【趙雲】三国志の主人公!武力ステータスMAXな上にイケメンで高身長で性格も最高で頭もキレるまさにチート武将!勇者ヒンメルのような完璧な男を【ゆっくり解説】
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- Опубликовано: 8 фев 2025
- 皆さんは三國無双したことありますか?
あのゲームの主人公と言えば・・・?劉備っぽいですよね?
マンガ「三国志」の主役も・・・劉備ですよね?
この趙雲の存在が無ければ劉備はなんど詰んでいたことか!
今回はそんな「三国志の裏主人公」ともいえる趙雲を紹介していきます!
ちなみに、出番は少な目ですが一騎当千の方の趙雲さん推しです🙄
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#ゆっくり歴史解説 #三国志 #趙雲
9割が演技からくるイメージでしかない気もするが
長年、蜀のために堅実に働いた人物であるとは思う
一番創作にみえる長坂のアレが正史なんが恐ろしい
張飛、夷陵の前に部下の裏切りで死んでない?
どの辺で三国志をベースとした物語の主役格に躍り出たのかが不思議なんよなぁ。
史実だと、劉備の生前は曹操軍で言う許褚、典韋のような護衛ポジションのようにも見えるが…。
晩年に宿将として人材枯渇状態の蜀を堅実に支えたからかなぁ
そんだけ荊州と夷陵で壊滅したのが致命的だった
ただしこの救出劇後々最大のやらかしになるとは誰が予想できたのだろうか…
イケメンスーパースター趙雲の活躍に秦檜が一言「莫須有」
趙雲については他者との比較で考えるべき
入蜀前は牙門将軍。この職のランクは不明。趙雲はこの職から翊軍将軍に遷り、魏延はこの職から鎮北将軍に遷っています。通常の将軍よりランクが低く、偏将軍や裨将軍に近いランクだったと推測できます。
当時の劉備陣営では、行裨将軍黄忠と同格。葭萌の留守司令官であった霍峻は中郎将。諸葛亮も龐統も中郎将。彼より上位の軍人は、盪寇将軍関羽と征虜将軍張飛のみ。この時点では最高幹部と言っていいでしょう。
入蜀後は翊軍将軍。この職のランクも例によって不明です。この時、劉備陣営の将軍は急増しています。
しかし、新たに将軍となった者は、賓客であったり(麋竺 ・ 孫乾 ・ 簡雍 ・ 伊籍など)、劉璋政権の最高級軍官たる中郎将であったり(李厳・呉壱)、劉表政権の高官であったり(黄忠)、劉備の股肱であったり(諸葛亮・法正)します。最高幹部のみが将軍を名乗ることを許されたのです。
劉璋政権下で郡太守を務めた董和は中郎将、劉備の養子劉封は中郎将、劉璋の娘婿費観は裨将軍、殊勲者の霍峻は裨将軍に留まっています。翊軍将軍のランクは不明ですが、董和・劉封・費観・霍峻らよりは確実に上なので、趙雲もやはり最高幹部の一角だったとみるべきでしょう。
漢中平定後も劉備即位後も、翊軍将軍のままです。同格だった黄忠は後将軍に昇進しました。格下だった魏延・黄権・劉封・鄧方(入蜀前は荊州従事、入蜀後は犍為属国都尉)らが将軍に昇進しています。しかし、この間に昇進しなかった将軍は他にもいます。安漢将軍麋竺は昇進しなかったにも関わらず、劉備に即位を勧めたメンバーの中では、許靖の次、諸葛亮の前、九卿の上位にあります。諸葛亮は漢中平定後は昇進しなかったものの、劉備即位直前には将軍のままで麋竺の次位、九卿の上位に置かれ、即位後は丞相に昇進しています。呉懿は劉備の姻戚ながら、221年に関中都督を加えられたのみで、将軍号は据え置きです。劉備政権の将軍は非常にランクが高く、九卿に伍するか上回る場合もありました。翊軍将軍趙雲がどうであったかはわかりません。足踏みしたとも考えられます。あるいは翊軍将軍が非常にランクの高い将軍号で、昇進しなくても上位に居続けたとも考えられます。
劉備死後は征南将軍・中護軍となり、鎮東将軍に遷っています。当時の蜀漢における四征・四鎮将軍は、遷任順序を見る限り、通常の将軍より一段上ですが左右前後将軍には及ばないようです。李厳が前将軍、 劉琰が後将軍に昇進しているので、それより下になります。鎮北将軍魏延、征西将軍陳到と同格です。李厳の驃騎将軍昇進は230年で、「李厳に亜ぐ」とされた劉琰もこの時に車騎将軍になったものと考えられます。諸葛亮は229年に右将軍から丞相に昇進しています。趙雲の死没は229年なので、この時点では左右前後将軍が蜀の最高級軍官です。敗戦の責により、趙雲は鎮東将軍から鎮軍将軍に降格されました。普通の将軍に格落ちです。しかしながら、蜀の鎮軍将軍は許靖や陳祇が兼帯した職で、それなりの格を持っているようです。趙雲は左右前後将軍に次ぐ格で、最高幹部の一角とみなすべきでしょう。
漢中平定後から劉備崩御までのランクは不明です。しかし、入蜀前から漢中平定前、劉禅即位から死に至るまでは、常に「最上級将軍の一段下」というポジションを維持していました。五本の指には入らないものの、十本の指には入ります。
陸自なら幕僚副長・教育訓練研究本部長・補給本部長、海自なら呉地方総監や舞鶴地方総監や大湊地方総監や幕僚副長、空自なら航空支援集団司令官や補給本部長や幕僚副長並みのランクです。陸自の「師団長を経験した陸将を充てる職」ですね。将の中でも上級の将。自衛隊で言うとそんな感じです
(阿斗を配下に放り投げ)「子はまた産めばよいが、よき忠臣はまず得られる事はない、そなたが無事で本当によかった。」
創作も多いけど、名前がもう主人公なんだよなw 彼がいなければ三國無双は生まれなかった。
5:57 実際は新野の町を焼いて民衆がついてこざるを得ない状況にして自分達の身を守る為に盾にしようとしたんだよね
死因が奥さんに針治療してもらってる時に、誤った箇所を刺されてしまい、それが化膿して亡くなったって話もあるみたいです。
趙雲が超有能である事は疑いの余地は無いが彼は1つだけミスを犯した
それは劉禅の命を2度も救った事だ!
