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【訂正】10:23〜✕「長政」○「直政」コメントで教えてくださった方々、ありがとうございます!
6:33 6:38 6:50 大久保忠世の三段構え再び 家康との出会いからして「そこの美少年」とかキケンな香りがするけど、自分が傷つくことも厭わず生き抜いた姿は、その容姿に負けないほど格好良いです。
戦いで一度も手傷を負わなかった本多忠勝とは対照的によく手傷を負っていたそうです。関ヶ原の戦いでも勝負はついていたし、無理に島津軍を追撃する必要はなかった。この負傷が命取りになってしまったし、まだまだ活躍できる年齢だったのが惜しまれる。
イケメンで忠誠心も高く武勇もあって外交も出来て……凄いな
そしてどこか源義経に類似している幼くして父を亡くしたこと、文武両道で血気盛んなとこ、美男子であったこと、小柄で俊敏であったこと、寺で育ったことなど。
@@イワモトノリアキ 詳しく知らなかったけど徳川家で唯一直政だけ好きな理由これか
@@イワモトノリアキ菅田将暉
なお子孫は幕府を実質潰した模様。
6:34→6:40→6:51またしても段々アップになる大久保忠世すこ
子供の頃の井伊家は本当に大変だったからな…
真田親子の助命に尽力してくれたの感動😭😭
両親に充分な愛情を受けられなかった直政の身の上に、家康は自分の境遇と重ねたのかもしれません。直政も取り立ててくれた恩義から、一層忠義を尽くそうという気概に「真っ赤に」燃えていたんですね。1:35直政をかくまったといわれる新野左馬助(にいのさまのすけ)の領地(静岡県御前崎市新野)が、家の近くです。お墓も残っています。大河ドラマで演じた苅谷俊介さんは、地元の人達との交流があるそうです。次回、井伊直虎も楽しみにしております。
若いのに生き急ぐとはそれだけ上を目指していて頑張ったんだな
頑張りました
チャンネルが好きで、もう何回も各エピソードを巡回してるのですが、事実は事実として伝えつつ、それだけでなく解釈もちゃんと注釈の上伝えてあって素敵です蒲生氏郷待ってます!
「ああ❔」「ああん❔」って表現も相変わらず大好き‼️🤣😆👍✨
大久保さんも、若く有能有望な直政君を、より大きくしようと考えたのだと、私も思います。そして、「教えれば分かる賢い子だから」と感じていたに違いありません。
大久保忠世、絶対良い人。
大河の忠世はちょっと頼りないが
井伊直政は関ヶ原の一年前くらいから体調を崩していてそこからずっと働き詰めです。関ヶ原で負った傷が悪化したのもそうだと思いますが、負傷してから1年も生きているため怪我を負ったのが直接的な死因ではないと思っています。過労で無理が祟ったのが1番の原因かなと。徳永さんも仰っていますが、歴戦の武田武士を若輩の直政がまとめるためには常に自分に厳しく律しなければいけなかったのでしょう。あと動画では触れられてないけど榊原康政とは心友の間柄だったそうですよ!
動画ありがとうございます。井伊直政をいさめた大久保忠世の話、ともするとうまくいっているときに有頂天になりがちな人間への戒めとして私たち自身が肝に銘じないといけないことでもありますよね。
7:32 この若さと外様と外様という境遇で自分達に恨みや反抗心を持っていることも大いにあり得る滅ぼした敵の家臣団を任してもらえるのもすごい。もしかしたら赤備えの継承は武田家の誇りを受け継ぎ保護することで旧武田家臣団に徳川家への忠誠心や感謝の心をもたせるという狙いもあったのかもしれない。
日本史漫画の武将解説観てると自身か親が「今川家に仕えていた」ってよく耳にする気がするけどめっちゃ粒揃いやったんやな今川家って
井伊家は幕末に目立ちまくった事からも直政の功績がよく分かりますね。大老の井伊直弼なんかがいい例ですよね
この動画の台詞を借りたら⁉️幕府の礎を築いたのが井伊家なら、幕府を崩壊のきっかけも井伊家⁉️(ヤバい状況で、大老になったからな⁉️)
傷を治さず家康の為に動いたとは忠誠心が強いな
ありがとう
@@TATSUNAMI-KAZUYOSI-OFFICIAL成仏してクレメンス。と思ったけど、写真?!
