Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
たまたまこの動画を見つけました。実は父方の叔母が大鰐線の弘高下駅近くに住んでます。私も小学生の頃には叔母の家に泊まりに行っては、この吊り掛け電車も利用したことがあります。懐かしく感じます。
ご視聴、コメントありがとうございます。当時利用されていた方に懐かしんでいただけたなら、当方としても嬉しいです。弘高下から中央弘前までの車窓は変化も大きく乗っていて楽しく感じました。
不揃いだからこその美しさがあるね、そして釣り掛け音が耳に幸福感を感じるよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私がこの動画で伝えたかったポイントは、まさにその二つです!
画一化されて無いのが美しいんだよね〜、釣り掛け音も魂に響くし美しささえ感じるよ
まさにこの電車乗っていました。戦前型は、中に棒があって、小学生がよく登ったりしていたものです。床も板張りで冬には雪が窓から降ってきました。昔は西弘前と弘高下の間に住んでいましたので、弘南電車が時刻替わりでした。時に不協和音を奏でる車両が通過したと思うと保守用の車両だったりしました。昭和62年まで弘南線で通学利用していましたが、そちらもなかなか個性的な車両が最大6両編成で通学客を運んでいたものです。大鰐線でも4両で超満員の列車でしたが、今は通学時間でも2両がやっとで、それほど混んでいないところを見ると悲しくなります。生徒数が当時の半分以下の状態ではむべなるかなといった感じですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。地元の方ならではの視点のコメントを興味深く読ませていただきました。電車の中で「上り棒」に興じる小学生というのは想像するだけで楽しいです笑。弘南線では最大6両!!大鰐線でも4両しかも超満員!? そんな時代があったのですね。地方私鉄の朝の旅客輸送は高校生に支えられている場合が少なくないですが、昔に比べて生徒数が大幅に減っていますものね・・・
私は東急沿線に住んでいるので、この路線で懐かしい面々に会えた時は感動しました。この時代だと東の弘南、西の琴電、茨城の関鉄が不揃いで面白かったです。後に弘南線を走った東急3600系・3400系も凸凹編成でいい味出していました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時はまだ弘南線も新型が入る前で、東急3600形,3700形などの旧型がいたようですが、残念ながら大鰐線しか訪問しておらず、今では後悔しています。関東鉄道も面白さを知ったときは後の祭りで・・・ そんな中、琴電は幸い撮影映像がありますので「不揃い編成」第二弾の動画を制作中です。
吊り掛けサウンドは幸せの音ですね。この時代の弘前に行きたかった😂80年代の名鉄も吊り掛け天国でしたね。今はたまに嵐電で吊り掛け音を楽しんでますが。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。名鉄は大手私鉄の中では、吊り掛けが後の時代まで活躍しましたね!
列車交換駅のスプリングポイント、外で聞く割り込みした時の音が結構デカい気動車単線時代の相模線で驚いたのを思い出します
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そういえば、スプリングポイント通過時の音を私は外で聞いたことがありませんでした。
東急の車両が入る前の中小私鉄て、どこもこんな混ぜこぜ吊り掛け編成が多かったですよね。手動ドアが昔の銭湯の引き戸みたいな音がするのがいいですし、旧国系の吊り掛けって言われてみると独特ですね(気のせいかも知れないですけど乗務員室のドアが開けっぱなしとか、車掌さんがずっと座っているとか緩やかな時代でしたね~
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰るように当時の中小私鉄では様々な経歴を持つ旧型車輛が集結しており、東急の車輛が入る前の例では、大鰐線以外に上田交通などもありましたね。ネットなど無い時代なのでどこで情報を得たのか全く憶えていないのですが、この大鰐線、そして上田交通、日立電鉄、いずれも種々雑多な旧型車輛群が一掃される直前期に幸いにも撮影訪問ができております。銭湯の引き戸wもそうですが、古い店などではガラガラといった派手な音がする引き戸が結構ありましたよね。
弘前出身です。叔母が大鰐線沿線の学校に通っておりました。残念ながら還暦すら迎えることなく亡くなってしまいましたが、見たわけでもないのに若かりし叔母が通学していた情景が浮かんでくるようです。素敵な動画ありがとうございました😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。昭和の地方私鉄の女子学生・・・と聞いただけで、たしかにノスタルジーな気分になりますね。
