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本家ドイツでも、倒立エンジンの整備性の悪さには危惧があって、Bf109では、あのようなカバー形状になったわけだが、それに比べて三式戦のカバーは、上面と両側面しか外せず、エンジンが不調になる度に機体ごと工場に運んで、エンジンをクレーンで降ろさなければならないという有様。上辺だけわかったような気になっても、根本はわかっていない、昨今のMRJにも通じるのではないでしょうか。
戦時中、日本陸軍による大変興味深い試験が行われました。それはドイツから比較試験用に購入したフオッケウルフ、中国戦線で捕獲したP-51マスタング、日本陸軍からは飛燕と疾風が参加した速度競争試験でした。最初に飛び出したのはフオッケウルフでした。しかしP-51マスタングはフオッケウルフをジリジリと追い上げ追い越すとはるか前方へ、結果的にはマスタングが一位、フオッケウルフと四式戦疾風は並び、三式戦飛燕がその後に続いたとそうです。(丸の記事によると)
戦闘機ではない物で同じ液冷エンジンを積んだものが海軍にあったが?
まあカタログ通りの結果ですが、個人的には日本の航空ガソリンを使用しても額面通りの性能を発揮するマスタングには驚きます。ちなみにこのマスタングを操縦していたのは黒田大尉です。彼はパイロット教育ため捕獲したマスタングを使い模擬戦闘を行っていました。また彼はエアコンや後方警戒レーダーをも装備するマスタングを「素晴らしき敵機」と称していました。
黒江保彦少佐では?
結論だけ述べれば、元より日本には無理なエンジンだったと言うだけの話になってしまう。最初から最後までエンジンに泣き、その次に基礎工業力に泣き、ついでに基礎技術力に泣き、挙げ句のはてにマスプロの為の量産技術にも泣くと言う始末。現実的な視点を要求する側が持っていなかったのか、、、。
結果的に日本の工業力では空冷の方が現実的だったが、DB601のライセンス購入を決めた昭和13年の時点では7年後に飛行機がどこまで進化するか断言できる人などいなかったでしょう。数年後には液冷エンジンでなければお話にならないというような世界になっていたら取り返しが付かないから、取りあえず液冷もものにしておかなければ危ないってのは真っ当な判断だったと思いますが。
同じ米軍でも陸軍と海軍、陸軍でも戦闘機隊と爆撃機隊では評価が分かれており、フィリピンや台湾で戦った海軍の連中や護衛戦闘機隊の連中は「もっとも食いやすいカモで七面鳥撃つより簡単に墜とせる」と評価していますが、本土空襲で対戦したBー29の搭乗員は「Tony(飛燕)とジャック(雷電)は曲がりなりにもBー29の飛行高度まで到達出来る機体で油断のならない相手、特にTonyは数も多く、我々Bー29の本土空襲にとり一番厄介な相手」と評価され、米側の記録にも「日本本土防空戦では一番活躍した」と評されてます。惜しむらくは液体継手式無段変速過給機の利点を活かして過給機を大型化して全開高度を高めにしておけばもっと活躍出来ましたね。因みに飛燕の苦労は戦後DD51型ディーゼル機関車の液体変速機開発に活かされてます。
誰がなんと言おうが飛燕はかっこいい。異論は認める。
各務ケ原航空宇宙博物館だっけ?あそこの飛燕は素の銀色でなかなかカッコよかった
地元だなぁ~自分も飛燕大好きです!