大河ドラマ「おんな城主直虎」の後半の実質的主役だった関係で関連書籍をかなり読みました。・部下に厳しくよく手討ちにしてたせいで「人斬り兵部」と内外に恐れられた・某漫画では「妖怪首置いてけ」から鉄砲で撃たれていたが、実際に戦闘で真っ先に突っ込んでいくタイプだった(そこを狙われた)・家康の養女を正室に貰ったにも関わらずその侍女に手を出し妊娠させてしまった。最初認知しなかったその子供が井伊直孝で彦根藩主を継いだ(ひこにゃんのモデル)あたりが面白かったです。
ひこにゃんは井伊直孝と招き猫の逸話も関係してますよ。
井伊直政頑張ってたんだな
戦国無双4-2の時の直政と忠勝の関係は好きだったわ
井伊直政待ってました!!
ありがとうございます
美男で武勇もあって最強かよ…
秀吉の母および侍女たちにモテモテだったエピソード好き
美形だったせいで夜這いにあいかけ、返り討ちにしている。直政の好きなエピソードは、敵だった三成の政治力に感心し、彼が治めていた領土の民が三成の墓を建てるのを許して、政を参考にしたこと
逆に言えば、それだけ直政は政治が上手かったというか、石田三成に匹敵する力量を兼ね備えてたし、だから箕輪城から高崎に居城を移した後も、箕輪城時代の領民たちから慕われていたのだろうと思う。戦場では鬼神のような活躍で、なおかつ軍律に厳しく部下ですら手討ちにする程恐れられた人ではあったけど、領民たちに対しては仏さまのように接して、とても優しかったのかもしれない。
@@フレッチャー-g2q 秀吉のママと姉を接し方でメロメロにするぐらいだから戦に関係ないと優しかったのでしょうね
間違いないと思います。
手紙で「いつもの三倍以上は働き通しでしんどい…」官兵衛や信之に弱音吐いたり、関ケ原後に過労でいきなり熱で倒れたりとにかく生き急いでる。それでも関ケ原の戦後処理(真田昌幸の処遇問題、島津の交渉仲介)人に頼まれたら付き合うし三成の助命嘆願も毛利の願い汲んでやったり戦った相手には常に敬意を払うし、色んな人の命も救ってるんだよね直政撃った柏木源藤は直政死後に後悔して出家するくらい慕われてたとも… 子供もしっかり有能揃い→直勝(直継)とひこにゃん直孝
直孝の末裔は日本を植民地化を命懸けで阻止した直弼
徳川家康の最期の時、残ってた昔からの部下は本多正信くらいだったとか…一度離反したものが最期までいるとかなかなかめぐり合わせを感じるよねえ
もうひとり挙げるとしたら家康の1番下の弟の松平定勝ぐらいしか居ませんもんねー
氏真が疑心暗鬼にならなければ変わっていたかもしれませんね。関ヶ原で一緒に行動を共にしていた家康の息子で娘婿の松平忠吉も島津勢の反撃で傷を受けたのが原因で死去という場合がドラマでもたまに出てきます。彦根藩の部下に厳しいのは受け継がれたのか、桜田門外ノ変で16代藩主井伊直弼が討たれた時に、主人を守れなかったとして傷を負った部下は切腹、無傷の部下は斬首したそうです。ブラック企業通り越してますな…
直政は、美少年すぎててモテてやばかったらしいです😂同僚に襲われそうになったり家康さんは、美少年で仕事が出来る彼にメロメロだったそうですよ😂噂では、22歳くらいまで元服をさせてもらえなかったそうですよ😊
また、リクエストいいですか?丹羽長秀さん、池田恒興さん、北条氏綱さん、北条氏政さんの動画も待ってます。
井伊直政はおんな城主直虎見ていましたが、直虎が育てたんですよね
衆道に興味はなかった家康でしたが直政に関しては別で、自身の屋敷の庭に直政の家を建てるくらい気に入っていた様です。
赤備えの継承……飯富虎昌 → 山県昌景 → 井伊直政の流れが悲しい⤵︎ ︎武田軍団には上州の赤備え小幡信貞もいたのに…
菅田将暉、板垣李光人…次はどのイケメンがやるのか
菅田 イケメンか?
部下がついてこれないスピードの真っ赤な装備…。赤い彗星のシャアかな?
そう言えば、知り合いに彦根藩家老の直家系の方がいました。これ、見てるかな~?
