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神は弱いという考え方が、弱い人間から搾り出た思考である現実である事が心に残ります。ありがとうございました。
ドイツも日本も1930年代には、同じような現象が起こっていたのですね。例えば、浄土真宗の金子大栄も、親鸞の教えを天皇制に合わせる形で、解釈し直し、国体論に近い形に変貌せました。「主上臣下、法に背き、義に違し、いかりをなしうらみをむすぶ」と言った
フィンゲンバルゲの牧師研修所で教えたのはボンヘッファーなのにまちがえてバルトと言って気づかず、訂正されませんでした。
…this is the end,but also the beginning
ボンヘッファー的な問いといいますのは、多くの人々が神について語らないことが問題なのではなく、多くの人々が神について語りすぎるということにあるのではないかと思われます。ユダヤの律法には「汝の神の御名をみだりに唱えることなかれ」とあります。これには様々な解釈がありましょうが、私自身は、この戒めは、「神」が人間のつくる偶像になってしまうことの危険性を戒めたものではないかと思われます。私自身も信仰を持つ者でありますが、多くのキリスト教徒は「神」について多くを語ります。何について語っても、二言目には「神」について語ります。まるで「神」について語ることが、キリスト教信仰の証明であるかのようです。しかし、その時、私たちの語る神そのものが、私たちがつくりだした「偶像」ではないかと自問してみなければならないと思うのです。私たちは、聖書にもとづいて神を語りますが、その時、自分たちの都合や信念、欲望、願望のために神を利用しているのではないかと、自問してみるべきなのです。「ヨブ記」において、ヨブの友人たちは聖書にもとづいてヨブを裁きましたが、神によって「否」とされたのは、ヨブの友人たちのほうでした。神は、ヨブに天地創造の過程を見せて「私がこれらのものを創造したとき、おまえは私の隣りにいたとでもいうのか」と言って、みだりに神の意思を判断し、語ることを戒められました。ヨブ記において、自由で全能なる神の意思や働きは、人間の知性や敬虔に拘束されず、聖書のテキストにすら拘束されないということを示されたのでした。私自身も含む多くのキリスト教徒は、ユダヤ的な神の前での慎み深さを忘れてしまいました。「神は我らを愛したもう」と聞かされるあまり、神を自分の意のままにならぬ「主」として恐れおののくのではなく、神を自分の下男として慰み物としてしまいました。私たちは、特にキリスト者は思い返さなければなりません。私たちは神によって追放された者であり、刑罰を課された者であることを。私たちが生きるこの世は「エデンの東の地」であり、誰しもが苦悩で荒地を耕すような生を生きているのだということを。そうであるがゆえに、キリストにおいて神の憐れみを受ける者であり、神に招かれ、互いに憐れみあい、赦しあい、愛しあうべく召されているのだということを。世界でキリスト教が力を失っていくということに対して嘆く人々もおりましょうが、私は恐れません。神の裁きは「主の家からはじまる」からです。人間がつくりだした「神」という偶像を、神ご自身が破壊なさるでしょう。まことのものが明らかにされるために麦はふるわれるでありましょう。純金が明らかにされるためにすべてのメッキは剥がされるでありましょう。しかし、「石ころからアブラハムの子孫を興したもう」神は、非キリスト教徒から御自身の民を、すなわちキリストが歩んだのと同じ道を歩む人々を興したもうでありましょう。神は、無神論者、仏教徒、ユダヤ教徒、ムスリムの中からも、彼らの信仰を保持したままで、キリストが歩んだ同じ道を歩む人々を興したもうでありましょう。神はそれを成し得るからです。こうして「先の者は後に、後の者は先なるであろう」というイエスの言葉は私たちキリスト教徒にも適用されるでありましょう。キリスト教徒の傲慢は、他ならぬキリストにおける自由な神の恵みによって後ろに退けられるでありましょう。
凄く考えさせられました。感謝致します。
いつも素晴らしい講義を公開していただき、ありがとうございます。ただ、私の年では3回ぐらい聞き直さないと脳みその中まで入ってきませんので、毎週の更新は苦痛でもあります。以下、感想です。もしボンヘッファーが戦後まで生きていられたら、戦後の東西に分裂したドイツでどういう立場で行動したのでしょうか。ラインホルト・ニーバーのように?バルトのように?あるいはニーバーの弟のように?無意味な考えかもしれませんが、1939年の時点で戦後のドイツに思いをはせている辺りは”巨人”ですね。もう一点、ドイツにとどまったボンヘッファーとティリッヒのように亡命した人との違いとは何なのでしょうか。解放の神学でも、安全なところで研究をつづけた学者もいれば、南米での実践の中で、誘拐され行方不明になったり、暗殺されてしまった聖職者もいます。この2つの道をへだてるものは何なのでしょうか。むずかしいですね。
+山口言 ご視聴、ありがとうございます。もしボンヘッファーが戦後を生きていたとすれば、分裂した東西ドイツの間で橋渡しをするような方向を目指したと思います。日本ではあまり報じられませんが、東西ドイツの統一の背景の一部には、教会の働きかけがありました。ボンヘッファーとティリッヒの決断の比較は難しいですね。どちらの決断が正しかったかということは簡単には言えませんが、歴史の大きなうねりに翻弄されながらも、それぞれがぎりぎりの選択をしたという点で、いずれの決断も尊重されるべきではないかと思います。
神学はこの講義において興味を持ちましたが、ヒトラーに対する忠誠心と君が代がなぜ同一視されるのでしょう。学生達の思想に大きく影響されるのではないでしょうか。
ボンヘッファーなんか聖書に出てこないしどうでもいい。
??