三式飛燕、四式疾風のころは良質な燃料が不足して100%性能が出なかったようだね。せめて、万全の体制で送り出してやりたかった。かわいそう、申し訳なく思うよ。
四式戦はその状態で「高性能な新型がいる」という形で存在を認知させたからな・・・
まあ米兵の発言は比較対象が零戦や隼な上に米軍は基本的に数で圧倒してること前提。
もったいない戦闘機。エンジン交換して五式戦に引き継がれる。
えきひやエンジンってボイスが、新鮮で気に入った。ダイムラーエンジンは日本の基礎工業力を遥かに超えた、マグネシュウム合金製だったから作れる訳が無かったんだよね。ドイツ人技術者を100人位日本に連れて来て指導を仰ぐ事をしなければ無理なオーパーツでしたね。ショウガナイヨ。
エンジンがもしDB601ではなく、製造がもう少し容易なユンカース ユモエンジンだったら…と考えてしまう。また、三式戦をドイツ空軍がまとまった数で運用したらどのような使い方や整備をしただろうか、など興味は尽きない。
そもそもエンジン製造に必要なニッケルが足りず耐久力不足。冷却液もエチレングリコールを作れず水で代用なんて設計なんだから、そんなものを使えと言われたらドイツ空軍ブチ切れるでしょう。
DBじゃなくてJUMOにした方が良かったという説もある。川崎もそんな感じだったらしい。
DB601をあちこち簡略化したハ40すら生産整備に悩まされていたのに、ハ140はいくらなんでも背伸びし過ぎましたね。機体設計自体はそう悪いものではなく、後に五式戦になって本領発揮。P51がマーリンエンジンを得て最強戦闘機になったように、エンジンさえどうにか、せめて稼働率がもうちょっとマシになっていたら…。
DB600系エンジンは精密さと気難しさからドイツでも物資不足が表面化した戦争後半からは稼働率の低下を招いてた
結局は飛燕(三式戦)より五式戦の方が優秀だったということか?。
五式戦闘機は熟練工が作ってストックしていた金星エンジン(ハ15)に飛燕の首なし機に搭載したので大戦末期に低高度においてはマスタングに対抗できる数少ない戦闘機。
結局、熱田エンジンと共通化できなかった理由は?双方の技術者集めて対策しなかったのかな?
それぞれが勝手に改良していって互換性が無くなったらしいですね。ハ40/140の余りの酷さに海軍の熱田使えないか検討したそうですが前記の理由で断念。
誰がなんと言おうとも俺は...俺は!飛燕が好きだー!
飛燕を待ってた!
動画ありがとう。ああー✨飛燕🎉
愛知は生産数が少なかったし資金もそれなりにあったから必要なニッケルも供給マシだったし無茶なチューンしたハ140みたいな事もなかったからそこまでボロはでなかったんだろうね川崎は基礎工業力の無さと予算、生産数等無茶しすぎたな。まともにコピーできるだけの能力が日本には無かった
飛燕がピエンに聞こえる🥺
飛燕の高高度性能の良さはそのグライダーのように細長い主翼に秘密がある。川崎飛行機は昔から旋回上昇力、さらには揚抗比に注目しており、信念を貫いた主翼がその性能を発揮したのだと思う。
あの主翼のせいで軽快さが無くなったうえにダイブ特性もメッサーから比べたら悪くて改悪だった。はっきり言ってどこの需要で作ったのかわからないのが飛燕。上昇力なんかあの時期に必要ないのに勝手に作んなと
飛燕は他に無いスリムな形がいいよね
飛燕は Me109より美しいと思います。戦闘に使える性能も十分あり、それに合った戦法を取れば、かなりイケたようです。ただ南方での稼働率は チョット...。
メッサーシュミット製ですが博士が前に居たBFV社?時代に設計開始だったはずなのでBf109にわざわざされたんじゃありませんでしたっけ?飛燕は確かにメッサー君より美しいと思います
@@Aonata-channel 返信ありがとうございます。正式名は 「Messerschmitt Bf 109」で、「Bf」は 「Bayerische Fluzeugwerke(B.F.W.)=(英名Bavarian Aircraft Works)=(日名ババリアン《バイエルン》航空機 ワークス)」から来ていますが、B.F.W.が 7-11-1938をもってナチスに気に入られたDr. Willy Messerschmittがチェアマンの「Messerschmitt AG」として再編成されたため、Bf108タイフーンで始まったこの型式呼称は 軽偵察機Bf163で終わっています(Bf165は 計画のみ、又Me163は 全く別の機を指します)。多くのドイツパイロットと連合国は Bf109をMe109と呼んだ為、英語圏では「Me109」が一般的で、いきなり「Bf109」と書くと困惑を招きがちなので、正しい名で表現することは重要だと思っていますが、あえてこの場合はそうしています。ご了承を。
和製メッサーシュミット109
飛燕はそんな事言わない
陸軍が飛燕を継続生産性したのは12.7ミリとドイツ製マウザー20ミリ機関砲を装備していたため、エンジンが完調ならトルコン装備のスーパーチャージャーは無段階で過給でき細長い主翼もあって高高度性能も良かった。国産化した20ミリ機関砲は機首に装備したので命中率がよくB29迎撃できる数少ない戦闘機だった。
稼働率が悪かったから、五式戦となって復活した。
🥺
本家ドイツでも、倒立エンジンの整備性の悪さには危惧があって、
Bf109では、あのようなカバー形状になったわけだが、
それに比べて三式戦のカバーは、上面と両側面しか外せず、
エンジンが不調になる度に機体ごと工場に運んで、
エンジンをクレーンで降ろさなければならないという有様。
上辺だけわかったような気になっても、根本はわかっていない、
昨今のMRJにも通じるのではないでしょうか。
戦時中、日本陸軍による大変興味深い試験が行われました。
それはドイツから比較試験用に購入したフオッケウルフ、中国戦線で捕獲したP-51マスタング、日本陸軍からは飛燕と疾風が参加した速度競争試験でした。
最初に飛び出したのはフオッケウルフでした。
しかしP-51マスタングはフオッケウルフをジリジリと追い上げ追い越すとはるか前方へ、
結果的にはマスタングが一位、フオッケウルフと四式戦疾風は並び、三式戦飛燕がその後に続いたとそうです。
(丸の記事によると)
戦闘機ではない物で同じ液冷エンジンを積んだものが海軍にあったが?
