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諸葛孔明の不幸は、漢初の蕭何、韓信、張良の役割を一人でこなそうとしたこと。安能務によると、それだけに集中していれば、蕭何は越えられたそうな。ただ、どこにも「張良がいなかった」ことで混乱が長引いた、と。
そんな完璧超人のモデルを孔明がして出師の表までして国是としてたのが不幸ですね。費禕が大黒柱になった時は「丞相すらできなかったら、なおさら我々ではできない」と北伐に慎重になり、逸る姜維に一万兵しかあたえませんでしたね
三國無双で法正が存命し夷陵の戦いで「倍返しだ!」と呉をコテンパンにするのが好き
許褚や厳顔など、いつの間にかいなくなってしまった人は他にもいるけど、その人たちの死因も知りたい。
関羽は龐徳を倒したが蜀滅亡時龐徳の子、龐会が関羽の一族を処刑してる。勝てば何でもありなのか、昔はよくある事と捉えるか。
相撲でも(先代)貴ノ花を引退に追い詰めた千代の富士が、その息子の貴花田(後の貴乃花)に敗れて引退に追い詰められた例もある。
正史では、魏延は魏に走ろうとは一言も言ってない。劉備に対する忠誠心は死ぬまで変わらなかった
とはいえ、裏切りと見なされて申し開きができないような事をしでかしたと陳寿も書いてるし、編纂された巻も劉封、李厳など主流派閥以外で亡くなった人扱いになってるのも把握しておきたいところです。
さすがに正史といえど当時の蜀の政権を悪くいうわけにはいかないので、魏延は悪く書かれたのでは?そもそも兵が「恥ずかしい」と言って逃げたならともかく、魏延も゙その兵も゙一旦撤退してしまうと国力的に北伐が成功することはできないと思って、命がけで進言したけど受け入れられなかったから野に下ったと考えるのが普通だと思います。
魏延と孔明では相性が悪かっただろう一方で劉備は人を見る目があったと思う
@@F-4EJ 魏延も楊儀も荊州出身で諸葛亮は徐州出身から荊州へ身を寄せた人。在地の有力者争いの面もあったのかな、と考えてます→相性の悪さ。それを結束してた劉備がすごい。
劉備に対してはね。蜀漢という国に対しての忠義でないから、楊儀と内輪揉めする行動に出たのは事実。明確な叛心はないにしても、総司令官の遺言に逆らって北伐継続主張したら謀反扱いはされると思う。
蜀は龐統、法正や第2世代のメンツが軒並み早死にしてしまったのがなぁ・・・
法正はマジで退場が早すぎたし、劉備こそ着いていく主と見込んで蜀を国として取ってしまうとかもう伏龍・鳳雛に匹敵するよ
結構無理して蜀を攻め取ったから、被害が大きい(更に言うと荊州閥自体も安定はしていなかった)、というシンプルな理由が主だから、割とどうしようもないと言うか…
登場時は馬超のオマケと思ってた馬岱実際は馬超の方が馬岱のオマケだったでござる
劉備軍団に加入したのも馬岱のほうが先の(同時ではない)ようだ劉備「馬超と申す者が我が軍に降りたいと…」馬岱「私の親戚に馬超と申す者がおります」馬岱「その者が馬超か否かを確認いたしましょうか?」劉備「うむ。馬岱、頼んだぞ。」
むむむ
@@Max889447 何がむむむだ!
@@iitoom8825実際、馬超が弔い合戦で曹操に完敗したあとの馬超軍の残党は散り散りになってたしな
劉禅の司馬昭との宴会のエピソードですが・・・曹操と劉備の「余と君だ!」の高難易度バージョンだったりします。この宴会の直前に姜維と鍾会が蜀で反乱を起こしており、しかも司馬昭を始めとした重臣一同が降伏した相手に宴会に誘うなんて普通、しません。そして「魏」は「反乱の疑いがある者は一族郎党、全員死刑」が当たり前。この状況で「故郷に帰りたい」なんて言ったら・・・。むしろ、劉禅のファインプレーと言って良いでしょう。
呉が残っている以上処刑は悪手では? 司馬昭はそんな愚かなことはしないと思います。
@@清水-m1p 賈充「知っているか?「理由」なんていくらでも「捏造」できるんだぞ?」司馬昭本人がしなくても、家臣団がね・・・(特に賈充は「独断で皇帝殺害」の実績あり)
実はこのエピソード、相手が司馬昭ではなく司馬炎の可能性が大。劉禅が蜀を離れ洛陽に着いたのは姜維の反乱が一段落した後、264年3月のこと。この頃の司馬昭は晋王即位、蜀の後始末と論功行賞、各制度の改革、呉への対応など多忙を極め、酒宴に出る時間は全く無かったでしょう。司馬昭は翌年になると病を患い8月には亡くなっています。このような状況なので顔を合わせる機会すら無かったでしょう。
私も同じ感想ですね17歳で劉備を亡くし、28歳くらいで孔明が亡くなり、その後もどんどん重鎮を亡くしそれでも計40年蜀を守り続けてるんですから。反旗を翻せば従う人達は多かっただろうし、また少しでも付け入るスキを見せれば元配下はどんどん処刑されていったことでしょう。その中で天寿を全うし、前の政権や権力者を悪し様に言う中国史で敵国の皇帝ならもっとひどい評価になって当然ですが、この程度の事しか言われていない。それほどの人物だった可能性もあると思いますし。失策の一つもあげず「あいつは凡愚!」ですよw
降伏後もイキり散らかしてる孫皓すら苦笑いで済ますぐらいには降伏者に甘い魏晋にそんな猿芝居する必要ないんだよなぁそれに劉禅はこの時懐かしむフリぐらいはしましょうよと進言した郤正を評価するのが遅かったと漏らしてるので猿芝居説がマジなら余計なお世話に当たるので再評価しないだろうよ
横山先生て顔のパターンが男女合わせても3つぐらいしか無いよな。それで数千年の歴史を描いてしまうんだから巨匠としか言いようがない
高橋留美子、あだち充、高橋陽一、さいとう・たかを等みんな巨匠
ゆで先生には読者からのアイデアがある。キャラデザで、すごいアドバンテージだと思う。
龐統と法正が早死にしたから軍事、政治全て諸葛亮に任せる事になってしまった為、諸葛亮も体を壊してしまって50代で死んでしまうのがなぁ。せめてどっちかが死ななかったら蜀はまだマシだったろうなぁ
龐統はスパイだからいらないでしょ
龐統が生き残っていれば仕事もストレスも半分以下で済んだでしょうね。孔明にとって「劉備がトップで関羽と張飛が戦闘の主軸、自分と龐統で政治と戦略」ってメインを考えてただろうから龐統の死で早々に理想が壊れてしまったんだよなぁ
龐統が死ななければ、呉とのネットワークも強かったし、そうすると関羽の死や夷陵の戦いがなくなってたかもというifは夢がありますね
仕事を全部自分でやってしまう人…上司、ましてや宰相には向いてないよなあ😢
本来法正が軍師的立ち位置なんよなぁ諸葛亮は知識はあってもそれを法正並に活かすことが出来ないからこそ法正を重用しようとしたんよ傍若無人で悪事を行っても劉備や諸葛亮も黙認してたのはそれだけの才があったからだからね軍事に殆ど出てない諸葛亮が机上論だけで軍事を行った結果馬謖のやらかしにも繋がってしまってるそもそも周瑜魯粛両名の構築した二分の計を無理やり改変した三分の計にしてるあたりがもうね…
趙雲が他の4人より役職が下だったのは、劉備が「傍に置きたい」と思った現れだと思っています武将としてのトータルバランスは違いますが、曹操が許褚を近衛兵としていたのに近い扱いだと思っています
近衛兵的役割だと、戦場での活躍限られてしまいますもんね※主(劉備)が出陣しないと戦場の前線に行けない
