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「認識するものは認識するもの自身を認識できない」の部分、めっちゃ面白いですね。
素晴らしいですね。分かりやすかったです。正にこの通りです。私は一瞥体験の後、自分は何者かを考え続け、ある日突然「それ」が私である、と深く理解し、覚醒しました。「それ」はすべてを見たり感じたりしている(意識している)者でした。その日から、個人的な私はいなくなり、私は無であり全てになりました。苦しみや怒りはやってきますが、それはこの物体の中に現れる一瞬のものであり、すぐに通り過ぎていき、尚且私は苦しみをただ見ているだけという状態です。たまたま、この動画に出会ったのですが、素晴らしく良く説明したあるなとこの物体が感心しているので、物体がコメントを書き込んでいます😄面白かったです😊
oms mihokoさんご視聴・コメントありがとうございます!お褒めいただき光栄です🙇♂️きっと真摯にご自身の内面に向き合われた末に、その貴重な体験に辿り着かれたのですね😳素晴らしい体験談をありがとうございます、見習って僕も精進します!
素晴らしいですね「意識しているもの」→「意識」または「存在」「私」はいなくなるのではなく「私と全体」「個と全体性」の共存と私は感じています、感じ方は人それぞれですが・・・
UPされている方は勉強をされていて、頭の良い方だと思いますこの内容を体現された言葉があるといいですね梵我一如に触れた時、それは常に在り、永遠に不変であることがわかる以前は「絶対的な無」と言ってました、絶対的なもの⇔相対的なもの(幻想・マーや)
大病をした時に、自分の肉体と自分の意識は別物だなぁ、と。私の意識は「あんた、病気って言われてるよ!」と、私の肉体に言っておりました。私の意識はいたって元気だったのです。肉体を客観視していましたね。意識は傷つかない。意識は手術されない。動画を拝見して、こんなことを思い出しました。動画の内容を誤解して、だいぶ違うかもしれないけれど。ありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。意識は傷つかない、という真実に気づかれていたことに加えて、心を積極に保ち、大病を乗り越えられたのですね。理解したとて実践は難しいことなのに……すごいです!まさにテーマに沿った体験談をご共有いただき、感謝いたします🙇♂️私が何か困難に立ち向かう時、このお話をぜひ思い返したいです!
@@therationalist6422 お忙しいところをご返信をいただき、感激しております。その時「危機」を察して、意識と肉体の「切り離し」が自動的に行われたように感じています。自分の中に組み込まれている何かのシステムがそうさせたような。そのシステムとは何でしょうね。意識?DNA?脳?腸?魂?このシステムが作用しなかったら、精神面もたいへんだったかもしれません。人間って面白いですね。ありがとうございました。これからも楽しみに視聴させていただきます。
たまにある一つの動画でファンになってしまう現象久しくきた登録しました!
私には難しい内要だな!と思いましたがなんか理解できてしまったような…今、ちょっと不思議な感覚です続きが楽しみです
コメントありがとうございます!いつもとても嬉しく思っています😃今後はもっとわかりやすく、楽しく感じていただけるよう工夫を重ねていきますね。ご意見等あればぜひ聞かせてください!
芸術。トーンもよくて、みごとな表現です。ちいさく爆発させられました。もし、よろしければ、ユーモアをもっと理解したいので、ユーモアについて、語ってほしいです。いつも、ありがとうございます。
kata kana48さんご視聴・コメントありがとうございます😃お褒めいただき光栄です。ユーモアですね、承知いたしました。僕も関心があるテーマなので、手持ちの案件が済みましたら、何らかの形で取り上げさせていただきますね!
9:26〜の意味わかんなぁいかわいいです😊👌👌
最近ずっと仏教に興味があったので、軽い気持ちで拝見しました。認識主体であるという話が最初いまいち理解できてなかったのですが、思わず声が出るほどハッとしたことがあります。それは痛みに対してでした。何か切り傷ができたりアカギレができたり。それを痛い痛いと思うのは何か違う気がするとふと思っていたのです。痛いと思うから痛いのではないかとか、皮膚に守られている内側の部分が晒されて痛いという情報を発信しているだけなのではないかと。こういった知覚こそまさしく、認識主体なのかなと思いました。
ありがとうございます!
