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いつもよく整理して解説してくださるので分かりやすいです😊 また中立の立場で対立する両者を語っているのがいいですね!
お返事遅くなり、申し訳ございません。お褒めの言葉とても嬉しいです!励みになります!これからもしっかり整理して解説をしていきますので、よろしくお願いします!!
私が日本史に興味を持ったきっかけは、鎌倉時代からでした。その時の教師が、歴史は裏側の方が面白い、と言っていましたが、先生の解説を拝聴させて頂いて、本当にそうだな、と感じています。歴史の教科書では、実朝暗殺により源氏の血は三代で絶えた、だけでしたし。私は、実朝が好きでしたから今回は辛かったですね😿
コメントありがとうございます!返信が遅くなってしまい申し訳ございません。実は僕も鎌倉時代から歴史に入ったので、同じですね!!より深く知ると面白いのでその魅力が少しでも伝わり嬉しいです!ありがとうございます!
先生、今日もありがとうございます!ドラマは今日も見応え十分で、とても重い回でしたね…。義村黒幕説、義時黒幕説、複雑に絡んだドラマではどのように史実と辻褄が合うのだろう?と見ておりましたが、全て納得の流れでした。後鳥羽上皇にしてみれば、将軍がやすやすと殺されるなんて考えもしなかったでしょうね。。鎌倉は恐ろしいところですよね!
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!!おっしゃる通り、後鳥羽上皇は実朝が死んだことが余程ショックだったのか、今までほとんど病気知らずだった後鳥羽がちょこちょこ寝込むようになるんですよね。驚いたことと思います。
後鳥羽上皇と義時の対立の理由がわかりやすかったです。今回の鎌倉殿は沢山の見どころがあって息つく暇もなかったです。尼将軍政子の自刃を止めた、アサシンのトウに美味しいところを全て持っていかれたように思います。
ありがとうございます!!今日の放送もあっという間でしまね!!久々にキレのあるトウが見れて安心?しました!笑 次回も活躍するかもしれませんね。
第45話を 見終えました。政子の自刃を トワが止めるシーンが泣けました😭ところで、先日鎌倉市に行った時に 政子と実朝の墓は見てこれましたが、公暁は お墓とか あるのでしょうか? 源氏の直系でありながら 源の氏を名乗れなかった公暁が 憐れでなりません。
トウも家族がみんな殺されても生きているので、政子の苦しさが分かったかもしれませんね。政子と実朝のお墓、びっくりするほど地味ですよね…ちなみに公暁はどこに埋葬されたか不明のようです。
@@nihonshi-salon 河原先生、返信ありがとうございました。
一番聞きやすい。
ありがとうございます!!聞きやすさは色々と改善を重ねてきたものの1つなので、お褒めいただき非常に嬉しいです!
お疲れさまです凄く分かりやすいですね🎵
コメントありがとうございます!!今回はあまり一般的には知られていない話だったので、動画作成に少し苦戦しましたが、そのように言っていただけて安堵しています…!これからもよろしくお願いします!
今日の鎌倉殿、実朝が死ぬの受けいれたうえで死ぬの悲しすぎた。三浦が自分の謀反ではないことをしめすために公暁やったのも悲しかった。あと今日の出来事をみててもほんとに阿波局は子供を鎌倉殿にしようと思うのかなと思いました義時はブラックになりすぎましたね
実朝の最期は本当に悲しすぎましたね。しかも、歩き巫女の「天命に逆らうな」はただのボケによる言葉だったのが何とも言えなかったです…頼朝に振り回されていた頃も小四郎に戻って欲しいとここ数話思ってしまいます。
後ろからぐさりは恐ろしいと感じました。しかも本人が食欲はどんな時でもおきるものなんだって言っている事に答えながらぐさり。死と隣り合わせに生きてくると人は何でも出来るのか?と感じました。人の業はかくも恐ろしく深いものなのか。
@@junkarino7205 後ろからいきなりは確かに恐ろしかったですね
今日も動画ありがとうございます😄後鳥羽上皇は安徳天皇の弟だったんですね。あと完全に支持されてたわけじゃなかったんですね。京での出来事、のえの兄をうったことも承久の乱の原因になったとは
2:12 逆です。弟です。
@@giantnioinoba2023 ありがとうございます😄修正しました
こちらこそ、いつもご覧いただきありがとうございます!!ドラマでのえのお兄さんが登場するかはわかりませんが、大きな事件でしたね!