神は弱いという考え方が、弱い人間から搾り出た思考である現実である事が心に残ります。
ありがとうございました。
ドイツも日本も1930年代には、同じような現象が起こっていたのですね。
例えば、浄土真宗の金子大栄も、親鸞の教えを天皇制に合わせる形で、解釈し直し、国体論に近い形に変貌せました。「主上臣下、法に背き、義に違し、いかりをなしうらみをむすぶ」と言った
フィンゲンバルゲの牧師研修所で教えたのはボンヘッファーなのにまちがえてバルトと言って気づかず、訂正されませんでした。
…this is the end,but also the beginning
ボンヘッファー的な問いといいますのは、多くの人々が神について語らないことが問題なのではなく、多くの人々が神について語りすぎるということにあるのではないかと思われます。
ユダヤの律法には「汝の神の御名をみだりに唱えることなかれ」とあります。これには様々な解釈がありましょうが、私自身は、この戒めは、「神」が人間のつくる偶像になってしまうことの危険性を戒めたものではないかと思われます。
私自身も信仰を持つ者でありますが、多くのキリスト教徒は「神」について多くを語ります。何について語っても、二言目には「神」について語ります。まるで「神」について語ることが、キリスト教信仰の証明であるかのようです。
しかし、その時、私たちの語る神そのものが、私たちがつくりだした「偶像」ではないかと自問してみなければならないと思うのです。
私たちは、聖書にもとづいて神を語りますが、その時、自分たちの都合や信念、欲望、願望のために神を利用しているのではないかと、自問してみるべきなのです。
「ヨブ記」において、ヨブの友人たちは聖書にもとづいてヨブを裁きましたが、神によって「否」とされたのは、ヨブの友人たちのほうでした。神は、ヨブに天地創造の過程を見せて「私がこれらのものを創造したとき、おまえは私の隣りにいたとでもいうのか」と言って、みだりに神の意思を判断し、語ることを戒められました。ヨブ記において、自由で全能なる神の意思や働きは、人間の知性や敬虔に拘束されず、聖書のテキストにすら拘束されないということを示されたのでした。
私自身も含む多くのキリスト教徒は、ユダヤ的な神の前での慎み深さを忘れてしまいました。「神は我らを愛したもう」と聞かされるあまり、神を自分の意のままにならぬ「主」として恐れおののくのではなく、神を自分の下男として慰み物としてしまいました。
私たちは、特にキリスト者は思い返さなければなりません。私たちは神によって追放された者であり、刑罰を課された者であることを。私たちが生きるこの世は「エデンの東の地」であり、誰しもが苦悩で荒地を耕すような生を生きているのだということを。そうであるがゆえに、キリストにおいて神の憐れみを受ける者であり、神に招かれ、互いに憐れみあい、赦しあい、愛しあうべく召されているのだということを。
世界でキリスト教が力を失っていくということに対して嘆く人々もおりましょうが、私は恐れません。神の裁きは「主の家からはじまる」からです。人間がつくりだした「神」という偶像を、神ご自身が破壊なさるでしょう。まことのものが明らかにされるために麦はふるわれるでありましょう。純金が明らかにされるためにすべてのメッキは剥がされるでありましょう。
しかし、「石ころからアブラハムの子孫を興したもう」神は、非キリスト教徒から御自身の民を、すなわちキリストが歩んだのと同じ道を歩む人々を興したもうでありましょう。神は、無神論者、仏教徒、ユダヤ教徒、ムスリムの中からも、彼らの信仰を保持したままで、キリストが歩んだ同じ道を歩む人々を興したもうでありましょう。神はそれを成し得るからです。こうして「先の者は後に、後の者は先なるであろう」というイエスの言葉は私たちキリスト教徒にも適用されるでありましょう。キリスト教徒の傲慢は、他ならぬキリストにおける自由な神の恵みによって後ろに退けられるでありましょう。
凄く考えさせられました。感謝致します。
いつも素晴らしい講義を公開していただき、ありがとうございます。ただ、私の年では3回ぐらい聞き直さないと脳みその中まで入ってきませんので、毎週の更新は苦痛でもあります。
以下、感想です。もしボンヘッファーが戦後まで生きていられたら、戦後の東西に分裂したドイツでどういう立場で行動したのでしょうか。ラインホルト・ニーバーのように?バルトのように?あるいはニーバーの弟のように?無意味な考えかもしれませんが、1939年の時点で戦後のドイツに思いをはせている辺りは”巨人”ですね。
もう一点、ドイツにとどまったボンヘッファーとティリッヒのように亡命した人との違いとは何なのでしょうか。解放の神学でも、安全なところで研究をつづけた学者もいれば、南米での実践の中で、誘拐され行方不明になったり、暗殺されてしまった聖職者もいます。この2つの道をへだてるものは何なのでしょうか。むずかしいですね。
+山口言 ご視聴、ありがとうございます。もしボンヘッファーが戦後を生きていたとすれば、分裂した東西ドイツの間で橋渡しをするような方向を目指したと思います。日本ではあまり報じられませんが、東西ドイツの統一の背景の一部には、教会の働きかけがありました。
ボンヘッファーとティリッヒの決断の比較は難しいですね。どちらの決断が正しかったかということは簡単には言えませんが、歴史の大きなうねりに翻弄されながらも、それぞれがぎりぎりの選択をしたという点で、いずれの決断も尊重されるべきではないかと思います。
神学はこの講義において興味を持ちましたが、ヒトラーに対する忠誠心と君が代がなぜ同一視されるのでしょう。学生達の思想に大きく影響されるのではないでしょうか。
ボンヘッファーなんか聖書に出てこないしどうでもいい。
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