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秀忠って温厚な印象があるけど案外容赦ないよね
動画の内容より「ジェットコースターのような波乱の生涯の正則」に笑ってしまった。
第二の関ヶ原の戦いに繋がり兼ねないと秀忠は思ったから広島城の無断改修を厳重に処罰したのかも
6:22 敬語家康草
蟹江敬三さんの演じた福島正則が好きですね
正則さんが改易後に住んだ長野県高山村も雰囲気あってなかなかいいところだよ。
こういう動画いっぱいみてきたけど加賀百万石の前田家ってすげえなあ😮
よく小西さんを商人の息子とかディスる奴がいるが、こいつなんて桶屋の息子なんだが・・。
基本的に子飼いはこんなやつらばかり
正則は、うまく利用されたんですよね。家康は、天下を取った後、正則が邪魔になって潰した。今の世の中でもよくある話ですよ。
加藤家も取り潰しになってるやろ?
清正の息子の忠広が家光の時に改易されてる
7:35 花の慶次の作者の別の小説だと秀忠が暗殺の黒幕。
なんだかんだ言いつつ、徳川幕府は外様の領地を改易したいから、どんな理由でもいいんだよ。
戦争めっちゃ強いのに、細かいことは苦手な感じですね。
福島正則というと、大河ドラマ「葵 徳川三代」の蟹江敬三さんを思い出すね。関ヶ原ののち、捕らえられた三成と家康の対面のシーンでの悪役ぶりは印象的だった。
葵徳川三代の、蟹江敬三さんがとても福島正則にイメージぴったりだった!
知識は力なり。
結局家康に上手く利用されただけってイメージだな。
それなぁ
将軍の権威を高めるために他家への影響力がデカかったからかも
それなら、まだ石田三成や小西行長、長束正家の方が推せますね。
脳筋のイメージが強い正則だけど実は政治手腕も優れてたとか
先生のおかげで日本史がさらに好きになりました。ラーメン屋さんも行ってみたいです💦
待ってました
雨漏りだけでそこまで失うのはある意味凄い
実は取り潰す口実が幕府は欲しかっただけでなんでもよかったんですね。幕府も福島の力を活用したいときだったらそこまで言わなかっただろうけど…
関ヶ原で遅参した秀忠をみくびっていたのでしょう
まさに難癖だな。そのくらい徳川家からしたら正則が秀頼に寝返ったら脅威と感じたのでは。その反面、生き残れた長政や忠興はかなりしたたかで賢かったと思う。
まあ、言いがかりつけて取り潰したかたんだろうな。理由はなんでも良かったんだ。
深酒で城を失う張飛みたい
晩年の福島正則が居たところは長野県の須坂市よりも山の方の高山村に屋敷があったんだけどすっごい田舎暮らしだから島流しみたいな感じですね
正直先見の明も無ければ頭が良いとも言えない辺り終始豊臣に付きっきりのがマシだったのかも知れない……
恐妻家だったって話聞きたかったな😅
岩松院という信州小布施の、北斎の天井絵と繁殖期の蛙合戦で有名な寺に墓がある。彼がこっちに改易されてから作った土手とかあっていい殿様だってらしい。武勇と忠義だけで生きられる時代じゃ無くなった事が彼の悲劇なんだろうな。側室はなんと家康の養女!スパイみたいなもんかな?
なんか切なくなるね。戦国を生きた人の最後は
秀忠にとっては福島正則のやらかしは最高の見せしめだったろうな。元豊臣方大名は真っ青になったことは想像に難くない
関ヶ原で石田三成と敵対した、と言うより徳川家に味方したことが福島正則の致命傷だったな。石田方との軋轢がなければそもそも関ヶ原の戦いもなかったかもしれん
なお、江戸城で伊達政宗に絡まれて取っ組み合いの相撲を行うことになった被害者。その後江戸城では相撲厳禁になる
正則は徳川に敵意が無いことをアピールする必要があったんでしょうね。翻意が無いことを伝えるだけでもかなり変わったのかなと思います。正則ほどの大名がそういう態度を取ることで徳川方は「徳川には逆らえない」という雰囲気を作るために利用できたでしょうし、win-winになれたんじゃないでしょうか。正勝以降は2000石の旗本として存続していったそうです。
処刑される前の三成は、元々秀吉の部下ではない黒田さんや藤堂さんには大して切れなかったが、福島さんにはガチ切れしたからな。
ただの嫌がらせやん
秀吉とも親戚だったけど顔は似てませんね。
三成口実に豊臣見捨て徳川に接近
雨漏りを勝手に治したのは何年も徳川家に許可を出してたのに一向に返事がないから仕方なくだった気がする
幕府の権力争いに巻き込まれたのは流石に可哀想たったけど幕府側も本丸以外の修繕箇所を取り壊せばお咎めなしと言ってくれたのに幕府の裁定通りにしなかった正則も悪い
いつも良質な動画ありがとうございます!!