いつも楽しく観ております。阿野全成、ミイの子供達は結局みな消されてしまったんです😅北条家は義時、トキューサ以外みな不幸な気がします。
ありがとうございます!確かに政子も実衣も不憫ですもんね…
実朝が討たれた事よりも源仲章の最期が心に残りました。みいはなんかたくらんでるし。でもこちらの動画を見たら、源氏は大変な目にあう事を知ってびっくりしたけれど、後に源氏である足利に倒される訳だから因果応報かもですね。ちょっとスマホの調子が悪く文字の入力がガラケーみたいにしないといけなくなり、もしかしたらライブに参加出来ないかもですが必ず観ますから、先生頑張ってくださいね。
生田斗真さん、本当に上手でしたね…!憎めないキャラだっただけに次回から登場しないのが寂しいです。ありがとうございます!スマホ直るといいですね!アーカイブは残しますので、楽しみにしていてください!!
はじめまして。歴史は、北条は時のつく人が多かったり、登場人物の名前が似ていて苦手だったのですが、解説が分かりやすくてちょっと楽しくなりました。来年の大河も解説されますか?
はじめまして!!こめんとありがとうございます!お返事遅くなり申し訳ございません。確かに鎌倉時代は特に名前が似てますからね…苦笑楽しくなるお手伝いができたようでとても嬉しいです!来年の大河の解説もする予定ですよ!
@@nihonshi-salon お返事ありがとうございます。お忙しいのにすみません😭 来年の大河も解説なさるそうですので、楽しみです。大河見たらこちらに来るようにしますね
前回の鎌倉殿の13人で、義時が実朝を見限る要因のひとつとなった、「いずれ幕府を京都六波羅に移す」という実朝の考えは本当にあったことなのでしょうか?あの実朝の計画が、義時から「鎌倉を見捨てる将軍だ」と見なされた原因だと描かれていたのですが、史実なのでしょうか?
ご質問ありがとうございます!結論だけ言うと、六波羅の話は三谷さんの創作です。前回のライブ(ruclips.net/video/yUwE7qGar_g/видео.html)の35分あたりから解説しているので、良かったらご覧ください!
@@nihonshi-salon ご回答、ありがとうございます。ライブアーカイブを拝見しました(「さみする」という言葉を初めて知りました)。六波羅幕府構想は三谷さんの創作だったのですね。もし実朝が暗殺されず、鎌倉幕府の権威付けのための東国王権が実現していたら、そしていくら後鳥羽上皇が実朝を信頼してそれを支援していたとしても、義時は親王将軍を利用して京都に対峙し、南北朝時代ならぬ「東西朝時代」が訪れていたかもしれませんね。歴史に「もし」は禁物ですが…。
こうして見ると、公暁が早まった真似をしなければ承久の乱は起こらずに済んだのではないかと思えてなりません。それと、上皇方に付く武士が多い少ないはともかくいたのは、北条氏への不満と朝廷の権力がまだ侮れなかったからでしょう。
おっしゃる通り、実朝が存命であれば承久の乱は起こらなかったでしょうし、その後も武家政権の形も変わったかもしれませんね。在京御家人が後鳥羽方につく勢力が多かったことからも朝廷の威光は健在だったと思います!