まあカタログ通りの結果ですが、
個人的には日本の航空ガソリンを使用しても額面通りの性能を発揮するマスタングには驚きます。
ちなみにこのマスタングを操縦していたのは黒田大尉です。
彼はパイロット教育ため捕獲したマスタングを使い模擬戦闘を行っていました。
また彼はエアコンや後方警戒レーダーをも装備するマスタングを「素晴らしき敵機」と称していました。
黒江保彦少佐では?
結論だけ述べれば、元より日本には無理なエンジンだったと言うだけの話になってしまう。
最初から最後までエンジンに泣き、その次に基礎工業力に泣き、ついでに基礎技術力に泣き、挙げ句のはてにマスプロの為の量産技術にも泣くと言う始末。
現実的な視点を要求する側が持っていなかったのか、、、。
結果的に日本の工業力では空冷の方が現実的だったが、DB601のライセンス購入を決めた昭和13年の時点では7年後に飛行機がどこまで進化するか断言できる人などいなかったでしょう。数年後には液冷エンジンでなければお話にならないというような世界になっていたら取り返しが付かないから、取りあえず液冷もものにしておかなければ危ないってのは真っ当な判断だったと思いますが。
同じ米軍でも陸軍と海軍、陸軍でも戦闘機隊と爆撃機隊では評価が分かれており、
フィリピンや台湾で戦った海軍の連中や護衛戦闘機隊の連中は「もっとも食いやすいカモで七面鳥撃つより簡単に墜とせる」と評価していますが、
本土空襲で対戦したBー29の搭乗員は「Tony(飛燕)とジャック(雷電)は曲がりなりにもBー29の飛行高度まで到達出来る機体で油断のならない相手、特にTonyは数も多く、我々Bー29の本土空襲にとり一番厄介な相手」と評価され、米側の記録にも「日本本土防空戦では一番活躍した」と評されてます。
惜しむらくは液体継手式無段変速過給機の利点を活かして過給機を大型化して全開高度を高めにしておけばもっと活躍出来ましたね。
因みに飛燕の苦労は戦後DD51型ディーゼル機関車の液体変速機開発に活かされてます。
誰がなんと言おうが飛燕はかっこいい。異論は認める。
各務ケ原航空宇宙博物館だっけ?あそこの飛燕は素の銀色でなかなかカッコよかった
地元だなぁ~
自分も飛燕大好きです!