井伊直弼の解説お願いします
5:30 大久保忠世はたしかにそういうやつよのw
当時では珍しく男色に興味無かった家康が直政は例外で、それもあって出世のスピードが早かったのもあるんだろうね
そうか、島津の退き口の追手の先方か
直政の筆頭家老が家康の元に来て旗本にしてくれって懇願するくらいだからよほど厳しいんだな
2:19、3:19なんだか、すっごく『ゴゴゴゴゴゴゴ✨✨✨』してる😂
直政は、いいね。❤
次は井伊直虎をお願いします。
関ヶ原の時島津軍が単独撤退するのを待ってたかのように追撃したようです 直政も結果致死に至る傷を負い 島津軍もわすがしか生き残れないような大激戦でした 大河ドラマのおんな城主直虎の時コレ見たかった
そして、なんやかんやで彦にゃん爆誕。
大河ドラマで板垣李光人(りひと)がキャストなのははまり役かもしれない(散り際がどう描かれるか分からないが)。赤備えをモデルにしたひこにゃんは、直政の目にどう写っているのだろう。
徳川四天王の中で最年少となれば、他の重臣からの妬み等もあったと思う、だからこそ無理をしたのかな、戦国時代の過労死やなぁ😢
てか井伊って名字だから井伊直弼の先祖ってことかというかこの頃の家康とか徳川家の家臣で動いてた大久保家とか酒井家とか幕末までしっかり家系として仕えてるの家系って感じですごい好き
まさか井伊家が新政府軍につくとはね。酒井家は旧幕府軍として最後まで抵抗しましたが、薩摩藩の寛大な処置によりお家存続。
皮肉なのは、幕末まで徳川の味方をしたのが酒井家だけだったと言う事。
井伊直政の死因は、関ヶ原の戦いて受けた銃弾みたいですね・・・🤔当時の火縄銃の銃弾は、体に有害な物質が有ったので、それが井伊直政の死を早めたと言われています・・・😓関ヶ原の戦い以降に直政は毛利家・島津家・真田親子の為に奔走してくれたのに、幕末で直政の子孫である井伊直弼が島津家や毛利家の弱体などを行ったのは、正に「運命の皮肉」でしたね・・・😥
銃弾といえば鉛ですし。それも、当時どころか現代だって基本そうだし
最後のアインシュタインの名言が刺さる。
直政さんパワハラ酷すぎて部下が家康に泣きつくの草
こんな上司は嫌だな。
一部字幕が長政になってますよ!
10:23 のところで直政が長政になっています
ご指摘ありがとうございます🙇コメントいただけて助かりました!
彦根城まじかっこよかった
彦根市民や高崎市民としては馴染み深い武将
戦国徳川家臣「井伊の赤鬼だ!」(小牧長久手の戦い)幕末徳川家臣「井伊の赤鬼だ!」(安政の大獄)
長州奇兵隊「なぁ〜んだ?あの目立つ鎧。撃っちゃえ、撃っちゃえ!」井伊の赤備え兵「ひえ~」(長州征伐)
井伊直政は徳川家中では数少ない武勇と外交を行える家臣ですから、彼が早死にしなければ大阪の陣は彼が秀忠の副将として出陣し、すでに高齢だった家康は出陣しなくても良かったかも知れませんね。あと他の動画で紹介された本多重次が秀吉の母である大政所の宿舎周囲に薪を並べ(大阪に出向いた家康が秀吉に殺された場合)火あぶりにして殺そうとしたときに大政所を落ち着かせたのが井伊直政だそうで、本多重次が秀吉に嫌われ続けたのに対して井伊直政の秀吉の受けは良かったそうです。
1:47なんか虎松がクレヨンしんちゃんみたいに見える
某漫画の首置いてけの人に傷を負わされた印象強いな
秀吉が家康を上洛させて臣下の礼を取らせたくて三河に送った朝日姫や大政所が家康上洛の際本多重次に屋敷に火をかけると脅されて怖がり、その2人に菓子を出して落ち着かせたというエピソードがある。後世の盛りすぎな創作だとしても直政らしい。その後秀吉の元に戻った2人の土産話から直政は豊臣家の女共にモテモテウハウハだったとか(笑)
幼少で父を亡くし、若くして功を立てて出世してる処が呉の礎を築いた孫策に似てるなと思いました。
この直政の子孫が徳川幕府崩壊の決定打となった大老井伊直弼なんだよなぁ。
息子はちゃっかり新政府軍にw
主人公に出来る戦国時代の一人
なんせお父さんの井伊直親がイケメン美男子でしたから(^^) まんちよはその忘れ形見。直虎さまはお父さんの元婚約者。😊 井伊家は支え合ってなんとか血筋を繋いだ😮すごい😊