福島正則は親分肌で家臣からも愛され、治世にも優れていましたが、粗暴で残忍な一面もあり、特に酒が入ると手がつけられなくなることもあったそうです。幼少の時に大人と喧嘩をして鑿で相手を殺害・関ヶ原の戦いの恩賞で安芸・備後50万石を与えられ、船で入封する際に地嵐という風が吹いたことに腹を立て罪のない船頭を斬殺・酒に酔って家臣に切腹を強要・徳川家の旗本である伊奈昭綱の配下の足軽に侮辱され自害した家臣の件で徳川幕府が折れるまで昭綱の首を要求するなど乱暴者のエピソードに事欠かず、特に昭綱の一件は後に福島家が改易される遠因となったと言われています。
その他に黒田長政の家老母里友信に飲み比べ挑んで惨敗して槍取られるしw池田輝政に「お前の領地はどうせ陰茎の先っぽで取った癖に」と嫌味言ったつもりが、逆に「槍働きしていたら天下を取ってたでござる」とうまく切り返されるしw
要するに自分で自分の首を絞めたというこうですね。
酒が絡んで家宝の槍を手放す羽目になったのも有名です。
日本版張飛
@@akirakajiwara9478その時に呑み取った槍は福岡藩重臣母里家が代々受け継いだけど、明治に当時の母里家当主の甥が勝手に売却した。現在は福岡市博物館に展示されている。
おねの言うことなんて聞かなければよかった。
大河ドラマの主役に向いてると思うけどなー
この人見てると、最後まで抗った秀頼もある意味間違ってなかったと思える。国替えに応じでも秀忠が見逃してくれるわけないわな……。 本人は、「頼むから大坂に行かせてくれぇ!」とずっと訴えてたらしいけど、大坂の陣始まる前から豊臣恩顧大名は皆江戸に集められてたのだから、もう止めれないって分かるだろうに……。 まあ、それでも大坂に8万石の備蓄米用意してくれたのは見事。戦国最後の大戦が籠城戦で終わることがなくて良かったです。
完全に豊臣恩顧潰し
徳川幕府は豊臣子飼いの家臣が邪魔だったのでしょうね
加藤清正は石田三成と那古野城の建設までは仲が良かったが、朝鮮の陣で先鋒司令官と軍監の関係になって、漢城一番乗りは小西行長で、秀吉に報告したのが一番早かったのが清正と三成が報告したり、二人は不仲になった。
母里太兵衛(酒豪)に嫌がらせで酒を強要した結果、名槍日本号を持っていかれる、酔っ払った際に衝動的に家臣を処刑しようとして、家臣の奥方に一喝されて素面に戻る、など、傍目には笑える話も盛り沢山なんですよねぇ、福島正則。
いや、家臣を切腹させてるよ酔っぱらって民に暴力振るって秀吉に怒られたこともあるし
あれでかなりの恐妻家だったと言うんだから
7:58 行っても負け確だからこれが正解だったんだろうけど、ここで秀頼を助けに行ってたら後世に滅茶苦茶人気出ただろうな(大河の主役クラス)
清正と正則が黒田長政や細川忠興のように豊臣家を完全に見限っていたら両家の没落はなかったかもしれない…
あくまで細川と黒田の両者には優秀な父親が長命で、関ヶ原まで存命ですからね、恩着を無視せよということも言われるでしょう。 特に細川幽斎は、娘婿の明智を裏切り、秀吉側につき、生き延びましたから。 そして、官兵衛は周知の如く、見聞に優れてますし。一方の福島と加藤は秀吉が本当の父のようなもので、著名な家系では無いことは確かですから、豊臣への恩は高いでしょう。
福島正則は酔った勢いで家臣に切腹を命じて、翌日本当に切腹していた家臣を見て泣いて後悔したって話もありますね。戦国時代は武将が集まれば昼は茶の湯、夜は酒盛りが当たり前だから、もしかすると酒の席で粗相をして家康に目をつけられていたのかも。
酒さえ飲まなけりゃ…酒さえ飲まなけりゃ優秀な人なんだ(ノД`)
秀吉から賜った槍を黒田家の母里太兵衛に飲み取られるエピソード(黒田節)を入れて欲しかったです。
秀吉が死んだら速攻で家康に媚びまくり。
ちょうど今日の夕方、広島のローカルで広島城の福島が修繕した箇所の話をしていたので見ました。広島出身なんですねー自分もラーメン屋行ってみますw
福島正則って「お酒でのヤラカシNo.1武将」のイメージがめっちゃありますね。酒に酔って家臣死なせたり、黒田家家臣の母里太兵衛と酒の飲み比べで負けて、名槍を持っていかれてるし‥‥‥。他の方が言ってる「日本版・張飛」の説明がメッチャ分かり易い。笑戦国乱世には向いてても、太平の時代には向いてなかったから、結局、この人に足らんかったのは「時代に合わせた生き方」なんだろうなー。大坂の陣が終わった後にでも隠居して、第一線から退くって言う選択をしてたら、ココまで転落することは無かったかも。(それでも徳川幕府からの警戒と疑惑の視線は向けられるやろうけど。)
