【飛鳥古寺手帖 1】飛鳥寺 ~日本最初の本格的寺院
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- Опубликовано: 21 июл 2023
- 蘇我馬子が建立したとされる、わが国最初の本格的寺院、飛鳥寺。
現在の姿から、創建当時の面影を探ります。
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ブログ「梅前佐紀子の古代妄想日記」
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梅前佐紀子・著 「皓月 皇極・斉明天皇物語」全3巻
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ありがとうございます!
いつも応援ありがとうございます!
伊賀にも、飛鳥仏あります。見徳寺の客仏とされ、残っていたようです。
久しぶりに飛鳥を訪れ、先生のノーカット映像などを思い出しながら楽しく散策しましたが、往時は違った景観が広がっていたことを思うと不思議な感じもしました。
ローマ時代の遺跡の様な荒々しい石の廃墟ではなく、のどかで緑豊かな風景が広がっている飛鳥は、木の文化でもある日本ならではの場所だと思いました。
コメントありがとうございます♪
おっしゃる通り、古代の都市とされる飛鳥近辺に今のどかな風景が広がっているのは、木の文化ゆえかもしれませんね。
飛鳥寺の言葉では表現できない魅力に導かれ、「飛鳥大仏様、よくぞ現代まで…。」という感謝の気持ちを込めて幾度か訪れました。甘樫丘から飛鳥寺を見下ろしながら創建当日の壮大な伽藍を想像するのも楽しみのひとつです。時が流れ風景は変わっても、飛鳥は私にとって永遠の都です。
次回も楽しみにしています。
おっしゃる通り、時は流れ風景は変わっても、飛鳥は永遠の都ですね。素敵なお言葉をありがとうございました。
この地に展開した時の流れを想像して、なんとも言えない気持ちになりました。わたしも昨年この地を訪れたばかりです。その時の思い出が重なりました。
本当に長い時間、変わらぬものと変わらないものを内包しつつそこにあった飛鳥寺。その雰囲気を感じ取っていただけて嬉しいです。
又またお邪魔しま〰️す(邪魔すんやったら来んとって)
いつもいつもキレイなお声で詳しい解説に聞き惚れながら拝見しております。
(今回は顔を誉めへんのかい!)
実はここ飛鳥寺は私が明日香にハマるきっかけになった場所の一つなんです。
今を遡ること数十年前、某公共放送局で明日香村を巡る旅番組をやっていたのです。
その時、飛鳥大仏のお顔が星野監督(当時、中日ドラゴンズの監督だったと思います)によく似てるとおっしゃっていました。
「これは行かなあかん」と、一念発起
愛馬・・いや、愛車に股がり駆けつけたのです。
そして大仏様の前へ(拝観料はちゃんと払いました)
いや~確かに良く似てる。
特に右側面のお顔がまるで星野監督そっくり。
ああ・・また下らん事を長々書いてしまいました😅
近い内に梅前先生の解説を元に飛鳥寺を訪れたいと思います。
今回は顔に加えて声まで誉めていただきありがとうございます!(今回は顔は誉めてない)
飛鳥寺、いいですよね。
星野仙一氏に似ているとか。。。今度行った時にはそう思って拝見しますね。星野氏、飛鳥顔なのかも?
丁寧なレポートをありがとうございます。
飛鳥寺さんへは30年近く前に参拝させていただいたのですが、事前に拝見していた写真から「痛々しいお姿」を想像していたものの、実際にお会いしたときに、造立以来ずっとそこに座っておられるとお聞きし、造立後に周囲で行われた凄惨な戦いや惨事を目の当たりにされ、それでもここを動かなかった、ということのスゴみを感じ、その「迫力」に身がすくむ思いがしたことを覚えています。
当時はレンタルサイクルで回ったときに坂道が辛かったのですが、今は電動自転車もあるそうなので、またいつか回ってみたいと思います。失礼しました。
飛鳥大仏、いいですよね。おっしゃる通り「スゴみ」を感じます。あの大仏さまがあの場所でずっと歴史の変転を見守ってきたのかと思うと、深い感慨を覚えます。
あと、レンタサイクル、電動自転車が楽です! 最初はちょっと戸惑うかもしれませんが、慣れてしまえば本当に楽です。ぜひお出かけくださいませ♪
飛鳥大仏さまは ずっとそこに座られて 日本をいや 世界をみつめてこられたのですね。仏さまなので当然か…と思いますが、感慨深いものがあります🥺
飛鳥って本当に美しいところですね😊今日も お勉強になる配信をありがとうございました🙏👏
コメントありがとうございます。飛鳥大仏の静かなたたずまいに、悠久の時の流れを感じました。
飛鳥寺の鐘の二代目が同級生だった😮嬉しい🎉
そうなんですね♪ 思いきり撞かせていただきました(笑)
有難うございます🎵でも、3代目の鐘でした慌てもので失礼しました🥰
また、続けてコメントしました浅草寺も現在のです😅
またまた動画を鬼👹リピートで楽しませて頂きます😍
有難うございます🥰@@umemaeSakiko
石敷きに槻の木の痕跡。あのニュースを聞いた時、ロマンを感じました。この広場でいろんな行事が行われたんでしょうね。
今は何もない田んぼになっていますが、そこで数々の歴史的な行事が行われたと思うと感慨深いです。ある意味、その木がそこにあったからこそ、あの周辺が「飛鳥」になったのではないかと思っています。
社会の資料集にも飛鳥寺の伽藍の配置が載っているのですが、現在どの部分が残っているのかがよく分かりました。釈迦如来像も載っていますが、映像で見ると「わぁ、ほんとにあるんだ!」となりますね!
