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防水屋をしていますが白い建物は現在、防水と塗装をしています!僕たちが修復作業をしているのでこの動画を見て歴史ある場所で作業が出来ているんだなと思い感動しました!また綺麗になった建物も見に行ってみてください!
白い建物、修復作業中なんですね、お疲れ様です。ありがとうございます。またいつか訪れたいと思います😊
素晴らしい動画ありがとうございます。駅そばにあった旅館はかの文豪・松本清張先生が泊まられ、砂の器のアイデアを着想されたと言われています。私も何度か備後落合を訪れたことがありますが、夏の昼間は本当に時が止まったような昭和のノスタルジーを感じる場所ですね。
田舎駅=地元の方々の心遣い。ホーム駅標識のミニ花壇と駅舎の風鈴🎐ありがとうございます🙇
非常に貴重な動画ですね。ありがとうございます。
なつかしいです。中学生の夏休み、この駅から汽車にのり、三次の学習塾に通ってました。
当時は備後落合駅も有人駅だったんですね。
1993年に1年だけですが庄原市に住んだので感慨深いです。
8月に備後落合駅に行きました!うう。。何か涙が出てきますよ。。。
訪れて間もないんですね。わかりますよ。ありがとうございます😊
真冬の備後落合駅での待合室でなんと野宿をしている動画があります。一昔前なら駅周辺に宿泊施設があってもおかしくないですね。
真冬だと相当寒そう💦確か、あの鉄道系ユーチューバーさんですね😊駅を出て下って行ったところに一軒の民家があって昔はそこが旅館をしていたと有志ボランティアさんからお話を伺いました。
@@misato1990s西園寺さんの動画です。夏でも野宿はしたくないですね。正直いって備後落合駅が消滅するのは時間の問題だと思うので、後々貴重な動画になることでしょう。そして芸備線や木次線を訪れたければ今のうち訪れた方がいいでしょう。
以前はホーム上に駅そばも営業していました。木次線に乗り入れる急行列車もあったんですよね。
おでんうどんのお店ですね。夜行急行が走っていたとか今の様子からは想像もできないですよね。
急行ちどりとかよく乗ってましたが、1993年は走ってたのかな。懐かしい動画ありがとうございました。
調べましたが、急行ちどりは1990年以降は木次線には乗り入れてませんが、備後落合までは走っていたようです。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%88%E3%81%97_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
古い時刻表を見ると、姫路─新見─広島直通の列車があったようです。夜行のスキー列車「三井野原銀嶺」とか。今の寂れようからは信じられませんね。駅そば食べたかったなあ。
いつの間にか備後落合に事務所があったタクシー会社も消えたのですね。昔は夜行急行が通っていたのが信じられません。芸備線は比較的後まで急行が残ていましたし、時代の流れを感じます。おでんうどん食べたかったなあ・・・
タクシー会社もあったのですね。広島から島根へは、クルマか遠回りでも新幹線&やくもの方へ移ってしまって。おでんうどんは、駅から少し離れてますが、ドライブイン落合(駅で営業されてた方)というお店で食べられるそうです。9月から5月?の限定で。
JR転換直後の頃に、芸備線で備後落合駅に昼頃着いて、木次線への乗り換え時間が1時間ほどあったので、昼食を食べようと、駅前を歩いてみたら、食堂が一軒も無く、松江まで飲まず食わずだった思い出がある。
ぜひ訪れてみたい駅です。比較して編集されているので違いがよくわかります。貴重な映像をシェアしていただきありがとうございます。
30年で様子がかなり変わりましたね(^_^;)昔みたいに元気のある街によみがえらせたいですよね。
よくぞ30年前の動画ありましたね。素晴らしい、栄枯盛衰ですね。6月、9月、11月で芸備線完全乗車しました。
ありがとうございます。当時、8mmビデオを持ち歩いた時期に撮影していました。3回に分けての芸備線乗車、それぞれ少し季節が違ってより楽しめたのではないでしょうか😊
はじめまして、今と昔〰️備後落合駅、とても素晴らしい動画でした😂最新の備後落合駅も見れました🎊
こんにちは。お役に立ててよかったです😊
懐かしいですね。私の祖父母が駅前で商店を営んでおりました。うどんなどがあったと思います。あの時はまだ、駅前にたくさんの人がいましたね。
そうなんですね。動画中のボランティアさんの案内でも、駅の傍に国鉄職員の方の独身寮や社宅があったと教えていただきました。最盛期は今とは想像もつかないぐらい賑わっていたのでしょうね。
近日中に備後落合駅を探検予定なので、大変参考になりました。広島からだと、何とか日帰りできそうですね。
お役に立てて良かったです😊午後の夕方にかけての数時間は滞在できますね。広島から日帰りなら。
おお、自分もその時期に備後落合に行ったなぁ、と思って自分の記録見たら1993年2月でした。それ以降全く訪れてないですが、懐かしいですねー。当時バリバリ新車だったキハ120は、令和の今も自分の中では「新型式」だと思っていますが、既に車齢30年かあ。自分も自分も歳とるワケだ。この時は既に「ちどり」が木次線に入らなくなっていますが、まだ、ぎりぎり陰陽連絡の雰囲気が残っている時代でしたね。
はじめましてです。高校入試の帰りに駅ホームでおでんうどん食べた思い出があります。美味しかった。
はじめまして😊それは良い思い出ですね🍀ホームで営業していた頃のおでんうどん、ひときわ美味しかったでしょうね😋✨
よくぞ残してくれた 公開してくださってありがとうございます。永橋さんたちボランティアガイドさんたちの活動で今もきれいに保たれています。季節により賑やかさもあるなくしてはいけない駅
いつまでも残ってほしいですね。
私も2022年4月に訪れました。閑散として寂しかったですね。
1993年生まれてないけどもう30年経つんですね…
昨日、行ってまいりました。ほんとにこの動画で流れているピアノが流れてきそうな雰囲気でした
ありがとうございます。とてもいい旅だったようですね😊
昔との対比では涙が出そうです。よくぞこの動画をアップしていただきました。この備後落合駅を失ってはなりませんね。
ありがとうございます😊
でも、まずは路線存続が課題。この近くにあった宿に松本清張先生が宿泊されたとか…「砂の器」の取材?
