昭和46年夏の旅Vol 1羽越本線

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  • Опубликовано: 5 фев 2025
  • 昭和46年夏、東北~北海道を巡る20日間のSL撮影の旅に出た。時間はたっぷりあるがお金は無い旅は、今では考えられないハードなものであった。あれから50年経った今、当時の旅の記録を頼りに記憶を辿ってみた。
    今回は、7月9日の21:00発の「鳥海2号」で上野を出発し、撮影初日の羽越本線今川信号所を紹介します。
    初日からハードな一日だったことは何となく記憶に残っています。暑かった…
    #昭和40年代、#国鉄SL、#羽越本線、#C57、#今川信号所

Комментарии • 6

  • @mikion35
    @mikion35 3 года назад +3

    若さの特権。
    この時代に鉄道旅行ができた世代が羨ましいです。
    次回も期待しています。

    • @野村朗-i4s
      @野村朗-i4s  3 года назад +3

      コメントありがとうございます。
      小学校に入った頃から、毎月発売日を待ちかねて鉄道ファンを本屋さんに買いに行く子供でした。
      高校入学からは一人で旅にでるようになり、ちょうどSLが全国で消えるタイミングだったこともあり、夢中でやすみになると出かけていました。
      今回の旅はその最後のものです。あれだけ夢中になれたのは、それはそれで良かったんでしょうね……

  • @user-ce8qx5hg1t
    @user-ce8qx5hg1t 6 месяцев назад

    貴重な写真です。几帳面に管理されていますね。1号機ここで活躍していたのですね。山口線での運行と違い長い客レを引いて疾走しています。力強いです。昭和46年まだまだ蒸機が多かったですね。ありがとうございます♪

    • @野村朗-i4s
      @野村朗-i4s  6 месяцев назад

      コメント有り難うございます。c571は羽越線、磐越西線で最後の活躍をしていました。貴婦人と呼ばれるようですが、確かにスマートでバランスの良いスタイルでした…

  • @51ts20
    @51ts20 Год назад

    羽越本線は好きな路線でしたが、昔日の美観は消え失せたと思います。
    ここに限ったことではありませんが、昭和時代の羽越本線が素晴らしすぎたので
    しょうね。
    しかしその美観は人を楽しませるためのものではなく、過酷な生活環境の中で生きぬいた
    結果なのですね。
    棚田や水田は荒れ地や耕作放棄地になり、美しい海岸線を彩る見事な松の木はことごとく消失。そして太陽光発電のパネルという景色になるのも、超高齢化社会 人口減少、気候変動、長引く不況などの社会情勢では無理もないのでしょうね。
    45年ほど前の子供時代に、辛うじて輝きが残っていた東北地方の農山村と羽越本線の記憶があることが幸せだったと思います。

    • @野村朗-i4s
      @野村朗-i4s  Год назад +1

      そうですね。バブル崩壊以降は国としての勢いが一気に失われている感じですね。最近の国産旅客機の開発頓挫、ロケットの相次ぐ発射失敗、円安による国際競争力の低下など……情けない話ばかりですね。せめて鉄道だけは新幹線をはじめとしてこれからのリニアの開通で世界をリードして行って欲しいですね❗それにしても50年前は懐かしいですね。