当時の国鉄型やおわん型ベンチレーターなどレトロ感たっぷりな車両が揃ってましたね。上からの撮影した弘前高校に繋がる陸橋は、ストリートビューで見たら骨組みは残ってて足場の板はありませんでした。おそらく期の腐食によって通行禁止となり、腐敗した足場の木材は撤去されたのでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。あの陸橋がどうなったか気になり、私も確認(他の方がUPしている最近の前面展望動画にて)したことがあるのですが、骨組だけになっているとはいえ今でも残っていることに驚きました。当時は腐食こそしていませんでしたが板に隙間があったりして、渡るのがちょっと怖かった記憶があります。
高校の時はこの陸橋を通って通っていましたよ。今は通行止めだそうですが、撤去にもお金がかかるのでそのままなのだとか。
このような車両1度でも乗りたかった
いつもご視聴、コメントありがとうございます。旧型電車たちは当時引退直前で、かなり貴重な存在でした。
地方私鉄では長い6連が走ってましたよね。見たかったなぁ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の方からのコメントにもありましたが、弘南線では最大6両編成があったようですね! 私も見たかった・・・
相当古い映像ですね♪不揃いな車両がより魅力的ですね!吊りかけ車そのものの車両ですが大好きです❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。古い吊り掛け車は単行で走っているだけで十分魅力的ですが、不揃いな編成を組んでいることで更に魅力が増しますね!
私は1980年代の一時期弘前に住んでいましたので、今回の動画、大変懐かしく拝見しました。車内が写るシーンがありますが、この当時は混んでいるとは言えないまでも、お客さんはそこそこ乗っていたんですね。今年の7月に弘前に行く機会があり、大鰐線にも2回乗りましたが、どちらの乗車時もお客さんの数は終始1桁のままでした。噂される廃止が現実になるのでは…と、ちょっと悲しい気持ちになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元地元の方に懐かしんでいただけたなら当方としても嬉しいです。この沿線に限った話ではありませんが、日本各地で人口減少に伴う乗客減が顕著になっており、地方私鉄はどこも経営が苦しいようですね。県や沿線自治体からの補助を期待できれば良いのですが・・・
今回も本当に貴重な映像でした。70年代まで見かけた古風な姿と木製の床が堪りませんね。手動のドアは走行時にロックされるのか気になります。※ 昨年2023年春におじさんでも青春18きっぷを購入できることを知り、そこから鉄道に興味を持ち始めました。恥ずかしながらこの路線も今回初めて知りましたし、大鰐線も読めず検索してたら鰐淵晴子さんの鰐だと後で気づきました😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。古い電車なので、木製の床は木目が浮いていましたね。手動ドアは開けるときだけで、さすがにこの時代なので閉まる際は自動&ロック維持だったと思います。鰐淵晴子さんといえば大昔の映画「ノンちゃん雲に乗る」をCSの日本映画専門チャンネルで見たことがあります。
地元のものです。ドアは半自動で、降りる時にロックが外れ手動で開けることができます。発車するときには自動で閉まりますよ。雪国なのでいちいち到着の度に開いていると暖房の意味がなくなりますからね。JRの701系も半自動です。北国の知恵とでも言いましょうか。
@@bibilu2007-man さん詳しい情報、本当にありがとうございます。手動でドアを開けて下車… 一度体験したかったですね。
貫通路の開き戸は桜木町事故をきっかけに採用されなくなりましたね。その後、国鉄車は順次引き戸へ改造されて行ったはずですが、やはり私鉄までその流れは及ばず残った車両も存在したんですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そのような経緯は知りませんでした。やはり火災の際に開き戸では逃げ遅れの原因となったのでしょうね。
@@昭和電車チャンネル 火災が発生して、隣の車両へ逃げようとする乗客が殺到してしまい、開き戸を開けることが出来なかったそうです。ドアコックが誰にでも分かるように表記されたり、赤くペイントされたりしているのも桜木町事故がきっかけですね。
モハ2233は西武の中古ですが、車体だけ譲渡されて部品は手持ちのものを使ってたと思われ、譲渡前は主電動機がモハ1形と同じMT4だったのでその音は青森で聞くことはなかったです。モハ1122は西武311系の中古でしたが、旧型国電っぽい音がしたものの主電動機はMT7かMT10と考えられますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。毎回いただくコメントの内容が、かなり詳細で専門的なので勉強になります。電動機の変遷とか音の違いとか・・・奥が深い世界ですね。