飛鳥寺の伽藍配置がよくわかったとのコメント、ありがとうございます! そうおっしゃっていただけると本当に嬉しいです♪
これだけ詳しく説明していただけたら、飛鳥寺も満足しているでしょう。
槻の木の、道が避けている話も興味深いです。
次回も楽しみです。
コメントありがとうございます。拙い説明でしたが、頑張りました。これからもよろしくお願いします。
小生が、飛鳥寺、石舞台、川原寺などを初めて訪れたのは、もう約60年前ですが、そのころは、まだ明日香巡りなどをする酔狂な方はごく少なく、こうした名所群も、さびれて田園の中に在るという風情だったと思います。近鉄駅名も「橘寺」と称していた頃のことです。
白洲正子さんは、昭和の初め頃、独りで大和を歩いていた頃のことを、「飛鳥にも、山の辺の道にも、観光客は一人もいず、まだ『観光』なんて言葉もない頃で、石舞台の上では、農家の子供たちが、日が暮れるまで遊んでいた」(「人間のいない風景」)と述べておられます。昭和30年代には、経済高度成長の影響が、漸くボチボチと、農村地帯にも及び始めたという状況だったと思います。
論者によると、日本農村の生活形態基本形は、室町時代以来昭和30年以降の経済高度成長時代までほとんど変わらなかったということです。60年ぐらい前では、明日香あたりは、大阪市内と画然たる生活差がありました。ほとんどの農家は、相当程度、食料などは自給自足で暮らしていたのではなかったか?
もちろん、トイレは汲み取りでした。下水道管布設という話がでてきますが、この地帯でも、現在は、浄化槽ではなく、公共下水道処理区域になっているのだろうか? 水道は簡易水道でしょうか? 60年前は、まだ井戸水を使っていたのではなかったか?
梅前さんの素晴らしいレポートを視聴していると、後期高齢者である清貧老人の私も、最後の「冥土への土産」として、自分の足で、もう一度、明日香・葛城(両親の郷里)などを巡りたいという意欲が湧いてきます。もっと、早く、このチャンネルに出会いたかった。 (CAM)
いつもご視聴ありがとうございます。ぜひ飛鳥におでかけください。
民草1️⃣号:今回もありがとうございました。
今回もご視聴ありがとうございます♪
飛鳥大仏は撮影🆗で珍しいですよね。
雨晒しになってた時代もあったみたいですが、鎮座以来場所は不変というのが凄い!