三式飛燕、四式疾風のころは良質な燃料が不足して100%性能が出なかったようだね。
せめて、万全の体制で送り出してやりたかった。かわいそう、申し訳なく思うよ。
四式戦はその状態で「高性能な新型がいる」という形で存在を認知させたからな・・・
まあ米兵の発言は比較対象が零戦や隼な上に
米軍は基本的に数で圧倒してること前提。
もったいない戦闘機。エンジン交換して五式戦に引き継がれる。
えきひやエンジンってボイスが、新鮮で気に入った。ダイムラーエンジンは日本の基礎工業力を遥かに超えた、マグネシュウム合金製だったから作れる訳が無かったんだよね。ドイツ人技術者を100人位日本に連れて来て指導を仰ぐ事をしなければ無理なオーパーツでしたね。ショウガナイヨ。
エンジンがもしDB601ではなく、製造がもう少し容易なユンカース ユモエンジンだったら…と考えてしまう。また、三式戦をドイツ空軍がまとまった数で運用したらどのような使い方や整備をしただろうか、など興味は尽きない。
そもそもエンジン製造に必要なニッケルが足りず耐久力不足。冷却液もエチレングリコールを作れず水で代用なんて設計なんだから、そんなものを使えと言われたらドイツ空軍ブチ切れるでしょう。
DBじゃなくてJUMOにした方が良かったという説もある。川崎もそんな感じだったらしい。
DB601をあちこち簡略化したハ40すら生産整備に悩まされていたのに、ハ140はいくらなんでも背伸びし過ぎましたね。機体設計自体はそう悪いものではなく、後に五式戦になって本領発揮。P51がマーリンエンジンを得て最強戦闘機になったように、エンジンさえどうにか、せめて稼働率がもうちょっとマシになっていたら…。
DB600系エンジンは精密さと気難しさからドイツでも物資不足が表面化した戦争後半からは稼働率の低下を招いてた
結局は飛燕(三式戦)より五式戦の方が優秀だったということか?。
五式戦闘機は熟練工が作ってストックしていた金星エンジン(ハ15)に飛燕の首なし機に搭載したので大戦末期に低高度においてはマスタングに対抗できる数少ない戦闘機。
結局、熱田エンジンと共通化できなかった理由は?双方の技術者集めて対策しなかったのかな?
それぞれが勝手に改良していって互換性が無くなったらしいですね。ハ40/140の余りの酷さに海軍の熱田使えないか検討したそうですが前記の理由で断念。
誰がなんと言おうとも俺は...俺は!
飛燕が好きだー!
飛燕を待ってた!
動画ありがとう。ああー✨飛燕🎉
愛知は生産数が少なかったし資金もそれなりにあったから必要なニッケルも供給マシだったし無茶なチューンしたハ140みたいな事もなかったからそこまでボロはでなかったんだろうね
川崎は基礎工業力の無さと予算、生産数等無茶しすぎたな。まともにコピーできるだけの能力が日本には無かった
飛燕がピエンに聞こえる🥺
飛燕の高高度性能の良さはそのグライダーのように細長い主翼に秘密がある。
川崎飛行機は昔から旋回上昇力、さらには揚抗比に注目しており、信念を貫いた主翼がその性能を発揮したのだと思う。
あの主翼のせいで軽快さが無くなったうえにダイブ特性もメッサーから比べたら悪くて改悪だった。はっきり言ってどこの需要で作ったのかわからないのが飛燕。上昇力なんかあの時期に必要ないのに勝手に作んなと
飛燕は他に無いスリムな形がいいよね
飛燕は Me109より美しいと思います。戦闘に使える性能も十分あり、それに合った戦法を取れば、かなりイケたようです。ただ南方での稼働率は チョット...。
メッサーシュミット製ですが博士が前に居たBFV社?時代に設計開始だったはずなのでBf109にわざわざされたんじゃありませんでしたっけ?飛燕は確かにメッサー君より美しいと思います
@@Aonata-channel 返信ありがとうございます。正式名は 「Messerschmitt Bf 109」で、「Bf」は 「Bayerische Fluzeugwerke(B.F.W.)=(英名Bavarian Aircraft Works)=(日名ババリアン《バイエルン》航空機 ワークス)」から来ていますが、B.F.W.が 7-11-1938をもってナチスに気に入られたDr. Willy Messerschmittがチェアマンの「Messerschmitt AG」として再編成されたため、Bf108タイフーンで始まったこの型式呼称は 軽偵察機Bf163で終わっています(Bf165は 計画のみ、又Me163は 全く別の機を指します)。多くのドイツパイロットと連合国は Bf109をMe109と呼んだ為、英語圏では「Me109」が一般的で、いきなり「Bf109」と書くと困惑を招きがちなので、正しい名で表現することは重要だと思っていますが、あえてこの場合はそうしています。ご了承を。
和製メッサーシュミット109
飛燕はそんな事言わない
陸軍が飛燕を継続生産性したのは12.7ミリとドイツ製マウザー20ミリ機関砲を装備していたため、エンジンが完調ならトルコン装備のスーパーチャージャーは無段階で過給でき細長い主翼もあって高高度性能も良かった。国産化した20ミリ機関砲は機首に装備したので命中率がよくB29迎撃できる数少ない戦闘機だった。
稼働率が悪かったから、五式戦となって復活した。
🥺