備後落合駅に最も人を運んで来る出雲おろち号の運行終了がとても残念ですねなかなか良い解決策は見つかりませんが素晴らしい沿線なので何とか頑張って欲しい(無責任ですいません)です
@@ssbs180mute さん おっしゃる通りです。失いたくない素晴らしい景色の中を走る路線です。できたら昔のようにC56を走らせたいものです。
@@akiomatsumoto7923 いうのは簡単。ダイヤが使いにくいのはさておいても、所要時間が道路の数倍かかり、人家から駅までも遠いどころか坂道ばかり、街に出ても病院や役場、商業施設は駅から距離がある。そこに加えて、使い物にならない位列車がない、時間が悪い。沿線人口は皆無建設当時の精一杯は、当時有用な交通機関をもたらしたにせよ、自動車の性能と道路の整備状況が変わってしまえば、極めて効率の悪い手段になり下がります救う方法があるとお考えでしょうか。あなたが年間数千億円用意して投入するというのでしょうかなくしてはならないといっておいて、その手段を考えるのは行政の仕事と吐き捨てるのは無責任です。限られた資金の中で様々なサービスをせねばならず、無駄を出している余裕などありません
93年はギリギリ賑わってたんですかね。有人駅で発車ベルもある。2000年におろち号に乗りに行ったときはもう人がいなかった記憶・・・地元の方が野菜売りに来ていたのは覚えています。
列車が着く時間は、まだ本来の地元客とかの乗り換え客が少し居られたぐらいだと思います。有人駅だったのは、運転保安設備(タブレット交換)の都合上、係員を置いて出改札もしていた、ということだったかと。。。駅周辺も既にひっそりしていましたしね。
この数年後CTC入って無人駅なりましたね
当時の駅前から橋渡ったくらいまでの画像があればなあ。あの頃は旅館も現役で橋渡った商店でカメラのフィルムと水銀電池(←こんなの売ってた)と飲食物買った記憶があります。
旅館は、現役だったのですね。駅からではありませんが、当時の橋の周囲を見渡した動画ならあります。ruclips.net/video/HYuCesbV8J0/видео.html こちらの2分あたりからです。
1999年にこの駅から広島行きの急行ちどりに乗ったのが懐かしいです。白と緑に塗られたキハ58だったと思います。
30年って変わってないようで変わってる。備後落合駅って奥の深い駅ですよね。
歴史もありますし、いろいろと人気も頷けますね😊30年前は、もう賑わいを失った後でしたが、建物がまだ一部残っていたという感じですね。しばらくして無人駅になりました。
最初にあったキハ58はいわゆる「さんべカラー」だったと思います。
夜行急行 「ちどり」を思い出しますね。
懐かしいですね。どなたかコラボして1973年版もあれば、嬉しいなぁ。
30年前に、宮脇俊三氏の本で備後落合駅の名前を知り訪れました。なつかしいです。
素敵な動画ありがとうございます昔の備後落合駅がどんな感じだったのか、どんな列車が走っていたのか非常に分かりやすかったです!
