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はじめまして。実に身になる話をありがとうございます。偶然、先生の動画を拝見しましたが、淡々とお話されながらとても分かりやすく、スッとココロに沁みました。ありがとうございました😊
ありがとうございました。大変貴重なお話を聞かせていただきました。図での例えの解説が、とてもわかり易かったです。正に私の心の状態をアウトプットして頂いた様な感じです。
お布施拝受しました。ありがとうございました。
前回の動画で今日はいつもと様子が少し違うぞ?そして今回、今日の動画でようやく、漸くですが弥陀の救いのヒントを掴んだ気がしました先生の動画に出会って一年真剣に聞くようになって半年過去の動画も読みあさって、あさって、あさりまくって、物分りの悪い私ですが漸く気付きに気付いた気がします他の宗教チャンネル仏教チャンネル、心理学やスピリチュアルやら色んな動画をあさってきましたが先生の動画は他の動画となにか違うぞ?そう思って見続けたかいがありましたこれも先生の人間性、真剣さあっての情熱、なんとか皆に分かりやすく伝えたい、その熱意が感じられました感謝しかありません先生とは画面越しでの付き合いですが自分の中での大切な師ですこれからも説法の程、宜しくお願い致します
菊谷先生、今回も大切なお話と有り難いカウンセリング説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝🙏🙏🙏
菊谷先生、いつも動画を有り難うございます。🙇♀ とても聞いていて楽しかったです。これからも宜しくお願い致します。時々見られる笑顔も楽しみです。体に気をつけて頑張ってください。😀🙌
簡潔で解りやすい解説に感じ入ります。ありがとうございました。
有難うございました。🙇♀️
とても勉強に、なりました。尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
「人生の中に色々ある光の点を集めていくと、ある時、心の夜が明ける、」と、考えたりします。今回もお話しありがとうございます。
ありがとうございます☺️✨
お先真っ暗の人生とは無明の闇そのものではないでしょうか。今日もありがとうございます。
人生とはかくも空虚なものであったかと知ったとき、人は生きる気力を失う。けれど、これは仏教を聞く第一歩ですね。「我々の人生はちょうど、暗闇の部屋で、手探りでものごとを判別しているようなもの」「扉が開いたとき、その部屋のものが全て判別できるようになる光」が仏の光明だと、教えてくれました。
西尾幹二氏の描写は流石ですね。これを引用し無明の闇を説明されていることで非常に分かりやすいと感じました。ありがとうございます。
お話よく分かりました。詳しいご解説ありがとうございます。。
先生が整理された退屈と暇の図は分かりやすかった。私は還暦、どこにもいたことがあるなと感慨深く聞いておりました。懐かしく反省もあり。僕の人生の目的は定まっています。おこがましいのでここでは記述しません。また教えてください。
暇な時間がないと、エゴが常に離れない人生になってしまいますよね。だから時々、暇な時間を作って自分を見直さないと。
貴重なお話有り難うございます。私も退屈で苦しんでいる一人でして、どういうことなのか分かりました。人間の努力では解決できない問題だったのですね。無明の闇を破る太陽(仏智)とのご縁は未だありませんが、家康の名言「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」のように、とりあえずは、マラソンの如く、人生を完走することが私に与えられた使命だと思っています。死ぬ時に後悔の無い人生を歩みたいと思っています。
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
菊谷隆太先生、こんにちは。💐🤱🌷🤱今日も、ステキな解説を、ありがとうございます。💐🤱🌷🤱
いつも有難うございます。退屈という切り口から空虚な心そして「無明の闇」について教えて頂きました。仰るように「苦しくてもなぜ生きなければならないのか(人生の目的が分からない心)」=「無明の闇」を抱えて私たちは生きていると感じます。その闇を仏智によって破って頂くところまで聴聞を続けたいと思います。ありがとうございました。
暇かとか退屈かとか空しいとか考えた事もなかった。世の中そういう人がいるのかと思いました。
自分の考え方を変えないと常に退屈だと思う、諸行無常🌸
自らのために時間を使えなければそれは忙しくても暇でも退屈です。楽しく時間を過ごしたいですね。
