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車両のウェザリング、側面の鉄板の波、反射する景色がイイ〜😆
鉄道ピクトリアル誌に、153系急行型電車が好評だったので、増結に一般型客車を湘南色に塗り替えて、編成の中間に挟み込むことが検討されたそうですが、接客設備に差があるので取り止めになりました。
白黒や、くすんだぼやけた色でしか残らない列車たちも、鮮やかな青空のもと疾走していた時代があったのだなぁ。と感動を覚えます。
クオリティの高さよ
素晴らしい画像でした。もう何でも再現可能ですね。
そういえば急行形は柔軟な編成を実現するため密連でしたね。マニ50等いない当時としては順当ですがダブルルーフの客車と新性能電車が手を繋いでおりましたか。流石に走行解放機能までは付けられませんでしたか。セノハチ一つ登り切るのに165を待たないといけないとはMT54って偉大ですね。
80系電車は補機無しで登坂できましたよね。(・ε・` )
現在と違ってマニ50どころか荷物車や郵便車なんてゴロゴロいただろうに。
いつもありがとうございます!東西の私鉄沿線シリーズも是非作成してください!例えば「近鉄」のあの栄華を誇った二階建「ビスタカー」10000系と30000系の共演が是非見てみたいですね。あれは本当に迫力がありましたね。残念ながら乗車したかった10000系には乗れませんでしたけど30000系には乗ったことがあります。ぜひ動画作成お願いいたします😃❣
こういう話しは大好き。急行型はサロ2輌サシ2輌でなくて、サロ2輌サハシ2輌ですね。
阪急のP6が走ってた頃を再現してほしい。素晴らしい技術です。
下りの回送はオヤ1両を引いて広島に帰ったんでしょうね。今の単機回送も見てて楽しいですが、客車1両を引いてるのも見てみたかったですねえ。瀬野とか海田市とか通過してたんだなと思うとなんかおもしろいですね。
回想シーンの映像は見たことないですね、見てみたいです。
当時にタイムスリップしてるほどのリアル感。😮乗客も乗ってていいですね。
今は普通列車しか走行しない山陽本線ですが、新幹線の開業前は多くの電車、客車、気動車の特急、急行が走行していて華やかな時代でしたね。広島までの電化完成のお陰で、東京から特急「つばめ」急行「宮島」に乗車すれば、その日のうちに到着するので便利になったと思いました。当時、高性能車両と言われた151系、153系も瀬野八越えには補機無しでの走行は問題があり当時の国鉄の方々は苦労されましたね。
EF60 500番台のセノハチ補機運用はブルートレインの間合い運用だったと訊く。あと、鉄道模型でよくあるカプラー問題が現実にも起こっていたとは...
訊くって、たずねてるんですね。間合いで下関の方からこの為だけに2、3時間かけて回送されていたのでしょうか。
@@tydeentetuota5514 さん当時は下関まで電化されていない頃なのでEF60は東京から広島まででは? 実見してないから「訊く」という言葉にしました。文法的にはちょっと間違っていますが。何せ実見どころか小生が生まれる前の話なので。間違っていたらごめんなさいの意味も含めて...
調べれば昭和37年は電化は広島迄で、山陽本線全線電化は昭和39年でした。自己完結。
@@exp.m.k.2300 様すみません。ありがとうございます。私なりにも調べてみました。151系については昭和40年秋位(10月?)まで補機の連結があったそうで。
@@tydeentetuota5514 さん何か謝っていただいてすみません。恐縮です。
あれはまだ小学校低学年の頃。1度だけ見かけたダブルルーフの湘南色。あれは恐らく幡生への回送・配給列車だったのか?EF58の次位にその客車がありそのあと数両黒貨車が繋がった列車が夕方の山陽本線を西下して行くのを見かけた記憶があります。今にして思えばあれがオヤ35でした。生憎瀬野八の活躍場面は見たことはありません。ただ、瀬野八でEF59のお世話になったことはあります(上り夜行急行1212レ=日南1号京都行き。機EF58113[米]=乗車時。1974/昭和49年晩夏)。
ここのチャンネルで中央西線電化前夜、エンジン不調の181系「しなの」の補佐役でキハ91を組み込んだネタは動画にされていますが、他にもD51やDD51が前補機で登板したエピソードもありますので動画化してください。(熱望)特にDD51のケースでは名古屋⇔長野の全区間で前補機を務めた(塩尻で機回ししてまで)とのことなので!
