[迷列車で行こう]みんなで知る京阪電車part4 京阪沼の基礎!ヤヤコシヤ号卵型編 京阪に振り回され続けた2000系列…

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  • Опубликовано: 21 авг 2024
  • 4:36 後期型と前期型が逆になってます
    ※2200系、2400系は昇圧の際に多少の改造が施されました。
    2600系前面車掌台側窓の差異は改造時期の差のようです。
    訂正申し上げます。
    参考情報
    ・Wikipedia
    ・鉄道ピクトリアル10月増刊号
    ・その他Twitter、身内より
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Комментарии • 27

  • @user-qw3ds1tl8u
    @user-qw3ds1tl8u Год назад +10

    2000系
    平坦線用としては我が国で初めて回生制動を常用した車両。昭和30年代前半登場にして既に全車空気ばね台車なのは凄い。
    2000系列で唯一、先頭車が前パンであり且つスカートが付いていない。
    2200系
    京阪における国鉄103系みたいな存在。
    2400系
    京阪で初めて前照灯にシールドビームを採用。京阪線で菱形パンタを採用した最後の新造車。
    室内の天井は涼しそうなデザイン。
    2600系
    1900系亡き後の京阪で唯一、地上時代の天満橋駅に行った経験があるのが0番台の車体。
    30番台は京阪としては異例の放置プレイ状態。

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад

      教えていただきありがとうございます

    • @rhscm989
      @rhscm989 Год назад +2

      交野・宇治線に冷房車両が走り出したのは意外と遅く、2600系0番台化が進んでいた最中の1981年頃のことでした(それまでは1900系や2000系に限らず、初代1800系または当時の現役吊り掛け車両で賄っていた)。

  • @Yoshin-Sashizume
    @Yoshin-Sashizume Год назад +2

    昭和から平成に跨がる時代に京阪電車を通学で利用していて、朝は毎日京橋から同じ時間の普通電車に乗りましたが、決まって2000系列の6両編成でした。下校時に乗る電車は日によってまちまちで特急車以外は全系列にひととおり乗り、それぞれに特徴がありましたが、やはり2000系列が最も馴染みがありました。仰るとおり、乗り慣れてくると外観・内装ともに違いがわかってきましたが、側窓のサイズが幅広のものが一部にあり窓配置、車内レイアウトや乗車位置の違いにも表れました。あと、側窓の開閉が車外からも手軽にできる構造になっていたはずです。当時は当たり前にやってきたこの系列も当時と比較したら少数派となりましたが、愛着のある車両だけに少しでも長く走ってほしいです。

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад

      現在では2200系の初期更新車が絶滅、2600系0番台もわずかを残すのみで、2000系列の象徴でもあった骸骨はほぼ見れなくなってしまいましたね.
      2200系、2400系、2600系30番台も近いうちになくなってしまうのでしょうか

  • @nisitomo7170
    @nisitomo7170 Год назад +6

    車掌台側窓の差異は2600系への改造時期の違いによるものです。
    2000系1次車/2次車の差異は側面窓の数と形状にあります。

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад +1

      なるほど…書籍には2000系の製造時期の差異と書いてましたがそれは側面窓のことでしたか…
      ご指摘ありがとうございましす。

    • @user-fj4dh7mo7b
      @user-fj4dh7mo7b Год назад

      2000系1次車は換気ベンチレーターが左右2列で通風口は扇風機と別に付いていましたが、2次車は縦1列になり通風口は扇風機の周りに付いており、通風口から出た外気を直接扇風機で送る構造で、良く出来ていたと思います。2200系は改修時期による差異とは別にドアエンジンによる差異があります。前期車はエア音がなって少しして左右バラバラに動くタイプとエア音と同時に左右一緒に動作するタイプに分かれます。前期車の鴨居はほぼ垂直ですが、後期車の鴨居は上側が内傾しています。