というよりも、元々の身分も影響していると思う。馬超と黄忠は劉備に帰順する前劉備と同格だったのを頼んで来てもらったから、武官の最高位にせざるを得ない。関羽と張飛は一門衆に近い存在。張飛は皇太子の義理の父で縁戚関係にもある。関羽は配下でなく同盟者でそれ故、孔明も扱いに困っていた説も存在する大物。その4人と趙雲が同格になるのはあり得ない話。正史が関張馬黄趙伝となっていたのは、劉備の死後に趙雲が孔明に重用され、武官筆頭の地位に魏延とともに昇進し、しかも魏延が後に謀反人扱いになったために2代目の時代の武官筆頭と陳寿にも認識されていたからだろう。
@@hymn13 三国志の話は、どこまでが真実かはわからないけど、近衛兵的役割なはずなのに益州攻略時に同行していなかったのは個人的には謎です。
@@1win1win1なんだかんだウン千年前の事ですしね今現在の事象ですら明らかにされてない事もありますし、ましてや…と🤔
許褚は統率力なさ過ぎて将軍なんて務まらないからでしょう
横山先生の張飛は、豚っぽくなくて好き。孔明は、横山先生の孔明以外考えられなくなってしまった。 本当はジャイアント馬場みたいな感じらしい。ただ、眼光はめちゃ「賢い」っていう感じの眼光らしい。
劉禅といい、今川氏真といい、情けない書かかれ方をしているが、実際は、普通の人だったと思うよ。超人の中に有ったら俗人ならこんなものてしょう。 6:03
今川氏真も自らの句で悔いていましたが、乱世の時代に生まれてしまったのが何よりの罪なんでしょうね。
真戦でどのキャラだろうと思ったら画像そのままでうれc
やっぱりいつの時代になっても三国志は面白いね、もちろん大半創作だからこそだけど実によくできた物語になったよでも三国志の英傑達の最期よりも作者の横山先生の最期こそ残念過ぎる
昔みたドラマで司馬昭の死因は劉禅に笑死させられたというものだった劉禅は見事故国の復讐をした優秀な主君なのかもしれない
劉禅腹踊りしてそう
孔明没後の明らかに人手不足で王平馬岱夏侯覇姜維あたりが大活躍するのがどこか切なくて好き
確かに、諸葛亮が天寿を全うできてたら、多分あまり上に行けない人達ですもんね。ちょっと能力が足りてなかったりクセが強かったりで帯に短く襷に長い。
@@大原裕信稀代の逸材だった孔明と他を比べたらダメだろ姜維、夏候覇は孔明の死んだあとの蜀を長年守っただけ充分に逸材よただ、孔明の死んだあとは本当に司馬懿一族の一強だし、司馬炎が中華統一したけど三国鼎立時代のバランスの均衡を崩したのを気付かなかったから最悪の時代になってしまったけどさ…
姜維はまだ趙雲と互角に戦えるほどの豪傑だけど、張飛に軽くあしらわれた馬岱…豪傑には見えない王平が武の中核というのはなぁ😅武のレベルが下がってしまったとしか言いようがない
馬岱は正史ではほとんど記録がなく(立伝すらない)、牛金に斬られたとか牛金に敗れた後に敗戦の責(死刑など)から逃れるべく羌族の地域に亡命した説もある。
@@tikokun 姜維はあの状況でよく頑張ったと思います。
何をしたかはほぼ何も残ってない最も良し
乱世だから、優秀さは脆弱さにもつながり結果、功績も少なめになるのでしょうね
許褚や厳顔など、いつの間にかいなくなってしまった人は他にもいるので、その人たちの最期がどうだったかも知りたい。
宴会の場でもしも劉禅が周りの家臣と同じように泣いてたら多分殺されていたのではないかと思う。
どうも劉禅は暗愚を演じていたらしいですね呉と比較して、蜀はなんだかんだ国内で内紛はなかったのでまとまっていたと思う
鼻毛を伸ばしてた加賀の殿様と同じだと思います父と同じような軍人になるんだ、と自己鍛練熱心だったナポレオンの息子は根強い暗殺説もありますし後主はよく頑張ったと思いますよ
保身の天才
@@ホーエンジョージ 蜀・・・なんだかんだ最後まで国として機能してた呉・・・孫権の晩年から内紛しまくり最後は暴君による暴政の嵐魏・・・蜀に侵攻する時には既に司馬一族に乗っ取られてた。呉に侵攻前には晋になってた。一番まともまでありますよね
幕末の長州の毛利氏は藩士が何を提言しても「そうせい、そうせい」と言ったのでそうせい候というあだ名を付けられ、また、「余はいつ将軍になるのかな?」と発言し、周囲から呆れられたという話がありますが、明治になってから、「あの時、そうせいと言わなければ、左幕派、攘夷派、どちらからも切り殺されていたわ。」と回顧したという話があり、劉禅も同じではないかと思います。劉禅は警戒されると臣下の命も関係していたから、余計人畜無害の振りが必要だったのではないかと。
劉封はなぁ……あれでもかなり頑張ってた忠臣なのに……って感じ。劉封を処刑しちゃったらそら人材なんて出てこなくなるわ。落ち度はあれでも本人だけの責任か?と聞かれたら全然違うしね
とはいえ劉備が没したらかなりめんどくさい存在にはなりそう
@@matukawatositane あー………確かに。元々派閥争いの激しい陸の孤島に劉封1人残されても無理………いや、ひょっとしたらマシになる未来があるのだろうか?正直、諸葛亮やら関羽やら龐統やらは考えてたけど劉封パターンは考えて無かったな……ひょっとしたら上手く行くパターンも?個人的には少し能力不足なだけで信用は出来る人物ではあるって評価
@@matukawatositane劉禅がいる限り、良くて劉備が存命の時だけしか重用されないだろうな…でも劉封は父親の劉表の言い付けを守って、劉備を第二の父と慕ってたし、劉備が蜀を起こす前の長坂橋では絶対絶命の劉備軍を救援の為に船を用意するような人としては一流だったのに最後は数にビビって関羽を見殺しにしてしまったのがあまりに惜しい
@@tikokunせつこそれりゅうき混じっとる
劉禅の宴会でのエピソードはとぼけ半分、天然半分だったのではないかと思いますね。故郷に未練があるみたいなことを言ったら下手すりゃ、反乱を企んでると思われかねないし
姜維が鐘会を焚き付けて謀反を起こそうとして失敗したしたしね。仮に劉禅自身になにか思惑があったにしろそんな前例があったら常に監視されるだろうというのは予測出来るし。むしろ姜維の防衛ラインが突破された上に諸葛亮の息子が破れるまで降伏を我慢しいてたぐらいだもんね、成都まで迫られて援軍が期待出来ない(姜維は鐘会に釘付け、呉から援軍があるにしろ距離がありすぎる)状況での降伏なんだからギリギリまで降伏を耐えてた方なんだよね
父、劉備が曹操の前で雷にビビったエピソードを考えると、親子でわざとってのもありそうではある。
劉禅は軍人や国王に向かなかっただけで晩年は文化人として歴史に残る逸材にはなれたからねでもやはり、劉禅は残念過ぎる…名臣の趙雲が長坂橋で助けた価値が無いもん
@@モチネバール蜀滅亡時、姜維の居た金閣は防衛されてたのよ鄧艾が姜維がいる以上金閣は突破不可と諦めて隧道を作ったことで金閣は無視されてしまったからね…姜維は蜀の劉禅が降伏した知らせを知る事もなく滅亡した後も1ヶ月以上の間、金閣を僅かな食料と負傷兵で守り抜いたのよな姜維は蜀に身寄りはいなかったし、先祖からの土地でも無いのに蜀に尽くしたのは名臣だと思う
@@tikokunそんな劉禅よりももっと向いてないのが呉の孫休、孫晧だからなまだマシだよ
横山三国志の法正は、孔明とは別に独自に判断して行動させても良さそうなくらいに思えるほどの才がありそうですね。