このシリーズの存在をほんの少し前に知り、まとめて拝聴しています。有難うございます。お願いが一つあります。再生リストが新しいものから再生される順番になっています(4→1)。意図的であれば問題無いですが(一回聴いただけなので分かりませんが、そんな気がしないでも無いです)、もしそうでないなら、並べ替えた方が聴きやすいのかなと思いました。それはさておき、これからも楽しみにしています。頑張ってください。
ご視聴・応援いただきありがとうございます😊また、再生リストの順番のご指摘も大変助かりました。完全に盲点でした、修正いたします!
アートマンの体験と解脱は等しいですね。
素晴らしかったです‼️ あと、このアートマン、ブラフマンが、引き寄せの法則と、どう関わるのか?関わらないのか?が解ると嬉しいです。
ご視聴ありがとうございます😊引き寄せの法則についてはあまり詳しくないので的外れな意見になってしまうかもなのですが、あるがまま=自分の望みを否定しない、というスタンスなら、自然と行動が積み重なり、願いが叶うのかも、なんて思っています😌
ありがとうございました。何度も見て勉強します!👍️
@@therationalist6422 引き寄せ、は拒否反応があるなぁ。知らなければ使わない方が良い。てっきりそっちの方の人だと思った。
何か釈然としないものをかんじました。自分や私という概念は他者との区別性を表すものですから、映画の中の世界の言葉です。映画を観ている観客(認識主体)を自分というのはカテゴリーミステイクのように思えます。
kyomo samuiさんご視聴ありがとうございました。めちゃくちゃ鋭い!と思ってコメント拝見させていただきました😳『自分』とか『アートマン』とか『私』という言葉は、ご指摘のとおり『映画の中の言葉』であり、言語化しちゃってる時点で『認識の対象になっている』というカテゴリーミステイク(矛盾)があります。動画でもさらりと触れてはいるのですが、この矛盾点については、ヤージュニャヴァルキヤという人物(バラモン)が、『アートマンとは本来、○○にあらず、としか表現できないものである』と看破しています。『認識主体は認識できないものなのに、それに名前をつけたら認識したことになって、おかしいだろ!』という話ですね。それでも人々は『アートマン(我)というのが私の正体だ!』と勘違いして、苦行に走って悟りを証明しようとしました。このトンデモ展開を『”我”なんて便宜上の言葉であって、存在して”無”いから!目を覚ませ!』と言ってインド哲学をフェアウェイに戻した人物こそが『無我』で知られる仏教の開祖、釈迦ことゴウタマ・シッダールタです。古代インド哲学の1番の落とし穴について、素晴らしいコメントありがとうございました!🙇♂️
(10:47-)「哲学的ゾンビ」なんてオモロイ言葉があるなんて! 一体誰がそんなこと言い出したんですか?😂 夏月さんのは今までの中で一番面白く哲学云々が学べるチャンネルです。どうも有難うございます。
いつもご視聴ありがとうございます!お褒めいただき嬉しく思います。哲学的ゾンビはデイビッド・チャーマーズがクオリアについて語る上での思考実験として提唱された概念です。Wikipedia等でも詳しく解説されているので、ご興味があれば😃
@@therationalist6422 夏月さま 有難うございました。早速Wikipediaで検索してみましたけど、言葉がオモロイわりには理論がややこしくて難解。有るけど認識できない真我がアートマンだっていうのに似てるなと思いました。(本当は無いけど有ると仮定する、だから) 逆だけど。逆さにすると似ている、というのは私いつも面白いと感じるんです。でも今度からは質問する前にWikipediaぐらいは調べてみるようにしますね。
リベラルアーツ見てますか?
学問としてのリベラルアーツでしょうか?あるいは、TV番組かRUclipsチャネルでしょうか?