全ての人は虚しいのですね… 。
4:35 生産性の箇所はいくらでも当てはまる人はいますが、僕の場合は楽しくてご飯を食べる時間も惜しんで仕事をしていた本田宗一郎が一番最初に頭に浮かびます。
8:24 お風呂入る度に10年以上前から毎日同じ事思います。あと階段の上り下りでお同じ事を思います。又今日もお風呂に入っているという感覚で年月がどんどん去っていく感じがします。
、虚しさ人間と言う生き物の複雑さと神秘さのようなものに煩わされて生きてると感じるときがあり、確かに人間に気晴らしと言う欲求はとても必須だと感じます。しかしそれでも、なんとしても、退屈だったり悶々とした気分に煩わされます。これが人間と言う生き物の真髄なのでしょうか!?抜け出す知恵が沸き上がってこない・・・・。
私は煩わしさも認めています 素晴らしいことだけだと圧倒されて考えなくなる 少しは不備が自分にあっていいと思っています
生活や人生に反映させられる愉快を考えられるだけでも退屈はなくなります 無明の闇 人命の尊厳に暗い心 人間関係で“感謝”出来ると“尊厳”に気づけます 人生の目的は夢を叶えることであると夢と引き換えに人生は価値を失います 欲を満たすだけの“恍惚”とは時間とともに退いてしまいます “感謝”が多い人生には“祝福”があります “欲”という重力に落ちない心がけです ありがとうございました
仏教ってほんと深くて様々な人生の悩みに対しての答えがある。そりゃキリシタンが世界でどんな国もその配下においてきた教えが日本では通じなかった訳だと。日本は奈良時代から仏教が確立されてその時点から高度な教えが広まってたんだもんな。
親鸞上人も仰っていました。法然上人も言っています、普通に修行された僧侶の人達も皆仰っていますね。
無明の闇 深い深い河…親鸞聖人の…無碍の一道…早く立ち上がらなくては‼️
みんなが「おめでとう」というときは地獄の入口であるというような表現を聞いたことがあるのですが、まさにその通りだと感じたことを思い出します😅今でもおいそれと「おめでとう」なんて言葉はつかえないですね〜💦せめて苦しみが少ないことを願うことしかできません🍀
ナイス!
退屈でも幸せな人はいますよw
生きることに目的は無い。何かしら目標を設定し、その目標を目指している間は目的の無さからくる虚しさが忘れられる。でも、どんな目標を立てようとも本質的に生きることに目的は無い。だからふと、なんとも言えない虚しさを感じるのでしょう。燃え尽き症候群なんかは典型的ですね。目標が高ければ高いほど、「目的が無い」という現実との落差が大きくなるのでしょう。無明の闇は虚しさの根源を隠します。瞬間、瞬間、全ては生滅を繰り返します。 消え去る性質のものに対する執着。 それは虚しさの根源でしょう。無明は生きることへの執着を生み、虚しい生を繰り返させます。無明の闇を破らない限り、目的の無い世界を生き続けることになります。智慧を完成させることが仏教の目標との理解です。(仏教の目的は苦の滅尽です。 智慧の完成への道はそれを達成するための手段です。)智慧とはなんなのか? 無明とはなんなのか? 真理とはなんなのか?仏の智慧はなかなか難しそうですね。
お釈迦様も菩提を開いたとき、この真理を人々に説くことを躊躇したように、人の言葉ではいかに説明しがたいことなのだとよく分かります。
ハイデガー氏は無明の闇の存在は確認したが他力は確認されていないですね。この他力の適切な各国の翻訳があれば到達できたかもしれません。
🤓鬱(うつ)の状態みたいですね。
何でもかんでも考えすぎですね。Q)人生の目的は何ですか? A)なければダメですか。どこかで見た言葉ですが、「人生は死ぬまでの暇つぶし」であると。なるほどと思った記憶があります。楽しくても一日、悲しくても一日。何もなくても楽しい気分で過ごしましょう(不安を空想するなら、楽しいことを空想しましょう)。
煩悩不足の凡夫の知恵では無明の闇は破れないから阿弥陀仏の知恵を頂いて無明の闇を破りなさいという事ですかねえ??つまり何ですかアホは計算ができないから計算機をもらって計算するという事でしょう、早い話、人の褌で相撲を取る、でしょう。
はじめまして。実に身になる話をありがとうございます。偶然、先生の動画を拝見しましたが、淡々とお話されながらとても分かりやすく、スッとココロに沁みました。
ありがとうございました😊
ありがとうございました。大変貴重なお話を聞かせていただきました。
図での例えの解説が、とてもわかり易かったです。
正に私の心の状態をアウトプットして頂いた様な感じです。
お布施拝受しました。ありがとうございました。
前回の動画で今日はいつもと様子が少し違うぞ?