名古屋からDD51が前補機につくと、平坦路で最高速度が抑えられてしまい、所要時間が伸びそうですな。中津川辺りからで良さそうですが。
@@クモハ165 平坦区間ではそもそもエンジン不調なので、キハ181系本来の俊足は発揮出来ていなかったたらしいです。じゃ、減車すれば良いのですが、繁忙期でそれも出来なかったとかでDD51前補機登場、らしいです。聞いた話ですけれどね。
やる予定ですが、蒸気機関車の煙が難しく、格闘中です。
ナント! CGとは分かりませんでした。車輌自体も素晴らしいのですが、車内の乗客や背後の景色、線路表面のテカリ具合まで、相当なテクニックと時間を掛けてお作りになられているのでしょうね。
大量のデータと時間をかけて作ると遥かに美しい絵が作れるのでしょうが、現在のPCの性能と素人の遊びという作業状況ではさすがに無理で、いかに少ないデータと時間でそれなりのものをどうやって作るか試行錯誤の日々です。
ここまできれいな映像がよく残ってましたね…湘南色のスロハフ30の映像は初めて見ました
これ、映像ではなくCGですよ。
@憂歌 そうだったんですね……教えていただきありがとうございます。背景の山や草の書き込みが素晴らしく本物かと勘違いしておりました。たしかに言われてみると架線柱など少し現代みを感じますね…
ワザとですね。
でも,153系はMT比を変えれば補機不要(実際151系がダメだった上越線も153系は大丈夫でした)なので後にM車の比率を上げて補機を解消しました。
趣味的にはセノハチの補機連結は面白いのですが、実務上、長期の経済上、線路を長く伸ばしてカーブやループ線、トンネル等を多くとって勾配を緩和し、補機連結をしないほうが、補機の用意、連結の手間、人員配置、等を考えれば、こちらの方がよかったのではないか、なんて思います。ここら辺は土地収用に手間のかかるところではありません。交通量の多い大動脈の山陽線上にあることも考えるとなおさらです。今は特定の重量以上の上り貨物列車のみの補機連結のようですが、今後はどうなってゆくのでしょうか。
碓氷峠が懐かしい。
4号車、7号車のサハシ153の向きが逆です。座席側がモハ側になりビュッフェ側がグリーン車(1等車)側になります。またサロ152は当時回送運転台同士が向き合って連結されていました。特に東京発着の東海道急行「なにわ」、「せっつ」、「六甲」等が2サロ、2サハシの12両です。大阪発着の山陽急行は、サハシが1両だったような気がします。
編成表は見当たらないが、文献では6M4Tになって補機の連結は解消したとよくあるので抜かれたT車はなんだったのだろうか。
昭和37年頃のなにわ、せっつ、宮島と、昭和42年頃の関門は同じ編成で、サロ、サハシともに2輌組み込みの様ですね。
サロ152は当初両渡り構造であったが1967〜1969年普通車の冷房化計画〜冷房化で三相引き通し線新設の為に片渡り構造とされ連結方向が限定される様になったとのこと。
MT46の時代は非力さに悩まされましたね。
非力って言うのは簡単やけどそもそも全電動車っちゅう考えであの出力になったんやろ安易にモノ言うなっちゅうねん
アホがおる笑笑。
80系電車は編成内の電動車を増やしてセノハチ自力走破。
80系は高出力で、減速比も低速向けで、MT比1:1で楽勝でした。
チャンネル登録させていただきました。素晴らしいCGですね!質問があるのですが、151系のノッチ曲線グラフはどこで入手したのですか?