将軍の絶対権威を強くしたいなら誰にしよっかなあじゃないかなあんで白羽の矢が立つそれが福島正則だった他家への影響力がデカかったからだと思うな
動画ありがとうございます。賤ヶ岳七本槍の一人ですね。福島正則、加藤清正(の子ども)は領地没収となってしまいましたが、脇坂安治の家は明治時代まで続き、三代目のときに譜代になったんですよね。いろいろあります。ちなみに個人的に賤ヶ岳七本槍の中で気の毒だなと思っているのは豊臣家と徳川家の両家に振り回された片桐且元ですね。
広島城天守閣は太平洋戦争末期まで残存してましたが、1945年8月 アメリカ陸軍航空機が投下した原子爆弾で全壊戦後、鉄筋コンクリート建てで復興されました
福島や加藤のような秀吉子飼いの武将たちは能力は高かったが先見の明だけはなかったと思っている。
出世したいかーのりーってゆうと思ったw
よいしょーよっこいしょー
本多正純は、“窓際族”。今や将軍の信頼厚きは土井利勝、続いて酒井忠世。そちは時代の流れに乗り遅れたのじゃ。(『葵徳川三代より』)
大河ドラマとはいえ、光圀の口から窓際族という言葉が出るのは時代考証的にはいかがなものかとwしかも福島が改易されたのは光圀が生まれる前。
早い話が脇が甘かった。
利用されるだけ利用されて捨てられたな・・・皮肉だが正則が大名として生き抜くチャンスば石田三成に協力するしかなかったのだ。
晩年は三成が正しかったって残してたみたいだし
@@ペプシマンプロトタイプ 遅すぎたな・・・。佐吉(三成)の不器用さをきちんと認識し、刑部(吉継)を武断派との仲介役にして、豊臣家の内紛を避けながら家康の暴走を抑えるという判断さえできてたら、主家を守った勇将として名を残せただろうに・・・
関ヶ原の戦いで東軍になった豊臣恩顧の大名たちも徳川からみたらあまり信頼できなかったんだろう。
やっぱ裏切りで成り上がった人は、信用はされないんでしょうね
福島正則の鎧兜好きかっこいい猛牛の角最後は悲しいけどかっこいい武将
広島行きたい。大好き。広島城は、輝元が築いた城?毛利家の念かな。
戦国無双シリーズでは福島正則はモヒカンだね
あれはリーゼントでは🤔
チャンネルオーナーの徳永はんって、広島県出身なんですか…。私ですが幾度か広島県を訪れたことがあり、広島市には一度だけ、福山市には三度ほど訪れたことがあります。尾道ラーメンというと、福山駅構内のあのスタンドのも美味しいものがありますよね。私は、福山駅構内のあそこで、尾道ラーメンを堪能しました。
正則は修復の届け出を出していましたが、修復完了するまでの間に家康との取り次ぎをしていた本多正純が失脚したので、事務処理が出来ていなかったとゆう話は聞いた事有りますね、いかんせん相棒の清正と違ってこの人はイメージ悪いですね…
豊臣恩顧の大名はことごとく亡くなっていくから暗殺されたんじゃないかってずっと思ってる
広島城の改築を密告したのがよりにもよって毛利輝元…関ケ原といい、佐野道可(大阪の陣時に部下を送り込んだ疑惑)事件といい全然懲りない奴でもあり、豊臣家を潰したMVPすぎる正則は清正と違ってワンマンタイプでもなくイメージと違って官僚寄りの人でもあったから部下の再就職率も高かったみたいな話も聞くなぁ 強い奴が好きで下に優しい愛嬌度上がった張飛って感じ
わあ!!✨私のご先祖の回!
この秀吉「ニューヨークに行きたいか~?」とか言いそうそしてウルトラクイズ張りに天国と地獄が紙一重な人生でしたね
福島正則が修理した広島城は324年後の夏に一発の原子爆弾によって破壊された。
この頃の資料見てると大谷よしつぐあたりとか一番適格に読んでたよな周りは先見の目とその後を見れないものばかり徳川が勝ったら一時は優遇されても結局は我ら豊臣に組してたものは何かしら理由つけて迫害・滅亡に追いやられる そんなこともわからない無能が多いのは嘆かわしい・・・また石田の人望のなさも問題なり。 前田殿が生きてるうちに決着つけならなかったもしくは秀長様が生存してたならばみたいなことが文書に残ってるものな・・・
福島正則さんのエピソードは既に様々な情報で大まかに存じていますが、漫画で振り返ると今までよりも印象に残りました。
いやー広島出身なんで前から福島正則は気になってたんですよねー。楽しかったです!