過去に「たら・れば」は禁物、と昔から言われますね。同様に、亡くなった者は還らない。水は低きより高きに流れない、ですから、其れはそれで仕方ないと…方丈記(北条記に非ずw)は良いことを言っています。
@@nihonshi-salon そうはならなかった!というところに歴史の妙が在るのだと思います。逆に、こうだったら!あの時勝っていれば〜!類の小説が若い時から大好きでした。暫し、若くして南の海深く眠っているであろう、叔父を偲びながら溜飲を下げております。私事、失礼致しました。
毎回人が死んでいきますね。。。昨日の大河ドラマみて思いましたが、公暁が実朝を殺害した後、逃げる際に実朝の首を持って逃げる話が描写なかったですが、首実験で公暁の首が出てきたので、実朝のは控えたんでしょうね。。。
コメントありがとうございます!お返事が遅くなり申し訳ありません。コンプラ的に問題があったのかもしれませんね…苦笑 髑髏に置き換えたのはうまいな!と思いました。
朝廷のトップの自分がまさか負けて遥か隠岐に島流しの憂き目にあうなんて夢にも思わなかったろうに。他人事のように距離を置いて幕府に任せて仕舞えば良かったのに。其の後も足利の代になってもしぶとく政権奪還を目論むもまたしても敗れるとは。。。頼朝の血筋は徹底して断絶されている事に平家血筋の恐ろしさが伺えます。瀬戸内の海からの清盛一族の高笑いが聴こえてくるような頼朝一族の末路です。平家も源氏も天皇家に翻弄されてお互い折り合いをつけて距離を保てばまた違う世界があったのかも?いつの世も人の怨みと嫉みは恐ろしいものです。😱💦
良くも悪くも後鳥羽は自分の統制下におきたい欲が強すぎたと思います。隠岐に流された後鳥羽の失意は相当だったでしょうね。
後醍醐は確か後鳥羽の直系子孫ですね。天皇にしてはラジカルな気性も似ている(後鳥羽はやはり三種の神器を持たずに即位したコンプレックスがずっと尾を引いていたと思う)。後醍醐は果たせなかった先祖の鎌倉打倒を実現し、足利もまた北条に消された源氏将軍を復興させた。まさに因果は巡る。しかし、足利将軍家には全員北条義時の血が流れる。平安末期から鎌倉ー室町というのはひとつに繋がってみえます。
今回の動画で気になったのは2点。1点目は、トキューサの蹴鞠外交について。大河ドラマ第46回の予告で、トキューサの蹴鞠の様子がチラッと出ていた時。もうかなり終盤で殺伐としてるはずなのに、トキューサは、のほほんとしてるなーと。でも先生の動画では、次のトキューサの(蹴鞠?)外交は、「強硬な態度に出た」ようですね。来週、ドラマの中でどう描かれるか楽しみです。もう1点は、藤原秀康について。大河ドラマの人物相関図で新しく出てきた人。全然知らない・・・先生の動画に名前が出てきて、☆-(^ー'*)bナルホド!!と。今週の大河ドラマの中では、公暁が「私には武士の名前がありませんでした」と言ったことが印象に残りました。「阿闍梨 公暁」は武士の名前ではなく、僧としての名前??
いつもコメントありがとうございます!お返事遅くなり申し訳ないです。藤原秀康出てきましたね!承久の乱のキーパーソンの1人です!そして、「阿闍梨」は先生や高僧という意味で、「公暁」は僧侶の名前になります。そのため、阿闍梨公暁はおっしゃる通り僧としての名前になりますね。
後鳥羽上皇は、承久の乱の後に隠岐へ配流され、失意のまま没しますが、5代後の子孫、後醍醐天皇が(同じように隠岐に流されながらも)北条にリベンジを果たすわけですね。
そう考えると後醍醐天皇は流されてからも諦めずに行動していることから、後鳥羽上皇以上にバイタリティに溢れた人物だったかもしれませんね。
今週も楽しく拝見しました✨歴史がますます面白く興味深くなりましたね🎵分かりやすい口調でありがとうございます(*^^*)
ありがとうございます!!歴史に興味を持っていただけるのが、僕にとっては一番の喜びなので、すごく嬉しいです!!
河原先生お疲れ様です、歴史の真実が良く理解出来ます、上皇様と義時は話し合う機会を作り話せば良かったですね❗️ライブと解説を楽しみに待っています、ありがとごさいました❗️
ありがとうございます!おっしゃる通り、今みたいに場所が離れていても話し合える環境があれば、歴史は変わったかもしれませんね。ライブの方もいつもありがとうございます!
いつもよく整理して解説してくださるので分かりやすいです😊 また中立の立場で対立する両者を語っているのがいいですね!
お返事遅くなり、申し訳ございません。
お褒めの言葉とても嬉しいです!励みになります!
これからもしっかり整理して解説をしていきますので、よろしくお願いします!!
私が日本史に興味を持ったきっかけは、鎌倉時代からでした。
その時の教師が、歴史は裏側の方が面白い、と言っていましたが、先生の解説を拝聴させて頂いて、本当にそうだな、と感じています。
歴史の教科書では、実朝暗殺により源氏の血は三代で絶えた、だけでしたし。私は、実朝が好きでしたから今回は辛かったですね😿
コメントありがとうございます!返信が遅くなってしまい申し訳ございません。
実は僕も鎌倉時代から歴史に入ったので、同じですね!!
より深く知ると面白いのでその魅力が少しでも伝わり嬉しいです!ありがとうございます!
先生、今日もありがとうございます!