資料は加筆修正していますが、ある関係者からのもらいもので、151系161系なんとかという本のものと同じとのことです。古本屋でも売っているのではとおもいます。加速力曲線はスーパーノッチマンという、運転曲線シミュレーションソフトのものです。
@@TurbinePowered07 ありがとうございます!古書店で探してみようと思います
急行宮島は、4号車サハシと5号車サロの向きを逆にすれば完璧ですね。
コピペで増結して方向転換忘れてました😢。
@@TurbinePowered07 クオリティがとても高くて素晴らしかったので、却って気になってしまいました。細かい指摘で、申し訳ないことでございました🙇🏻♂️
オヤ35は、普通にNゲージでアルモデルから、売られてると言う意味不明流石、前の会社がキハニ36450とか迷車作ってただけあるわ
EF60-500の補機運用いいですねぇ、61が有名なのであまり触れられないのですが…
153系のビュッフェ車が2両も!その内の一つは、つばめ鮨のご主人が握っておられたのでしょうか…東京→大阪まで、グリーン車に乗り、途中でビュッフェの立ち喰い寿司を食べたかった。何と贅沢なんでしょうか。
つばめ鮨であり、つばめ寿司は全く別のお店です。
オヤ35は唯一白黒映像か模型しか見たことないのでこんな感じだったんですね。(まさか控車が電車では無く旧型客車で塗装も湘南色という迷車…次はサヤ421ですかね…)
交流機ならではの屋根上の設備、魅力的でいずれ演る予定です。
サヤ421はナイ。サヤ420。151系のナンバーは赤くしないとね。
ヨボヨボのお爺さんを無理やり厚化粧させた感が何とも。。。
何色で在ってもEF60とダブルルーフ客車つうギャップに強烈なゲテモノ臭( ̄▽ ̄;)
開発する際、出力とかにもっと余裕持たせればいいのに…と思うんですが、当時の国鉄は要求性能カツカツにやたらこだわる印象があります。
カツカツでやらねばならない、当時の情けない技術レベルがありました😢。
おいおい、まだこの頃はロザは非冷房やろ
昭和43年改正までやっとって、ロザの冷改は昭和39年ならアリやろが笑笑。
153系との連結、EF63、EF64(1部改造)、EF81(1部改造)のような双頭連結器だったらオヤは不要でしたね。
密〜自連アダプター(というのか)ではダメだったのかな。走行距離や走行速度に規制?雪でモハユニットダウンで救援機関車がとか本で読んだけど。
さらに過酷な板谷峠ではキハ58が補機無しでノロノロと登坂していたと。(ヽ´ω`)
@Channel Sadaさん キハ58は低速であればオーバーヒートせずに急勾配に対応できたそうですが、多客期にはキハ181の特急だけでなく、こちらも補機の連結があったとの証言がありますな。トラブル防止といったところでしょうか。(・ε・` )ムリシナイ!
キサシが悪かったのかな。でも181系間合いであおばとか酷使しすぎて予備車もなくて、そんな運用していたからオーバーヒートしたとか。キハ81ブルドックとEF71の連結も楽しそうです。
キロ以外全車非冷房っちゅうのがよかったんやろな下手にキハ65なんか入ってたら絶対足引っ張ってたやろし
@@tydeentetuota5514 キサシが足引っ張ったっちゅうよりラジエーターの冷却があんな方式やから特に長大トンネルで機能せんかったしDML30系列自体、ガスケットの吹き抜けやらシリンダーの変形etc、、、全てはしょせんDMH17の文字通り焼き直しやから根本的にトラブルを解決せんままこしらえたエンジンと使い回しの補機類のせいやと思うゆふいんの森に乗ったときカレチさんに逆転機は今はどうですか?って聞いたら新しい方は大丈夫やけど古い方はいまだに壊れてますって苦笑いしてたし
気動車はトルクコンバータのトルク増幅機能の効果があるので問題はあまりありませんでした。おおよそ板谷峠でもセノハチでもそうでした(一部例外もあり。)。ただし気動車でも181系などの熱量の大きい12気筒500PSエンジンの冷却が当時は不十分だったこともあり、上野からの長時間走行後の登り勾配登攀時に、加熱しすぎると火を噴いたりもしたため、板谷峠ではその負荷軽減を目的に、EF71の補機を連結することにしました。現在は、冷却技術等が発達したため、電車でも気動車でも、はたまた自動車でも、冷却上の問題はほぼ起こらなくなりました。
四号車サハシの向きは逆?
165系急行佐渡でもそうでしたけど、ビュッフェをグリーン車に向けるんでしたっけ?