弘南の釣り掛け駆動、ドップラー効果楽しめますね。不揃い編成の釣り掛け揃い編成、面白いですね。欲を言えば、阪和電鉄のモヨ100が遅くまで使用されていたのですが、見たかったです。大都市にはない不揃い編成の釣り掛け電車、面白かったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ドップラー効果というと、乗車中の踏切警報器音、通過車輛の警笛音であれば、今でも楽しめますが、吊り掛け音で楽しめるのは、やはり全盛期ならではのことですね。モヨ100?は存じ上げておりませんでした。地方私鉄の不揃い編成の動画としては、今後、琴電や日立電鉄なども取り上げたいと考えています。
昭和レトロ車両も今はかなり稀少で、動体保存はあまり無いでしょう。前照灯は屋根付近中央に設置、床が木造で、空調無しの天井には首が回る扇風機設置、ドアは片開きで片側2、3ヵ所、開閉式窓が定番でした。吊り掛け電車とか言われてたしもしました。結構、揺れているように見えますね。右側通行の列車交換は珍しい光景です。こういう風なレトロ電車は各駅停車としての運 4:59 用が殆どで、快速運転はあまり無かった印象です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。昭和レトロ電車は、まさに仰るような特徴を備えていますね。たしかに旧型車輛は各停専用という鉄道路線が多かったですが、それは新型車両も併用している場合であり、この大鰐線のようにオール旧型の場合は、快速電車の運用も必然的に旧型レトロ車輛となっておりました。
1985年から1987年春まで大鰐線沿線の下宿で過ごしていたので、中央弘前から西弘前はよく利用していました。車両も懐かしいですが、中央弘前駅の先に見えるファッションビルの青い屋根が懐かしいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。沿線で利用されていた方に懐かしんでいただけたなら、私としても嬉しいです。
快速運用があったとは。2両編成が行き交うのみの今の大鰐線の姿からは想像しづらい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本数が少ないのに快速が存在したのは、たしかに謎でした。
弘南線は昭和50年代の旧東急3000系大量導入によって早いうちに車両のバラエティさが欠けてしまった感がありましたが、大鰐線は1988年秋の旧東急6000系、旧東急7000系導入までは様々なタイプの車両が走っていたので車両整備の人達は大変だったと思います。あと旧西武の川造型車両には客車改造(一部の電装部品を撤去)されて津軽鉄道で使われたものもありましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時私は大鰐線のみの訪問でしたが、何か(ネットの無い時代なので雑誌?)から情報が得られたお陰で旧型車淘汰の始まる直前に間に合いました。津軽鉄道は残念ながら訪問できておりませんが、川造型の活躍の場はホント広いですね。
身延線の前身の富士身延鉄道の電車は、買収前に事故廃車になった1両と一部の客車改造のサハを除き、戦後の早いうちまでに飯田線の旧伊那電気鉄道区間に転用され伊那松島運転区に集結していて、国鉄ではそこで廃車になったということです。元が山岳路線用ですのでトルクが大きく、その分鈍足だったそうですがサイズが手頃だったのか鶴見臨港鉄道モハ110形や南武鉄道モハ100形などと同じく地方私鉄に人気があり、ほぼ全て私鉄に譲渡されました。それにしても吊り掛けの音が凄い爆音。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。富士身延鉄道や伊那電軌鉄道に関する経緯を詳しく解説いただき恐縮です。地方私鉄に人気というと、後年の東急車や京王車などのようですね。
うわぁぁぁ。。大阪市電、琴電、番外編の大阪トロリーバスもお願いします。😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。大阪市電やトロリーバスは年代的に古くて私は撮影できておりませんが、琴電は撮影映像がいろいろあります。琴電は大鰐線に負けず劣らず「不揃い編成」の宝庫ですので、次回投稿はこれで行こうと準備中です。
一部元西武鉄道で活躍していた車両まりますよね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元西武の車輛が活躍する地方私鉄は少なくないですが、ここ大鰐線では同じく元西武といっても古さが違いましたね。
どれもこれも渋くて味がありますねー。もし当時乗っていたら「ボロい」という印象だったかも知れませんけど(笑)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。こういった古い電車は、その渋さや味といった魅力を解さない多くの人々にとっては、「ボロ電」と認識されるに違いありません笑。
ゴールドキャンターが映ってました!