7:15 この時、張飛に56されなくてよかった…というか逃げたからこそ後年に武の中核になれた21:43 やっぱ馬超かっこいいな…横山三國志31巻の父と弟を曹操に56された事を馬岱に知らされた時の慟哭は超名シーン😭
劉禅を裏切った奴は一人もいなかったし、孔明に韓非子を読んで勉強するように言われるぐらい、いい人だったんだろう。
悪政を敷いてた訳じゃないからだろうし、劉備からの代の将兵が多かったのも大きいかもな
横山三国志では劉封って、孟達の降伏勧告文を引きちぎっていたんだよね……。
漢が滅亡してから40年国として機能した国蜀か中国の王朝では珍しい位置にあるのが一番の特徴だな春秋戦国時代の激戦地が中央だっただけにね日本で例えるなら東北で挙兵したようなもんだ
巴蜀は劉備が入蜀した当初から若い世代の人が多くなかった事で孔明は「蜀で天下を取るには時間が掛かるかも知れない」と見誤った話もあるしな北伐開始までに孔明は年月を掛けて将兵の増加の為に内政を施したけど、それをしたことでさらに三国時代の終焉期は今の日本のようになってしまっているのよな
蜀は本当に良い人材は揃ってるんだけど何故か色々な事が起きて消えちゃうんだよね~。腰が落ち着かないと言うか何と言うか。上手く全員が長寿だったりアクシデントが無く全員が存命・存在だったら面白かったかも。関羽も荊州も失わず龐統も死なず夷陵の戦いも起きずってなってたら・・・。う~ん、でもやっぱり歴史は変わらなかったのかもね~。歴史好きとしては気になるけどwww
劉備軍は龐統を失った時点で孔明の負担が大き過ぎるけど、龐統が劉備と馬を替えて無かったら劉備は蜀を起こす前に死んでただろうな
歳を取るにつれ、劉禅が無能というわけではなかったような気がしてならないもし蜀に未練があるような気配を見せたら、劉漢復興の反乱の象徴とされる恐れ有りとして処刑されてしまったかもしれない
劉備…我…守ルのイメージしかないなw魏延さん
勉強になります。
蜀・劉備ー寵統ー法正荊州・関羽ー孔明ー馬良この布陣で治めてれば、良かったけど😢
晩年の関羽は孔明の考え方すら軽く見ていたから果たして…
周瑜、魯粛、呂蒙、法正曹操と正面から戦った軍師は全員早死それだけ曹操と戦う精神的肉体的負荷はケタ外れのストレスだったということ
野球でいえばドラフト一位で馬超を引き当てたがあまり活躍しなくて下位で指名した馬岱が4番打者になるほど大化けしたって感じだよね馬岱が大活躍するのを見ると本来なら馬超がこれくらいの活躍をするはずだったのになぁと思ってしまうまあ馬超の性格だとあそこまで孔明に信頼されたか微妙だけども
正史では馬岱はほとんど記述がない(そもそも立伝されていない)劉備軍団に加入したのも馬岱のほうが先だったようだ
馬超は幸運の置き物的に居るだけで価値があるからFAで入ってきた超一流の成績だった37歳の選手くらいの感覚
それでも漢中の太守になれなかった馬超と涼州刺史になれなかった馬岱(地理に詳しいはずなのに…)※いずれも他所者の魏延(荊州人)が就任した
馬岱は謎で良いのよ。多分、馬超という狂人の悪行のツケが孔明死後の羌族や氐族の離反の連鎖という形で現れて、その尻拭いの一つに牛金に敗けて撤退した散関攻めがあったのかな、と考えるとなんかしっくりくる気がするのは俺だけ?
馬岱は牛金に斬られたとも斬られずに処罰(斬首)を恐れて氐族の地域に逃げこんだとも言われている
サンダイオーのエピソードは初めて知ったエレパス込めてしまいそうだ
諸葛亮は魏延を焼き殺そうとしてないし魏延は魏に降伏する気もなかったしさすがにちょっとかわいそう
諸葛亮の遺言にも「諸葛亮の死後は魏延を中心に北伐を続けながら(諸葛亮の)遺体を成都まで運べ」とあり「遺体が成都に到着しても引き上げの合図を送らぬよう陛下(劉禅)あての手紙を添えている」としていたようだ
見ごたえのある動画だった。関羽と張飛は逆方向に悪いとこがあったんだなぁ
蜀が大好きなので、歴史がひっくり返る大発見起きて欲しい
19:02・・・この絵の横山光輝コミックでは、孔明の占いを聞いたことから功を焦って進軍、途中で馬が暴れて落馬した為劉備が自分の馬を与えた。更にその後の進軍中にいったん軍を止め、その場所の地名が落鳳披と聞いて不吉さに戦慄したところ待ち受けていた劉璋軍の矢の一斉射撃を浴びせられて戦死した。しかし、NHK人形劇とThreeKingdomでは、なんと劉備の危機を察してわざと劉備の馬を借りて先行し身代わりになるという選択をした結果こうなった、と描かれている。
劉禅の顔、斎藤清六を思い出すなあ
劉封はね、かなり勿体無い武将だと思うのですが・・・経験を積んだなら、馬岱クラスの人物になれたのでは?と、思ってます。
劉封が生きていたら・・・そうなると後継者争いで、袁紹家、魏や呉みたいなことになっていた気もする。蜀の中で劉禅派・劉封派に別れて内紛していたら、もっと早く蜀は滅亡していたかもね。劉備との親子関係ではなく、一武将としてなら、色々と活躍の場はあったんだろうな。
@@1win1win1 確かに、御家騒動の元の可能性は在りますが、基本的に彼は養子なので、古参の配下は従わないし、新参配下達も出自が低い劉封を主君に、とは言えないかと。又、彼自身もかなり節度を持った人物で、あの関羽が悪く言った事が少ないってダケでも合格点かと思いますよ?武勇については合格点を出していたみたいですから。まぁ、単なる青二才扱いしていた可能性も有りますけどww。とは言え、忠誠心も高目で、郡太守を勤められる程度の能力は有ったかと思えるので、やはり勿体無い人物でしたね。
馬岱は正史に立伝されていない上他の臣の伝にも記述がほとんどない
そもそも論としては、ただの平和主義者だったんじゃないかと思う部分がある
主さんの動画ファンとして僭越ながら注文つけたい風呂敷がいつも大き過ぎでは?15人じゃTOPの意味も視聴者の興味も尽きてしまうしテーマがぼやけてしまう時間軸でディテールを拾えば5人紹介でも充分尺は取れるし面白くなると思うのですがタイトルもサムネもテーマも横山画からのコマの選択も良いんだからあれもこれもでインパクトか薄くなるのは勿体ない貴ガス
馬良、馬謖に知名度負けてるかな…「白眉」って「泣いて馬謖を斬る」よりずっと常用されてると思うけど
タイトルが狙いすぎてるなぁ…季漢の諸将は良いも悪いもしっかりと全うしてるじゃないか人生を
それだけ早死にが多いと蜀の辺りは謎のウイルスとかありそう
劉封が劉備の跡を継いでいたら、蜀はどうなっていただろう?
劉禅については無双のエンディングが的を得てますね。「過去の英雄たちにいつまでも引きずられることがなくなったので肩の荷が下りた気分。今の時代は今を生きる人たちのためにあるのだから」といった感じの内容だったと思います。無能ほど過去の栄光だけを見ているものですから、あの激動の時代において自分の実力を知っていて暗愚を演じたものだと私も思います。あのままだったら蜀は物理的に滅亡していたことでしょう。
脚本書いた人の想像だけどね。劉禅が凄いのではなくそう思わせる様な脚本を書いた人が凄い
やっぱ兄より優れた弟はいないんだねぇ
馬謖の為にあるような言葉やな
李邈「せやろか?」
凌統を取り上げて下さい
劉禅は、横山光輝では怠け者扱いされていたが、降伏して、無闇に血を流さなかったとしてもっと評価されるべき
演技って小説であって歴史書じゃないんだから、演技ベースでやるならあくまでも小説内での物語ですって最初につけとくべきでは?