そして今回、今日の動画でようやく、漸くですが弥陀の救いのヒントを掴んだ気がしました
先生の動画に出会って一年
真剣に聞くようになって半年
過去の動画も読みあさって、あさって、あさりまくって、物分りの悪い私ですが漸く気付きに気付いた気がします
他の宗教チャンネル仏教チャンネル、心理学やスピリチュアルやら色んな動画をあさってきましたが先生の動画は他の動画となにか違うぞ?
そう思って見続けたかいがありました
これも先生の人間性、真剣さあっての情熱、なんとか皆に分かりやすく伝えたい、その熱意が感じられました
感謝しかありません
先生とは画面越しでの付き合いですが自分の中での大切な師です
これからも説法の程、宜しくお願い致します
菊谷先生、今回も大切なお話と有り難いカウンセリング説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝🙏🙏🙏
菊谷先生、いつも動画を有り難うございます。🙇♀ とても聞いていて楽しかったです。これからも宜しくお願い致します。時々見られる笑顔も楽しみです。体に気をつけて頑張ってください。😀🙌
簡潔で解りやすい解説に感じ入ります。ありがとうございました。
有難うございました。🙇♀️
とても勉強に、なりました。
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
「人生の中に色々ある光の点を集めていくと、ある時、心の夜が明ける、」と、考えたりします。今回もお話しありがとうございます。
ありがとうございます☺️✨
お先真っ暗の人生とは無明の闇そのものではないでしょうか。
今日もありがとうございます。
人生とはかくも空虚なものであったかと知ったとき、人は生きる気力を失う。
けれど、これは仏教を聞く第一歩ですね。
「我々の人生はちょうど、暗闇の部屋で、手探りでものごとを判別しているようなもの」「扉が開いたとき、その部屋のものが全て判別できるようになる光」が仏の光明だと、教えてくれました。
西尾幹二氏の描写は流石ですね。これを引用し無明の闇を説明されていることで非常に分かりやすいと感じました。ありがとうございます。
お話よく分かりました。詳しいご解説ありがとうございます。。
先生が整理された退屈と暇の図は分かりやすかった。私は還暦、どこにもいたことがあるなと感慨深く聞いておりました。懐かしく反省もあり。僕の人生の目的は定まっています。おこがましいのでここでは記述しません。また教えてください。
暇な時間がないと、エゴが常に離れない人生になってしまいますよね。だから時々、暇な時間を作って自分を見直さないと。
貴重なお話有り難うございます。
私も退屈で苦しんでいる一人でして、どういうことなのか分かりました。
人間の努力では解決できない問題だったのですね。
無明の闇を破る太陽(仏智)とのご縁は未だありませんが、家康の名言「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」のように、とりあえずは、マラソンの如く、人生を完走することが私に与えられた使命だと思っています。
死ぬ時に後悔の無い人生を歩みたいと思っています。
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
菊谷隆太先生、こんにちは。💐🤱🌷🤱今日も、ステキな解説を、ありがとうございます。💐🤱🌷🤱
いつも有難うございます。退屈という切り口から空虚な心そして「無明の闇」について教えて頂きました。仰るように「苦しくてもなぜ生きなければならないのか(人生の目的が分からない心)」=「無明の闇」を抱えて私たちは生きていると感じます。その闇を仏智によって破って頂くところまで聴聞を続けたいと思います。ありがとうございました。
暇かとか退屈かとか空しいとか考えた事もなかった。
世の中そういう人がいるのかと思いました。
自分の考え方を変えないと
常に退屈だと思う、
諸行無常🌸
自らのために時間を使えなければそれは忙しくても暇でも退屈です。楽しく時間を過ごしたいですね。
全ての人は虚しいのですね… 。
