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それだけ違っても関西弁と関東弁で意思疎通できるのって凄いな やっぱり慣れなんかなあ
障碍者という言葉は元々ある障害者という言葉をトゲがないようにした言葉かと思ってたが、まさか逆だったとは。恥ずかしい。
書き換えといえば、古い鉄工所などでは溶接を「熔接」と表記しています。また私は芸術を「藝術」と表記します。
私は香川の者ですが、ここ数年はあまり讃岐弁を聞かなくなった気がしますね。懐かしく感じます。
「現代もあんまり変わってません」にかなり頷きました
時間を作ってちょくちょく拝見してます。今更ながら日本語が面白くて仕方がない。そう思えるようになりました。今まで以上に愛着が湧きますね。有難う御座います。
何よりのお言葉です!m(_ _)m
多様性を尊重しずぎると訳わからなくなるし、効率重視すると表現が狭くなっちゃう難しいよね
実は日本は公用語を法律で規定していませんだから本来はどこの言葉を使おうが法律の上では自由だったりするのです同調圧力のみで保たれる奇妙な言語であるとも言えます
ゆく先々に出没する前島密、めっちゃ笑った
興味深い動画をありがとうございます。言語の統一を行わなかった結果、国民のほとんどが使用していない古語(ラテン語)を公用語として表記文字に使用している国もあるなかで、文語の基準を生きた言語に集約し普及させたメリットは計り知れないと思っています私個人としては、大学で初めて関西圏に行き、自動車教習所の教官の話し言葉が全くわからず、教本に書いている内容から言われたことを推測する。という苦労をした経験があります
同じ国の同胞と会話するには通訳者が必要でしょうかw
@@kekeke8988 同胞?というのがどの範囲を指すのかわかりませんが、関東圏の自分には少なくとも青森弁と鹿児島弁は通訳必要です
ラテン語を公用語としているのはバチカン市国だけですが、、?
今日始めてみましたが、半端なくわかりやすい。ずっと見ていたい
上京してきた奴は関西弁を喋るな!というのをネットで見て、号に入ったら郷に従うべきなのかそうではないのか心に残ってました。この動画を見てこのような発言は相手の文化を否定しアイデンティティを奪う恐ろしいものだと分かりました。このような差別発言が平気で出てくるあたり根深さを感じます。
ネットは偏った意見を持つ人が大声で喧伝するような場ですから、気にしない方が良いですよ。実際にそんなことを言ってる人会ったこともありませんから。
社会のルール(法律、条例等)無視して、自分の感情論(関西弁嫌い)を他人に押しつけてる(関西弁喋んな)だけだから、相手にしなければいいだけ。郷に入ってうんぬんも、ただの諺であって従う義務も無い。
関西弁て何ですのん?聴いたこともおまへんわ?!。と言い返したら良いと思います。
関東人つてまだ自分が日本人だと自惚れしてゐるらしい。
お前こそ田舎弁をしゃべるな‼️と言い返せば良いのです。
幅広い学識、深い洞察、分かりやすい解説。いつもながらためになる動画です。
諜報活動の笑い話として、戦時中モールス信号が米側に漏れていると知った日本軍は薩摩弁の平文で通信することで向こうに何言ってるのか分からなくしたとか何とか…
薩摩出身の移民に翻訳されて死亡
@@hentaiyojo ドイツから戻る際のの一時的な暗号通信を翻訳しましたが日本側の潜水艦は無事でしたよ。それどころか戦後には実際に両者会話しています。しかし後に、その訳した方は自殺されました。生涯アメリカと日本とのはざまに苦しんだそうです。こういう問題を考えるには、当時日系人が迫害され彼らがアメリカへの忠誠心を求められた時代であるということを理解せねばなりませんよ。
アメリカ軍は戦時中も原住民の通信兵がいたそうで、その人たちの言葉で通信していたそうです
「方言」・地域の言葉を売りにしたお笑いに人気が集まることが多いのは、自分の馴染みのない地域の言葉でも、それを聞いていて心地が良い(もっと聞きたい、自分も使ってみたい)と感じるのは、地肉の通った言葉同士の方が本当にコミュニケーションしている、通じてる・つながってると感じるからかと思います。
すごく感動しました。僕は、沖縄生まれ、沖縄育ちですが琉球語は単語やフレーズでしか話せません。独学で、文法などの勉強はしてますが。。。政府には、沖縄文化の土台である沖縄語の復旧にもっと力を入れて欲しいです。方言札等のせいで、今日琉球語を話せる人は高齢の方々、もしくはその人たちと交流が深かった人のみです。文化・文明を殺した罪は計り知れない程重い。沖縄の人も、もちろん頑張らないといけないけれど、現在の教育制度は本土主体なので、実質難しいですね。
私も沖縄人ですがいくつか指摘させて下さい「方言札のせいで」→方言札は他県でも実施されていた。やり方に不満はあれ国家としては標準語教育をしないとしたらそれこそが地域差別じゃないですか?時代背景を考えれば無理強いに見えても内実は公平、平等と言えると思います。現在、沖縄人のほとんどが標準語を使えますがその利益は計り知れない。「文化、文明を殺した罪」→あまりこういうこと言いたく無いですが「殺した罪」その表現にドン引きしました。同時代の本土でも近代化にともないそれまでの習慣や風習が強い反発があるなか改められました。沖縄においては旧慣温存で他県に比べ緩かな措置でした。その後、各地域消滅させたくない古い風習は様々な方法で保存に動いてますがそれは他県も沖縄も共通です。「政府は沖縄語の復旧に務めて欲しい」→そういうのは政府ではなく各県でやることです。県も各市町村も力を入れてるように見えますが不十分ですか?国からは予算が出ています。地域文化はその地域の人達で創るもの。また本来は自然発生的であるべき。
@@gorilla8137 ご指摘ありがとうございます。まず同じ沖縄人から、そのような意見があることに深い悲しみを覚えました。一つ大きな誤解をされているようなので(コメントに"他県も云々"とあるので)、最初に言わせて頂きますが、僕は殺されてしまった他県の言葉・文化・風習にも同様のことを思っています。僕は沖縄人なので、沖縄語について書きましたが、方言札によって失われてしまった他の言葉も同じように復活させるよう政府は努力すべきと思います。僕も自分のコメントを読んで、"本土"と一括りにしてしまっているので反省させていただきました。さて、当時の政府は標準教育して、文化的に沖縄を日本国に入れなければならなかったんですよね。しかし、やり方に問題があり、それをやってしまった政府がいけないと思います。nc mzさんは、方言札を肯定しているのでしょうか?肯定しているのであれば、なぜ今日の外国語の授業で、なぜ日本語札を取り入れないのでしょうか?それは、現代では"ひどいこと"と認識されているからです。ひどいことすることに、平等性・公平性があるでしょうか?ないと思います。ひどいことは、そもそもやってはいけないからです。また、方言札は他県でも〜とありますが他県の文化も排除されているからといって、平等・公平を大義名分に、沖縄の文化も排除されてもいいのでしょうか?nc mzさんの仰る通り、日本語を習得し、日本人として認識されることで沖縄の人々はとても大きな利益を享受してきました。物凄くわかります。しかしそれだから、言葉や文化を殺してもいいというわけではないと思いますよ。また"文化・文明を殺した罪"と表現したことにドン引きされたようですね。僕も少し過激な表現だとは思いますが、"とてもひどい行為"と表現したかったので、ドン引きされたなら、その中身を汲み取られたかと思います。また実質殺されてしまったものです。あなたなら他にどう表現しますか?政府は沖縄語の復旧に勤めて欲しいという意見に、各県ですべき、国は予算を〜仰っておりますが、お金だけ出すから、あとは任せるってことですよね。明らかに責任転嫁なんじゃないでしょうか。お金で文化が蘇ると思っている時点で、物凄い誤解です。あなたも仰っていますが、文化は、その地域の人々で創ってゆくもの、本来は、自然発生的なものです。生き物と同じなんです。長い時間がかかるものなんです。だから、それを殺すことは、とても重い罪なのです。小学生の甥っ子と姪っ子、また知り合い教師数名に沖縄語の時間はあるか問うと、ないって言われました。これで力を入れていると思われますか?また充分だと思われますか?僕が留学していたフランス・ブルターニュ地方では、フランス語と並行してブルトン語の教育の時間を設けておりました。フランス/ブルターニュ地方でも、方言札があったそうですが、道路標識では2ヶ国語表記、店名などはほとんどブルトン語です。それなのに、ブルトン語はなかなか普及していないようです。
@@onapecco アイルランドではアイルランド語の勉強は義務教育になっていますが、教師自身も上手く話せないので、復活に努力を掛けても、やはり殆どのアリルランド人はアイルランド語が分からないまま、英語で話し続けています。死んだ言語の復活はやはり無理かもしれません。
でも、まだ沖縄語はマシな方だよ。オレは高校生の頃、沖縄のアメスクに、3年間居たけど1980年代にはウチナーンチューの、殆どがウチナーグチでユンタクしてたのに、タンメーンーメーターの殆どは、ヤマトグチヤーワンネー、ムル、ワカランサァーとか言ってたのに一体何時からそんな体たらくになっちゃったんでしょうか😭あと、アカサンチィブルグワーの人が言ってたエスノサイド発言は、ピント外れやっさ🤔アレは日本政府は、無関係沖縄県教育委員会(狂育!)が勝手にやってることやんどー😅
饒舌→冗舌(噺家→漫才師)
冗談を言う舌
東京弁という言葉の解説も見たくなる動画です。是非お願いします。
私の周りにも、関西出身で関西弁バリバリの人がいます。九州や北海道の出身の人もいる中で彼だけが『標準語』を話さないため、彼は他の人から「直さないの?」とよく言われています。私はそういう場面に出くわすたびに、「直すとは?」といつも不思議で仕方ありません。私は生まれも育ちも東京で、いわゆる『方言』は話せないので(東京方言と言うこともできますが)、方言が話せる人が羨ましく思えます。
コメントありがとうございます^^「直す」とは、まさに、標準語以外は「歪んだ日本語」という、平安時代と同じ発想ですね・・・。こういう偏見は、ひとえに日本語史に対する無知のために起こるものと考えています。啓蒙こそが、伝統の滅亡を食い止めるのです。実は私も第一母語は東京方言(生まれは大阪、祖父も大阪人)なのですが、その私から見て、関西、特に大阪には、東京方言を操れない人がかなり多いのです。逆に言えば、「関西弁は直すべきもの」という観念がないということです。大阪では、東京方言は一種の「余技」に過ぎないのです。だからこそ、関西人は日本中どこでも躊躇なく関西弁で話せるのだと思います。全国のみなさんが自分の母語に誇りを持てるよう、「標準語は特別なものではない」という観念を広めていきたいものです。
Omizan Sakamoto インターネットが普及して物も情報も全国に届くようになった現代、物理的な「都市と田舎」という対比は極めて弱まっているはずなのに、心理的な対比は未だに根強いですよね。方言で喋っている動画がバズったりすると、必ずと言って良いほど「カッペ」とか「標準語で話せ」という心無いコメントが書かれます。そのようなコメントがどういう心理で為されるのか長らく疑問だったのですが、この動画を見て、もしかしたら彼らは恐怖を抱いているのかもしれないと思いました。「同じ国家に住む、同じ民族の人間が、同じ言語を話していない」という、先入観と偏見に囚われた恐怖を。