加藤清正と福島正則は清正がもし長生きしていたら二人が組んで徳川に一矢報いたかもしれませんと言いますかして欲しかったです。
張飛だなぁ…
戦国無双では何故か清正と三成の友情トリオみたいな関係になってる正則(笑)
しかもなんかツッパリヤンキーみたいなキャラw
朝鮮出兵前までは仲は悪く無かったとか
「どけどけェ!頭デッカチ三成は俺がヤるぅ!!」
中途半端な忠義が招いた没落…そして皮肉にも子孫をより多く残したのは宿敵・三成の方
三成の子孫は津軽家や天皇家につながる
三成は粗暴なく、徳川方の将も秀吉天下の頃は助けたりしてたから家康も能力は評価してたし
三成の子孫はカメラマンだった気がする。
@@もょもと-nameko DNA型判定もできないので姓が石田というだけで子孫だという事もできるから言いたい放題
徳川家、皇室、大名津軽家とおおいにさかえた
福島正則は秀吉に近すぎたために徳川家には怖かったのでしょう、やっぱり加藤清正は毒殺されたのかな生きていればまた違っていただろう。
待ってました‼️
歴史を学んでいたら自分の置かれた立場や行為が危険なものだと分かっただろうに…。立場的にひたすら徳川家に従順の意志を示し続ければ領土も守れた可能性は十分にあっただろうに、その判断ミスが惜しいですね。そう考えると、前田家や黒田家は機を見るに敏でしたね。
逸話として嫡子の忠勝が産まれた際すでに跡継ぎとしていた養子の正之を廃嫡してしまったり、名古屋城普請の際に愚痴ったりと悪目立ちしてしまう彼ですが領国経営も清正に負けず劣らずだと思います。後、動画内の正則のヤクザキックで思わず笑っちゃいました。
おお、地元一緒ですか!あそこまでいくなら、広島護国神社と原爆ドームも併せて観光客の方には来てもらいたいですね!
かわいそうだなリセットリーゼントBOØWY
雨漏りでと言うか、関ヶ原の戦いで東軍についた事を後悔していると、周辺の人に洩らしてて、それが将軍の耳にも入って何かしらの理由で改易にしたかったのが真実でしょう。忠誠心に問題あり。
どういう理由があろうとも仕える筋を後から変えたのは事実なので、以後はひたすらに足を舐め尻尾を振るべきだったんだよなあ……しかしこれだけ頑張って伸し上がった男だったんだからプライドを捨てきることはできなかったんだろうなと偲ぶ
三成憎しの色が濃いせいか物語の扱いがあまり良くないよな
特に最近は石田三成の評価が見直されてきてるから落とされる一方。
動画とても面白かったです!😊えっ?!そんな事で領地没収?!っていう驚きが凄かったです!次回も楽しみにしています!😊
鐘銘に「国家安康」という文字で徳川を呪ったと言い掛かりをつけ豊臣家を滅ぼしたんだから別に驚かないよ
福島さん、幕府から城の外堀埋めろと言われて、内堀埋めるみたいな反骨心出してなかったっけ?
今回も「のりー」は予想できました。でもその後の「まさー」は予想外でした(^人^)/
福島正則や加藤清正等の秀吉の部下たちの末路見ていると、その秀吉が病死前後辺りで秀吉に見切り付けて家康に人質差し出して早くも家康に付いた方が良いだろうと判断した結果、譜代大名並の扱いを外様寄りでもして貰えていた藤堂高虎の立ち回りというか先見の明はどんだけあったんだという
ちなみに司馬遼太郎の関ヶ原によると本当かどうかは分かりませんが藤堂高虎は、福島正則と加藤清正にに嫌われていました。
こんな小さいルール違反でもガッツリ処罰されたのは、やっぱ警戒されていたからなのだろうか
豊臣の息がかかりすぎてたもあるけど、単純に嫌われてただけかもしれない家康とかは三成の方が評価してたし
太閤最後の御恩!ってなって東軍の豊臣陣営が関ヶ原直後に纏ってたら…って思うのになぁ
石田三成は「だから言っただろ」と言いたいだろね関ヶ原の戦いは豊臣政権の内部抗争だからね。
有名な割に清正程知られてないの不思議なんだよな
加藤清正は早死にしたのと競った相手が小西行長なのも恵まれている。福島正則は石田三成の評価が見直されてきているだけに分が悪い。
清正が一番活躍した戦場に大河ドラマは、中韓に配慮して放送出来ないみたいです。
@@ランニングマン-v9u 配慮する意味あるの?
@@トッポスト-l1c 文禄・慶長の役は明治期の韓国併合と違って条約や相手国からの要請等の一切の法的・道義的な根拠を持たない一方的な侵略行為だからね擁護すればする程日本にとっての恥になる事例で、日本の歴史上ここまで対外的な弱みになる事件は他にない
@@ランニングマン-v9u 大河ドラマの秀吉があるからデマでしょうね。
こいつ好きなやついないやろ。
裏切りを最後は.(.