4:35 生産性の箇所はいくらでも当てはまる人はいますが、僕の場合は楽しくてご飯を食べる時間も惜しんで仕事をしていた本田宗一郎が一番最初に頭に浮かびます。
8:24 お風呂入る度に10年以上前から毎日同じ事思います。あと階段の上り下りでお同じ事を思います。又今日もお風呂に入っているという感覚で年月がどんどん去っていく感じがします。
、虚しさ人間と言う生き物の複雑さと神秘さのようなものに煩わされて生きてると感じるときがあり、確かに人間に気晴らしと言う欲求はとても必須だと感じます。しかしそれでも、なんとしても、退屈だったり悶々とした気分に煩わされます。これが人間と言う生き物の真髄なのでしょうか!?抜け出す知恵が沸き上がってこない・・・・。
私は煩わしさも認めています 素晴らしいことだけだと圧倒されて考えなくなる 少しは不備が自分にあっていいと思っています
生活や人生に反映させられる愉快を考えられるだけでも退屈はなくなります 無明の闇 人命の尊厳に暗い心 人間関係で“感謝”出来ると“尊厳”に気づけます 人生の目的は夢を叶えることであると夢と引き換えに人生は価値を失います 欲を満たすだけの“恍惚”とは時間とともに退いてしまいます “感謝”が多い人生には“祝福”があります “欲”という重力に落ちない心がけです ありがとうございました
仏教ってほんと深くて様々な人生の悩みに対しての答えがある。
そりゃキリシタンが世界でどんな国もその配下においてきた教えが
日本では通じなかった訳だと。日本は奈良時代から仏教が確立されて
その時点から高度な教えが広まってたんだもんな。
親鸞上人も仰っていました。法然上人も言っています、普通に修行された僧侶の人達も皆仰っていますね。
無明の闇 深い深い河…親鸞聖人の…無碍の一道…早く立ち上がらなくては‼️
みんなが「おめでとう」というときは地獄の入口であるというような表現を聞いたことがあるのですが、まさにその通りだと感じたことを思い出します😅
今でもおいそれと「おめでとう」なんて言葉はつかえないですね〜💦
せめて苦しみが少ないことを願うことしかできません🍀
ナイス!
退屈でも幸せな人はいますよw
生きることに目的は無い。
何かしら目標を設定し、その目標を目指している間は目的の無さからくる虚しさが忘れられる。
でも、どんな目標を立てようとも本質的に生きることに目的は無い。
だからふと、なんとも言えない虚しさを感じるのでしょう。
燃え尽き症候群なんかは典型的ですね。
目標が高ければ高いほど、「目的が無い」という現実との落差が大きくなるのでしょう。
無明の闇は虚しさの根源を隠します。
瞬間、瞬間、全ては生滅を繰り返します。 消え去る性質のものに対する執着。 それは虚しさの根源でしょう。
無明は生きることへの執着を生み、虚しい生を繰り返させます。
無明の闇を破らない限り、目的の無い世界を生き続けることになります。
智慧を完成させることが仏教の目標との理解です。
(仏教の目的は苦の滅尽です。 智慧の完成への道はそれを達成するための手段です。)
智慧とはなんなのか? 無明とはなんなのか? 真理とはなんなのか?
仏の智慧はなかなか難しそうですね。
お釈迦様も菩提を開いたとき、この真理を人々に説くことを躊躇したように、人の言葉ではいかに説明しがたいことなのだとよく分かります。
ハイデガー氏は無明の闇の存在は確認したが他力は確認されていないですね。この他力の適切な各国の翻訳があれば到達できたかもしれません。
🤓鬱(うつ)の状態みたいですね。
何でもかんでも考えすぎですね。
Q)人生の目的は何ですか? A)なければダメですか。
どこかで見た言葉ですが、「人生は死ぬまでの暇つぶし」であると。なるほどと思った記憶があります。
楽しくても一日、悲しくても一日。何もなくても楽しい気分で過ごしましょう(不安を空想するなら、楽しいことを空想しましょう)。
煩悩不足の凡夫の知恵では無明の闇は破れないから阿弥陀仏の知恵を頂いて無明の闇を破りなさいという事ですかねえ??つまり何ですかアホは計算ができないから計算機をもらって計算するという事でしょう、早い話、人の褌で相撲を取る、でしょう。