@@OmizanSakamotoOfficial それは関西人の定義する一方的な標準語に対するバイアスのように思えます。第一に標準語を東京方言と定義することに無理があります。東京方言言えば数種類有り代表的なものは山の手言葉とべらんめでしょう。たの方言と同じく現在は薄まってきてはいますが、現在も存在します。率直に申しますと関西弁話者の大多数が言う「標準語は東京弁」というのは自信の標準語を勉強しないいいわけにしか過ぎないと思います。東方関東在住のためここらのことしかわかりませんが、関東圏の人間は自然に標準語を話している訳ではないと言うことを理解していただきたい。我々も独自に方言を持っていて、なおかつ標準語も勉強して習得していってる訳です。それを関西人だからといって拒否できる理由はないと考えます。
@@harukiharuki1116 標準語≠東京弁 と同じことが近畿方言にも言えます。例えば、大阪弁と京都弁には、それぞれ別の訛りがあって、それを除去すれば、純正な「標準的な近畿日本語」が得られます。私がビデオ内で話している言語はこれです。しかし、これを「大阪弁」と言っても、あながち間違いではありません。なぜなら、大阪で話されている言葉も、背後に存在するのはこの言語だからです。ゲルマン民族の言語をまとめて「ドイツ語」と呼ぶのと同じです。そう言う意味で、私はあえて「標準語」よりも「首都方言」や「東京弁」という言葉を選ぶようにしています。特別なものではなく、一つの方言に過ぎないということを強調するためです。次に、標準語を勉強しない関西人についてですが、確かにそういう人もいますね。では、そういう関西人は、なぜ標準語を「勉強しない」のでしょうか?めんどくさいからではありません。「標準語を話したくない」のです。なぜなら、関西、特に大阪では、標準語は「イキリの役割語」と見なされてしまっているからです。悲しいことですが。私は、こういう「標準語差別」も是正されるべきだと考えていますよ。私は標準語を否定してはいませんし、関西弁が偉いとも考えてはいません。ただ、高くなりすぎた標準語、もとい首都方言の地位を正常値に下げる必要性は強く感じています。
@@OmizanSakamotoOfficial 東京弁はそもそも標準語の言い換えにはなりません。標準語は山の手言葉のアクセントを参考にはしたものの語彙は各地のものを参考にし言文一致運動の中でも様々な人たちが試行錯誤の上にできたもので、もはや人工的な様相すら呈するものです。それを東京弁と切り捨ててしまうのはいささか乱暴だと思います。標準語をばかにする風潮はどこにでも大なり小なりあることでしょう。関東圏ないでも一般的にあることで、同郷の仲間同士で意味もなく標準語で話せばそのような扱いを受けることは珍しくありません。どこにでも普遍的に存在する現象を理由に標準語の習得を拒むことが怠惰以外の何者だと言うのでしょうか。過去日本の武士などの教養の有る層では狂言の言い回しを使い意思の疎通を図っていたと言います。つまり現在関西人がやっていることは狂言の言い回しを覚えず自身の方言を無理矢理相手に理解させていることに他なりません。そもそも過去においても標準語の役割を果たすものが自然にできる理由は、いちいちたの方言をすべて覚えていたら非常に効率が悪いからであり、皆が自身の方言ともうひとつ共通に話せる言葉を覚えればいいという方が効率的なわけです。あなた関西人は自身の尊大な郷土愛を背景に他の地域の人間全てに関西弁に対する知識を強制しています。これは明らかに不平等な圧力です。
宮内庁の警告文みたいに「〜止めぬよう」で書けばよさそう(小並感)
素晴らしい動画だと思います。以前から言語や訛りの動画を出されているのに京都や大阪っぽい訛りをなされているのはなぜなのかと思っていたのですが、この考え方自体が関東弁至上主義(?)のもたらすものなのだと痛感させられました。一つ違う視点から見られるようになったことをありがたく思います。
関西の生まれなんじゃ...
日本語を勉強してる中国人ですが、買える教材は全部標準語のものでした......
でしょうね笑笑方言を学ぶには実際に日本に来るしか無いかもです。アメリカ英語とオーストラリア英語みたいなもんですから。
@@catan_ryoma5119 むしろイギリス英語(英語の宗主国であり世界標準)とアメリカ英語(田舎の方言の1つ)では?
@@pixelwanderer6751 「英語の標準語」がアメリカ英語なのかイギリス英語なのかは意見が分かれるものだと思います。昔は絶対的にイギリス英語が標準でしたが今学校で教えられる発音はアメリカ英語のものです。米英のパワーの逆転から時間をかけてアメリカ英語にシフトして行ってるようですね。
到了现在没有那样的事!
8:50地域に合わせて訛らせてるのすこ
「障害」表記が広まりすぎて、「障碍」表記されると逆に当事者が必要な情報を得るときに「障碍」表記の情報が引っかからなくて困る、という話を聞いたことがあります。言語って深いですが、それだけに大変な面も多いですね。
大変面白かったです。ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます~^^
京言葉(都言葉)が標準語になるという傾向があるわけですね。Sakamotoさんのご講義は目からうろこですばい!
興味を持っていただけてうれしいです^^
京言葉が標準化されるのは、結構無理だと思います。京都人独特のアイロニーを情報化社会の現代人でも理解できないのに^^:言っている事と解釈が真逆、しかもそれが「察し」でしか判別できん。。。。
日本語、面白いですもっと知りたくなりました
寝屋川のモスで納得しました。大阪でも南の方の喋り方じゃないと思ってたのです。でも北摂とも違う。京都よりの北河内ならしっくりきます。と、奈良よりの南河内の人間の印象です。
動画内では「動画用」の喋り方なので、日頃からこの喋り方というわけではないですよ(^_^;普段は河内方言ですが、ここでは、極力平均的な関西日本語で話すよう心がけました。
関西人ですが話し言葉は違いますが文章では標準語の方が頭に入ってきますもうそうなっちゃってるんですよね……
それは仮名遣いの問題でしょうね。歴史的仮名遣ひというのは上方言葉が元となっているのですが、現代仮名遣いは東京弁のそれでして、現代仮名遣いで上方言葉を表記するのは事実上不可能です。(歴史的仮名遣ひを混ぜねば意味不明になる) 「雪が舞うてゐる」を平仮名で書けば「ゆきがまうてゐる」と「ゆきがもうている」とでは何方が意味が通るのか?を考えれば判ると思います。
なんか所々現代の発音出来てないですよ。さては古代からの時間旅行者…!!
ふっふっふ。1500年の眠りは長かった・・・
@@OmizanSakamotoOfficial 寝スギィ!
包むがちゅちゅむになってる
@@at19960926 いなぁ、「トゥゅ トゥゅむう」……とぉ ゆうてぇ はぁなかりとぉ?
@@at19960926 12:53 ゆーてるね。俺はつゅぅつぅむぅに聞こえる。
興味深く拝見いたしました。方言の位置づけの変化はなかなか気づかないことですね。障害については、(1) 江戸〜明治の呉音読み→漢音読みの変化 (2) 同じく明治期の「害」を使った熟語が大幅に増えたこと…の合わせ技で、終戦時にはすでに障碍と半々の利用率だったようです。より使いやすい「害」、また要害・妨害・阻害などと同じく「さまたげ」の意味にしかならない使い方の害を援用する形が広まったものと思われます。また、障害者という単語が一般に広まるのは終戦直前あたりからの身体障害者当事者の運動によるもので、これははじめから障「害」者と書かれていたようです。戦前にも吃音がある方を言語障「碍」者、また法的免責などの文脈で精神障「礙」者と書いている資料はあることはあるのですが、広くは人を指して「廃疾」と呼んでいて、これを障害(者)と言い換えようとしたのが身体障害者たちの運動でした。
近畿方言を後から習得されたと別の動画のコメント欄で知りました。近畿の中でもどの地方に根ざして習得されたなどありますでしょうか?私は奈良の中部で生まれた近畿弁話者ですが、ざっくりと大阪地方の言葉に近いなと感じました。
谷口弥央さまぇえっ 本当ですか?この方は関西出身ではないと!?……もうびっくりで恐れ入ってしまいます。本物の天才ですね。考えながら話しているスピードではありませんし、完全に身に付いているこの方の本来のしゃべりにしか聞こえませんでした。もし出来れば、本当はどこの地方のご出身なのかを教えていただけませんか。よろしくお願い致します。……本来は東京出身で標準語をお話しされる方なのでしょうか?
@@あんな-w1v 関西弁話してるというより、関西の古文の先生が憑依してる感じ。古文の先生みんなこんな話し方やった、懐かしい…
〜なんだ(否定形)という言い回しは奈良南部らしい感じしますね。せや、そう思われる理由は奈良南部は標準語らしいイントネーションを使うからかもしれません。
@太宰治 じゃあの。
逆に関西弁を関東人がしゃべるとエセだキショいだ云われますからそこをクリアすることも同様に必要ですね
全くその通りだと思います。言語を少数の話者集団が専有すると、話者集団が多数派に同化されるにつれて言語も消滅してゆきます。アイヌが好例です。非母語話者による言語の使用は喜ぶべきでこそあれ、忌避すべきものではないのです。関西人もアイヌも、そのことに早く気付くべきでしょう。
どこかで読んだレポートに、〝長く続いた戦国時代から江戸時代までに、人や文化の流通を、時の幕府が厳しく制限した為に、各藩の中の独自の言葉(方言)が、より一層濃くなっていった〟とありました。これに加えて、いにしえからの古典である古語もあるとなると、日本の中でも、自分の意思を伝える為に、どうしたら良いのか、拠り所がない状態であったという事ですね。厄介ですね。明治時代に、〝標準語〟(現在では差別的解釈をされない様に共通語と表現されます)が国家を主導に設定された恩恵は、今を生きる私達に、日本国内のどこへ行っても、意思の通じない事はないという、当たり前の様ですが、実は大変重要な事象となっているのですね。どこの地域の言葉を基礎に、共通語とするかについては、様々な意見があるでしょうが、何はともあれ、現代の日本社会においては、〝共通語〟と〝地域の方言〟の二本立てで、日本人は生活していますね。ご存じだと思いますが、今の日本においては、各地域の言葉〝方言〟も、歴史や文化において、そこに暮らす人々にとってだけではなく、国としても大切なものだという解釈になっていますね。〝東京弁〟という方言があるということですが、私は不勉強で申し訳ないですが、よく知りませんでした。ですが、〝江戸弁〟という方言が、現在の江戸川流域や、上流で分岐する利根川下流の地域の人々の間にあるというのは分かります。いわゆる〝べらんめー〟口調の下町言葉ですが、江戸落語の古典を聞くと、良く解ると思います。ちなみに、英語には、共通語はないという事だそうですね。現在の日本の英語教育においては、その辺を良く理解していてくれているのでしょうか。仮に、国力の強い国の英語をもって、教育するとしても、実際には、世界中から、それぞれの国の〝訛り〟を持った英語を話す人々が、たくさん日本にやって来ます。彼らの多くは、自国以外のアクセントやイントネーションについて理解していない事がある様ですね。律儀な日本人は、戸惑ってしまいますね。
逆に言を文に一致させれば全て解決!