時代の変化で躍進し、時代の変化で没落した。戦国時代では輝く粗暴さも、江戸時代になるとスキだらけ。
福島正則は世渡り下手で先見の明に乏しい性格だと思います。
一見すると可哀そうだけれど、天下が統一されて戦の無い世の中へ移行しようって時に戦国ノリで領地を強化したり、平和な法治国家へ移行しようって時に法規を順守しなかったりと、為政者の一人として現実を正しく捉える力が無かったんだろうな。
秀忠って温厚な印象があるけど案外容赦ないよね
動画の内容より「ジェットコースターのような波乱の生涯の正則」に笑ってしまった。
第二の関ヶ原の戦いに繋がり兼ねないと秀忠は思ったから広島城の無断改修を厳重に処罰したのかも
6:22 敬語家康草
蟹江敬三さんの演じた福島正則が好きですね
正則さんが改易後に住んだ長野県高山村も雰囲気あってなかなかいいところだよ。
こういう動画いっぱいみてきたけど加賀百万石の前田家ってすげえなあ😮
よく小西さんを商人の息子とかディスる奴がいるが、こいつなんて桶屋の息子なんだが・・。
基本的に子飼いはこんなやつらばかり
正則は、うまく利用されたんですよね。
家康は、天下を取った後、正則が邪魔になって潰した。
今の世の中でもよくある話ですよ。
加藤家も取り潰しになってるやろ?
清正の息子の忠広が家光の時に改易されてる
7:35 花の慶次の作者の別の小説だと秀忠が暗殺の黒幕。
なんだかんだ言いつつ、徳川幕府は外様の領地を改易したいから、どんな理由でもいいんだよ。
戦争めっちゃ強いのに、細かいことは苦手な感じですね。
福島正則というと、大河ドラマ「葵 徳川三代」の蟹江敬三さんを思い出すね。
関ヶ原ののち、捕らえられた三成と家康の対面のシーンでの悪役ぶりは印象的だった。
葵徳川三代の、蟹江敬三さんがとても福島正則にイメージぴったりだった!
知識は力なり。
結局家康に上手く利用されただけってイメージだな。
それなぁ
将軍の権威を高めるために他家への影響力がデカかったからかも
それなら、まだ石田三成や小西行長、長束正家の方が推せますね。
脳筋のイメージが強い正則だけど実は政治手腕も優れてたとか
先生のおかげで日本史がさらに好きになりました。ラーメン屋さんも行ってみたいです💦
待ってました
雨漏りだけでそこまで失うのはある意味凄い
実は取り潰す口実が幕府は欲しかっただけでなんでもよかったんですね。幕府も福島の力を活用したいときだったらそこまで言わなかっただろうけど…
関ヶ原で遅参した秀忠をみくびっていたのでしょう
まさに難癖だな。そのくらい徳川家からしたら正則が秀頼に寝返ったら脅威と感じたのでは。その反面、生き残れた長政や忠興はかなりしたたかで賢かったと思う。
まあ、言いがかりつけて取り潰したかたんだろうな。理由はなんでも良かったんだ。
深酒で城を失う張飛みたい
晩年の福島正則が居たところは長野県の須坂市よりも山の方の高山村に屋敷があったんだけどすっごい田舎暮らしだから島流しみたいな感じですね
正直先見の明も無ければ頭が良いとも言えない辺り終始豊臣に付きっきりのがマシだったのかも知れない……
恐妻家だったって話聞きたかったな😅
岩松院という信州小布施の、北斎の天井絵と繁殖期の蛙合戦で有名な寺に墓がある。彼がこっちに改易されてから作った土手とかあっていい殿様だってらしい。武勇と忠義だけで生きられる時代じゃ無くなった事が彼の悲劇なんだろうな。側室はなんと家康の養女!スパイみたいなもんかな?
なんか切なくなるね。戦国を生きた人の最後は
秀忠にとっては福島正則のやらかしは最高の見せしめだったろうな。元豊臣方大名は真っ青になったことは想像に難くない
関ヶ原で石田三成と敵対した、と言うより徳川家に味方したことが福島正則の致命傷だったな。石田方との軋轢がなければそもそも関ヶ原の戦いもなかったかもしれん
なお、江戸城で伊達政宗に絡まれて取っ組み合いの相撲を行うことになった被害者。その後江戸城では相撲厳禁になる
正則は徳川に敵意が無いことをアピールする必要があったんでしょうね。
翻意が無いことを伝えるだけでもかなり変わったのかなと思います。
正則ほどの大名がそういう態度を取ることで徳川方は「徳川には逆らえない」という雰囲気を作るために利用できたでしょうし、win-winになれたんじゃないでしょうか。
正勝以降は2000石の旗本として存続していったそうです。
処刑される前の三成は、元々秀吉の部下ではない黒田さんや藤堂さんには大して切れなかったが、福島さんにはガチ切れしたからな。
ただの嫌がらせやん
秀吉とも親戚だったけど顔は似てませんね。
三成口実に豊臣見捨て徳川に接近
雨漏りを勝手に治したのは何年も徳川家に許可を出してたのに一向に返事がないから仕方なくだった気がする
幕府の権力争いに巻き込まれたのは
流石に可哀想たったけど
幕府側も本丸以外の修繕箇所を取り壊せば
お咎めなしと言ってくれたのに
幕府の裁定通りにしなかった正則も悪い
いつも良質な動画ありがとうございます!!