オリジナルカラーのキハ23が見えますが、2エンジンのキハ53でなくても充分だったのですね。この系列は地味で少数派だけど、結構好きでした。電化前の天ナラ(奈良運転所)には片運転台のキハ45が在籍していました。
木次線を走っていたのはキハ53でした。芸備線は、エンジン1台のキハ23で賄えたのでしょうか。私も小さい頃は、キハ35,キハ25(キハ20系の)、キハ45、あと郵便荷物合造車-湘南マスクのキハユニを見慣れていたので、かなり馴染みがある方ですよ😊
キハ120の前は木次線はキハ52,53でどっちか災害で廃車があったようですね😊
キハ53-6みたいですね。雨と雪解け水で線路が宙吊りになっているところに入って転落したみたいです。。。
芸備線、木次線共に備後落合駅付近は何時迄走り続ける事が出来るのだろうか...最初に乗ったのは、1980年代の終わり頃の旅行で、両線ともに単行運転ではなく、国鉄塗装のごった煮の3両~2両編成で乗客も多く、芸備線の備後落合~東城間は座る事が出来ない程でした(立ち客多数)備後落合~備中神代間の各駅は跨線橋の老朽化や、朽ち果ててしまった使われないホーム、雑草に覆われ何が何だか分からなく成ってしまった側線、老朽化し傾いた様に見える駅舎など、当時から大丈夫なのですか?状態でしたねぇ其の後 5年間隔位で 2回程乗りましたが、人家も乗客も減る一方、景色や路線も自然に帰っていってる状態です(路線は昔は無かった、制限 25キロ(雨天時 15キロ)が連発状態な程今は荒れています)
乗り継ぎ列車のキハ58・28は当駅始発で広島行きの急行たいしゃく(ちどり)の運用もあった頃で備後落合駅は駅員さんもいてますね山陰から撤退し新見からも撤退し晩年の急行たいしゃく(ちどり)です
キハ20・45系は、初めて知りました。備後落合のラッシュタイムは29年前も楽しく見させて頂きました。😊
ありがとうございます。ゆっくり備後落合駅を訪れて、駅を堪能することができました😊キハ23・45・53系は、見た目がキハ40系似で、でも車体の裾絞りが無くて、エンジンは旧式の180ps、キハ20系っぽいのに窓は外嵌めサッシ窓という過渡期的な存在ですね。ちょっとマイナーかも?
すごいわかりやすい比較の動画でした👏(^ω^)これは素晴らしい
今見ると、昔の備後落合駅の方がかなり明るかったみたいですね。
人がたくさんいて明るく賑やかだったでしょうね。絵的に暗く感じるのは、今は夏で、木が生い茂ってるのもあるかもしれませんね。この93年よりずっと前の昔は、100人規模で鉄道関係の方がおられて、それだけ人がいれば、茂ってきたらマメに剪定もされたかもしれませんし。
違う地域の人間から見れば赤字の垂れ流しなので鉄道をなくすのがベストアンサーと思っていましたけど路線を残したい 存続を応援したい 愛している人の思いも感じました 一方でモータリゼーションを推し進めて鉄道の価値を下げた人がいたのも事実 それが沿線自治体や住民だったとも思います JRの廃止を視野に入れているであろう話し合いも横暴ですが地域にも原因はあった訳ですから両者にとっていい答えが出て事態が収まる事を願います
備後落合に限った問題では無い。地方の駅前通りの衰退は、50年前の賑わいを知る者には信じられない程である。休日でも人の姿はまばら。子供の数が絶対数減少してるのが違い。
80年代後半、一人旅でここ備後落合駅を訪れた時駅近くにあった大原旅館という宿で一泊しました。今もやってるんでしょうか、それとも…
動画中の駅ガイドボランティアの永橋さんから伺いましたが、松本清張が砂の器を執筆された旅館の事ですね。宣伝めいた感じで恐縮ですが、こちらの動画に映っています。(この動画の備後落合までのアクセスの模様です)ruclips.net/video/0z-ZixiiCMY/видео.html 現在、旅館は廃業されてますが、民家として住んでおられるそうです。
@@misato1990s 様そんなゆかりのある旅館とは全く知らなかったのでビックリしましたいきなりの一見さんなのに快く泊めてくださって食事も用意して下さって…感謝です
空き地は鉄道博物館にして欲しいですね
昔は優等列車が多数停車して、観光客で賑わっていた豊後落合駅。今では地域輸送がメインですもんね。
貴重な映像です
近日中に、新見→備後落合→連続スイッチバック→宍道に抜ける計画をしていましたので、参考になります。30年後、果たして存続出来ているかどうか…。
芸備線の復旧が待ち遠しいですね。良い旅になりますように。
8月に備後落合駅に訪れた事が有ります。その時に奥出雲おろち号の指定席を丁度1ヶ月前に戻り(備後落合駅~木次駅)は購入出来ましたけど、行き(木次駅~備後落合駅)は売り切れだったので一旦木次駅から備後落合駅までタクシー💴🚙で行きました。料金メータは2万円超えでしたけど乗務員さんが2万円にして頂きました。
さすが奥出雲おろち号は人気ですね。木次から備後落合だとかなりの距離を!乗務員さんのサービスが嬉しいですね😊
広島県 三原生まれの50代ですが福山生まれの同僚も庄原なんて天気予報の豪雪地帯でしか知りませんでした。 11/28/2022にお世話になりましたが、石州瓦と駅に隣接した農家と何処かで見た風景・・三江線が手招きしていました。