正史(とされてる物)だって半分小説みたいなもんだろネットどころか紙も碌に無い様な時代の話、正確に残ってるわけない
張苞の民間伝承すげえな桃園のころに赤ん坊って・・張飛が30代のとき誘拐した夏侯淵の娘の子でないの?イケメンの文官で病死したのが史実でしたっけ?
演義の劉禅には同情する。赤子の時分に劉備に投げられた件、自分がいるのに来た劉封の存在etc……。常々美談の犠牲者であったと思う。
劉琰が一番残念じゃないかな?呉太后の招きで一泊した妻を劉禅との密会を疑ってヤキを入れたら怒った劉禅に斬首を言い渡された。このエピソードは劉禅の暗愚さを示すつもりが不敬を働いたらこうなるのも当たり前かと
フォーカスする所が面白くてこのch好きだな。あと横山先生の画力には呆気に取られる。笑うし慄然ともする。
まあこうなりますよね、本人は「不.倫した妻をこらしめたつもり」だろうけれどもあくまで一方的な思い込みで本当に"つもり"な上に仮にも皇帝が不倫をしたと普通に不敬な上に不名誉なレッテル張りを他人にしたんだから怒りも買います。まして劉禅は奥さんが好きすぎて奥さんが早くに無くなると奥さんの面影を求めてか奥さんの妹を次の妻にするぐらいの愛妻家でしたし
なんか姜維の人生勿体なすぎるなぁ。
孔明と関羽、龐統と張飛のコンビが最適過ぎて龐統の死後孔明が引き抜かれたのは関羽にとっても劉備にとっても不幸でしかありません。
孔明が信頼していたのは趙雲でしょ。関羽はむしろ煙たい存在だったはず。劉備の存命時に孔明に軍権がほぼなく、文官のトップ状態だったのは関羽の存在が影響しているだろうし。
少なくとも関羽,張飛,糜竺,簡雍は諸葛亮より目上。
劉禅については状況的に仕方なかっただろうと個人的には思います。聡明であるかどうかはともかくあの状況で諫めだす部下の方が悪いんじゃないかな・・・。
馬超は五虎将軍の中でも圧倒的に実績不足なんだけど、漫画にしろゲームにしろ格好良く描かれすぎ
その影響で一番かっこいいイメージあるもん
蜀に落ち着くまでにやってきた事を考えると結構な狂人だと思う。
劉禅のあれは、身を守るためとしても、自分のことしか考えてなかったってことで、擁護しようないんよね
敵を欺くために馬鹿を演じたと言うなら司馬懿も後にやっている
孔明は魏延を焼き殺す寸前だったよね。それを魏延が恨んでいた記憶。そもそも人相だけで孔明に目の敵にされてたのが気の毒。もし魏延の作戦が採用されていたらどういう結果だったか知りたい。
簡雍「あれ、僕は・・・?」
劉備が挙兵した当初からいたのに特に言われない人
劉備のことを最も知ってる人物なのになぜか横山三國志には未登場。しかも簡雍に子息いたのかは一切触れてない
劉璋を降伏させるという大任を果たした重要人物なんだけどねぇそれが劉備軍初期メンバーの1人というのもミソ
糜竺、孫乾、簡雍
廖化や張翼の最期はどうだったのだろうか。
演義では張翼は姜維と共に死亡廖化は正史では、劉禅と共に洛陽に移動中に病死しているようですね。
なるほどー。 私が読んだ漫画や小説では、そこまで描かれていなかったので気になっていました。 ありがとうございます。
降伏後も蜀を復興できなかったことが劉禅が聡明でなかった証。バカなふりしてる説あるけど、バカのまま終わったらそれはふりでも、ホンモノになる。
蜀復興よりこのまま中華統一を望んだと違うんか?
@@石塚大吾-s2g 史実にあったことを自信満々で言うな笑
法正は曹操も欲しがった人材だしな。
賈詡と並ぶ数少ない関西系(函谷関以西)の軍師
長生きさせるなら法正一択やなぁ
さらっと出てきてるけど廖化の寿命って現代人より長くね?そんなことある?調べてくれー
そもそも前半生の元黄巾がウソだし
本当に黄巾賊のメンバーだったら三国志の最長老だ
廖化は複数の人がモデルだからねぇ…
歌舞伎みたいに子が親の名前を襲名していたのかも。三國志当時で120歳はあり得ない。
@@匿名希望-d6r 黄巾賊時代が10代の少年だったとしても蜀滅亡時で90代司馬懿の弟である司馬孚(180~272)が数え93歳の長寿だったので90代なら当時でも長命だったはなくはない
歴史のチャンネルなのに演義とかもう…
劉禅=岸田文雄
人の最期なんて大したものじゃないだろうけど劉禅はあまりに。。二代目はダメの典型例すね、、
王平は?
馬岱は全然残念過ぎる最期ではないでしょ、そもそも最期について記述が無いのに。馬良や黄忠も、途中で見るのやめた。
馬岱は牛金に斬られた説や楊儀の不祥事に連座して処刑された説などもあるようだ
@@iitoom8825 牛金に敗れた後氐に逃亡したという説もあるそうですねそれ以降史書に名前が出てこない理由の1つになってるとか
涼州刺史も自分(馬岱)が就くものだと思ったいた(?)のに他所者の魏延(荊州人)が就いてしまったものだから楊儀と組んで魏延を除去しようと考えていたかもしれません
48時間過ぎている
戦争狂いの諸葛亮を重用した事が問題です。弱国は同盟を重視し国力充実させるのが当たり前です
劉備の遺言にもある「劉禅がボンクラなら諸葛亮が国政を執れ」は諸葛亮の富国能力をもって国内を充実させることで中華大陸の天下布武のことではありません
呉との同盟を重く見ていたからこその「天下三分の計」だし、関羽が勝手な行動をして魏と呉に荊州を奪われた事で呉との同盟に軋轢ができたけど、孔明は呉と戦ってはいけないと忠告していた側だし、入蜀してからの将にも呉との対立は反対されていたのが事実だしな
趙雲が長坂の戦いで幼い劉禅を助けなかったら蜀も延命できたのに😅
横山三國志の別冊(三国志辞典だったか、おもしろゼミナールだったか忘れた)のすごろくの中で「趙雲が阿斗を助けたから1回休み」というのがあった気がする。劉禅が蜀の滅亡に絡んだからなんだろうけど、趙雲にとっての最高のエピソードなはずなのに「1回休み」には笑ったわ。
趙雲「半世紀後の事まで知らんわ・・・・」
いうほど馬岱って活躍したか?