シルバーよりは、やはり希少なのでしょうね
車にバイク・電車は旧型がよかですね🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この時代の乗り物は、現代とは違ってなんか血が通っているように感じるところが良いですね。
クハ1266は琴電890のお仲間ですね〜
いつもご視聴、コメントありがとうございます。みんな(一部?)が大好き「川造型」ですね。宜しければ下記をご覧ください。ruclips.net/video/OWWMwHWUK6w/видео.html
東急から初代7000系が入線する前ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。はい。あと個性的スタイルだった6000系も同時期に入線していますね。
半自ドアと言うより、 手動ドアが正しいですね。 国鉄115系の半自動ドア扱いの駅でドア開けた時の重さ 何とも言えなかったな。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。長い停車時間で冷たい風や雪が吹き込むのを避けるために、手動ドアは、主に寒冷地で見られたようですね。子供の頃115系のドアに取っ手が付いているのを初めて見たとき不思議に思いましたが、高崎線(寒い方面w)から走ってきているのを知り、成る程と思った記憶があります。
「手動式半自動ドア」(発車時は自動で閉まり、走行中は開かない)が正確なところではないでしょうか。手動ドアは旧客のような走行中もロックされず、いつでも開け閉めができるドアのことです。115系もロックが解除されて、あの重い扉を自分で開け閉めする。旧国鉄車両でもあった弘南電車のドアは結構軽かったですよ。引き戸ということもありますが、小学生でも簡単に開けることができた(閉める方は自動)ものです。
@@昭和電車チャンネル 群馬県の大学にいっていましたので、高崎線は帰省や東京へゆくときに利用していました。
電車は古いのにポータルがコンクリートでミスマッチ感
いつもご視聴、コメントありがとうございます。古い電車の方は淘汰することが決まっていたからでしょうね。
この車両カラーが渋いです。似た配色は秩父鉄道でかろうじて1編成現在あります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この渋い配色は私も大好きです。秩父鉄道6000系ですね。
国鉄も特急全盛期、普通列車は客車または気動車で運転してましたね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時、東北本線では客車3両ほどの普通列車がよく見られましたが、奥羽本線も同様だったのですね。
まさに旧型電車のごった煮!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ごった煮、カオス状態・・・当時は最後のひとときでした。
電動車が「モハ」表示。これが「デハ」だったらもっとレトロ。力行の「ぐお〜んゲロゲロゲロゴー〜〜」「スゥ〜コロコロコロ〜」「カラカラカラ・・・」加速すると音が澄んできて惰行で「シチン、テテ、シチン、テテ」と擬音表記が楽しい。コンプレッサーはモゴモゴンゴンゴリッリッですか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。擬音表記は聞く人によって、いろいろと考えられそうですね。私は子供の頃、吊り掛け音が「ウーーーモモーー」と聞こえておりました。
映像の感じから70年代でしょうか?
1988年だそうです!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。走っている電車たちがあまりに古いので、70年代どころか50~60年代にも見えますね。
ドア手動式やな
いつもご視聴、コメントありがとうございます。開けるときは手動、というの、ときどきありますね。
遮断機突破の自転車少年💦
いつもご視聴、コメントありがとうございます。まあ、電車通過後なので危なくはありませんが・・・直ぐに開かない反応の遅い踏切、ありましたね。
たまたま、見付けてました。凄く、貴重な動画ですね。元西武、371系。西武では、改造され、1371系サハとして、多摩湖線で、351系と挟まれて居ました。吊り上げモーター、良いですよね😃。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。西武多摩湖線というと、萩山駅とかの昭和中期の牧歌的風景の写真を見たことがあります。
たまたまこの動画を見つけました。実は父方の叔母が大鰐線の弘高下駅近くに住んでます。私も小学生の頃には叔母の家に泊まりに行っては、この吊り掛け電車も利用したことがあります。懐かしく感じます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
当時利用されていた方に懐かしんでいただけたなら、当方としても嬉しいです。弘高下から中央弘前までの車窓は変化も大きく乗っていて楽しく感じました。
不揃いだからこその美しさがあるね、そして釣り掛け音が耳に幸福感を感じるよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私がこの動画で伝えたかったポイントは、まさにその二つです!