なるほど、いいアイデアですね!「ニュース申し上げ候。今日未明、○○銀行に強盗これ御座有り候。然れども警備員たちまち捕縛候へば、被害少しも御座無く候、恐惶謹言」
東京弁というよりも山手言葉。東京には下町言葉もありますから、東京弁というと共通語とは似ても似つかぬ言葉になってしまいます。
山の手言葉も東京方言です。同様のコメントをよくいただくのですが、東京方言というグループ内に、更に複数の方言が内包されているという構図を理解する必要があります。
なるほど
イリオモテヤマネコ駆除運動は笑った
2:38 スペイン語とポルトガル語の関係性は分かったけど、あとの2つはわかんねーってなったw
和製漢語や新字体(常用漢字表)は漢字文化圏の用語を影響する上に、用字さえも影響しました。 例えば:「智識」=>「知識」 「智」を簡略化していない台湾、香港、中国は「智識」の「智」を「知」になる必要が無くても、そのまま用字を変えました。 面白いのは、広東語では「智」と「知」の発音が違って、一部の人は、「知識(tʃiː˥˥ ʃɪk̚˥) ちしき」を書いたまま、「智識(tʃiː˧˧ ʃɪk̚˥ ちしき)」で発音することがあります。 他の例:「挌鬪」=>「格鬥」 「闘」の旧字体は「鬪」でありますが、新字体は「闘」になり、繁体字は「鬥」になった。 広東語の発音は両方ともに「(kaːk˧ tɐu˧˧) かくたう」 発音の表記はIPAを基準としてください。(日本語では有気音と無気音の分けが無いや、母音や子音が広東語より少ないので、正しい発音ではなくて、参考だけです。)
11:57 突然のイケボ
まさに「障碍の障の字にも差し障りがあるだろう」と思っていたので納得のいく説明が得られて嬉しいです。が、未だ満足には至らないので自力でもうちょっと調べてみます。
言文一致運動より子規革命という日本文学史の大変革がありました。中学時代の国語の先生が、新古今和歌集のように本歌取りなんかの技巧を凝らすことより表現の自由そして何を表現するのかの問いかけが大切だと熱弁されていましたが、後年山本夏彦氏の評論で型にはめることが徹底されたからこそ子規革命に意味があって、それがされていない現状は基本が失われて逆に子規革命の意義がなくなったと述べられた批判を読んだことあり、受験の知識になく驚いたことあります。言文一致運動、共通語問題いろんな側面があると考えます。また今やスマホパソコン時代ですから、漢字は本来の形に戻すべきです。山本夏彦氏は、難読漢字にルビを振れば良い、戦前はそれが普通だった(最終学歴小卒が圧倒的多数派)。あと30年以上前に渡部昇一氏が漢字廃止論が、ワープロ(文字通り前世紀の遺物になりました)登場で事実上消滅したと述べられています。
前島密は漢字も廃止しようとしてましたね…結局失敗してましたが。
昔買った百貨辞典には、日本の公用語が日本語・アイヌ語になってました。いまはどうなんでしょうね。
百科事典?
アメリカにはドイツ語を母語とする人がいるので、公的言語としてアイヌ語が使われていないのであれば公用語ではないと考えます。
関西人の会話関西人A「その犬、チャウチャウちゃう?」関西人B「ああこれ?チャウチャウちゃうよ」関西人A「ええ?チャウチャウちゃうんか」これには爆笑した
明治の人は方言撲滅(公的な場所で)をどの様に感じていただろうか? 今より遥かに言語が異なっていた時代の多くの国民は賛成していたと思う
繁体字圏からしますと、漢字の簡略化は一つの趨勢であり 致し方ないのかもしれません、だが同音漢字の書き換えは甚だしい問題であるにもかかわらず、あまり問題視されてないことに驚きました。しかも書き換えた熟語は漢字圏内で誤解を招きかねないですし、文字と意味がかみ合ってないのも多く使っていて違和感を覚えます。例えば栄養は営む養分に対し栄えると書くように(崩壊【崩潰】など一部逆輸入されてるのも有りますし、簡体字では後が后に置き換えられたりしますが)なので取り上げていただきありがとうございます!ここで質問です 私的には障礙の方が見慣れていまして、こっちの方がしっくりくるのですが、やはり元の字に直す場合障碍の方が日本語的に正しい若しくは認知度が高いのでしょうか?あとご存知なければすみませんが、進撃に巨人の奇行種はもしかして畸行種だと思っていますが調べようがないのでOmizanさんの個人的な見解が聞きたいです!
ご視聴ありがとうございます^^少し昔の小説では、「障礙」の表記が多いですね。三島由紀夫さんなどが多用していらっしゃいました。しかし、最近では、書き換えに反対している人々は、「碍」の認知度の方が高いので、こちらを使うことが多いです。ちなみに漢字検定では、「碍」は準一級で、「礙」は一級です。進撃の巨人は詳しく知らないのですが、個人的には、「畸」は「奇」に比べて、「障害(碍ではなく)」というイメージが強い印象があります。なので、「奇行種」の方がしっくりくるんじゃないかな・・・という気がします。参考になれば幸いです^^
@@OmizanSakamotoOfficial 返信ありがとうございます! 仰る通り畸は畸形のように形を指すもので動作がいびつな事を指さないようです、ただどちらかにするか結構悩みましたので、参考にさせていただきます
なるほど…ちょくちょく関西弁になるのはそういうことだったんですね…
5:45 人を「しと」と呼ぶ関東の人の影響で叱るを「しかる」って言うようになったんか?
すごいチャンネルを見つけた
切手とか葉書とか漢語らしくないことばを作ったのは前島さん。
読みが訓読みだから漢語じゃないよ
方言って、聞き取れるようになれば同じ言語に聞こえること、という解釈でよろしいでしょうか?
12:43 漢字置き換えられてたの初めて知った
QuizKnockで、表外漢字のクイズが出てました。ruclips.net/video/6hVqDW0waLc/видео.html掘鑿は流石に難しいけど、根柢や庖丁くらいなら覚えられそうです。
Sakamoto sanー お陰さまで私の日本語知識の幅が広がりました!素敵ー♡
ありがとうございます!^_^
投稿者さんにはいつか日本の方言の成り立ちについての動画を出していただきたいです。藩同士の行き来がほとんど途絶えた江戸時代に方言が発達したと思うのですが、その辺りについて詳しく知りたいです。既出だったらすみません。
7:05 東京へは遷都ではなく奠都では?
重要な指摘です。東京"奠"都したはずが、いつの間にか事実上の東京"遷"都にすりかえられているんですよね。歴史への無関心は、歴史そのものを変えてしまいます。だからこそ、歴史を学ぶことが重要なんだと思います。
東京と言うネーミングは東の京ですからあくまで仮の京と言った意味合いでしょう!
結局はどこまでが別言語でどこまでが方言っていう境目のイメージが時代とその為政者の統治範囲とともにどうとらえ方を変えられてきたか、という話であって、どの分け方が正しいとか間違ってるってわけじゃないんじゃないの?って思ってしまったんだけど、言語学的には方言と別言語ってのは定性的に分けられるもんなのかな~?
そうなんです。現状、言語間の隔たりを示す指標がまだないため、「異言語」と「同言語の異方言」を明確に区分するのが難しいのですよね。この動画を製作してから二年以上経った現在、私は「学術的に有意と言えるのは、せいぜい同語族か否かだけ」という考え方をしています(議論の放棄と言われるとそれまでですが(^^;)。これについては、こちらの動画で詳しく論じておりますので、良ければご視聴ください↓ruclips.net/video/H0W7uH2-9D8/видео.html
こういうのってどうやったら自分で調べられますか?
図書館の大雑把な分類は便宜上だから、それがまったくの正確さを見出すのはそもそも無理です。各館の管理もそれぞれずれがありますし。
9:54頃、戦時中ではなく戦前だと思われます。
より厳密には「戦前・戦中」です。「民族が同系統なら政治系統も一本化すべき」とする議論は終戦をもって廃れたが、その根源たる「国家=民族」という幻想は依然として存続している、という旨です。
なるほど。返信ありがとうございます。
興味深い
最近は表外漢字も見るような気がします。「饒舌」はよく見ますし、サブカルチャーでもよく使われていると思います。(根拠は無いので、間違えてるかもしれません。)
この動画の存在に感動しました。私も音韻学などを少しかじった者で、関東方言の絶対化に違和感があり、日常的に「ない」を「ぬ」と使ふことなどを心掛けてをります。一方、古代より、畿内の中央語が訛り関東方言になったと思うてゐた為、もとより別言語やという視点が不十分な点、反省し、更に知識を得たいと思ひます。更に、言文一致運動により、現代の書き言葉が関東弁を基礎にしたもの「である」点、フェアになることを願ひます。
文部科学省入省時、教職課程、教職員採用試験に視聴必須にしてほしい動画だ!
12:44元の漢字?だいたい好き
サンクス次回も楽しみす
ありがとうございます^^
知性の古里良い言葉だね
でれ分かりやすいし、最後なんかはええこと言やぁせるなぁって思いました。自分の地域のコトバを大切にせなかんなぁ。次回も楽しみにしとるんで是非続けていってください。
ありがとうございます!方言でコメントいただけると、とてもうれしいです^^(岡山の方でしょうか?)
