1983年頃の京浜急行電鉄 品川・久里浜・他 で撮影の車両

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  • Опубликовано: 18 янв 2025

Комментарии • 12

  • @TheReimmy
    @TheReimmy 2 месяца назад +1

    アップありがとうございます。
    50歳の沿線民です。800形と2000形の登場は当時の少年ファンに衝撃的でした。
    それまでの少し薄暗いブルー基調の車内が白を基調にした明るいものになりました。
    デザインも斬新で駅で見かけるたびわくわくしたもんです。
    83年くらいまではまだ本線を釣り掛け車が走っており、車種がバラエティに富んでいて
    いつまでも飽きなかったですね。

    • @odakyu-enoden
      @odakyu-enoden  2 месяца назад

      コメントを頂きありがとうございます。

  • @chosuke3218
    @chosuke3218 2 месяца назад +4

    2000形が登場したころの京浜急行は本当に新旧様々な車種が在籍していて楽しい時代だったと思います。
    その頃の写真が色褪せる年月が経過したと思うと感慨深いものを感じます。
    私はかつて存在した京急電車ファンクラブにも在籍していました。
    その後久里浜工場にて働いていた事もあり、工場内の画像が非常に懐かしかったです。
    貴重な画像の数々のupに感謝します。

    • @odakyu-enoden
      @odakyu-enoden  2 месяца назад +2

      とても嬉しいコメントを頂きありがとうございます。京急電車ファンクラブは存じ上げてます。確か会報を発行されていたかと。懐かしいですね。

    • @chosuke3218
      @chosuke3218 2 месяца назад +3

      @@odakyu-enoden
      コメントありがとうございます。
      会報ありました。
      まだワープロが庶民にはなかなか手が届かない時代で、ほとんどが手書きの味のある文章が綴られていました。
      残念ながら諸事情によって私の手元には残っておりませんが、まだ会が存続されていた当時は一部の有隣堂書店で一般小売もされていました。
      今考えると凄い時代だったと思います。
      余談ですが、実は今は小田急沿線に住まいがある為このチャンネルの登録に至りました、これからも動画の配信を楽しみにしています。

    • @odakyu-enoden
      @odakyu-enoden  2 месяца назад +2

      @@chosuke3218 様、今後もご視聴を宜しくお願い致します。会報は何度も新橋の交通書房で購入しておりました。毎号内容が素晴らしいと感心していた覚えがあります。

  • @パンチョ特盛
    @パンチョ特盛 2 месяца назад +1

    私が幼少期、今は亡き叔父に良く三浦海岸や城ヶ島、荒崎に連れていってもらった時に京急は利用した。当時は1000形が主力だった。片側式扉、前照灯1灯は京急のオリジナルだった。2000形の登場時は凄く衝撃的だった。

    • @odakyu-enoden
      @odakyu-enoden  2 месяца назад +1

      コメントを頂きありがとうございます。

  • @tutomuhashimoto
    @tutomuhashimoto 2 месяца назад +3

    片開き扉車両が大多数が占めていた1980年代の京浜急行電鉄、2000形電車はまさに京浜急行電鉄史上エポックメイキングな車両、京浜急行電鉄=片開き扉車両の定説を打ち破り、京浜急行電鉄初の2灯式前照灯と両開き扉を採用して沿線の利用者を驚かせた車両、

    • @odakyu-enoden
      @odakyu-enoden  2 месяца назад +1

      コメントを頂きありがとうございます。確かにその通りでしたね。

    • @パンチョ特盛
      @パンチョ特盛 2 месяца назад

      @@tutomuhashimoto あれは斬新でした。快特も当時は殆ど1000形ばかりでしたから並んで待った方もかなりいたように感じます。

  • @nobu-u5i
    @nobu-u5i 2 месяца назад +3

    私は小田急沿線に住んでいるので、京急には縁の薄いですけど、1980年代から90年代にかけて数回利用することがありました。私の持っている京急のイメージは首都圏の鉄道会社で片開きのドアの車両にこだわっていたというイメージです。小田急ではすでに1984年を最後に片開きドアの車両は姿を消しましたから、なんでいつまでも片開きドアの車両が走っていたのだろうかと京急に対してはそう思っていました。経営者のこだわりというのがあったのでしょうか。私はいずれも京急では片開きドアの車両しか利用したことがないのでそのことが気になります。