30年後は芸備線と木次線の廃止で跡形も無くなっている可能性があります。
やっぱり昔の備後落合といったら、ホーム上のおでんうどんの売店
3月23日夜に線路に落石があり乗客ゼロの列車が脱線…のニュースがありました復旧まで代行バスが走るみたいですけどもうそのまま廃線濃厚ですね…
これはちょっと厳しいでしょうね。復旧しても赤字を生むだけの路線を費用かけて直してくれるのかどうか。。
広島から備中落合を経由して宍道駅から山陰本線に直通して出雲市まで至る特急みたいなのができれば廃止は免れるんじゃないかと思います。自己操舵台車や車体傾斜装置を導入した列車なら線路がふにゃふにゃでもそれなりに速度を出せるのと、広島という中国地方一の都市から出雲まで乗り継ぎなしで結ぶという役目をこなすことができます。途中駅は...備中落合くらいですかね...。
コメントありがとうございます。広島と出雲市を結ぶ特急のアイデア、面白いかと思いますが、自己操舵台車・車体傾斜装置は、どちらも線路状態が普通にメンテされた前提で、①自己操舵台車は、車輪をカーブに沿った円弧状に動かして、カーブをスムーズに曲がれる様にして、線路へのストレスを下げ、保線作業を軽減したい目的。②車体傾斜装置は、カーブを曲がる際、傾けることで曲線通過速度を本則+○km/hで通過速度を上げる目的。(それなりに線路を痛めやすく保線作業をしっかりやらないといけない)こういう内容だったかと思います。状態の悪い線路で速度を上げるのは危ないです。
1993は昔なのか…
おでんうどんおいしかった。ドライブイン落合で食べました
おでんうどんを食された、羨ましいです。
この前広島から、ここ経由で宍道まで乗ったけど、10人中10人が鉄道ファンでした(笑)鉄道は鉄道ファンの為にあるわけじゃないからなぁ。自分は大阪都市圏に住んでるから結局のところ我々が支払った運賃で出た利益がこういうところに回ってるわけでしょう?難しいところダヨネ。
都会の利益をローカル線の赤字の埋め合わせに。そのローカル線の利用者は鉄道ファンだけなので微妙と。実際目の当たりにされて、そう思われてもある意味仕方ないかと思います。鉄道ファンは、もう廃止が近いと知って乗りに来る方が多いと思いますので(30~40年前も同じでした)、乗りに来ても来なくてもその線の存廃論議は続いて、懸念されている事は、数年後に現状のままでなく、何らかの違う形(廃止を含めた)に変わると思いますよ。
備後落合が無くなったら西◯寺が野宿出来なくなるジャン
89年夏の夜に行ったとき、駅舎内に大量のでかい蛾がへばり付いていました(蛾のいる光景で人生最悪レベル)。それがトラウマになり、今も夏の夜には怖くて行けません。
夏の夜に蛾を見るなんて、それだけでホラーですね😱日中なら穏やかなところですよ。。
山の中なら蛾がいるのはふつうじゃん、襲いかかるわけでもなし。よく観察すればキレイなのやらいろんなのがいるから逆に楽しいんだけどね。
最近はLED化が進み、集まる蛾の数も減りつつあります🦋鱗粉を撒き散らすドクガ以外は基本無害なので、壁等にへばり付いている時は目をそらして、占有権を尊重してあげましょう。
夏の虫がトラウマになるくらいでしたら 多分どこの駅にも行けないでしょうね とはいえ蛇より虫を恐がる人も増えました 見つけ次第殺虫だけはやめて欲しいものです
私の予測ですが恐らく広島~備後庄原は今後も残すと思いますが、備後庄原~備中神代は近い将来廃止の可能性が高いと見ています。
ですね。ところで昨夜、芸備線で落石脱線事故があって、備後落合~東城間で現在も不通だそうです。1箇所だけだから復旧するかもしれませんが、ここ最近は赤字の酷い線区が被災するとこのまま、、、のケースがあるので油断できませんね。
確かこの辺りは日本有数の営業係数を叩き出しているエリアですよね。鉄道は一度廃止されると復活はまずあり得ないので、どこまで耐えられるかの瀬戸際という状況でしょうか。センチメンタルな感情論で維持できるほど楽観的な状況じゃないことが悲しいです。
バス転換も時間の問題かな・・・
2022年はコロナ禍の頃だから、お客は通常より少ないのでは?
同じ年のGW(この2ヶ月前)に木次線から備後落合乗換えしましたが、列車・駅共にそこそこ乗客がおられました。コロナ禍でも比較的収まっていた頃です。
まさに「つはもの共が夢のあと」「栄枯盛衰」実態化した駅。
おでんうどん、賞味したかった。
耳のとても悪い知人に見せてあげると、どうしても主の声が聞きづらいみたいです。もし可能なら、声の高さを低くしてみることは出来ますか
コメントありがとうございます。次回の動画から、もう少し聞き取りやすさを考えてナレーションしたいと思います。
厳しいこと言うとこんな赤字を垂れ流しているところはさっさと廃止して利用客が多いところへ設備投資すべき
3月23日夜に線路に落石があり乗客ゼロの列車が脱線…のニュースがありました復旧まで代行バスが走るみたいですけどもうそのまま廃線濃厚ですね…JR西もちょうどいい理由付けが出来たのでは?
防水屋をしていますが白い建物は現在、防水と塗装をしています!
僕たちが修復作業をしているのでこの動画を見て歴史ある場所で作業が出来ているんだなと思い感動しました!
また綺麗になった建物も見に行ってみてください!