戦場では最前線で得物をふるって戦う上に、少しでも失態を犯したら容赦なく部下を手討ちにしたりするから井伊の赤鬼と呼ばれる一方で人斬り兵部と影口を叩かれて恐れられてたのかもしれないけど、領民たちには決して怒ったりせずに優しく接したりしていた上に、明智光秀のように税金を免除して領民たちの負担を軽くしたり、石田三成のように不作の年があったときに年貢や税を支払うのを免除しただけでなく、逆にお米を領民たちに配るような善政を敷いたりしていたのかもしれないなって思います。実際に、箕輪城から高崎城に居城を移した後も、箕輪城時代の領民たちから慕われてたみたいですから。
分かりやすくて良い
徳永サトシさん分かりやすい
なんか最期の馬のやつシャアみたい
最近の話では大久保忠世さんの名前がよくでるね。興味でてきた。
大久保忠世の言葉を今の政治家達に聞かせてやりたいな。
茶席で秀吉に鞍替えした石川数正にぶちギレたことでも有名
外交力は見た目の良さで得してる気がする
残念ながら、見た目ではありません。交渉ごとは、家柄がものを言います。井伊家はガチ名門だったので、交渉に有利でした。交渉のストレスで早死にしたとも言われてます。
関ケ原での被弾というと、某マンガで有名になった島津豊久との戦いかぁ。やっぱ怖ぇわ、戦闘民族サツマ人
武士にハマってからこの漫画をみた
早いけど、西国の抑え、東海道の入り口彦根の抑え役として代々勤めあげましたものね!元彦根市長や、確か彦根市役所職員の方が子孫にいらっしゃるはず。
お馬さんがかわいい
井伊直政、井伊直虎などの井伊家の発祥は遠江曳馬郊外の井伊谷(現在の静岡県浜松市北区井伊谷)で奈良時代からの名門だったそうですよ!今川家家臣時代はかなりひどい扱いされたが井伊直虎、井伊直政が徳川家康に近付いたあたりから脚光を浴びるようになり幕末まで彦根に藩を持つくらい出世したそうですよ!ちなみに井伊直政が最初与えた今の彦根市の佐和山城は最初はあの関ヶ原の戦いで西軍大将だった石田三成の城だったそうですよ!そして井伊直政が18歳までいた遠江曳馬郊外井伊谷(今の静岡県浜松市北区井伊谷)はそのまま地名に残り一時期奥山鉄道→遠州鉄道奥山線の井伊谷駅が出来廃止後は遠鉄バス奥山線のバス停で残されています!今もこの遠州井伊家に支えていた家臣の子孫がいるらしいです!そして井伊直政、井伊直虎は徳川家康と共に浜松市では英雄扱いになっているらしいです!
井伊家の中屋敷跡地は現在のホテルニューオータニ
直政の文字が長政になってる!
徳川家臣で個人の武勇なら本田忠勝、部隊としての強さなら井伊直政だなやっぱ。ドリフターズの最序盤で描かれた島津との戦い渋かったわ。徳川本陣を掠めて本田、福島の軍を抜いて駆けてきた島津を止めるため井伊の赤備が求められるのも納得の強さ。
人斬り兵部、それが井伊直政のあだ名の一つのようで・・・
「そこの美少年」って目的が変わってるようなw
赤鬼直政という大河ドラマはできないのだろうか。
ひこにゃんのモデルが井伊の赤備えですね。徳川幕府最大の軍事集団だったと聞いています。
この人独りの頑張りで、一国一城の大名、子孫達も幕府の役人。
赤備えの代表的人物は飯富虎昌→山縣三郎兵衛→井伊直政→真田幸村と繋がっているけど誰が1番武将として強いんだろうね?
井伊家3傑(女城主直虎、赤鬼直政、夜叉掃部直孝)。
若くして重鎮になったところが偉大なところだろう
家康の小姓ですね(笑)食べれるときに一杯食べる基本ですね。今も昔も😂彦根藩、大老の暗殺桜田門ですね。幕末頃は井伊家は天狗でした。(泣)
譜代じゃないからここまで出世するにはやらない訳にいかなかった。家康にしたら使い勝手の良い駒だったんだろう。
長く生きたものだけが功労者ではない。自分らしく強く生きれたら、短命でもかまわない。
人生50の世で42は長生きしたな
大久保忠世の嫡子忠隣が本多正純の罠で改易になった時に井伊家預かりになったのも御縁か
家康『や ら な い か』
古代時代井伊家のご先祖から1000年以上🤔
ヒコにゃんに見える
井伊直政と島津義久は誕生日が一緒。生まれた年は違うけど。
42か、、、若いな。
糠味噌は、味噌なのか?
【訂正】
10:23〜
✕「長政」
○「直政」
コメントで教えてくださった方々、ありがとうございます!