岐阜県の東濃地方(美濃の東)です。上方から同じくらい離れとるもんですから、そのように感じられたんかなと思いますが、実際は名古屋弁と関西弁の折衷といった感じです。
@@josephkani5981 なるほど!勉強不足で申し訳ないです・・・中部地方の言葉ももっと勉強しておきます(--;
2:40 スイスは他言語国家ですが、スイスドイツ語(すなわちドイツ語のスイス方言)は標準ドイツ語とは全く似ても似つきません。スイスドイツ語をドイツ語の方言と見做すなら、スペイン語とポルトガル語も方言の関係にあると言える、とよく比較されます。
日本語(天皇が居る所の方言)が世界から見た日本の言語の代表ってことでOK?
すごく勉強になりました。でも、意思疎通のために東京弁を言文にしたというよりは、東京弁すら駆逐されたという方が正しいのではないでしょうか?実際、東京で話されていたのは下町言葉で、これを話せるのは一部のお年寄りか商業的に話している落語家の方くらいです。
10:47 その節はどうも… by台湾人
国家と民族に対するこの列島の独自の考え方
早く「れんらく」が一発で「聯絡」と変換される日が来ることを願っております(台湾のように)。ちなみに国語の問題をイデオロギーと結びつける方々が見受けられますが、私は右でも左でもありません
私は多摩弁地域育ちの若者ですが、多摩弁山の手方言下町言葉同様に首都圏方言も伝統的方言の侵略としてではなく、一つの変種として尊重すべきなのですかね…
ムーブメント、ストライキなど歐米言語を日本語で片假名で用いることは、表現の幅を廣げるものではない。movement, strike 等、ローマ字で書いて初めて、表現の幅を廣げることに繫がると考えます。片假名で書いてしまうことによって、本來の意味の一部のみを表してしまいます。
常用漢字、表外漢字字体表が生れている時点で過去の漢字施策は失敗だったと認めているようなものなのですよね。
方言の地位の事は理解できます。ただ、現実として実質の標準語があることで全国での意思疎通が簡単になっているので、歴史における意識や偏見の問題は忘れてはいけないと思いますが、それを理解したうえで、新しい意識をもってこれからも実質の標準語を標準語として扱うべきだと思います。(四国地方の人間なので、別に関東びいきというわけではありません。日本全体で見た機能性と、それぞれの方言としての尊重は別で考えるべきだと思いました。)
アイヌ語は別言語ですよね。語彙でどちらからどちらかへ入り込んだのはあるとはいえ
素晴らしいビデオをありがとうございます。漢字は素晴らしい文化だと思う一方、覚えるのに費やす時間のことを思うと、韓国みたいに撤廃はありえないとしても、半分くらいでもいいんじゃないかと思いますね。あと、標準語=東京弁 ってのは東京出身者からすると、かなり違和感があります。
アイヌ語に関しては微妙で、日本語が元になるアイヌ語(単語)もありますし、アイヌ語自体は9つの方言(アイヌ語?)があるのです。そもそも12世紀後半、擦文人、オホーツク文化人、日本人が住む北海道(蝦夷ヶ島)に沿海州より来るがアイヌであるのでアイヌ語は抑が東シベリアでウィルタ、ニヴフ等と混ざり各方言が生まれ北海道全域にアイヌが拡がると共に新しい言葉が出てきた物と思われます。例えばアイヌ語で「マキリ」。これは山刀ですが抑、鉄を有しないアイヌが何故この言葉を持つか。これはマタギの言葉であり、東北日本語です。他の民族と同じくアイヌ語は夫々の民族と接する上で言語を形成していったと推します。アイヌの先住民族論争に関しては当時の国史から鑑みるのが日本国としては適当なのでは?と自分は感じております。
日本語の対外造語力が著しく下がっている気がする今日この頃…。パソコンは電脳、スマホは手機。中国語の造語力を今こそ輸入するべき時なのではないか
同感です。それにしても、中国製の訳語の輸入に積極的な国というとヴェトナムと北朝鮮です。一方、ヨーロッパ語をそのまま借用している東アジアの国というと、日本、韓国・・・何とは言いませんが、ある「壁」が、言語にまで影響をあたえてしまっているような印象を受けます。
Omizan Sakamoto なんと、そんな傾向が…東アジアの財産である漢字をどうにかして繋ぎ止めて行きたいですね…。「破たん」みたいな表記を見るたび、「片方の漢字が使えないのならいっそのこと両方とも平仮名にしてしまえ」と思う人が少なからずいるのではないかと思っています。果たして漢字離れはこのまま少しずつ進行していくのでしょうか…
対外造語力、和製英語が増えてるので力が落ちてる訳では無いでしょう。中国の古典の地位が著しく低下しただけじゃないですか?縦書きさえ無くせば、和製外来語にカタカナを、外来語にalphabetとかを用いる事ができるし、スッキリするよ。
日本は外来語を片仮名で表記する、という能力を得たから(不完全ですが)音訳しているだけです。第一、中国語とて《可口可乐》なんて上手い訳語はそうそうありません。卡拉OKが良い例かと。それこそ、言語学的にはどの言語も優劣などないのですから、偶々外来語の輸入に際して音訳が主流になっただけで、なにも態々和製漢語に直す必要性が薄れているだけですよ。まあ、日本より外国に多くの人が憧れを抱いているがゆえに、より一層その風潮が強いことは否定しませんけれどね。
反対。意思疎通の道具として言語がある。不自然な「対外造語」など不要。言語障壁を築くほどよい、というのは自閉症的発送。自・閉・症。中国人なんてやたら外国にいきたがるが、ネイティブ単語をしらないので、どこの国でも変わり者の目でみられる。これに政治的色眼鏡が加わって、北米では今や名士クラブなんかにはチャイニーズおことわり、招待せずになってるそうだ。
アイヌ語の本は 外国籍の棚に 置いたらいい事ですか? 図書館の意図は 違うのではないでしょうか?
中国では若者が漢字を書かずピン音(アルファベット)で書くという現象が起きています。政府が慌てて漢字のカリキュラムを強化しましたが、簡体字を繁体字に戻したほうが中国語本来の力を発揮できると思います。簡略化しすぎて文字を見ても意味が曖昧です。
sasa hara 残念ながら若者が文章をピンインで書くような現象は存在しません。漢字をピンインで書くような現象は主に政府のネット検閲を避けるためにだけ起きるものです。
江戸弁が標準語に選ばれたのは時代的に当然の流れではないかと・・・倒幕側に回った薩長土の藩主なども、江戸詰めの期間が長いから普段から江戸弁に慣れ親しんでいた。山内容堂や島津斉彬なども上屋敷の外では将軍と同じ江戸弁だったと思える。他の江戸詰め藩士も他藩の者と話す時は江戸弁で話して居たんでは?西郷隆盛は分らないけど、坂本龍馬あたりは勝海舟と江戸弁で話して居たような気がする。
東京の言葉が標準語になったというのは、より正確には東京の山の手言葉をベースに標準語が成立したということではないでしょうか。
方言をわざわざ尊重なんてしなくていいと思う。それぞれの方言みんな好きだし、淘汰しようなんて誰も思ってないよ。ただ教育とか経済の面で、統一された言葉がないと上手く回らないからそれが普及していくのは当然で、仕方ないことだと思う。2つの言葉話せる人、俺はカッコイイと思うけどね。
でもなんか、関西弁、落ち着くなあ…新潟民ですがでも関西を標準語として見ると、江戸弁が凄いサッパリしてるな
中国地方の高校で寮生活してましたが、東京出身のやつで方言使った後輩にマジギレするやべー奴がいました(笑)
関西出身じゃないですよね、、、?
昔のアナウンサーの喋り方の再現やってほしい
常用漢字は漢字を「捨てる」目的で定められたのか、知らなかった
少し気になったんだけどあづまことば?あずまことば?
本来の表記では「あづま」ですが、戦後は表記が変更されて「あずま」になりました。
日本も横文字を使うことが多くなりましたが、英語の〜tyとか〜tionとか整頓された表現を部分的に発音だけの理解で日本に流行らせるのは後の混沌になるんじゃないかと思っています。
現時点でもはや混沌に近い。多くの人は所謂横文字を理解できていないのに、なんだかそれっぽいから使う人が数としてはそれなりにいてしまっている。首都の首長があの調子だから言葉の乱れはますますひどいことになりそう。
@@alice0_036 慣れ親しまれると変えるのは大変ですからねえ。せっかく漢字を使ってる国なので組み合わせで同じ意味の言葉は作れそうな気はするんですが、コロナ対策でも横文字ばかりですよねぇ...
12:53ちゅちゅむ
「わかるんが難しか日本語」草
主が関西弁?(詳しくなくてごめんなさい)で動画作ってるのが少し理解出来た気がします
よくこそ言うてくれました
国家=民族はnationという西洋伝来の観念に基いたものです。決して日本古来のイメージではありません。それに中国国内のタイ系「民族」(タイ・チワン語派の一部の言語の話者)の人をそのままタイ人と呼び、かれらの言語をタイ語の方言と呼ぶのが非常に危ういことです。言語学的には方言関係と呼びうるものですが、「言語」と「方言」はむしろそれ以上に政治的な含意が強い言葉です。大半のラオス人は決して自分たちの言葉をタイ語の方言だとは思わないです。それに言語学でさえ言語と方言を切り分けるためには如何なる明確的な定義を生み出していないことを言うまでもありません。ちなみに注に「タイ語の中国方言における発音ではダイ」という記述も誤りです。中国語の「傣」は無気無声音のtaiから由来したものなので、拼音ではdaiと表記するのはぴったりですが、日本語はむしろタイと表記すべきでしょう。しかしタイ語のthaiとは無気/有気の区別があります。中国の傣族は国家権力のもとに実施された民族識別政策で作り出された公式な「民族」区分です。民族を識別する際に用いた基準はソ連由来のものですが、西洋近代の観念やイデオロギーに沿ったものです。民族識別政策によって生み出されるまでには「傣族」という集合的な観念が存在しなかったことですし、それがそのまま人々のアイデンティティといった現実を反映してもいません。
I wish that there is an English subtitle for those.