画一化されて無いのが美しいんだよね〜、釣り掛け音も魂に響くし美しささえ感じるよ
まさにこの電車乗っていました。
戦前型は、中に棒があって、小学生がよく登ったりしていたものです。
床も板張りで冬には雪が窓から降ってきました。
昔は西弘前と弘高下の間に住んでいましたので、弘南電車が時刻替わりでした。
時に不協和音を奏でる車両が通過したと思うと保守用の車両だったりしました。
昭和62年まで弘南線で通学利用していましたが、そちらもなかなか個性的な車両が最大6両編成で通学客を運んでいたものです。
大鰐線でも4両で超満員の列車でしたが、今は通学時間でも2両がやっとで、それほど混んでいないところを見ると悲しくなります。
生徒数が当時の半分以下の状態ではむべなるかなといった感じですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地元の方ならではの視点のコメントを興味深く読ませていただきました。電車の中で「上り棒」に興じる小学生というのは想像するだけで楽しいです笑。弘南線では最大6両!!大鰐線でも4両しかも超満員!? そんな時代があったのですね。地方私鉄の朝の旅客輸送は高校生に支えられている場合が少なくないですが、昔に比べて生徒数が大幅に減っていますものね・・・
私は東急沿線に住んでいるので、この路線で懐かしい面々に会えた時は感動しました。この時代だと東の弘南、西の琴電、茨城の関鉄が不揃いで面白かったです。後に弘南線を走った東急3600系・3400系も凸凹編成でいい味出していました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時はまだ弘南線も新型が入る前で、東急3600形,3700形などの旧型がいたようですが、残念ながら大鰐線しか訪問しておらず、今では後悔しています。関東鉄道も面白さを知ったときは後の祭りで・・・ そんな中、琴電は幸い撮影映像がありますので「不揃い編成」第二弾の動画を制作中です。
吊り掛けサウンドは幸せの音ですね。
この時代の弘前に行きたかった😂
80年代の名鉄も吊り掛け天国でしたね。
今はたまに嵐電で吊り掛け音を楽しんでますが。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
名鉄は大手私鉄の中では、吊り掛けが後の時代まで活躍しましたね!
列車交換駅のスプリングポイント、外で聞く割り込みした時の音が結構デカい
気動車単線時代の相模線で驚いたのを思い出します
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そういえば、スプリングポイント通過時の音を私は外で聞いたことがありませんでした。
東急の車両が入る前の中小私鉄て、どこもこんな混ぜこぜ吊り掛け編成が多かったですよね。
手動ドアが昔の銭湯の引き戸みたいな音がするのがいいですし、旧国系の吊り掛けって言われてみると独特ですね(気のせいかも知れないですけど
乗務員室のドアが開けっぱなしとか、車掌さんがずっと座っているとか緩やかな時代でしたね~
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように当時の中小私鉄では様々な経歴を持つ旧型車輛が集結しており、東急の車輛が入る前の例では、大鰐線以外に上田交通などもありましたね。ネットなど無い時代なのでどこで情報を得たのか全く憶えていないのですが、この大鰐線、そして上田交通、日立電鉄、いずれも種々雑多な旧型車輛群が一掃される直前期に幸いにも撮影訪問ができております。銭湯の引き戸wもそうですが、古い店などではガラガラといった派手な音がする引き戸が結構ありましたよね。
弘前出身です。叔母が大鰐線沿線の学校に通っておりました。残念ながら還暦すら迎えることなく亡くなってしまいましたが、見たわけでもないのに若かりし叔母が通学していた情景が浮かんでくるようです。
素敵な動画ありがとうございました😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昭和の地方私鉄の女子学生・・・と聞いただけで、たしかにノスタルジーな気分になりますね。
当時の国鉄型やおわん型ベンチレーターなどレトロ感たっぷりな車両が揃ってましたね。上からの撮影した弘前高校に繋がる陸橋は、ストリートビューで見たら骨組みは残ってて足場の板はありませんでした。おそらく期の腐食によって通行禁止となり、腐敗した足場の木材は撤去されたのでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
あの陸橋がどうなったか気になり、私も確認(他の方がUPしている最近の前面展望動画にて)したことがあるのですが、骨組だけになっているとはいえ今でも残っていることに驚きました。当時は腐食こそしていませんでしたが板に隙間があったりして、渡るのがちょっと怖かった記憶があります。