6:33 6:38 6:50 大久保忠世の三段構え再び
家康との出会いからして「そこの美少年」とかキケンな香りがするけど、
自分が傷つくことも厭わず生き抜いた姿は、その容姿に負けないほど格好良いです。
戦いで一度も手傷を負わなかった本多忠勝とは対照的によく手傷を負っていたそうです。
関ヶ原の戦いでも勝負はついていたし、無理に島津軍を追撃する必要はなかった。
この負傷が命取りになってしまったし、まだまだ活躍できる年齢だったのが惜しまれる。
イケメンで忠誠心も高く武勇もあって外交も出来て……凄いな
そしてどこか源義経に類似している幼くして父を亡くしたこと、文武両道で血気盛んなとこ、美男子であったこと、小柄で俊敏であったこと、寺で育ったことなど。
@@イワモトノリアキ
詳しく知らなかったけど徳川家で唯一直政だけ好きな理由これか
@@イワモトノリアキ菅田将暉
なお子孫は幕府を実質潰した模様。
6:34→6:40→6:51
またしても段々アップになる大久保忠世すこ
子供の頃の井伊家は本当に大変だったからな…
真田親子の助命に尽力してくれたの感動😭😭
両親に充分な愛情を受けられなかった直政の身の上に、家康は自分の境遇と重ねたのかもしれません。直政も取り立ててくれた恩義から、一層忠義を尽くそうという気概に「真っ赤に」燃えていたんですね。
1:35直政をかくまったといわれる新野左馬助(にいのさまのすけ)の領地(静岡県御前崎市新野)が、家の近くです。お墓も残っています。
大河ドラマで演じた苅谷俊介さんは、地元の人達との交流があるそうです。
次回、井伊直虎も楽しみにしております。
若いのに生き急ぐとはそれだけ上を目指していて頑張ったんだな
頑張りました
チャンネルが好きで、もう何回も各エピソードを巡回してるのですが、
事実は事実として伝えつつ、それだけでなく解釈もちゃんと注釈の上伝えてあって素敵です
蒲生氏郷待ってます!
「ああ❔」「ああん❔」って表現も相変わらず大好き‼️🤣😆👍✨
大久保さんも、若く有能有望な直政君を、より大きくしようと考えたのだと、私も思います。そして、「教えれば分かる賢い子だから」と感じていたに違いありません。
大久保忠世、絶対良い人。
大河の忠世はちょっと頼りないが
井伊直政は関ヶ原の一年前くらいから体調を崩していてそこからずっと働き詰めです。
関ヶ原で負った傷が悪化したのもそうだと思いますが、負傷してから1年も生きているため怪我を負ったのが直接的な死因ではないと思っています。過労で無理が祟ったのが1番の原因かなと。
徳永さんも仰っていますが、歴戦の武田武士を若輩の直政がまとめるためには常に自分に厳しく律しなければいけなかったのでしょう。
あと動画では触れられてないけど榊原康政とは心友の間柄だったそうですよ!
動画ありがとうございます。
井伊直政をいさめた大久保忠世の話、ともするとうまくいっているときに有頂天になりがちな人間への戒めとして私たち自身が肝に銘じないといけないことでもありますよね。
7:32
この若さと外様と外様という境遇で自分達に恨みや反抗心を持っていることも大いにあり得る滅ぼした敵の家臣団を任してもらえるのもすごい。
もしかしたら赤備えの継承は武田家の誇りを受け継ぎ保護することで旧武田家臣団に徳川家への忠誠心や感謝の心をもたせるという狙いもあったのかもしれない。
日本史漫画の武将解説観てると自身か親が「今川家に仕えていた」ってよく耳にする気がするけどめっちゃ粒揃いやったんやな今川家って
井伊家は幕末に目立ちまくった事からも直政の功績がよく分かりますね。大老の井伊直弼なんかがいい例ですよね
この動画の台詞を借りたら⁉️
幕府の礎を築いたのが井伊家なら、幕府を崩壊のきっかけも
井伊家⁉️(ヤバい状況で、大老になったからな⁉️)
傷を治さず家康の為に動いたとは忠誠心が強いな
ありがとう
@@TATSUNAMI-KAZUYOSI-OFFICIAL
成仏してクレメンス。
と思ったけど、写真?!