白い建物、修復作業中なんですね、お疲れ様です。
ありがとうございます。またいつか訪れたいと思います😊
素晴らしい動画ありがとうございます。駅そばにあった旅館はかの文豪・松本清張先生が泊まられ、砂の器のアイデアを着想されたと言われています。私も何度か備後落合を訪れたことがありますが、夏の昼間は本当に時が止まったような昭和のノスタルジーを感じる場所ですね。
田舎駅=地元の方々の心遣い。
ホーム駅標識のミニ花壇と駅舎の風鈴🎐
ありがとうございます🙇
非常に貴重な動画ですね。ありがとうございます。
なつかしいです。
中学生の夏休み、この駅から汽車にのり、三次の学習塾に通ってました。
当時は備後落合駅も有人駅だったんですね。
1993年に1年だけですが庄原市に住んだので感慨深いです。
8月に備後落合駅に行きました!
うう。。
何か涙が出てきますよ。。。
訪れて間もないんですね。
わかりますよ。ありがとうございます😊
真冬の備後落合駅での待合室でなんと野宿をしている動画があります。一昔前なら駅周辺に宿泊施設があってもおかしくないですね。
真冬だと相当寒そう💦確か、あの鉄道系ユーチューバーさんですね😊
駅を出て下って行ったところに一軒の民家があって
昔はそこが旅館をしていたと有志ボランティアさんからお話を伺いました。
@@misato1990s
西園寺さんの動画です。夏でも野宿はしたくないですね。正直いって備後落合駅が消滅するのは時間の問題だと思うので、後々貴重な動画になることでしょう。そして芸備線や木次線を訪れたければ今のうち訪れた方がいいでしょう。
以前はホーム上に駅そばも営業していました。木次線に乗り入れる急行列車もあったんですよね。
おでんうどんのお店ですね。夜行急行が走っていたとか今の様子からは想像もできないですよね。
急行ちどりとかよく乗ってましたが、1993年は走ってたのかな。懐かしい動画ありがとうございました。
調べましたが、急行ちどりは1990年以降は木次線には乗り入れてませんが、備後落合までは走っていたようです。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%88%E3%81%97_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
古い時刻表を見ると、姫路─新見─広島直通の列車があったようです。夜行のスキー列車「三井野原銀嶺」とか。今の寂れようからは信じられませんね。
駅そば食べたかったなあ。
いつの間にか備後落合に事務所があったタクシー会社も消えたのですね。昔は夜行急行が通っていたのが信じられません。芸備線は比較的後まで急行が残ていましたし、時代の流れを感じます。おでんうどん食べたかったなあ・・・
タクシー会社もあったのですね。
広島から島根へは、クルマか遠回りでも新幹線&やくもの方へ移ってしまって。
おでんうどんは、駅から少し離れてますが、ドライブイン落合(駅で営業されてた方)
というお店で食べられるそうです。9月から5月?の限定で。
JR転換直後の頃に、芸備線で備後落合駅に昼頃着いて、木次線への乗り換え時間が1時間ほどあったので、昼食を食べようと、駅前を歩いてみたら、食堂が一軒も無く、松江まで飲まず食わずだった思い出がある。
ぜひ訪れてみたい駅です。比較して編集されているので違いがよくわかります。貴重な映像をシェアしていただきありがとうございます。
30年で様子がかなり変わりましたね(^_^;)昔みたいに元気のある街によみがえらせたいですよね。
よくぞ30年前の動画ありましたね。素晴らしい、栄枯盛衰ですね。6月、9月、11月で芸備線完全乗車しました。
ありがとうございます。
当時、8mmビデオを持ち歩いた時期に撮影していました。
3回に分けての芸備線乗車、それぞれ少し季節が違ってより楽しめたのではないでしょうか😊
はじめまして、今と昔〰️備後落合駅、とても素晴らしい動画でした😂最新の備後落合駅も見れました🎊
こんにちは。お役に立ててよかったです😊
懐かしいですね。私の祖父母が駅前で商店を営んでおりました。
うどんなどがあったと思います。あの時はまだ、駅前にたくさんの人がいましたね。
そうなんですね。動画中のボランティアさんの案内でも、
駅の傍に国鉄職員の方の独身寮や社宅があったと教えていただきました。
最盛期は今とは想像もつかないぐらい賑わっていたのでしょうね。
近日中に備後落合駅を探検予定なので、大変参考になりました。
広島からだと、何とか日帰りできそうですね。
お役に立てて良かったです😊
午後の夕方にかけての数時間は滞在できますね。広島から日帰りなら。
おお、自分もその時期に備後落合に行ったなぁ、と思って自分の記録見たら1993年2月でした。それ以降全く訪れてないですが、懐かしいですねー。当時バリバリ新車だったキハ120は、令和の今も自分の中では「新型式」だと思っていますが、既に車齢30年かあ。自分も自分も歳とるワケだ。
この時は既に「ちどり」が木次線に入らなくなっていますが、まだ、ぎりぎり陰陽連絡の雰囲気が残っている時代でしたね。
はじめましてです。
高校入試の帰りに駅ホームでおでんうどん食べた思い出があります。美味しかった。
はじめまして😊
それは良い思い出ですね🍀
ホームで営業していた頃のおでんうどん、ひときわ美味しかったでしょうね😋✨
よくぞ残してくれた 公開してくださってありがとうございます。永橋さんたちボランティアガイドさんたちの活動で今もきれいに保たれています。季節により賑やかさもあるなくしてはいけない駅
いつまでも残ってほしいですね。
私も2022年4月に訪れました。閑散として寂しかったですね。
1993年生まれてないけどもう30年経つんですね…
昨日、行ってまいりました。ほんとにこの動画で流れているピアノが流れてきそうな雰囲気でした
ありがとうございます。とてもいい旅だったようですね😊
昔との対比では涙が出そうです。よくぞこの動画をアップしていただきました。この備後落合駅を失ってはなりませんね。
ありがとうございます😊
でも、まずは路線存続が課題。
この近くにあった宿に松本清張先生が宿泊されたとか…
「砂の器」の取材?
