った頃の少女を『二月の花』に、現在の姿を『霜葉』に重ね、昔よりずっと美しい、ああ名残惜しいと
この詩を詠んだとか。『三体詩素隠抄』盛ってます。
全編通して面白かったー
続編希望です!
「インフルの時に見る夢」とか新しいことわざだと思ってる
馬と火鉢の件はレイヤーと違うほど男と女は違うことを喩えてるのであって、動物同士で比べるのは割と近いものになってしまう。
堀本さんは太宰にはなれないんだな。
5:50
「馬と火鉢」はレイヤーが異なっていること含めて太宰は選んでるのではないかな。例え失敗してるのではなく、それだけ両者は違いがあるものだと言っているのでは?
「ラディッシュを下から見る」「草葉の陰から見守っている」が類義語の気がする
「薄い本が厚くなる」はだいぶことわざフォーマットでは
ドッグイヤー(Dog Ear)
皮膚や粘膜を縫合した時に生じる、縫合部の端の盛り上がり。創の端が丸いと生じてしまうので楔状にする。つまりANDゲート型の創にはできやすくてORゲート型の創にはできにくい(出力側の話)。
「客寄せパンダ」って比較的最近できたことわざ(慣用句?)ですよね
おもしろことわざに限らず、世界ことわざ紀行、世界のことわざ大辞典みたいな感じで、世界のことわざを紹介するシリーズを出してほしい!
ラディッシュのあたりだと鬼籍に入るという言い回しも好きです
12:37 これは温泉を発見した「人」って言っちゃった水野さんの負けやねw
弘法”にも“が正しいことが分かって有難い。小学校以来“も”だと思ってました。
百年後にことわざになりそうなもの
「牛を球と仮定する」「球状の牛」
球状之牛と書くと井底之蛙(せいていノあ)みたいですね
日本語だといまいちに感じる諺も、現地語だと韻踏んでたりリズムよかったりするのかな
辞書持ってないじゃなくて、別の辞書持ってるって解釈する水野さんバグっててワロタ
ドイツ語の諺「ズボンと上着は同じ」は「Jacke wie Hose」、直訳すると「ズボンみたいな上着」で、大昔はズボンも上着も同じ生地だっただろうという点に着目すれば、お二人も動画内で仰っていましたが文脈的に理解に難くはありません。
僕は、中世の生地職人が生地を青"blau"に染める為に酔い潰れた人の尿を使っていた事から派生した"blau sein"(訳「青い」→酔っている)、その後生地を乾かす間ぐうたらしていた事から派生した"blauer Montag"(訳「青い月曜日」→定休日)"blaumachen"(訳「青する」→サボる)や、第一次世界大戦中の兵隊たちが敵地でお家に帰りたいあまり「駅」という単語にしか反応を示さなくなったという経緯からできた"nur Bahnhof verstehen"(訳「駅しか分からん」→わけわかめ)など、背景の文脈が突拍子もない諺シリーズも奥ゆかしくて好きです
16:00 ぐらいからの「ラディッシュを下から見る」のくだりで
土葬の上からラディッシュ植えたのかなぁとかいろいろ考えた結果
人が亡くなったことを「世界のルート権限もらった」とかって言うのもありか と思ってしまった
疲れてんのかなぁ...
「泣き面に蜂」ということわざは、すごく好き。英語の「Salt in the wound] よりはるかに痛そうで、英語にでも使いたくなる。
なにこれ?と思ったのは「酒池肉林」だ。酒の池は想像できるが、肉の林は怖い!
(イギリス人です。)
「詩云、行百里者半於九十、此言末路之難」(「戦国策‐秦策・武王」)ものごとは、途中でしくじらないように、最後まで(完了間際には特に)気を引き締めて行わなければならない、ということ(心構えに関すること)で、「ソフトウェアの作業期間の見積もりは常に途方もなく間違っていて遅れるものだ」という話(所要時間の話)とは意味がちょっと違いますね。
ネットミームとしして流行った物ってことわざみたいな物多いのかも。ガンジーでも助走をつけて殴るレベルもそうだけど、33-4(完全敗北している様子)とか、今思いつくのこれしかないけど多分もっとある。
水野さんがカボチャを地面の下にあると思ってるのなんか嬉しい
私は水野さんはカボチャが地面の上にある事をご存知で、それ故に地面の下に埋まっているラディッシュの方がより適切であるという話だと理解しました!しらんけど
@@shizukichi 自分もそう思ったのですがそれならばラディッシュでなくとも大根や人参でもよいかなと思いました。ただ土の中の野菜というだけでなくラディッシュは語源的にもよい、と言いたかったのかなと。 なのでカボチャが土の中と誤認した説を私は指示します。
新しく生まれたことわざは「スラング」という枠組みに入れられてしまうからでは?
「女心と秋の空」は元来「男の心と秋の空」であったのが変化したもの、というのを小学生の時に辞書で読んで知ってたけど、
コモンセンスではないのか?