  • @tomkarasawa6285
    @tomkarasawa6285 Год назад +3

    卵型車両の区別方法は、スーパーカーと呼ばれた加減速重視のオールM車が2000系、大量増備を前提にMT編成、直巻モーターに改めたのが2200系、その冷房車が2400系、昇圧後を考えた設計で界磁位相制御、回生ブレーキを備えた最終新造型が2630系です。で、その後、結局、2000系は昇圧改造工事を受け2600系になり、その際にMT編成化と界磁位相制御を備えた新品に走行部品を交換したという経緯になります。

  • @user-zm2ix3gj3f
    @user-zm2ix3gj3f Год назад +6

    2600系って、台車が23種類あったり、元々は2000系だったり、色々と2000系列すごいですね…

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад +1

      ほんと2600系はやばいです()
      しかもあれの沼に入るともれなく2000系と2200系がセットで付いてくるので…

    • @rhscm989
      @rhscm989 Год назад +1

      仰る通りです。
      2600系30番台28両は1981年川重製の純粋な新造車両。一方で2600系0番台103両は冷房化や昇圧対応改造が困難な2000系を1978年~1982年にかけて一度廃車扱いとして車体や台車を再利用(但し「改造」ではなく2代目700系→1000系(こちらは製造元の川重へいったん返送し、昇圧に対応した電装品への換装と冷房化を同時に実施)のように新規に車籍を用意する「代替新造」で、車内銘板プレートに「寝屋川工場 京阪電鉄 昭和53~57年」と記載されているのはそのため)し、さらに昇圧に対応した電装品に換装した上冷房化まで実施したグループのことを言います。過去には0番台と30番台の混成5または6連も多く見受けられました(そのために30番台だけで7連を組成した編成は1本しかなかった)。

    • @user-fj4dh7mo7b
      @user-fj4dh7mo7b Год назад

      京阪2600系は台車の種類のカオスのみならず、台車振替もカオスでした。汽車会社、川崎重工系は不評だったエコノミカル式KS63の置換えに30番代に使用されたKW37が使用され、6000系6012Fでダイレクトマウント短腕軸梁式KW66が採用された後、インダイレクトマウント版のKW69が使用され、揺れ枕式のKS58も置換えられました。住友金属工業系はFS337初期の置換えに6000系付随台車のSUミンデン式FS517の試験として、FS509が使用されました。後に初代3000系廃車時に余剰になったKS132を改造したKW79を30番代のFS399の置換えに使用し、余剰になったFS399は 0番代のFS337の置換えに使用され、揺れ枕式のFS327も置換えられました。中々トリッキーな事を実行していました。勿体無いのがKW69で、KW66より後に登場したのにKW66よりも先に淘汰されるという、2600系全体では長寿ですが台車単体としては短命に終わりました。その後の処遇が気になります。廃棄になるのか、叡山電鉄の台車振替に使用されるのか。他には・・・

  • @Mamenosuke467
    @Mamenosuke467 11 месяцев назад +1

    車体断面はJR東日本E231系と同じで裾絞りと車内が内傾して低重心化を図っています。現在は2600系30番台が一番新しい卵型車体ですが、あまり手を加えられていないため恐らく13000系増備、元3000系(サハ)の半端車の順次13000系に挿入によりこのまま廃車となる公算が出ている可能性も無きにしも非ずです。恐らく引退順序では2200系2400系2600系30番台となると思われます。最古参(と言っても車体更新から55年、車籍としては60年オーバー)な1000系も引退の兆しが見えてきそうです。