アートマンとブラフマンの融合はヒンズー教の目指す悟りで仏教と対立する点。アートマンはないが仏教、アートマンはありそれが永遠に不変で輪廻するがヒンズー教。
難しいのですが…我 = 個性 🐾認識?想い=大切もう少し分かりやすくお願いします
ココアさんコメントありがとうございます。ほぼ動画の内容をなぞる形にはなりますが、論理構成を整理します。”アートマン”とは『個人を成り立たせている根本原理』であり、これは個性というよりは、単に認識主体を指します。10年前のココアさんと現在のココアさんでは個性に大きな差があるはずです。しかしココアさんは変わらず存在しています。つまり、個性が個を成り立たせる『根本原理』とまでは言えません。では何が『個人を成り立たせる原理』になるかというと、『意識を体験する認識主体』です。脳や肉体が死んでも、残された霊が何かを認識するかもしれません。(オカルトですが、あくまで科学で否定できない可能性として)しかし、あらゆる意識体験自体(美味しい・暑い・痛い 等。クオリアと言います)の欠落は、明らかに個の消失と同義です。そして、認識主体は原理的に何かの行為の客体(対象)にはなり得ません。(ここの説明は長くなるので、詳細は動画をご参照ください)よって、『本当のあなた』=『我』=『認識主体』は、何かによって侵害されることがありません。というのが、ウパニシャッド哲学が看破し、ヨガ、仏教、禅まで引き継がれる不死の真実です。『悩んでいるあなた』を”認識している”のが『本当のあなた』です。よって、あなた自身には何一つ混乱はありません。あるがままにするだけです。このロジックが押さえられていればOKだと思います!
私のためにコメントを頂き、ありがとうございます。考える程に難しいですね。ありのまま!受け入れる事ですね😃
あまり易しい解説にすることができず申し訳ありません……😭極論、『今ここにあって、なすべきをなし、あらゆるものを、あるがままにせよ』というのが、ウパニシャッドから続く教義そのものですから、ココアさんのそのご理解は正しいと思います😄僕がこの辺りの知識を体験として理解するのに、『禅マインド・ビギナーズマインド』という本が大変役に立ちました。不死や涅槃の真実をさまざまな角度から分析し、易しい言葉で表現されている鈴木俊隆禅師のアメリカでの講演録です。この分野にご興味がおありでしたら、大きな助けになると思います。宜しければぜひご参照ください😊
ありがとうございます。💐コメントをみながら、繰り返し聞いています。😀とても深くて…なんだか、🐶答えがでそうです。
現実逃避で幸せになるわけがない
こんなにあっさりアートマンを実現していいのだろうか?
良いっすよ😊
アートマンは対象化できないはずなのに、アートマン、我、私、僕など、名前が付けられるのはなぜですか?
コメントありがとうございます。概念について論ずる上で便宜上呼び名があった方が話が早いからです。数学(代数)において未知数・変数をXと表記するのと同じです。ご記載の通り、我、私、僕、アートマンと名前を付けて呼んでいること自体おかしな話ですが、ヴャルキヤもそれは承知の上で、「アートマンとは本来、''〜に非ず''としか表せない」と述べています。これを実態、実物と誤って捉えることから、人の苦悩が始まります。
夏月さん、素晴らしい動画に感動しました。ありがとうございます!出会えた私は幸せ者です。自分は何者か?を日々考えておりましたが、大きな気づきを頂きました。私はアートマン、認識主体、見えない無限で永遠の存在、ブラフマンそのもの。私の体や周りで起きる事はすべて俯瞰してみる。日々精進していきたいです。
嬉しいコメントをいただき、こちらこそありがとうございます😄『梵我一如』を理解し体現するとき、善悪、優劣、自他の境界は消え、一瞬、1日、そして人生の味わい方は全く違ったものになりますね。ほそまこさんのお役に立てたなら幸いです。僕も日々精進します!
すごい動画だ。ありがとうございます。1 仏教はアートマンを否定しているらしいのですが、それは合理的てはないと思うのですが。2 右翼思想、左翼思想、保守リベラル思想、夫婦別姓についてもお願いします。3 ヒトは、社会的存在であること。4 ヒトの傾向について
ご視聴、コメントありがとうございます。1について釈迦の提唱した”無我”=アートマンなんて存在しない、についてのご意見と推察します。実は、この考え方こそが、アートマンの本質の捉え方として正しく、合理的です。『アートマンがある』と言うことは、そもそもアートマンの定義から外れています。”認識できないもの”を認識の対象として名付けてしまっているからです。アートマンなんてない! というのが、アートマンの正体です。梵我一如ですね。2・3・4については、勉強してみますね。範囲が広いので、いつ動画化できるかはわからないのですが……🥺リクエスト感謝いたします!