ドラマは今日も見応え十分で、とても重い回でしたね…。
義村黒幕説、義時黒幕説、複雑に絡んだドラマではどのように史実と辻褄が合うのだろう?と見ておりましたが、全て納得の流れでした。
後鳥羽上皇にしてみれば、将軍がやすやすと殺されるなんて考えもしなかったでしょうね。。鎌倉は恐ろしいところですよね!
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!!
おっしゃる通り、後鳥羽上皇は実朝が死んだことが余程ショックだったのか、今までほとんど病気知らずだった後鳥羽がちょこちょこ寝込むようになるんですよね。驚いたことと思います。
後鳥羽上皇と義時の対立の理由がわかりやすかったです。今回の鎌倉殿は沢山の見どころがあって息つく暇もなかったです。尼将軍政子の自刃を止めた、アサシンのトウに美味しいところを全て持っていかれたように思います。
ありがとうございます!!
今日の放送もあっという間でしまね!!久々にキレのあるトウが見れて安心?しました!笑 次回も活躍するかもしれませんね。
第45話を 見終えました。政子の自刃を トワが止めるシーンが泣けました😭
ところで、先日鎌倉市に行った時に 政子と実朝の墓は見てこれましたが、公暁は お墓とか あるのでしょうか? 源氏の直系でありながら 源の氏を名乗れなかった公暁が 憐れでなりません。
トウも家族がみんな殺されても生きているので、政子の苦しさが分かったかもしれませんね。
政子と実朝のお墓、びっくりするほど地味ですよね…ちなみに公暁はどこに埋葬されたか不明のようです。
@@nihonshi-salon 河原先生、返信ありがとうございました。
一番聞きやすい。
ありがとうございます!!聞きやすさは色々と改善を重ねてきたものの1つなので、お褒めいただき非常に嬉しいです!
お疲れさまです
凄く分かりやすいですね🎵
コメントありがとうございます!!
今回はあまり一般的には知られていない話だったので、動画作成に少し苦戦しましたが、そのように言っていただけて安堵しています…!これからもよろしくお願いします!
今日の鎌倉殿、実朝が死ぬの受けいれたうえで死ぬの悲しすぎた。三浦が自分の謀反ではないことをしめすために公暁やったのも悲しかった。あと今日の出来事をみててもほんとに阿波局は子供を鎌倉殿にしようと思うのかなと思いました
義時はブラックになりすぎましたね
実朝の最期は本当に悲しすぎましたね。しかも、歩き巫女の「天命に逆らうな」はただのボケによる言葉だったのが何とも言えなかったです…頼朝に振り回されていた頃も小四郎に戻って欲しいとここ数話思ってしまいます。
後ろからぐさりは恐ろしいと感じました。しかも本人が食欲はどんな時でもおきるものなんだって言っている事に答えながらぐさり。死と隣り合わせに生きてくると人は何でも出来るのか?と感じました。人の業はかくも恐ろしく深いものなのか。
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2:12 逆です。弟です。
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こちらこそ、いつもご覧いただきありがとうございます!!
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いつも楽しく観ております。
阿野全成、ミイの子供達は結局みな消されてしまったんです😅
北条家は義時、トキューサ以外みな不幸な気がします。
ありがとうございます!
確かに政子も実衣も不憫ですもんね…
実朝が討たれた事よりも源仲章の最期が心に残りました。
みいはなんかたくらんでるし。
でもこちらの動画を見たら、源氏は大変な目にあう事を知ってびっくりしたけれど、後に源氏である足利に倒される訳だから因果応報かもですね。
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生田斗真さん、本当に上手でしたね…!憎めないキャラだっただけに次回から登場しないのが寂しいです。
ありがとうございます!スマホ直るといいですね!アーカイブは残しますので、楽しみにしていてください!!
はじめまして。歴史は、北条は時のつく人が多かったり、登場人物の名前が似ていて苦手だったのですが、解説が分かりやすくてちょっと楽しくなりました。来年の大河も解説されますか?
はじめまして!!こめんとありがとうございます!お返事遅くなり申し訳ございません。
確かに鎌倉時代は特に名前が似てますからね…苦笑
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来年の大河の解説もする予定ですよ!
@@nihonshi-salon お返事ありがとうございます。お忙しいのにすみません😭 来年の大河も解説なさるそうですので、楽しみです。大河見たらこちらに来るようにしますね
前回の鎌倉殿の13人で、義時が実朝を見限る要因のひとつとなった、
「いずれ幕府を京都六波羅に移す」
という実朝の考えは本当にあったことなのでしょうか?