モハのトイレ窓は下り側、サロのトイレ窓は上り側(東海では下り側)、海側は空気配管、陸側は電気配線の関係かな。ビュッフェ側がグリーン車の向きで良さそうですが(普通車の客が優等車の中を通り抜けて食堂車へ行かないようにする名残りか?)、サハシ2輌でサロを挟んでいる時の編成がカトーの低運転台153系セットの説明書に残念ながら記載がありませんでした😂
ダブルルーフが湘南色になるとアメリカの客車っぽく見えておもしろい。
神社とか宮殿の屋根に見えてアジアっぽいんだけどね。
車両のウェザリング、側面の鉄板の波、反射する景色がイイ〜😆
鉄道ピクトリアル誌に、
153系急行型電車が好評だったので、増結に一般型客車を湘南色に塗り替えて、編成の中間に挟み込むことが検討されたそうですが、接客設備に差があるので取り止めになりました。
白黒や、くすんだぼやけた色でしか残らない列車たちも、鮮やかな青空のもと疾走していた時代があったのだなぁ。と感動を覚えます。
クオリティの高さよ
素晴らしい画像でした。
もう何でも再現可能ですね。
そういえば急行形は柔軟な編成を実現するため密連でしたね。マニ50等いない当時としては順当ですがダブルルーフの客車と新性能電車が手を繋いでおりましたか。流石に走行解放機能までは付けられませんでしたか。
セノハチ一つ登り切るのに165を待たないといけないとはMT54って偉大ですね。
80系電車は補機無しで登坂できましたよね。(・ε・` )
現在と違ってマニ50どころか荷物車や郵便車なんてゴロゴロいただろうに。
いつもありがとうございます!
東西の私鉄沿線シリーズも
是非作成してください!
例えば
「近鉄」のあの栄華を誇った
二階建「ビスタカー」10000系と30000系の共演が是非見てみたいですね。
あれは本当に迫力がありましたね。
残念ながら乗車したかった10000系には乗れませんでしたけど
30000系には乗ったことがあります。
ぜひ動画作成お願いいたします😃❣
こういう話しは大好き。
急行型はサロ2輌サシ2輌でなくて、サロ2輌サハシ2輌ですね。
阪急のP6が走ってた頃を再現してほしい。素晴らしい技術です。
下りの回送はオヤ1両を引いて広島に帰ったんでしょうね。
今の単機回送も見てて楽しいですが、客車1両を引いてるのも見てみたかったですねえ。
瀬野とか海田市とか通過してたんだなと思うとなんかおもしろいですね。
回想シーンの映像は見たことないですね、見てみたいです。
当時にタイムスリップしてるほどのリアル感。😮
乗客も乗ってていいですね。
今は普通列車しか走行しない山陽本線ですが、新幹線の開業前は多くの電車、客車、気動車の特急、急行が走行していて華やかな時代でしたね。広島までの電化完成のお陰で、東京から特急「つばめ」急行「宮島」に乗車すれば、その日のうちに到着するので便利になったと思いました。当時、高性能車両と言われた151系、153系も瀬野八越えには補機無しでの走行は問題があり当時の国鉄の方々は苦労されましたね。
EF60 500番台のセノハチ補機運用はブルートレインの間合い運用だったと訊く。
あと、鉄道模型でよくあるカプラー問題が現実にも起こっていたとは...
訊くって、たずねてるんですね。
間合いで下関の方からこの為だけに2、3時間かけて回送されていたのでしょうか。
@@tydeentetuota5514 さん
当時は下関まで電化されていない頃なのでEF60は東京から広島まででは? 実見してないから「訊く」という言葉にしました。文法的にはちょっと間違っていますが。何せ実見どころか小生が生まれる前の話なので。間違っていたらごめんなさいの意味も含めて...
調べれば昭和37年は電化は広島迄で、山陽本線全線電化は昭和39年でした。
自己完結。
@@exp.m.k.2300 様
すみません。
ありがとうございます。
私なりにも調べてみました。
151系については昭和40年秋位(10月?)まで補機の連結があったそうで。
@@tydeentetuota5514 さん
何か謝っていただいてすみません。恐縮です。
あれはまだ小学校低学年の頃。1度だけ見かけたダブルルーフの湘南色。あれは恐らく幡生への回送・配給列車だったのか?EF58の次位にその客車がありそのあと数両黒貨車が繋がった列車が夕方の山陽本線を西下して行くのを見かけた記憶があります。今にして思えばあれがオヤ35でした。生憎瀬野八の活躍場面は見たことはありません。ただ、瀬野八でEF59のお世話になったことはあります(上り夜行急行1212レ=日南1号京都行き。機EF58113[米]=乗車時。1974/昭和49年晩夏)。
ここのチャンネルで中央西線電化前夜、エンジン不調の181系「しなの」の補佐役でキハ91を組み込んだネタは動画にされていますが、他にもD51やDD51が前補機で登板したエピソードもありますので動画化してください。(熱望)
特にDD51のケースでは名古屋⇔長野の全区間で前補機を務めた(塩尻で機回ししてまで)とのことなので!