正史には立伝されていない上他伝(馬騰,馬超,劉備,諸葛亮など)にも記述がない
馬良は別に残念じゃないのでは……?(曹操はいぶかしんだ)
馬良は七哲の中でも優秀な逸材として荊州では知らない人がいないと言われたという話もあるしな。孔明は劉備から弟子には馬謖より馬良の方を勧められていたという話もあるしな最後は夷陵で劉備を燃える本陣から助ける為に玉砕だからねぇ…
劉禅の宴会でもし涙を流して蜀を憂う言葉を残していたら劉禅はおろか元家臣にも謀反の疑いがずっと付きまとうことになった。無能の暗君が最後まで兵に慕われただろうか。姜維が蜀を再興するために討ち死に反乱を起こしただろうか。少し考えればわかることだろうに。
どう考えても諸葛亮が怪しい。自身の地位を揺しそうな者を陥れているとしか思えない。
演技をもとに語るな
じゃあ君がちゃんとした解説動画出してよ
劉禅は暗愚だった?暗愚を装っていたから天寿をまっとう出来た気がする
諸葛孔明の不幸は、漢初の蕭何、韓信、張良の役割を一人でこなそうとしたこと。安能務によると、それだけに集中していれば、蕭何は越えられたそうな。ただ、どこにも「張良がいなかった」ことで混乱が長引いた、と。
そんな完璧超人のモデルを孔明がして出師の表までして国是としてたのが不幸ですね。費禕が大黒柱になった時は「丞相すらできなかったら、なおさら我々ではできない」と北伐に慎重になり、逸る姜維に一万兵しかあたえませんでしたね
三國無双で法正が存命し夷陵の戦いで「倍返しだ!」と呉をコテンパンにするのが好き
許褚や厳顔など、いつの間にかいなくなってしまった人は他にもいるけど、その人たちの死因も知りたい。
関羽は龐徳を倒したが蜀滅亡時龐徳の子、龐会が関羽の一族を処刑してる。
勝てば何でもありなのか、昔はよくある事と捉えるか。
相撲でも
(先代)貴ノ花を引退に追い詰めた千代の富士が、
その息子の貴花田(後の貴乃花)に敗れて引退に追い詰められた例もある。
正史では、魏延は魏に走ろうとは一言も言ってない。
劉備に対する忠誠心は死ぬまで変わらなかった
とはいえ、裏切りと見なされて申し開きができないような事をしでかしたと陳寿も書いてるし、編纂された巻も劉封、李厳など主流派閥以外で亡くなった人扱いになってるのも把握しておきたいところです。
さすがに正史といえど当時の蜀の政権を悪くいうわけにはいかないので、魏延は悪く書かれたのでは?
そもそも兵が「恥ずかしい」と言って逃げたならともかく、魏延も゙その兵も゙一旦撤退してしまうと国力的に北伐が成功することはできないと思って、命がけで進言したけど受け入れられなかったから野に下ったと考えるのが普通だと思います。
魏延と孔明では相性が悪かっただろう
一方で劉備は人を見る目があったと思う
@@F-4EJ 魏延も楊儀も荊州出身で諸葛亮は徐州出身から荊州へ身を寄せた人。在地の有力者争いの面もあったのかな、と考えてます→相性の悪さ。それを結束してた劉備がすごい。
劉備に対してはね。
蜀漢という国に対しての忠義でないから、楊儀と内輪揉めする行動に出たのは事実。
明確な叛心はないにしても、総司令官の遺言に逆らって北伐継続主張したら謀反扱いはされると思う。
蜀は龐統、法正や第2世代のメンツが軒並み早死にしてしまったのがなぁ・・・
法正はマジで退場が早すぎたし、劉備こそ着いていく主と見込んで蜀を国として取ってしまうとかもう伏龍・鳳雛に匹敵するよ
結構無理して蜀を攻め取ったから、被害が大きい(更に言うと荊州閥自体も安定はしていなかった)、というシンプルな理由が主だから、割とどうしようもないと言うか…
登場時は馬超のオマケと思ってた馬岱
実際は馬超の方が馬岱のオマケだったでござる
劉備軍団に加入したのも
馬岱のほうが先の(同時ではない)ようだ
劉備「馬超と申す者が我が軍に降りたいと…」
馬岱「私の親戚に馬超と申す者がおります」
馬岱「その者が馬超か否かを確認いたしましょうか?」
劉備「うむ。馬岱、頼んだぞ。」
むむむ
@@Max889447 何がむむむだ!
@@Max889447 何がむむむだ!
@@iitoom8825
実際、馬超が弔い合戦で曹操に完敗したあとの馬超軍の残党は散り散りになってたしな
劉禅の司馬昭との宴会のエピソードですが・・・曹操と劉備の「余と君だ!」の高難易度バージョンだったりします。
この宴会の直前に姜維と鍾会が蜀で反乱を起こしており、しかも司馬昭を始めとした重臣一同が降伏した相手に宴会に誘うなんて普通、しません。
そして「魏」は「反乱の疑いがある者は一族郎党、全員死刑」が当たり前。
この状況で「故郷に帰りたい」なんて言ったら・・・。むしろ、劉禅のファインプレーと言って良いでしょう。
呉が残っている以上処刑は悪手では? 司馬昭はそんな愚かなことはしないと思います。
@@清水-m1p 賈充「知っているか?「理由」なんていくらでも「捏造」できるんだぞ?」
司馬昭本人がしなくても、家臣団がね・・・(特に賈充は「独断で皇帝殺害」の実績あり)
実はこのエピソード、相手が司馬昭ではなく司馬炎の可能性が大。
劉禅が蜀を離れ洛陽に着いたのは姜維の反乱が一段落した後、264年3月のこと。
この頃の司馬昭は晋王即位、蜀の後始末と論功行賞、各制度の改革、呉への対応など多忙を極め、酒宴に出る時間は全く無かったでしょう。
司馬昭は翌年になると病を患い8月には亡くなっています。このような状況なので顔を合わせる機会すら無かったでしょう。
私も同じ感想ですね
17歳で劉備を亡くし、28歳くらいで孔明が亡くなり、その後もどんどん重鎮を亡くしそれでも計40年蜀を守り続けてるんですから。
反旗を翻せば従う人達は多かっただろうし、また少しでも付け入るスキを見せれば元配下はどんどん処刑されていったことでしょう。
その中で天寿を全うし、前の政権や権力者を悪し様に言う中国史で敵国の皇帝ならもっとひどい評価になって当然ですが、この程度の事しか言われていない。
それほどの人物だった可能性もあると思いますし。
失策の一つもあげず「あいつは凡愚!」ですよw
降伏後もイキり散らかしてる孫皓すら苦笑いで済ますぐらいには降伏者に甘い魏晋にそんな猿芝居する必要ないんだよなぁ
それに劉禅はこの時懐かしむフリぐらいはしましょうよと進言した郤正を評価するのが遅かったと漏らしてるので猿芝居説がマジなら余計なお世話に当たるので再評価しないだろうよ
横山先生て顔のパターンが男女合わせても3つぐらいしか無いよな。
それで数千年の歴史を描いてしまうんだから巨匠としか言いようがない
高橋留美子、あだち充、高橋陽一、さいとう・たかを等
みんな巨匠
ゆで先生には読者からのアイデアがある。キャラデザで、すごいアドバンテージだと思う。
龐統と法正が早死にしたから軍事、政治全て諸葛亮に任せる事になってしまった為、諸葛亮も体を壊してしまって50代で死んでしまうのがなぁ。せめてどっちかが死ななかったら蜀はまだマシだったろうなぁ
龐統はスパイだからいらないでしょ
龐統が生き残っていれば仕事もストレスも半分以下で済んだでしょうね。孔明にとって「劉備がトップで関羽と張飛が戦闘の主軸、自分と龐統で政治と戦略」ってメインを考えてただろうから龐統の死で早々に理想が壊れてしまったんだよなぁ
龐統が死ななければ、呉とのネットワークも強かったし、そうすると関羽の死や夷陵の戦いがなくなってたかもというifは夢がありますね
仕事を全部自分でやってしまう人…
上司、ましてや宰相には向いてないよなあ😢
本来法正が軍師的立ち位置なんよなぁ
諸葛亮は知識はあってもそれを法正並に活かすことが出来ないからこそ法正を重用しようとしたんよ
傍若無人で悪事を行っても劉備や諸葛亮も黙認してたのはそれだけの才があったからだからね