福島正則は親分肌で家臣からも愛され、治世にも優れていましたが、粗暴で残忍な一面もあり、特に酒が入ると手がつけられなくなることもあったそうです。幼少の時に大人と喧嘩をして鑿で相手を殺害・関ヶ原の戦いの恩賞で安芸・備後50万石を与えられ、船で入封する際に地嵐という風が吹いたことに腹を立て罪のない船頭を斬殺・酒に酔って家臣に切腹を強要・徳川家の旗本である伊奈昭綱の配下の足軽に侮辱され自害した家臣の件で徳川幕府が折れるまで昭綱の首を要求するなど乱暴者のエピソードに事欠かず、特に昭綱の一件は後に福島家が改易される遠因となったと言われています。
その他に黒田長政の家老母里友信に飲み比べ挑んで惨敗して槍取られるしw
池田輝政に「お前の領地はどうせ陰茎の先っぽで取った癖に」と嫌味言ったつもりが、
逆に「槍働きしていたら天下を取ってたでござる」とうまく切り返されるしw
要するに自分で自分の首を絞めたというこうですね。
酒が絡んで家宝の槍を手放す羽目になったのも有名です。
日本版張飛
@@akirakajiwara9478その時に呑み取った槍は福岡藩重臣母里家が代々受け継いだけど、明治に当時の母里家当主の甥が勝手に売却した。現在は福岡市博物館に展示されている。
おねの言うことなんて聞かなければよかった。
大河ドラマの主役に向いてると思うけどなー
この人見てると、最後まで抗った秀頼もある意味間違ってなかったと思える。
国替えに応じでも秀忠が見逃してくれるわけないわな……。
本人は、「頼むから大坂に行かせてくれぇ!」とずっと訴えてたらしいけど、大坂の陣始まる前から豊臣恩顧大名は皆江戸に集められてたのだから、もう止めれないって分かるだろうに……。
まあ、それでも大坂に8万石の備蓄米用意してくれたのは見事。
戦国最後の大戦が籠城戦で終わることがなくて良かったです。
完全に豊臣恩顧潰し
徳川幕府は豊臣子飼いの家臣が邪魔だったのでしょうね
加藤清正は石田三成と那古野城の建設までは仲が良かったが、朝鮮の陣で先鋒司令官と軍監の関係になって、漢城一番乗りは小西行長で、秀吉に報告したのが一番早かったのが清正と三成が報告したり、二人は不仲になった。
母里太兵衛(酒豪)に嫌がらせで酒を強要した結果、名槍日本号を持っていかれる、酔っ払った際に衝動的に家臣を処刑しようとして、家臣の奥方に一喝されて素面に戻る、など、傍目には笑える話も盛り沢山なんですよねぇ、福島正則。
いや、家臣を切腹させてるよ
酔っぱらって
民に暴力振るって秀吉に怒られたこともあるし
あれでかなりの恐妻家だったと
言うんだから
7:58 行っても負け確だからこれが正解だったんだろうけど、ここで秀頼を助けに行ってたら
後世に滅茶苦茶人気出ただろうな(大河の主役クラス)
清正と正則が黒田長政や細川忠興のように豊臣家を完全に見限っていたら両家の没落はなかったかもしれない…
あくまで細川と黒田の両者には優秀な父親が長命で、関ヶ原まで存命ですからね、恩着を無視せよということも言われるでしょう。
特に細川幽斎は、娘婿の明智を裏切り、秀吉側につき、生き延びましたから。
そして、官兵衛は周知の如く、見聞に優れてますし。
一方の福島と加藤は秀吉が本当の父のようなもので、著名な家系では無いことは確かですから、豊臣への恩は高いでしょう。
福島正則は酔った勢いで家臣に切腹を命じて、翌日本当に切腹していた家臣を見て泣いて後悔したって話もありますね。
戦国時代は武将が集まれば昼は茶の湯、夜は酒盛りが当たり前だから、もしかすると酒の席で粗相をして家康に目をつけられていたのかも。
酒さえ飲まなけりゃ…酒さえ飲まなけりゃ優秀な人なんだ(ノД`)
秀吉から賜った槍を黒田家の母里太兵衛に飲み取られるエピソード(黒田節)を入れて欲しかったです。
秀吉が死んだら速攻で家康に媚びまくり。
ちょうど今日の夕方、広島のローカルで広島城の福島が修繕した箇所の話をしていたので見ました。広島出身なんですねー自分もラーメン屋行ってみますw
福島正則って「お酒でのヤラカシNo.1武将」のイメージがめっちゃありますね。
酒に酔って家臣死なせたり、黒田家家臣の母里太兵衛と酒の飲み比べで負けて、名槍を持っていかれてるし‥‥‥。
他の方が言ってる「日本版・張飛」の説明がメッチャ分かり易い。笑
戦国乱世には向いてても、太平の時代には向いてなかったから、結局、この人に足らんかったのは「時代に合わせた生き方」なんだろうなー。
