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12:25 江戸時代は、観光目的の旅行は禁止されていたが、寺社参詣または湯治目的の旅行は許されていたため、多くの庶民が寺社参詣を口実に観光旅行を楽しんでいたのが面白い所。かの有名なお伊勢参りにしても、参詣に行くのは形だけで、ほとんどの人は京や大坂の見物をメインに旅行を楽しんでいたそうです。
私たち「庶民」が一泊二日で箱根に行ったり熱海に行ったりと昔の楽しみは変わりませんね(笑)今回も面白い話題の提供ありがとうございました。
箱根を歩くだけでも大変なのに、江戸から徒歩で行くんだもの昔の人は健脚ですよね。
しかも当時は今みたいな高性能な靴は無く草履、道も未舗装路ですからねぇ・・・やってる事が千日回峰行のソレっていう
@@Falken0014もはや旅行というより苦行よねw
大山講は以前勤めた会社でやりました頂上で参拝しました、白装束でタスキして登りました、懐かしい!
今回また面白い動画有難うございます。神奈川県在住なのでこの動画に出てくる処がは全部行ったことがあります。1大山詣でですが、時代劇に出てくる町火消し「め組」の連中が大山詣と言うのですが、この動画で江戸の町火消は好んでいったのですね。2箱根の7湯ーーなるほどそう言うことかと思いました。3飯盛り女が動画に在りましたが、旅籠で飯を盛る女中かと思ったら、(笑)遊女なんだ。4その他 江戸から近場で江の島、成田山など今じゃ日帰りですが当時は 1~2泊でしたね。面白い。また江戸時代の動画お願いします
昔の人の服装でよく富士山登れたよね
まぁ現代でも修験でそういう装飾して登る人とか居るから天候不順とか無ければ割と行けるのかも勿論相応に鍛えたりとか体の方をしっかり準備しないとダメだけどねぇ
講って低所得者層が少額出し合って抽選で決めた代表者に参詣してもらうシステムだと思ってたけど、近場だと全員で良くツアー旅行的な物なのねまぁ確かに一人で行くより大口で行った方が楽しいだろうし、宿なんかも纏まった収入になるから歓迎だったんだろうねぇ
現代の地図での説明とてもわかりやすかったです。地図に記された所を歩いた…走ったという先人の健脚に驚きです。
先人達は凄い
オートバイならどれも日帰りで行けてしまう距離ですが近くでも徒歩だとこれ程の掛かるとは・・・。大山街道ルートの一部が現在の国道246と似ている様に見え驚きです!
9:12箱根の堂ヶ島渓谷では,当時の浮世絵そのままの風景を拝めて感激しました。しかし,あの峻険な山道を江戸から往復して約3日で歩き通すとは,庶民レベルでも体力が半端ない。現代人が歩くならトレッキングシューズは必須。ご先祖様を見習って鍛え直します(´;ω;`)
そこは草履で・・・・多分20kmも歩いたら足の裏が凄い事になりそうだけども
なかなか風凛ですね。のんびりしてる時代です。
江戸時代より更に昔から人々は『寺社詣で』を口実に旅行していました。特に男性は『精進落とし』がメインの場合も多々ありますw例えば江の島の弁財天を拝んで、その後は『観音様』を拝みにww
大山詣に向かう道中の最初の休憩地が「三軒茶屋」だったと、何かで読んだ覚えがあります😊
大山参りに片道70キロを2泊3日だと途中どの辺りで1泊したんだろう?また落語「大山参り」では帰り道は「熊公」が早駕籠に乗って通しで江戸まで先回りする訳だけど70キロの距離を1日で駕籠屋が走り通せる訳ないよね!
舗装路でロードバイクなら一日70km程度なら普通に行けるけど未舗装路を徒歩で、しかも草鞋でってなると・・・・頑張っても30kmぐらいかなぁ・・・
昔の埼玉あたりの旅行記見てると大山から富士行って江ノ島行って浅草行ってって気軽な小旅行って感じは一切ないなw
ありがとう、今回も面白く、勉強になりました。😊
ちなみに成田詣では今でも正月になると人でごった返す そりゃもう嫌になるくらいに…あと当時から観光地なだけあって物価がヤバい 一食3000円くらいする
大工が職場のグループで大山に行く分には社員旅行みたいなものだから良いとして、庶民が湯治で2週間仕事を休むのは蓄えや仕事的に大丈夫だったんだろうか?
神社はともかく、寺が俗世の欲につけ込んでご利益を売りにビジネスなど以ての外。
日本の寺なんて昔からヤバい連中ばっかりだけどね平安の頃とか強力な武装集団だったし、室町辺りだと余りにも粗暴だったもんで何度か弾圧もされてるし時代が下ってもお寺は法治限外な所を利用して賭場に使われるなんてザラだからねよく時代劇でお堂で半丁賭博やってるのが正にソレで、当然お寺側には場所代とかで相応のお金が支払われてる権力も有ったから半ばヤクザみたいな連中も多かったよそれに比べたら神社なんて真っ当な方だよ
当時は神仏分離されてなかったから江戸の庶民からは神社と寺は一緒のものと捉えられてました。
@@ひろたかし-w8m 返信に感謝申し上げます。もちろんそれは知っております。そして、それが仏教勢力の背乗りだと気づいている人が少ないことにやれやれと呆れる訳でございます。
12:25 江戸時代は、観光目的の旅行は禁止されていたが、寺社参詣または湯治目的の旅行は許されていたため、多くの庶民が寺社参詣を口実に観光旅行を楽しんでいたのが面白い所。かの有名なお伊勢参りにしても、参詣に行くのは形だけで、ほとんどの人は京や大坂の見物をメインに旅行を楽しんでいたそうです。
私たち「庶民」が一泊二日で箱根に行ったり熱海に行ったりと昔の楽しみは変わりませんね(笑)
今回も面白い話題の提供ありがとうございました。
箱根を歩くだけでも大変なのに、江戸から徒歩で行くんだもの昔の人は健脚ですよね。
しかも当時は今みたいな高性能な靴は無く草履、道も未舗装路ですからねぇ・・・
やってる事が千日回峰行のソレっていう
@@Falken0014もはや旅行というより苦行よねw
大山講は以前勤めた会社でやりました
頂上で参拝しました、白装束でタスキ
して登りました、懐かしい!