軍事に殆ど出てない諸葛亮が机上論だけで軍事を行った結果馬謖のやらかしにも繋がってしまってる
そもそも周瑜魯粛両名の構築した二分の計を無理やり改変した三分の計にしてるあたりがもうね…
趙雲が他の4人より役職が下だったのは、劉備が「傍に置きたい」と思った現れだと思っています
武将としてのトータルバランスは違いますが、曹操が許褚を近衛兵としていたのに近い扱いだと思っています
近衛兵的役割だと、戦場での活躍限られてしまいますもんね
※主(劉備)が出陣しないと戦場の前線に行けない
というよりも、元々の身分も影響していると思う。
馬超と黄忠は劉備に帰順する前劉備と同格だったのを頼んで来てもらったから、武官の最高位にせざるを得ない。
関羽と張飛は一門衆に近い存在。張飛は皇太子の義理の父で縁戚関係にもある。
関羽は配下でなく同盟者でそれ故、孔明も扱いに困っていた説も存在する大物。
その4人と趙雲が同格になるのはあり得ない話。
正史が関張馬黄趙伝となっていたのは、劉備の死後に趙雲が孔明に重用され、武官筆頭の地位に魏延とともに昇進し、しかも魏延が後に謀反人扱いになったために2代目の時代の武官筆頭と陳寿にも認識されていたからだろう。
@@hymn13
三国志の話は、どこまでが真実かはわからないけど、近衛兵的役割なはずなのに益州攻略時に同行していなかったのは個人的には謎です。
@@1win1win1
なんだかんだウン千年前の事ですしね
今現在の事象ですら明らかにされてない
事もありますし、ましてや…と🤔
許褚は統率力なさ過ぎて将軍なんて務まらないからでしょう
横山先生の張飛は、豚っぽくなくて好き。
孔明は、横山先生の孔明以外考えられなくなってしまった。
本当はジャイアント馬場みたいな感じらしい。
ただ、眼光はめちゃ「賢い」っていう感じの眼光らしい。
劉禅といい、今川氏真といい、情けない書かかれ方をしているが、実際は、普通の人だったと思うよ。超人の中に有ったら俗人ならこんなものてしょう。 6:03
今川氏真も自らの句で悔いていましたが、乱世の時代に生まれてしまったのが何よりの罪なんでしょうね。
真戦でどのキャラだろうと思ったら画像そのままでうれc
やっぱりいつの時代になっても三国志は面白いね、もちろん大半創作だからこそだけど実によくできた物語になったよ
でも三国志の英傑達の最期よりも作者の横山先生の最期こそ残念過ぎる
昔みたドラマで司馬昭の死因は
劉禅に笑死させられたというものだった
劉禅は見事故国の復讐をした
優秀な主君なのかもしれない
劉禅腹踊りしてそう
孔明没後の明らかに人手不足で王平馬岱夏侯覇姜維あたりが大活躍するのがどこか切なくて好き
確かに、諸葛亮が天寿を全うできてたら、多分あまり上に行けない人達ですもんね。ちょっと能力が足りてなかったりクセが強かったりで帯に短く襷に長い。
@@大原裕信
稀代の逸材だった孔明と他を比べたらダメだろ
姜維、夏候覇は孔明の死んだあとの蜀を長年守っただけ充分に逸材よ
ただ、孔明の死んだあとは本当に司馬懿一族の一強だし、司馬炎が中華統一したけど三国鼎立時代のバランスの均衡を崩したのを気付かなかったから最悪の時代になってしまったけどさ…
姜維はまだ趙雲と互角に戦えるほどの豪傑だけど、張飛に軽くあしらわれた馬岱…豪傑には見えない王平が武の中核というのはなぁ😅
武のレベルが下がってしまったとしか言いようがない
馬岱は正史ではほとんど記録がなく(立伝すらない)、
牛金に斬られたとか
牛金に敗れた後に敗戦の責(死刑など)から逃れるべく羌族の地域に亡命した説もある。
@@tikokun 姜維はあの状況でよく頑張ったと思います。
何をしたかはほぼ何も残ってない最も良し
乱世だから、優秀さは脆弱さにもつながり結果、功績も少なめになるのでしょうね
許褚や厳顔など、いつの間にかいなくなってしまった人は他にもいるので、その人たちの最期がどうだったかも知りたい。
宴会の場でもしも劉禅が周りの家臣と同じように泣いてたら多分殺されていたのではないかと思う。
どうも劉禅は暗愚を演じていたらしいですね
呉と比較して、蜀はなんだかんだ国内で内紛はなかったのでまとまっていたと思う
鼻毛を伸ばしてた加賀の殿様と同じだと思います
父と同じような軍人になるんだ、と自己鍛練熱心だったナポレオンの息子は根強い暗殺説もありますし
後主はよく頑張ったと思いますよ
保身の天才
@@ホーエンジョージ
蜀・・・なんだかんだ最後まで国として機能してた
呉・・・孫権の晩年から内紛しまくり最後は暴君による暴政の嵐
魏・・・蜀に侵攻する時には既に司馬一族に乗っ取られてた。呉に侵攻前には晋になってた。
一番まともまでありますよね
幕末の長州の毛利氏は藩士が何を提言しても「そうせい、そうせい」と言ったのでそうせい候というあだ名を付けられ、また、「余はいつ将軍になるのかな?」と発言し、周囲から呆れられたという話がありますが、明治になってから、「あの時、そうせいと言わなければ、左幕派、攘夷派、どちらからも切り殺されていたわ。」と回顧したという話があり、劉禅も同じではないかと思います。劉禅は警戒されると臣下の命も関係していたから、余計人畜無害の振りが必要だったのではないかと。
劉封はなぁ……あれでもかなり頑張ってた忠臣なのに……って感じ。
劉封を処刑しちゃったらそら人材なんて出てこなくなるわ。
落ち度はあれでも本人だけの責任か?
と聞かれたら全然違うしね
とはいえ劉備が没したらかなりめんどくさい存在にはなりそう
@@matukawatositane あー………
確かに。
元々派閥争いの激しい陸の孤島に劉封1人残されても無理………いや、ひょっとしたらマシになる未来があるのだろうか?
正直、諸葛亮やら関羽やら龐統やらは考えてたけど劉封パターンは考えて無かったな……ひょっとしたら上手く行くパターンも?
個人的には少し能力不足なだけで信用は出来る人物ではあるって評価
@@matukawatositane劉禅がいる限り、良くて劉備が存命の時だけしか重用されないだろうな…
でも劉封は父親の劉表の言い付けを守って、劉備を第二の父と慕ってたし、劉備が蜀を起こす前の長坂橋では絶対絶命の劉備軍を救援の為に船を用意するような人としては一流だったのに最後は数にビビって関羽を見殺しにしてしまったのがあまりに惜しい
@@tikokun
せつこそれりゅうき混じっとる
劉禅の宴会でのエピソードはとぼけ半分、天然半分だったのではないかと思いますね。
故郷に未練があるみたいなことを言ったら下手すりゃ、反乱を企んでると思われかねないし
姜維が鐘会を焚き付けて謀反を起こそうとして失敗したしたしね。仮に劉禅自身になにか思惑があったにしろそんな前例があったら常に監視されるだろうというのは予測出来るし。
むしろ姜維の防衛ラインが突破された上に諸葛亮の息子が破れるまで降伏を我慢しいてたぐらいだもんね、成都まで迫られて援軍が期待出来ない(姜維は鐘会に釘付け、呉から援軍があるにしろ距離がありすぎる)状況での降伏なんだからギリギリまで降伏を耐えてた方なんだよね
父、劉備が曹操の前で雷にビビったエピソードを考えると、親子でわざとってのもありそうではある。
劉禅は軍人や国王に向かなかっただけで晩年は文化人として歴史に残る逸材にはなれたからね
でもやはり、劉禅は残念過ぎる…名臣の趙雲が長坂橋で助けた価値が無いもん
@@モチネバール
蜀滅亡時、姜維の居た金閣は防衛されてたのよ
鄧艾が姜維がいる以上金閣は突破不可と諦めて隧道を作ったことで金閣は無視されてしまったからね…
姜維は蜀の劉禅が降伏した知らせを知る事もなく滅亡した後も1ヶ月以上の間、金閣を僅かな食料と負傷兵で守り抜いたのよな
姜維は蜀に身寄りはいなかったし、先祖からの土地でも無いのに蜀に尽くしたのは名臣だと思う