名古屋からDD51が前補機につくと、平坦路で最高速度が抑えられてしまい、所要時間が伸びそうですな。中津川辺りからで良さそうですが。
@@クモハ165 平坦区間ではそもそもエンジン不調なので、キハ181系本来の俊足は発揮出来ていなかったたらしいです。
じゃ、減車すれば良いのですが、繁忙期でそれも出来なかったとかでDD51前補機登場、らしいです。聞いた話ですけれどね。
やる予定ですが、蒸気機関車の煙が難しく、格闘中です。
ナント! CGとは分かりませんでした。車輌自体も素晴らしいのですが、車内の乗客や背後の景色、線路表面のテカリ具合まで、相当なテクニックと時間を掛けてお作りになられているのでしょうね。
大量のデータと時間をかけて作ると遥かに美しい絵が作れるのでしょうが、現在のPCの性能と素人の遊びという作業状況ではさすがに無理で、いかに少ないデータと時間でそれなりのものをどうやって作るか試行錯誤の日々です。
ここまできれいな映像がよく残ってましたね…湘南色のスロハフ30の映像は初めて見ました
これ、映像ではなくCGですよ。
@憂歌 そうだったんですね……教えていただきありがとうございます。
背景の山や草の書き込みが素晴らしく本物かと勘違いしておりました。
たしかに言われてみると架線柱など少し現代みを感じますね…
ワザとですね。
でも,153系はMT比を変えれば補機不要(実際151系がダメだった上越線も153系は大丈夫でした)なので後にM車の比率を上げて補機を解消しました。
趣味的にはセノハチの補機連結は面白いのですが、実務上、長期の経済上、線路を長く伸ばしてカーブやループ線、トンネル等を多くとって勾配を緩和し、補機連結をしないほうが、補機の用意、連結の手間、人員配置、等を考えれば、こちらの方がよかったのではないか、なんて思います。ここら辺は土地収用に手間のかかるところではありません。
交通量の多い大動脈の山陽線上にあることも考えるとなおさらです。今は特定の重量以上の上り貨物列車のみの補機連結のようですが、今後はどうなってゆくのでしょうか。
碓氷峠が懐かしい。
4号車、7号車のサハシ153の向きが逆です。
座席側がモハ側になりビュッフェ側がグリーン車(1等車)側になります。
またサロ152は当時回送運転台同士が向き合って連結されていました。
特に東京発着の東海道急行「なにわ」、「せっつ」、「六甲」等が2サロ、2サハシの12両です。
大阪発着の山陽急行は、サハシが1両だったような気がします。
編成表は見当たらないが、文献では6M4Tになって補機の連結は解消したとよくあるので抜かれたT車はなんだったのだろうか。
昭和37年頃のなにわ、せっつ、宮島と、昭和42年頃の関門は同じ編成で、サロ、サハシともに2輌組み込みの様ですね。
サロ152は当初両渡り構造であったが1967〜1969年普通車の冷房化計画〜冷房化で三相引き通し線新設の為に片渡り構造とされ連結方向が限定される様になったとのこと。
MT46の時代は非力さに悩まされましたね。
非力って言うのは簡単やけど
そもそも全電動車っちゅう考えであの出力になったんやろ
安易にモノ言うなっちゅうねん
アホがおる笑笑。
80系電車は編成内の電動車を増やしてセノハチ自力走破。
80系は高出力で、減速比も低速向けで、MT比1:1で楽勝でした。
チャンネル登録させていただきました。素晴らしいCGですね!
質問があるのですが、151系のノッチ曲線グラフはどこで入手したのですか?
資料は加筆修正していますが、ある関係者からのもらいもので、151系161系なんとかという本のものと同じとのことです。古本屋でも売っているのではとおもいます。加速力曲線はスーパーノッチマンという、運転曲線シミュレーションソフトのものです。
@@TurbinePowered07 ありがとうございます!
古書店で探してみようと思います
急行宮島は、4号車サハシと5号車サロの向きを逆にすれば完璧ですね。
コピペで増結して方向転換忘れてました😢。
@@TurbinePowered07
クオリティがとても高くて素晴らしかったので、却って気になってしまいました。
細かい指摘で、申し訳ないことでございました🙇🏻♂️
オヤ35は、普通に
Nゲージでアルモデルから、
売られてると言う意味不明
流石、前の会社がキハニ36450とか
迷車作ってただけあるわ
EF60-500の補機運用いいですねぇ、61が有名なのであまり触れられないのですが…
153系のビュッフェ車が2両も!