飛鳥大仏の撮影、ダメもとで伺ってみたところ、特別にOKとのことで感激でした。あの場所にずっとおられたと思うと、感慨深いものがあります。
ちなみに、東京🗼と浅草寺の源氏の建物も同級生😂😂😂🎉昭和33年生まれも古に馴染んで嬉しいです☺️❤
そうなんですね。日本が夢に向かって突き進む、ある意味一番いい時代でしたね。
はい、四天王寺も惜しい所で同級生を逃しました😂残念😅😅😅❤
あ~、いい鐘の音です。伊賀市の大村神社の鐘も、このように、誰でもつけますよ。
飛鳥古寺手帖8を拝見してとても面白かったので1に戻ってみました。欅の木のことを昔は槻木と呼んでいたのですね。著者の考察も梅前さんのお話も大変面白かったです。
ありがとうございます。槻木は「けやけき木」(神聖な木)が「けやき」になったという説があります。これからもよろしくお願いします♪
つい10日前に甘樫丘からの飛鳥寺で、訪れたばかり。ずいぶん前に拝んだ大仏さまは同じ佇まいで迎えてくれたけど、歴史を考えると当たり前だよな~と思いました。傷だらけになっても、雨ざらしになっても、ずっとそこに座って、人々を受け入れてきたのだろうと。撮影OKだし、入口で、小さなお守りを拝受したら「よかったらこれに入れて」と千代紙で作った袋を下さったり、心配りがとても嬉しかったです。
鐘、つけるんですね、さすがです❗細かいご案内ありがとうございました。
入鹿首塚から甘樫丘を眺め、飛鳥宮の方向を眺め、滅ぼされた蘇我に心巡らし、明日香埋蔵文化財展示室に向かいました。
10日前にいらしたんですね! そうなんです、いつ行っても同じたたずまいなのがいいんですよね。おっしゃるように、お寺の方もとても優しいです。
今度行ったら鐘も撞いてみてくださいね!「連打禁止」とあったので、撞木を押さえるのに苦労しました(笑)
ホームグランドに戻っての、取材ですね。
今回のシリーズもいい企画です。
さすが、梅前さん。貴重な飛鳥大仏を動画で撮るなど、気合の度合いがわかります。
私のような素人でも理解できるようにまとめてあって、助かりますね。
このシリーズは永久保存版ですね。
次回の楽しみです。
ありがとうございました。
いつもありがとうございます♪
飛鳥大仏の撮影は、飛鳥寺さんのご厚意によって実現しました。皆さんにご紹介することができて、感謝しかありません。
これからもご視聴よろしくお願いいたします。
おー!今回は青空ですね。
良かった😊
ありがとうございます! と言いたいところなんですけど、この日、午後は雷雨になりました。……どれだけ雨女なんだか。
@@umemaeSakiko
そ、それはー💧お気の毒でした😅
あまりの雨の多さに笑ってしまいつつ、わたし奈良民なので、なんだか申し訳ない気分にもなってしまいます。
でもいつもお越しいただいて、奈良を好きでいてくださってありがとうございます😊
いつも楽しく拝見しております。
今回は、快晴でしたね。
飛鳥寺西門の規模が大きいのは、槻の木の広場と共に、飛鳥寺を創建した蘇我本家の邸宅が、西門の先、甘樫丘にあったことも影響しているかもしれませんね。
一塔三金堂の様式は、高句麗様式が百済を経て、取り入れられたとの説もありますね。
槻の木の広場については「飛鳥寺西方遺跡」で検索されますと、発掘された石敷きの写真等がご覧いただけるかと思います。
余談ですが、飛鳥寺の先代?先々代?のご住職が、大正琴の名手だった記憶があります。
いろいろご教示ありがとうございます。甘橿丘の蘇我氏の邸宅は蝦夷・入鹿の代になってから建設されたので、馬子の時代には邸宅はなかったかと思うのですが、勢力圏ではあったのでおっしゃる通りその影響もあったのかもしれません。
石敷きの写真は、権利の関係があって動画上に掲載できませんでした。なかなか感動的ですよね。
先代か先々代のご住職が大正琴の名手だったとのこと。そうだったんですね! もうずいぶん前、飛鳥大仏の前で説明してくださったご住職がおられましたが、その方でしょうか。
コメントありがとうございます。
飛鳥寺西門と槻の木の広場との関係、少し疑問に思うところは、西門は出土した瓦から見て六世紀末で、飛鳥寺創建とほぼ同時期で間違いないかと思いますが、槻の木の広場と思われる西方遺跡の石敷きが7世紀半ばと考えられると、時期的なズレがあるのが気になるところです。日本書紀でも鎌足と中大兄の出会いの場としての記述が最初ということも・・・
元々あった広場を、蝦夷・入鹿の時代に壮大に整備したことも考えられますが、こればかりは槻の木の根などが見つからないと、本当の槻の木の広場がどこにあったのか、確かなことは分からないですね。これも飛鳥の永遠に解けない謎とロマンかも知れませんね。今後の発掘等に期待です。