備後落合駅に最も人を運んで来る出雲おろち号の運行終了がとても残念ですね
なかなか良い解決策は見つかりませんが素晴らしい沿線なので何とか頑張って欲しい(無責任ですいません)です
@@ssbs180mute さん おっしゃる通りです。失いたくない素晴らしい景色の中を走る路線です。できたら昔のようにC56を走らせたいものです。
@@akiomatsumoto7923 いうのは簡単。ダイヤが使いにくいのはさておいても、所要時間が道路の数倍かかり、人家から駅までも遠いどころか坂道ばかり、街に出ても病院や役場、商業施設は駅から距離がある。そこに加えて、使い物にならない位列車がない、時間が悪い。沿線人口は皆無
建設当時の精一杯は、当時有用な交通機関をもたらしたにせよ、自動車の性能と道路の整備状況が変わってしまえば、極めて効率の悪い手段になり下がります
救う方法があるとお考えでしょうか。あなたが年間数千億円用意して投入するというのでしょうか
なくしてはならないといっておいて、その手段を考えるのは行政の仕事と吐き捨てるのは無責任です。限られた資金の中で様々なサービスをせねばならず、無駄を出している余裕などありません
93年はギリギリ賑わってたんですかね。有人駅で発車ベルもある。
2000年におろち号に乗りに行ったときはもう人がいなかった記憶・・・
地元の方が野菜売りに来ていたのは覚えています。
列車が着く時間は、まだ本来の地元客とかの乗り換え客が少し居られたぐらいだと思います。
有人駅だったのは、運転保安設備(タブレット交換)の都合上、係員を置いて出改札もしていた、
ということだったかと。。。駅周辺も既にひっそりしていましたしね。
この数年後CTC入って無人駅なりましたね
当時の駅前から橋渡ったくらいまでの画像があればなあ。
あの頃は旅館も現役で
橋渡った商店でカメラのフィルムと水銀電池(←こんなの売ってた)と飲食物買った記憶があります。
旅館は、現役だったのですね。
駅からではありませんが、当時の橋の周囲を見渡した動画ならあります。
ruclips.net/video/HYuCesbV8J0/видео.html こちらの2分あたりからです。
1999年にこの駅から広島行きの急行ちどりに乗ったのが懐かしいです。白と緑に塗られたキハ58だったと思います。
30年って変わってないようで変わってる。備後落合駅って奥の深い駅ですよね。
歴史もありますし、いろいろと人気も頷けますね😊
30年前は、もう賑わいを失った後でしたが、建物がまだ一部残っていたという感じですね。
しばらくして無人駅になりました。
最初にあったキハ58はいわゆる「さんべカラー」だったと思います。
夜行急行 「ちどり」を思い出しますね。
懐かしいですね。どなたかコラボして1973年版もあれば、嬉しいなぁ。
30年前に、宮脇俊三氏の本で備後落合駅の名前を知り訪れました。なつかしいです。
素敵な動画ありがとうございます
昔の備後落合駅がどんな感じだったのか、どんな列車が走っていたのか非常に分かりやすかったです!
ありがとうございます😊
オリジナルカラーのキハ23が見えますが、2エンジンのキハ53でなくても充分だったのですね。この系列は地味で少数派だけど、結構好きでした。電化前の天ナラ(奈良運転所)には片運転台のキハ45が在籍していました。
木次線を走っていたのはキハ53でした。芸備線は、エンジン1台のキハ23で賄えたのでしょうか。
私も小さい頃は、キハ35,キハ25(キハ20系の)、キハ45、あと郵便荷物合造車-湘南マスクの
キハユニを見慣れていたので、かなり馴染みがある方ですよ😊
キハ120の前は木次線はキハ52,53でどっちか災害で廃車があったようですね😊
キハ53-6みたいですね。雨と雪解け水で線路が宙吊りになっているところに入って
転落したみたいです。。。
芸備線、木次線共に備後落合駅付近は何時迄走り続ける事が出来るのだろうか...