@@therationalist6422 お返事ありがとうございます。認識できないものは、「存在しないことになる」と同義だとおもえないのです。例えば、ブラックホールは、光を含む全ての情報を吸い込むので、決して観ることはできません。ですが、その存在を推測することは可能で、パルメニデスの言う「有る。無い」では、「想像できるものは『有る』。『無い』ものとは、想像すらできないもののことである」となっていて、今回の話と合致しないのです。「無い」についての定義が違うのでしょうねえ。
@@禰刀一人まだんだんタマゴかニワトリ?みたくなってきてる。。。 認識できないものが認識外に実在する可能性があり得る、というのは、えーと、暗黒物質だっけ?、とかの存在が仮定的に有るとするのに似てませんか?そうでないと説明できない現象の方は観測できている、というもの。ブラックホールも高度な技術で確認されるまでは、どうもあるらしいけどナンジャラホイ?でしたよね。今でも詳しい実態は掴めてないようだけど。
@@An-On_Ym わたしの質問のような、わけのわからない質問に親切丁寧なご回答ありがとうございます。よくよんで、意味を噛みしめてみます。
@@禰刀一人さま恐れ入ります。意味なんかごく薄っぺらですので噛みしめるほどのことはないだろうと思いますけど… 夏月さんと禰刀一人さんの問答が興味深く、最初私は “有る” か “無い” かの点だけに気を取られていたのですが、そのうちに “認識できる” と “想像できる” を同格にみなすか別物とするかで有るか無いかの意味合いも変わってくる、とか思うようになって、んー、どっちなんだろう、ということになったわけです。雑に言えば、ヴィジョンを生み出すのが “想像” (👀創造と読みがイッショ...)で、そこに確認・実証の域が加わると ”認識“ になるのでは、と私は思っているのですけど。
然し乍ら 我が我で有るから喜怒哀楽 悩みや困難を解決した至福🎉が有り責任が持てる 此の理論は聞かさない方がイイ者達多し😂と我思う Lol
日本人の悩み事とは、神の真似が上手く出来ません。
何故、悟りを知りもしない人の解説を本をもとにそれらを解説するのでしょうか?仏陀が説いた経文があるのに。仏陀は解きます、我が行を実践するうちにアートマンなどの概念や問いや迷いがなくなる、と説いています。
「認識するものは認識するもの自身を認識できない」の部分、めっちゃ面白いですね。
素晴らしいですね。分かりやすかったです。正にこの通りです。私は一瞥体験の後、自分は何者かを考え続け、ある日突然「それ」が私である、と深く理解し、覚醒しました。「それ」はすべてを見たり感じたりしている(意識している)者でした。その日から、個人的な私はいなくなり、私は無であり全てになりました。苦しみや怒りはやってきますが、それはこの物体の中に現れる一瞬のものであり、すぐに通り過ぎていき、尚且私は苦しみをただ見ているだけという状態です。たまたま、この動画に出会ったのですが、素晴らしく良く説明したあるなとこの物体が感心しているので、物体がコメントを書き込んでいます😄面白かったです😊
oms mihokoさん
ご視聴・コメントありがとうございます!お褒めいただき光栄です🙇♂️
きっと真摯にご自身の内面に向き合われた末に、
その貴重な体験に辿り着かれたのですね😳
素晴らしい体験談をありがとうございます、見習って僕も精進します!
素晴らしいですね
「意識しているもの」→「意識」または「存在」
「私」はいなくなるのではなく「私と全体」「個と全体性」の共存
と私は感じています、感じ方は人それぞれですが・・・
UPされている方は勉強をされていて、頭の良い方だと思います
この内容を体現された言葉があるといいですね
梵我一如に触れた時、それは常に在り、永遠に不変であることがわかる
以前は「絶対的な無」と言ってました、絶対的なもの⇔相対的なもの(幻想・マーや)
大病をした時に、自分の肉体と自分の意識は別物だなぁ、と。
私の意識は「あんた、病気って言われてるよ!」と、私の肉体に言っておりました。
私の意識はいたって元気だったのです。
肉体を客観視していましたね。
意識は傷つかない。意識は手術されない。
動画を拝見して、こんなことを思い出しました。
動画の内容を誤解して、だいぶ違うかもしれないけれど。
ありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
意識は傷つかない、という真実に気づかれていたことに加えて、
心を積極に保ち、大病を乗り越えられたのですね。
理解したとて実践は難しいことなのに……すごいです!
まさにテーマに沿った体験談をご共有いただき、感謝いたします🙇♂️
私が何か困難に立ち向かう時、このお話をぜひ思い返したいです!