大河ドラマ「おんな城主直虎」の後半の実質的主役だった関係で関連書籍をかなり読みました。
・部下に厳しくよく手討ちにしてたせいで「人斬り兵部」と内外に恐れられた
・某漫画では「妖怪首置いてけ」から鉄砲で撃たれていたが、実際に戦闘で真っ先に突っ込んでいくタイプだった(そこを狙われた)
・家康の養女を正室に貰ったにも関わらずその侍女に手を出し妊娠させてしまった。最初認知しなかったその子供が井伊直孝で彦根藩主を継いだ(ひこにゃんのモデル)
あたりが面白かったです。
ひこにゃんは井伊直孝と招き猫の逸話も関係してますよ。
井伊直政頑張ってたんだな
戦国無双4-2の時の直政と忠勝の関係は好きだったわ
井伊直政待ってました!!
ありがとうございます
美男で武勇もあって最強かよ…
秀吉の母および侍女たちにモテモテだったエピソード好き
美形だったせいで夜這いにあいかけ、返り討ちにしている。
直政の好きなエピソードは、敵だった三成の政治力に感心し、彼が治めていた領土の民が三成の墓を建てるのを許して、政を参考にしたこと
逆に言えば、それだけ直政は政治が上手かったというか、石田三成に匹敵する力量を兼ね備えてたし、だから箕輪城から高崎に居城を移した後も、箕輪城時代の領民たちから慕われていたのだろうと思う。
戦場では鬼神のような活躍で、なおかつ軍律に厳しく部下ですら手討ちにする程恐れられた人ではあったけど、領民たちに対しては仏さまのように接して、とても優しかったのかもしれない。
@@フレッチャー-g2q 秀吉のママと姉を接し方でメロメロにするぐらいだから戦に関係ないと優しかったのでしょうね
間違いないと思います。
手紙で「いつもの三倍以上は働き通しでしんどい…」官兵衛や信之に弱音吐いたり、関ケ原後に過労でいきなり熱で倒れたりとにかく生き急いでる。それでも関ケ原の戦後処理(真田昌幸の処遇問題、島津の交渉仲介)人に頼まれたら付き合うし三成の助命嘆願も毛利の願い汲んでやったり戦った相手には常に敬意を払うし、色んな人の命も救ってるんだよね
直政撃った柏木源藤は直政死後に後悔して出家するくらい慕われてたとも… 子供もしっかり有能揃い→直勝(直継)とひこにゃん直孝
直孝の末裔は日本を植民地化を命懸けで阻止した直弼
徳川家康の最期の時、残ってた昔からの部下は本多正信くらいだったとか…
一度離反したものが最期までいるとかなかなかめぐり合わせを感じるよねえ
もうひとり挙げるとしたら家康の1番下の弟の松平定勝ぐらいしか居ませんもんねー
氏真が疑心暗鬼にならなければ変わっていたかもしれませんね。
関ヶ原で一緒に行動を共にしていた家康の息子で娘婿の松平忠吉も島津勢の反撃で傷を受けたのが原因で死去という場合がドラマでもたまに出てきます。
彦根藩の部下に厳しいのは受け継がれたのか、桜田門外ノ変で16代藩主井伊直弼が討たれた時に、主人を守れなかったとして傷を負った部下は切腹、無傷の部下は斬首したそうです。
ブラック企業通り越してますな…
直政は、美少年すぎててモテてやばかったらしいです😂
同僚に襲われそうになったり
家康さんは、美少年で仕事が出来る彼にメロメロだったそうですよ😂
噂では、22歳くらいまで元服をさせてもらえなかったそうですよ😊
また、リクエストいいですか?
丹羽長秀さん、池田恒興さん、北条氏綱さん、北条氏政さんの動画も待ってます。
井伊直政はおんな城主直虎見ていましたが、直虎が育てたんですよね
衆道に興味はなかった家康でしたが直政に関しては別で、
自身の屋敷の庭に直政の家を建てるくらい気に入っていた様です。
赤備えの継承……
飯富虎昌 → 山県昌景 → 井伊直政
の流れが悲しい⤵︎ ︎
武田軍団には上州の赤備え小幡信貞もいたのに…
菅田将暉、板垣李光人…次はどのイケメンがやるのか
菅田 イケメンか?
部下がついてこれないスピードの真っ赤な装備…。赤い彗星のシャアかな?
そう言えば、知り合いに彦根藩家老の直家系の方がいました。
これ、見てるかな~?