高校の時はこの陸橋を通って通っていましたよ。
今は通行止めだそうですが、撤去にもお金がかかるのでそのままなのだとか。
このような車両1度でも乗りたかった
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
旧型電車たちは当時引退直前で、かなり貴重な存在でした。
地方私鉄では長い6連が走ってましたよね。見たかったなぁ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の方からのコメントにもありましたが、弘南線では最大6両編成があったようですね! 私も見たかった・・・
相当古い映像ですね♪不揃いな車両がより魅力的ですね!吊りかけ車そのものの車両ですが大好きです❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
古い吊り掛け車は単行で走っているだけで十分魅力的ですが、不揃いな編成を組んでいることで更に魅力が増しますね!
私は1980年代の一時期弘前に住んでいましたので、今回の動画、大変懐かしく拝見しました。車内が写るシーンがありますが、この当時は混んでいるとは言えないまでも、お客さんはそこそこ乗っていたんですね。今年の7月に弘前に行く機会があり、大鰐線にも2回乗りましたが、どちらの乗車時もお客さんの数は終始1桁のままでした。噂される廃止が現実になるのでは…と、ちょっと悲しい気持ちになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
元地元の方に懐かしんでいただけたなら当方としても嬉しいです。この沿線に限った話ではありませんが、日本各地で人口減少に伴う乗客減が顕著になっており、地方私鉄はどこも経営が苦しいようですね。県や沿線自治体からの補助を期待できれば良いのですが・・・
今回も本当に貴重な映像でした。
70年代まで見かけた古風な姿と木製の床が堪りませんね。手動のドアは走行時にロックされるのか気になります。
※ 昨年2023年春におじさんでも青春18きっぷを購入できることを知り、そこから鉄道に興味を持ち始めました。
恥ずかしながらこの路線も今回初めて知りましたし、大鰐線も読めず検索してたら鰐淵晴子さんの鰐だと後で気づきました😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
古い電車なので、木製の床は木目が浮いていましたね。手動ドアは開けるときだけで、さすがにこの時代なので閉まる際は自動&ロック維持だったと思います。鰐淵晴子さんといえば大昔の映画「ノンちゃん雲に乗る」をCSの日本映画専門チャンネルで見たことがあります。
地元のものです。
ドアは半自動で、降りる時にロックが外れ手動で開けることができます。発車するときには自動で閉まりますよ。
雪国なのでいちいち到着の度に開いていると暖房の意味がなくなりますからね。
JRの701系も半自動です。北国の知恵とでも言いましょうか。
@@bibilu2007-man さん
詳しい情報、本当にありがとうございます。手動でドアを開けて下車… 一度体験したかったですね。
貫通路の開き戸は桜木町事故をきっかけに採用されなくなりましたね。
その後、国鉄車は順次引き戸へ改造されて行ったはずですが、やはり私鉄までその流れは及ばず残った車両も存在したんですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そのような経緯は知りませんでした。やはり火災の際に開き戸では逃げ遅れの原因となったのでしょうね。
@@昭和電車チャンネル 火災が発生して、隣の車両へ逃げようとする乗客が殺到してしまい、開き戸を開けることが出来なかったそうです。
ドアコックが誰にでも分かるように表記されたり、赤くペイントされたりしているのも桜木町事故がきっかけですね。
モハ2233は西武の中古ですが、車体だけ譲渡されて部品は手持ちのものを使ってたと思われ、譲渡前は主電動機がモハ1形と同じMT4だったのでその音は青森で聞くことはなかったです。
モハ1122は西武311系の中古でしたが、旧型国電っぽい音がしたものの主電動機はMT7かMT10と考えられますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
毎回いただくコメントの内容が、かなり詳細で専門的なので勉強になります。電動機の変遷とか音の違いとか・・・奥が深い世界ですね。
弘南の釣り掛け駆動、ドップラー効果楽しめますね。
不揃い編成の釣り掛け揃い編成、面白いですね。
欲を言えば、阪和電鉄のモヨ100が遅くまで使用されていたのですが、見たかったです。