アイヌ語は現在ほとんど使われていませんそのような言葉を知りたい人は実用的に会話したい訳ではなく、言語学として知りたい人や北海道文化について学びたい人だと思いますそうであれば、日本の中の北海道の言葉であるアイヌ語を便宜上方言としてしまえば、言語学的に正しくないように見えても、利用者にとっては便利な配置だと思います
それだけ違っても関西弁と関東弁で意思疎通できるのって凄いな やっぱり慣れなんかなあ
障碍者という言葉は元々ある障害者という言葉をトゲがないようにした言葉かと思ってたが、まさか逆だったとは。恥ずかしい。
書き換えといえば、古い鉄工所などでは溶接を「熔接」と表記しています。また私は芸術を「藝術」と表記します。
私は香川の者ですが、ここ数年はあまり讃岐弁を聞かなくなった気がしますね。懐かしく感じます。
「現代もあんまり変わってません」にかなり頷きました
時間を作ってちょくちょく拝見してます。今更ながら日本語が面白くて仕方がない。そう思えるようになりました。今まで以上に愛着が湧きますね。有難う御座います。
何よりのお言葉です!m(_ _)m
多様性を尊重しずぎると訳わからなくなるし、効率重視すると表現が狭くなっちゃう
難しいよね
実は日本は公用語を法律で規定していません
だから本来はどこの言葉を使おうが法律の上では自由だったりするのです
同調圧力のみで保たれる奇妙な言語であるとも言えます
ゆく先々に出没する前島密、めっちゃ笑った
興味深い動画をありがとうございます。言語の統一を行わなかった結果、国民のほとんどが使用していない古語(ラテン語)を公用語として表記文字に使用している国もあるなかで、文語の基準を生きた言語に集約し普及させたメリットは計り知れないと思っています
私個人としては、大学で初めて関西圏に行き、自動車教習所の教官の話し言葉が全くわからず、教本に書いている内容から言われたことを推測する。という苦労をした経験があります
同じ国の同胞と会話するには通訳者が必要でしょうかw
@@kekeke8988 同胞?というのがどの範囲を指すのかわかりませんが、関東圏の自分には少なくとも青森弁と鹿児島弁は通訳必要です
ラテン語を公用語としているのはバチカン市国だけですが、、?
今日始めてみましたが、半端なくわかりやすい。ずっと見ていたい
上京してきた奴は関西弁を喋るな!というのをネットで見て、号に入ったら郷に従うべきなのかそうではないのか心に残ってました。
この動画を見てこのような発言は相手の文化を否定しアイデンティティを奪う恐ろしいものだと分かりました。このような差別発言が平気で出てくるあたり根深さを感じます。
ネットは偏った意見を持つ人が大声で喧伝するような場ですから、気にしない方が良いですよ。実際にそんなことを言ってる人会ったこともありませんから。
社会のルール(法律、条例等)無視して、自分の感情論(関西弁嫌い)を他人に押しつけてる(関西弁喋んな)だけだから、相手にしなければいいだけ。
郷に入ってうんぬんも、ただの諺であって従う義務も無い。
関西弁て何ですのん?聴いたこともおまへんわ?!。と言い返したら良いと思います。
関東人つてまだ自分が日本人だと自惚れしてゐるらしい。
お前こそ田舎弁をしゃべるな‼️と言い返せば良いのです。
幅広い学識、深い洞察、分かりやすい解説。いつもながらためになる動画です。
諜報活動の笑い話として、戦時中モールス信号が米側に漏れていると知った日本軍は
薩摩弁の平文で通信することで向こうに何言ってるのか分からなくしたとか何とか…
薩摩出身の移民に翻訳されて死亡
@@hentaiyojo ドイツから戻る際のの一時的な暗号通信を翻訳しましたが日本側の潜水艦は無事でしたよ。それどころか戦後には実際に両者会話しています。
しかし後に、その訳した方は自殺されました。生涯アメリカと日本とのはざまに苦しんだそうです。
こういう問題を考えるには、当時日系人が迫害され彼らがアメリカへの忠誠心を求められた時代であるということを理解せねばなりませんよ。
アメリカ軍は戦時中も原住民の通信兵がいたそうで、その人たちの言葉で通信していたそうです
「方言」・地域の言葉を売りにしたお笑いに人気が集まることが多いのは、自分の馴染みのない地域の言葉でも、それを聞いていて心地が良い(もっと聞きたい、自分も使ってみたい)と感じるのは、地肉の通った言葉同士の方が本当にコミュニケーションしている、通じてる・つながってると感じるからかと思います。
すごく感動しました。
僕は、沖縄生まれ、沖縄育ちですが
琉球語は単語やフレーズでしか話せません。
独学で、文法などの勉強はしてますが。。。
政府には、沖縄文化の土台である沖縄語の復旧にもっと力を入れて欲しいです。
方言札等のせいで、今日琉球語を話せる人は高齢の方々、もしくはその人たちと交流が深かった人のみです。
文化・文明を殺した罪は計り知れない程重い。沖縄の人も、もちろん頑張らないといけないけれど、現在の教育制度は本土主体なので、実質難しいですね。
私も沖縄人ですがいくつか指摘させて下さい
「方言札のせいで」→方言札は他県でも実施されていた。やり方に不満はあれ国家としては標準語教育をしないとしたらそれこそが地域差別じゃないですか?時代背景を考えれば無理強いに見えても内実は公平、平等と言えると思います。現在、沖縄人のほとんどが標準語を使えますがその利益は計り知れない。
「文化、文明を殺した罪」→あまりこういうこと言いたく無いですが「殺した罪」その表現にドン引きしました。同時代の本土でも近代化にともないそれまでの習慣や風習が強い反発があるなか改められました。沖縄においては旧慣温存で他県に比べ緩かな措置でした。その後、各地域消滅させたくない古い風習は様々な方法で保存に動いてますがそれは他県も沖縄も共通です。
「政府は沖縄語の復旧に務めて欲しい」→そういうのは政府ではなく各県でやることです。県も各市町村も力を入れてるように見えますが不十分ですか?国からは予算が出ています。地域文化はその地域の人達で創るもの。また本来は自然発生的であるべき。
@@gorilla8137
ご指摘ありがとうございます。
まず同じ沖縄人から、そのような意見があることに深い悲しみを覚えました。
一つ大きな誤解をされているようなので(コメントに"他県も云々"とあるので)、最初に言わせて頂きますが、僕は殺されてしまった他県の言葉・文化・風習にも同様のことを思っています。
僕は沖縄人なので、沖縄語について書きましたが、方言札によって失われてしまった他の言葉も同じように復活させるよう政府は努力すべきと思います。
僕も自分のコメントを読んで、"本土"と一括りにしてしまっているので反省させていただきました。
さて、
当時の政府は標準教育して、文化的に沖縄を日本国に入れなければならなかったんですよね。
しかし、やり方に問題があり、それをやってしまった政府がいけないと思います。
nc mzさんは、方言札を肯定しているのでしょうか?
肯定しているのであれば、なぜ今日の外国語の授業で、なぜ日本語札を取り入れないのでしょうか?
それは、現代では"ひどいこと"と認識されているからです。
ひどいことすることに、平等性・公平性があるでしょうか?ないと思います。ひどいことは、そもそもやってはいけないからです。
また、方言札は他県でも〜とありますが
他県の文化も排除されているからといって、平等・公平を大義名分に、沖縄の文化も排除されてもいいのでしょうか?
nc mzさんの仰る通り、日本語を習得し、日本人として認識されることで沖縄の人々はとても大きな利益を享受してきました。
物凄くわかります。しかしそれだから、言葉や文化を殺してもいいというわけではないと思いますよ。
また"文化・文明を殺した罪"と表現したことにドン引きされたようですね。
僕も少し過激な表現だとは思いますが、"とてもひどい行為"と表現したかったので、ドン引きされたなら、その中身を汲み取られたかと思います。また実質殺されてしまったものです。あなたなら他にどう表現しますか?
政府は沖縄語の復旧に勤めて欲しいという意見に、各県ですべき、国は予算を〜仰っておりますが、お金だけ出すから、あとは任せるってことですよね。明らかに責任転嫁なんじゃないでしょうか。
お金で文化が蘇ると思っている時点で、物凄い誤解です。あなたも仰っていますが、文化は、その地域の人々で創ってゆくもの、本来は、自然発生的なものです。生き物と同じなんです。
長い時間がかかるものなんです。だから、それを殺すことは、とても重い罪なのです。
小学生の甥っ子と姪っ子、また知り合い教師数名に沖縄語の時間はあるか問うと、ないって言われました。
これで力を入れていると思われますか?
また充分だと思われますか?
僕が留学していたフランス・ブルターニュ地方では、フランス語と並行してブルトン語の教育の時間を設けておりました。
フランス/ブルターニュ地方でも、方言札があったそうですが、道路標識では2ヶ国語表記、店名などはほとんどブルトン語です。
それなのに、ブルトン語はなかなか普及していないようです。
@@onapecco
アイルランドではアイルランド語の勉強は義務教育になっていますが、教師自身も上手く話せないので、
復活に努力を掛けても、やはり殆どのアリルランド人はアイルランド語が分からないまま、英語で話し続けています。死んだ言語の復活はやはり無理かもしれません。
でも、まだ沖縄語はマシな方だよ。
オレは高校生の頃、沖縄の
アメスクに、3年間居たけど
1980年代にはウチナーンチューの、
殆どがウチナーグチでユンタクしてたのに、タンメー
ンーメーターの殆どは、
ヤマトグチヤーワンネー、ムル、ワカランサァーとか言ってたのに
一体何時から
そんな体たらくになっちゃったんでしょうか😭
あと、アカサンチィブルグワーの人が言ってたエスノサイド発言は、ピント外れやっさ🤔
アレは日本政府は、無関係
沖縄県教育委員会(狂育!)