井伊直弼の解説お願いします
5:30 大久保忠世はたしかにそういうやつよのw
当時では珍しく男色に興味無かった家康が直政は例外で、それもあって出世のスピードが早かったのもあるんだろうね
そうか、島津の退き口の追手の先方か
直政の筆頭家老が家康の元に来て
旗本にしてくれって
懇願するくらいだから
よほど厳しいんだな
2:19、3:19なんだか、すっごく『ゴゴゴゴゴゴゴ✨✨✨』してる😂
直政は、いいね。❤
次は井伊直虎をお願いします。
関ヶ原の時島津軍が単独撤退するのを待ってたかのように追撃したようです 直政も結果致死に至る傷を負い 島津軍もわすがしか生き残れないような大激戦でした 大河ドラマのおんな城主直虎の時コレ見たかった
そして、なんやかんやで彦にゃん爆誕。
大河ドラマで板垣李光人(りひと)がキャストなのははまり役かもしれない(散り際がどう描かれるか分からないが)。赤備えをモデルにしたひこにゃんは、直政の目にどう写っているのだろう。
徳川四天王の中で最年少となれば、他の重臣からの妬み等もあったと思う、だからこそ無理をしたのかな、戦国時代の過労死やなぁ😢
てか井伊って名字だから井伊直弼の先祖ってことか
というかこの頃の家康とか徳川家の家臣で動いてた大久保家とか酒井家とか幕末までしっかり家系として仕えてるの家系って感じですごい好き
まさか井伊家が新政府軍につくとはね。酒井家は旧幕府軍として最後まで抵抗しましたが、薩摩藩の寛大な処置によりお家存続。
皮肉なのは、幕末まで徳川の味方をしたのが酒井家だけだったと言う事。
井伊直政の死因は、関ヶ原の戦いて受けた銃弾みたいですね・・・🤔
当時の火縄銃の銃弾は、体に有害な物質が有ったので、それが井伊直政の死を早めたと言われています・・・😓
関ヶ原の戦い以降に直政は毛利家・島津家・真田親子の為に奔走してくれたのに、幕末で直政の子孫である井伊直弼が島津家や毛利家の弱体などを行ったのは、正に「運命の皮肉」でしたね・・・😥
銃弾といえば鉛ですし。それも、当時どころか現代だって基本そうだし
最後のアインシュタインの名言が刺さる。
直政さんパワハラ酷すぎて部下が家康に泣きつくの草
こんな上司は嫌だな。
一部字幕が長政になってますよ!
10:23 のところで直政が長政になっています
ご指摘ありがとうございます🙇
コメントいただけて助かりました!
彦根城まじかっこよかった
彦根市民や高崎市民としては馴染み深い武将
戦国徳川家臣「井伊の赤鬼だ!」(小牧長久手の戦い)
幕末徳川家臣「井伊の赤鬼だ!」(安政の大獄)
長州奇兵隊「なぁ〜んだ?あの目立つ鎧。撃っちゃえ、撃っちゃえ!」
井伊の赤備え兵「ひえ~」(長州征伐)
井伊直政は徳川家中では数少ない武勇と外交を行える家臣ですから、彼が早死にしなければ大阪の陣は彼が秀忠の副将として出陣し、すでに高齢だった家康は出陣しなくても良かったかも知れませんね。あと他の動画で紹介された本多重次が秀吉の母である大政所の宿舎周囲に薪を並べ(大阪に出向いた家康が秀吉に殺された場合)火あぶりにして殺そうとしたときに大政所を落ち着かせたのが井伊直政だそうで、本多重次が秀吉に嫌われ続けたのに対して井伊直政の秀吉の受けは良かったそうです。
1:47なんか虎松がクレヨンしんちゃんみたいに見える
某漫画の首置いてけの人に傷を負わされた印象強いな
秀吉が家康を上洛させて臣下の礼を取らせたくて三河に送った朝日姫や大政所が家康上洛の際本多重次に屋敷に火をかけると脅されて怖がり、その2人に菓子を出して落ち着かせたというエピソードがある。後世の盛りすぎな創作だとしても直政らしい。その後秀吉の元に戻った2人の土産話から直政は豊臣家の女共にモテモテウハウハだったとか(笑)
幼少で父を亡くし、若くして功を立てて出世してる処が
呉の礎を築いた孫策に似てるなと思いました。
この直政の子孫が徳川幕府崩壊の決定打となった大老井伊直弼なんだよなぁ。
息子はちゃっかり新政府軍にw
主人公に出来る戦国時代の一人
なんせお父さんの井伊直親がイケメン美男子でしたから(^^) まんちよはその忘れ形見。直虎さまはお父さんの元婚約者。😊 井伊家は支え合ってなんとか血筋を繋いだ😮すごい😊