  • @jimmy-qu7tj
    @jimmy-qu7tj Год назад +3

    京阪の場合沿線の宅地化の宅地が狭くて人口密度が急激に上がったという事情がある。特に門真(現西三荘)から京都側が一気に進んだ事もある。
    あと2000系はあまり区間急行運用されなかった記憶の方が強くて淀屋橋(できた頃は天満橋)三条(深草(現龍谷大前深草))間の普通運用のイメージが強い。
    いつもついてるのは角型サボだったけど、二行に分けたのじゃなかった。(萱島、香里園、枚方市、樟葉行きの普通のサボは二行書きで裏面が区間急行だった)
    2600系はやめといた方がいい気がw 間10年抜けてるけど、京阪歴通算50年近い自分がまだ詳細を掴み切れずにいるからねw 沼るよwww

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад

      京阪2600は正直調べれば調べるほど相違点が出てくるので沼の固まりとしか言いようがない…w

    • @user-fj4dh7mo7b
      @user-fj4dh7mo7b Год назад

      京阪2000系現役時代はお子様でしたので昼間しか乗った事がなく、2000系以外は5〜6両編成で来るのに2000系は大体4両編成で、混んでいるイメージが有り、暖房はよく効いていた感じです。600系は反対に寒かったです。
      サボは確かに謎仕様ですね。普通は角サボで京都寄りは終着駅のみ書いてあり、全区間運転は三条、淀屋橋が表裏に書いていました。文字数の少ない三条がサボかけの凸側です。天満橋は黄色で恐らく到着ホームの関係でしょうか。大阪寄りの区間運転の普通は始発駅、終着駅を左右に書いていて、区間急行は恐らく同じ区間の普通と表裏に書いてあり、普通がサボかけの凸側だと思います。昔は区間急行は角サボの白地に下に赤字で急でしたが、後に角サボの白地に上に緑字で四角の中に区急になりました。急行は全区間運転は赤地に白字で真ん中に急、何故か三条、淀屋橋が左右に書いてあり、区間運転は白地に赤字で真ん中に急、始発駅、終着駅が黒字で左右に書いていました。準急は白地に青字で真ん中に準急、始発駅、終着駅が黒字で左右に書いていました。

  • @user-sx4gc3jv2p
    @user-sx4gc3jv2p Год назад +5

    🚃2400系は内装の化粧板(緑→ベージュ)取替えに加えて補助電源装置を大津線600形で採用されたSIV(静止インバータ)に取り替えてます(^_^)

  • @user-gb4ne7bg1y
    @user-gb4ne7bg1y Год назад +2

    京都市電とのダイヤモンドクロッシングでガタガタゴトゴト🎶何ヵ所も2000系が走るのは面白そうですね。

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад

      ですね♪
      面白そうです!

    • @jimmy-qu7tj
      @jimmy-qu7tj Год назад

      京都七条が終わっても伏見稲荷駅の大阪側という罠があるダイヤモンドクロス。
      まだ記憶の片隅にあるらしくて、たまになぜか近鉄の東花園の車庫とごっちゃになって夢に出るw
      それが終わっても昭和45年までは片町の大阪市電とのダイヤモンドクロスがあったw

  • @kidousya-
    @kidousya- Год назад +3

    1000系・700系・1900系・1300系・600系の解説よろしく!

    • @Yoshin-Sashizume
      @Yoshin-Sashizume Год назад

      1900系は3ヶ所の扉のうち中間扉が両開きの車両があり、変なの…と思っていたことがありましたが、のちに車両の歴史を聞いて納得しました。700系は側面が1000系と同じでしたが、前面に大きな2連の前照灯があった車両で高校受験の2日目の面接の帰り、(合格は)もらった❗と喜々とした心中で乗車した記憶があります。しかし入学後に乗った記憶はなくあとにも先にもその一度きりです。

  • @user-eq3gn1hj3q
    @user-eq3gn1hj3q Год назад

    丸ライトをムリクリにLEDライトにしなくていいのにね。

    • @KNT3220
      @KNT3220  Год назад

      ほんとそれな()

    • @user-fj4dh7mo7b
      @user-fj4dh7mo7b Год назад

      CO2削減に伴い白熱灯の製造規制がかかり、交換部品としてLEDライトにせざるを得ないという事情が有ります。