大都市にはない不揃い編成の釣り掛け電車、面白かったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ドップラー効果というと、乗車中の踏切警報器音、通過車輛の警笛音であれば、今でも楽しめますが、吊り掛け音で楽しめるのは、やはり全盛期ならではのことですね。モヨ100?は存じ上げておりませんでした。地方私鉄の不揃い編成の動画としては、今後、琴電や日立電鉄なども取り上げたいと考えています。
昭和レトロ車両も今はかなり稀少で、動体保存はあまり無いでしょう。
前照灯は屋根付近中央に設置、床が木造で、空調無しの天井には首が回る扇風機設置、ドアは片開きで片側2、3ヵ所、開閉式窓が定番でした。
吊り掛け電車とか言われてたしもしました。
結構、揺れているように見えますね。右側通行の列車交換は珍しい光景です。
こういう風なレトロ電車は各駅停車としての運 4:59 用が殆どで、快速運転はあまり無かった印象です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昭和レトロ電車は、まさに仰るような特徴を備えていますね。たしかに旧型車輛は各停専用という鉄道路線が多かったですが、それは新型車両も併用している場合であり、この大鰐線のようにオール旧型の場合は、快速電車の運用も必然的に旧型レトロ車輛となっておりました。
1985年から1987年春まで大鰐線沿線の下宿で過ごしていたので、中央弘前から西弘前はよく利用していました。
車両も懐かしいですが、中央弘前駅の先に見えるファッションビルの青い屋根が懐かしいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
沿線で利用されていた方に懐かしんでいただけたなら、私としても嬉しいです。
快速運用があったとは。2両編成が行き交うのみの今の大鰐線の姿からは想像しづらい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本数が少ないのに快速が存在したのは、たしかに謎でした。
弘南線は昭和50年代の旧東急3000系大量導入によって早いうちに車両のバラエティさが欠けてしまった感がありましたが、大鰐線は1988年秋の旧東急6000系、旧東急7000系導入までは様々なタイプの車両が走っていたので車両整備の人達は大変だったと思います。
あと旧西武の川造型車両には客車改造(一部の電装部品を撤去)されて津軽鉄道で使われたものもありましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時私は大鰐線のみの訪問でしたが、何か(ネットの無い時代なので雑誌?)から情報が得られたお陰で旧型車淘汰の始まる直前に間に合いました。津軽鉄道は残念ながら訪問できておりませんが、川造型の活躍の場はホント広いですね。
身延線の前身の富士身延鉄道の電車は、買収前に事故廃車になった1両と一部の客車改造のサハを除き、戦後の早いうちまでに飯田線の旧伊那電気鉄道区間に転用され伊那松島運転区に集結していて、国鉄ではそこで廃車になったということです。
元が山岳路線用ですのでトルクが大きく、その分鈍足だったそうですがサイズが手頃だったのか鶴見臨港鉄道モハ110形や南武鉄道モハ100形などと同じく地方私鉄に人気があり、ほぼ全て私鉄に譲渡されました。
それにしても吊り掛けの音が凄い爆音。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
富士身延鉄道や伊那電軌鉄道に関する経緯を詳しく解説いただき恐縮です。地方私鉄に人気というと、後年の東急車や京王車などのようですね。
うわぁぁぁ。。大阪市電、琴電、番外編の大阪トロリーバスもお願いします。😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大阪市電やトロリーバスは年代的に古くて私は撮影できておりませんが、琴電は撮影映像がいろいろあります。琴電は大鰐線に負けず劣らず「不揃い編成」の宝庫ですので、次回投稿はこれで行こうと準備中です。
一部元西武鉄道で活躍していた車両まりますよね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
元西武の車輛が活躍する地方私鉄は少なくないですが、ここ大鰐線では同じく元西武といっても古さが違いましたね。
どれもこれも渋くて味がありますねー。もし当時乗っていたら「ボロい」という印象だったかも知れませんけど(笑)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
こういった古い電車は、その渋さや味といった魅力を解さない多くの人々にとっては、「ボロ電」と認識されるに違いありません笑。
ゴールドキャンターが映ってました!