が勝手にやってることやんどー😅
饒舌→冗舌(噺家→漫才師)
冗談を言う舌
東京弁という言葉の解説も見たくなる動画です。是非お願いします。
私の周りにも、関西出身で関西弁バリバリの人がいます。九州や北海道の出身の人もいる中で彼だけが『標準語』を話さないため、彼は他の人から「直さないの?」とよく言われています。私はそういう場面に出くわすたびに、「直すとは?」といつも不思議で仕方ありません。
私は生まれも育ちも東京で、いわゆる『方言』は話せないので(東京方言と言うこともできますが)、方言が話せる人が羨ましく思えます。
コメントありがとうございます^^
「直す」とは、まさに、標準語以外は「歪んだ日本語」という、平安時代と同じ発想ですね・・・。
こういう偏見は、ひとえに日本語史に対する無知のために起こるものと考えています。啓蒙こそが、伝統の滅亡を食い止めるのです。
実は私も第一母語は東京方言(生まれは大阪、祖父も大阪人)なのですが、その私から見て、関西、特に大阪には、東京方言を操れない人がかなり多いのです。
逆に言えば、「関西弁は直すべきもの」という観念がないということです。大阪では、東京方言は一種の「余技」に過ぎないのです。
だからこそ、関西人は日本中どこでも躊躇なく関西弁で話せるのだと思います。
全国のみなさんが自分の母語に誇りを持てるよう、「標準語は特別なものではない」という観念を広めていきたいものです。
Omizan Sakamoto
インターネットが普及して物も情報も全国に届くようになった現代、物理的な「都市と田舎」という対比は極めて弱まっているはずなのに、心理的な対比は未だに根強いですよね。方言で喋っている動画がバズったりすると、必ずと言って良いほど「カッペ」とか「標準語で話せ」という心無いコメントが書かれます。そのようなコメントがどういう心理で為されるのか長らく疑問だったのですが、この動画を見て、もしかしたら彼らは恐怖を抱いているのかもしれないと思いました。「同じ国家に住む、同じ民族の人間が、同じ言語を話していない」という、先入観と偏見に囚われた恐怖を。
@@OmizanSakamotoOfficial それは関西人の定義する一方的な標準語に対するバイアスのように思えます。第一に標準語を東京方言と定義することに無理があります。東京方言言えば数種類有り代表的なものは山の手言葉とべらんめでしょう。たの方言と同じく現在は薄まってきてはいますが、現在も存在します。率直に申しますと関西弁話者の大多数が言う「標準語は東京弁」というのは自信の標準語を勉強しないいいわけにしか過ぎないと思います。東方関東在住のためここらのことしかわかりませんが、関東圏の人間は自然に標準語を話している訳ではないと言うことを理解していただきたい。我々も独自に方言を持っていて、なおかつ標準語も勉強して習得していってる訳です。それを関西人だからといって拒否できる理由はないと考えます。
@@harukiharuki1116
標準語≠東京弁 と同じことが近畿方言にも言えます。
例えば、大阪弁と京都弁には、それぞれ別の訛りがあって、それを除去すれば、純正な「標準的な近畿日本語」が得られます。私がビデオ内で話している言語はこれです。
しかし、これを「大阪弁」と言っても、あながち間違いではありません。なぜなら、大阪で話されている言葉も、背後に存在するのはこの言語だからです。ゲルマン民族の言語をまとめて「ドイツ語」と呼ぶのと同じです。
そう言う意味で、私はあえて「標準語」よりも「首都方言」や「東京弁」という言葉を選ぶようにしています。特別なものではなく、一つの方言に過ぎないということを強調するためです。
次に、標準語を勉強しない関西人についてですが、確かにそういう人もいますね。
では、そういう関西人は、なぜ標準語を「勉強しない」のでしょうか?
めんどくさいからではありません。
「標準語を話したくない」のです。
なぜなら、関西、特に大阪では、標準語は「イキリの役割語」と見なされてしまっているからです。悲しいことですが。
私は、こういう「標準語差別」も是正されるべきだと考えていますよ。
私は標準語を否定してはいませんし、関西弁が偉いとも考えてはいません。
ただ、高くなりすぎた標準語、もとい首都方言の地位を正常値に下げる必要性は強く感じています。
@@OmizanSakamotoOfficial 東京弁はそもそも標準語の言い換えにはなりません。標準語は山の手言葉のアクセントを参考にはしたものの語彙は各地のものを参考にし言文一致運動の中でも様々な人たちが試行錯誤の上にできたもので、もはや人工的な様相すら呈するものです。それを東京弁と切り捨ててしまうのはいささか乱暴だと思います。
標準語をばかにする風潮はどこにでも大なり小なりあることでしょう。関東圏ないでも一般的にあることで、同郷の仲間同士で意味もなく標準語で話せばそのような扱いを受けることは珍しくありません。どこにでも普遍的に存在する現象を理由に標準語の習得を拒むことが怠惰以外の何者だと言うのでしょうか。
過去日本の武士などの教養の有る層では狂言の言い回しを使い意思の疎通を図っていたと言います。つまり現在関西人がやっていることは狂言の言い回しを覚えず自身の方言を無理矢理相手に理解させていることに他なりません。そもそも過去においても標準語の役割を果たすものが自然にできる理由は、いちいちたの方言をすべて覚えていたら非常に効率が悪いからであり、皆が自身の方言ともうひとつ共通に話せる言葉を覚えればいいという方が効率的なわけです。あなた関西人は自身の尊大な郷土愛を背景に他の地域の人間全てに関西弁に対する知識を強制しています。これは明らかに不平等な圧力です。
宮内庁の警告文みたいに「〜止めぬよう」で書けばよさそう(小並感)
素晴らしい動画だと思います。
以前から言語や訛りの動画を出されているのに京都や大阪っぽい訛りをなされているのはなぜなのかと思っていたのですが、この考え方自体が関東弁至上主義(?)のもたらすものなのだと痛感させられました。
一つ違う視点から見られるようになったことをありがたく思います。
関西の生まれなんじゃ...
日本語を勉強してる中国人ですが、買える教材は全部標準語のものでした......
でしょうね笑笑
方言を学ぶには実際に日本に来るしか無いかもです。アメリカ英語とオーストラリア英語みたいなもんですから。
@@catan_ryoma5119 むしろイギリス英語(英語の宗主国であり世界標準)とアメリカ英語(田舎の方言の1つ)では?
@@pixelwanderer6751 「英語の標準語」がアメリカ英語なのかイギリス英語なのかは意見が分かれるものだと思います。昔は絶対的にイギリス英語が標準でしたが今学校で教えられる発音はアメリカ英語のものです。米英のパワーの逆転から時間をかけてアメリカ英語にシフトして行ってるようですね。
到了现在没有那样的事!
8:50地域に合わせて訛らせてるのすこ
「障害」表記が広まりすぎて、「障碍」表記されると逆に当事者が必要な情報を得るときに「障碍」表記の情報が引っかからなくて困る、という話を聞いたことがあります。言語って深いですが、それだけに大変な面も多いですね。
大変面白かったです。ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます~^^
京言葉(都言葉)が標準語になるという傾向があるわけですね。Sakamotoさんのご講義は目からうろこですばい!
興味を持っていただけてうれしいです^^
京言葉が標準化されるのは、結構無理だと思います。
京都人独特のアイロニーを情報化社会の現代人でも理解できないのに^^:
言っている事と解釈が真逆、しかもそれが「察し」でしか判別できん。。。。
日本語、面白いです
もっと知りたくなりました
寝屋川のモスで納得しました。大阪でも南の方の喋り方じゃないと思ってたのです。でも北摂とも違う。京都よりの北河内ならしっくりきます。と、奈良よりの南河内の人間の印象です。
動画内では「動画用」の喋り方なので、
日頃からこの喋り方というわけではないですよ(^_^;
普段は河内方言ですが、ここでは、極力平均的な関西日本語で話すよう心がけました。
関西人ですが話し言葉は違いますが文章では標準語の方が頭に入ってきます
もうそうなっちゃってるんですよね……
それは仮名遣いの問題でしょうね。歴史的仮名遣ひというのは上方言葉が元となっているのですが、現代仮名遣いは東京弁のそれでして、現代仮名遣いで上方言葉を表記するのは事実上不可能です。(歴史的仮名遣ひを混ぜねば意味不明になる) 「雪が舞うてゐる」を平仮名で書けば「ゆきがまうてゐる」と「ゆきがもうている」とでは何方が意味が通るのか?を考えれば判ると思います。
なんか所々現代の発音出来てないですよ。さては古代からの時間旅行者…!!
ふっふっふ。1500年の眠りは長かった・・・
@@OmizanSakamotoOfficial 寝スギィ!
包むがちゅちゅむになってる
@@at19960926
いなぁ、「トゥゅ トゥゅむう」……とぉ ゆうてぇ はぁなかりとぉ?
@@at19960926 12:53 ゆーてるね。俺はつゅぅつぅむぅに聞こえる。
興味深く拝見いたしました。方言の位置づけの変化はなかなか気づかないことですね。
障害については、(1) 江戸〜明治の呉音読み→漢音読みの変化 (2) 同じく明治期の「害」を使った熟語が大幅に増えたこと…の合わせ技で、終戦時にはすでに障碍と半々の利用率だったようです。より使いやすい「害」、また要害・妨害・阻害などと同じく「さまたげ」の意味にしかならない使い方の害を援用する形が広まったものと思われます。
また、障害者という単語が一般に広まるのは終戦直前あたりからの身体障害者当事者の運動によるもので、これははじめから障「害」者と書かれていたようです。戦前にも吃音がある方を言語障「碍」者、また法的免責などの文脈で精神障「礙」者と書いている資料はあることはあるのですが、広くは人を指して「廃疾」と呼んでいて、これを障害(者)と言い換えようとしたのが身体障害者たちの運動でした。
近畿方言を後から習得されたと別の動画のコメント欄で知りました。
近畿の中でもどの地方に根ざして習得されたなどありますでしょうか?
私は奈良の中部で生まれた近畿弁話者ですが、ざっくりと大阪地方の言葉に近いなと感じました。
谷口弥央さま
ぇえっ 本当ですか?
この方は関西出身ではないと!?
……もうびっくりで恐れ入ってしまいます。
本物の天才ですね。
考えながら話しているスピードではありませんし、完全に身に付いているこの方の本来のしゃべりにしか聞こえませんでした。
もし出来れば、本当はどこの地方のご出身なのかを教えていただけませんか。
よろしくお願い致します。
……本来は東京出身で標準語をお話しされる方なのでしょうか?
@@あんな-w1v 関西弁話してるというより、関西の古文の先生が憑依してる感じ。古文の先生みんなこんな話し方やった、懐かしい…
〜なんだ(否定形)という言い回しは奈良南部らしい感じしますね。
せや、そう思われる理由は奈良南部は標準語らしいイントネーションを使うからかもしれません。
@太宰治
じゃあの。
逆に関西弁を関東人がしゃべるとエセだキショいだ云われますからそこをクリアすることも同様に必要ですね
全くその通りだと思います。
言語を少数の話者集団が専有すると、話者集団が多数派に同化されるにつれて言語も消滅してゆきます。アイヌが好例です。
非母語話者による言語の使用は喜ぶべきでこそあれ、忌避すべきものではないのです。関西人もアイヌも、そのことに早く気付くべきでしょう。
どこかで読んだレポートに、〝長く続いた戦国時代から江戸時代までに、人や文化の流通を、時の幕府が厳しく制限した為に、各藩の中の独自の言葉(方言)が、より一層濃くなっていった〟とありました。これに加えて、いにしえからの古典である古語もあるとなると、日本の中でも、自分の意思を伝える為に、どうしたら良いのか、拠り所がない状態であったという事ですね。厄介ですね。
明治時代に、〝標準語〟(現在では差別的解釈をされない様に共通語と表現されます)が国家を主導に設定された恩恵は、今を生きる私達に、日本国内のどこへ行っても、意思の通じない事はないという、当たり前の様ですが、実は大変重要な事象となっているのですね。
どこの地域の言葉を基礎に、共通語とするかについては、様々な意見があるでしょうが、何はともあれ、現代の日本社会においては、〝共通語〟と〝地域の方言〟の二本立てで、日本人は生活していますね。
ご存じだと思いますが、今の日本においては、各地域の言葉〝方言〟も、歴史や文化において、そこに暮らす人々にとってだけではなく、国としても大切なものだという解釈になっていますね。
〝東京弁〟という方言があるということですが、私は不勉強で申し訳ないですが、よく知りませんでした。ですが、〝江戸弁〟という方言が、現在の江戸川流域や、上流で分岐する利根川下流の地域の人々の間にあるというのは分かります。いわゆる〝べらんめー〟口調の下町言葉ですが、江戸落語の古典を聞くと、良く解ると思います。
ちなみに、英語には、共通語はないという事だそうですね。現在の日本の英語教育においては、その辺を良く理解していてくれているのでしょうか。仮に、国力の強い国の英語をもって、教育するとしても、実際には、世界中から、それぞれの国の〝訛り〟を持った英語を話す人々が、たくさん日本にやって来ます。彼らの多くは、自国以外のアクセントやイントネーションについて理解していない事がある様ですね。律儀な日本人は、戸惑ってしまいますね。
逆に言を文に一致させれば全て解決!