@@tikokunそんな劉禅よりももっと向いてないのが呉の孫休、孫晧だからな
まだマシだよ
横山三国志の法正は、孔明とは別に独自に判断して行動させても良さそうなくらいに思えるほどの才がありそうですね。
7:15 この時、張飛に56されなくてよかった…というか逃げたからこそ後年に武の中核になれた
21:43 やっぱ馬超かっこいいな…横山三國志31巻の父と弟を曹操に56された事を馬岱に知らされた時の慟哭は超名シーン😭
劉禅を裏切った奴は一人もいなかったし、孔明に韓非子を読んで勉強するように言われるぐらい、いい人だったんだろう。
悪政を敷いてた訳じゃないからだろうし、劉備からの代の将兵が多かったのも大きいかもな
横山三国志では劉封って、孟達の降伏勧告文を引きちぎっていたんだよね……。
漢が滅亡してから40年国として機能した国蜀か
中国の王朝では珍しい位置にあるのが一番の特徴だな
春秋戦国時代の激戦地が中央だっただけにね
日本で例えるなら東北で挙兵したようなもんだ
巴蜀は劉備が入蜀した当初から若い世代の人が多くなかった事で孔明は「蜀で天下を取るには時間が掛かるかも知れない」と見誤った話もあるしな
北伐開始までに孔明は年月を掛けて将兵の増加の為に内政を施したけど、それをしたことでさらに三国時代の終焉期は今の日本のようになってしまっているのよな
蜀は本当に良い人材は揃ってるんだけど何故か色々な事が起きて消えちゃうんだよね~。腰が落ち着かないと言うか何と言うか。上手く全員が長寿だったりアクシデントが無く全員が存命・存在だったら面白かったかも。
関羽も荊州も失わず龐統も死なず夷陵の戦いも起きずってなってたら・・・。う~ん、でもやっぱり歴史は変わらなかったのかもね~。歴史好きとしては気になるけどwww
劉備軍は龐統を失った時点で孔明の負担が大き過ぎるけど、龐統が劉備と馬を替えて無かったら劉備は蜀を起こす前に死んでただろうな
歳を取るにつれ、劉禅が無能というわけではなかったような気がしてならない
もし蜀に未練があるような気配を見せたら、劉漢復興の反乱の象徴とされる恐れ有りとして処刑されてしまったかもしれない
劉備…我…守ルのイメージしかないなw魏延さん
勉強になります。
蜀・劉備ー寵統ー法正
荊州・関羽ー孔明ー馬良
この布陣で治めてれば、
良かったけど😢
晩年の関羽は孔明の考え方すら軽く見ていたから果たして…
周瑜、魯粛、呂蒙、法正
曹操と正面から戦った軍師は全員早死
それだけ曹操と戦う精神的肉体的負荷はケタ外れのストレスだったということ
野球でいえばドラフト一位で馬超を引き当てたがあまり活躍しなくて下位で指名した馬岱が4番打者になるほど大化けしたって感じだよね
馬岱が大活躍するのを見ると本来なら馬超がこれくらいの活躍をするはずだったのになぁと思ってしまう
まあ馬超の性格だとあそこまで孔明に信頼されたか微妙だけども
正史では馬岱はほとんど記述がない
(そもそも立伝されていない)
劉備軍団に加入したのも
馬岱のほうが先だったようだ
馬超は幸運の置き物的に居るだけで価値があるからFAで入ってきた超一流の成績だった37歳の選手くらいの感覚
それでも
漢中の太守になれなかった馬超と
涼州刺史になれなかった馬岱
(地理に詳しいはずなのに…)
※いずれも他所者の魏延(荊州人)が就任した
馬岱は謎で良いのよ。多分、馬超という狂人の悪行のツケが孔明死後の羌族や氐族の離反の連鎖という形で現れて、その尻拭いの一つに牛金に敗けて撤退した散関攻めがあったのかな、と考えるとなんかしっくりくる気がするのは俺だけ?
馬岱は牛金に斬られたとも
斬られずに処罰(斬首)を恐れて氐族の地域に逃げこんだとも
言われている
サンダイオーのエピソードは初めて知った
エレパス込めてしまいそうだ
諸葛亮は魏延を焼き殺そうとしてないし魏延は魏に降伏する気もなかったしさすがにちょっとかわいそう
諸葛亮の遺言にも
「諸葛亮の死後は魏延を中心に北伐を続けながら(諸葛亮の)遺体を成都まで運べ」とあり
「遺体が成都に到着しても引き上げの合図を送らぬよう陛下(劉禅)あての手紙を添えている」としていたようだ
見ごたえのある動画だった。関羽と張飛は逆方向に悪いとこがあったんだなぁ
蜀が大好きなので、歴史がひっくり返る大発見起きて欲しい
19:02・・・この絵の横山光輝コミックでは、孔明の占いを聞いたことから功を焦って進軍、途中で馬が暴れて落馬した為劉備が自分の馬を与えた。
更にその後の進軍中にいったん軍を止め、その場所の地名が落鳳披と聞いて不吉さに戦慄したところ待ち受けていた劉璋軍の矢の一斉射撃を浴びせられて戦死した。
しかし、NHK人形劇とThreeKingdomでは、なんと劉備の危機を察してわざと劉備の馬を借りて先行し身代わりになるという選択をした結果こうなった、と描かれている。
劉禅の顔、斎藤清六を思い出すなあ
劉封はね、かなり勿体無い武将だと思うのですが・・・経験を積んだなら、馬岱クラスの人物になれたのでは?と、思ってます。
劉封が生きていたら・・・そうなると後継者争いで、袁紹家、魏や呉みたいなことになっていた気もする。蜀の中で劉禅派・劉封派に別れて内紛していたら、もっと早く蜀は滅亡していたかもね。劉備との親子関係ではなく、一武将としてなら、色々と活躍の場はあったんだろうな。
@@1win1win1 確かに、御家騒動の元の可能性は在りますが、基本的に彼は養子なので、古参の配下は従わないし、新参配下達も出自が低い劉封を主君に、とは言えないかと。
又、彼自身もかなり節度を持った人物で、あの関羽が悪く言った事が少ないってダケでも合格点かと思いますよ?武勇については合格点を出していたみたいですから。
まぁ、単なる青二才扱いしていた可能性も有りますけどww。
とは言え、忠誠心も高目で、郡太守を勤められる程度の能力は有ったかと思えるので、やはり勿体無い人物でしたね。
馬岱は正史に立伝されていない上
他の臣の伝にも記述がほとんどない
そもそも論としては、ただの平和主義者だったんじゃないかと思う部分がある
主さんの動画ファンとして
僭越ながら注文つけたい
風呂敷がいつも大き過ぎでは?
15人じゃTOPの意味も視聴者の
興味も尽きてしまうし
テーマがぼやけてしまう
時間軸でディテールを拾えば
5人紹介でも充分尺は取れるし
面白くなると思うのですが
タイトルもサムネもテーマも横山画からのコマの選択も
良いんだからあれもこれもでインパクトか薄くなるのは
勿体ない貴ガス
馬良、馬謖に知名度負けてるかな…「白眉」って「泣いて馬謖を斬る」よりずっと常用されてると思うけど
タイトルが狙いすぎてるなぁ…
季漢の諸将は良いも悪いもしっかりと全うしてるじゃないか人生を
それだけ早死にが多いと蜀の辺りは謎のウイルスとかありそう
劉封が劉備の跡を継いでいたら、蜀はどうなっていただろう?
劉禅については無双のエンディングが的を得てますね。「過去の英雄たちにいつまでも引きずられることがなくなったので肩の荷が下りた気分。今の時代は今を生きる人たちのためにあるのだから」といった感じの内容だったと思います。無能ほど過去の栄光だけを見ているものですから、あの激動の時代において自分の実力を知っていて暗愚を演じたものだと私も思います。あのままだったら蜀は物理的に滅亡していたことでしょう。
脚本書いた人の想像だけどね。劉禅が凄いのではなくそう思わせる様な脚本を書いた人が凄い
やっぱ兄より優れた弟はいないんだねぇ
馬謖の為にあるような言葉やな
李邈「せやろか?」
凌統を取り上げて下さい
劉禅は、横山光輝では怠け者扱いされていたが、降伏して、無闇に血を流さなかったとしてもっと評価されるべき
演技って小説であって歴史書じゃないんだから、演技ベースでやるならあくまでも小説内での物語ですって最初につけとくべきでは?