大坂の陣が終わった後にでも隠居して、第一線から退くって言う選択をしてたら、ココまで転落することは無かったかも。
(それでも徳川幕府からの警戒と疑惑の視線は向けられるやろうけど。)
将軍の絶対権威を強くしたいなら誰にしよっかなあ
じゃないかなあ
んで白羽の矢が立つ
それが福島正則だった
他家への影響力がデカかったからだと思うな
動画ありがとうございます。
賤ヶ岳七本槍の一人ですね。福島正則、加藤清正(の子ども)は領地没収となってしまいましたが、脇坂安治の家は明治時代まで続き、三代目のときに譜代になったんですよね。いろいろあります。
ちなみに個人的に賤ヶ岳七本槍の中で気の毒だなと思っているのは豊臣家と徳川家の両家に振り回された片桐且元ですね。
広島城天守閣は太平洋戦争末期まで残存してましたが、1945年8月 アメリカ陸軍航空機が投下した原子爆弾で全壊
戦後、鉄筋コンクリート建てで復興されました
福島や加藤のような秀吉子飼いの武将たちは能力は高かったが先見の明だけはなかったと思っている。
出世したいかーのりー
ってゆうと思ったw
よいしょーよっこいしょー
本多正純は、“窓際族”。今や将軍の信頼厚きは土井利勝、続いて酒井忠世。そちは時代の流れに乗り遅れたのじゃ。
(『葵徳川三代より』)
大河ドラマとはいえ、光圀の口から窓際族という言葉が出るのは時代考証的にはいかがなものかとw
しかも福島が改易されたのは光圀が生まれる前。
早い話が脇が甘かった。
利用されるだけ利用されて捨てられたな・・・皮肉だが正則が大名として生き抜くチャンスば石田三成に協力するしかなかったのだ。
晩年は三成が正しかったって残してたみたいだし
@@ペプシマンプロトタイプ 遅すぎたな・・・。
佐吉(三成)の不器用さをきちんと認識し、刑部(吉継)を武断派との仲介役にして、豊臣家の内紛を避けながら家康の暴走を抑えるという判断さえできてたら、主家を守った勇将として名を残せただろうに・・・
関ヶ原の戦いで東軍になった豊臣恩顧の大名たちも徳川からみたらあまり信頼できなかったんだろう。
やっぱ裏切りで成り上がった人は、信用はされないんでしょうね
福島正則の鎧兜好きかっこいい猛牛の角最後は悲しいけどかっこいい武将
広島行きたい。大好き。
広島城は、輝元が築いた城?毛利家の念かな。
戦国無双シリーズでは福島正則はモヒカンだね
あれはリーゼントでは🤔
チャンネルオーナーの徳永はんって、広島県出身なんですか…。
私ですが幾度か広島県を訪れたことがあり、広島市には一度だけ、福山市には三度ほど訪れたことがあります。尾道ラーメンというと、福山駅構内のあのスタンドのも美味しいものがありますよね。
私は、福山駅構内のあそこで、尾道ラーメンを堪能しました。
正則は修復の届け出を出していましたが、修復完了するまでの間に家康との取り次ぎをしていた本多正純が失脚したので、事務処理が出来ていなかったとゆう話は聞いた事有りますね、いかんせん相棒の清正と違ってこの人はイメージ悪いですね…
豊臣恩顧の大名はことごとく亡くなっていくから暗殺されたんじゃないかってずっと思ってる
広島城の改築を密告したのがよりにもよって毛利輝元…関ケ原といい、佐野道可(大阪の陣時に部下を送り込んだ疑惑)事件といい全然懲りない奴でもあり、豊臣家を潰したMVPすぎる
正則は清正と違ってワンマンタイプでもなくイメージと違って官僚寄りの人でもあったから部下の再就職率も高かったみたいな話も聞くなぁ 強い奴が好きで下に優しい愛嬌度上がった張飛って感じ
わあ!!✨
私のご先祖の回!
この秀吉「ニューヨークに行きたいか~?」とか言いそう
そしてウルトラクイズ張りに天国と地獄が紙一重な人生でしたね
福島正則が修理した広島城は324年後の夏に一発の原子爆弾によって破壊された。
この頃の資料見てると大谷よしつぐあたりとか一番適格に読んでたよな
周りは先見の目とその後を見れないものばかり
徳川が勝ったら一時は優遇されても結局は我ら豊臣に組してたものは何かしら理由つけて
迫害・滅亡に追いやられる そんなこともわからない無能が多いのは嘆かわしい・・・
また石田の人望のなさも問題なり。 前田殿が生きてるうちに決着つけならなかった
もしくは秀長様が生存してたならばみたいなことが文書に残ってるものな・・・
福島正則さんのエピソードは既に様々な情報で大まかに存じていますが、漫画で振り返ると今までよりも印象に残りました。
いやー広島出身なんで前から福島正則は気になってたんですよねー。楽しかったです!