@@therationalist6422 お忙しいところをご返信をいただき、感激しております。
その時「危機」を察して、意識と肉体の「切り離し」が自動的に行われたように感じています。
自分の中に組み込まれている何かのシステムがそうさせたような。
そのシステムとは何でしょうね。
意識?DNA?脳?腸?魂?
このシステムが作用しなかったら、精神面もたいへんだったかもしれません。
人間って面白いですね。
ありがとうございました。
これからも楽しみに視聴させていただきます。
たまにある一つの動画でファンになってしまう現象久しくきた
登録しました!
私には難しい内要だな!と思いましたがなんか理解できてしまったような…
今、ちょっと不思議な感覚です
続きが楽しみです
コメントありがとうございます!
いつもとても嬉しく思っています😃
今後はもっとわかりやすく、楽しく感じていただけるよう工夫を重ねていきますね。
ご意見等あればぜひ聞かせてください!
芸術。
トーンもよくて、みごとな表現です。ちいさく爆発させられました。
もし、よろしければ、ユーモアをもっと理解したいので、ユーモアについて、語ってほしいです。
いつも、ありがとうございます。
kata kana48さん
ご視聴・コメントありがとうございます😃
お褒めいただき光栄です。
ユーモアですね、承知いたしました。
僕も関心があるテーマなので、手持ちの案件が済みましたら、
何らかの形で取り上げさせていただきますね!
9:26〜の意味わかんなぁいかわいいです😊👌👌
最近ずっと仏教に興味があったので、軽い気持ちで拝見しました。
認識主体であるという話が最初いまいち理解できてなかったのですが、思わず声が出るほどハッとしたことがあります。
それは痛みに対してでした。何か切り傷ができたりアカギレができたり。それを痛い痛いと思うのは何か違う気がするとふと思っていたのです。痛いと思うから痛いのではないかとか、皮膚に守られている内側の部分が晒されて痛いという情報を発信しているだけなのではないかと。こういった知覚こそまさしく、認識主体なのかなと思いました。
ありがとうございます!
このシリーズの存在をほんの少し前に知り、まとめて拝聴しています。
有難うございます。
お願いが一つあります。
再生リストが新しいものから再生される順番になっています(4→1)。
意図的であれば問題無いですが(一回聴いただけなので分かりませんが、そんな気がしないでも無いです)、もしそうでないなら、並べ替えた方が聴きやすいのかなと思いました。
それはさておき、これからも楽しみにしています。頑張ってください。
ご視聴・応援いただきありがとうございます😊
また、再生リストの順番のご指摘も大変助かりました。完全に盲点でした、修正いたします!
アートマンの体験と解脱は等しいですね。
素晴らしかったです‼️ あと、このアートマン、ブラフマンが、引き寄せの法則と、どう関わるのか?関わらないのか?が解ると嬉しいです。
ご視聴ありがとうございます😊
引き寄せの法則についてはあまり詳しくないので的外れな意見になってしまうかもなのですが、
あるがまま=自分の望みを否定しない、というスタンスなら、自然と行動が積み重なり、願いが叶うのかも、なんて思っています😌
ありがとうございました。何度も見て勉強します!👍️
@@therationalist6422 引き寄せ、は拒否反応があるなぁ。知らなければ使わない方が良い。てっきりそっちの方の人だと思った。
何か釈然としないものをかんじました。
自分や私という概念は他者との区別性を表すものですから、映画の中の世界の言葉です。
映画を観ている観客(認識主体)を自分というのはカテゴリーミステイクのように思えます。
kyomo samuiさん
ご視聴ありがとうございました。
めちゃくちゃ鋭い!と思ってコメント拝見させていただきました😳
『自分』とか『アートマン』とか『私』という言葉は、ご指摘のとおり『映画の中の言葉』であり、
言語化しちゃってる時点で『認識の対象になっている』というカテゴリーミステイク(矛盾)があります。
動画でもさらりと触れてはいるのですが、この矛盾点については、ヤージュニャヴァルキヤという人物(バラモン)が、『アートマンとは本来、○○にあらず、としか表現できないものである』と看破しています。『認識主体は認識できないものなのに、それに名前をつけたら認識したことになって、おかしいだろ!』という話ですね。
それでも人々は『アートマン(我)というのが私の正体だ!』と勘違いして、苦行に走って悟りを証明しようとしました。
このトンデモ展開を『”我”なんて便宜上の言葉であって、存在して”無”いから!目を覚ませ!』と言ってインド哲学をフェアウェイに戻した人物こそが『無我』で知られる仏教の開祖、釈迦ことゴウタマ・シッダールタです。
古代インド哲学の1番の落とし穴について、素晴らしいコメントありがとうございました!🙇♂️
(10:47-)「哲学的ゾンビ」なんてオモロイ言葉があるなんて! 一体誰がそんなこと言い出したんですか?😂
夏月さんのは今までの中で一番面白く哲学云々が学べるチャンネルです。どうも有難うございます。
いつもご視聴ありがとうございます!