最初に乗ったのは、1980年代の終わり頃の旅行で、両線ともに単行運転ではなく、国鉄塗装のごった煮の3両~2両編成で乗客も多く、芸備線の備後落合~東城間は座る事が出来ない程でした(立ち客多数)
備後落合~備中神代間の各駅は跨線橋の老朽化や、朽ち果ててしまった使われないホーム、雑草に覆われ何が何だか分からなく成ってしまった側線、老朽化し傾いた様に見える駅舎など、当時から大丈夫なのですか?状態でしたねぇ
其の後 5年間隔位で 2回程乗りましたが、人家も乗客も減る一方、景色や路線も自然に帰っていってる状態です(路線は昔は無かった、制限 25キロ(雨天時 15キロ)が連発状態な程今は荒れています)
乗り継ぎ列車のキハ58・28は当駅始発で広島行きの急行たいしゃく(ちどり)の運用もあった頃で備後落合駅は駅員さんもいてますね
山陰から撤退し新見からも撤退し
晩年の急行たいしゃく(ちどり)です
キハ20・45系は、初めて知りました。
備後落合のラッシュタイムは29年前も楽しく見させて頂きました。😊
ありがとうございます。ゆっくり備後落合駅を訪れて、駅を堪能することができました😊
キハ23・45・53系は、見た目がキハ40系似で、でも車体の裾絞りが無くて、エンジンは旧式の180ps、
キハ20系っぽいのに窓は外嵌めサッシ窓という過渡期的な存在ですね。ちょっとマイナーかも?
すごいわかりやすい比較の動画でした👏(^ω^)
これは素晴らしい
ありがとうございます😊
今見ると、昔の備後落合駅の方がかなり明るかったみたいですね。
人がたくさんいて明るく賑やかだったでしょうね。
絵的に暗く感じるのは、今は夏で、木が生い茂ってるのもあるかもしれませんね。
この93年よりずっと前の昔は、100人規模で鉄道関係の方がおられて、
それだけ人がいれば、茂ってきたらマメに剪定もされたかもしれませんし。
違う地域の人間から見れば赤字の垂れ流しなので鉄道をなくすのがベストアンサーと思っていましたけど路線を残したい 存続を応援したい 愛している人の思いも感じました 一方でモータリゼーションを推し進めて鉄道の価値を下げた人がいたのも事実 それが沿線自治体や住民だったとも思います JRの廃止を視野に入れているであろう話し合いも横暴ですが地域にも原因はあった訳ですから両者にとっていい答えが出て事態が収まる事を願います
備後落合に限った問題では無い。地方の駅前通りの衰退は、50年前の賑わいを知る者には信じられない程である。休日でも人の姿はまばら。子供の数が絶対数減少してるのが違い。
80年代後半、一人旅でここ備後落合駅を訪れた時
駅近くにあった大原旅館という宿で一泊しました。今もやってるんでしょうか、それとも…
動画中の駅ガイドボランティアの永橋さんから伺いましたが、松本清張が砂の器を執筆された旅館の事ですね。
宣伝めいた感じで恐縮ですが、こちらの動画に映っています。
(この動画の備後落合までのアクセスの模様です)
ruclips.net/video/0z-ZixiiCMY/видео.html
現在、旅館は廃業されてますが、民家として住んでおられるそうです。
@@misato1990s 様
そんなゆかりのある旅館とは全く知らなかったのでビックリしました
いきなりの一見さんなのに快く泊めてくださって食事も用意して下さって…感謝です
空き地は鉄道博物館にして欲しいですね
昔は優等列車が多数停車して、観光客で賑わっていた豊後落合駅。今では地域輸送がメインですもんね。
貴重な映像です
近日中に、新見→備後落合→連続スイッチバック→宍道に抜ける計画をしていましたので、参考になります。
30年後、果たして存続出来ているかどうか…。
芸備線の復旧が待ち遠しいですね。
良い旅になりますように。
8月に備後落合駅に訪れた事が有ります。その時に奥出雲おろち号の指定席を丁度1ヶ月前に戻り(備後落合駅~木次駅)は購入出来ましたけど、行き(木次駅~備後落合駅)は売り切れだったので一旦木次駅から備後落合駅までタクシー💴🚙で行きました。料金メータは2万円超えでしたけど乗務員さんが2万円にして頂きました。
さすが奥出雲おろち号は人気ですね。木次から備後落合だとかなりの距離を!