あの実朝の計画が、義時から
「鎌倉を見捨てる将軍だ」
と見なされた原因だと描かれていたのですが、史実なのでしょうか?
ご質問ありがとうございます!
結論だけ言うと、六波羅の話は三谷さんの創作です。前回のライブ(ruclips.net/video/yUwE7qGar_g/видео.html)の35分あたりから解説しているので、良かったらご覧ください!
@@nihonshi-salon
ご回答、ありがとうございます。
ライブアーカイブを拝見しました(「さみする」という言葉を初めて知りました)。
六波羅幕府構想は三谷さんの創作だったのですね。
もし実朝が暗殺されず、鎌倉幕府の権威付けのための東国王権が実現していたら、そしていくら後鳥羽上皇が実朝を信頼してそれを支援していたとしても、義時は親王将軍を利用して京都に対峙し、南北朝時代ならぬ「東西朝時代」が訪れていたかもしれませんね。
歴史に「もし」は禁物ですが…。
こうして見ると、公暁が早まった真似をしなければ承久の乱は起こらずに済んだのではないかと思えてなりません。それと、上皇方に付く武士が多い少ないはともかくいたのは、北条氏への不満と朝廷の権力がまだ侮れなかったからでしょう。
おっしゃる通り、実朝が存命であれば承久の乱は起こらなかったでしょうし、その後も武家政権の形も変わったかもしれませんね。
在京御家人が後鳥羽方につく勢力が多かったことからも朝廷の威光は健在だったと思います!
過去に「たら・れば」は禁物、と昔から言われますね。
同様に、亡くなった者は還らない。
水は低きより高きに流れない、
ですから、其れはそれで仕方ないと…
方丈記(北条記に非ずw)は良いことを
言っています。
@@nihonshi-salon
そうはならなかった!
というところに歴史の妙が在るのだと
思います。
逆に、こうだったら!
あの時勝っていれば〜!
類の小説が若い時から大好きでした。
暫し、若くして南の海深く眠っているであろう、叔父を偲びながら
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良くも悪くも後鳥羽は自分の統制下におきたい欲が強すぎたと思います。隠岐に流された後鳥羽の失意は相当だったでしょうね。
後醍醐は確か後鳥羽の直系子孫ですね。天皇にしてはラジカルな気性も似ている(後鳥羽はやはり三種の神器を持たずに即位したコンプレックスがずっと尾を引いていたと思う)。後醍醐は果たせなかった先祖の鎌倉打倒を実現し、足利もまた北条に消された源氏将軍を復興させた。まさに因果は巡る。しかし、足利将軍家には全員北条義時の血が流れる。平安末期から鎌倉ー室町というのはひとつに繋がってみえます。
今回の動画で気になったのは2点。
1点目は、トキューサの蹴鞠外交について。
大河ドラマ第46回の予告で、トキューサの蹴鞠の様子がチラッと出ていた時。
もうかなり終盤で殺伐としてるはずなのに、トキューサは、のほほんとしてるなーと。
でも先生の動画では、次のトキューサの(蹴鞠?)外交は、「強硬な態度に出た」ようですね。
来週、ドラマの中でどう描かれるか楽しみです。
もう1点は、藤原秀康について。
大河ドラマの人物相関図で新しく出てきた人。
全然知らない・・・
先生の動画に名前が出てきて、☆-(^ー'*)bナルホド!!と。
今週の大河ドラマの中では、公暁が
「私には武士の名前がありませんでした」と言ったことが印象に残りました。
「阿闍梨 公暁」は武士の名前ではなく、僧としての名前??
いつもコメントありがとうございます!お返事遅くなり申し訳ないです。
藤原秀康出てきましたね!承久の乱のキーパーソンの1人です!
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後鳥羽上皇は、承久の乱の後に隠岐へ配流され、失意のまま没しますが、5代後の子孫、後醍醐天皇が(同じように隠岐に流されながらも)北条にリベンジを果たすわけですね。
そう考えると後醍醐天皇は流されてからも諦めずに行動していることから、後鳥羽上皇以上にバイタリティに溢れた人物だったかもしれませんね。
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ありがとうございます!
おっしゃる通り、今みたいに場所が離れていても話し合える環境があれば、歴史は変わったかもしれませんね。ライブの方もいつもありがとうございます!