お褒めいただき嬉しく思います。
哲学的ゾンビはデイビッド・チャーマーズがクオリアについて語る上での思考実験として提唱された概念です。Wikipedia等でも詳しく解説されているので、ご興味があれば😃
@@therationalist6422 夏月さま
有難うございました。早速Wikipediaで検索してみましたけど、言葉がオモロイわりには理論がややこしくて難解。有るけど認識できない真我がアートマンだっていうのに似てるなと思いました。(本当は無いけど有ると仮定する、だから) 逆だけど。逆さにすると似ている、というのは私いつも面白いと感じるんです。
でも今度からは質問する前にWikipediaぐらいは調べてみるようにしますね。
リベラルアーツ見てますか?
学問としてのリベラルアーツでしょうか?あるいは、TV番組かRUclipsチャネルでしょうか?
アートマンとブラフマンの融合はヒンズー教の目指す悟りで仏教と対立する点。
アートマンはないが仏教、アートマンはありそれが永遠に不変で輪廻するがヒンズー教。
難しいのですが…
我 = 個性 🐾
認識?想い=大切
もう少し分かり
やすくお願いします
ココアさん
コメントありがとうございます。
ほぼ動画の内容をなぞる形にはなりますが、論理構成を整理します。
”アートマン”とは『個人を成り立たせている根本原理』であり、これは個性というよりは、単に認識主体を指します。
10年前のココアさんと現在のココアさんでは個性に大きな差があるはずです。
しかしココアさんは変わらず存在しています。
つまり、個性が個を成り立たせる『根本原理』とまでは言えません。
では何が『個人を成り立たせる原理』になるかというと、『意識を体験する認識主体』です。
脳や肉体が死んでも、残された霊が何かを認識するかもしれません。
(オカルトですが、あくまで科学で否定できない可能性として)
しかし、あらゆる意識体験自体(美味しい・暑い・痛い 等。クオリアと言います)の欠落は、
明らかに個の消失と同義です。
そして、認識主体は原理的に何かの行為の客体(対象)にはなり得ません。
(ここの説明は長くなるので、詳細は動画をご参照ください)
よって、『本当のあなた』=『我』=『認識主体』は、何かによって侵害されることがありません。
というのが、ウパニシャッド哲学が看破し、ヨガ、仏教、禅まで引き継がれる不死の真実です。
『悩んでいるあなた』を”認識している”のが『本当のあなた』です。
よって、あなた自身には何一つ混乱はありません。あるがままにするだけです。
このロジックが押さえられていればOKだと思います!
私のためにコメントを頂き、ありがとうございます。考える程に
難しいですね。
ありのまま!受け入れる事ですね😃
あまり易しい解説にすることができず申し訳ありません……😭
極論、『今ここにあって、なすべきをなし、あらゆるものを、あるがままにせよ』というのが、
ウパニシャッドから続く教義そのものですから、ココアさんのそのご理解は正しいと思います😄
僕がこの辺りの知識を体験として理解するのに、『禅マインド・ビギナーズマインド』という本が大変役に立ちました。
不死や涅槃の真実をさまざまな角度から分析し、易しい言葉で表現されている鈴木俊隆禅師のアメリカでの講演録です。
この分野にご興味がおありでしたら、大きな助けになると思います。宜しければぜひご参照ください😊
ありがとうございます。💐コメントを
みながら、繰り返し
聞いています。😀
とても深くて…
なんだか、🐶
答えがでそうです。
現実逃避で幸せになるわけがない
こんなにあっさりアートマンを実現していいのだろうか?
良いっすよ😊
アートマンは対象化できないはずなのに、アートマン、我、私、僕など、名前が付けられるのはなぜですか?