シルバーよりは、やはり希少なのでしょうね
車にバイク・電車は旧型がよかですね🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この時代の乗り物は、現代とは違ってなんか血が通っているように感じるところが良いですね。
クハ1266は琴電890のお仲間ですね〜
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
みんな(一部?)が大好き「川造型」ですね。宜しければ下記をご覧ください。
ruclips.net/video/OWWMwHWUK6w/видео.html
東急から初代7000系が入線する前ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
はい。あと個性的スタイルだった6000系も同時期に入線していますね。
半自ドアと言うより、 手動ドアが正しいですね。 国鉄115系の半自動ドア扱いの駅でドア開けた時の重さ 何とも言えなかったな。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
長い停車時間で冷たい風や雪が吹き込むのを避けるために、手動ドアは、主に寒冷地で見られたようですね。子供の頃115系のドアに取っ手が付いているのを初めて見たとき不思議に思いましたが、高崎線(寒い方面w)から走ってきているのを知り、成る程と思った記憶があります。
「手動式半自動ドア」(発車時は自動で閉まり、走行中は開かない)が正確なところではないでしょうか。
手動ドアは旧客のような走行中もロックされず、いつでも開け閉めができるドアのことです。
115系もロックが解除されて、あの重い扉を自分で開け閉めする。
旧国鉄車両でもあった弘南電車のドアは結構軽かったですよ。引き戸ということもありますが、小学生でも簡単に開けることができた(閉める方は自動)ものです。
@@昭和電車チャンネル
群馬県の大学にいっていましたので、高崎線は帰省や東京へゆくときに利用していました。
電車は古いのにポータルがコンクリートでミスマッチ感
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
古い電車の方は淘汰することが決まっていたからでしょうね。
この車両カラーが渋いです。似た配色は秩父鉄道でかろうじて1編成現在あります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この渋い配色は私も大好きです。秩父鉄道6000系ですね。
国鉄も特急全盛期、普通列車は客車または気動車で運転してましたね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時、東北本線では客車3両ほどの普通列車がよく見られましたが、奥羽本線も同様だったのですね。
まさに旧型電車のごった煮!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ごった煮、カオス状態・・・当時は最後のひとときでした。
電動車が「モハ」表示。これが「デハ」だったらもっとレトロ。
力行の「ぐお〜んゲロゲロゲロゴー〜〜」「スゥ〜コロコロコロ〜」「カラカラカラ・・・」
加速すると音が澄んできて惰行で「シチン、テテ、シチン、テテ」と擬音表記が楽しい。
コンプレッサーはモゴモゴンゴンゴリッリッですか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
擬音表記は聞く人によって、いろいろと考えられそうですね。私は子供の頃、吊り掛け音が「ウーーーモモーー」と聞こえておりました。
映像の感じから70年代でしょうか?
1988年だそうです!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
走っている電車たちがあまりに古いので、70年代どころか50~60年代にも見えますね。
ドア手動式やな
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
開けるときは手動、というの、ときどきありますね。
遮断機突破の自転車少年💦
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
まあ、電車通過後なので危なくはありませんが・・・直ぐに開かない反応の遅い踏切、ありましたね。
たまたま、見付けてました。
凄く、貴重な動画ですね。
元西武、371系。
西武では、改造され、1371系サハとして、多摩湖線で、351系と挟まれて居ました。
吊り上げモーター、良いですよね😃。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
西武多摩湖線というと、萩山駅とかの昭和中期の牧歌的風景の写真を見たことがあります。