いやまぁ劉禅くん言うほど悪い君主じゃないのでな(名君とは言わない
趙雲が人気あるのわかる
劉備軍を代表する「肉壁(ボディーガード)」
趙雲の実績がないって言ってる方もいるが劉備軍に合流してからは騎兵を率いて各地で活躍してるように思えるが
特に益州平定には功ありなんじゃない?
その割には趙雲の位は上がらず
5虎将軍の中では一部が低いです。
趙雲の有名な逸話ってほとんどが演義の話だし、史実だとそこまで大したことなかったのかもね
@@wedjo史実ではあまり活躍は書かれてませんね…
劉禅の代になると位も高くなってるので、関羽張飛等と比べ遅咲きだったのか、夷陵以後の人材不足が深刻だったのか、劉備に嫌われてたのか、劉禅が助けてもらった恩を感じていたのか。
@こおりあめ-n2d
蜀の人材不足は関羽の斬首以降は
深刻になり法正、馬良は短命でした
呉も陸遜はいたものの
呂蒙も短命で問題児も多く
天下なんか無理で魏の有利は
変わりませんでした。
まぁ…いぃ悪いはけっかなんだけど…呉夫人はその後も旦那さんを新たに迎えなかった。ってのがねー
へぇ…。
趙雲が甘夫人と阿斗を救出した流れって甘夫人が足手まといになるからって身を投げて、残った阿斗が劉備に叩きつけられる展開と違うのか。
アレは演技での話しか…。
奥さん井戸に身投げしてるだろ確か
秦が中華を統一する前、趙王が劉備みたいに家臣、特に李牧の意見を素直に取り入れていたら秦は滅ぼされていたかもね。天の時、地の利、人の和。全て揃えるのは大変だ😅
秦って戦国時代最強の国やぞ?
さすがに李牧だけに亡ぼされるなんてことはないでしょ
あんなちっさい韓が?
@wedjo そうですね。
@@秋田祐樹-p4h どこから韓出てきました?
趙雲は三国志演義で爆盛りに盛られに盛られた武将ですね。次の武将は劉邦、項羽、韓信あたりがいいです。
益州征圧戦辺りで劉備に嫌われたからじゃね?
でも諸葛亮には高い評価されてたから劉備没後はって感じ?
劉備といい劉邦といい妻と子を見捨てるの多いな
命をかけて救出した劉禅が暗愚だと趙雲も浮かばれないな
暗愚ちゃうと思うけどな
被害最小限で無条件降伏した有能
救出したあと「お前のせいで大切な将を失う所だった」的な事言って阿斗放り捨てるシーンあるでしょ?
打ちどころが悪くて阿斗→あほにジョブチェンジって説
つまりなんもかんも劉備が悪い
@@user-punisamurai あれ演義だけどね
部下に丸投げしてたとはいえ、劉備の死後30年以上国を保てたのだから、ガチ無能ではないと思う。
最後は降伏したけど、自分の愚かさに気付いて、劉家の血脈を保とうとした結果の降伏じゃない?
司馬炎の前で
「宴が楽しいので、故郷は恋しくありません」
と言ったらしいけど、わざと暗愚を演じて
「コイツは殺す価値が無い」
と思わせたのかも知れん。
趙雲の逸話っても演技で爆盛されてて実際の記述はほぼ無いからなぁ。
いや十分あるよ
博望で夏侯蘭を捕え、長坂で劉禅と甘夫人を救う、荊州攻略で功績があり桂陽太守に、孫夫人から劉禅を救う、入蜀で一軍を率いて、江州、江陽平定を平定し翔軍将軍、漢中で黄忠を救い曹操を撃退し北伐でも陽動の別働隊を率いた
彊摯壯猛、並作爪牙とあり親衛隊ではなく黄忠と同じ一軍を率いる将軍
趙雲「私、失敗しないので。」………尚息子は😅