コメントありがとうございます。
概念について論ずる上で便宜上呼び名があった方が話が早いからです。
数学(代数)において未知数・変数をXと表記するのと同じです。
ご記載の通り、我、私、僕、アートマンと名前を付けて呼んでいること自体おかしな話ですが、ヴャルキヤもそれは承知の上で、「アートマンとは本来、''〜に非ず''としか表せない」と述べています。
これを実態、実物と誤って捉えることから、人の苦悩が始まります。
夏月さん、素晴らしい動画に感動しました。ありがとうございます!出会えた私は幸せ者です。自分は何者か?を日々考えておりましたが、大きな気づきを頂きました。私はアートマン、認識主体、見えない無限で永遠の存在、ブラフマンそのもの。私の体や周りで起きる事はすべて俯瞰してみる。日々精進していきたいです。
嬉しいコメントをいただき、こちらこそありがとうございます😄
『梵我一如』を理解し体現するとき、善悪、優劣、自他の境界は消え、
一瞬、1日、そして人生の味わい方は全く違ったものになりますね。
ほそまこさんのお役に立てたなら幸いです。僕も日々精進します!
すごい動画だ。ありがとうございます。
1 仏教はアートマンを否定しているらしいのですが、それは合理的てはないと思うのですが。
2 右翼思想、左翼思想、保守リベラル思想、夫婦別姓についてもお願いします。
3 ヒトは、社会的存在であること。
4 ヒトの傾向について
ご視聴、コメントありがとうございます。
1について
釈迦の提唱した”無我”=アートマンなんて存在しない、についてのご意見と推察します。
実は、この考え方こそが、アートマンの本質の捉え方として正しく、合理的です。
『アートマンがある』と言うことは、そもそもアートマンの定義から外れています。
”認識できないもの”を認識の対象として名付けてしまっているからです。
アートマンなんてない! というのが、アートマンの正体です。梵我一如ですね。
2・3・4については、勉強してみますね。
範囲が広いので、いつ動画化できるかはわからないのですが……🥺
リクエスト感謝いたします!
@@therationalist6422 お返事ありがとうございます。
認識できないものは、「存在しないことになる」と同義だとおもえないのです。
例えば、ブラックホールは、光を含む全ての情報を吸い込むので、決して観ることはできません。ですが、その存在を推測することは可能で、パルメニデスの言う「有る。無い」では、「想像できるものは『有る』。『無い』ものとは、想像すらできないもののことである」となっていて、今回の話と合致しないのです。
「無い」についての定義が違うのでしょうねえ。
@@禰刀一人ま
だんだんタマゴかニワトリ?みたくなってきてる。。。 認識できないものが認識外に実在する可能性があり得る、というのは、えーと、暗黒物質だっけ?、とかの存在が仮定的に有るとするのに似てませんか?そうでないと説明できない現象の方は観測できている、というもの。ブラックホールも高度な技術で確認されるまでは、どうもあるらしいけどナンジャラホイ?でしたよね。今でも詳しい実態は掴めてないようだけど。
@@An-On_Ym わたしの質問のような、わけのわからない質問に親切丁寧なご回答ありがとうございます。
よくよんで、意味を噛みしめてみます。
@@禰刀一人さま
恐れ入ります。意味なんかごく薄っぺらですので噛みしめるほどのことはないだろうと思いますけど…
夏月さんと禰刀一人さんの問答が興味深く、最初私は “有る” か “無い” かの点だけに気を取られていたのですが、そのうちに “認識できる” と “想像できる” を同格にみなすか別物とするかで有るか無いかの意味合いも変わってくる、とか思うようになって、んー、どっちなんだろう、ということになったわけです。雑に言えば、ヴィジョンを生み出すのが “想像” (👀創造と読みがイッショ...)で、そこに確認・実証の域が加わると ”認識“ になるのでは、と私は思っているのですけど。
然し乍ら 我が我で有るから喜怒哀楽 悩みや困難を解決した至福🎉が有り責任が持てる 此の理論は聞かさない方がイイ者達多し😂と我思う Lol
日本人の悩み事とは、神の真似が上手く出来ません。
何故、悟りを知りもしない人の解説を本をもとにそれらを解説するのでしょうか?仏陀が説いた経文があるのに。仏陀は解きます、我が行を実践するうちにアートマンなどの概念や問いや迷いがなくなる、と説いています。