私もそう習いました。
「オシャレな表現をしようと思うと『花』とかを使うとオシャレになりがち」って言ったあとの最初の例えが紅葉で、3つ目がラディッシュなの笑った
チャプターは「花」じゃなくて「自然」になってたから編集で気づいたんだろうな笑
ディープラーニングの自然言語処理も、文章を抽象化されたベクトルに変換してから、色々な処理(翻訳、画像生成)に繋げていくので、ことわざの抽象化に似てる気がする。
歯滅びても舌存す は年老いた老子が弟子たちを自分の枕元に呼んで
自分の口元を指して言った言葉で、柔よく剛を制すの元となった故事だったはず。
ぜひ続編もお願いします。ことわざ大好き。
「このことわざ、日本だとどのことわざにあたるでしょう」みたいなクイズできそう
めっちゃ面白そう
青森県の碧猫舎から→あなた方の素晴らしい頭脳!乾杯!酒も飲まないのに笑う楽しい🎶楽しいなんでこんなに楽しいの?言語芸術🎶有難うございました! 【碧猫の尻尾研究所】2023/5/6
0:56 西洋のキリスト教文化圏では、「聖人の記念日」「聖名祝日」という文化があります。カレンダー上の日付の一つひとつに聖人の名前を当てはめて、その日をその聖人の日としてお祝いしたり、その聖人と同じ洗礼名を持つ人を祝ったりする習慣です。
聖マルチン(トゥールの聖マルティヌス)の記念日は11月11日。この日を冬の始まりとして祝う地域も多いようです。
物乞いに自分のマントを破って半分あげたという伝説があり、その頃は軍人だったことから、「白馬に乗って…」というイメージがついたのだと思います。
聖名祝日だと、日本では他に12/31の聖シルベストルが有名で、この日の夜のコンサートを「ジルベスターコンサート」なんて言ったりしますよね。
5:26 ロバート・A・ハインラインのSF「月は無慈悲な夜の女王」に出てくるコンピュータ「マイク」が作ったジョーク「レーザー光線と金魚が似ている理由はなんですか?」「口笛が吹けないからです」も相当だと思う
9:59 昔いた研究室の教授は,学生にマジックペンを投げつけていた.教授の筆の(使い方の)誤りということであるなぁ
13:37 平手打ちされたのかもしれんだろぉ
ヒンディー語専攻していたものです。
前回の冒頭いきなりヒンディー語の諺が出てきたので、嬉しくなって「世界ことわざ比較辞典」を手に入れました。表紙にऊँट के मुँह में ज़िरा (ラクダの口にクミンシード) が挿絵付きで載っていたので期待大だったのですが、実際開いて読んで見ると、約400ある諺のうち10にも満たない項目にしかヒンディー語が出ていなくてガッカリ。同系統言語で同じ文化圏のネパール語はほぼほぼ全部の項目に出ているのに…。「同じ穴の貉」という意外な項目で出ていたけど、 एक ही थैली के चट्टे बट्टे の訳が「一つの袋の幼児用おもちゃ」とあって、なんか製品の取扱説明書みたい…。「同じ巾着袋に入っているおしゃぶりとガラガラ」の方がイメージしやすく、「どんぐりの背比べ」みたいなホンワカ感や事の矮小性が伝わるんだけどなと思いつつ…。外国語の諺は文化背景が違うところや意味の指す範囲の限界あって、少ない語彙でピッタリのイメージ伝えるのは至難の業ですね。でもまえがきを読んでこの辞典の目指すところや膨大な作業には敬服です。
「顔に紅葉を散らす」って平手打ちして赤い手形を複数残すって意味かと思った…のはマンガ「炎の転校生」の滝沢もみじ吹雪って技のせいかもしれない。
おじいちゃんはラディッシュ見てるは「土葬?」よりも「お墓にラディッシュ植えてるの?」って方が気になるw
孔子・荘子・老子クイズやって欲しいけどニッチすぎるかな笑
完璧な文章は存在しない。完璧な絶望が存在しないように
クジラ構文と同じ構成なのに、完璧な絶望が存在しないことが自明でないのでピンとこない
弘法大師の温泉問題は,温泉でなく湧き水ですけど「弘法水の事典」という本が出ているレベルですね。
ため池も堀りがちだし、水に縁がありますね
法則もそうだけど、ミームとか呼ばれるものがことわざの種になっているのであって、「過去に言及されたものを誰か別の人が引用した」時に初めて「諺」と呼ばれるんではないかなと思いました
それこそ「隙あれば自分語り」みたいな表現は「(ネット)ミーム」として定着していったのかもしれないですね.ことわざが故事の有難みによって膾炙していったのに対し,我々は日常に馴染みの深い「あるある」としてたとえ話を耳にしているのかも.
「聖マルチンが白馬に乗ってやってくる」への補足ですが、ドイツを初め欧州の一部では「名前の日」というものがあって、古くからある名前は暦の日と結びついている。特に聖人の名前の日は宗教的な祭り等を行ったりして重視されています。その内マーティンという名前の日は11月11日となっており、非常に大切にされています。「聖マルチンが白馬に乗ってやってくる」というのは要するに11月11日になったら銀世界だ!~みたいな意味です。
楽しみに待ってました
世界共通の祈りの言葉、アブラカタブラ!エキゾチック!欧州からみても日本からみてもエキゾチックな中東
ゆる言・ゆるコン限定ことわざ
「千の大泉が電子の海を漂う」
民の声は神の声(Vox populi vox dei)
というラテン語の格言がよく知られているので、「ことわざは民衆の声、したがって神の声」という三段論法が成り立つのでしょうね。
岡山生まれ北海道・東京育ちですが、「なし」は水野アクセントでした。
すごく面白いです❤
わー。なんか体のどっかが喜んでる!
現代に於ける慣用句は流行語であり、その中で息の長い言葉が後世でも使われることわざになる。
中国のことわざがうまいこと言いたがりということを、本や記事のタイトルで強いことを言う流れみたいと考察しているのは、おそらく芯を食ってると思います。
タイトルつける編集者のノリで、後世の史家が盛った(創作した?)部分がパワーワードとして風雪に耐え故事成語になったと考えます。科挙とかやってたし。
(ジェンダー関係に注意を払うけど、中国のウイグル族という言い方は普通に使っている…これは問題のレイヤーが違うからか…)
堀本さんの”標準語話者”としての驕りを感じられた神回
時間の変化の喩え(かつ花の喩え)で言うと、ホメーロスの『イーリアス』が早朝の空を「クロッカス色の衣を纏う暁の女神」に擬するのが好きです