その内の一つは、つばめ鮨のご主人が握っておられたのでしょうか…
東京→大阪まで、グリーン車に乗り、途中でビュッフェの立ち喰い寿司を食べたかった。
何と贅沢なんでしょうか。
つばめ鮨であり、つばめ寿司は全く別のお店です。
オヤ35は唯一白黒映像か
模型しか見たことないので
こんな感じだったんですね。
(まさか控車が電車では無く
旧型客車で塗装も湘南色という
迷車…次はサヤ421ですかね…)
交流機ならではの屋根上の設備、魅力的でいずれ演る予定です。
サヤ421はナイ。
サヤ420。
151系のナンバーは赤くしないとね。
ヨボヨボのお爺さんを無理やり厚化粧させた感が何とも。。。
何色で在ってもEF60とダブルルーフ客車つうギャップに強烈なゲテモノ臭( ̄▽ ̄;)
開発する際、出力とかにもっと余裕持たせればいいのに…と思うんですが、当時の国鉄は要求性能カツカツにやたらこだわる印象があります。
カツカツでやらねばならない、当時の情けない技術レベルがありました😢。
おいおい、まだこの頃はロザは非冷房やろ
昭和43年改正までやっとって、ロザの冷改は昭和39年ならアリやろが笑笑。
153系との連結、EF63、EF64(1部改造)、EF81(1部改造)のような双頭連結器だったらオヤは不要でしたね。
密〜自連アダプター(というのか)ではダメだったのかな。走行距離や走行速度に規制?雪でモハユニットダウンで救援機関車がとか本で読んだけど。
さらに過酷な板谷峠ではキハ58が補機無しでノロノロと登坂していたと。(ヽ´ω`)
@Channel Sadaさん
キハ58は低速であればオーバーヒートせずに急勾配に対応できたそうですが、多客期にはキハ181の特急だけでなく、こちらも補機の連結があったとの証言がありますな。トラブル防止といったところでしょうか。(・ε・` )ムリシナイ!
キサシが悪かったのかな。
でも181系間合いであおばとか酷使しすぎて予備車もなくて、そんな運用していたからオーバーヒートしたとか。
キハ81ブルドックとEF71の連結も楽しそうです。
キロ以外全車非冷房っちゅうのがよかったんやろな
下手にキハ65なんか入ってたら絶対足引っ張ってたやろし
@@tydeentetuota5514 キサシが足引っ張ったっちゅうより
ラジエーターの冷却があんな方式やから特に長大トンネルで機能せんかったし
DML30系列自体、ガスケットの吹き抜けやらシリンダーの変形etc、、、
全てはしょせんDMH17の文字通り焼き直しやから
根本的にトラブルを解決せんままこしらえたエンジンと
使い回しの補機類のせいやと思う
ゆふいんの森に乗ったときカレチさんに逆転機は今はどうですか?って聞いたら
新しい方は大丈夫やけど古い方はいまだに壊れてますって苦笑いしてたし
気動車はトルクコンバータのトルク増幅機能の効果があるので問題はあまりありませんでした。おおよそ板谷峠でもセノハチでもそうでした(一部例外もあり。)。ただし気動車でも181系などの熱量の大きい12気筒500PSエンジンの冷却が当時は不十分だったこともあり、上野からの長時間走行後の登り勾配登攀時に、加熱しすぎると火を噴いたりもしたため、板谷峠ではその負荷軽減を目的に、EF71の補機を連結することにしました。
現在は、冷却技術等が発達したため、電車でも気動車でも、はたまた自動車でも、冷却上の問題はほぼ起こらなくなりました。
四号車サハシの向きは逆?
165系急行佐渡でもそうでしたけど、
ビュッフェをグリーン車に向けるんでしたっけ?
モハのトイレ窓は下り側、サロのトイレ窓は上り側(東海では下り側)、海側は空気配管、陸側は電気配線の関係かな。
ビュッフェ側がグリーン車の向きで良さそうですが(普通車の客が優等車の中を通り抜けて食堂車へ行かないようにする名残りか?)、サハシ2輌でサロを挟んでいる時の編成がカトーの低運転台153系セットの説明書に残念ながら記載がありませんでした😂
ダブルルーフが湘南色になるとアメリカの客車っぽく見えておもしろい。
神社とか宮殿の屋根に見えてアジアっぽいんだけどね。