今回また面白い動画有難うございます。神奈川県在住なのでこの動画に出てくる処がは全部行ったことがあります。1大山詣でですが、時代劇に出てくる町火消し「め組」の連中が大山詣と言うのですが、この動画で江戸の町火消は好んでいったのですね。2箱根の7湯ーーなるほどそう言うことかと思いました。3飯盛り女が動画に在りましたが、旅籠で飯を盛る女中かと思ったら、(笑)遊女なんだ。4その他 江戸から近場で江の島、成田山など今じゃ日帰りですが当時は 1~2泊でしたね。面白い。また江戸時代の動画お願いします
昔の人の服装でよく富士山登れたよね
まぁ現代でも修験でそういう装飾して登る人とか居るから天候不順とか無ければ割と行けるのかも
勿論相応に鍛えたりとか体の方をしっかり準備しないとダメだけどねぇ
講って低所得者層が少額出し合って抽選で決めた代表者に参詣してもらうシステムだと思ってたけど、近場だと全員で良くツアー旅行的な物なのね
まぁ確かに一人で行くより大口で行った方が楽しいだろうし、宿なんかも纏まった収入になるから歓迎だったんだろうねぇ
現代の地図での説明とてもわかりやすかったです。地図に記された所を歩いた…走ったという先人の健脚に驚きです。
先人達は凄い
オートバイならどれも日帰りで行けてしまう距離ですが
近くでも徒歩だとこれ程の掛かるとは・・・。
大山街道ルートの一部が現在の国道246と似ている様に見え驚きです!
9:12
箱根の堂ヶ島渓谷では,当時の浮世絵そのままの風景を拝めて感激しました。
しかし,あの峻険な山道を江戸から往復して約3日で歩き通すとは,庶民レベルでも体力が半端ない。
現代人が歩くならトレッキングシューズは必須。ご先祖様を見習って鍛え直します(´;ω;`)
そこは草履で・・・・
多分20kmも歩いたら足の裏が凄い事になりそうだけども
なかなか風凛ですね。のんびりしてる時代です。
江戸時代より更に昔から人々は『寺社詣で』を口実に旅行していました。
特に男性は『精進落とし』がメインの場合も多々ありますw
例えば江の島の弁財天を拝んで、その後は『観音様』を拝みにww
大山詣に向かう道中の最初の休憩地が「三軒茶屋」だったと、何かで読んだ覚えがあります😊
大山参りに片道70キロを2泊3日だと途中どの辺りで1泊したんだろう?また
落語「大山参り」では
帰り道は「熊公」が早駕籠に乗って通しで江戸まで先回りする訳だけど70キロの距離を1日で駕籠屋が走り通せる訳ないよね!
舗装路でロードバイクなら一日70km程度なら普通に行けるけど未舗装路を徒歩で、しかも草鞋でってなると・・・・頑張っても30kmぐらいかなぁ・・・
昔の埼玉あたりの旅行記見てると大山から富士行って江ノ島行って浅草行ってって気軽な小旅行って感じは一切ないなw
ありがとう、今回も面白く、勉強になりました。😊
ちなみに成田詣では今でも正月になると人でごった返す そりゃもう嫌になるくらいに…
あと当時から観光地なだけあって物価がヤバい 一食3000円くらいする
大工が職場のグループで大山に行く分には社員旅行みたいなものだから良いとして、
庶民が湯治で2週間仕事を休むのは蓄えや仕事的に大丈夫だったんだろうか?
神社はともかく、寺が俗世の欲につけ込んでご利益を売りにビジネスなど以ての外。
日本の寺なんて昔からヤバい連中ばっかりだけどね
平安の頃とか強力な武装集団だったし、室町辺りだと余りにも粗暴だったもんで何度か弾圧もされてるし
時代が下ってもお寺は法治限外な所を利用して賭場に使われるなんてザラだからね
よく時代劇でお堂で半丁賭博やってるのが正にソレで、当然お寺側には場所代とかで相応のお金が支払われてる
権力も有ったから半ばヤクザみたいな連中も多かったよ
それに比べたら神社なんて真っ当な方だよ
当時は神仏分離されてなかったから江戸の庶民からは神社と寺は一緒のものと捉えられてました。
@@ひろたかし-w8m
返信に感謝申し上げます。
もちろんそれは知っております。
そして、それが仏教勢力の背乗りだと気づいている人が少ないことにやれやれと呆れる訳でございます。