なるほど、いいアイデアですね!
「ニュース申し上げ候。今日未明、○○銀行に強盗これ御座有り候。然れども警備員たちまち捕縛候へば、被害少しも御座無く候、恐惶謹言」
東京弁というよりも山手言葉。東京には下町言葉もありますから、東京弁というと共通語とは似ても似つかぬ言葉になってしまいます。
山の手言葉も東京方言です。
同様のコメントをよくいただくのですが、東京方言というグループ内に、更に複数の方言が内包されているという構図を理解する必要があります。
なるほど
イリオモテヤマネコ駆除運動は笑った
2:38 スペイン語とポルトガル語の関係性は分かったけど、あとの2つはわかんねーってなったw
和製漢語や新字体(常用漢字表)は漢字文化圏の用語を影響する上に、用字さえも影響しました。
例えば:「智識」=>「知識」
「智」を簡略化していない台湾、香港、中国は「智識」の「智」を「知」になる必要が無くても、そのまま用字を変えました。
面白いのは、広東語では「智」と「知」の発音が違って、一部の人は、「知識(tʃiː˥˥ ʃɪk̚˥) ちしき」を書いたまま、「智識(tʃiː˧˧ ʃɪk̚˥ ちしき)」で発音することがあります。
他の例:「挌鬪」=>「格鬥」
「闘」の旧字体は「鬪」でありますが、新字体は「闘」になり、繁体字は「鬥」になった。
広東語の発音は両方ともに「(kaːk˧ tɐu˧˧) かくたう」
発音の表記はIPAを基準としてください。(日本語では有気音と無気音の分けが無いや、母音や子音が広東語より少ないので、正しい発音ではなくて、参考だけです。)
11:57 突然のイケボ
まさに「障碍の障の字にも差し障りがあるだろう」と思っていたので納得のいく説明が得られて嬉しいです。が、未だ満足には至らないので自力でもうちょっと調べてみます。
言文一致運動より子規革命という日本文学史の大変革がありました。中学時代の国語の先生が、新古今和歌集のように本歌取りなんかの技巧を凝らすことより表現の自由そして何を表現するのかの問いかけが大切だと熱弁されていましたが、後年山本夏彦氏の評論で型にはめることが徹底されたからこそ子規革命に意味があって、それがされていない現状は基本が失われて逆に子規革命の意義がなくなったと述べられた批判を読んだことあり、受験の知識になく驚いたことあります。言文一致運動、共通語問題いろんな側面があると考えます。また今やスマホパソコン時代ですから、漢字は本来の形に戻すべきです。山本夏彦氏は、難読漢字にルビを振れば良い、戦前はそれが普通だった(最終学歴小卒が圧倒的多数派)。あと30年以上前に渡部昇一氏が漢字廃止論が、ワープロ(文字通り前世紀の遺物になりました)登場で事実上消滅したと述べられています。
前島密は漢字も廃止しようとしてましたね…
結局失敗してましたが。
昔買った百貨辞典には、日本の公用語が日本語・アイヌ語になってました。
いまはどうなんでしょうね。
百科事典?
アメリカにはドイツ語を母語とする人がいるので、公的言語としてアイヌ語が使われていないのであれば公用語ではないと考えます。
関西人の会話
関西人A「その犬、チャウチャウちゃう?」
関西人B「ああこれ?チャウチャウちゃうよ」
関西人A「ええ?チャウチャウちゃうんか」
これには爆笑した
明治の人は方言撲滅(公的な場所で)をどの様に感じていただろうか? 今より遥かに言語が異なっていた時代の多くの国民は賛成していたと思う
繁体字圏からしますと、漢字の簡略化は一つの趨勢であり 致し方ないのかもしれません、だが同音漢字の書き換えは甚だしい問題であるにもかかわらず、あまり問題視されてないことに驚きました。しかも書き換えた熟語は漢字圏内で誤解を招きかねないですし、文字と意味がかみ合ってないのも多く使っていて違和感を覚えます。例えば栄養は営む養分に対し栄えると書くように(崩壊【崩潰】など一部逆輸入されてるのも有りますし、簡体字では後が后に置き換えられたりしますが)
なので取り上げていただきありがとうございます!
ここで質問です 私的には障礙の方が見慣れていまして、こっちの方がしっくりくるのですが、やはり元の字に直す場合障碍の方が日本語的に正しい若しくは認知度が高いのでしょうか?
あとご存知なければすみませんが、進撃に巨人の奇行種はもしかして畸行種だと思っていますが調べようがないのでOmizanさんの個人的な見解が聞きたいです!
ご視聴ありがとうございます^^
少し昔の小説では、「障礙」の表記が多いですね。
三島由紀夫さんなどが多用していらっしゃいました。
しかし、最近では、書き換えに反対している人々は、「碍」の認知度の方が高いので、こちらを使うことが多いです。
ちなみに漢字検定では、「碍」は準一級で、「礙」は一級です。
進撃の巨人は詳しく知らないのですが、個人的には、「畸」は「奇」に比べて、「障害(碍ではなく)」というイメージが強い印象があります。
なので、
「奇行種」の方がしっくりくるんじゃないかな・・・という気がします。
参考になれば幸いです^^
@@OmizanSakamotoOfficial
返信ありがとうございます! 仰る通り畸は畸形のように形を指すもので動作がいびつな事を指さないようです、ただどちらかにするか結構悩みましたので、参考にさせていただきます
なるほど…
ちょくちょく関西弁になるのはそういうことだったんですね…
5:45 人を「しと」と呼ぶ関東の人の影響で叱るを「しかる」って言うようになったんか?
すごいチャンネルを見つけた
切手とか葉書とか漢語らしくないことばを作ったのは前島さん。
読みが訓読みだから漢語じゃないよ
方言って、聞き取れるようになれば同じ言語に聞こえること、という解釈でよろしいでしょうか?
12:43 漢字置き換えられてたの初めて知った
QuizKnockで、表外漢字のクイズが出てました。
ruclips.net/video/6hVqDW0waLc/видео.html
掘鑿は流石に難しいけど、根柢や庖丁くらいなら覚えられそうです。
Sakamoto sanー お陰さまで私の日本語知識の幅が広がりました!素敵ー♡
ありがとうございます!^_^
投稿者さんにはいつか日本の方言の成り立ちについての動画を出していただきたいです。藩同士の行き来がほとんど途絶えた江戸時代に方言が発達したと思うのですが、その辺りについて詳しく知りたいです。既出だったらすみません。
7:05 東京へは遷都ではなく奠都では?
重要な指摘です。
東京"奠"都したはずが、いつの間にか事実上の東京"遷"都にすりかえられているんですよね。
歴史への無関心は、歴史そのものを変えてしまいます。だからこそ、歴史を学ぶことが重要なんだと思います。
東京と言うネーミングは東の京ですからあくまで仮の京と言った意味合いでしょう!
結局はどこまでが別言語でどこまでが方言っていう境目のイメージが時代とその為政者の統治範囲とともにどうとらえ方を変えられてきたか、
という話であって、どの分け方が正しいとか間違ってるってわけじゃないんじゃないの?って思ってしまったんだけど、
言語学的には方言と別言語ってのは定性的に分けられるもんなのかな~?
そうなんです。
現状、言語間の隔たりを示す指標がまだないため、「異言語」と「同言語の異方言」を明確に区分するのが難しいのですよね。
この動画を製作してから二年以上経った現在、私は
「学術的に有意と言えるのは、せいぜい同語族か否かだけ」
という考え方をしています(議論の放棄と言われるとそれまでですが(^^;)。
これについては、こちらの動画で詳しく論じておりますので、良ければご視聴ください↓
ruclips.net/video/H0W7uH2-9D8/видео.html
こういうのってどうやったら自分で調べられますか?
図書館の大雑把な分類は便宜上だから、それがまったくの正確さを見出すのはそもそも無理です。各館の管理もそれぞれずれがありますし。
9:54頃、戦時中ではなく戦前だと思われます。
より厳密には「戦前・戦中」です。
「民族が同系統なら政治系統も一本化すべき」とする議論は終戦をもって廃れたが、その根源たる「国家=民族」という幻想は依然として存続している、という旨です。
なるほど。返信ありがとうございます。
興味深い
最近は表外漢字も見るような気がします。「饒舌」はよく見ますし、サブカルチャーでもよく使われていると思います。
(根拠は無いので、間違えてるかもしれません。)
この動画の存在に感動しました。私も音韻学などを少しかじった者で、関東方言の絶対化に違和感があり、日常的に「ない」を「ぬ」と使ふことなどを心掛けてをります。
一方、古代より、畿内の中央語が訛り関東方言になったと思うてゐた為、もとより別言語やという視点が不十分な点、反省し、更に知識を得たいと思ひます。
更に、言文一致運動により、現代の書き言葉が関東弁を基礎にしたもの「である」点、フェアになることを願ひます。
文部科学省入省時、教職課程、教職員採用試験に視聴必須にしてほしい動画だ!
12:44元の漢字?
だいたい好き
サンクス
次回も楽しみす
ありがとうございます^^
知性の古里
良い言葉だね
でれ分かりやすいし、最後なんかはええこと言やぁせるなぁって思いました。
自分の地域のコトバを大切にせなかんなぁ。
次回も楽しみにしとるんで是非続けていってください。
ありがとうございます!