加藤清正と福島正則は清正がもし長生きしていたら二人が組んで徳川に一矢報いたかもしれませんと言いますかして欲しかったです。
張飛だなぁ…
戦国無双では何故か清正と三成の友情トリオみたいな関係になってる正則(笑)
しかもなんかツッパリヤンキーみたいなキャラw
朝鮮出兵前までは
仲は悪く無かったとか
「どけどけェ!頭デッカチ三成は俺がヤるぅ!!」
中途半端な忠義が招いた没落…
そして皮肉にも子孫をより多く残したのは宿敵・三成の方
三成の子孫は津軽家や天皇家につながる
三成は粗暴なく、徳川方の将も秀吉天下の頃は助けたりしてたから
家康も能力は評価してたし
三成の子孫はカメラマンだった気がする。
@@もょもと-nameko
DNA型判定もできないので姓が石田というだけで子孫だという事もできるから言いたい放題
徳川家、皇室、大名津軽家とおおいにさかえた
福島正則は秀吉に近すぎたために徳川家には怖かったのでしょう、やっぱり加藤清正は毒殺されたのかな生きていればまた違っていただろう。
待ってました‼️
歴史を学んでいたら自分の置かれた立場や行為が危険なものだと分かっただろうに…。
立場的にひたすら徳川家に従順の意志を示し続ければ領土も守れた可能性は十分にあっただろうに、その判断ミスが惜しいですね。
そう考えると、前田家や黒田家は機を見るに敏でしたね。
逸話として嫡子の忠勝が産まれた際
すでに跡継ぎとしていた養子の正之を廃嫡してしまったり、名古屋城普請の際に
愚痴ったりと悪目立ちしてしまう彼ですが
領国経営も清正に負けず劣らずだと
思います。
後、動画内の正則のヤクザキックで思わず笑っちゃいました。
おお、地元一緒ですか!
あそこまでいくなら、広島護国神社と原爆ドームも併せて観光客の方には来てもらいたいですね!
かわいそうだなリセットリーゼントBOØWY
雨漏りでと言うか、関ヶ原の戦いで東軍についた事を後悔していると、周辺の人に洩らしてて、それが将軍の耳にも入って何かしらの理由で改易にしたかったのが真実でしょう。忠誠心に問題あり。
どういう理由があろうとも仕える筋を後から変えたのは事実なので、以後はひたすらに足を舐め尻尾を振るべきだったんだよなあ……
しかしこれだけ頑張って伸し上がった男だったんだからプライドを捨てきることはできなかったんだろうなと偲ぶ
三成憎しの色が濃いせいか物語の扱いがあまり良くないよな
特に最近は石田三成の評価が見直されてきてるから落とされる一方。
動画とても面白かったです!😊えっ?!そんな事で領地没収?!っていう驚きが凄かったです!次回も楽しみにしています!😊
鐘銘に「国家安康」という文字で徳川を呪ったと言い掛かりをつけ豊臣家を滅ぼしたんだから別に驚かないよ
福島さん、幕府から城の外堀埋めろと言われて、内堀埋めるみたいな反骨心出してなかったっけ?
今回も「のりー」は予想できました。でもその後の「まさー」は予想外でした(^人^)/
福島正則や加藤清正等の秀吉の部下たちの末路見ていると、その秀吉が病死前後辺りで秀吉に見切り付けて家康に人質差し出して早くも家康に付いた方が良いだろうと判断した結果、譜代大名並の扱いを外様寄りでもして貰えていた藤堂高虎の立ち回りというか先見の明はどんだけあったんだという
ちなみに司馬遼太郎の関ヶ原によると本当かどうかは分かりませんが
藤堂高虎は、福島正則と加藤清正にに嫌われていました。
こんな小さいルール違反でもガッツリ処罰されたのは、やっぱ警戒されていたからなのだろうか
豊臣の息がかかりすぎてたもあるけど、単純に嫌われてただけかもしれない
家康とかは三成の方が評価してたし
太閤最後の御恩!ってなって東軍の豊臣陣営が関ヶ原直後に纏ってたら…って思うのになぁ
石田三成は「だから言っただろ」と言いたいだろね
関ヶ原の戦いは豊臣政権の内部抗争だからね。
有名な割に清正程知られてないの不思議なんだよな
加藤清正は早死にしたのと競った相手が小西行長なのも恵まれている。
福島正則は石田三成の評価が見直されてきているだけに分が悪い。
清正が一番活躍した戦場に大河ドラマは、中韓に配慮して放送出来ないみたいです。
@@ランニングマン-v9u 配慮する意味あるの?
@@トッポスト-l1c
文禄・慶長の役は明治期の韓国併合と違って条約や相手国からの要請等の一切の法的・道義的な根拠を持たない一方的な侵略行為だからね
擁護すればする程日本にとっての恥になる事例で、日本の歴史上ここまで対外的な弱みになる事件は他にない
@@ランニングマン-v9u 大河ドラマの秀吉があるからデマでしょうね。
こいつ好きなやついないやろ。
裏切りを最後は.(.
時代の変化で躍進し、
時代の変化で没落した。
戦国時代では輝く粗暴さも、
江戸時代になるとスキだらけ。
福島正則は世渡り下手で先見の明に乏しい性格だと思います。
一見すると可哀そうだけれど、天下が統一されて戦の無い世の中へ移行しようって時に戦国ノリで領地を強化したり、平和な法治国家へ移行しようって時に法規を順守しなかったりと、為政者の一人として現実を正しく捉える力が無かったんだろうな。