【ずんだもん&ゆっくり解説】ずさんな戦略が招いた日本軍最大のしくじりとは?ずんだもんと学ぶガダルカナル島の戦い【餓島】
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- Опубликовано: 6 июл 2023
- 今回は太平洋戦争の一幕として起こった戦い”ガダルカナル島の戦い”になります。
参考
一木支隊:ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%...
ガダルカナル島の戦い ウィキペディア
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
BGM
曲名:remember
作曲 RYU ITO
/ @ryuitomusic
• 著作権フリー BGM ジャズ 「Purple...
お借りした立ち絵:坂本アヒル様
seiga.nicovideo.jp/seiga/im10...
うちの爺さん奇跡の生還者。辛いことは腐るほどあったが一番辛かったのは負傷した戦友を負ぶって移動していたが、その戦友が「もうここで下ろしてくれ、俺はここで頑張るから巻き返したら迎えに来てくれ」爺さんはなけなしの弾に水筒を渡して「待ってろ、きっと帰ってくる」双方とも無理なのは解っていたのにね。最後に爺さんが「ガンバレよう」と声を掛けたら戦友は右手を挙げてにっこり微笑んだとか。
その爺さんが臨終間際に残した言葉「待たせたな、迎えに来たぞ」
とかく特攻隊を賛美し気の毒に思い感謝もする風潮がありますが、戦争で死んだのは特攻隊だけではなかったことを皆さんも時々思い出して下さいね。
やっぱ戦争において大事なのは補給なんだなって
この動画またやってほしい
こんなの見ていると、ガダルカナルとインパール両方に行かされて生還し、敗戦後に復員してアメリカ軍があまりの人相の悪さに気味悪がってさっさと解放したという書き込みを読んだことがあるのを思い出した。
様々なとこに戦線を拡げるから補給も管理もまま成らんのよね~戦いより餓タヒや病気の割合が多かったんやから捕虜を気にかける事何て出来んやろうね・・
母方の曾祖父が陸軍の教官で新兵を教育してガダルカナル島へ送り込んだと言ってたなぁ
地図がバグりすぎてて草
アラスカも沿岸部しかないし...でもこれなら中韓露と領土問題ないからいいな()
迫撃砲を追撃砲と誤字してる。
一木大佐戦死でなく、自決。
この頃の日本てっ、、脳筋
加えて中国での戦いが余計な慢心を抱かせました。
銃剣突撃も国民党相手なら十分な効果があり、また彼らは士気が低い為日本軍が突撃すれば大概は直ぐに逃げ出す軍隊でした。
だから同じ戦法がアメリカ軍にも通用すると考えていました。
9:00 1992年?
最近で草
9:00
1942年では?
1992年はワロタ😂少数でどんだけ頑張るんや
ルバング島かな?
@@nomuknk故小野田少尉が帰国したの1974年でしたね。
@@user-pg2tb8hi5r その小野田少尉の上官が生還・健在で命令書渡した時理不尽さを痛感しました。
ガバガバガバメントで草www
本土の軍備と、植民地の軍備は
違って当然、本心は、よその国
チューチューするだけだから