方言でコメントいただけると、とてもうれしいです^^
(岡山の方でしょうか?)
岐阜県の東濃地方(美濃の東)です。上方から同じくらい離れとるもんですから、そのように感じられたんかなと思いますが、実際は名古屋弁と関西弁の折衷といった感じです。
@@josephkani5981
なるほど!勉強不足で申し訳ないです・・・
中部地方の言葉ももっと勉強しておきます(--;
2:40 スイスは他言語国家ですが、スイスドイツ語(すなわちドイツ語のスイス方言)は標準ドイツ語とは全く似ても似つきません。スイスドイツ語をドイツ語の方言と見做すなら、スペイン語とポルトガル語も方言の関係にあると言える、とよく比較されます。
日本語(天皇が居る所の方言)が世界から見た日本の言語の代表ってことでOK?
すごく勉強になりました。
でも、意思疎通のために東京弁を言文にしたというよりは、東京弁すら駆逐されたという方が正しいのではないでしょうか?
実際、東京で話されていたのは下町言葉で、これを話せるのは一部のお年寄りか商業的に話している落語家の方くらいです。
10:47 その節はどうも… by台湾人
国家と民族に対するこの列島の独自の考え方
早く「れんらく」が一発で「聯絡」と変換される日が来ることを願っております(台湾のように)。ちなみに国語の問題をイデオロギーと結びつける方々が見受けられますが、私は右でも左でもありません
私は多摩弁地域育ちの若者ですが、多摩弁山の手方言下町言葉同様に首都圏方言も伝統的方言の侵略としてではなく、一つの変種として尊重すべきなのですかね…
ムーブメント、ストライキなど歐米言語を日本語で片假名で用いることは、表現の幅を廣げるものではない。movement, strike 等、ローマ字で書いて初めて、表現の幅を廣げることに繫がると考えます。片假名で書いてしまうことによって、本來の意味の一部のみを表してしまいます。
常用漢字、表外漢字字体表が生れている時点で過去の漢字施策は失敗だったと認めているようなものなのですよね。
方言の地位の事は理解できます。ただ、現実として実質の標準語があることで全国での意思疎通が簡単になっているので、歴史における意識や偏見の問題は忘れてはいけないと思いますが、それを理解したうえで、新しい意識をもってこれからも実質の標準語を標準語として扱うべきだと思います。
(四国地方の人間なので、別に関東びいきというわけではありません。日本全体で見た機能性と、それぞれの方言としての尊重は別で考えるべきだと思いました。)
アイヌ語は別言語ですよね。
語彙でどちらからどちらかへ入り込んだのはあるとはいえ
素晴らしいビデオをありがとうございます。
漢字は素晴らしい文化だと思う一方、覚えるのに費やす時間のことを思うと、韓国みたいに撤廃はありえないとしても、半分くらいでもいいんじゃないかと思いますね。
あと、標準語=東京弁 ってのは東京出身者からすると、かなり違和感があります。
アイヌ語に関しては微妙で、日本語が元になるアイヌ語(単語)もありますし、アイヌ語自体は9つの方言(アイヌ語?)があるのです。
そもそも12世紀後半、擦文人、オホーツク文化人、日本人が住む北海道(蝦夷ヶ島)に沿海州より来るがアイヌであるのでアイヌ語は抑が東シベリアでウィルタ、ニヴフ等と混ざり各方言が生まれ北海道全域にアイヌが拡がると共に新しい言葉が出てきた物と思われます。
例えばアイヌ語で「マキリ」。これは山刀ですが抑、鉄を有しないアイヌが何故この言葉を持つか。
これはマタギの言葉であり、東北日本語です。
他の民族と同じくアイヌ語は夫々の民族と接する上で言語を形成していったと推します。
アイヌの先住民族論争に関しては当時の国史から鑑みるのが日本国としては適当なのでは?
と自分は感じております。
日本語の対外造語力が著しく下がっている気がする今日この頃…。パソコンは電脳、スマホは手機。中国語の造語力を今こそ輸入するべき時なのではないか
同感です。
それにしても、中国製の訳語の輸入に積極的な国というとヴェトナムと北朝鮮です。一方、ヨーロッパ語をそのまま借用している東アジアの国というと、日本、韓国・・・
何とは言いませんが、ある「壁」が、言語にまで影響をあたえてしまっているような印象を受けます。
Omizan Sakamoto
なんと、そんな傾向が…
東アジアの財産である漢字をどうにかして繋ぎ止めて行きたいですね…。
「破たん」みたいな表記を見るたび、「片方の漢字が使えないのならいっそのこと両方とも平仮名にしてしまえ」と思う人が少なからずいるのではないかと思っています。果たして漢字離れはこのまま少しずつ進行していくのでしょうか…
対外造語力、和製英語が増えてるので力が落ちてる訳では無いでしょう。中国の古典の地位が著しく低下しただけじゃないですか?縦書きさえ無くせば、和製外来語にカタカナを、外来語にalphabetとかを用いる事ができるし、スッキリするよ。
日本は外来語を片仮名で表記する、という能力を得たから(不完全ですが)音訳しているだけです。
第一、中国語とて《可口可乐》なんて上手い訳語はそうそうありません。卡拉OKが良い例かと。
それこそ、言語学的にはどの言語も優劣などないのですから、偶々外来語の輸入に際して音訳が主流になっただけで、なにも態々和製漢語に直す必要性が薄れているだけですよ。
まあ、日本より外国に多くの人が憧れを抱いているがゆえに、より一層その風潮が強いことは否定しませんけれどね。
反対。意思疎通の道具として言語がある。不自然な「対外造語」など不要。言語障壁を築くほどよい、というのは自閉症的発送。自・閉・症。
中国人なんてやたら外国にいきたがるが、ネイティブ単語をしらないので、どこの国でも変わり者の目でみられる。
これに政治的色眼鏡が加わって、北米では今や名士クラブなんかにはチャイニーズおことわり、招待せずになってるそうだ。
アイヌ語の本は 外国籍の棚に 置いたらいい事ですか? 図書館の意図は 違うのではないでしょうか?
中国では若者が漢字を書かずピン音(アルファベット)で書くという現象が起きています。政府が慌てて漢字のカリキュラムを強化しましたが、簡体字を繁体字に戻したほうが中国語本来の力を発揮できると思います。簡略化しすぎて文字を見ても意味が曖昧です。
sasa hara 残念ながら若者が文章をピンインで書くような現象は存在しません。漢字をピンインで書くような現象は主に政府のネット検閲を避けるためにだけ起きるものです。
江戸弁が標準語に選ばれたのは時代的に当然の流れではないかと・・・
倒幕側に回った薩長土の藩主なども、江戸詰めの期間が長いから普段から江戸弁に慣れ親しんでいた。
山内容堂や島津斉彬なども上屋敷の外では将軍と同じ江戸弁だったと思える。
他の江戸詰め藩士も他藩の者と話す時は江戸弁で話して居たんでは?
西郷隆盛は分らないけど、坂本龍馬あたりは勝海舟と江戸弁で話して居たような気がする。
東京の言葉が標準語になったというのは、より正確には東京の山の手言葉をベースに標準語が成立したということではないでしょうか。
方言をわざわざ尊重なんてしなくていいと思う。それぞれの方言みんな好きだし、淘汰しようなんて誰も思ってないよ。
ただ教育とか経済の面で、統一された言葉がないと上手く回らないからそれが普及していくのは当然で、仕方ないことだと思う。
2つの言葉話せる人、俺はカッコイイと思うけどね。
でもなんか、関西弁、落ち着くなあ…
新潟民ですが
でも関西を標準語として見ると、江戸弁が凄いサッパリしてるな
中国地方の高校で寮生活してましたが、東京出身のやつで方言使った後輩にマジギレするやべー奴がいました(笑)
関西出身じゃないですよね、、、?
昔のアナウンサーの喋り方の再現やってほしい
常用漢字は漢字を「捨てる」目的で定められたのか、知らなかった
少し気になったんだけど
あづまことば?
あずまことば?
本来の表記では「あづま」ですが、戦後は表記が変更されて「あずま」になりました。
日本も横文字を使うことが多くなりましたが、英語の〜tyとか〜tionとか整頓された表現を部分的に発音だけの理解で日本に流行らせるのは後の混沌になるんじゃないかと思っています。
現時点でもはや混沌に近い。多くの人は所謂横文字を理解できていないのに、なんだかそれっぽいから使う人が数としてはそれなりにいてしまっている。首都の首長があの調子だから言葉の乱れはますますひどいことになりそう。
@@alice0_036 慣れ親しまれると変えるのは大変ですからねえ。
せっかく漢字を使ってる国なので組み合わせで同じ意味の言葉は作れそうな気はするんですが、コロナ対策でも横文字ばかりですよねぇ...
12:53
ちゅちゅむ
「わかるんが難しか日本語」草
主が関西弁?(詳しくなくてごめんなさい)で動画作ってるのが少し理解出来た気がします
よくこそ言うてくれました
国家=民族はnationという西洋伝来の観念に基いたものです。決して日本古来のイメージではありません。それに中国国内のタイ系「民族」(タイ・チワン語派の一部の言語の話者)の人をそのままタイ人と呼び、かれらの言語をタイ語の方言と呼ぶのが非常に危ういことです。言語学的には方言関係と呼びうるものですが、「言語」と「方言」はむしろそれ以上に政治的な含意が強い言葉です。大半のラオス人は決して自分たちの言葉をタイ語の方言だとは思わないです。それに言語学でさえ言語と方言を切り分けるためには如何なる明確的な定義を生み出していないことを言うまでもありません。ちなみに注に「タイ語の中国方言における発音ではダイ」という記述も誤りです。中国語の「傣」は無気無声音のtaiから由来したものなので、拼音ではdaiと表記するのはぴったりですが、日本語はむしろタイと表記すべきでしょう。しかしタイ語のthaiとは無気/有気の区別があります。中国の傣族は国家権力のもとに実施された民族識別政策で作り出された公式な「民族」区分です。民族を識別する際に用いた基準はソ連由来のものですが、西洋近代の観念やイデオロギーに沿ったものです。民族識別政策によって生み出されるまでには「傣族」という集合的な観念が存在しなかったことですし、それがそのまま人々のアイデンティティといった現実を反映してもいません。
I wish that there is an English subtitle for those.
アイヌ語は現在ほとんど使われていません
そのような言葉を知りたい人は実用的に会話したい訳ではなく、言語学として知りたい人や北海道文化について学びたい人だと思います
そうであれば、日本の中の北海道の言葉であるアイヌ語を便宜上方言としてしまえば、言語学的に正しくないように見えても、利用者にとっては便利な配置だと思います