戦場では最前線で得物をふるって戦う上に、少しでも失態を犯したら容赦なく部下を手討ちにしたりするから井伊の赤鬼と呼ばれる一方で人斬り兵部と影口を叩かれて恐れられてたのかもしれないけど、領民たちには決して怒ったりせずに優しく接したりしていた上に、明智光秀のように税金を免除して領民たちの負担を軽くしたり、石田三成のように不作の年があったときに年貢や税を支払うのを免除しただけでなく、逆にお米を領民たちに配るような善政を敷いたりしていたのかもしれないなって思います。
実際に、箕輪城から高崎城に居城を移した後も、箕輪城時代の領民たちから慕われてたみたいですから。
分かりやすくて良い
徳永サトシさん分かりやすい
なんか最期の馬のやつシャアみたい
最近の話では大久保忠世さんの名前がよくでるね。興味でてきた。
大久保忠世の言葉を今の政治家達に聞かせてやりたいな。
茶席で秀吉に鞍替えした石川数正にぶちギレたことでも有名
外交力は見た目の良さで得してる気がする
残念ながら、見た目ではありません。交渉ごとは、家柄がものを言います。井伊家はガチ名門だったので、交渉に有利でした。交渉のストレスで早死にしたとも言われてます。
関ケ原での被弾というと、某マンガで有名になった島津豊久との戦いかぁ。やっぱ怖ぇわ、戦闘民族サツマ人
武士にハマってからこの漫画をみた
早いけど、
西国の抑え、東海道の入り口彦根の抑え役として代々勤めあげましたものね!
元彦根市長や、確か彦根市役所職員の方が子孫にいらっしゃるはず。
お馬さんがかわいい
井伊直政、井伊直虎などの井伊家の発祥は遠江曳馬郊外の井伊谷(現在の静岡県浜松市北区井伊谷)で奈良時代からの名門だったそうですよ!今川家家臣時代はかなりひどい扱いされたが井伊直虎、井伊直政が徳川家康に近付いたあたりから脚光を浴びるようになり幕末まで彦根に藩を持つくらい出世したそうですよ!ちなみに井伊直政が最初与えた今の彦根市の佐和山城は最初はあの関ヶ原の戦いで西軍大将だった石田三成の城だったそうですよ!そして井伊直政が18歳までいた遠江曳馬郊外井伊谷(今の静岡県浜松市北区井伊谷)はそのまま地名に残り一時期奥山鉄道→遠州鉄道奥山線の井伊谷駅が出来廃止後は遠鉄バス奥山線のバス停で残されています!今もこの遠州井伊家に支えていた家臣の子孫がいるらしいです!そして井伊直政、井伊直虎は徳川家康と共に浜松市では英雄扱いになっているらしいです!
井伊家の中屋敷跡地は現在のホテルニューオータニ
直政の文字が長政になってる!
徳川家臣で個人の武勇なら本田忠勝、部隊としての強さなら井伊直政だなやっぱ。ドリフターズの最序盤で描かれた島津との戦い渋かったわ。徳川本陣を掠めて本田、福島の軍を抜いて駆けてきた島津を止めるため井伊の赤備が求められるのも納得の強さ。
人斬り兵部、それが井伊直政のあだ名の一つのようで・・・
「そこの美少年」って目的が変わってるようなw
赤鬼直政という大河ドラマはできないのだろうか。
ひこにゃんのモデルが井伊の赤備えですね。徳川幕府最大の軍事集団だったと聞いています。
この人独りの頑張りで、一国一城の大名、子孫達も幕府の役人。
赤備えの代表的人物は飯富虎昌→山縣三郎兵衛→井伊直政→真田幸村と繋がっているけど誰が1番武将として強いんだろうね?
井伊家3傑(女城主直虎、赤鬼直政、夜叉掃部直孝)。
若くして重鎮になったところが偉大なところだろう
家康の小姓ですね(笑)食べれるときに一杯食べる基本ですね。今も昔も😂彦根藩、大老の暗殺桜田門ですね。幕末頃は井伊家は天狗でした。(泣)
譜代じゃないからここまで出世するにはやらない訳にいかなかった。
家康にしたら使い勝手の良い駒だったんだろう。
長く生きたものだけが功労者ではない。
自分らしく強く生きれたら、短命でもかまわない。
人生50の世で42は長生きしたな
大久保忠世の嫡子忠隣が本多正純の罠で改易になった時に
井伊家預かりになったのも御縁か
家康『や ら な い か』
古代時代井伊家のご先祖から1000年以上🤔
ヒコにゃんに見える
井伊直政と島津義久は誕生日が一緒。生まれた年は違うけど。
42か、、、若いな。
糠味噌は、味噌なのか?