正史(とされてる物)だって半分小説みたいなもんだろ
ネットどころか紙も碌に無い様な時代の話、正確に残ってるわけない
張苞の民間伝承すげえな
桃園のころに赤ん坊って・・張飛が30代のとき誘拐した夏侯淵の娘の子でないの?
イケメンの文官で病死したのが史実でしたっけ?
演義の劉禅には同情する。
赤子の時分に劉備に投げられた件、自分がいるのに来た劉封の存在etc……。
常々美談の犠牲者であったと思う。
劉琰が一番残念じゃないかな?
呉太后の招きで一泊した妻を劉禅との密会を疑ってヤキを入れたら怒った劉禅に斬首を言い渡された。このエピソードは劉禅の暗愚さを示すつもりが不敬を働いたらこうなるのも当たり前かと
フォーカスする所が面白くて
このch好きだな。あと横山先生の
画力には呆気に取られる。笑うし
慄然ともする。
まあこうなりますよね、本人は「不.倫した妻をこらしめたつもり」だろうけれどもあくまで一方的な思い込みで本当に"つもり"な上に仮にも皇帝が不倫をしたと普通に不敬な上に不名誉なレッテル張りを他人にしたんだから怒りも買います。まして劉禅は奥さんが好きすぎて奥さんが早くに無くなると奥さんの面影を求めてか奥さんの妹を次の妻にするぐらいの愛妻家でしたし
なんか姜維の人生勿体なすぎるなぁ。
孔明と関羽、龐統と張飛のコンビが最適過ぎて龐統の死後孔明が引き抜かれたのは関羽にとっても劉備にとっても不幸でしかありません。
孔明が信頼していたのは趙雲でしょ。
関羽はむしろ煙たい存在だったはず。
劉備の存命時に孔明に軍権がほぼなく、文官のトップ状態だったのは関羽の存在が影響しているだろうし。
少なくとも
関羽,張飛,糜竺,簡雍は
諸葛亮より目上。
劉禅については状況的に仕方なかっただろうと個人的には思います。
聡明であるかどうかはともかくあの状況で諫めだす部下の方が悪いんじゃないかな・・・。
馬超は五虎将軍の中でも圧倒的に実績不足なんだけど、漫画にしろゲームにしろ格好良く描かれすぎ
その影響で一番かっこいいイメージあるもん
蜀に落ち着くまでにやってきた事を考えると結構な狂人だと思う。
劉禅のあれは、身を守るためとしても、自分のことしか考えてなかったってことで、擁護しようないんよね
敵を欺くために馬鹿を演じたと言うなら司馬懿も後にやっている
孔明は魏延を焼き殺す寸前だったよね。それを魏延が恨んでいた記憶。
そもそも人相だけで孔明に目の敵にされてたのが気の毒。もし魏延の作戦が採用されていたらどういう結果だったか知りたい。
簡雍「あれ、僕は・・・?」
劉備が挙兵した当初からいたのに特に言われない人
劉備のことを最も知ってる人物なのになぜか横山三國志には未登場。しかも簡雍に子息いたのかは一切触れてない
劉璋を降伏させるという大任を果たした重要人物なんだけどねぇ
それが劉備軍初期メンバーの1人というのもミソ
糜竺、孫乾、簡雍
廖化や張翼の最期はどうだったのだろうか。
演義では張翼は姜維と共に死亡
廖化は正史では、劉禅と共に洛陽に移動中に病死しているようですね。
なるほどー。 私が読んだ漫画や小説では、そこまで描かれていなかったので気になっていました。 ありがとうございます。
降伏後も蜀を復興できなかったことが劉禅が聡明でなかった証。
バカなふりしてる説あるけど、バカのまま終わったらそれはふりでも、ホンモノになる。
蜀復興よりこのまま中華統一を望んだと違うんか?
@@石塚大吾-s2g 史実にあったことを自信満々で言うな笑
法正は曹操も欲しがった人材だしな。
賈詡と並ぶ数少ない
関西系(函谷関以西)の軍師
長生きさせるなら法正一択やなぁ
さらっと出てきてるけど
廖化の寿命って
現代人より長くね?
そんなことある?
調べてくれー
そもそも前半生の元黄巾がウソだし
本当に黄巾賊のメンバーだったら三国志の最長老だ
廖化は複数の人がモデルだからねぇ…
歌舞伎みたいに子が親の名前を襲名していたのかも。三國志当時で120歳はあり得ない。
@@匿名希望-d6r 黄巾賊時代が10代の少年だったとしても蜀滅亡時で90代
司馬懿の弟である司馬孚(180~272)が数え93歳の長寿だったので
90代なら当時でも長命だったはなくはない
歴史のチャンネルなのに演義とかもう…
劉禅=岸田文雄
人の最期なんて大したものじゃないだろうけど劉禅はあまりに。。
二代目はダメの典型例すね、、
王平は?
馬岱は全然残念過ぎる最期ではないでしょ、そもそも最期について記述が無いのに。馬良や黄忠も、途中で見るのやめた。
馬岱は牛金に斬られた説や
楊儀の不祥事に連座して処刑された説
などもあるようだ
@@iitoom8825 牛金に敗れた後氐に逃亡したという説もあるそうですね
それ以降史書に名前が出てこない理由の1つになってるとか
涼州刺史も自分(馬岱)が就くものだと思ったいた(?)のに
他所者の魏延(荊州人)が就いてしまったものだから
楊儀と組んで魏延を除去しようと考えていたかもしれません
48時間過ぎている
戦争狂いの諸葛亮を重用した事が問題です。弱国は同盟を重視し国力充実させるのが当たり前です
劉備の遺言にもある
「劉禅がボンクラなら諸葛亮が国政を執れ」は
諸葛亮の富国能力をもって国内を充実させることで
中華大陸の天下布武のことではありません
呉との同盟を重く見ていたからこその「天下三分の計」だし、関羽が勝手な行動をして魏と呉に荊州を奪われた事で呉との同盟に軋轢ができたけど、孔明は呉と戦ってはいけないと忠告していた側だし、入蜀してからの将にも呉との対立は反対されていたのが事実だしな
趙雲が長坂の戦いで幼い劉禅
を助けなかったら蜀も延命で
きたのに😅
横山三國志の別冊(三国志辞典だったか、おもしろゼミナールだったか忘れた)のすごろくの中で「趙雲が阿斗を助けたから1回休み」というのがあった気がする。劉禅が蜀の滅亡に絡んだからなんだろうけど、趙雲にとっての最高のエピソードなはずなのに「1回休み」には笑ったわ。
趙雲「半世紀後の事まで知らんわ・・・・」
いうほど馬岱って活躍したか?
正史には立伝されていない上
他伝(馬騰,馬超,劉備,諸葛亮など)にも記述がない
馬良は別に残念じゃないのでは……?(曹操はいぶかしんだ)
馬良は七哲の中でも優秀な逸材として荊州では知らない人がいないと言われたという話もあるしな。
孔明は劉備から弟子には馬謖より馬良の方を勧められていたという話もあるしな
最後は夷陵で劉備を燃える本陣から助ける為に玉砕だからねぇ…
劉禅の宴会でもし涙を流して蜀を憂う言葉を残していたら劉禅はおろか
元家臣にも謀反の疑いがずっと付きまとうことになった。
無能の暗君が最後まで兵に慕われただろうか。姜維が蜀を再興するために討ち死に
反乱を起こしただろうか。少し考えればわかることだろうに。
どう考えても
諸葛亮が怪しい。
自身の地位を揺しそうな者を
陥れているとしか思えない。
演技をもとに語るな
じゃあ君がちゃんとした解説動画出してよ
劉禅は暗愚だった?暗愚を装っていたから天寿をまっとう出来た気がする