大正琴の名手であられたご住職、はっきり覚えてなくて・・・私の若いころのことで、もっと前のご住職だったかもです。
絵馬のオチ?が最高です。
ありがとうございます。それらしき茶髪の男性が礼儀正しくお参りしていたのが印象的でした。斎藤飛鳥ちゃんにも頑張ってもらいたいです♪
飛鳥大仏さんも早く重文から国宝に指定して上げたいですね
国宝になると撮影禁止になるかも知れないので
早く行って撮影するのもいいかもしれません。
おっしゃる通りです。まあ「諸説あり」なので、すぐには国宝に復帰しないとは思うのですが……。それを抜きにしても、素晴らしい仏さまだと思います。
今シリーズは単なる訪問記にとどまらず深い話が聞けそうで楽しみです。
大仏の話はちょっと信じられませんね。顔の向きがずれているなど、明らかにバランスが悪いですし、補修して継ぎ接ぎしたようにしか見えなかったですけど。
おっしゃる通り、補修についてはさまざまな説があります。大部分が後世の補修だという説もあれば、ご紹介した近年のX線分析のような、大部分が造立当時のものという説もあります。どちらが本当なのか、あるいはどちらも間違っているのか、想像するとワクワクします。
毎月、飛鳥を訪れていますが、何回かに1度は必ず飛鳥大仏様のお顔を拝見したくなります。でも、私も鐘はついたことがありませんでした😅
清水先生のこの本にも興味あるので、今度読ませていただこうと思います。で、私は先日、梅前さんの小説を拝読して、とても面白かったので、私のインスタでご紹介しても大丈夫ですか?この場をおかりして、ご許可などを😅
ありがとうございます。インスタでご紹介いただけるとのこと、ぜひよろしくお願いします。光栄です♪
私はフォローワーさん多くないので影響少ないかもしれないですが、
近日中に投稿させてもらいます❤
このチャンネルも、お気に入りなので合わせて少しご紹介しますね。
飛鳥寺の凄いところは
1400年前に太子がこの釈迦如来像と対面したであろう場所と
ほぼ同じ場所で、この如来像を拝せることだと思っています。
他のいかなる古代寺院でも、それは出来ないことだからです。
30年くらい前ですが、普通に写真撮影は許可してもらえました。
今では難しくなっているのでしょうか。
おっしゃる通りですね。飛鳥時代の人々と同じ場所で同じ釈迦如来を拝することができるなんて、本当に素晴らしいことです。
写真撮影は、一般の方ならOKのようです。ユーチューブにアップすると不特定多数の方々の目に触れることになるので、許可申請をしました。飛鳥寺を訪れた際にはぜひ、釈迦如来のお姿を写真に収めていただきたいと思います(^-^)
梅前さんこんにちは。
今私奈良を旅行中で19日から橿原神宮前
のホテル(ビデオにもしっかり写ってます)
に4泊投宿中です…。19日到着後、
藤ノ木古墳→法隆寺(&中宮寺)
に行き、昨日は飛鳥資料館と橿考研
(橿原考古学研究所)附属博物館。
今日は甘樫丘を手始めに水落遺跡
→入鹿の首塚→安居院(飛鳥寺・飛鳥大仏)
→飛鳥宮跡→飛鳥苑池遺跡→石舞台古墳
に行ってきました。
動画の本題とハズレますがぜひ
書きたかったのでお許しください🙇🏻♂️。
特に甘樫丘から安居院までは事前に
この動画等をチェックしましたので。
大変助かりました。ありがとうございました…
ちなみに甘樫丘はやっぱりすごいかった…
梅前さんとは逆の甘樫丘(赤がめバス停)
から展望台に直接行ける苦行のルート(⁈)
から私は登って帰りも舗装道路から最初に
分岐するこちらも苦行のルート(⁈)で
下山しましたが、動画中『マムシ注意
して…』とおっしゃってくださったので
多少ビビりつつも無事下山出来ましました。
(マムシ・スズメバチに注意のコーン私も
嫌というほどひつこく見ました。皆さん
もくれぐれもお気を付け下さい(>_
駅前のあの高級ホテルですか? いいですね~♪
私の動画を見て飛鳥を歩いたというご報告、何より嬉しいです。飛鳥を訪れる人が、少しでも参考にしてくれたら嬉しいなと思っていたので。
これからもたくさん飛鳥を歩いて、楽しんでください。
嬉しいご報告、ありがとうございました♪
早速のお返事ありがとうございました。
今日は天武持統天皇陵から散策再開して鬼の雪隠・鬼の俎板経由で高松塚古墳(&壁画館)そこから文武天皇陵経由でキトラ古墳(&キトラ古墳壁画体験館ー四神の館ー)でそこでお昼になったのであすかデマンド乗合交通で飛鳥駅に行き、昼食後、牽牛子塚古墳と越塚衛門古墳に行ってきました。
感想とか、一々挙げると日が暮れるので(お返事書いていたら、もうすでに夕暮れですけど…)
ので追加報告のみとさせていただきます🙇🏻♂️。
トイレ、おせわになりました。
実は私もおせわになりました!(笑)