乗務員さんのサービスが嬉しいですね😊
広島県 三原生まれの50代ですが福山生まれの同僚も庄原なんて天気予報の豪雪地帯でしか知りませんでした。 11/28/2022にお世話になりましたが、石州瓦と駅に隣接した農家と何処かで見た風景・・三江線が手招きしていました。
30年後は芸備線と木次線の廃止で跡形も無くなっている可能性があります。
やっぱり昔の備後落合といったら、ホーム上のおでんうどんの売店
3月23日夜に線路に落石があり乗客ゼロの列車が脱線…のニュースがありました
復旧まで代行バスが走るみたいですけどもうそのまま廃線濃厚ですね…
これはちょっと厳しいでしょうね。
復旧しても赤字を生むだけの路線を費用かけて直してくれるのかどうか。。
広島から備中落合を経由して宍道駅から山陰本線に直通して出雲市まで至る特急みたいなのができれば廃止は免れるんじゃないかと思います。自己操舵台車や車体傾斜装置を導入した列車なら線路がふにゃふにゃでもそれなりに速度を出せるのと、広島という中国地方一の都市から出雲まで乗り継ぎなしで結ぶという役目をこなすことができます。途中駅は...備中落合くらいですかね...。
コメントありがとうございます。
広島と出雲市を結ぶ特急のアイデア、面白いかと思いますが、
自己操舵台車・車体傾斜装置は、どちらも線路状態が普通にメンテされた前提で、
①自己操舵台車は、車輪をカーブに沿った円弧状に動かして、カーブをスムーズに曲がれる様にして、線路へのストレスを下げ、保線作業を軽減したい目的。
②車体傾斜装置は、カーブを曲がる際、傾けることで曲線通過速度を本則+○km/hで通過速度を上げる目的。
(それなりに線路を痛めやすく保線作業をしっかりやらないといけない)
こういう内容だったかと思います。
状態の悪い線路で速度を上げるのは危ないです。
1993は昔なのか…
おでんうどんおいしかった。ドライブイン落合で食べました
おでんうどんを食された、羨ましいです。
この前広島から、ここ経由で宍道まで乗ったけど、10人中10人が鉄道ファンでした(笑)鉄道は鉄道ファンの為にあるわけじゃないからなぁ。自分は大阪都市圏に住んでるから結局のところ我々が支払った運賃で出た利益がこういうところに回ってるわけでしょう?難しいところダヨネ。
都会の利益をローカル線の赤字の埋め合わせに。そのローカル線の利用者は鉄道ファンだけなので微妙と。実際目の当たりにされて、そう思われてもある意味仕方ないかと思います。
鉄道ファンは、もう廃止が近いと知って乗りに来る方が多いと思いますので(30~40年前も同じでした)、乗りに来ても来なくてもその線の存廃論議は続いて、懸念されている事は、数年後に現状のままでなく、何らかの違う形(廃止を含めた)に変わると思いますよ。
備後落合が無くなったら西◯寺が野宿出来なくなるジャン
89年夏の夜に行ったとき、駅舎内に大量のでかい蛾がへばり付いていました(蛾のいる光景で人生最悪レベル)。それがトラウマになり、今も夏の夜には怖くて行けません。
夏の夜に蛾を見るなんて、それだけでホラーですね😱
日中なら穏やかなところですよ。。
山の中なら蛾がいるのはふつうじゃん、襲いかかるわけでもなし。
よく観察すればキレイなのやらいろんなのがいるから逆に楽しいんだけどね。
最近はLED化が進み、集まる蛾の数も減りつつあります🦋
鱗粉を撒き散らすドクガ以外は基本無害なので、壁等にへばり付いている時は目をそらして、占有権を尊重してあげましょう。
夏の虫がトラウマになるくらいでしたら 多分どこの駅にも行けないでしょうね とはいえ蛇より虫を恐がる人も増えました 見つけ次第殺虫だけはやめて欲しいものです
私の予測ですが恐らく広島~備後庄原は今後も残すと思いますが、備後庄原~備中神代は近い将来廃止の可能性が高いと見ています。
ですね。
ところで昨夜、芸備線で落石脱線事故があって、備後落合~東城間で現在も不通だそうです。
1箇所だけだから復旧するかもしれませんが、ここ最近は赤字の酷い線区が被災すると
このまま、、、のケースがあるので油断できませんね。
3月23日夜に線路に落石があり乗客ゼロの列車が脱線…のニュースがありました
復旧まで代行バスが走るみたいですけどもうそのまま廃線濃厚ですね…
確かこの辺りは日本有数の営業係数を叩き出しているエリアですよね。
鉄道は一度廃止されると復活はまずあり得ないので、どこまで耐えられるかの瀬戸際という状況でしょうか。
センチメンタルな感情論で維持できるほど楽観的な状況じゃないことが悲しいです。
バス転換も時間の問題かな・・・
2022年はコロナ禍の頃だから、お客は通常より少ないのでは?
同じ年のGW(この2ヶ月前)に木次線から備後落合乗換えしましたが、列車・駅共にそこそこ乗客がおられました。コロナ禍でも比較的収まっていた頃です。
まさに「つはもの共が夢のあと」「栄枯盛衰」実態化した駅。
おでんうどん、賞味したかった。
耳のとても悪い知人に見せてあげると、どうしても主の声が聞きづらいみたいです。もし可能なら、声の高さを低くしてみることは出来ますか
コメントありがとうございます。
次回の動画から、もう少し聞き取りやすさを考えてナレーションしたいと思います。
厳しいこと言うとこんな赤字を垂れ流しているところはさっさと廃止して利用客が多いところへ設備投資すべき
3月23日夜に線路に落石があり乗客ゼロの列車が脱線…のニュースがありました
復旧まで代行バスが走るみたいですけどもうそのまま廃線濃厚ですね…
JR西もちょうどいい理由付けが出来たのでは?